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小説(転載)  気付かないけど、傍に 8/8

官能小説
02 /26 2019
気付かないけど、傍に

8

 


 さっきから蝉がうるさかった。
 源太の家もそうだったけれど、直美の家も近くに林があるからな。もっとも、ここの近くにある林は、森と言っても良いくらいのもので。小学校の時、夏休みの自由研究なんていうと、虫取り網を片手に分け入ったものだ。
「また、来てやって下さいね」
「はい」
 夏の暑い最中に、きっちりネクタイを締めて。けれど、これぐらいしか礼儀を表現する方法を知らない俺は。窮屈な襟首を気にせずに、直美の家を後にした。
 隣を歩いている由悠も、終始無言のままだった。
 出ていった時のまま。掃除もせずにそのままだという直美の部屋は、とても綺麗に片付いていた。女の子の部屋らしく、幾つか置かれた人形よりも。大きな本棚一面に置かれた演劇の本が、俺に重くのしかかっていた。
 毎日、夜遅くまで、一生懸命練習していたという直美。
 必死に練習した成果を、結局、ほんの少しだけ発揮する事も二度と無いんだと思うと。ひどく、馬鹿みたいに思えて。そんな馬鹿さ加減が、いかにも直美らしくて。本棚一面の演劇の本を見ているうちに、目頭が熱くなっていた。
 急にいなくなってしまった実感がなかなかわいてこない源太は、家族もそうみたいだった。いつも遊びに行った時のように出された麦茶を飲みながら。寂しそうに笑うおばさんが、何故か今も目蓋に焼きついて離れずにいる。
 源太の奴は、どうせ今でも爽やかな笑顔を振り撒いてるんだろうし。直美の奴は、怯えた目でおどおどしてるんだろう。まあ、俺がいなくても、直美の事は源太に任せておけば安心出来るしな。
「気付かなかったよね…」
「そうだな」
 熱を持ったアスファルトが揺らいでいて、その中を排気ガスを散らして車が走っていく。左右を確認して道を渡りながら、街路樹に止まった蝉の声をうるさく感じていた。
「死、ってこんなにも傍にあるんだね」
「ああ」
「いつ死んじゃうか、分からないんだよね。だから、だから。やりたい事を後回しにしないで、自分に正直に生きないと…死んじゃってからじゃ、遅いもんね」
 それには応えず、由悠の頭に手を乗せてひっぱり寄せてやった。予想しなかった行動らしく、バランスを崩れて倒れ込んできた由悠がべったりとひっつく。肌に浮いた汗同士がすれあって、不意に、外気の温度に気付いてみたりする。
「暑いよう、お兄ちゃん」
「俺は今、お前を引き寄せたいんだ」
 かなり恥ずかしい事を言った気がする。
 由悠の照れ具合を見ていれば分かるけれど。それよりも、自分で自分の言った妙な台詞が。気になって仕方が無かった。言わなければ良かったと後悔しても、既に遅い。
「私は…」
 はにかんだように笑った由悠が、腕を絡めてくる。
 それはそれで、かなり恥ずかしいと思うけれど。ここで逆らうと、さっきの自分の言葉に追い討ちをかけられる気がして。何も言えなかった。
「よし、今から家に帰ってさっそく励むぞ」
「ば、ばかな事大きな声で言わないでよね」
「何がだ? 俺は演劇部の練習に励むと言っただけだぞ」
 頬を大きく膨らませた由悠が、俺のほっぺたを掴んでねじり上げた。痛くも何とも無いが、かなりくすぐったいな。これは。
「じゃ…やるか?」
「ばかあ! それより、今日は部活があるんでしょ?」
「そういやそうだな」
「私も…演劇部に入るよ」
 由悠の笑顔の下に、色々な思いが見えたけれど。俺はそれには触れなかった。俺だってまだ、あいつらの事をどう受けとめていいのか分からないし。何より、自分の感情を上手く説明する事なんて出来無い事だから。
「ねえ、お兄ちゃん」
 なんだ? と言いかけた時、唇が塞がれて返事が出来無かった。不意うちに戸惑っていると、にへらと子供っぽい笑顔を浮かべた由悠が、言っていた。
「傍にあって気付かなかったもの、まだあったよ」
「そう、だな」
 由悠の事がこんなに愛しかった事だとか。大好きな人がずっと傍にいた事にも。俺は全然気付いていなかった。他にも、もっと気付いていない事があるんだと思う。
 でも
 それでいいんじゃ無いか、と俺なんかは思う。
 鬱陶しく鳴き続ける蝉の声に空を見上げると。真っ青な空に、巨大な入道雲がそびえ立っていた。その白くて堂々としたでかさを見ているうちに、なんだか俺は、気分が晴れていた。

小説(転載)  気付かないけど、傍に 7/8

官能小説
02 /26 2019
気付かないけど、傍に

7

 


