告白(転載) 【95】堂々と産みます
近親相姦告白・体験
【95】堂々と産みます
2001/2/22(木)21:13 - 美智子 (女) 削除
一昨年の秋、娘の結婚を機に、今の主人と同居生活を始めました。
娘が、中学校を卒業目前に夫が交通事故で亡くなり、その後二人で生活してきました。
その娘が結婚して家を出まして、一人暮らしが身にしみて寂しく、主人の好意にほだされて、
同居する事にしました。この同居に、娘は余りよい顔はしてくれません。
しかし、私は幸せでした。最初の数回は、少し痛みもありましたが、回を重ねる毎に、
夜が待ち遠しくなるようになりました。
四十後家は、立たない。と当地では、云われているそうですが、三月も経ちますと、
主人は、夜のセックスを避けるようになりました。
10年近くのブランクを取り戻すつもりではないのですが、15歳も年上の主人には、
毎晩のセックスは、重荷だったのでしょうか。
私に取っては、毎晩は当然の事でした。
昨年の初め頃からは、休みの前日だけにして欲しいと言って、バイブを買ってくれました。
あまり責めますと、口実を設けて、会社に泊まったりお付き合いといって泊まりがけの
ゴルフに出かけたり。出来るだけ辛抱はしてきました。
彼(主人の息子、私には、義理の息子になります)はそれをよく見ていました。
10月の終わり頃ですか。接待ゴルフで二晩も家を空けることになりました。
二晩も続くと云う有事は初めてでした。
やがて一年近く彼とも住んでおり、主人の息子と思いますと、今までは彼を男と感じた
事は有りませんでした。
いつものように夕飯を済ませ、風呂に入り、寝室へ行こうと「お休み」声を掛けますと、
「美智子さん、少し飲もうよ」といいます。
嫌いではない私も、「そうね」といいおつまみをそろえ彼の向かいに座りました。
ビールを数本空けたでしょうか。
「美智子さん。親父で満足しているの」
「なにお」
「毎晩さ」
彼は、主人の留守の晩に、私がバイブを使って声を出していることを知っていました。
主人もいつも云いますが、私はあのとき相当大きな声を出すそうです。
「今夜も、するの。お手伝いしようか」
「お父さんに、言いつけるよ」と云いながら部屋へ行こうとしますと、ぐっと
彼に抱き留められました。
体の大きな彼(28歳になります)に抱き留められて、身動きも出来ません。
口を吸われ、片方の手で、乳を揉まれますと全身の力がスーと抜けていくのが判りました。
ネグリジェの裾をまくり彼の手が、アソコに届いたときにはもうぐっしょりと
濡れていました。
「此処ではいや」それだけ云うのがせいいっぱいでした。
彼は、私を抱いて寝室に運びました。
私は、主人に知られたらと
「内証よ」「内証よ」と云いながら、その実彼に体を開いていきました。
堅い熱いものが子宮をつつきそのうちになにやら熱いものが子宮にぶっかけられました。
そうして失神したようです。「美智子。みちこ」と頬を軽くたたく彼の声で
気がつきました。「よかった」生まれて初めての経験でした。
朝まで数回気が遠くなるような気分になり、お昼近くまで、彼に抱かれていました。
次の晩も、数回は果てました。
主人が帰った晩は昨日の余韻もあり、静かに床を並べて休みました。主人は、
変に思ったのかもしれませんが、まあ数日は平穏な日が過ぎました。
しかし、休日前晩だっけでは辛抱出来ず、彼とする事も出来ず、苦しい毎日を
過ごしていました。気がつきますと、年の暮れになりましても、
メンスがありません。振り返ってみると11月も有りませんでした。
こんな事は、10年以上なかった事です。
それでも、43さいにもなり、娘を産んでから23年にもなりますから、
遅れておるのだと、自分自身に言い聞かせてお正月を迎えました。
お正月、主人が友人とゴルフに出かけた隙に、彼と話し合いました。
遅れておることを、云いますとかれは「結婚しよう」と言います。
「冗談はやめてよ」「本気だよ」
「俺と美智子は赤の他人よ、いつでも、結婚できるよ」
私は、主人とは同居はしていますが、入籍した覚えもなく、他人です。
「デモね、私は貴方より15も年上よ」「お父さんはどうするの」
「まあ俺に任しとき」
しかし、腹の中では、どんどんと育っていきます。一月の中頃になりますと、
乳首も少し黒くなったように見えますし、乳房もまた腰回りもその目で見ますと
