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告白(転載)  【511】息子ひさし

近親相姦告白・体験
03 /20 2016
近親相姦体験・願望告白 消滅サイト。投稿者別に時系列で追ってみる。

2003/2/27(木)15:58 - かおり (女)
わたしは、37才の主婦です。
今年春、大学に進学する息子を抱えています。
息子の態度に異変があったのは、昨年の夏の終わり頃でしょうか。
台所にたって洗物をしている時、
ふっと振りかえるとわたしの腰を
じっとねめまわすように見ていたり、
はしゃぎまっわた反動でわたしにからみつき、
わたしの体に密着したり、そういったことが、
尋常ではなく思えるほどだったのです。
お恥ずかしいことですが、数年前から夫は、別の女性のマンションと
家とふたまたの暮らしです。
息子が成人するまでは、別居でいこうということになっています。
わたしのセックスレスは相当長くなっています。
わたしから拒んだのです。
女性にも欲求はあります。けれど、息子にとってそばにいるただひとりの肉親、
母親としての役割を、夫との別居以来、より一層強く感じていたものです。
だから、ふざけあったり、淫蕩な視線でながめまわされることも、
その範囲内であれば、女性としての自意識をくすぐり、内心うれしい気持ちです。
夫と出会ったのは、大学生時代で、
その頃、様々な男性からアプローチを受けました。
思いつめた告白も聞きました。
でも、誰か特定の男性とデートしたり、
肉体関係を結びたいと思えません。奥手でした。
少女のまま、ふわふわとしていることの心地よさを
壊されたくなかったのでしょう。
夫はいとこにあたるひとで、
月に何回か、わたしの家に食事にきたりしていました。
出身が地方なんです。武雄といいます。
わたしは、趣味として高校生の頃から、クラシックバレーをやっていました。
発表会の後、バレーの仲間に公演を見に来ていた武雄も加わり、
近くのカクテルラウンジで打ち上げがありました。
わたしのテンションも最高にあがっていて、
当時、はやりの「一気のみ」も
「いいじゃないの。やってやろうじゃない」なんて宣言して、
ビールジョッキに焼酎をなみなみ入れて飲み干しました。
飲んだ後の記憶があやふやで書けません。
ともかくへべれけになったことは確かです。
気がついた時、わたしは、武雄のアパートに寝かせられていました。
からだがほてって、衣服を身に着けているがとてもうっとうしく、
「お兄ちゃん(そう呼んでいました)お願い、服をぬがして」
武雄が持ってきた水をぐいぐいと飲みほしてもほてりはおさまりません。
武雄は、水で冷やしたタオルで、わたしの肩から胸にかけてふいてくれました。
普通の男性でしたら、あられもない姿をみせられるはずもありません。
武雄は、従兄弟です。
これまで、一緒の部屋で就寝したこともあります。
そんな気安さから、肌をさらし、武雄の介護に身をまかせていたのです。
ところが、タオルをほうると、
「かおり。ほてりをさます一番いい方法教えてあげる」
「どんな方法なの?」
「おにいちゃんにまかせてくれる?」
「うん、いいよ」
武雄が、わたしに迫り、唇を重ねたのでした。
すぐさま、武雄のいう方法というのがわかりました。
公演の疲労と大量の酒にさらされた後の体に抵抗するチカラはありません。
「おにいちゃん」
「うん?」
「かおり、はじめてなの。やさしくしてね」
まだ少女のままの青い感性のからだをほんとうにやさしく、愛撫してくれました。
「すごいヘンな気分」
「気持ち悪いのか?」
「なんかわかんない。あそこが熱くって」
そんなことをいったかもしれません。
わたしから、彼のおちんちんを求め、迎え入れました。
挿入された衝撃はいまでも生々しく蘇ってきます。
しかも、はじめての体験なのに、オルガスムスまでのぼりつめたのです。
その時の子が、ひさしです。
親戚の進めもあり、夫と結ばれました。
いまにして思えば、女性に対して発展家の夫に妻をあてがうことで、
不祥事を防ごうとしたのではないかと思うのです。
夫のセックス欲は旺盛で、一度としてパターン化されたものはなく、
その都度、新しい喜びの井戸をほりあてるのでした。
自分が快感を得るだけでなく、女性をやわらかく丁寧に、たかめていき、
時には、気絶してしまうくらい、激しく高みにおしあげていきます。
わたしは、すっかり夫のセックスのとりこになってしまいました。
けれど、わたしが妊娠し、おなかがせりだして、セックスが困難になると
その欲求のはけ口を求め、学内の複数の女性と、
セックスだけの関係を持っていたようです。
夫は、理性でおさえることができないほど
その欲求は激しいものだったのでしょう。

