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告白(転載) 花嫁は母

近親相姦告白・体験
07 /25 2019
掲載サイト(Incest Taboo)は消滅。
2012年6月5日火曜日
花嫁は母
むかしは両親と自分の三人家族でした。父は普通のサラリーマンで、母は専業主婦でした。
自分は小さい頃から母が大好きで、なにかと言うと母にまとわりついていました。
父は残業が多くて、毎晩帰るのは12時過ぎでした。
だから小学生の頃は夜も大抵母と一緒の布団で寝ていましたし、お風呂もいつも母とでした。
 
小学校の頃には、眠っている母の胸に顔を押し付けながら、自分のペニスをいじっていました。
射精はしませんでしたが、興奮したのを覚えています。
中学生になると、自分の部屋をもらって一人で寝るようになりました。オナニーもするようになりましたが、たいてい母のことを思いながらでした(普通に週刊誌とかのヌード写真とかでもしましたが)。

高校、大学は母への思いを隠しながら、普通に親子として接していましたが、
想像の中では母を犯したりして、毎晩のようにオナニーしていました。
このことは母には絶対に秘密にしなくちゃいけないと思い込んでいたので、行動に移そうとは思いませんでした。
ただ、大学を卒業して就職も決まった頃、このまま何も言わずにいることが辛くなってきました。
他の女性と付き合ったことはありましたが、どうしても最後までいけず、
童貞でしたし、セックスするなら母がいいと思っていました。

それで大学卒業の時に、はじめて母に告白しました(母は45、自分は23でした)。
父親が長期の出張に出た夜に、話がある、と言って母をリビングに呼び、向かい合って座りました。
心臓がバクバクして、のどがからからになったのを覚えています。

自分が、「お母さんのことが好きなんだ」
というと、母は笑って、「なあにあらたまって」と言いました。
ふつうの好きという意味だとしか思っていなかったようなので、
「母親としてではなく、一人の女性として愛しているんだ」
そして、きれいで優しくて、ぼくの理想の女性なんだ、と言いました。

母は怖い顔をして黙ってしまいました。そのまま自分も黙っていると、
母の方から、「じゃあどうしたいの」と聞いてきたので、
「恋人になってほしい。できれば結婚したい」と言いました。

「どういう意味かわかっていってるの」
「うん。お母さんを抱きたいんだ」
そう言ってしまうと、母はますます怖い顔になって、
「そんなのダメに決まっているでしょ」
と言って立ち上がってリビングを出て行ってしまいました。
自分としては、まずダメだろうなと思っていたので、しかたない、
就職もするんだから家を出よう、とあきらめていました。

その後数日は、自分も母もそのことには触れずに普通の親子として過ごしました。
ぎこちなかったかも知れませんが、自分も一度は告白してすっきりしていました。
これで母のことはあきらめようと思いました。

ところが、父が主張から帰る前日の夜、今度は母の方からリビングに来るように言われました。
なんだろうと思っていると、
「今でもわたしのこと好きなの」
と聞かれました。そうだ、と答えると、
「この間の話し、答えを白紙にもどしていいかしら」
「この間って」
「お母さんと恋人になりたいっていう話し」
「え」

母の話しによると、最初はとんでもないことと思ってよく考えずに断ったけれど、
昔から仲のいい親子だったし、恋人になるくらいはいいかな、と思ようになった、ということでした。
それと、これは後から聞いた話しですが、父とはずっとセックスレスだったそうです。
それで自分に告白されて、息子が若い男だということを意識してしまった。
そうしたら、洗濯の時とか、これまでなんでもなかった息子の体臭が
オスの匂いだと気付いて切なくなってしまったんだそうです。

母は優しく笑って、
「さあ恋人になってあげる。トロワはどうしたいの」
と言うので、キスしたい、と言うと、いらっしゃい、というふうに腕を広げたので、
自分が席を立って母のところへ行くと、椅子に座ったままの母を抱きしめてキスしました。
最初から舌を絡めるディープキスで、くちゅくちゅと舌と舌を絡めて、お互いの唾液を飲みました。
初めてのキスの味は甘い味がしました。

そのまま押し倒そうとしたら、
「それはダメ」
と強く言われました。
「キスまでなら、お母さんいつでもしてあげる。でもそれ以上はダメ」
それと、このことはお父さんには絶対秘密といわれました。

自分は正直キスだけでは不満でしたが、その日はそれで我慢して、
その夜は母の唇を思い出しながら、何度もオナニーしました。
何度しごいてもペニスは勃起っしぱなしで、精液が出なくなって、皮が擦れて赤くなるまでしていました。
これも後から聞いたのですが、母もこの夜はオナニーしないと眠れなかったそうです。