 合わせ続けた唇が、緊張と恥ずかしさから強張ったように感じる。
 自然と舌が延びて由悠の舌を求める。びくっと震えながらも、だんだんと。ゆっくり、次第に貪るように。由悠も俺の舌を求めてくる。
 舌が絡まり、唾液が混じる。
 首の後ろで、由悠の手が重ね合わされた事を感じた。そして、由悠も俺を引き寄せるように、力を入れる。互いを引き寄せ合って、隙間も無いくらい俺達はべったりとくっついていた。
 ひたすらに舌を絡ませあい、喉を鳴らす。
 もっと俺を由悠に。由悠を俺に。
 考える事といったら、ただひたすらそれだけで。ただひたすら夢中に、由悠が欲しかった。可愛いからとか、そういう事だけじゃなくて。由悠が由悠としてそこにいるから、俺は由悠が欲しい。
 服を捲り上げた俺の手は、ブラジャーをずらしてそっと胸にふれる。すべすべとした柔らかい由悠の胸は、優しい暖かさを持っていた。
 伸ばした指のひらが、つん、と立った乳首を見つける。
「ん…」
 合わさった唇の合間から、由悠が吐息を洩らす。感じていてくれる事が嬉しくて。そして、壊れてしまいそうだったから。俺は、優しくもみ上げるようにしながら、指の先で乳首をついてやる。
 由悠の鼻息が、だんだんと荒くなってくる。それがとても愛しくて、俺はもっと由悠を気持ち良くさせたいと思う。
「はあっ、はぁっ。ふうっ、ふう…」
 息が苦しくなったらしく、口を離した由悠が艶っぽい吐息をもらす。俺の口と由悠の口の間を、透明な液がつつっと結んでいて。見ていて、とてもいやらしかった。由悠もそれに気付いたのか、頬を染めると上目遣いに悪戯っぽく笑う。
 由悠と離れている刻が耐えられなくて、俺はまた唇を吸う。胸を玩ぶ事をやめないから、息が苦しそうだったけれど。由悠も、ただひたすらに俺の舌を求めてくる。
「あ…」
 目を閉じていた由悠は、嬉しそうにそう洩らして俺を見る。
 さっきから、パンツの中で苦しそうにしている俺のものは。何枚かの布越しに由悠の太腿の柔らかさに触れて、暴れ回っていた。
 首の後ろにあった由悠の手が、ゆっくりと下りて俺のパンツの中に滑り込んでくる。そして、俺のものを包み込むと。固くなった感触を楽しむように、優しく動いた。
「うふふ…お兄ちゃん」
 糸をひいた唾液の向こうで。快楽に頬を染め、息を荒くしながら。嬉しそうに由悠が微笑んだ。
 由悠を抱きとめていた左手はそのままにして、右手を由悠のスカートの中に入れる。由悠のものを探り当てようとした俺の指は、べたべたに濡れた布の感触に止まった。
「あ…」
 自分がどうなっているのかを俺に知られて、由悠が恥ずかしそうに目を伏せる。それでも、俺のものを包み込んだ手の感触を自信にしたように、ゆっくりと目を上げる。
 脇から指を滑り込ませた俺は、柔らかな唇のようにつるっとした感触に、指を這わせる。
「はうっ…」
 俺のものの反応を楽しんでいたような余裕が、由悠の顔から消えて。ただ、押し寄せるなにかに耐えるように。恥ずかしそうな顔を歪めて、由悠は目を閉じた。
 ガラスコップの縁を回すように、由悠に指を滑らせる。細かく震える肩とまつげを見て、嬉しさがこみ上げてくる。小さな突起に指が触れると、由悠は大きく身をすくませた。
「あ…あ…」
 由悠が嬉しそうに俺の顔を見上げる。
 これ以上無いくらいに大きくなっていた俺のものが。限界を知らないように、由悠の掌に包まれた中でもっと大きくなっていた。それが嬉しいらしく、由悠が悪戯っぽく微笑む。
「由悠…」
「…うん。いいよ」
 少しの怯えと。そして、それよりもたくさんの喜びに支えられるようにして。由悠が頷いて、ことんと、頭を俺の胸につける。
 両手で抱きとめながら、由悠をベッドに倒していく。小さな由悠。のしかかって俺の体重をかけたら、潰れてしまいそうなくらいに。
 両手で由悠のパンツの端をひっかけると、一気に滑り降ろした。ねちょ、っと。とてもいやらしい音がして、パンツに由悠の液が溜まっているのが見える。
 まだ俺のものを掴んでいる由悠の手をそのままにして、俺もパンツを下ろす。由悠の位置からは見えないだろうけれど、それがどれだけ由悠を欲しがっているかはわかっているはずだった。
 スカートをめくりあげると、外から入ってくる月明かりに、由悠の部分だけが光って見えていた。
「あんまり見ないで…」
 甘ったるく囁く由悠に、思わず頬が緩む。こいつの甘えん坊なところは、昔っからちっとも変わっていないんだな。
 由悠に軽く口付けしてから、手探りで俺のものを由悠の部分に近づけようとする。けれど、勝手がわからずに、じっとりと焦りが襲ってくる。俺の焦りが分かったのか、視線を逸らしながら、由悠の手がゆっくりと俺のものを導いてくれた。
 くちゅ
 小さな唇に先端が包まれた感触が伝わってくる。探り当てた安堵感と一緒に、それだけで達してしまいそうになるくらいの気持ち良さがやってくる。
 まだ俺のものを離さない由悠の手に、そっと手を添えてやると。由悠はゆっくりと離した手を、俺の背中へと回した。不安なのか、服をしっかりと掴んでいる。
「いくぞ」
 目を見ながら言ってやると、由悠は目だけでこっくりと頷いた。
 ゆっくり、ゆっくりと由悠の中に入っていく。痛くしないように、優しく。由悠は苦痛からか、顔を歪ませて両足をつっぱっていた。
「痛いか?」
 聞きながら、馬鹿なことを聞いているなと自分で思った。
 痛がっているのが分かっているんだから、わざわざ確認してどうしようというのだろうか。でも、何を確認したいのか。多分、分かっていないけれど、分かっているんだろう。
「ううん。平気」
 由悠が苦痛の下で、一生懸命にっこりと笑ってみせる。
 これが聞きたかったのかも知れない。由悠を傷つける事に怯えながらも、由悠が欲しくてたまらないから。由悠の気持ちに、後押しして欲しくて。
「あうっ!」
 由悠が悲鳴を上げる。
 ある程度まで入ると、由悠の中は更にきつくなっていた。まだ、半分くらいしか入っていないけれど、この辺りが限界なのかも知れない。
 そう思ったけれど、由悠は俺にしがみつく力を緩めようとはしなかった。必死に抱き寄せて、自分の中へ、中へと導こうとしている。そんな由悠の態度に、そして、俺自身の欲望のままに。一気に突き挿れた。
「ううっ」
 歯を食いしばって大きく身を逸らした由悠が、ゆっくりと肩を落とし、呼吸を和らげて行く。今、一つになってる。由悠と一つになってるんだ。
 由悠の中は、とても暖かかった。
 他に色んな感情も浮かんでくるけれど、とにかく、暖かかった。
 息を荒くしている由悠の頬に手を当てて、髪を撫でてやる。おずおずと目を開いた由悠は、にっこりと笑うと。俺の下で、ぎこちなく、腰を動かし始めた。
「由悠…?」
「へ、へいき…だから。お兄ちゃんに、私で気持ち良くなって欲しいの」
 由悠の動きはとてもぎくしゃくしていて。そして、痛そうなことが分かったけれど。由悠が自分から動いてくれているという事が、気持ち良くて仕方が無かった。
 由悠を抱き締めて口の中に舌を入れると、懸命な努力だけで動いていた由悠の体は止まった。無理はしなくていい。けれど、けれど俺は由悠の中で動きたい。由悠の膣内をかきまわしたい。
 俺の気持ちを代弁するように舌を暴れさせる。由悠もそれに合わせて、舌を絡ませてくる。
 気がつくと舌だけでなく、俺は腰を大きく動かしていた。舌の動きを再現するように、温かい由悠の中を動き回り。きゅっとしめつけてくる由悠に、俺の背筋にぞくぞくとした快感が登ってくる。
「あっ…」
 少しは感じてくれたのか、由悠が声を上げた時が。俺の限界だった。
 由悠の体をしっかりと抱き寄せると、膣内に注ぎ込む。こんなに愛しくて可愛い由悠の中に、俺をぶちまけたくて仕方が無くて。幽かに浮かぶ、様々な想念を、ただ、由悠が好きだという気持ちで打ち消して。ひたすら膣内へ、出していた。
「あああぁぁ…」
 由悠が目を細めて、嬉しそうに声を洩らす。
 由悠との行為は、自分でする事など比べ物にならないくらい、気持ち良くて。由悠と一つになれたという事が、一番気持ち良くて。
 だからなのか、これまでに無いくらいに吐き出しているはずの俺のものは。自分でも信じられないくらい、大量に勢い良く吐き続けている。少し治まっても、きつくしめつける由悠に搾り取られるように出し続けていた。
「なかに、お兄ちゃんがいっぱい…あっ」
 えへへと笑った由悠はそう言った後で、顔を赤くしていった。
 きゅっ、と一度可愛くしめつけた後。細かく震えた由悠の体から、急に力が抜けていった。無性に可愛くなった俺は、さらさらの由悠の髪を撫でて頬にキスをしながら。耳元に囁いていた。
「いったのか?」
「…ばかぁ」
 口元を両手で隠して見上げてくる由悠を、俺はしっかりと抱き締めていた。
 確かな存在
 かけがえの無い由悠
 それを腕の中で感じているうちに。窓の外から聞えていた蝉の声が、だんだんと遠くなっていった。重くなってきた目蓋の向こうに、由悠の優しい笑顔を見ながら。