張ってきたように感じます。
思い切ってお医者さんに行って来ました。間違いなく妊娠でもう3ヶ月でした。
なぜもっと早く来なかったとしかられたくらいです。
主人に寝物語に妊娠したことを告げました。俺は、必ずゴムをしていたから
出来るはずはない。
その晩から別の部屋で休むようになりました。
翌日、会社に彼を訪ねその旨を伝えました。
それから一ヶ月。彼は真剣に二人の住まいを探しています。
もう一ヶ月も主人とは接していません。数回彼とは、外で落ち合いホテルに
行っています。
もう4ヶ月になり気をつけてみると下腹も膨らみ腰回りも、乳房も大きく
なりました。
ひさし振りにあった友達も、幸せになって少し肥えたねといいます。
でも私は、この幸せを逃したくない。一日も早く彼と二人だけ、
いや彼の子供と3人の生活を夢見ています。
2001/2/22(木)21:13 - 美智子 (女) 削除
一昨年の秋、娘の結婚を機に、今の主人と同居生活を始めました。
娘が、中学校を卒業目前に夫が交通事故で亡くなり、その後二人で生活してきました。
その娘が結婚して家を出まして、一人暮らしが身にしみて寂しく、主人の好意にほだされて、
同居する事にしました。この同居に、娘は余りよい顔はしてくれません。
しかし、私は幸せでした。最初の数回は、少し痛みもありましたが、回を重ねる毎に、
夜が待ち遠しくなるようになりました。
四十後家は、立たない。と当地では、云われているそうですが、三月も経ちますと、
主人は、夜のセックスを避けるようになりました。
10年近くのブランクを取り戻すつもりではないのですが、15歳も年上の主人には、
毎晩のセックスは、重荷だったのでしょうか。
私に取っては、毎晩は当然の事でした。
昨年の初め頃からは、休みの前日だけにして欲しいと言って、バイブを買ってくれました。
あまり責めますと、口実を設けて、会社に泊まったりお付き合いといって泊まりがけの
ゴルフに出かけたり。出来るだけ辛抱はしてきました。
彼(主人の息子、私には、義理の息子になります)はそれをよく見ていました。
10月の終わり頃ですか。接待ゴルフで二晩も家を空けることになりました。
二晩も続くと云う有事は初めてでした。
やがて一年近く彼とも住んでおり、主人の息子と思いますと、今までは彼を男と感じた
事は有りませんでした。
いつものように夕飯を済ませ、風呂に入り、寝室へ行こうと「お休み」声を掛けますと、
「美智子さん、少し飲もうよ」といいます。
嫌いではない私も、「そうね」といいおつまみをそろえ彼の向かいに座りました。
ビールを数本空けたでしょうか。
「美智子さん。親父で満足しているの」
「なにお」
「毎晩さ」
彼は、主人の留守の晩に、私がバイブを使って声を出していることを知っていました。
主人もいつも云いますが、私はあのとき相当大きな声を出すそうです。
「今夜も、するの。お手伝いしようか」
「お父さんに、言いつけるよ」と云いながら部屋へ行こうとしますと、ぐっと
彼に抱き留められました。
体の大きな彼(28歳になります)に抱き留められて、身動きも出来ません。
口を吸われ、片方の手で、乳を揉まれますと全身の力がスーと抜けていくのが判りました。
ネグリジェの裾をまくり彼の手が、アソコに届いたときにはもうぐっしょりと
濡れていました。
「此処ではいや」それだけ云うのがせいいっぱいでした。
彼は、私を抱いて寝室に運びました。
私は、主人に知られたらと
「内証よ」「内証よ」と云いながら、その実彼に体を開いていきました。
堅い熱いものが子宮をつつきそのうちになにやら熱いものが子宮にぶっかけられました。
そうして失神したようです。「美智子。みちこ」と頬を軽くたたく彼の声で
気がつきました。「よかった」生まれて初めての経験でした。
朝まで数回気が遠くなるような気分になり、お昼近くまで、彼に抱かれていました。
次の晩も、数回は果てました。
主人が帰った晩は昨日の余韻もあり、静かに床を並べて休みました。主人は、
変に思ったのかもしれませんが、まあ数日は平穏な日が過ぎました。
しかし、休日前晩だっけでは辛抱出来ず、彼とする事も出来ず、苦しい毎日を
過ごしていました。気がつきますと、年の暮れになりましても、
メンスがありません。振り返ってみると11月も有りませんでした。