ある日、ひさしが「ママを抱きたい」といってきました。
ひさしの胸の内をうちあけられたのです。
めずらしく夫が、帰宅すると連絡がきた夜のことでした。
それまでは、わたしのほうから夫とのセックスをこばんでいました。
けれど、ひさしの熱い視線にとろかされたのか、
この日は、どうしても夫と体を交えたい、
あの気絶するほどのセックスをしてもらいたいと
心待ちにしていました。
夕方、ひさしが、思いつめた様子で、
「なんか、おかしいかもしれないけど、
よその子が自分のママを好きと思う以上に好きなんだ」
わたしは絶句して、言葉がでませんでした。
これまで、ひとりっこの息子とだけ思っていたひさしが、
いま若い熱気をたぎらせ、その矛先を母親に向けている。
このめぐりあわせにわたしは、絶句して言葉がでませんでした。
それにしても、性的欲求を夫のように、
周囲の女性に向けていないことに一抹の安堵もありました。
息子の思いにどのように対処したらいいのか、
ともかく考えなければ、
わたしは、息子ひさしの言い分を聞いて、
しばらく時間をくれるようにたのみました。
その夜、夫はきたものの、わたしが迫っても、
夫は相手にしてくれませんでした。
「君との関係は、以前からそういったものでなくなっているんだ」というと、
背を向けてねむりにつきました。
わたしは、暗い天井をみつめながら、悶々のどん底にいたのです。


2003/3/1(土)18:58 - かおり (女)
息子ひさしに「ママを抱きたい」と告げられて。

前にも書きましたが、夫との気持ちの離反に比例して、
他の母親以上に息子の成長に傾倒していました。
ひさしは、親のわたしがいうのもなんですが、とても聞き分けのいい明るい子です。
受験勉強に没入していく前、昨年の夏くらいまでは、学校のこともよく話し、
男友達を呼んだり、とまりにいったりしていました。休日には、わたしと一緒に
テニスコートにいくこともあります。
ところが、夏休みに入ると受験勉強一色になり、塾と自室、二学期が始まってからは
学校も加わりその三点移動をとても熱心にまじめにこなしはじめたのです。ひさしは、
父親の武雄と同じ私大をめざしていました。わたしなりに考えて、父を乗り越えよう
との気迫みたいなものを感じるのです。母親として、是非とも彼の大学合格を成就させ
てあげたいと願うのでした。そのような暮らしのなか、ひとりの男性として息子を
とらえるなんておいそれとできることではありません。それに、ひさしの申し出が、
あるいは受験勉強の精神的ストレスの起爆によっておこった、一時的なものである
ことも充分考えられるところでした。この時、かれはどんな精神状態ですごしているのか、
観察していたように思います。

