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告白(転載)  【730】母の話

近親相姦告白・体験
04 /04 2016
近親相姦体験・願望告白 消滅サイト。投稿者別に時系列で追ってみる。

2004/2/2(月)18:36 - 俊夫 (男)
私が中学を出て、夜学に通いながら勤めるようになった頃のはなしです。
私の家は当時理髪店を営んでいました。店は借家で、夜は父母は店のソファーベッドを
利用して寝る生活でした。
私は2階の6畳間に一人で寝ていました。母は当時42歳、私は早熟でオナニーを覚えたのは
小学生のときです。中学の頃には毎日のようにトイレの中でしていました。対象は勿論母でした。
です。一人で寝る部屋にはタンスがおいてありますから、内緒で母の下着を使っていました。
特に気に入ってたのが淡いブルーのスリップでした。それとシミのついたピンクのパンティー
でした。分からないように終わるときれいにたたんでしまっていました。
でも段々とオナニーでは満足できなくなっていました。母が欲しくなっていました。


2004/2/2(月)19:30 - 俊夫 (男)
毎日母を見る目が変わっていくのでした。でも何も出来ませんでした。
欲望ばかりがつのるだけで。母とする事ばかりが頭からはなれませんでした。
そして理性の限界が来ていました。なにしろテレビがあるのは店です。そこで母は休むのです。
私はベッド作りをする母を横目で見ながらテレビを見るのです。そして追い出される様に2階へと。
いつかあのベッドで母を抱いてやる。私はそう決めていました。
毎年理容組合の旅行があるのです。父はそれにはいつも参加していました。私は実行日をその日に決めていました。          
決めました。
そしてその日がやってきました。家に帰ると父は出かけていました。ついに今夜母を私の女に出来る、そう思うと身体が
震えてきました。
いつもの様な夜の時間はすぎていきました。1度2階に上がり、時を待ちました。
母がやすんだ頃を見計らって再び下へ。店の中は灯りは消えているけど、カーテン越しの
外の明かりで様子はわかるのです。夏でしたのでベッドの上には蚊帳が釣ってありました。
父がきように縄を使って吊り下げられるようにしていました。
私は店に下りると、着ている物を脱ぎました。私のこの姿を見れば母はすぐ分かるはずです。
私の目的が。そっと蚊帳を持ち上げました。なんと母はスリップ姿で寝ていました。
そうです、そこはとても暑い部屋なのです。今と違いエアコンなんてありませんからね。
1人寝の気安さからか私にとっては好都合でした。母のその姿をしばらく眺めていました。
寝る時にはかけていたらしいタオルがはだけていました。白いスリップです。無論ブラジャーなんか付けてはいませんでした。
もう私のペニスは爆発寸前でした。


