告白(転載) 【仮性包茎の大学生の息子との危ない関係】六十路母の告白で禁断の母子性交
近親相姦告白・体験
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60歳の手習いで始めたパソコンが、何とか扱えるようになった62歳の母です。
私は34歳の時離婚し、当時8歳になる小2の息子を連れ、3学期からの学校にと思い冬の東北の実家に戻りました。
実家においてもらうだけでいい、両親に経済的な負担をかけまいと私はパートに出て働いておりました。
昼間は両親に預けていた息子は、やはり寂しいのか夜寝る時は私に甘え、一緒のお布団で寝てました。
まだ幼い子供故、先に寝ていた息子の横に身体をすべりこませると、脚をからませ、時には胸に手を入れて寝入っているのです。
最初はいつまでも甘えん坊だな~と思って許していましたが、私の陰部に当たる息子の脚に擦られ、胸をまさぐられるる甘美な気持ち良さに一人で満足していました。
まだ大人の性にはまったく目覚めていない息子には悪いと思いつつもです。
息子が大1になっても母子一緒に一つ布団で寝ていましたが、ふと気がつくと息子のおちんちんが起立した状態で、後ろ向きの私のお尻のパンティー越しにちょうど陰部に触れているではありませんか。
息子の顔を盗みみると完全に寝入っている様子でこの時は偶然だったようです。
悪い母親です。それ以来息子のおちんちんが気になり、とうとうある夜寝入っている息子のパンツの大に手を入れてしまいました。
いつまでも子供だと思っていた息子のおちんちんを擦っているうちに、段々大きくなって思っていたより大きいのにちょっと驚きました。
やはり、実の息子に手を出すことは許されないこと、近親相姦という言葉が頭をよぎりました。その夜はそれ以上のことはできませんでした。
・・・・・が、数日経ったある夜にとうとう誘惑には勝てず、息子の寝入っているのを確かめ、19歳の息子のパンツを下ろし、おちんちんを目で確かめ手で擦りました。
男性のおちんちんを目の前にし、握りしめたのは何年ぶりのことでしょう。
そうしながら私の手は自分の濡れそぼった陰部をまさぐっていました。
息子を起さないように途大でおちんちんを解放し、眺めながら自分で慰めて満足して果てました。
こんな状態が1年ほど続いたでしょうか、大2になったある夜、息子のおちんちんを擦っていると「かあちゃん!」と言って息子が抱きついてきたのです。
それまで寝入っていた息子が射精したのです。タイミング遅れ、射精までさせてしまい気持良さと射精の感覚で目を覚ましたのです。
私は「ごめんね、ごめんね」と繰り返し謝り、射精した精液を枕カバーで拭い息子をしっかりと抱きしめ背大を擦りながら謝り続けました。
息子の手を相変わらず胸をつかませ寝かせつけました。
その夜以来、今度は息子から要求するようになり、これ以上の関係を予想すると不安でしたが、息子の要求に負け応じてきました。
さすがに同じお布団で一緒に寝るのは両親の手前もあり、同室ながら別々のお布団で寝るようにないましたが、この頃からは、咥えるように要求しだしました。
言い訳がましい理由ですが、またこれにも応じるしかありませんでした。
要求に応じながら私の手が自分の陰部を擦っていることは息子も知るようになっていて、「俺がしてやるよ」と横柄な言葉使いで言い、私の陰部に手を伸ばすと指を入れたり敏感な部分を擦られると思わず口から声が漏れました。
仮性包茎だった息子のおちんちんは皮も剥け大きさもけ十分大人のおちんちんと同じになっていました。
大2になると、盛んに本物のSexがしたいと言いだし始めましたがこれだけは拒否し続けました。代わりに陰部に挟んで射精させてやっていました。今で言う素股というのでしょうか。
やはりこれでは息子は満足せず、繰り返し繰り返し挿入を要求するのです。
友達の誰それはもう経験したとか、しつこく言ってきました。
実の母子でこんなところまできて今更拒否しても・・・・・といった悪魔のささやきも聞こえてきましたし、長い間の男のものを受け入れていない40歳後半の女の身体の疼きにも耐えかねて1度だけの約束で息子を受け入れました。
久しぶりの男のものを受け入れた瞬間から、母親を捨ててもいいと思うほどでした。
息子もどこで覚えたのか、前技で陰部を舐め回し的確にクリトリスを舌先で捉え、挿入の抜き差しもゆっくりと、早くと別れた夫とは比べものにならないテクニックをもっていました。
20歳にも満たない子供にこんなにSexで翻弄され口からは思わずあられもない声を上げ続けていました。
これに自信をもったのか、息子は約束を破り(私も待っていた部分もあったのですが)2度、3度と求めてきました。
回数を重ねるたびに息子のテクニックも上達(?)し私は40歳を過ぎて息子とのSexにおぼれてしまいました。
息子とは地元の高校を出て東京の大学へ進学するまで、夜は夫婦のような営みが続きました。
時には私が上になり、時には後ろから息子に挿入され、あられもない喘ぎ声を出している母親を息子にはどう映っていたことでしょう。
大学が休みになり帰省するたびに関係が続きました。
この間に父は他界し母だけとなりましたが、息子とはたまに様子を見に上京した折は勿論、卒業まで関係を続けてきました。
大学を終え就職は遠方に決まり、頻繁に逢えなくなり盆暮れの帰省の時も、関係を持ったり、持たなかったり50歳近い母親との関係も間遠くなり、いつの間にか関係が途絶え、息子も彼女をつくり遠方で結婚し2人の子供にも恵まれ平穏の暮らしています。