それからは、父の目を盗んで、キスをしまくりました。
会社へは自宅から通うことにして、父よりも早く起きて、朝ご飯の用意をしている母とキスをして、
父より早く会社から帰るとまず母を抱きしめてキスをする様になりました。
土日は母の買い物に付き合うという口実で、自分が車を運転して、
買い物をした後に人目につかないところに車を停めてキスをしました。

そのうちに、母の方から、「おっぱい触りたいんでしょう」と言われて、服の上からならいいと言われました。
母は小柄ですが、胸はDカップでした(少し垂れていました)。
最初はてのひらでマーサージするように触っていました。
休みの日に父が出かけている時は、カーテンを閉めて家の中でキスをして、胸をもみまくりました。

そのうち服を脱いでブラの上から触ってよくなり、ブラも外すようになりました。
「上だけなら裸になってもいいから」
と言われ、自分も母も上半身裸になって、キスして、抱き合って、
胸を揉んだり、口で吸ったりするようになりました。

ここまで来ると完全にペッティングと同じでした。
それである日、自分の方から、「お母さん見て。おちんちんこんなになってる」
とズボンを脱いで勃起したペニスを見せつけました。
怒られるかな、と思ったのですが、母は意外にも笑いながら、
「もう、しょうがないおちんちんね」
といいながら、手でしごいてくれました。

初めての手コキで、思わず、「あうっ」とか声が出てしまいました。
母はただ手を上下するだけではなく、手のひらで亀頭を包み込むようにしたり、
左手で玉をいじったりしてくれました。ものすごい快感でした。
勢いよく射精して、母の体に掛かってしまいました。

それが母に出してもらった最初で、それからは父のいない時は
必ずペッティングから手コキをする流れになりました。
そして、いつのまにか手だけじゃなく、口でもしてくれるようになりました。
「精液で服とか床を汚すと匂いがついちゃうから」
と言って、全部飲んでくれるようになりました。

その年の夏までには、お互いに全裸でキスをして、お互いの性器を舐めるようになっていました。
フェラのお礼で自分が母の性器を舐め、自然と69をしていました。

母にはじめて挿入したのは、夏の休暇の時でした。
仕事の都合で、父と休暇がズレていたので、昼間は母と二人きりになっていたのです。
いつものように裸で抱き合っている時に、にゅるん、というカンジでペニスが母の中に入ってしまいました。
特に意識して入れようとしたのではなく、偶然に入ってしまったのですが、自分は無意識に腰を振っていました。
母も、自分にあわせて腰を振ってくれました。
そのうち、ペニスの先しか入っていない感覚があって、抜けちゃったのかと思って見てみると、
ペニスはしっかり奥まで入っていました。後で知ったのですが、膣のバルーン現象というもので、
イっているときに膣が膨らむのだそうです。

そのうち我慢できなくなって、「中で出していい?」と聞くと、うなづいたので、母の中に遠慮なく射精しました。
初膣内射精は、オナニーとかフェラの時よりも何倍も出ていました。
普段は「びゅっ、びゅっ」というカンジなのですが、
この時の射精は「びゅるるっ、びゅるるっ、びゅっ、びゅっ、びゅるる」というカンジで、
いつまでも射精が続くような気がして、気が遠くなりそうなくらいの絶頂感でした。

イった後、母と抱き合ったまましばらく動けませんでした。
母も歯を食いしばって、鼻で荒い息をしていました。
これも後で聞いたのですが、息子にイカされたのが恥ずかしくて、声を出すのを我慢していたのだそうです。

やがて落ち着いた母は、にっこり笑って、「本番しちゃったね」と言いました。
汗まみれで赤い顔をして、とても満足そうな笑顔でした。
シャワーを浴びるために、ペニスを抜いてベッドから降りるとき、
急に母が「あっ」と言ってうずくまったので、「どうしたの」と聞くと、
「…出てきちゃった」と恥ずかしそうに言いました。
見ると、母のオマンコから自分の精液が漏れて、太ももまで垂れていました。
テッシュを取って渡して上げると、
「もう、トロワくんがたくさん出すから」とちょっと笑いながらふき取っていました。

それからの母は、これで本当に恋人同士になったねと言って、
より積極的に自分とのセックスを求めるようになりました。
避妊については何もしていませんでしたが、
その時の自分は母は自分で大丈夫な日を調整しているのだろうと思っていました。
でも後で聞くと、妊娠したら父と離婚して一人でも生む覚悟だったそうです。
「愛する男の赤ちゃんを産むの当たりまえ」
それが女の本能だから、だそうです。

その年のクリスマスイブは、また父は出張で不在でした。
自分は母と小さなケーキでクリスマスを祝ったあと、
当然のように一緒にシャワーを浴びて、全裸のまま手をつないで自分の部屋に行きました。
いつもならすぐにセックスをするのですが、この夜は自分に考えがありました。

