小説(転載) 妻のヌード 1/4
官能小説
厳密には官能小説ではないのかもしれないが・・・まあよしとしよう。
小説『妻のヌード』
(1)
「どうせ考えるなら、もう少しましなこと考えられないの?」
妻の由美子がちょっとふくれた顔で言った。いや、明日の予定のことさ。僕は、皆んなで麻雀でもやろうって提案したんだ。
土曜日の夜、日頃の悪友が僕の家に集まって飲み始めた時のことだ。柿崎と細川は僕の大学時代からの親友で、僕や柿崎が結婚してからは、妻の由美子や柿崎の奥さんの幸子さんも一緒になって、つきあいがずっと続いている。
最初の話しでは、明日は皆んなでドライブにでも行こうってことだったんだ。でも、こうやって飲み始めてみると、何か明日出かけるのが億劫になってきた。今日はゆっくり飲み明かして、テツマンでもして、そして、明日は皆んなで昼寝でもしながらのんびりしたい気分だった。
「せっかく準備したのに・・・」
由美子は、怒っているというよりも、がっかりしてるっていうか、淋しそうな顔をしている。
柿崎の奥さんの幸子さんが、由美子に気を遣ってくれて言った。
「そうよ。由美子さんの言う通りよ。明日はドライブに行くってことだったんでしょ?」
それにしても、幸子さんは麻雀が人一倍好きだし、それに普段は勤めている。本心は、僕の意見に賛成なはずなんだが・・・。
この中では、由美子だけが専業主婦である。そうだったな。由美子は明日のこと楽しみにしていたっけ。
「さっさと行く先を考えなさいよ。そうしないと、飲まさないわよ」幸子さんはそう言って、由美子に目で笑った。
しょうがない。女性二人を敵に回す勇気はなかった。でも、ドライブに行くとなると今日はあんまり遅くまで飲めないな。
子供たちが起きている間はまるで遊園地と化したようなリビングルームが、夜も更けて子供達を寝かしつけると、急に大人びた雰囲気になる。
女性二人が、キッチンで酒のつまみをつくっている間、僕ら男性三人は、しかたなく明日のドライブの行き先を探すことにした。
リビングルームの壁に、銀行でもらったセザンヌの裸婦のカレンダーが掛かっている。何気なく目をやった細川が、
「何か、思いっきり芸術したい気分だなあ」と言った。
細川は絵の造詣に深く、自分でも油絵を描いている。今日も車のトランクには道具一式が入っているはずだ。
妻の由美子が、「これ、口に合うかしら」と酒のつまみをテーブルの上に広げながら、
「そうねえ。美術館なんか行ってみたいわね」と言った。
そういえば、由美子は美術が趣味で、もちろん素人に毛の生えた程度でしかないのだが、それでも結婚前のデートの時はよく引きずり回されたものだ。結婚して子供ができてからは、すっかり所帯地味てしまって、そんな所にはしばらく行っていない。
細川が、つまみを口の中に放り込みながら言った。
「由美子さん、こんな話し知ってますか。中世のヨーロッパではね、お客さんが来ると、自分の妻を裸にしてお客さんをもてなしたっていうんだ。お客さんに妻のヌードを披露してもてなす。これはね、今で言えば酒のつまみを出すのと一緒なんですよ」
「あらあら、はしたないこと。じゃあ今日は、おつまみは止めましょうか」
由美子が細川のグラスに氷を入れながら冗談めかして言う。まだドライブの一件が残っているのだろうか。
柿崎が笑いながら「それはひどい!」と言った。
「いや、そうじゃなくってね。決して自分の奥さんを蔑んでるんじゃないんだ。むしろ自慢するっていうのかな。よくあるでしょう、我が家自慢の掛け軸を見せるとか、庭を見せるとか・・・」
「なるほどな。家にはそんなものないけどな」と僕。
「ほら、こういうセザンヌの裸婦を見ても、ちっとも厭らしくない。もし品のない厭らしいものだったら、銀行でもこんなカレンダーは作らないさ。由美子さんだって、こんな所に掛けたりしないでしょう?」
「それはそうですけど・・・」
「裸を恥ずかしいと思うようになったのはごく最近のことなんです。日本でも江戸時代は皆んな男女混浴があたりまえだったのさ。女の人もね、夏なんか庭先にたらいを出して水浴びするなんて昔はざらにあったようです。家の人や外を歩いてる人が覗こうと何しようと勝手なんです。全然気にしない。昔の人は皆んな堂々としていた。皆んな自分に自信があった。それが、今ではポルノと混同して、ヌードといえばセックス、裸を見せることが恥ずかしい、と思うようになっている」
「そりゃそうだよな。生まれたまんまだからな。何も、恥かしがることはないのかもしれん」と柿崎。
「というよりもね、女性は裸が一番美しいんだ。どんなに着飾った女性を描いても、裸婦には絶対にかなわない」
「だから、画家は裸婦を描くのかな。多いもんな。こういう裸の芸術って」と僕。