私は母の横に並ぶように身体を横たえました。そして母の身体に手をのばしました。


2004/2/3(火)00:26 - 俊夫 (男)
横向きに寝ている母の背中にピッタリと寄り添うようにして、私は右手でスリップの裾を
ユックリとまくり上げ、母のパンティーを脱がせる事にしました。後から桃の皮を剥く
様にお尻のほほの部分から静かにおろすつもりでした。ところが、母が急に動きました。
私はこれまでと思いました。ここまできて目の前の獲物をあきらめる訳にはいかない。
私はベッドの上に身体をおこすと、母の口を押さえながら、母を呼んだ。
「母さん、僕だよ、俊夫」
母はいきなりの事で何が起こったのか判らないようでした。
「俊夫なの・・、なんで此処にいるの、貴方が」
母の口を押さえていた手を離しました。其の時母がやっと私の異様な姿に気がついたのです。
「何考えてるの、ヤメナサイ!、いまならお父さんには内緒にしておくから、ね、わかるでしょ。」
「母さんが好きなんだ、お願い、僕のものになって、もう我慢できないんだ。」
私はそう言いながら母の上に覆い被さると、スリップのストラップを下げ、その下の乳房に
むしゃぶりついたのです。
「俊夫、ダメよ、そんな事しちゃだめ・・お願い・・」
母の豊かな乳房を口にふくみながら、もう後には戻れないと考えていました。
母を征服するまでは止める事は出来なくなっていました。
私の手がパンティーにかかった時、さすがに母は激しく抵抗してきました。
「ダメ、お願い、ソコだけはダメ、絶対にダメ!」
私は其の時は完全なレイプマンになっていたようです。力ずくでパンティーを脱がし、
スリップを捲り上げました。目の前に母の裸体が浮かびあがりました。
私はためらわずに、母の両足を広げると、一気に目的に向かって進みました。
「母さんのオマンコ見せて、僕がうまれてきた処を」
「ダメ・・ユルシテ・・トシオ・・」
もはや言葉だけの抵抗でした。どうする事も出来ない状態でした。相手が自分が産んだ子供
だけに、責める事は出来ないようでした。
そんな母の気持など私にはどうでもよかった。私の目的は母を征服する事でしたから。
「母さん、これから僕が母さんを思いっきり気持ちよくさせてあげるよ。もう父さん
なんかじゃ満足できないようにしてあげる。」
母は私の顔を見ながら、首を横に振っていました。


2004/2/3(火)22:08 - 俊夫 (男)
私は母の足をおおきく開かせると、その敏感な処に指をあてがいました。
母の手がしきりに私の動きを止めようとしていました。
「母さん、オマンコなめるよ、すぐ気持ちよくさせてあげるから・・」
「ダメ・・ソンナコトシナイデ・・オネガイ・・」
母の必死の声が聞こえていました。でも私は夢中でした。薄明かりの中でも母のそこは
わかります。
「ジュルジュル!」
わざと音をたてながらその母の敏感な部分を責めたてました。
初めの内こそ声を抑え、必死に身体をよじって抵抗をしていましたが、段々とその動きが
緩やかになったのです。ときおり身体を震わせるしぐさを見せはじめました。
「母さん、感じてるの、オマンコ濡れてきてるよ。こんな風になるんだ。すごいね。」
益々母の反応が大きくなっていました。
私が母の中に指を差し込んで中をかき回していたからです。
「アッ!・・・ソンナ・・・ダメッ・・ダメッェェ!・・」
ベッドの上で身体をくねらせながら、私のその動きから逃れようとしていました。
その姿は私に更なる欲情心をかきたせました。
指先の動きが激しくなりました。母の中に愛液が溢れ出しているのが分かりました。
「オネガイ・・モウユルシテ・・ヘンニナッチャウ・・オネガイダカラ・・」
母のその声は哀願のようでした。
「止めてやってもいいけど、そのかわり僕の言う事聞いてくれるね。」
母は返事こそしませんでしたが、承知したようでした。


2004/2/5(木)11:29 - 俊夫 (男)
「止めてやってもいいけど、そのかわり僕の言う事きいてくれる?」
母は返事こそしませんでしたが、仕方ないと思っていたようです。私がなにを言い出すか
判らなかったかもしれません。
私は横になっている母の顔あたりにまたがりました。そしてそのまま腰を下ろすようにしました。
母の目の前に私のペニスを突き出したのです。
「母さん、しゅぶってよ。前から母さんにして欲しかったんだ、たのむよ、さあ。」
私は母のくちにペニスを押し付けました。
「ヤメテ! そんなことさせないで、出来ない・・・」
母は首を振って拒んでいました。
「してくれないなら、またオマンコに指入れるよ。」
「俊夫、お願い、母さんいじめないで、どうしてこんな事するの・・」
「好きなんだよ、母さんが、僕のものにしたいんだ、わかんないの。」
「気持はうれしいけど、こんな事いけないの、判るでしょう。」
「判ってないよ、母さんは。」
私は強引にペニスを押し込んでいきました。鼻をつかめばいやでも口が開きました。
そのまま中へ押し込んだのです。
「しゃぶってよ、さあ」
観念したかの様に母は口をすぼめました。
母は泣いているようでした。しかし私のペニスは見る見る母の口の中で勢いずきました。
正直そのときの母のフラチオは決して上手くはありませんでした。
後で知った事ですが、フラチオの経験は1度もなかったらしいのです。
しかし母のその暖かな口の中はセックスしている感じがしました。
「母さん、オマンコに入れて、お願い、僕のチンポ母さんのオマンコに入れたい。」
それは母にとっては1番怖れていた事だったようだ。
ペニスから口を離すと、
「イヤ!、それだけは絶対に許さない、どんなに頼まれても、母さん死んでも許さない・・」
「こんなに頼んでるのに判ってくれないんだ。本当に母さんが欲しいんだ。お願いだから・・」
母その強い態度には負けそうでした。
しかし、なにがなんでも私は母の手でさせたかったのです。自分のソコに息子のものを自らの手で入れさせたかったのです。