キスしようとする母を押し留めてベットの横に立たせると、
用意していたレースのハンカチを母の頭にベールのようにかけて、隠しておいた二つの指輪を見せました。
「お母さん、結婚式をしよう」
この機会に、母と結婚式の真似事をしたかったのです。
母も自分も全裸で、ただ母は頭にレースを被って、それだけが花嫁衣裳のつもりでした。
母は口を押さえて、びっくりしていました。(以下、名前は仮名です)

「汝、F子は、息子トロワを夫とし、生涯愛することを誓いますか」
自分がそう言うと、母は呆然としていました。
自分は、「誓います、と言って」と催促して、もう一度言いました。
「汝、F子は、息子トロワを夫とし、生涯愛することを誓いますか」
母は小さな声で、「誓い…ます」
次に、母に自分の後に続いて言って、とお願いしました。
「汝、トロワは母、F子を妻とし、生涯愛することを誓いますか」
母にそう言わせると、自分は、「はい。誓います」とこたえした。
そして、「指輪を交わして婚姻の証とします」
そう言うと、母と自分はお互いの左薬指にはめました。

母は信じられない、という顔で指を見ていました。自分はレースのハンカチを上げて、母にキスをしました。
「これでぼくらはもう夫婦だよ」
と言うと、母は泣きながら自分にしがみついてきました。
「うれし…」
それだけ言って、後が続かないようでした。自分はそんな母をベットに横たえて、体中にキスをしました。

「F子、愛してるぞ」
夫になったのだから、とちょっと乱暴な言葉遣いで、母の名を呼び捨てにしました。
母は、「トロワさん…あなた」と言って、お互い名前を呼び合いながら、
その夜は何度も体位を代えて、やりまくりました。
ものすごく興奮して、いつもは声を押し殺してあえぎ声を立てないようにしている母も、
最期は獣のような声をあげて自分に抱きついて、腰を激しく振っていました。

翌朝、目を覚ますと、母は自分の胸に頭をこすりつけながら言いました。
「おはよう、あなた」
自分がF子、と呼び捨てにすると、
「うん。F子はトロワさんのものよ」
「F子はぼくのものだ」
母は顔を上げると、自分の顔を見ながら、
「わたし、お父さんと別れるね」と言ってくれました。

自分はうれしくなって、「F子をぼくだけのものにするからな」
と言うと、母はまた泣きながら、「うれしい」と言ってくれました。

その後、自分は一度家を出てマンションで一人暮らしを始めました。
もちろん週末には母が来て、通い婚状態でした。
それからしばらくして、母は父と協議離婚しました。
どういう理由で父に離婚を認めさせたのか、はっきりとは知りません(母も話してくれませんでした)。
ただ、離婚する前に一度だけ父がマンションに来て、
「お母さんと別れることになったよ」と言われたことがありました。
なんだか疲れているようで、自分のせいで父を傷つけてしまったことがショックでした。

離婚の理由を聞いても、「夫婦のことだから」とか、「お母さんも女なんだよ」としか言いませんでした。
これは想像ですが、セックスレスのことで父を責めたのかもしれません。
母に慰謝料はいらないから別れて、と言われたそうです。

離婚してすぐに母は自分のマンションに越して来て、いらいずっと夫婦として暮らしています。
ただ、夫婦と言っても自分たちの場合は「母子夫婦」だと思っています。
だから、「F子」「あなた」と呼び合うこともありますし、
「お母さん」「トロワくん」と親子のように接することもあります。

お互い興奮するのは、親子で夫婦になり、セックスしている、ということを意識している時です。
昔のアルバムの、小学校の入学式の時に母と並んで撮った写真を見ながら、
「この頃は普通の親子だったね」というと、その後のセックスで母は狂ったように感じていました。
そして中学生の頃の写真を見ながら、「この頃はお母さんのことを思ってオナニーしていたんだよ」というと、
「待たせてごめんね、ごめんね。今はお母さんのこと好きにしていいのよ」と言ってくれます。

初めて母とセックスしてから10年になりますが、残念なことに今は母は閉経しています。
結局子供は出来ませんでした。
母は、赤ちゃんを産んで上げられなくてごめんね、と泣いて謝ったりします。
そんな時自分は、「いいんだよ、F子がいてくれれば」と言って慰めます。

正直、将来はどうなるか自分でもわかりません。でも、今は愛する女と一緒に暮らせて幸せです。
母は人生のパートナーとしても、セックスのパートナーとしても最高です。
お互いもう離れられないね、とよく言い合います。
母は「トロワを生んでよかった。自分で自分のだんな様を生めるなんて幸せ」と言います。
自分は、「F子がぼくを生んでくれてよかった。ぼくは生まれたときから奥さんがいたんだね」と言います。
そんなな母と、自分は一生添い遂げるつもりです。

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。