「そう言われてみれば、そうかもしれんな。こいつの裸、はじめてみた時はドキドキしたもんな」と柿崎。
「何言ってるの、皆んなの前で・・・」とこれは幸子さん。
「今じゃ生活くさくってぜんぜん興奮しないけどな。この前なんか、こいつ風呂からバスタオルのまま出てきてね、部屋の中歩き回ってたらさ、そのバスタオルが落ちちゃってね。うちの居間でだろう。ドキッとしたけど、あら失礼!なんてもんさ。女も羞恥心がなくなったら終わりだな」
「イヤ~ね。皆んなに言うことないじゃない」
・・・そういえば、僕が由美子の全裸の身体をハッキリ見たのはいつのことだろうか。
いや、それよりも、今までにそんなことあっただろうか。セックスの時は、犯す?のに懸命で、身体をくまなく見たりしないしな。
由美子はとても潔癖なところがあって、ベットのルームライトは暗くするし、ふだん風呂に入る時も鍵をかける。
細川が柿崎に聞いた。
「柿崎。お前、幸子さんの裸を見た時、どんな感じがした?」
「だから・・・、ドキッとしただけだよ」
「そうかなあ。それだけじゃないと思うんだけどなぁ。こう、何ていうかなぁ、胸がときめかなかったか?」
「いや、俺達はいつもセックスは真っ裸でやるんだ。真っ裸になって、ヨーイドンなんてもんさ。なあ。だから見慣れてるさ。珍しくもない」
「あなた、やめて!」と幸子さん。そのままキッチンに逃げてしまった。
「だけどさ。いつもはベッドの上だろう。これは裸があたり前さ。でも、ここのようなリビングルームで、幸子さんだけが一人で裸でいるっていうのは、言ってみれば非日常的なことだろう。ものすごく刺戟的だと思わないか」
「そうかなあ」
「残念なのは、幸子さんがそうしたくてそうなったんではないってことさ。堂々と柿崎に見せ付けて、ポーズをつくってやったらよかったんですよ」
なるほど細川は芸術家のはしくれだ。考え方が違う。
「俺の絵のサークルでね。時々ヌードデッサンをすることがあるんです。モデルはプロを呼ぶんだけど、お金かかるしね。それで、サークルの仲間からジャンケンで選んだり、仲間の奥さんや娘さんに頼んだりすることもあるんだ」
「本当?信じられないわ。素人の人達でしょう?」と由美子。
「皆んな堂々としたもんですよ。一度モデルをやってくれた人が、自分からまたやりたい、って言う人、結構多いんだ。ある人が言ってたな、自分の裸を見られるのって、恋をした時に胸がキュンとなるでしょう、あの気持ちに似ているって。何か、とっても開放的な気分になるらしい。自分の身体を鑑賞してくれている、美しいものとして賞賛してくれているっていうのは、愛する人に好かれている、という気持ちと同じものらしいんです」
「何となく判るような気がするわ」由美子が頷く。
「裸を恥ずかしいと思うのは、女性が年を取って、おっぱいが垂れて来たりね、無駄な筋肉がついたりして、自分の身体に自信が持てなくなってしまう。そうなると人に見せるのはちょっと、っていうのは判らないでもないけどね」
柿崎が幸子さんに向かって、「じゃあ、お前はダメだな」と言った。
「そんなことないさ。俺は女性の裸は見慣れている。服を着てても十分想像はつくさ。由美子さんや幸子さんのヌード、最高だと思うよ」
「イヤーね。細川さんはエッチなんだから・・・」と幸子さん。
「だから、それが間違っているんですよ。ヌードとポルノは違うんです。もっと自分に自信をもって・・・。俺もずいぶんと裸婦を描いてきたけど、一番描きたいと思うのは幸子さんや由美子さんの年代なんです。ちょうど、青い果実のような年代が過ぎて、身体が成熟して丸みを帯びてくる。身体の曲線が最も美しくなるんです。有名な裸婦像はほとんどお二人くらいの年代なんだ」
「でも、女性だけっていうのは不公平じゃない?」と幸子さんが言う。
「もちろん男性のヌードもあります。俺も一回だけモデルをやらされたことがあります」
「全部脱いで?」と驚いたように由美子が聞く。
「そう。すっぽんぽんで」
「で、どんな気分でした?」とこれも由美子。
由美子は、こんな細川のハッタリ話しにとても関心を持っているようだ。いつの間にか細川の脇にしっかり座り込んでいる。
「仲間の家の一室を借りてやったんだけど、何もない部屋でね。さすがに服を脱ぐ時は恥ずかしかったです。でも、皆んな真剣だしね。こっちがもじもじしてたらかえって失礼さ。最初だけだったな、恥かしかったのは・・・」
「そんなものかしらねぇ・・・」
「それで、どうなんだ。その・・・、つまり、大きくしちゃうのか?」柿崎が茶化すように言う。
「お前は卑猥だからいかん。そんな風になるわけないじゃないか。自然に任せるのさ。何もないんだが、そうだなぁ、朝立ちみたいに大きくなれば大きくなる。普通だったら普通のままさ。ありのままでいいのさ」
