告白(転載) 孫を産みます 真理子 さん
近親相姦告白・体験
孫を産みます 真理子 さん 2000年11月16日(木) 23時16分
先日、書き間違え消してしまいました。44才になります。皆さん44にも成って、あんたも好きね、と言われます。しかし、産むより、仕方がないのです。娘の2回目の出産でこちらへ帰らずに産むというので、応援に行った時のことです。異常妊娠ということで、早めに入院し、孫の守が大変でした。婿は、大変申し訳ないと、随分気を使ってくれたのでしたが、孫が休んだ後など、私と2人になりますと、とかく話しも途絶えがちになります。「普通ならこんなに速く入院する必要もないのに、悪いわね」そんなことをいいながら、私も孫のもりに疲れたのか、うつらうつらしていました。「お義母さん、先に風呂へ入って休まれたら」「そうさせて貰いましょう」そんな訳で先の風呂へ入りました。
風呂から出ました。今に帰りますと、婿は一心に、マスの最中でした。見てはならないものを見てしまいました。可愛そうに。あの子が、普通ならば、まだまだできるにと、私も妊娠中は、産まれる直前までしたことを思い出しました。「治さん」いつの間にか彼の、たくましいものを握りしめていました。「悪いわね、辛抱して」そんなことをいいながら、扱きながら口にくわえてやりますと「でる」と大量の精液を私の口の中に放出しました。夫のものは今まで一度も飲み込んだことも無かったのに、何かしら大変おいしく感じました。彼の、ものを飲み込み綺麗にしながら、私も変な気持ちに成ってきました。こちらへ来てやがて2週間ほど、ご無沙汰です。お風呂から出て、すぐ休むつもりでしたから、唯はおっただけで、実は下着も付けていませんでした。彼を銜えておる内に、裾が乱れ奥まで丸見えに成っていたようです。突然彼に抱きつかれ、乳をまさぐられました。「いけない」と叫んだときは、もう遅く、「欲しい、欲しい」片方の手で乳をまさぐりながら、もう一方の乳を吸い、股の奥をまさぐります。「治さん、勘弁して」「お義母さん」とうとう彼の力に負けてその場で、押し倒されて受け入れました。それから彼の寝室に行き、「淑子に内緒」「今回だけよ」そんなことをいいながら、久しぶりのセックスに朝まで数回してしまいました。それから半月後、無事に2人目が産まれました。2人目ということで、なれたとは言うものの、上の子はまだまだ何も判らず最初のお産の時よりも忙しく、和つぃが上の子を見てやるようになり、孫を連れて両方の家を往復して、久しぶりに子育てを楽しんでいました。先日、娘の家に泊まりがけで出かけ、下の子を風呂に入れたやりましたところ、娘が「お母さん、一寸」といいます。「何」「お乳が」「何よ、嫌らしい」「少し、色が」「嫌らしい子」
「だって」「変なこといわないで」そんなことでその日は夜遅く帰宅しました。
未だ、私は、気がついていませんでした。この年になって、生理は軽かったし、遅れることが常で、夫とは常に無防備でしていましたから、子供が出来るなど、考えたこともありませんでした。数日後、夫が乳をまさぐりながら、最近乳の色が少し黒ずんだようだ。と言います。気のせいよ。その晩は休みました。しかし、翌日そんな馬鹿な、と治さんとのことを思い出しました。もうあの日から4ヶ月になります。少し気にかかり、鏡に乳を映しますと、やはり少し黒ずんでいるように見えます。そんな目で、姿見の前で裸に成ってよく見るとお尻の周りも少しふっくらとした感じです。それでも、未だ子供が出来たとは、信じられませんでした。
しかし、念のために産婦人科の診察を受けましたところ、もう立派に4ヶ月と言うことで予定日は12月の20日頃と言うことでした。寝物語に夫にその事を話しましたら、「暢気なやつだ。4ヶ月も子供が出来たことも気がつかずに。44にもなって。産みたかったら産むさ」娘は、この事が判ってからは口も聞いてくれません。「孫が2人も出来てから、子供を産むなんて。しかも44よ。恥ずかしく」娘が云うまでもなく、薄着の頃になりますと、少しずつ腹も目立つようになり、私自身友達からも、またうるさい世間さまからも、色々云われますが、治さんとのたった1度のセックスで出来た子供と思うと、どうして産まなければと決意したことでもあり、後1ヶ月で産まれてくる子供の考えながら、毎日大きなお腹を抱えながら、暮らしています。