2004/2/5(木)18:58 - 俊夫 (男)
ある程度母が拒否する事は予想してました。
その為の手も考えていました。
「こんなにお願いしてるのに。じゃ僕信子おばさん犯っちゃうよ。それでもいい。」
信子おばさんとは母の友達です。隣町に住んでいる人で時々遊びにきたり、母が出かけたり
している人です。私もよく知っています。
「やめて、そんなの犯罪よ。絶対ダメ。お願い母さん困らせないで。貴方そんな子じゃないでしょう」
「母さんが、話きいてくれないから仕方ないじゃないか。本気だよ。今の僕見たら判るよね。」
母は下を向いてしまいました。母にはかなりこたえているのが判りました。
「どうすればいいの、私にどうしろと言うの。」
「母さんとオマンコしたい。」
母はしばらく無軍のままでした。
「秘密守れる? 絶対にお父さんには知られないようにしてくれるわね?」
母は私の顔を見てそうきりだしました。
「約束するよ、絶対」
ついに母は陥落した。母として苦渋の決断だったのだろう。でもその時の私はそんな事
などまるでどうでも良かった。母を自分のものに出来る。長い間の夢が叶う、その思いで
気持がたかぶっていた。
母は最期まで身体に残っていたスリップを取り去った。
薄明かりの店の中で再び母の裸体が浮かんだ。私は母を抱き寄せた。
もはや拒むそぶりはなかった。そのままベッドに横になった。私は母の乳房にしゃぶりついた。
豊満な母の乳房は柔らかかった。乳首を口に含み、片手で母の下半身をさぐった。
さきほどのまま、母のソコは濡れたままだ。クリトリスにふれると、母は小さな吐息をもら
しピクッと身体を震わせた。私の身体にすがる様にしていた。
母にペニスを握らせた。見る見る内に勃起した。
「母さん、入れて・・」
私はそう言った。
母は私の上にまたがり、そこに私のペニスをあてがった。そして、腰を静かに落としていった。
まだためらいがあるかの様に完全に奥までは入れなかった。先端のところで止めたようだった。
私は遠慮なくそのまま起き上がるり母を膝の上に乗せた。一気にペニスは奥まで押し込まれた。
「アッ!・・」
母は反応した。そのまま手を後に付き、身体をそらした。下半身が結合した形で、しかも母が腰を使い始めていた。
「アァァ・・・ィィ・・コンナニイイナンテ・・ダメ・・アァッ・・」
母は女になっていた。