幸子さんがキッチンに立ちながらクスクス笑っている。
「でも、不思議なんですよね。男性が女性のヌードを描くから、女性が男性のヌードを描きたいか、っていうとそうではなくて、女性もやっぱり裸婦を描きたいらしいんです」
「そりゃそうだよな。男の裸なんか見たくもない」と柿崎。
「俺達が女性の裸を見るのは、柿崎みたいなスケベな奴がストリップを見るのとは根本的に違う。俺達はその女性を賞賛したくて見るんだ。ひょっとしたら、その女性も気づいていない、その女性の美しさを引き出してあげるために見るんだ。これは女性の特権さ。女性の方も、見られることで、自分の美しさに気が付く。そうだなあ・・・。見ようとする執念と見られたいとする執念が、画用紙の上で火花を散らして、その結果として、すぐれた芸術が生まれるって訳さ」
「ふ~ん」
「たぶんね、由美子さんや幸子さんには、自分でも気づいていない素晴らしいものが、きっとたくさんあると思いますよ。でも、それはあなた方が自分をすべてあからさまにして、曝け出さないとダメなんだ、きっと・・・」
僕にはよくわからない。それに、そんなこと僕にはどうでもいい。僕は水割りのお代わりをした。
「何だったら、お二人をうちのサークルにご推挙しますけど・・・」
「冗談じゃないわ・・・」とこれは幸子さん。
「そうよねえ。知らない人がたくさんいるんでしょう。ちょっとねえ・・・」と由美子。
「なら、俺だけならいいんですか?」
「いや、そういうわけじゃないですけど・・・」
「お前の言い方は、細川の前だったらいいって聞こえるぞ」とからかいながら僕。
細川は、ちょっといたずらっぽい目で由美子を見た。
「何だったら、由美子さん、俺が描くからモデルやってみませんか。今日だったらいいでしょう。皆んな知っている人ばかりなんだから。道具、持って来ているし・・・」
「エー・・・、まさか!こうみえても私は人妻ですからね。まず主人の了解をとらなきゃ」
由美子は、僕が反対すると思っている。
細川が僕に聞いた。
「かまわないだろう?きれいに描くから・・・」
「どうぞどうぞ、細川。僕が許す。好きにやってくれ」
皆んな酒が入っている。どうせ冗談なのだ。僕がここで堅物になれば、皆んなに酒のつまみにされてしまう。
「あらあら、うれしいこと。私がモデルですって」
キッチンに行こうと立ち上がった由美子が、大げさにモデルのポーズを作って見せた。
「あら、素敵!」幸子さんが拍手をした。
「この格好でいいんだったらいいですよ。でも、裸はダメ。第一、主人が許さないわ。ねえ」と僕を見る。
由美子の今日の格好は、ジーンズにティーシャツとカーディガン。とても似合っているけど、さっぱりしたものだ。モデルの服装ではない。
「いや、それはダメさ。やっぱり全部脱いでもらわないと」
柿崎夫婦も、どうせ酒の席の冗談と拍手喝采をした。
「俺達を中世のヨーロッパみたいにもてなしてくれるってわけか」
「いいじゃない、やってもらったら?由美子さん、まだ若いし、スタイルも本当のモデルみたい。記念になるわ。やってもらいなさいよ」幸子さんも酒が入っている。
「えー、でも・・・」とまた僕を見る。
「僕は別にかまわないよ。そうだそうだ、すっぽんぽんにしてしまえ」
由美子は僕を軽くにらんだが、でも目が笑っている。それに、どうせ酒の席のヨタ話しさ。
「皆んなで私のことからかって・・・。それに私の裸をみたら、皆んながっかりするわ」
「そんなことないよ。こいつ、子供を産んだくせにまだ若いんだ。おっぱいなんかまだピンクなんだぞ」
「何言ってるの。私恥ずかしいわ。それに、モデル料、高いわよ」
話しを切り上げるように、エプロンの後ろの紐を締めなおしながらキッチンに立った。そして、別の酒のつまみをつくる準備をはじめた。
「でも、いいわねえ。私、ちょっとドキドキしちゃった。そんなこと考えるだけでも胸がときめくって感じ。子供ができて、しっかり主婦しちゃってるとそんなことすっかり忘れてしまうのよね」
そりゃそうだよな。そんなことできるわけがない。やはり、日常的なものから非日常的なものに移るのは、なかなか難しいのだ。
僕は、ホッとした反面、正直言ってちょっとがっかりした。心の片隅に、皆んなに由美子の美しいヌードを見せつけて自慢してやりたい気持ちがあったのかな。
普通だったら、大笑いになって、これでお開き。話題は別なところに行くのだが、その日は違った。
「じゃあ、俺、絵の道具持ってくるよ」
細川は、自分の車に絵の道具を取りに行ったのである。
由美子が驚いたように細川を目で追い、それから、あわてて僕の方を見た。
「おい、細川のやつ、本気だぞ」柿崎が言った。
