告白(転載) 僕の母 投稿者:KENJI
近親相姦告白・体験
「深い満足感」を得るために関係を結ぶのか、結果得られるのか。
僕の母 投稿者:KENJI
母とSEXするようになって、もう8年になります。
僕も今年で31歳になり、いまだに彼女も作ろうとしないで、独身を通している僕を最近、母はよく心配するようになりました。
今までに何度か、他の女の人とSEXをしたことはありますが、母とのSEXに慣れてしまった僕は、どうしても母以外の女の人とでは深い満足感が得られないのです。
母も昨日で56歳になりました。特別な日のために買っておいた ギィ ミシェルのシャンパーニュで母の誕生日を祝って乾杯をしました。
そのときも、母に「誰でも命には限りがあるの、そろそろ、あなたも、母さんから卒業して、お嫁さんをもらって安心させてちょうだい」と言われました。
思い起こせば、母と初めてSEXしたのは、僕が父の会社に平社員で入社してすぐの23歳で、母が48歳のときでした。
その日、ちょうど父はマレーシアに出張中でした。
きっかけは、僕が会社の同期の社員達に誘われて、酒を散々飲まされてしまって、かなり酔っ払って家に帰ったからです。
その夜の最初の1、2軒はぼんやりと覚えていましたが、最後のお店は思い出せないほど、僕はかなり酔っ払っていました。
深夜、同僚に、家まで送ってもらったのは覚えています。
僕はしばらく夢を見ていると思っていたのですが、ふと気がつくと、薄明かりの中で僕は母を犯していたのです。
僕は裸で、母はネグリジェを胸の上までまくり上げ、乳房を見せていました。
僕は、母の両足を広げるように抱えて犯していました。
母は泣いていました。
そのときは、すごく気持ち良くて、僕はもう狂ったみたいにピストンしていました。
母の肌はとても綺麗でした。
一度目の射精を済ませると、僕はすぐに、うとうと寝てしまいました。
明け方近く、母がベッドから出ようとした物音に気付いて目が覚めました。
僕はまだ、酔いが抜けていませんでした。母がモナリザのように見えました。
僕は、母の腕をつかんでベッドに押さえつけて、キスをしたり、乳房を吸ったり、あそこを舐めたりして、またセックスをしてしまいました。
カーテンの向こう側が、明るくなって、僕がようやく射精をする頃には、母も鼻にかかったような甘い喘ぎ声を出していました。
その射精を終えたとき、急に気持ちが萎えてきて、僕は、自分の母を犯してしまったことをはっきりと認識してある種の罪悪感を覚えましたが、またそのまま、眠ってしまいました。
昼ごろ、目が覚めて最初に口をきいたのは母でした。
「お風呂の用意ができてるわよ」
僕は、何もとがめない母を意外に思いました。
それなら、とことんやってみようと思い、僕は風呂から出ると、朝食もとらず、母の手を取って、ソファーに寝かせ、口もきかないで、またセックスをしました。
母も甘くせつない喘ぎ声を出して、僕にしがみ付いてきました。
そのとき、僕はこれからいくらでも、好きなときに、母とSEXできると思いました。
でも、父が帰国すると、母は、必要以上に僕を避けるようになりました。
僕と母のお互いが禁断の性の悦びに目覚め、お互いの肉体に溺れるのを恐れたのかも知れません。
母に遠ざけられたと感じた僕は、何度となく、素性の知れない女に深入りしては、そのたびに母に呼び戻されました。
またそのときは決まっていつも、「もうこれっきり、一回だけ」の約束でホテルに行き、母の肉体で思う存分慰められました。
しかし3年後、突然父が病に倒れ、急逝しました。
取締役会で、僕が父の後継者に選任されると、母は僕だけを頼りに生きるようになったのです。
その日から母とは、いつでも、どこでも僕が求めるときにSEXをするようになったのです。
56歳になった今でも、母は女性としての魅力を充分に備えています。
母は北国の生まれで、色白で着痩せするほうなので、服を脱がせる度に、豊満なバストやヒップに今でもドキリとします。
僕は、これまで色々と女遊びも経験しましたが、僕に初めて本当の女の体の素晴らしさを教えてくれたのは母です。
でも、母が心配して言うように、そろそろ、僕も嫁をもらって母を安心させてあげなければとは思います。
ただ、もしも、嫁をもらっても、僕は母とのSEXは絶対にやめるつもりはありません。
それは、実の母親とのSEXを経験した人ならわかると思いますが、あの禁断の背徳感や罪悪感、また母親を絶頂に導くきときの優越感や中だししたときの征服感や、満足感など色々な感情が織り成す精神的快楽は筆舌につくしがたいものです。