こんな事は、10年以上なかった事です。
それでも、43さいにもなり、娘を産んでから23年にもなりますから、
遅れておるのだと、自分自身に言い聞かせてお正月を迎えました。
お正月、主人が友人とゴルフに出かけた隙に、彼と話し合いました。
遅れておることを、云いますとかれは「結婚しよう」と言います。
「冗談はやめてよ」「本気だよ」
「俺と美智子は赤の他人よ、いつでも、結婚できるよ」
私は、主人とは同居はしていますが、入籍した覚えもなく、他人です。
「デモね、私は貴方より15も年上よ」「お父さんはどうするの」
「まあ俺に任しとき」
しかし、腹の中では、どんどんと育っていきます。一月の中頃になりますと、
乳首も少し黒くなったように見えますし、乳房もまた腰回りもその目で見ますと
張ってきたように感じます。
思い切ってお医者さんに行って来ました。間違いなく妊娠でもう3ヶ月でした。
なぜもっと早く来なかったとしかられたくらいです。
主人に寝物語に妊娠したことを告げました。俺は、必ずゴムをしていたから
出来るはずはない。
その晩から別の部屋で休むようになりました。
翌日、会社に彼を訪ねその旨を伝えました。
それから一ヶ月。彼は真剣に二人の住まいを探しています。
もう一ヶ月も主人とは接していません。数回彼とは、外で落ち合いホテルに
行っています。
もう4ヶ月になり気をつけてみると下腹も膨らみ腰回りも、乳房も大きく
なりました。
ひさし振りにあった友達も、幸せになって少し肥えたねといいます。
でも私は、この幸せを逃したくない。一日も早く彼と二人だけ、
いや彼の子供と3人の生活を夢見ています。
【98】産みます。
2001/2/23(金)22:13 - 美智子 (女) 削除
この家を出る心が、出来ました。
主人に、さようなら。書き残すと共に、何度か此処を訪ね一度も書くこともなく過ごして
来たことに対して、お詫びの気持ちで書かせていただきます。
一昨年の秋から、もう一年半になりますか、この家で主人と。思いでも沢山ありますが、
明日からの、清人君との生活を考えていると、あまり郷愁にふけっていることも出来ません。
娘が、中学卒業直前に夫が交通事故で亡くなり途方に暮れているときに、長兄と、同級生
の主人が親身になって親切にしてくれました。
それから7年、皆さんのご厚意によって、娘も短大を卒業しその翌年好伴侶を見つけ、
結婚しました。一人になりますと、寂しさが身に応えました。
そんなことで、一昨年の秋、今の主人と、同居する事になりました。
十年近く、セックスに遠ざかっていたのが、同居と同時に開花したというのですか、
毎日、夜の来るのが、待ち遠しくなりました。
結婚と同時に妊娠し出産して、その後は忙しさに紛れて、ゆっくりと夜の生活を
楽しむこともなく、夫と死に別れた私には、すべてが、新しい経験でした。
しかし、3ヶ月も経ちますと、主人は疲れたとか、私をさける様になりました。
友人が結婚ではなく、同居をすると云って祝って呉れたのが丁度私の42歳の
誕生日でした。
ブランクを取り戻すのよ。そんな気持ちはなっかたのですが、結局はそうでした。
年の暮れには、とても体が持たない。これかは、休みの前晩だけにしよう。
と、言い出しました。長兄と同年ですから、主人はもう58歳でした。
そのかわり、俺も手伝うとかなんとか云ってバイブレターを持ち出しました。
乳を揉まれ、口を吸われながらバイブでするのも、悪くは有りませんでした。
割合に、出張やら社用で泊まりの多い主人の留守の晩は、一人でバイブを楽しむ
様になりました。
忘れもしません。昨年の11月の初め、清人君が帰省しました。
たまたま、その日は主人は接待ゴルフで泊まりでした。
清人君は娘の高校の先輩でクラブを通じて、私も知っています。久しぶりの帰省で
二人だけで、食事を楽しみました。
十時過ぎ、風呂にはいり休むからと彼に断り寝室に入りました。
今夜は彼が居るからと思いながらいつのまにかいつものように、バイブで楽しみ
かけていたようです。
突然、ドアが明き彼が飛び込んできました。
「どうしたの、くるしいの」訳が分からずキョトンとしていました。
ベッドの上で股を開き右手で乳を揉み左手にバイブをおまんこに突っ込んで
声を上げていたのです。
「見ちゃいや。出ていって」彼は黙ってたっていました。