「何か白けるな」と僕。あくまでも冗談なのだ。
「何よ。あなたが細川さんを乗せちゃうからじゃない。あなたがいいって言ったのよ」
由美子がどうしたらいいのかわからないように僕に責任転嫁した。表情がこわばっていた。
そのうちに、細川がすっかり道具を整えた。
茶目っ気のある目で、
「さあ、やりましょう。じゃあ、由美子さん、まず、全部脱いで下さい」と言った。
由美子は、固まったように動かなかった。
「どうします?できますか?ここまで来てできないんですか?」
僕には細川の性格がわかっている。どうせ、最初から他人の女房の裸なんて描けるわけがない。ただ、からかっているだけなんだ。暇つぶしに道具を持ってきただけだ。ダメならダメで、横顔でも描いていればいい。そのくらいに考えているんだ。
でも、由美子はそれを真に受けた。
「あなた、本当にいいの?」
僕の方をキリッとした目で見つめた。僕はギクッとした。
「・・・・・・」
まさかこうなるとは思っていなかった。
これは脈があるとみたのだろう。細川が言った。
「由美子さんにとって、こんなチャンスはもう二度と来ないかもしれない。ここで引き下がったらあなたの負けだ」
「いいじゃない、記念になるわ。描いてもらったら?」とこれは幸子さん。さっきから、何か、けしかけているような感じだ。自分が裸になるわけではないんだ。由美子だけが裸になるんだから・・・。
「大丈夫!由美子さん、きれいに描きますよ。ちっとも恥かしいことじゃない。あなたの美しさを十分に出してあげるから・・・」
由美子は、ちょっと首を傾げるようにして考えていた。そして細川に聞いた。
「私は、ただ裸でいればいいんですね?」
「そうです。裸になるなんて大げさに考えないで、ただ生まれたままの、ありのままの自然な姿でいてくれればいいんです」
「で・・・、細川さんはただ描くだけですね」
「そう、そうです。ただ、それだけのことです」
「ただ、それだけのこと?そうね。そうなのよね」
由美子は、もう一度、僕に視線を合わせた。
僕も頷かざるを得なかった。
ただ、今になって思う。
もし、僕が断固拒否したとしたら、由美子は納得しただろうか?確かに僕が断固ダメだと言えば由美子はやらなかっただろう。でも・・・、由美子の中に何かしこりが残ったような気がするのだ。
「いいわ。断ったら、何か自分が情けないわ。でも細川さん、私の裸を見てもがっかりしないでね」
由美子は硬い表情を残してさっと立ち上がった。
「私、シャワーを浴びてくるわ」
幸子さんが心配そうに、「本当にやる気なの?」と聞いたが、
「何よ、幸子さん、さっきからけしかけてるくせに・・・。大丈夫。それに亭主公認だし・・・」と由美子は僕を見て笑う。
「おい。彼女本当にやる気だぞ。いいのか?」と柿崎。
「・・・いいさ。別に減るもんでもなし。かまわないさ」僕はあえて平然を装った。
「でもね。皆んなの前じゃイヤ。二階で、細川さんと二人だけで描いてもらうわ」
二人だけ?
二階に、将来子供が大きくなったときに子供部屋で使う予定の空き部屋がある。
「あなた、それでいいわね?それからね、細川さん。その絵、私に下さらない?」
「もちろんいいですよ。今日はクロッキー程度ですけど・・・」
「いいわ。モデル料はそのクロッキーを全部私にくれること。それが条件よ」
由美子が身体からエプロンを外した。
幸子さんがそれを受け取りながら、「大丈夫よ。由美子さんならできるわ」と言った。
シャワールームは二階にもある。
この家は、二階へはリビングルームから上がるように設計されている。シャレた洋風建築っていうのかな。だから、リビングルームから階段も二階の出入りもすっかり見渡せるのだ。
その階段を、由美子は髪を掻き上げるようにしてゆっくりと上がって行く。全員の視線を浴びながら・・・。
「お前、ちゃんとできるのか?」僕も変な聞き方をしたものだ。
由美子は階段の途中から僕の方をジッと見ると、すぐ視線を反らせた。何かよそよそしかった。
「ちゃんと描くから安心しろよ。俺も由美子さんも大人だから大丈夫さ」
細川は何が大丈夫だというのだろう。
しばらくして、二階から由美子の声がした。
「細川さん。準備できましたけど・・・。最初から全部脱いでいた方がいいんでしょう?」
皆んな、吹上になっている二階を見上げた。由美子が身体に葡萄色のバスタオルを巻いている姿がちょっと見えた。
「そう、裸のままでいて下さい。今行きます」
細川が道具片手にゆっくりとした動作で二階に上がって行く。
「僕も行こう」
ちょっと心配になって、僕は柿崎の後を追おうとした。
その声が由美子に聞こえたのだろう。
「あなたは来ないで。細川さんだけでいいわ」鋭い声が返ってきた。
何故だ?