ただ、この子は治さんの子供としますと、治さんは私の娘婿ですからこの子は娘婿の子供ですから、私の孫ですネ。そして私の2人の孫より小さい、3人目の子供です。わからまくなります。
どうでも善くなりました。今も活発に私の胎の中で動いています。
先日、書き間違え消してしまいました。44才になります。皆さん44にも成って、あんたも好きね、と言われます。しかし、産むより、仕方がないのです。娘の2回目の出産でこちらへ帰らずに産むというので、応援に行った時のことです。異常妊娠ということで、早めに入院し、孫の守が大変でした。婿は、大変申し訳ないと、随分気を使ってくれたのでしたが、孫が休んだ後など、私と2人になりますと、とかく話しも途絶えがちになります。「普通ならこんなに速く入院する必要もないのに、悪いわね」そんなことをいいながら、私も孫のもりに疲れたのか、うつらうつらしていました。「お義母さん、先に風呂へ入って休まれたら」「そうさせて貰いましょう」そんな訳で先の風呂へ入りました。
風呂から出ました。今に帰りますと、婿は一心に、マスの最中でした。見てはならないものを見てしまいました。可愛そうに。あの子が、普通ならば、まだまだできるにと、私も妊娠中は、産まれる直前までしたことを思い出しました。「治さん」いつの間にか彼の、たくましいものを握りしめていました。「悪いわね、辛抱して」そんなことをいいながら、扱きながら口にくわえてやりますと「でる」と大量の精液を私の口の中に放出しました。夫のものは今まで一度も飲み込んだことも無かったのに、何かしら大変おいしく感じました。彼の、ものを飲み込み綺麗にしながら、私も変な気持ちに成ってきました。こちらへ来てやがて2週間ほど、ご無沙汰です。お風呂から出て、すぐ休むつもりでしたから、唯はおっただけで、実は下着も付けていませんでした。彼を銜えておる内に、裾が乱れ奥まで丸見えに成っていたようです。突然彼に抱きつかれ、乳をまさぐられました。「いけない」と叫んだときは、もう遅く、「欲しい、欲しい」片方の手で乳をまさぐりながら、もう一方の乳を吸い、股の奥をまさぐります。「治さん、勘弁して」「お義母さん」とうとう彼の力に負けてその場で、押し倒されて受け入れました。それから彼の寝室に行き、「淑子に内緒」「今回だけよ」そんなことをいいながら、久しぶりのセックスに朝まで数回してしまいました。それから半月後、無事に2人目が産まれました。2人目ということで、なれたとは言うものの、上の子はまだまだ何も判らず最初のお産の時よりも忙しく、和つぃが上の子を見てやるようになり、孫を連れて両方の家を往復して、久しぶりに子育てを楽しんでいました。先日、娘の家に泊まりがけで出かけ、下の子を風呂に入れたやりましたところ、娘が「お母さん、一寸」といいます。「何」「お乳が」「何よ、嫌らしい」「少し、色が」「嫌らしい子」
「だって」「変なこといわないで」そんなことでその日は夜遅く帰宅しました。
未だ、私は、気がついていませんでした。この年になって、生理は軽かったし、遅れることが常で、夫とは常に無防備でしていましたから、子供が出来るなど、考えたこともありませんでした。数日後、夫が乳をまさぐりながら、最近乳の色が少し黒ずんだようだ。と言います。気のせいよ。その晩は休みました。しかし、翌日そんな馬鹿な、と治さんとのことを思い出しました。もうあの日から4ヶ月になります。少し気にかかり、鏡に乳を映しますと、やはり少し黒ずんでいるように見えます。そんな目で、姿見の前で裸に成ってよく見るとお尻の周りも少しふっくらとした感じです。それでも、未だ子供が出来たとは、信じられませんでした。
しかし、念のために産婦人科の診察を受けましたところ、もう立派に4ヶ月と言うことで予定日は12月の20日頃と言うことでした。寝物語に夫にその事を話しましたら、「暢気なやつだ。4ヶ月も子供が出来たことも気がつかずに。44にもなって。産みたかったら産むさ」娘は、この事が判ってからは口も聞いてくれません。「孫が2人も出来てから、子供を産むなんて。しかも44よ。恥ずかしく」娘が云うまでもなく、薄着の頃になりますと、少しずつ腹も目立つようになり、私自身友達からも、またうるさい世間さまからも、色々云われますが、治さんとのたった1度のセックスで出来た子供と思うと、どうして産まなければと決意したことでもあり、後1ヶ月で産まれてくる子供の考えながら、毎日大きなお腹を抱えながら、暮らしています。