「美智子さん、手伝うよ」彼は、バイブを取りあげて、右手をおまんこにあて
左手を首にまわし口を吸いました。
「前から、好きだった。もう離さないよ。結婚するのだ」といいます。
「なにをいうの。お父さんは。」
「同棲だろ。俺と結婚するんだ。」訳も分からない中に彼を受け入れ彼に
しがみついていました。
その晩は、初めての経験で、昇天といいますか、頭は真っ白になり、
夜明けに気がついたときには、素っ裸で彼に抱きついていました。
それからというものは、彼の事が忘れられず、お正月に清人君が帰省したときも
手を握る暇もなく、悶々と暮らしていました。
一月中頃になって、生理のないことに気がつきました。この歳で、迂闊と言えば、
迂闊です。11月は、別として12月は有りませんでした。一月も中過ぎの
予定です。大丈夫。大丈夫。と自分自身に言い聞かせていました。
二十日の朝のことでした。おきがけに、少し吐き気がしました。
主人は、心配して医者に行くように言い置いて、食事もとらずに会社に
出かけました。十時過ぎ主人から「医者に行ったか」と電話がありました。
「まだよ、これから」と言ったものの、掛かり付けに医者に行くきにもならず。
その日は、夕方まで床の中にいて、主人の帰宅したときには、適当にごまかしました。
「その晩、風呂に入りじっくりと見ますと、気分のせいですか、
乳首が少し黒ずんいる様にみえます。
娘を産んでもう20以上も経っていますので、初めての様なものですが。
「どうしよう」あの晩の彼の言葉が思い出されました。
「結婚しよう」その晩は、無理に主人の上に跨って果てました。
翌日、早速清人君に電話をして、妊娠したらしい告げました。近日中に帰省をして
相談する事にしました。
彼に告げると、安心できたのか気持ちに余裕が出来たようになり、浴室でシャワー
を浴びながら体をながめますと、乳房も少し張ってきたようですし、腰回りも
僅かですが、太った様です。
彼が近日中に東京で、アパートを手配し私が出ていく事にしました。
翌日、隣町の産婦人科に偽名で診察を受けました。最後の生理から計算すると
もう、16週目になります。まるまる4か月になります。よく此処まで。
放っていたね。先生は、私の年を見て夜の仕事をしているのか勘違いしたようで、
手術は明日なら出来ます。と云われました。「産みます」と叫んで参院を
飛び出しました。看護婦さんもあきれていました。
一昨日、彼から連絡があり、明日の朝は彼の処に出かけます。
清人、28歳。私43歳。長兄とも、勿論主人とも、娘とも
(娘も後二月もすれば母親になります。私のこの今の気持ちは、判ってくれる
とおもいます)別れこれからは清人君とこれから生まれてくる子供と
三人で生きて行くつもりです。
大丈夫。大丈夫。自分自身に言い聞かせていましたが。
【100】頑張って!
2001/2/24(土)23:21 - KAJA (男) 削除
美智子さんへ
これからの生活が良いものであるように祈っています。
頑張ってね!
2001/2/23(金)22:13 - 美智子 (女) 削除
この家を出る心が、出来ました。
主人に、さようなら。書き残すと共に、何度か此処を訪ね一度も書くこともなく過ごして
来たことに対して、お詫びの気持ちで書かせていただきます。
一昨年の秋から、もう一年半になりますか、この家で主人と。思いでも沢山ありますが、
明日からの、清人君との生活を考えていると、あまり郷愁にふけっていることも出来ません。
娘が、中学卒業直前に夫が交通事故で亡くなり途方に暮れているときに、長兄と、同級生
の主人が親身になって親切にしてくれました。
それから7年、皆さんのご厚意によって、娘も短大を卒業しその翌年好伴侶を見つけ、
結婚しました。一人になりますと、寂しさが身に応えました。
そんなことで、一昨年の秋、今の主人と、同居する事になりました。
十年近く、セックスに遠ざかっていたのが、同居と同時に開花したというのですか、
毎日、夜の来るのが、待ち遠しくなりました。
結婚と同時に妊娠し出産して、その後は忙しさに紛れて、ゆっくりと夜の生活を
楽しむこともなく、夫と死に別れた私には、すべてが、新しい経験でした。
しかし、3ヶ月も経ちますと、主人は疲れたとか、私をさける様になりました。
友人が結婚ではなく、同居をすると云って祝って呉れたのが丁度私の42歳の