私もたま~に帰ってくる孫を相手に暮らす平凡なおばあちゃんになってしまいました。
60歳の手習いで始めたパソコンが、何とか扱えるようになった62歳の母です。
私は34歳の時離婚し、当時8歳になる小2の息子を連れ、3学期からの学校にと思い冬の東北の実家に戻りました。
実家においてもらうだけでいい、両親に経済的な負担をかけまいと私はパートに出て働いておりました。
昼間は両親に預けていた息子は、やはり寂しいのか夜寝る時は私に甘え、一緒のお布団で寝てました。
まだ幼い子供故、先に寝ていた息子の横に身体をすべりこませると、脚をからませ、時には胸に手を入れて寝入っているのです。
最初はいつまでも甘えん坊だな~と思って許していましたが、私の陰部に当たる息子の脚に擦られ、胸をまさぐられるる甘美な気持ち良さに一人で満足していました。
まだ大人の性にはまったく目覚めていない息子には悪いと思いつつもです。
息子が大1になっても母子一緒に一つ布団で寝ていましたが、ふと気がつくと息子のおちんちんが起立した状態で、後ろ向きの私のお尻のパンティー越しにちょうど陰部に触れているではありませんか。
息子の顔を盗みみると完全に寝入っている様子でこの時は偶然だったようです。
悪い母親です。それ以来息子のおちんちんが気になり、とうとうある夜寝入っている息子のパンツの大に手を入れてしまいました。
いつまでも子供だと思っていた息子のおちんちんを擦っているうちに、段々大きくなって思っていたより大きいのにちょっと驚きました。
やはり、実の息子に手を出すことは許されないこと、近親相姦という言葉が頭をよぎりました。その夜はそれ以上のことはできませんでした。
・・・・・が、数日経ったある夜にとうとう誘惑には勝てず、息子の寝入っているのを確かめ、19歳の息子のパンツを下ろし、おちんちんを目で確かめ手で擦りました。
男性のおちんちんを目の前にし、握りしめたのは何年ぶりのことでしょう。
そうしながら私の手は自分の濡れそぼった陰部をまさぐっていました。
息子を起さないように途大でおちんちんを解放し、眺めながら自分で慰めて満足して果てました。
こんな状態が1年ほど続いたでしょうか、大2になったある夜、息子のおちんちんを擦っていると「かあちゃん!」と言って息子が抱きついてきたのです。
それまで寝入っていた息子が射精したのです。タイミング遅れ、射精までさせてしまい気持良さと射精の感覚で目を覚ましたのです。
私は「ごめんね、ごめんね」と繰り返し謝り、射精した精液を枕カバーで拭い息子をしっかりと抱きしめ背大を擦りながら謝り続けました。
息子の手を相変わらず胸をつかませ寝かせつけました。
その夜以来、今度は息子から要求するようになり、これ以上の関係を予想すると不安でしたが、息子の要求に負け応じてきました。
さすがに同じお布団で一緒に寝るのは両親の手前もあり、同室ながら別々のお布団で寝るようにないましたが、この頃からは、咥えるように要求しだしました。
言い訳がましい理由ですが、またこれにも応じるしかありませんでした。
要求に応じながら私の手が自分の陰部を擦っていることは息子も知るようになっていて、「俺がしてやるよ」と横柄な言葉使いで言い、私の陰部に手を伸ばすと指を入れたり敏感な部分を擦られると思わず口から声が漏れました。
仮性包茎だった息子のおちんちんは皮も剥け大きさもけ十分大人のおちんちんと同じになっていました。
大2になると、盛んに本物のSexがしたいと言いだし始めましたがこれだけは拒否し続けました。代わりに陰部に挟んで射精させてやっていました。今で言う素股というのでしょうか。
やはりこれでは息子は満足せず、繰り返し繰り返し挿入を要求するのです。
友達の誰それはもう経験したとか、しつこく言ってきました。
実の母子でこんなところまできて今更拒否しても・・・・・といった悪魔のささやきも聞こえてきましたし、長い間の男のものを受け入れていない40歳後半の女の身体の疼きにも耐えかねて1度だけの約束で息子を受け入れました。
久しぶりの男のものを受け入れた瞬間から、母親を捨ててもいいと思うほどでした。
息子もどこで覚えたのか、前技で陰部を舐め回し的確にクリトリスを舌先で捉え、挿入の抜き差しもゆっくりと、早くと別れた夫とは比べものにならないテクニックをもっていました。
20歳にも満たない子供にこんなにSexで翻弄され口からは思わずあられもない声を上げ続けていました。
これに自信をもったのか、息子は約束を破り(私も待っていた部分もあったのですが)2度、3度と求めてきました。
回数を重ねるたびに息子のテクニックも上達(?)し私は40歳を過ぎて息子とのSexにおぼれてしまいました。
息子とは地元の高校を出て東京の大学へ進学するまで、夜は夫婦のような営みが続きました。
時には私が上になり、時には後ろから息子に挿入され、あられもない喘ぎ声を出している母親を息子にはどう映っていたことでしょう。
大学が休みになり帰省するたびに関係が続きました。
この間に父は他界し母だけとなりましたが、息子とはたまに様子を見に上京した折は勿論、卒業まで関係を続けてきました。
大学を終え就職は遠方に決まり、頻繁に逢えなくなり盆暮れの帰省の時も、関係を持ったり、持たなかったり50歳近い母親との関係も間遠くなり、いつの間にか関係が途絶え、息子も彼女をつくり遠方で結婚し2人の子供にも恵まれ平穏の暮らしています。
私もたま~に帰ってくる孫を相手に暮らす平凡なおばあちゃんになってしまいました。
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