「・・・ということで。それじゃ行って来ます。ごきげんよう」
細川が茶目っ気たっぷりに言ったが、僕の心配そうな顔を見ると、
「大丈夫だよ。ただ描くだけだから。あんまり難しく考えるな」と突き放すように言った。
僕は何も言えなかった。
空き部屋の前で、由美子は全裸にバスタオルを巻きつけただけの身体で待っていたのだろう。
「この部屋でいいかしら。雑然としてますけど・・・」
「いいです。いいです。これで十分です」
幸子さんが、「私、手伝いましょうか?」と声をかけたが、
「いいわ、大丈夫よ。誰も来ないで・・・」
そう言うと、部屋のドアをバタンと閉めた。鍵をかける音がした。
小説『妻のヌード』
(1)
「どうせ考えるなら、もう少しましなこと考えられないの?」
妻の由美子がちょっとふくれた顔で言った。いや、明日の予定のことさ。僕は、皆んなで麻雀でもやろうって提案したんだ。
土曜日の夜、日頃の悪友が僕の家に集まって飲み始めた時のことだ。柿崎と細川は僕の大学時代からの親友で、僕や柿崎が結婚してからは、妻の由美子や柿崎の奥さんの幸子さんも一緒になって、つきあいがずっと続いている。
最初の話しでは、明日は皆んなでドライブにでも行こうってことだったんだ。でも、こうやって飲み始めてみると、何か明日出かけるのが億劫になってきた。今日はゆっくり飲み明かして、テツマンでもして、そして、明日は皆んなで昼寝でもしながらのんびりしたい気分だった。
「せっかく準備したのに・・・」
由美子は、怒っているというよりも、がっかりしてるっていうか、淋しそうな顔をしている。
柿崎の奥さんの幸子さんが、由美子に気を遣ってくれて言った。
「そうよ。由美子さんの言う通りよ。明日はドライブに行くってことだったんでしょ?」
それにしても、幸子さんは麻雀が人一倍好きだし、それに普段は勤めている。本心は、僕の意見に賛成なはずなんだが・・・。
この中では、由美子だけが専業主婦である。そうだったな。由美子は明日のこと楽しみにしていたっけ。
「さっさと行く先を考えなさいよ。そうしないと、飲まさないわよ」幸子さんはそう言って、由美子に目で笑った。
しょうがない。女性二人を敵に回す勇気はなかった。でも、ドライブに行くとなると今日はあんまり遅くまで飲めないな。
子供たちが起きている間はまるで遊園地と化したようなリビングルームが、夜も更けて子供達を寝かしつけると、急に大人びた雰囲気になる。
女性二人が、キッチンで酒のつまみをつくっている間、僕ら男性三人は、しかたなく明日のドライブの行き先を探すことにした。
リビングルームの壁に、銀行でもらったセザンヌの裸婦のカレンダーが掛かっている。何気なく目をやった細川が、
「何か、思いっきり芸術したい気分だなあ」と言った。
細川は絵の造詣に深く、自分でも油絵を描いている。今日も車のトランクには道具一式が入っているはずだ。
妻の由美子が、「これ、口に合うかしら」と酒のつまみをテーブルの上に広げながら、
「そうねえ。美術館なんか行ってみたいわね」と言った。
そういえば、由美子は美術が趣味で、もちろん素人に毛の生えた程度でしかないのだが、それでも結婚前のデートの時はよく引きずり回されたものだ。結婚して子供ができてからは、すっかり所帯地味てしまって、そんな所にはしばらく行っていない。
細川が、つまみを口の中に放り込みながら言った。
「由美子さん、こんな話し知ってますか。中世のヨーロッパではね、お客さんが来ると、自分の妻を裸にしてお客さんをもてなしたっていうんだ。お客さんに妻のヌードを披露してもてなす。これはね、今で言えば酒のつまみを出すのと一緒なんですよ」
「あらあら、はしたないこと。じゃあ今日は、おつまみは止めましょうか」
由美子が細川のグラスに氷を入れながら冗談めかして言う。まだドライブの一件が残っているのだろうか。
柿崎が笑いながら「それはひどい!」と言った。
「いや、そうじゃなくってね。決して自分の奥さんを蔑んでるんじゃないんだ。むしろ自慢するっていうのかな。よくあるでしょう、我が家自慢の掛け軸を見せるとか、庭を見せるとか・・・」
「なるほどな。家にはそんなものないけどな」と僕。
「ほら、こういうセザンヌの裸婦を見ても、ちっとも厭らしくない。もし品のない厭らしいものだったら、銀行でもこんなカレンダーは作らないさ。由美子さんだって、こんな所に掛けたりしないでしょう?」
「それはそうですけど・・・」
「裸を恥ずかしいと思うようになったのはごく最近のことなんです。日本でも江戸時代は皆んな男女混浴があたりまえだったのさ。女の人もね、夏なんか庭先にたらいを出して水浴びするなんて昔はざらにあったようです。家の人や外を歩いてる人が覗こうと何しようと勝手なんです。全然気にしない。昔の人は皆んな堂々としていた。皆んな自分に自信があった。それが、今ではポルノと混同して、ヌードといえばセックス、裸を見せることが恥ずかしい、と思うようになっている」
「そりゃそうだよな。生まれたまんまだからな。何も、恥かしがることはないのかもしれん」と柿崎。