だれにも迷惑をかけないし、やめる理由もなく、これからも先も、まだまだ続けていきたい関係です。
僕の母 投稿者:KENJI
母とSEXするようになって、もう8年になります。
僕も今年で31歳になり、いまだに彼女も作ろうとしないで、独身を通している僕を最近、母はよく心配するようになりました。
今までに何度か、他の女の人とSEXをしたことはありますが、母とのSEXに慣れてしまった僕は、どうしても母以外の女の人とでは深い満足感が得られないのです。
母も昨日で56歳になりました。特別な日のために買っておいた ギィ ミシェルのシャンパーニュで母の誕生日を祝って乾杯をしました。
そのときも、母に「誰でも命には限りがあるの、そろそろ、あなたも、母さんから卒業して、お嫁さんをもらって安心させてちょうだい」と言われました。
思い起こせば、母と初めてSEXしたのは、僕が父の会社に平社員で入社してすぐの23歳で、母が48歳のときでした。
その日、ちょうど父はマレーシアに出張中でした。
きっかけは、僕が会社の同期の社員達に誘われて、酒を散々飲まされてしまって、かなり酔っ払って家に帰ったからです。
その夜の最初の1、2軒はぼんやりと覚えていましたが、最後のお店は思い出せないほど、僕はかなり酔っ払っていました。
深夜、同僚に、家まで送ってもらったのは覚えています。
僕はしばらく夢を見ていると思っていたのですが、ふと気がつくと、薄明かりの中で僕は母を犯していたのです。
僕は裸で、母はネグリジェを胸の上までまくり上げ、乳房を見せていました。
僕は、母の両足を広げるように抱えて犯していました。
母は泣いていました。
そのときは、すごく気持ち良くて、僕はもう狂ったみたいにピストンしていました。
母の肌はとても綺麗でした。
一度目の射精を済ませると、僕はすぐに、うとうと寝てしまいました。
明け方近く、母がベッドから出ようとした物音に気付いて目が覚めました。
僕はまだ、酔いが抜けていませんでした。母がモナリザのように見えました。
僕は、母の腕をつかんでベッドに押さえつけて、キスをしたり、乳房を吸ったり、あそこを舐めたりして、またセックスをしてしまいました。
カーテンの向こう側が、明るくなって、僕がようやく射精をする頃には、母も鼻にかかったような甘い喘ぎ声を出していました。
その射精を終えたとき、急に気持ちが萎えてきて、僕は、自分の母を犯してしまったことをはっきりと認識してある種の罪悪感を覚えましたが、またそのまま、眠ってしまいました。
昼ごろ、目が覚めて最初に口をきいたのは母でした。
「お風呂の用意ができてるわよ」
僕は、何もとがめない母を意外に思いました。
それなら、とことんやってみようと思い、僕は風呂から出ると、朝食もとらず、母の手を取って、ソファーに寝かせ、口もきかないで、またセックスをしました。
母も甘くせつない喘ぎ声を出して、僕にしがみ付いてきました。
そのとき、僕はこれからいくらでも、好きなときに、母とSEXできると思いました。
でも、父が帰国すると、母は、必要以上に僕を避けるようになりました。
僕と母のお互いが禁断の性の悦びに目覚め、お互いの肉体に溺れるのを恐れたのかも知れません。
母に遠ざけられたと感じた僕は、何度となく、素性の知れない女に深入りしては、そのたびに母に呼び戻されました。
またそのときは決まっていつも、「もうこれっきり、一回だけ」の約束でホテルに行き、母の肉体で思う存分慰められました。
しかし3年後、突然父が病に倒れ、急逝しました。
取締役会で、僕が父の後継者に選任されると、母は僕だけを頼りに生きるようになったのです。
その日から母とは、いつでも、どこでも僕が求めるときにSEXをするようになったのです。
56歳になった今でも、母は女性としての魅力を充分に備えています。
母は北国の生まれで、色白で着痩せするほうなので、服を脱がせる度に、豊満なバストやヒップに今でもドキリとします。
僕は、これまで色々と女遊びも経験しましたが、僕に初めて本当の女の体の素晴らしさを教えてくれたのは母です。
でも、母が心配して言うように、そろそろ、僕も嫁をもらって母を安心させてあげなければとは思います。
ただ、もしも、嫁をもらっても、僕は母とのSEXは絶対にやめるつもりはありません。
それは、実の母親とのSEXを経験した人ならわかると思いますが、あの禁断の背徳感や罪悪感、また母親を絶頂に導くきときの優越感や中だししたときの征服感や、満足感など色々な感情が織り成す精神的快楽は筆舌につくしがたいものです。
だれにも迷惑をかけないし、やめる理由もなく、これからも先も、まだまだ続けていきたい関係です。
コメント