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告白(転載) 父と母のセックス

近親相姦告白・体験
10 /01 2022
掲載サイト「禁断の体験 エッチな告白集_」は消滅。

先日に40歳になりました。大台かとしみじみ考えてたら、初めて見た父と母のセックス。忘れられないものでした、あの時の母の歳と同じ・・・・。母は40歳、私は13歳。家族3人で旅行をして夜中に目を覚ましたら、隣の母の布団に父が来て2人とも裸になって抱き合いキスをしている姿でした。私も知識はありましたから、これがセックスなんだと直ぐに理解できました。部屋は電気は点いていませんでしたが、外の街路灯の明りが障子に当たって慣れた目には十分すぎるほどに見えました。父が母の両足を両手で抱きこむように抱え、クンニをしていました。音も静かな部屋でしたから聞こえてきました。母の我慢している息の荒さが横に寝ている私にも伝わってきました。横から見ていて、母の白い肌とシルエットが綺麗と思いました。切り絵の様に母の姿、父が起き上がり母と繋がっていく姿、私は何かとっても綺麗な光景をみている感覚でした。父の激しい動きがシルエットの様に浮かびあがり、母の仰け反る姿、そして父の動きが止まったかと思った瞬間、母が大きく震えているのが分かりました。そして我慢しきれなくなったのか、漏れる幸せそうな吐息。父と母はそのまま暫く抱き合ったままでした。私は寝た振りを忘れて、しっかりと目を開けて見ていました。その時、母が私の方を見たのです。目が合いました、何か云おうとして口は動いていますが、声には出てきません。私もどうしたら良いのか分からず、固まったままでした。父も私が起きていたのに気づきました。父は何も言わず、母から離れ母に脱いだ浴衣を掛けていました。母もやっと落ち着いたのか、ずっと起きてたのって私に聞いてきました。私は黙って頷くだけでした。そうしたら母が、「パパを愛してるの、分かった?」と云ってきたのです。パパも「パパだってママに負けないくらい、ママが大好きなんだ」と。そして、もう寝なさいと云って、2人で温泉に入りに行ったんです。私はあの時の両親の言葉は忘れられません。子供に対して、慌てずに正面から愛してるって云えるって。私はその時に何ていうんだろう・・・?。