「というよりもね、女性は裸が一番美しいんだ。どんなに着飾った女性を描いても、裸婦には絶対にかなわない」
「だから、画家は裸婦を描くのかな。多いもんな。こういう裸の芸術って」と僕。
「そう言われてみれば、そうかもしれんな。こいつの裸、はじめてみた時はドキドキしたもんな」と柿崎。
「何言ってるの、皆んなの前で・・・」とこれは幸子さん。
「今じゃ生活くさくってぜんぜん興奮しないけどな。この前なんか、こいつ風呂からバスタオルのまま出てきてね、部屋の中歩き回ってたらさ、そのバスタオルが落ちちゃってね。うちの居間でだろう。ドキッとしたけど、あら失礼!なんてもんさ。女も羞恥心がなくなったら終わりだな」
「イヤ~ね。皆んなに言うことないじゃない」
・・・そういえば、僕が由美子の全裸の身体をハッキリ見たのはいつのことだろうか。
いや、それよりも、今までにそんなことあっただろうか。セックスの時は、犯す?のに懸命で、身体をくまなく見たりしないしな。
由美子はとても潔癖なところがあって、ベットのルームライトは暗くするし、ふだん風呂に入る時も鍵をかける。
細川が柿崎に聞いた。
「柿崎。お前、幸子さんの裸を見た時、どんな感じがした?」
「だから・・・、ドキッとしただけだよ」
「そうかなあ。それだけじゃないと思うんだけどなぁ。こう、何ていうかなぁ、胸がときめかなかったか?」
「いや、俺達はいつもセックスは真っ裸でやるんだ。真っ裸になって、ヨーイドンなんてもんさ。なあ。だから見慣れてるさ。珍しくもない」
「あなた、やめて!」と幸子さん。そのままキッチンに逃げてしまった。
「だけどさ。いつもはベッドの上だろう。これは裸があたり前さ。でも、ここのようなリビングルームで、幸子さんだけが一人で裸でいるっていうのは、言ってみれば非日常的なことだろう。ものすごく刺戟的だと思わないか」
「そうかなあ」
「残念なのは、幸子さんがそうしたくてそうなったんではないってことさ。堂々と柿崎に見せ付けて、ポーズをつくってやったらよかったんですよ」
なるほど細川は芸術家のはしくれだ。考え方が違う。
「俺の絵のサークルでね。時々ヌードデッサンをすることがあるんです。モデルはプロを呼ぶんだけど、お金かかるしね。それで、サークルの仲間からジャンケンで選んだり、仲間の奥さんや娘さんに頼んだりすることもあるんだ」
「本当?信じられないわ。素人の人達でしょう?」と由美子。
「皆んな堂々としたもんですよ。一度モデルをやってくれた人が、自分からまたやりたい、って言う人、結構多いんだ。ある人が言ってたな、自分の裸を見られるのって、恋をした時に胸がキュンとなるでしょう、あの気持ちに似ているって。何か、とっても開放的な気分になるらしい。自分の身体を鑑賞してくれている、美しいものとして賞賛してくれているっていうのは、愛する人に好かれている、という気持ちと同じものらしいんです」
「何となく判るような気がするわ」由美子が頷く。
「裸を恥ずかしいと思うのは、女性が年を取って、おっぱいが垂れて来たりね、無駄な筋肉がついたりして、自分の身体に自信が持てなくなってしまう。そうなると人に見せるのはちょっと、っていうのは判らないでもないけどね」
柿崎が幸子さんに向かって、「じゃあ、お前はダメだな」と言った。
「そんなことないさ。俺は女性の裸は見慣れている。服を着てても十分想像はつくさ。由美子さんや幸子さんのヌード、最高だと思うよ」
「イヤーね。細川さんはエッチなんだから・・・」と幸子さん。
「だから、それが間違っているんですよ。ヌードとポルノは違うんです。もっと自分に自信をもって・・・。俺もずいぶんと裸婦を描いてきたけど、一番描きたいと思うのは幸子さんや由美子さんの年代なんです。ちょうど、青い果実のような年代が過ぎて、身体が成熟して丸みを帯びてくる。身体の曲線が最も美しくなるんです。有名な裸婦像はほとんどお二人くらいの年代なんだ」
「でも、女性だけっていうのは不公平じゃない?」と幸子さんが言う。
「もちろん男性のヌードもあります。俺も一回だけモデルをやらされたことがあります」
「全部脱いで?」と驚いたように由美子が聞く。
「そう。すっぽんぽんで」
「で、どんな気分でした?」とこれも由美子。
由美子は、こんな細川のハッタリ話しにとても関心を持っているようだ。いつの間にか細川の脇にしっかり座り込んでいる。
「仲間の家の一室を借りてやったんだけど、何もない部屋でね。さすがに服を脱ぐ時は恥ずかしかったです。でも、皆んな真剣だしね。こっちがもじもじしてたらかえって失礼さ。最初だけだったな、恥かしかったのは・・・」
「そんなものかしらねぇ・・・」
「それで、どうなんだ。その・・・、つまり、大きくしちゃうのか?」柿崎が茶化すように言う。
「お前は卑猥だからいかん。そんな風になるわけないじゃないか。自然に任せるのさ。何もないんだが、そうだなぁ、朝立ちみたいに大きくなれば大きくなる。普通だったら普通のままさ。ありのままでいいのさ」
幸子さんがキッチンに立ちながらクスクス笑っている。