一方、わたしはわたしで、時に性的欲求からくる飢渇感でこれまで味わったことの
ない煩悶のなか夜毎すごしていたのです。これは、ひさしの申し出とは別次元の
問題であり、わたしの超プライベートな問題だったのです。時に、夫とうまくいってた
蜜月時代のことが、思い起こされ、刺激的で強烈な交情の日々がわたしの体を満たす
のです。
ひさしがまだ小学生の時、家族で、
東北の山間部にある妹の家に泊まったことがあります。
夏、夫の田舎に帰省した時の立ちよりでした。
子どもを寝かしつけて、
夜、夫、妹の旦那が、田舎料理を前に酒を酌み交わし、
はじめて訪問したわたしにも、チョコが差し向けられ、
「きょうは、お客さんだ。なあんにもしなくていいから、
わたしの酒、うけてください」。田舎の昔ながらのお酒の飲み方なのでしょう。
受けた酒を飲み干し、相手にお返しでお酌をする、それを互いに延々と繰り返すのです。
「もうだめ、これ以上は飲めない」という限界まで飲んで。
「そうしたら、義姉(ねえ)さん。風呂をどうぞ」
ふらふらになりながらも、そうすればすっきりするかとも思い、
招じられるままに風呂を使いました。
風呂から出ると、既に酒盛りの什器はかたずけられ、床がのべられています。
小部屋に子どもを寝かせ、大部屋に、大人が寝るというようになっていました。
わたしが一番奥になり、隣が夫です。その隣に妹の旦那が寝ています。
義妹が、風呂に出て行く時に、
「わたしは、風呂で洗濯がありますので、みなさんやすんでください」と
電灯スイッチを切っていきました。
田舎の夜は、真の闇です。外からの物音もなく、都会とくらべると、本当の静寂のなかに
いるという実感がありました。いくら激しい夫でも人様の家で交わりもないだろうと
ねむりにはいりかけた時でした。夫がわたしにからみついてきたのです。
「あんた、だめよ」
「いいんだ。(弟は)酔っ払って、寝ている。
おまえだってしたいくせに、やろう。声をだすな」
唇をあわせ、舌先を口蓋に差し入れてきました。
性感帯は、口蓋のなかにもあります。下半身に一気に湿りを帯びてきたのは、
性感帯を刺激されたせいばかりでなかったかもしれません。肉親とはいえ、
他の男性がそばで寝ている傍らでのセックスは、ぞくぞくするようなスリルが
ありました。しばらくすると、乳房を愛撫する手とは別に、
わたしの両足を押し開く手がくわわったのを意識の奥で感じました。
乳頭を微妙な圧力でクンニする夫の舌使いに翻弄され、
同時に、クリトリスに鼻先を押し当て、股間を舐めまわす舌からも、
ぞくぞくと悦びが噴出してきます。性感帯を知り尽くした、絶妙のテクニックです。
「声をだすな」といういましめは、とうに忘れて、せりあがってくる快感に身をまかせ、
「もっと、もっと」とせがんでいました。
挿入される前に何度ものぼりつめ、抜き身がわたしの体内に侵入してきた時には、
朦朧状態にあったと思います。あの時のはてしない陽物のつきあげは、
夫ひとりではなく、ひょっとしたら、妹の主人も参加していたのかもしれません。
この夜のことは、夢といわれれば、そのような、
闇夜のなかでの、うたかたの出来事でした。
翌朝、妹は冗談めかして、こんなことをいいました。
「ねえさん。兄さん、いいでしょう。頭もいいけど、アレもすごくいまいんだから。」
そしてこんなことも
「ひさし君は、美少年タイプ、それに母親のあんたは、
スタイルもよくって美人タイプだから、ひさし君がおおきくなったら、たのしみね。
アレは、金持ちにも貧乏人にも等しく与えてくれた神様の贈り物だから。
たのしまなきゃ………」
彼女は、目を細め、おおらかに笑うのでした。
いま考えると意味の深い言葉だったなと思うのです。
最近ひさしから聞いた話では、中学生の頃、
夫の妹(ひさしから見れば叔母さん)の家に行った時、性の開眼を受けたようです。

カウンセラーのところに行って相談しようと申し出ました。
ひさしはたいそう怒りました。考えあぐねた末の提案だったのですが、
ひさしには受け入れられませんでした。しょうことなしに、わたしひとりで
自治体がやっている相談所にいきました。
小学校の校長を最後に退官された老人が相談員として対応に出られ、
わたしどもの事情を根掘り葉掘り質問してくるのです。
先生は、それを帳面記録して、事例集の検索にあたられました。
この間、わたしは、とても恥ずかしくて、いたたまれす、中座して帰ってきました。
ひさしの怒りはもっともです。こういったものは、他人に推し量れない、事例集では
解決できない問題です。
夫のいない家庭を維持するために、より一層母親としてのルーティンワークに集中して
いくしかなく、わたしは、相談するひともなく、孤独のなか、おろおろとするだけ。
孤独感につつまれるほどに判断力は希薄になり、頭の中が白んでくるような感じでした。


2003/3/7(金)12:01 - かおり (女)
 これまでのわたしの男性との接し方を振りかえると、自分のプライバシーのかなに入れた
男性は、夫をおいて他にいません。
わたしが小学生の頃から、どこか遠巻きに見られているというのに慣れてしまっています。
わたしのほうからラブコールをしたという体験がありません。
それはそれで孤独でした。
自慰も小学生の高学年の頃に覚え、夫となりゆきで交わるまで、続けていました。
こころの奥そこでは、花園へ踏み入ってくる男性を待っていたのかもしれません。
夫とのセックスがそうでした。
男性が積極的に導き、高め、翻弄すれば、わたしは、それに応じて快楽の蜜を求めるのには、
貪欲であったと思います。
M的なのかもしれません。
そんなわたしの性への傾向もあり、仮に、ひさしをひとりの男として見ても、年下の
男性に性的魅力を感じる感性を持ち合わせていないというのが、この頃のわたしでした。
しかも、高校三年生といえば、将来の大筋の方向が、ある程度決定づけられる、大切な
時期です。母親として、将来、息子にできるだけ安定した生活の展ける道筋にたって
ほしいという願望でいっぱいです。ひとり息子です。他のノーマルな家庭以上にその思いは
切なるものがありました。
先頃のひさしの「ママを抱きたい」という申し出以来、落ちつきを取り戻したかに見える
ようになった頃でした。あの申し出が一時のきまぐれならば、恥ずかしい過去として忘れて
やるのが思いやりかな、と思っていました。

