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告白(転載) 母から受けた性的虐待と初めての射精

近親相姦告白・体験
08 /09 2019
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2014年7月30日水曜日
母から受けた性的虐待と初めての射精
僕は家は、
母子家庭で9歳の頃から当時30歳の母に虐待を受ける様になりました。
普段はとても優しい人でしたが、機嫌が悪かったり、ちょっとしたミスをすると
四つん這いにさせられ、尻をまくられて真っ赤に腫れるまで叩かれました。
裸のまま何時間も立たされて、泣いて謝ってようやく許してもらえました。

小さい頃からそんなだったので、中学に入っても抵抗はできませんでした。
その頃になるとだんだん体は男になってきて、勃起もする様になってきました。
そんな或る日、母からスパンキングを受けている最中に、ペニスがムクムクと大きく
なってしまいました。
とても恥ずかしかったのですが、母はそれを見逃しませんでした。
「叱られてるのに、なに感じてるのよっ!」と吐き捨てる様に罵られ、さらに激しく
叩かれ続けました。
心の中とは逆に、ペニスはどんどん硬く大きくなって、必死で謝り続けました。

それを見透かす様に、母はペニスを掴み、まだ剥けていない包皮をぐいっと剥きました。
一瞬激しい痛みが体を貫き「あっ!」と叫んでしまいました。
その後、今度は優しく扱かれ、頭の中がぼーっとした直後に母の手の中に射精しました。
それが初めての射精でした。
訳が分からないまま放心状態の僕を、さっきとは別人の優しい母が包んでくれました。

「これで亮君も大人になったね」と。

今思えば母は僕が性的に成長するこのタイミングを待っていた様な気がします。

その日から、僕は母の玩具になりました。


年頃の男ですから、一度覚えた快感を貪りたくなります。
しかし、母は一人でオナニーすることを許しませんでした。
学校から帰ると、「出したいんでしょっ! そういう時はなんて言うの?」と
冷たく言いました。
なかなか言い出せずに黙っていると、だんだんとヒステリックになって来るのですが、
最初の頃は、

「お母さん お願い」

と小声で言うのが精一杯でした。

すると母は意地悪く「何を? お願いだけじゃ分からないじゃない」と言います。
そんなやり取りが何度か続き、やっとのことで

「亮のおちんちんを扱いて射精させてください」

と言いました。

母の意地悪はまだ続きます。「そんな格好じゃできないよねぇ」と言って自らは言いませんが僕に裸になる様に促します。

僕はして欲しいので、恥ずかしかったですが全裸になって母の前に立ちます。
もうその時はペニスは腹に付く程に立って、恥ずかしくて目を開けていられません。
すると母は満足した様に優しくなって、手や口で僕の想いを遂げてくれます。

その内に、して欲しい時は裸になって母の前に立ち大きくなったペニスを晒して恥ずかしいお願いをすると言うルールが何となくできました。
裸になっておねだりをする前に、母の都合を訊くことは許されませんでした。
だから素っ裸でおねだりをしても、してもらえない時もありました。それでも母の前でオナニーを許される時はまだ幸せでした。
オナニーさえ許されない時は、何日でも我慢するしかありません。

一人ですることは決して許してもらえなかったのです。

母は中学の男子にとって一週間もオナニーを我慢することが何れ程堪え難いことかを十分に承知していました。
反抗期をに差し掛かった息子を、射精管理をすることで主従の関係を徹底的に植え付けて反抗心を抑えるつけたのです。

やっと母の許しが出ました。

その日は激しい鞭打ちから始まりました。
いつもは平手打ちのスパンキングでしたが、初めて革のベルトによる鞭打ちをされました。手加減の無い激しい鞭打ちの理由は、勉強もそっちのけで何日も射精をおねだりしたことです。
尻が熱くなる程の激しい鞭打ちが数十回続くうちに痛みを感じなくなりましたが、ペニスはいよいよ硬く、床には透明な汁がだらだらと滴っていました。
鞭打ちが終わり、母の前に起立すると母はフェラをしてくれました。僕は、ほんの数秒で大量の精子を放出しました。

今までで最高に気持ちよかった射精でした。

その後もフェラは続き、母の口から抜かずに3回も逝ってしまいました。

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。