2004/2/7(土)17:04 - 俊夫 (男)
母の身体がますます反り返り、無意識に腰を上下に動かしているようでした。
さきほどまでペニスの先っぽだけしか入ってない状態と違い、完全に根元まで突き刺さっていました。
「アッ・・カンジチャウ・・ウソ!・・ウソヨ・・イケナイ・・」
そう母は言いながらも次第に腰を激しく使い出した。その快感はオナニーとは比べ物に
ならなかった。母のその部分は私のペニスをしつかりと捕まえていました。私はその気持
よさについに我慢出来ずに母の中にぶちまけました。
母の動きが止まりました。私はそのままの体制から、母の上にかぶさるようになりました。
ペニスはまだ母の中でした。
「母さん・・母さんのオマンコ最高だよ、母さんはまだみたいだね。」
「・・・・」
母の胸が大きく弾んでいました。
「ねえ・・もう1度してもいいよね・・今度こそがんばるからさ」
私は母の身体の上で話しかけると、すぐに母の乳房を改めて愛撫しはじめたのです。
母は再び身体を反応させると、顔を横に向け私の愛撫に身をまかせました。
母の抵抗はもうありませんでした。それよりも、今萎んだばかりのペニスが再び母の中
で勃起した事に驚いてのです。
「ウソ・・・マタコンナニ・・ウソデショ・・・ソンナ・・」
母のその言葉はいっそう私を欲情させました。
「母さん、僕のチンポの味どう・・かんじてるの・・」
「アア・・イイノ・・スグクイイノ・・・トシオ、スゴクイイノ・・」
母の手が私の背中にまわされていました。力一杯抱きしめてきました。前と違って
2度目は長く持ちました。母のヨガリ声を十分聞かせてもらいました。


夏の時期だけに明るくなるのも早く、もう店の中の様子が判る位になっていました。
緑色の蚊帳の中の様子もさっきまでとは違っていました。
母の姿がハッキリと見え始めていました。
白いシーツの上に横たわる豊満な母の裸体、足元に押しやられた母の白いスリップ、
そして私が脱がしたショーツ。
それよりも強烈なものは、ひざをたて、足を広げた状態の母の姿だった。そこから覗く母の
女の部分、私がぶちまけた精液がおびただしくこびりついていました。
その光景は生涯忘れる事ができないものでした。まさに母を征服した瞬間でした。
私はその日だけで3回母を抱きました。3回目はもう夢中でした。この日を逃すと、次が
いつくるかも判らない状況だったからです。母を離したくなかったのでした。


2004/2/8(日)00:20 - 俊夫 (男)
あの日以来母はとても父の目を気にしてました。黙ってれば判りっこなのに。まさか旅行中
に私と母さんが一晩中セックスしてたなんて思うわけないのに。
でも何日かすると、母も大丈夫かもしれないと感じてきたようです。
私は次の機会を秘かに考えていました。時間を置いてはいい結果にはならないからです。
色々考えられるのが困るのです。だから事は急ぐのです。早く母との仲を完全なものにしなくては。
そして、いい時間あることにおもいあたりました。それは父が店を閉めた後、銭湯に行く時
です。その間なら30分くらいの時間はある。1回くらいは出来るはず。そう考えました。
母にはその夜こっそりと耳打ちしました。無論顔色変えていました。
「無理よ、そんな危ない真似できないわ、かんにんして・・」
「こうでもしないと、母さんと出来ないじゃないか、それとも父さんがいてもさせて
くれる?」
母は首をふりました。
「じゃいいね・・、出かけたらすぐだよ。時間がないから。」
そう話をつけました。
父が出かけると、念のため鍵を閉め、すぐに母を店のベッドに連れて行きました。
「やっぱりやめましょう・・無理よ・・」
「出来なくてもいいから・・、」
私はためらう母をベッドに押し倒すとすばやくパンティーを脱がせ、オマンコを出させました。
「母さん、チンポしゃぶって」
身体を互い違いにしてお互いの性器を愛撫するようにしました。
私は母に握られただけでもう勃起してます。心配は母の方でした。
こんな状態ではたして濡れるか・・。でもそれは無用な心配でした。
母は私の勃起したペニスを見せられたのと、オマンコ攻めで簡単に濡らしてくれたのです。
この話が出たときから母はこの時をまってたのかもしれません。
「ハアッ・・・・ハアッ・・・」
母が私の動きに合わせ小さく声を出し始めていました。
「アッ・・スゴイ・・・ヤダッ・・カンジチャウ・・」
母は私の背中に腕を回して抱きしめていた。
「トシオ・・・カアサンキモチイイノ・・・ナンデ?・・ナンデナノ・・」
母との結合部分からいやらしい音がきこえていた。
母は締め付けていた。私はその母の強烈な締め付けにアッサリと放出した。
母は父との間に夫婦生活はなかった。私との行為が母の女の部分を目覚めさせたのだろう。
その日から母は完全に私のものになった。父のいない所で、母は私の女になった。
父には申し訳ないといいながら、私との関係を続けた。父の目を盗んではお互いを求めあった。
家の中で思い切り母を抱ける事は少ないが、それでも何度かはそんな機会はあった。
母を裸にして抱ける喜びは、誰にもわからないと思います。
でもそんな父も62歳でこの世を去りました。結局母と私の関係はしらないままで。
その時母は52歳になっていました。