小説(転載)  気付かないけど、傍に 6/8

官能小説
02 /26 2019
気付かないけど、傍に

6

 


 真夏の一日。
 源太と直美。それに由悠を誘って、海にいる。
 直美の水着姿を見たのは、体育の時間くらいのものだったはずだ。じろじろ見ていると、由悠がたしなめるようにして俺の頭を叩く。由悠の水着を褒めて無いとかで、怒ってたんだっけ。
「へ、変…かな?」
「いや、別に」
 正直、その水着は直美に似合ってると思った。なんというか、その。思ってたよりも大きな胸をしている、とかじゃなくて。
 水着になった直美を見て、こいつも女なんだな、と思ったりもした。元から女だとは思っていたけれど、なんというか。いつも考えている、直美も女なんだという感覚よりも。もっと、感情でというか。素直に、女なんだな、と思う事が出来た。
「お兄ちゃん」
 由悠が呼びかけてくる声に、ふと振り返る。その声の調子は、今まで聞いた事が無いくらい暗いものだった。表情も、それに合わせるように暗くなっている。
 それを見ているうちに、俺は不意にある事に気付いていた。
「お兄ちゃん」
 四人で海に行った事なんて無かったんだって。だいたい、俺は…

「お兄ちゃん…」
 しゃくり上げるような声が、白い天井に広がっていた。
 方向感覚がはっきりとしない。鈍い痛みが、頭中に広がっている。吹き込んでくる風に揺れているんだろう。白いカーテンが揺らぐ向こうに、夜の空が見えていた。
 ここは、どこだ?
 頭を振りつつ起き上がろうとする。そして、右肩から腰にかけて走った痛みに、思わず声を洩らしていた。
「お兄ちゃん?」
 息をのむ声に続いて、由悠が俺の事を見ているのが見えた。大きく見開かれた目が、徐々に表情を変えていって。涙でぐっしょり塗れた顔を、笑顔で一杯にしながら飛びついてきた。
「うわ、っておい」
 咄嗟だったので、由悠の体重すら支えられずひっくり返りながら。左腕から、透明な管が伸びている事に気付いていた。とすると、ここは。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん」
 ひたすら呼びかけながら顔をすりつけてくる由悠の頭を、軽く撫でてやった。柔らかい髪の毛の感触が、掌一面で感じられる。
 漠然とした不安が、全身を包み込んでくる。
 理由は、見当はつくけれど、考えたくは無かった。それと同時に、由悠が華奢で柔らかい、女の子の体をしている事に気がつく。すりつけられている胸の感触に、場違いにもどきどきして。
 そう、妹相手に女を感じて、変だと思っているからどきどきしているんだ。
 決して、このどうしようも無い不安が。胸から喉にかけてを虚無で覆われたようなこの感覚が、原因なわけでは無くて。

 由悠が静かに首を振った。
 開ききった窓からは、夜も遅い時間だというのに蝉の声が聞こえてきていた。毛穴がぴりぴりするようだ。肌の下で、皮膚が蠢いているように、どうしようも無い感覚が押し寄せてくる。
 コールに呼ばれて飛んできた看護婦と、その後で来た医者の話によれば。頭を何針も縫う怪我だったわりに、回復は早いらしい。数日ベッドで眠って、抜糸を済ませれば退院していいとの事だった。
 近くでホテルを取る為に動いていた父親と、待合室で憔悴していた母親を由悠が呼び。俺が笑顔で手を振ってやると、二人とも安心したように帰っていった。本当は由悠にも帰って欲しかったんだけれど、こいつは残ると言って聞かなかった。
「お兄ちゃん」
 由悠が心配そうな顔を、俺の方に向けてくる。自分で自分の状態の分かっている俺は、由悠から目を逸らした。多分鏡を見れば、直美だって驚くくらいの怯えた表情をしているんだろう。
 けど、直美と怯えた表情対決をする事は出来無い。もう、出来無いんだ。
 寒かった。ひたすら寒かった。悲しいとか、なんだとか。全然分からない。胸全体をぽっかりとした空洞が覆い尽くしているようで。そして、震えるくらいに寒かった。
 由悠が俺の事をじっと見ている。心配されているのが分かるから、それを吹き飛ばしてやる為に、明るく笑って冗談の一つでも言ってやりたかった。
「何も、」
 けれど、
「何も出来無かった」
 俺の口から出たのは、
「俺は何も出来無かったんだ」
 ただひたすら、後悔する言葉だけだった。
 何かが出来たかなんて、俺には分からない。けれど、けれど。目の前でとても親しい友だちの源太と直美が。他にも大勢の、毎日のように顔を合わせていたクラスメートが。上から降ってきた岩や土砂に潰されたっていうのに。俺は、俺には何もする事が出来無かったんだ。
 もっと、俺は何かが出来ると思っていた。
 自分が思っていた以上に、自分がちっぽけな存在なんだという事が分かってしまって。何も出来無かった俺なんかが生き残って。何でもわかったような顔してて、何も出来無いくせに、どうしようも無い奴のくせに。生き残って。
 ただひたすら、何も出来無かったことが哀しくて。辛くて。嫌で。
「お兄ちゃん」
 由悠の細い指が、俺の頬を拭う。涙? 俺は泣いてるのか? 泣けば済むとでも思っているのか?
「私ね。他の皆さんには悪いと思うけど。お兄ちゃんが生きていてくれたことが、とっても嬉しいんだよ。ここで、本当に。本当に安らかなお兄ちゃんの寝顔を見ていたら、」
 ぼやけた熱い視界の中で、由悠の目に溢れていた涙が、頬を伝い落ちるのが見えた。
「もう、会えないんじゃ無いかって思って」
 俺の顔をしっかりと両手でおさえると、由悠が顔を近づけてきた。そしてそのまま、唇が合わさる。
 由悠とのキスは、海の匂いがした。
 唐突に、本当に思いがけずにした行動だったんだろう。我に返った由悠が、真っ赤になった顔を慌てて逸らそうとする。けれど、何故かとても落ちつく事の出来た俺は、由悠を放す事が出来無かった。
 由悠の頭を抱えて、唇を合わせ続ける。一瞬だけ、びくっとした由悠は。それから力を抜くと、目を閉じて俺に体を預けてきた。
 両手できつく、きつく抱き締めた由悠の体はとても細くて。柔らかくて。壊れてしまうんじゃ無いかと思ったけれど、俺は、壊してしまいたいと思うくらいに。由悠をしっかりと抱き締めた。