「でも、不思議なんですよね。男性が女性のヌードを描くから、女性が男性のヌードを描きたいか、っていうとそうではなくて、女性もやっぱり裸婦を描きたいらしいんです」
「そりゃそうだよな。男の裸なんか見たくもない」と柿崎。
「俺達が女性の裸を見るのは、柿崎みたいなスケベな奴がストリップを見るのとは根本的に違う。俺達はその女性を賞賛したくて見るんだ。ひょっとしたら、その女性も気づいていない、その女性の美しさを引き出してあげるために見るんだ。これは女性の特権さ。女性の方も、見られることで、自分の美しさに気が付く。そうだなあ・・・。見ようとする執念と見られたいとする執念が、画用紙の上で火花を散らして、その結果として、すぐれた芸術が生まれるって訳さ」
「ふ~ん」
「たぶんね、由美子さんや幸子さんには、自分でも気づいていない素晴らしいものが、きっとたくさんあると思いますよ。でも、それはあなた方が自分をすべてあからさまにして、曝け出さないとダメなんだ、きっと・・・」
僕にはよくわからない。それに、そんなこと僕にはどうでもいい。僕は水割りのお代わりをした。
「何だったら、お二人をうちのサークルにご推挙しますけど・・・」
「冗談じゃないわ・・・」とこれは幸子さん。
「そうよねえ。知らない人がたくさんいるんでしょう。ちょっとねえ・・・」と由美子。
「なら、俺だけならいいんですか?」
「いや、そういうわけじゃないですけど・・・」
「お前の言い方は、細川の前だったらいいって聞こえるぞ」とからかいながら僕。
細川は、ちょっといたずらっぽい目で由美子を見た。
「何だったら、由美子さん、俺が描くからモデルやってみませんか。今日だったらいいでしょう。皆んな知っている人ばかりなんだから。道具、持って来ているし・・・」
「エー・・・、まさか!こうみえても私は人妻ですからね。まず主人の了解をとらなきゃ」
由美子は、僕が反対すると思っている。
細川が僕に聞いた。
「かまわないだろう?きれいに描くから・・・」
「どうぞどうぞ、細川。僕が許す。好きにやってくれ」
皆んな酒が入っている。どうせ冗談なのだ。僕がここで堅物になれば、皆んなに酒のつまみにされてしまう。
「あらあら、うれしいこと。私がモデルですって」
キッチンに行こうと立ち上がった由美子が、大げさにモデルのポーズを作って見せた。
「あら、素敵!」幸子さんが拍手をした。
「この格好でいいんだったらいいですよ。でも、裸はダメ。第一、主人が許さないわ。ねえ」と僕を見る。
由美子の今日の格好は、ジーンズにティーシャツとカーディガン。とても似合っているけど、さっぱりしたものだ。モデルの服装ではない。
「いや、それはダメさ。やっぱり全部脱いでもらわないと」
柿崎夫婦も、どうせ酒の席の冗談と拍手喝采をした。
「俺達を中世のヨーロッパみたいにもてなしてくれるってわけか」
「いいじゃない、やってもらったら?由美子さん、まだ若いし、スタイルも本当のモデルみたい。記念になるわ。やってもらいなさいよ」幸子さんも酒が入っている。
「えー、でも・・・」とまた僕を見る。
「僕は別にかまわないよ。そうだそうだ、すっぽんぽんにしてしまえ」
由美子は僕を軽くにらんだが、でも目が笑っている。それに、どうせ酒の席のヨタ話しさ。
「皆んなで私のことからかって・・・。それに私の裸をみたら、皆んながっかりするわ」
「そんなことないよ。こいつ、子供を産んだくせにまだ若いんだ。おっぱいなんかまだピンクなんだぞ」
「何言ってるの。私恥ずかしいわ。それに、モデル料、高いわよ」
話しを切り上げるように、エプロンの後ろの紐を締めなおしながらキッチンに立った。そして、別の酒のつまみをつくる準備をはじめた。
「でも、いいわねえ。私、ちょっとドキドキしちゃった。そんなこと考えるだけでも胸がときめくって感じ。子供ができて、しっかり主婦しちゃってるとそんなことすっかり忘れてしまうのよね」
そりゃそうだよな。そんなことできるわけがない。やはり、日常的なものから非日常的なものに移るのは、なかなか難しいのだ。
僕は、ホッとした反面、正直言ってちょっとがっかりした。心の片隅に、皆んなに由美子の美しいヌードを見せつけて自慢してやりたい気持ちがあったのかな。
普通だったら、大笑いになって、これでお開き。話題は別なところに行くのだが、その日は違った。
「じゃあ、俺、絵の道具持ってくるよ」
細川は、自分の車に絵の道具を取りに行ったのである。
由美子が驚いたように細川を目で追い、それから、あわてて僕の方を見た。
「おい、細川のやつ、本気だぞ」柿崎が言った。
「何か白けるな」と僕。あくまでも冗談なのだ。
「何よ。あなたが細川さんを乗せちゃうからじゃない。あなたがいいって言ったのよ」
由美子がどうしたらいいのかわからないように僕に責任転嫁した。表情がこわばっていた。
そのうちに、細川がすっかり道具を整えた。
茶目っ気のある目で、
「さあ、やりましょう。じゃあ、由美子さん、まず、全部脱いで下さい」と言った。
由美子は、固まったように動かなかった。