 夜、わたしは、居間でテレビを見てくつろいでいました。ひさしが、お風呂でゆであがった
からだに、バスタオルを巻いて、居間にとびこんできて
「ママ、こっち見て」
バスタオルを落とすして、おちんちんをつきだすような姿勢になり
「ジャーン、ママ、僕、もう大人でしょ」というのでした。
股間では天狗の鼻のようにおちんちんがそそり立っています。密生した陰毛が、
まさに「大人」を主張しているようでした。
「そんなバカなことしていないで、早く着替えなさい」
「ママ、僕のをなめて」
「ばかなこといってないで」
「だめなの。どうしてもだめなの。じゃ、僕の見ていて」
暴走している車はもうとまらないといった感じでした。
そういうなり、ソファに腰をおろすと、隆々とそそり立つおちんちんに手をあて、
しごきはじめたのです。
目はじっとわたしをとらえこらしたままです。
「ママ、よそ見をしちゃだめ、僕を見ていて……僕、ママを本当に好きなんだ。
最高の女性だと思ってんだ。愛してるんだ」
「でもね、わたしは、あんたを生んだママなのよ」
「お説教いうんだったら、だまっていて。
ママ、好きだ。ママのおまんこなめたい、……」
ひわいな言葉で自分をたかめているようでした。
わたしは、どう応じたら、ひさしの気分をそこねずに済むか、そればかりをかんがえて
いました。これが息子でなかったら、フンといったもんだったでしょう。けれど、
連日の受験勉強でナーバスになっている思春期の息子にそんな態度はとれません。
しばらく、するといきおいよく、白い液体を天井高く発射しました。
「ママは全然わかってくれない」と言い捨てるなり、なきべそ顔で二階に駆けあがって
いきました。
ひさしの、突発行動を見て、いたわしい気持ちになりました。
それにしても、こうやって直接行動に出るほどにその思いが沸騰していたのかという驚きも
ありました。改めて、息子の思いに親身になっていなかった自分に気づかされました。
ひさしを追うように二階にあがり、ひさしの部屋に行ったのです。
ひさしは、すっぽりと布団をかぶっていました。
「ママとしたいって正直にいったら
カウンセラーのところにいこうっていうし。ママは、ちっとも僕のことかんがえて
いないじゃない。僕が、このうちにいないほうがいいっていうの?
ママを好きになることがそんなにいけないことなの」
布団のなかからくぐもった声がきこえます。こころなしか泣き声のような気もします。
でも、どのような言葉をかけたらいいのでしょうか。
何をいうすべもなく、わたしも、泣いていました。
「ママもくるしかったのよ」
「ママはちっともわかってくれない」
「でもね。ママとひさしくんは親子なのよ。どんなに好きでも、親子はできないの」
「ママは、ママでない。オンナなんだ。オンナなんだ。僕は、大人のオトコなんだ。
いっかいだけ、親子っていうの忘れてっ」
「いけない。そんなこと」
「おねがい、してよ。いっかいだけ」
「ひさしくん聞いてくれる?…………」
わたしは、これまで苦しんできたこと、ひさしの将来のこと、ひさしが結婚して家庭を
持ったときの影響などを、ひさしの気持ちを傷つけないように、丁寧にはなししました。
返事がなくなり、聞いているのか聞いていないのかわからぬまま、
ともかくはなしつづけました。
わたしもいうことがなくなり、黙り込むと、
ひさしは寝返りを打って背を向け、いいました。
「でも、ママが好きなんだ。パパは全然、ママをほったらかしてかまってくれないじゃない。
僕は、パパとは違う。僕は、ずーっとママを大切にしていきたいんだ」
その言葉にわたしの心の奥の何かが崩れました。
母親のツッパリが、解けていくようでした。
わたしが、生まれてはじめて聞く愛の告白だったのかもしれません。
思い返すと、夫との最初の交わりは、こころが先ではなく、肉体の交わりに突き進んでいき、
その結果、家庭を持つまでになったのです。男性の言葉で、こころに電流が走り、体が震える
ような感動をするという体験は、これまで味わったことのないものでした。
雨戸を降ろして、電気を消しました。
もう、何も考えることはない、運命に身をまかせましょう。
こころの奥底で、母親の感情が、くすぶっているものの、
はじめての性体験のように初々しい気持ちで、
服を脱ぎ、ひさしの布団のなかにわたしのからだをいれました。
ひさしがキスをしてきました。
オトコの体臭がわたしをつつんだとたん体に寒気が走りました。
頭では納得しても、女性の生理が追いついていなかったのかもしれません。
しがみつくようにひさしを引き寄せると、
ひさしは「ママ、大丈夫。僕がリードするから」と大人びたいいかたをします。
ひさしが、手のひらで乳房をつつみ、舌先を乳頭にあてます。久しく求めていたアノ感情が、
解きほぐされ、じわりじわりとからだをつつみはじめます。
わたしは、ひさしを抱き寄せ、唇を求めました。寒気はおさまり、
じゅくじゅくに熱した唾液を押しこみ、ひさしの唾液を吸いました。
この間、夜毎味わった性への飢渇をいやそうとしているようでした。
父親ゆずりのやさしくたんねんな愛撫、しかも、夫と違い、肌は張りを持ち、敏捷にわたしの
体の上をすべっていきます。申し分のないオトコです。
いよいよ、おちんちんをわたしの局部に差し入れようとしたその時、
母親としての理性の残滓だったのでしょうか。
「ひさし君、いけない。やっぱりいけない。ここから先にいってはいけない」
押しとどめたのです。
「もう、だめなんだ。とまらないんだ」
脚を押し開き、濡れ濡れになったわたしの局部に、グイッとさしいれてきました。
そうして、禁断のりんごをくわえたのでした。
この夜、年齢も母子という関係も超越した、至福の海のなかに埋没していったのです。