小説(転載)  気付かないけど、傍に 5/8

官能小説
02 /26 2019
気付かないけど、傍に

5

 


 校門前の道路にずらっと並んだバスは、かなり異様な光景だった。学年の全クラスの生徒を収容する為だけに、来ているんだろうけれど。思ったよりも、全然多いような気がする。
 二年の生徒だけが、朝のいつもの流れから逸れてバスの中に入っていく。集合、点呼がいちいちあった中学の頃と比べると、段違いに楽だ。けれど、どこの学校もそうだというわけじゃ無いらしいけれど。
「それじゃお兄ちゃん。怪我だけはしないでよ?」
「はいはい」
「ああ、もう。真面目に聞いてくれない。私は、本当に心配してるんだからね」
「俺だっていつまでも、お前と一緒にいるわけにはいかないだろう。いつか、お前が結婚すれば、お前と離れ離れになるんだしな」
 真面目と言われて期待に応えないわけにはいくまい。そう思った俺は、真面目な顔をして、さながらに返してやった。由悠はきょとんとしながらも、呆れたような笑顔で言っていた。
「心配しなくても、お兄ちゃんが結婚するまで私も結婚しないから安心して」
「だったらお前、一生結婚出来無いぞ。俺なんか、一生一人ものなんだからな」
「おはよう…あ、気にしないでいいよ?」
 朝の由悠との小粋でお洒落なトークに割って入ったのは、直美の怯えた眼差しだった。気にするな、と言われても。軽口の応酬なんてものは、水が差されればそれで立ち消えになってしまうものだからな。
「おはようございます。それじゃ、お兄ちゃん。行ってらっしゃい」
「おう」
 手を振って去っていく由悠に、手を振り返して見送った後で。直美に視線を移してみる。さっきから気になっていた通り、ずっと俺のことを見ていたらしく。目を向けてやると、不自然なほど極端に視線を逸らした。
「おはよう、二人とも」
 対応に困ってる俺を助けるかのように、颯爽と源太が現れた。この間合い、爽やかなだけでなく、本当に源太っていい奴だ。ここで感謝を口にしたとしても、さっぱり分からないだろうから、心の中でだけ思っておいてやる。
「聞いたよ、直美ちゃん。ヒロイン役に名乗り出たんだってね。応援するよ、頑張ってね」
「う、うん。ありがとう」
 気弱そうに、ひきつりまくった笑顔を直美が浮かべた。照れたように見えなかったら、こういうひきつった笑顔っていうのは、いいもんじゃ無いけどな。
「それじゃ、バスに乗ろうよ」
 源太に促され、直美を先にバスに乗せながら俺は思っていた。
 結局のところ。俺にとっての直美ってのは、由悠とそれほど変わりが無いのかも知れない。近しくて、親しい存在ではあるけれど。もし俺が、直美の事が好きなんだとしたら。由悠の事を、もっと好きなんだと思うしな。
 多分、恋愛とは感情の質が違うんだろう。それに、恐らく。直美が俺に抱いている、というその気持ちも。

 道路がどんどん後ろに流れ、車内からは寝息しか聞えて来ない。
 さっきまでカラオケのマイクを回したりしていたけれど。いつの間にか、みんなすっかり昼寝に入ってしまったらしい。俺も、眠いどころか、半分以上は眠ってるんだけどな。
 騒がしくされるより、静かな方が運転はし易いんだろうか?
 バスの運転手の心情に想いを馳せながら。まだ起きている若干の連中が、ひそひそごそごそと菓子を食べる音などが耳に心地良い。バスの立てる音と一緒になって、俺に眠れ、眠れと言っているようだった。
 勿論、それに逆らう必要など俺にはどこにも無い。
 寝ようと思いながら。逆らうでも無く寝ずにいて。寝てても起きててもどっちでもいい。こんな、なんか中途半端な状態が、ひどく気持ち良かった。
 視界が淡く暗いオレンジ色の光になった事からして。どうやら、トンネルの中に入ったらしい。こもって反響するような音を聞きながら、俺の意識はだんだんと…
「きゃああああ!」
 閉じかけていた目蓋が、下から跳ね上げられたように開く。
 悲鳴そのものより、その切羽詰まった感じが体中に緊張感を与える。何が起きたのかと悲鳴の方を見ようとした時、急ブレーキの音が響いた。
 体が前の方に持って行かれる。咄嗟に前の座席の背もたれを掴むと、全身でつっぱって堪える。それでも抑え切れない勢いに、堪えるようにして歯を食いしばりながら。何が起きているのか理解する為に、フロントガラスの向こうを見る。
 急速に停まりながらバスが近付いているのは、車の群れだった。ごちゃっ、と入り混じって停まっている。
 長い時間なのか、短い時間なのか。感覚の分からなくなっている中で、集中力だけが増していき。前の方に座っている源太と、目配せをしあった。よし、俺も源太も冷静さを保っている。バスが止まったら、即座に行動に移れるだろう。
 直美の奴は、いつも怯えたような目をしているだけに。こういう時は、どれだけ怯えた目をしているんだろうか。ちょっと、興味が沸いた。
 源太の隣の席にいるはずの直美の方を見ようとした時、視界が消えた。
 何かがひしゃげて潰れるような音が、周囲を荒れ狂っている。雷のような火花が見え、それが蛍光灯なのかも知れないと思った時。
 不意に襲ってきた頭痛と共に、視界が真っ暗になっていくのを感じた。