「どうします?できますか?ここまで来てできないんですか?」
僕には細川の性格がわかっている。どうせ、最初から他人の女房の裸なんて描けるわけがない。ただ、からかっているだけなんだ。暇つぶしに道具を持ってきただけだ。ダメならダメで、横顔でも描いていればいい。そのくらいに考えているんだ。
でも、由美子はそれを真に受けた。
「あなた、本当にいいの?」
僕の方をキリッとした目で見つめた。僕はギクッとした。
「・・・・・・」
まさかこうなるとは思っていなかった。
これは脈があるとみたのだろう。細川が言った。
「由美子さんにとって、こんなチャンスはもう二度と来ないかもしれない。ここで引き下がったらあなたの負けだ」
「いいじゃない、記念になるわ。描いてもらったら?」とこれは幸子さん。さっきから、何か、けしかけているような感じだ。自分が裸になるわけではないんだ。由美子だけが裸になるんだから・・・。
「大丈夫!由美子さん、きれいに描きますよ。ちっとも恥かしいことじゃない。あなたの美しさを十分に出してあげるから・・・」
由美子は、ちょっと首を傾げるようにして考えていた。そして細川に聞いた。
「私は、ただ裸でいればいいんですね?」
「そうです。裸になるなんて大げさに考えないで、ただ生まれたままの、ありのままの自然な姿でいてくれればいいんです」
「で・・・、細川さんはただ描くだけですね」
「そう、そうです。ただ、それだけのことです」
「ただ、それだけのこと?そうね。そうなのよね」
由美子は、もう一度、僕に視線を合わせた。
僕も頷かざるを得なかった。
ただ、今になって思う。
もし、僕が断固拒否したとしたら、由美子は納得しただろうか?確かに僕が断固ダメだと言えば由美子はやらなかっただろう。でも・・・、由美子の中に何かしこりが残ったような気がするのだ。
「いいわ。断ったら、何か自分が情けないわ。でも細川さん、私の裸を見てもがっかりしないでね」
由美子は硬い表情を残してさっと立ち上がった。
「私、シャワーを浴びてくるわ」
幸子さんが心配そうに、「本当にやる気なの?」と聞いたが、
「何よ、幸子さん、さっきからけしかけてるくせに・・・。大丈夫。それに亭主公認だし・・・」と由美子は僕を見て笑う。
「おい。彼女本当にやる気だぞ。いいのか?」と柿崎。
「・・・いいさ。別に減るもんでもなし。かまわないさ」僕はあえて平然を装った。
「でもね。皆んなの前じゃイヤ。二階で、細川さんと二人だけで描いてもらうわ」
二人だけ?
二階に、将来子供が大きくなったときに子供部屋で使う予定の空き部屋がある。
「あなた、それでいいわね?それからね、細川さん。その絵、私に下さらない?」
「もちろんいいですよ。今日はクロッキー程度ですけど・・・」
「いいわ。モデル料はそのクロッキーを全部私にくれること。それが条件よ」
由美子が身体からエプロンを外した。
幸子さんがそれを受け取りながら、「大丈夫よ。由美子さんならできるわ」と言った。
シャワールームは二階にもある。
この家は、二階へはリビングルームから上がるように設計されている。シャレた洋風建築っていうのかな。だから、リビングルームから階段も二階の出入りもすっかり見渡せるのだ。
その階段を、由美子は髪を掻き上げるようにしてゆっくりと上がって行く。全員の視線を浴びながら・・・。
「お前、ちゃんとできるのか?」僕も変な聞き方をしたものだ。
由美子は階段の途中から僕の方をジッと見ると、すぐ視線を反らせた。何かよそよそしかった。
「ちゃんと描くから安心しろよ。俺も由美子さんも大人だから大丈夫さ」
細川は何が大丈夫だというのだろう。
しばらくして、二階から由美子の声がした。
「細川さん。準備できましたけど・・・。最初から全部脱いでいた方がいいんでしょう?」
皆んな、吹上になっている二階を見上げた。由美子が身体に葡萄色のバスタオルを巻いている姿がちょっと見えた。
「そう、裸のままでいて下さい。今行きます」
細川が道具片手にゆっくりとした動作で二階に上がって行く。
「僕も行こう」
ちょっと心配になって、僕は柿崎の後を追おうとした。
その声が由美子に聞こえたのだろう。
「あなたは来ないで。細川さんだけでいいわ」鋭い声が返ってきた。
何故だ?
「・・・ということで。それじゃ行って来ます。ごきげんよう」
細川が茶目っ気たっぷりに言ったが、僕の心配そうな顔を見ると、
「大丈夫だよ。ただ描くだけだから。あんまり難しく考えるな」と突き放すように言った。
僕は何も言えなかった。
空き部屋の前で、由美子は全裸にバスタオルを巻きつけただけの身体で待っていたのだろう。
「この部屋でいいかしら。雑然としてますけど・・・」
「いいです。いいです。これで十分です」
幸子さんが、「私、手伝いましょうか?」と声をかけたが、
「いいわ、大丈夫よ。誰も来ないで・・・」
そう言うと、部屋のドアをバタンと閉めた。鍵をかける音がした。
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