 事後、これからのことを約束しました。
「わたしとひさしの関係を大切にしたいのならセックスをする日にちを決めてやりましょう。
それに女性は、男性と違った体のサイクルがあるの、安全な日のほうがいいから、ママから
その日をいうね。それまでがまんするのよ。それに、受験勉強はとても大事な時ですから、
これまで以上にがんばること。ママとしたいというのは、かなえられたんだから、もう何も
心配することはないでしょ」
わたしとのセックスが、性にたいする一時的好奇心からの発露であったり、受験勉強の重圧から
の逃避であれば、我慢ということができないでしょう。そうであってほしくない、そんな願いも
ありました。一方、その約束は、息子との交わりになだれこんでいきかねないわたし自身への
いましめでもあります。男女の契りを結んだとはいえ、やはり唯一無二の母親であることに
変わりはありません。母親として、息子を自分の性的欲求を満たすための道具に貶めることは
してはならないことです。
次の交わりをクリスマスイブの日にしました。
その翌日からひさしは、いつものとおりの息子として自分のペースですごしはじめたのは
うれしいことでした。よくできた子です。
ひさしの変化。いらだちが消え、前以上に勉学に集中しはじめました。
わたしは、ほっとしました。
夜の床も寂寥な殺伐としたものでなくなりました。
自分が愛し、自分を愛する息子ひさしが、そばにいます。
その実感が、こころを満たし、安らかなねむりに誘うのでした。


2003/5/14(水)19:14 - かおり (女)
3月7日以来の投稿です。
息子ひさしと結ばれた後、
いろんなことがありました。
夫とは離婚しました。
ひさしは大学に入り、5月の連休を利用して学校の近くのアパートに移りました。
そして、わたしはひとりになりました。
張り詰めていたものがどっととけて、
なんか、虚脱状態にあります。
これまでは、夫との関係も、息子との交情もすべて受身でした。
これからは、自分から積極的に生き方を探さなければならないんだ、
ということは頭ではわかるのですが、気持ちがついていきません。こころがはずみません。
一方、なんかどうでもいいような、やけくそのような気持ちもわきあがってきます。
息子との交わりに、悔いもないかわりに達成感もありません。
元夫への恨みもなにもありません。
いま、悩んでいるわけでもなく、苦しんでいるのでもない。
だから、振りかえりもせず、前向きにもなれず宙ぶらりんといった状態です。
ただただ、惰性で日々をすごしております。
近親相姦後遺症というのは、こんなもんなのでしょうか。

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。