小説(転載)  気付かないけど、傍に 4/8

官能小説
02 /25 2019
気付かないけど、傍に

4

 


 辺りを夕闇が覆っていた。
 真っ赤に染まる夕焼けと違って、一面が黄色い世界で覆われるこういう空気は。寂しさよりも、もっと単純に、懐かしさを感じさせる。
 子供の頃、親に怒られる事を心配しながら遊んでいた時間。
 大きくなって、時間の割に明るいんだな、と空を見上げて。思ったよりも暗い事に気付いた時間。
 そんな世界の中の、並木道の下。俺の隣を由悠が歩いている。
 確かに、由悠なんだよな。何か不思議な感じがして、俺は由悠の事をぼんやりと見ていた。
「なに?」
 こいつに、あんな才能が眠っていたなんて、想像もつかなかった。
「どうしたの?」
 じっと見られて照れ臭くなったのか、俺の腕をばしばし叩きながら、由悠が言っていた。そう、だよな。何を俺は戸惑っていたんだろう。
「いや、まあ。それで、やるんだろ?」
「なにを?」
「今度の舞台のヒロイン」
「うーん…多分、やんない」
 何か含みを持たせるようにして笑うと、由悠は人差し指を唇につけて片目を瞑った。
「演劇部に、あの役をやりたがってる人がいるからね」
「勿体無いぞ。その気が無いのを、無理に薦めたりしないけど」
 正直、由悠があんなに演技が上手かったなんて、初めて知った。細かい技術的な事はともかく、天賦の才能とでもいうか。惹きつけられるものがあった。
 由悠の事だから、あがったり、とちったりはしないとは思っていた。それなりにこなすだろうとも思っていた。けれど、まさかあんなふうに感じるなんて、思ってもみなかった。
「じゃ、無理に薦めない事」
「あ、ああ」
「それより、お兄ちゃん、来週から林間学校でしょ。準備とか終わってる?」
「終わってると思うか?」
「ごめんね、聞いた私が悪かったよ」
 どういう意味だ、おい。
 こんなふうに気楽に笑って、喋って。自然な空気で一緒にいる。まあ、生まれた時からのつきあいなんだから、当然と言えば当然なんだけどな。
 けれど、それでも知らない面がある。
 何がどうというよりも、俺はその事がショックだったのかも知れない。由悠の事なら、何でも分かっているつもりだった。けれど実際は、俺よりも、部長の方が由悠の才能を見抜いていたって事なんだろうし。
「どうしたの? なんか暗いけど」
「由悠。お前、好きな奴が出来たら俺に言えよ」
「え? なんで言わなくちゃいけないの」
「な、なに? 既にいるのか? どこのどいつだ。とりあえず、家に連れて来い。両親にも会わせて、いや、向こうの親への挨拶が先なのか?」
「なに言ってるのよ。いないわよ、そんな人」
「いや、正直に言え。誰だ?」
 半分冗談で流しながら、俺はやっぱり気になっていた。それは、由悠の好きな奴が誰かという事じゃ無くて。俺の知らない由悠がいる、という事に。それは当然、俺の知らない面もたくさんあるんだろうけれど。
「いないってば。私の好きな人、って言ったらそうだねえ…お兄ちゃん、かな?」
 そう言って、俺の腕にからみついて笑ってひっぱる由悠の笑顔に。何故だか、胸が高鳴った。
 って、ちょっと待て。相手は由悠だぞ? 何考えてんだ、俺は。

「お兄ちゃん、電話だよ」
「きゃっ。えっち」
 部屋でドライヤーを使っていた俺は、唐突に開けられた部屋の扉に向かって言ってやった。顔中、いや、体全部を使って呆れた事を表現しながら、由悠が子機を差し出してくる。
「なんで呆れてるんだよ」
「他にどうしろって言うのよ」
「少しは申し訳無さそうな顔しろよな。見ろ。俺なんか、パンツ一枚なんだぞ。お前がパンツ一枚の時、部屋に入ったら怒るだろうが」
「そりゃ怒るわよ」
 呆れながら子機を差し出してくる由悠を、何とかやりこめてやりたかった。どうも、由悠の芝居を見てから、俺は自分で自分のペースを乱している気がしてならない。
 子機を受け取りながら、もう一方の手で由悠の腕を掴むと、俺の胸を触らせてやった。これで、きゃあ、と叫んで。って、なんでだよ。
「きゃあ! お兄ちゃんのえっち」
 …何故?
 ぱっと手を引っ込めると、顔を赤らめて、ぱたぱたと由悠が走り去って行った。
 男の俺の胸を触ったところで、楽しい事なんて一つも無いと思うんだけどな。女心の不可思議さを考えながら、保留になっていた子機に気付いて耳に当てる。
「もしもし? お電話代わりましたけれど」
「あ、春日部君?」
「おお、源太か」
「…」
 冗談の通じない奴だ。
 どうせまた、電話の向こうで、怯えきったような目で恨みがましそうにしてるんだろう。黙ったままだと、俺はこのままパンツ一枚でいる事になり。湯冷めして風邪をひきかねないから、促す事にした。他に理由は一切無いぞ、うん。
「で、何だ? 直美」
「あ、う、うん。あのね、春日部君。私…」
 余計な茶々を入れると、また話が長くなるので黙ってじっと待っていた。別に、それ以外に待ってやっている理由は無いんだけどな。
「あのね…」
「分かった。ヒロインがやりたいんだな? 俺から由悠と部長には話しておく。だから、何の心配もしないでいいぞ」
「え?」
 俺が結論を言った事が気に食わないのか、直美は黙ってしまった。全く。あれだけ露骨な態度を見せられてれば、気付かない方がおかしいだろうが。
「やっぱり、わかっちゃうんだな…」
「当たり前だろう。お前のような奴の考える事くらい、見当がつく」
「そ、それじゃ。やっぱり、手紙の事も分かっちゃってた?」
 手紙?
「あ、え、えとえと。切るね、うん。じゃ、また」
 俺に一言も挟ませず、直美は電話を切ってしまった。いや、ちょっと待て。それじゃ何か? つまり、あの手紙は、直美が出したっていう事なのか?
 まあ、あいつが真っ白なラブレター書いている、怯えた目なら簡単に想像出来る。ただ、分からないのは、なんだって今日唐突に告白…
 あ。
 なんだって今日だったのか、俺は見当がついた。つまり、ヒロイン役をやりたいと意思表示するための、助走が欲しかったんだろう。それが、あの一言だけ加わった手紙だったんだな。
 そこまで考えて。俺はふと、一番重要な事を全く考えもしなかった事に思い至った。
 俺、直美の事、どう思ってるんだろう?