誕生日でした。
ブランクを取り戻すのよ。そんな気持ちはなっかたのですが、結局はそうでした。
年の暮れには、とても体が持たない。これかは、休みの前晩だけにしよう。
と、言い出しました。長兄と同年ですから、主人はもう58歳でした。
そのかわり、俺も手伝うとかなんとか云ってバイブレターを持ち出しました。
乳を揉まれ、口を吸われながらバイブでするのも、悪くは有りませんでした。
割合に、出張やら社用で泊まりの多い主人の留守の晩は、一人でバイブを楽しむ
様になりました。
忘れもしません。昨年の11月の初め、清人君が帰省しました。
たまたま、その日は主人は接待ゴルフで泊まりでした。
清人君は娘の高校の先輩でクラブを通じて、私も知っています。久しぶりの帰省で
二人だけで、食事を楽しみました。
十時過ぎ、風呂にはいり休むからと彼に断り寝室に入りました。
今夜は彼が居るからと思いながらいつのまにかいつものように、バイブで楽しみ
かけていたようです。
突然、ドアが明き彼が飛び込んできました。
「どうしたの、くるしいの」訳が分からずキョトンとしていました。
ベッドの上で股を開き右手で乳を揉み左手にバイブをおまんこに突っ込んで
声を上げていたのです。
「見ちゃいや。出ていって」彼は黙ってたっていました。
「美智子さん、手伝うよ」彼は、バイブを取りあげて、右手をおまんこにあて
左手を首にまわし口を吸いました。
「前から、好きだった。もう離さないよ。結婚するのだ」といいます。
「なにをいうの。お父さんは。」
「同棲だろ。俺と結婚するんだ。」訳も分からない中に彼を受け入れ彼に
しがみついていました。
その晩は、初めての経験で、昇天といいますか、頭は真っ白になり、
夜明けに気がついたときには、素っ裸で彼に抱きついていました。
それからというものは、彼の事が忘れられず、お正月に清人君が帰省したときも
手を握る暇もなく、悶々と暮らしていました。
一月中頃になって、生理のないことに気がつきました。この歳で、迂闊と言えば、
迂闊です。11月は、別として12月は有りませんでした。一月も中過ぎの
予定です。大丈夫。大丈夫。と自分自身に言い聞かせていました。
二十日の朝のことでした。おきがけに、少し吐き気がしました。
主人は、心配して医者に行くように言い置いて、食事もとらずに会社に
出かけました。十時過ぎ主人から「医者に行ったか」と電話がありました。
「まだよ、これから」と言ったものの、掛かり付けに医者に行くきにもならず。
その日は、夕方まで床の中にいて、主人の帰宅したときには、適当にごまかしました。
「その晩、風呂に入りじっくりと見ますと、気分のせいですか、
乳首が少し黒ずんいる様にみえます。
娘を産んでもう20以上も経っていますので、初めての様なものですが。
「どうしよう」あの晩の彼の言葉が思い出されました。
「結婚しよう」その晩は、無理に主人の上に跨って果てました。
翌日、早速清人君に電話をして、妊娠したらしい告げました。近日中に帰省をして
相談する事にしました。
彼に告げると、安心できたのか気持ちに余裕が出来たようになり、浴室でシャワー
を浴びながら体をながめますと、乳房も少し張ってきたようですし、腰回りも
僅かですが、太った様です。
彼が近日中に東京で、アパートを手配し私が出ていく事にしました。
翌日、隣町の産婦人科に偽名で診察を受けました。最後の生理から計算すると
もう、16週目になります。まるまる4か月になります。よく此処まで。
放っていたね。先生は、私の年を見て夜の仕事をしているのか勘違いしたようで、
手術は明日なら出来ます。と云われました。「産みます」と叫んで参院を
飛び出しました。看護婦さんもあきれていました。
一昨日、彼から連絡があり、明日の朝は彼の処に出かけます。
清人、28歳。私43歳。長兄とも、勿論主人とも、娘とも
(娘も後二月もすれば母親になります。私のこの今の気持ちは、判ってくれる
とおもいます)別れこれからは清人君とこれから生まれてくる子供と
三人で生きて行くつもりです。
大丈夫。大丈夫。自分自身に言い聞かせていましたが。
【100】頑張って!
2001/2/24(土)23:21 - KAJA (男)
美智子さんへ
これからの生活が良いものであるように祈っています。
頑張ってね!
コメント