告白(転載) 母の墓参りに

近親相姦告白・体験
10 /01 2022
掲載サイト「禁断の体験 エッチな告白集_」は消滅。

しばらくぶりに田舎にある母の墓参りに行った。私は髪に白髪が混じる年になった今でも、亡くなった母には忘れることの出来ない特別な想いがある。それは、私と母が長い間、男と女の関係を続けていたからに他ならない。母と初めて関係したのは、父が亡くなってしばらくしてのことだった。母は後妻として私がまだ高校生のときに、家に入って来た。幼いころに実母を亡くし、母親の愛情を全く知らないで育った私に、まだ若かった母は、本物の母親以上の深い愛情を注いでくれた。私の実家は江戸時代から続く造り酒屋で、多くの従業員を抱えて祖父と父とで経営していた。ところが元気だった父が急に体を壊して早逝し、当時東京大学で醗酵の勉強をしていた私は、祖父に説き伏せられて、学業半ばで実家の造り酒屋の後継者となった。仕入製造、営業、経理、総務の全てを見なければならなくなった私は、残された母と二人三脚で寝る間も惜しんで仕事に没頭した。母は雪国の生まれで、とても辛抱強く働き、蔵の中の仕事でも文句を言わずによく手伝ってくれた。母は、年老いた親を遠い北国においたまま、国へも帰らず、酒蔵を守るため、身を粉にして働いてくれた。働きずくめのそんなある夜、私は、杜氏も帰って誰も居なくなった蔵の中で初めて母と男女の関係を結んでしまった。当時、母は39歳。ほとばしる色香を着物の下にいくら包み隠しても、隠しきれないほどの女の艶がこぼれていた。夜遅く、蔵の中で仕事をしているとき、手伝ってくれている母のうなじの甘い香りやしゃがんだ時に見えた太股の奥の白い下着に、ついに欲情した私は、いきなり母を押し倒し、祖父母を気にして声が出せない母の下着を無理やりに脱がせ、股を開かせて一気に貫いた。今も思い出されるのは、その時の眩しいばかりの母の肢体だ。服をめくると、雪のように白い乳房ときれいな乳首がでてきたのが、今でも目に焼き付いている。亡父が何度も貫いた母の膣を今は、息子である私が貫いて腰を打ちつけていると思った時、えも言えない特殊な感情が湧き起こり、それが同時に激しい快感となって、全身を駆け巡り、嫌がる母の子宮めがけて大量の子種を放出してしまったのだ。その日以来、母は、私を避けるようになり、親しく口をきくことすらなくなった。当時は祖父母がいたため、私との情事がばれることを極端に恐れていたからかも知れないが、母は事務所や祖父母の前では無口になった。その後も、私は蔵の中で何度か母を無理やりに犯したが、母は屈辱を受けているような顔をして、ことが終わると逃げるようにその場を去って行った。私は母に嫌われたと思い込み、いつしかクラブやバーに通うようになり、女遊びを始めた。飲み屋の女の部屋に転がり込んで、幾日も会社に出てこなくなった私を、母が連れ戻しにきた日、町外れのホテルで母の肉体を存分に抱かせてもらった。そして、その代わりに、祖父が勧める縁談を承知するようにと母に懇願された。祖父の知り合いの家との縁談で、いやおうなく、話が進められ、私はまもなく結婚した。結婚してしまうと、なおさら母の熟れた体が忘れられなくなり、家族の目を盗んでは、また町外れのホテルに母を連れ出しては、母と関係を持ち続けた。母とはそんな関係が長く続き、事業も順調に発展しているさなか、突然、母が病に倒れ、帰らぬ人となってしまった。母が他界してからというもの、運に見離されたかのように、次第に事業が行き詰まり、とうとう数年前に会社は、従兄弟の家が経営している中堅の造り酒屋の手に渡り、私は追われるようにして町を出た。その後、東京で始めた居酒屋も軌道に乗り、区切りとして妻とは来月離婚する話しも着き、それまで忙しく、盆に帰れなかった私は、一人、田舎にある母の墓を訪ねた。山から吹きおろす風が強い日だった。墓前に手を合わせ、祈る私の耳に、吾亦紅の歌がどこからともなく聞こえる様な気がして、いつの間にか、私は小さな声でその歌を口ずさんでいた。『マッチを擦れば おろしが吹いて  線香がやけに つき難(にく)い さらさら揺れる 吾亦紅   ふと あなたの 吐息のようで・・・ 盆の休みに 帰れなかった 俺の杜撰(ずさん)さ 嘆いているか あなたに あなたに 謝りたくて 仕事に名を借りた ご無沙汰 あなたに あなたに 謝りたくて 山裾の秋 ひとり会いにきた ただ あなたに 謝りたくて・・・   小さな町に 嫁いで生きて ここしか知らない 人だった・・・ それでも母を 生ききった 俺, あなたが 羨ましいよ・・・ 今はいとこが 住んでる家に 昔みたいに 灯がともる あなたは あなたは 家族も遠く 気強く寂しさを 堪(こら)えた あなたの あなたの 見せない疵(きず)が 身にしみていく やっと手が届く ばか野郎と なじってくれよ 親のことなど気遣う暇に 後で恥じない 自分を生きろ あなたの あなたの 形見の言葉 守れた試しさえ ないけど  あなたに あなたに 威張ってみたい 来月で俺 離婚するんだよ  そう, はじめて 自分を生きる あなたに あなたに 見ていて欲しい 頭に白髪が 混じり始めても 俺, 死ぬまで あなたの子供・・・』歌を口ずさんでいると、母と愛し合った思い出の日々が走馬灯のように頭をかけめぐり、私は溢れ出る涙を押さえることができなかった。