小説(転載)  気付かないけど、傍に 3/8

官能小説
02 /25 2019
気付かないけど、傍に

3

 


「そんなわけで、自薦他薦を問わずに聞いてみたい。誰かいないか?」
 部長のお言葉を、部員一同が黙って聞いている。教室として充分に使えるスペースを部室にしている割に、部員が集まると狭く感じる。道具類が多い事もあるだろうけれど、ざっと見た限り人の占める割合の方が多い。
 大半が女の子だけれど、クーラーの無い教室で暑さにもだえている人の群れは。はっきり言って、色気だのとは無縁の世界だった。
 さっきから無駄に流れる汗を拭っている俺の肘を、何者かがぐいぐいとひっぱっていた。脇見をすると、部長にありがたい使命を命じられるので。俺はあえて無視している。
 隣に座ったは直美だし。どうせいつものように、怯えきった涙目で恨みがましそうに俺の事を睨んでるんだろう。
「ごめんね、さっきは。怒ってる?」
「なんで怒る必要があるんだよ」
「なんでかな?」
 いや、俺に聞かれても。
 例えば。俺と部長がそういう関係で、部室で情事をする気になったとしても。ものの数分で部員達がやってくるのが分かっているのだから、我慢すると思うけどな。
「推薦の結果は、直美。お前だが、やってみるか?」
「え、えと。わ、私はちょっと」
 部長に声をかけられて、何の話だか確認もせずに直美が条件反射で応えていた。今の議題は何なんだろう、と。俺はゆでっている頭を無理に集中させながら、黒板を見る。
 ヒロイン
 ああ、これは駄目だ。直美の奴は、確認した上で断ったのかも知れないな。
 直美の顔は、ほとんどの奴が可愛いと言っているのだから、可愛いのだろう。同じクラスの女子の水泳の授業後の証言によれば、スタイルも良いらしい。ただ、
 いつもいつも怯えている事からしても。こいつは、舞台に上がる度胸が無い。
 何かあっても、いつも影でこそこそやっているような奴で。どれだけ台詞の覚えが良くても、どれだけ演技力があっても。舞台度胸の無い役者なんてものは、はりぼての木ほどの役にも立たないものだ。
「しかし、困ったな」
 部長が尋ねる口調だったのも、結果がわかっていたからだろう。
 他にやりたい、という奴がいれば問題は無いのだけれど。主役には部長の容赦無いしごきが待っている事を知っている部員達は、なかなか名乗り出ようとはしなかった。
 もしくは、やりたいのだけれど、恥ずかしがってるのかも知れない。これは、時間がかかりそうだな。
「春日部」
「…い、いくらなんでも、俺は嫌ですよ」
 女装した自分の姿が思い浮かんで、一気にげんなりとしながら俺が応えると。周囲と部長から、はっきりとした苦笑がもれてきていた。
 不思議に思った俺が、振り返って入り口の方を見ると。由悠が弁当箱を手に持って、ひらひらと振っていた。あ、そういや、弁当を持ってきた覚えが無い。
「…いるじゃないか」
 ちょっと。いや、かなり嫌な予感にかられて部長の方を振り向くと、既にその姿は無かった。視界をすり抜けて通り過ぎた人影を追うと、部長が由悠に話しかけようとしていた。
 それを見て、怯えた気分になった俺は。怯えることにかけては大先輩である直美に、意見を伺ってみる事にした。
「本気、だと思うか?」
「え?」
 ぱっと顔を上げた直美が、俺の事を怯えた目で見る。
 いま、ちょっとだけ違和感を感じたのは、俺の気のせいなんだろうか。違和感というか、なんというか。どうも、直美がおかしかったんだけどな。

 人のいない体育館は広い。広かろうが、暑いものは暑い。
 外から容赦なく押し寄せて来る、蝉の声につられるようにして。蜃気楼が見えるくらいの暑さが、体育館を埋め尽くしていた。少なくとも俺の視界は、額から流れ込んできた汗で滲んでいる。
「照明!」
「はいはい」
 暑かろうが元気な部長に聞こえないように呟くと、俺は暗幕を降ろしにかかる。体育館の中二階通路にそって、窓が並んでいて。そこにある暗幕を一枚閉める度に、体育館の温度が上昇していくように感じた。
 感じただけじゃなくて、本当に上がってるのかも知れない。
「よう」
「うん?」
 向こうから暗幕を閉めながら走ってきた直美に声をかけると、不思議そうな顔で見返してきていた。こいつの偉いところは、怯えた目が筋金入りだという事だろうな。どんな表情をしてみせようと、目だけは常に怯えている。
 自分を通すというのは、なかなか出来る事じゃ無いからな。
「頑張れよ」
「うん?」
 分かっていない顔の直美を励ますと、俺は内心頷きながら持ち場に戻った。
 いきなり通し稽古をやると言っても。台本も、まだ全部は書き上がっていない。当然、部員の誰もが台詞なんて覚えていない。
 つまり今日のこれは、由悠が本当に使えるかどうかのテストなんだろう。
 舞台上から俺の方に大きく手を振ってくる由悠に、目に入るようにライトを当ててやる。手をかざして眩しそうにしている由悠を見て、俺はちょっとだけ勝ったような気がした。
「それじゃ、台本見ながらでいいから。やめと言うまで続けるように」
 嵌り役の主役をやっている源太と、ヒロインをやる由悠。こうして見ると、制服を着てるから、雰囲気も何もあったもんじゃ無いな。
 部長が手を叩いて、台本を見ながらの芝居が始まる。台詞をものにしていない舞台は、役者が感情を込める事なんて出来無い。これは、由悠のテストというだけなんだろう。それも、由悠が使えるかどうか、が目的じゃない。
「それでは、参りましょうか?」
 スカートの端をつまみ上げた由悠が、恭しくお辞儀をする。凛とした表情が、遠く離れたここからもよく見えるようだった。慌てて、きりっとして頷く源太。
 由悠が使えるという事を、部員達に知らしめる為のものなんだよな、これは。
「行く? どこへ行くというのだ。私は、彼女と約束したと言うのに」
「何故ですか? 私はあなたに、この世をもっと見せなければなりません。あんな小娘の一人や二人、どうなったっていいじゃありませんか」
「しかし…しかし、何の妖かしだろうか。私には彼女が見える。ほら、あそこに。首に赤い布を巻いて、立っている。これは、虫の報せと言えるのではないか?」
「いいえ。気のせいですよ、さあ」
 背筋が震えた。
 照明に反射された髪が舞う毎に、目が惹きつけられ。耳は彼女の台詞の微妙な調子を聞き逃さないように、研ぎ澄まされる。舞台からここまで、かなりの距離があるはずなのに。ありありと目の前に、彼女の表情が浮かんでくる。
 ふと気がついたけれど。あれだけ鬱陶しかった暑さが、気にもならなくなっていた。

