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告白(転載) 伯父に教え込まれた快感!

近親相姦告白・体験
01 /21 2016
大手プロバイダのホームページ上で公開されていた告白。投稿者別に時系列で追います。

2001年3月1日 1時1分9秒 - Mari
 私は、幼い頃から伯父が事故で死ぬ19歳まで、伯父に挿入以外の色々な快感を、教え込まれました。幼い頃から私は、伯父に懐いていたので、その関係が終 わるまで、両親は気付かないままでした。 一番古い記憶は、まだ幼稚園児の頃。建築関係の仕事で、全国を飛び回っていた伯父は、年に数回数日間、私の家に 逗留して、仕事に出かけていました。田舎の農家で、お風呂が外にあるのをいいことに、伯父は親切ぶって私をお風呂に入れてくれていました。お風呂で伯父は いつも、「湯船に浸かる前に、オシッコをしなさい。」と言って、私にオシッコをさせ、それをのぞき込んでいました。そしてその後、私に股間を洗わせると必 ず、「キレイになったか調べてやる。」と言って股間を舐めるのです。それが気持ち良くて大好きでした。それがどんどんエスカレートしていき、「体なんか洗 わなくて良い。俺が全身を舐めてキレイにしてやる。その方がマリも気持ちいいだろ?でもこれは、お父ちゃんやお母ちゃんには、内緒にしろよ。喋ったらもう こんな気持ちのいいこと、してあげないから。」と言われました。伯父はいつも、決して自分の体には触れさせようとはせずに、私の快感のために尽くしてくれ ました。そのお陰で、小学校に入学いする頃にはもう、『イク』という感覚があったように思います。 小学生になると、もう伯父と一緒にお風呂に入る事を、 両親から止められるようになりましたが、私は伯父に舐められる快感が欲しくて、一計を案じました。そのころ隣町に出来たスーパー銭湯に連れて行って欲しい と、両親に頼んだのです。兼業農家の両親は、そんな暇など無いと伯父に連れて行ってくれるよう頼みました。伯父は車で私を連れ出すと、山の中に入っていき ました。廃屋になった山小屋の中で私の服を脱がし、何度も私がイクまで、舐め続けてくれました。それ以降関係が終わるまで、その山小屋の中での快感の追求 は続きました。 中学生になると、自然に挿入を求めるようになりましたが伯父は、「処女のままでいろ!そうしたらマリが結婚するまで、俺が気持ちのイイ事 は何でもしてやる。」そう言って伯父は、私の経血を美味しそうに啜り、アナルを舐めしゃぶり、挿入をせがみ腰を振る私を、身動きの出来ないように縛り、失 神するまで攻めてくれました。 高校生になった私は、年に数度しか会えない伯父との快感を思い、山小屋の中でオナニーをするようになりました。ある日それ を伯父に見つかってしまいました。伯父はそのままオナニーを続けるよう命令をし、イク瞬間にオシッコをかけるように言うと、私のオシッコを飲んでくれまし た。そして「俺のいない時は、これでオナニーをするように。」と言って、ピンクローターと麻縄をくれました。今も麻縄は形見として、伯父の分身で自縛をし てオナニーをしています。 伯父が突然の事故で死んだ後、伯父が死んでしまった事よりも、伯父との快感を求め身悶える、女の淋しさに泣き続けました。ヤケ になって、色んな男に抱かれました。誰かに縛られたくてSMクラブで働きました。ハードにされればされるほど、肉体の快感は得られましたが、心の中の違和 感は募っていきました。今は伯父に観られている事を想像しながらの、自縛オナニーだけが私を満たしてくれます。

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。