告白(転載) 人前で・・・

近親相姦告白・体験
10 /01 2022
掲載サイト「禁断の体験 エッチな告白集_」は消滅。

あんなに恥ずかしい体験は、おそらくもう一生ないでしょう。母親は49才、僕は22才(大学院生)。2年近くになります。父親は仕事の関係で留守がち。僕が中学3年ぐらいの頃から、母親はすれ違い様に手の甲であそこを軽く触ったり、お風呂に入っていると石鹸渡しを口実にドアを開けて僕のあそこをチラ見したりしてきました。なにか、不可抗力のふりして意識してやっているような気がしていました。僕は恥ずかしくてとてもいやでしたが、ある時、魔が差し、母親に自分の性器を見せたらどうなるかを想像し始めました。そして、それでオナニーをするようになりました。それを繰り返すうち、さらに魔が差してしまい、父親が出張の日に、僕の部屋に洗濯物を持ってきた母親に対して、性器を見せてしまいました。母はきゃっと声を上げましたが、チラ見どころかガン見し、玉袋を指先で「come on」の動きでなぞってきました。即座に僕は興奮状態、2人はそのまま、関係が出来てしまいました。2年近く続いた去年の暮、父親が仕事に出ている昼間、僕たちは思い切りエッチな時を過ごしていました。彼女は何度もいき、僕もそろそろ限界、次は一緒にいってフィニッシュというときのこと。興奮した彼女が、なんと、膣けいれんを起こしてしまったのです。あそこはかんかんに締まり、僕は抜くことができません。痛さをこらえ、ベッド横の電話を取って救急車を呼びました。電話で、症状と2人の年齢を伝えたときの恥ずかしさ。電話を受けた人には、事情がすぐに分かったことでしょう。でも、近親相姦だと分かっていたかどうかは・・・電話を切ると、次の問題が。玄関の鍵を開けなければいけない。僕は慎重に母親を立たせ、つながりながら玄関まで歩こうとしましたがタイミングがうまくあわず、痛くて仕方ありません。だから、彼女を抱え上げるようにして僕が歩き、なんとか鍵を開けました。やがて救急隊が来てくれました。垂れ気味の巨乳の熟女が大股を開き、そこに繋がっている若い男を、どんな思いで見たことか。でも、さすがに彼らはプロ。淡々と事を進め、2人をストレッチャーに乗せ、上から毛布をかけて運び始めました。僕たちは頭の上まで毛布をかぶせてもらったお陰で人目にさらされることはありませんでした。でも、救急車に乗せられる直前に、なんと毛布が何かにひっかかり、全裸でいやらしく繋がっている僕たちの姿が、近所の皆様の目にさらされてしまったのです。これで一巻の終わり。僕たちが近親相姦の関係であることがばれてしまいました。でも、大勢の前で一番見られたくない姿を見られた瞬間、僕の体には快感が走りました。そして、射精してしまったのです。生理がまだある母は、それまで一度も中だしをさせてくれませんでしたから、これが初めての中だしということになりました。その後のことは、またいずれ。

告白(転載) 母の子守歌

近親相姦告白・体験
10 /01 2022
掲載サイト「禁断の体験 エッチな告白集_」は消滅。

今から3年ほど前のころ、僕は結婚して1年、妻が働いていて海外出張が多いので、いないときは週末、お母さんがマsンションに来てくれるか、お母さんの方に泊りに行っていた。いつからか昔の悪い癖が戻って、お母さんの下着でオナニーする様になっていた。その日の土曜日も深夜になってお母さんが寝た気配なので早速浴室の脱衣かごからたぶん今日着替えて脱いだばかりのベージュのショーツを部屋に持ち込んで、まだゼリーの様なお母さん下り物を舐め、匂いを嗅ぎながらペニスを擦っている最中、ドアがノックされお母さんが入って来た。 僕の状態を見るなり慌てて、ごめんなさい、と直ぐに出て行った。暫くドアの外にいる気配だったが、ちょっと入っていい?,僕の方は返事が出来ず困っていると、外からお母さん和ちゃんがしてるの前から知ってたのよ、大丈夫変に思ってないし、もちろん怒ってもいないわよ、ちょっとお話っした方がいいと思って...仕方なく、いいよ、と返事。仕方ないのでショーツはベッドカバーの下に隠してドアを開けると、寝ていたはずの母がいつの間にか着替えていて、ブラウスにスカート、ストッキングまで付けていた。お母さんはベッドの端に座ると、ごめんね、驚かしちゃった、でも何だか男臭い、この部屋、窓明けなきゃといって窓を開け、急に電気を消して外の月明かりだけになった。それから僕の隣にぴったり座って身体をくっつける様にして、耳元で和ちゃんさっきのあれ、もう済んだの、邪魔しちゃったんじゃない?え、それは,いいよそんなこと、良くないわよ、スッキリしたかったんでしょ?若いんだもの当たり前よ、宏美さんも3週間も和ちゃんを放っておいて、和ちゃんだって淋しいわよね、僕は自分でもわけが解からなかったけだ、お母さんを抱きしめて、というか抱きついてお母さんが好きなんだ、大好きなんだ、と呻く様に言うと、お母さんが背中を撫ぜながら、いいのよ、いいのよと繰り返し耳元で囁いて、まるで子守唄の様にそれが続いた。随分時間が経った様な、あるいは5分くらいだったのかも知れないが、お母さんが無音で窓とカーテンを閉めて、ベッドサイドの小さなランプだけを点けると、僕をベッドに寝かせる様にして添い寝しながらそっと口づけしてくれた。そして次の瞬間母の口から洩れたのはお母さんが気持ちよくしてあげるから任せて、和ちゃんはそのままでいて、お母さんは僕ノスエットをゆっくり降ろすとパンツの上から僕のペニスを優しく撫ぜたり擦ったりして、僕のペニスをうぃパンツの下ではち切れんばかりに勃起させた。それから母さん窮屈だ旧津田から脱ぐわね、とスカートとブラウスを脱いで黒のキャミソールだけになった。お母さんは45歳、僕は24歳だった。

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。