小説(転載)  気付かないけど、傍に 2/8

官能小説
02 /25 2019
気付かないけど、傍に

2

 


 非常階段は、風通しがひどく良かった。
 黙って座っているだけで、額にびっしりと汗をかくくらいの陽気が続いているというのに。ここは相変わらず、涼しいを通り越して寒かった。
 日陰だとか、風がいつも吹いているとか。それだけでは説明しきれない事かも知れない。ま、でも。俺にとっては人がこない場所という事だけが重要で、他の事はどうでも良かったりするんだけど。
 土曜の放課後は、場所を選ばないと生徒の大群に当たってしまう。そこでこんな、いかにもな封筒を開こうものなら、いい晒し者だろう。少なくとも俺だったら、真っ先に囃し立てる側に回ると思う。
「…いつもの、だよな」
 朝、源太の視線から隠した封筒は。宛先が俺になっている事といい、差出人が書かれていない事といい。封筒も同じなら、封をしているシールまでが一緒だった。
 いちいち確認するのも馬鹿らしく思った俺は、無造作に開いてみる。中から出てきた、既に見慣れてしまった便箋は、いつもと同じように…

『あなたが、好きです』

 …いつもとは違っていた。
 何かの気まぐれを疑うように、封筒の中を逆さに振ってみる。はずれの券も当たりの券も、別に出てくるわけでは無いけれど。何か、こう。普段とは違う状況に追い込まれて、どうしたらいいのか分からなくなっているんだろう。
 いつもは、真っ白な便箋が入っているだけだった。何の文字も書かれていない。
 回を重ねる毎に、文字が増えていったり。あぶり出しをすれば出てくるというのなら、って違う。また考えがあさっての方にいってる。
 避けよう避けようとしていたけれど。
 一月以上も、ずっと届いていた白紙の手紙。それが脅迫では無く、ラブレターなんだと分かった瞬間に。俺は犯人を見つけなければならなくなったのだ。
 そう。
 俺にこんな悪戯をした奴を見つけ出して、思い知らせてやらなければならないんだ。
「春日部君?」
「うをっ!?」
 唐突にかけられた声に、俺は大慌てで手紙を胸ポケットにしまう。何というか、相手が知人である事が分かっただけで、落ちつきが無くなっている気がする。
「な、なにか用か、源太?」
「どうやったら、私と源太君の声を間違えるの?」
「それもそうだな、由悠」
「なんでそこで妹さんが出てくるの?」
 冗談のわからない奴だ。いや、確かに俺はかなり本気だったけれど。
 非常階段のところから、直美はいつも通りの怯えたような視線を向けてくる。本人の弁によれば、別に怯えてはいないらしいが。口元に手をやって、上目遣いにおどおどしているのを見る限り。どう見ても、怯えているようにしか見えない。
「早く行かないと、部長が怒るよ?」
 おどおどもじもじした、見るからに鬱陶しくて殴りたくなるような態度とは違って。直美の奴は、意見をはっきりと言う。多少不機嫌な顔を向けても、いつものような怯えた顔を見せるだけ。
 いつもそうだから、怯えてるかどうか分からなくなってくるんだけどな。
「大丈夫だ」
「根拠は?」
「勘だ。俺の勘が大丈夫だと告げている」
「当たった試し、あったっけ?」
「知らない」
「急がなくていいの?」
 お前も少しは急げよ。

「はあ、はあっ、ぜえっ、ぜえっ」
 切れた息をわざと強調するようにしてから、俺は部室の扉を大きく音を鳴らして開いた。さっと覗いた限り、誰も来ていなかった。
「早かったわね」
 部室の奥から唐突に聞えた声に、俺は余り驚かなかった。部長がそこに隠れているだろう事は、入り口から見た時に、見当がついていた事だからだ。
「当然ですよ。俺は真面目な演劇部員なんですから」
「そう」
 声はすれども、姿は見えず。君臨せしとも、統治せず。まるで立憲君主のような部長が、演劇部の部長だった! …なんて事だったら、面白いんだけどな。
 生徒数が減った為に使われなくなった、元は三年生の教室。その一室を、小さな部室棟に収まり切らないうちが、占有していた。
 体育館までの距離は、ざっと、思い出したくないくらいあり。舞台で発表する、なんていう時には男子部員達に辛い仕事が待っている。それが原因かどうかは知らないが、演劇部はほとんど女子の部員ばかりだった。
「…部長?」
 部室に何故か飾られている狸の置物に話しかけて見る。返事は無い。これはどうやら、部長の変身した姿では無かったらしい。意表をついて、黒板に化けているとか?
「…ねえ、ちょっと」
「はい?」
 あえて何かを見なかった事にしたかったのだけれども、どうやらお許しは出なかったらしい。俺は諦めて、書類の束だのダンボールだのが積み重なった場所へと歩いていく。そして、山から突き出てさ迷う腕を眺めた。
「だから、引っ張って」
「どこをですか?」
「あ、そう」
「さあ、しっかり掴まってて下さい」
 もう少しからかいたかったのだが、部長の声が明らかに匂わすものに俺は屈していた。今年の文化祭の大道具運びが、俺一人の役になってしまう気がしたからだ。
「しかし、どうやったら埋まれるんですか?」
「才能ね」
 ある意味天才かも知れない。
 よほど妙な体勢で転がり込んだらしく、妙な方向に突き出た腕をしっかりと掴む。そのまま反動をつけてひっぱり上げると、悲鳴と抗議の声に続いて、急に抵抗がなくなった。
「え? ちょ、ちょっと」
 書類の束をどかせば良かったのでは?
 こうなって初めて名案を思いついた頃には、鈍い音と衝撃が後頭部から広がっていた。血がひいていく感覚と、一瞬だったはずの落下感が続いているようで。鉄錆びのような匂いと一緒になって、俺の視界をはっきりさせなくしている。
「はあ、はあ。ひどいよ、春日部君。なんで走って先に行っちゃう…の?」
 入り口から聞える直美の絶句が、俺と部長がどういう体勢にあるのか教えてくれたけれど。少なくとも俺には、部長の胸がどうだとか味わう余裕は、微塵も無かった。