私の前では

」」


2004/2/8(日)14:53 - 俊夫 (男)
父が亡くなって母と2人だけの生活になりました。私はまだ独り身でした。商売をしない
のなら家をすぐ出てくれと大家に言われてしまいました。それでしかたなしに、
2人して小さなアパートを借りそこへ引越しました。6畳と4畳半の2間の部屋でした。
ただお風呂がついているのが気に入っていました。もう父に遠慮する必要はなくなり
した。しかし父が死んですぐに母を抱く事はとても出来ません。遺骨があるし、
母の気持を考えてそっとしておいてあげました。
49日の裳が開けた日に、父の納骨を済ませてきました。そしてその夜の事でした。
先に風呂に入り出てくると、奥の部屋に早くも夜具が引かれていました。
しかも1組だけでした。枕が2つならんで置かれていました。
「アッ、俊夫さん、チョットここへ来て。」
母が私を呼びました。
「何、母さん。」
「今日まで本当に有難う。母さん嬉しかったよ。俊夫さんの気持。お父さん死んでから、
俊夫さん1度も私の事抱こうとしなかったでしょう。貴方の気持判ってた。
私の事考えてくれていたんだよね。本当に嬉しかった。だから母さんも今日から生まれ
変わる事にしたの。今日、この時から私は俊夫さんだけ見て生きる事にしました。
もうとっくに親子じゃなくなっていたけど、母親はもういらないわよね。」
「母さん・・・」
母のその話に私は驚きました。そんな事を考えていたとは。
「そうだね、母さんもこれからは好きな事やっていけばいいよ。まだ50チョットじゃ
ないか。まだまだこれからさ。」
「さあ、母さんも風呂に入るかな・・。俊夫さん、あとでお願いね・・・」
母の最期の言葉の意味はなんとなく判ったつもりです。でも母が風呂からあがり、
母の湯上りの姿を見て、納得したのです。
昨日の夜までパジャマを着て寝ていた母がなんとネグリジェというがそんな感じのもの
を身に着けていたのです。
久しぶりの母との交わりでした。しかも、家の中で堂々と母を抱けるのは初めてでした。
もう、だれに遠慮する必要もなくなっていました。私は母を全裸にして、
思う存分その肉体を堪能させてもらいました。母も今は十分に私の求めに応えてくれて
いました。フラチオをさせたらそれはうまいものです。ペニスにまとわり付くかんじで、しごきあげます。
早い話が私がしこんだようなものです。セックスの時は必死に私についてきてくれました。
私が求めれば、何度でも応えてくれるのです。しかも行為の時は喜久江と名前をよんでいました。
可愛い母でした。    
その母も今年で80歳になりました。さすがにもう抱いて寝てやるしか出来ませんけど、
私は母を死ぬまで面倒見させてもらいます。こんな生き方しか出来なかったのは、実の母を
抱いた天罰と思っていきていくつもりです。最後まで付き合ってくれてありがとう。

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。