ただ、この子は治さんの子供としますと、治さんは私の娘婿ですからこの子は娘婿の子供ですから、私の孫ですネ。そして私の2人の孫より小さい、3人目の子供です。わからまくなります。
どうでも善くなりました。今も活発に私の胎の中で動いています。
真理子は私の義母です おさむ さん 2000年11月17日(金) 23時02分
今夜、此処を開いてびっくりしました。義母は本当にタフです。昨晩、義母に呼び出され、会社の帰りにモーテルに行き10時前に家に送り届けたのですが。昨日お昼過ぎに会社に電話があり、是非寄るようにとのことで、義母も書いている様に、現在義母と私の妻は、絶交状態で、義母の所へ寄ると云うことも出来ず、大事なお客の所へ寄って帰ると妻に伝えて、義母の所へ寄りました。義母は、大きな腹を抱えながら、今日はお父さんは遅くなるから、是非モーテルへ連れて行けと云います。ぼつぼつ、臨月に成るというのに、逆らうことも出来ず、助手席に乗せていつもの、モーテルに行きました。 此処からは、義母でなく真理子と言います。
真理子は本当にセックス好きで、そうして強いのです。
昨日は、あんなことを書いていますが、初めての晩のことを云いますと、確かに私は、椅子の掛けてマスを書いていましたが、真理子は、タオルを腰に巻いたままで、いきなり私の上に跨ってきたのが本当なのです。恐らく、風呂から上がって、私が扱いているのを見てチャンスを伺っていたとしか考えられません。密壺はあふれるようで、すんなりと何の抵抗もなく、私の肉棒は真理子の中に入りました。1ヶ月以上溜まっていた精液は、ごつんと痛いほど肉棒が子宮に当たると共に、飛び出しました。真理子は、熱いものが当たったことが判ったのか、「駄目ね、もうでたの」私は、心配になり「お義母さん、いいの、このままで」と言いますと「大丈夫よ、40になった頃からは、何時もこうしてしているの。もう44才よ。」と云います。そんなものかと、その時は、思いました。真理子は、あふれ出る精液やら自分自身の密やら、内股をべたべたにしながらもう一度と、云います。それで私の寝室に行き、後は真理子の云うとおりですが、行くときの声のすごさ。そうして激しさ。淑子もこの年になると、このようになるのかと思うと、少し恐ろしく感じたことを思い出します。
その後、真理子から妊娠したと電話がありました。「おめでとう御座います」電話を切りました。会社の帰りに寄るようにとのことでしたが、寄らずに帰りますと、淑子が、「母さん妊娠したのよ、馬鹿ね、44にもなって、早く堕す様に、云って置いたわ」と言います。そうだね、孫より小さい子供を産むのもおかしいね。そんなことでしばらく過ぎました。
7月中頃、どうしてもあいたいと言うので会社の帰りに、喫茶店であいました。真理子の言い分は、淑子に云われたが、私は産みたい。義父も産んでも良いと言うから産むと云います。ただ、この子は「あんたの子よ」「馬鹿な、どうしてそんなことが判るの」「絶対あの晩の」「それで、その事を淑子に云うの」「そんなこと内緒よ」結局、その晩も、モーテルで激しく抱き合いました。真理子が興奮しますと子宮が堅くなることがよく判り、此処にいるのよ。真理子は、何を考えているの少し怖くなりました。
それから、月に一度歩であっていましたが、前に書いたとおり昨晩のことです。、前からテニス教室やら水泳教室に通っている真理子の体は、確かに見事なもので、バスに浸かって桜色に輝いたはち切れんばかりの腹は、ほれぼれとしました。真っ黒な、赤ん坊が銜えられそうにないほど大きな乳首。吸うて、と言うので吸いながら片方を揉んでやりますと、もう真理子はもだえ始めました。
明日病院にいきます 真理子 さん 2000年12月19日(火) 21時30分
先月、此処に書きこしてから丁度1ヶ月になります。明日の朝入院して産むことにしました。明日陣痛促進剤を打って昼過ぎには生まれるそうです。此の1ヶ月大きな腹を抱えて、若いときに比べ、44歳にもなっての妊娠は肉体的には苦しみの連続でした。何しろ20年振りの妊娠で、一回りも、二廻りも違う人たちと、体操をしたり泳いだり、負けないと思えば思うほど、体には応えました。やっと明日には楽になれると思うと、自分ながらよく頑張ったと思います。ただ此の期間中、主人は勿論ですが、婿の労り方は、忘れられないでしょう。この先、どのようにして婿と
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