小説(転載)  気付かないけど、傍に 1/8

官能小説
02 /25 2019
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気付かないけど、傍に



 


 …痛い。
 目蓋がぼやけて明るく感じるから、もう朝なんだろうな。
 起きた時、全身が痛むように感じる事なんてよくある事だけど。今痛いのは、頭の方だよな…
 寝ていた疲れからなのか、頭の芯に鉛が入ってるみたいに重く感じる事ってよくある。これもそういう寝惚けた感じの痛み…
「ほら、起きて起きて!」
 …じゃない事は分かってるんだけどな。
 奴は鼻を潰す事が目的らしく、さっきからぐいぐいと押されていて痛い。妙にちっこい柔らかいものを、布で覆っている感触。これは、靴下だと思う。
「お兄ちゃんってば!」
「少しは起こし方、ってものが無いか?」
 いくらなんだって、こういう扱いは無いと思うんだけどな。一応、俺が兄なんだし。もう少しだけ、敬ってくれたって良さそうなものを。いや、敬えとは言わない。
 せめて人間扱いして欲しい気がする。
「いいから起きる!」
「パンツ見えてるぞ」
「やだ、どこ見てるのよ」
 寝惚けたまんまで薄目を開いたら、目の前に由悠のスカートの中が広がっていただけの話だ。何が悲しくて、妹のパンツを覗かなきゃならんのだ。にしても、真っ白なパンツって。もう少しだけ、色気づいたらどうなんだろう。
 童顔で小柄な由悠は、中学生に間違われる事を時々愚痴っている。これを色気と考えれば、色気づいてるんだろうけど。好きな男が出来ただの何だのという話だけは、少しも聞いた事が無いからな。
 あくび混じりに起き上がると、何かが鼻から伝い落ちる感覚があった。鉄錆びのようなこの匂いと味は、言わずと知れた、
「い、妹のパンツ見て鼻血出さないでよ」
 必死にスカートを抑え、後ずさりながら言う由悠の顔は、心なし赤らんでいた。多分、これから俺が言わんとする事への、羞恥心が顔を赤らめさせているんだろう。
「お前が鼻にけりを入れたからだろうが!」
「まあ、まあ」
 照れたような半笑いで、由悠が取りなすような顔を向ける。
「大体、欲情したんだったらだなあ!」
 そう言って俺は、布団をめくって見せる。そう、欲情したのだったら俺の息子がびんびんに…立ってるよ。
「すけべ」
「男の朝の生理現象だ」
「言い訳はいいから、とっとと仕度する。ほら」
 そう言って由悠が目の前に突き出してきた時計を見て、俺は二度寝しようかとかなり悩んだ。はっきり言って、今から遅刻を免れるには、相当気合いを入れて仕度して急いで出て…も無駄そうだったから。
「いや、土曜日は遅番だったから」
「無い無い」
 俺の完璧なまでの言い訳を、由悠は即座に完膚なきまでに叩きのめした。

「な、なんとか間に合ったね」
「…」
「そ、それじゃ、わ、私は行くね」
「…ああ」
 俺は息が切れきっていて、まともに喋る事すら出来無かった。よくもまあ、由悠の奴は全力疾走の後で喋れたもんだ。少なくとも俺には、その気力は残っていなかった。
 このまま帰って寝ようかな。
 十年前は新築だった校舎と、慌しく昇降口に入っていく生徒の流れを見ながら。ぼんやりとそう思っているうちに、自分の下駄箱の蓋を開いていた。生活習慣というものは、恐ろしいものだな。
「おはよう」
 周囲で交わされている挨拶の声。
 昇降口に詰めかけた生徒達が口々に挨拶をしているので。壁に当たって反響したその声や、靴を履き替える物音などが、潮騒にも似た音として聞えてくる。自分の周りをそういった喧騒がとり巻いている事を感じると、言葉の海の中に潜っているようにも感じられる。
「聞えなかったのか? おはよう、春日部」
「え? 俺?」
 下駄箱の蓋を開けながら振り返ると、下駄箱の中から何かが落ちた気配が伝わってきた。
 見られる可能性のあるのは、今声をかけてきた源太くらいのものだけれど。それでも、やっぱり他人に見せたく無い気持ちが先に立って、慌てて拾い上げる。
 見覚えのある、ピンク色で縁取りされた白い封筒。宛先や差出人は確認していないけれど、多分、いつもの手紙だろう。
「わ、悪いな。全力疾走した疲れで、聴覚が弱っていたらしい」
「そんなもの弱るのか? それより…まあ、いいか。急ごうぜ」
 長身かつ、すらっとした顔。素直に靡くその髪と、どこを取っても爽やか好青年の源太は。性格も外見を裏切るような事はしなかった。
 こういう、隠したい事をそっとしておいてくれる心遣いが、有り難いんだよな。源太を同じクラス、同じ部活で持っている俺は恵まれてるなあ、なんてしみじみ思う。
「そうだな。折角、学校まで全力疾走したのが無駄になっちまう」
「そうそう」
 白い歯を見せる源太に、俺の意思の承諾も聞かず、手が勝手に源太の胸を叩いていた。そして、俺の意思とは全く関わり無く、口が開いていた。
「爽やか過ぎ」
「…なんだよ、それ」
 弱り切ったように苦笑する源太は、その表情さえも爽やかだった。
 これから、俺内部で、源太の事を『爽やか源太君』と呼ぶ事に決めよう。しかし、神様も不公平だよ。どうしてこう、顔のいい男というのは何をしても似合うんだろうか。

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。