告白(転載) *母に目覚めてからの話* 投稿者:*さるさ*
近親相姦告白・体験
*母に目覚めてからの話* 投稿者:*さるさ* 投稿日:2006/12/17(Sun) 09:18 No.172
私は、中一のころから母に興味を持ち始めました。オナニーを覚えてから女
性の下着にものすごく惹かれるようになり、身近な母の下着でオナニーしよ
うと思ったのがきっかけです。かなり変態的なことをいろいろとやってきま
した。当時母親は34歳でした。自分はピンときませんが、よく浅野ゆう子に
似ていると言われていたそうです。下の妹はいたものの父親は単身赴任で土
日しか家にいなかったので、いい環境だったと思います。
母が寝た後で、洗濯機の中から母のパンティを自分の部屋に持ち出して、エ
ロ本を見ながら母のパンティの臭いを嗅いだり口にしゃぶったりしたあと
で、射精の時には母のブラジャーに顔を押し付けながらパンティの淫液がつ
いている部分に発射し、軽く洗って戻していました。淫液の臭いは最高でし
た。母は生理の時はパンティを夜から漬け洗いしていたのでやっていません
でしたが、それ以外の日は大体週に2、3回くらいのペース、定期テスト前
はほとんど毎日やっていました。母の下着のサイズは、ブラジャーが85C、
パンティはヒップ92~100でした。体型は太っているわけでも痩せているわ
けでもないです。
そんな生活をずっーと続けていましたが、高校2年の冬に母にバレました。
母の下着でオナニーしているときに寝室に入ったはずの母親が自分の部屋に
入ってきてしまいました。バレた瞬間はお互い凍りつきましたが、母親は
「なにしてんの、よしなさい」という言葉を軽く放って下着を取り上げて出
て行きました。翌朝はかなり気まずく、一日憂鬱でしたが、その夜に母が自
分の部屋に入ってきて、二人で昨晩のことについて話しました。母親は自分
がエロ本を持っていることは知っていたそうですが、母の下着でオナニーし
ていることはまったく知らなかったそうで、どうしていいのかわからなかっ
たそうです。ただ、母に黙ってやるのではなくて、下着がほしいときはちゃ
んと母に話すようにいわれました。とはいえ自分からなかなかそのようなこ
とは言いにくいと伝え、そのときの会話はうやむやに終わりました。
その翌日以降これまでの下着オナニー生活が変化し、たまに湯上りの母の方
がその日付けていた下着を持ってきて、「今日はいいの~?」とくだけた感
じというか、恥ずかしさを隠すような口調で聞かれるようになり、母からそ
のパンティを渡してもらってからオナニーするようになりました。初めのう
ちはパンティを渡したらそのまま去っていきましたが、2ヶ月ほど経ったと
き、風呂に入る前に聞いてくるようになり、自分が表情で返すと母親は自分
の部屋で服を脱ぎ、下着を渡していくようになりました。母親は家ではス
カートを穿きませんでしたので、AVにあるようないやらしい脱衣シーンでは
ありませんでしたが、母の下着姿~裸体をみたのは性に目覚めてから初めて
でしたし、まさに脱ぎたてのパンティの臭いを嗅げるわけですからとても興
奮しました。母は息子が女性の下着に興味があるだけだと思っていたらしい
のですが、徐々に母親自身に興味を持っていることに気づいたようで、高3
になる春休みのころには母親の裸を見ながらオナニーできるようになりまし
た。体に触れることは許されませんでしたが、母が下着を脱いだ後で脱ぎた
ての下着は自分が嗅ぎつつ母に別の下着を付けてもらったり、いろいろポー
ズをお願いしたり、いろいろとリクエストに応えてくれました。オナニーを
するような格好や、股を開く格好は断られましたが、四つん這いはOKで、お
尻の方から母のマンコとその向こうにみえるおっぱいを見つつ、脱ぎたての
パンティを嗅ぎながらオナニーしました。はじめは母親の裸に興奮しつつも
オナニーを見られている恥ずかしさが強かったですが、徐々に薄らぎまし
た。母の恥ずかしがっている表情にはとても興奮しました。母もまた少し興
奮していたようで、自分がオナニーを終えた後に母は風呂でオナニーをして
いたことがあったようです。風呂場の構造はどうしても覗けるものではな
かったので、母のオナニーの様子をみることはできませんでしたが、風呂場
の近くに声が漏れてきたことが何回かあり、それでまたオナニーしたりして
いました。
そのような生活を送りつつ、大学受験のときを迎えました。東京の大学を主
に志望していたので、泊りがけの受験で、すべて母親が連れ添ってくれまし
た。行った先の宿でも自宅と同じようにオナニーしましたが、このとき母親
はスカートでしたので、いつもと異なる脱衣シーンが見られ、いつもと違う
場所ということもあり、興奮ひとしおでした。母親が隣に浴衣姿でパンティ
をはだけながら眠っている様をみて、パンティの上から少しマンコの部分を
触ってみました。これが始めて母親の体に触れた瞬間でしたが、見事に母が
起きてしまい、受験前だというのに激しく説教されましたが、受験が終わっ
たら触らせてあげるから今は受験に集中するよう言われ、初回の受験はなん
とか合格できました。第一志望校受験の際も母親の体に触れることなく終
え、合格できました。合格の喜びも大きかったですが、母親が初回受験前日
の約束を守ってくれるか楽しみでした。
第一志望校の受験の後にも志望度の低い大学に受験申込みをしていて、教師
の押しもあり受験することになりました。もう進学先は決まっていて、受験
をしなくてもよかったので単なる母子旅行にすぎませんでした。出発前に、
どの下着を持っていってほしいとか、やっぱりいつもどおりパンツルックが
いいとか調子に乗ってリクエストしましたし、デートみたいなノリでした。
ホテルについて風呂に入る時間になると、母親の方から「また(オナニー)す
る?」と聞かれ、初回受験のときの話になり、母は恥ずかしそうな困惑した
ような表情でしたが、体に触ることの許しを得ました。ただ、セックスは断
るとも母のほうから前もって言われました。童貞だったの自分は体に触れれ
ばそのときは満足だと思っていたので、すんなり了解しました。いつも通り
母親が下着姿になりましたが、下着を脱ぎだす前に母親のマンコに触りまし
た。AVのような色っぽい情景でもなく、力みすぎて母親からあまり強く触ら
ないよう言われたり、「はじめてちゃんと触るんだね~」などと言われた
り、笑いがあったりくだけた雰囲気でした。自分は興味本位で母親の体に触
り、おっぱいをなめたりマンコをいじくったりしてましたが、母親と向き
合った状態になって母親の足を開いたとき、初めてこの状態で母親のマンコ
の奥の部分を見ました(今までは足を開いてくれたことはなく、四つん這い
の状態でしかマンコをみたことはなかったわけですから)。いつもパンティ
で嗅いでいた臭いと同じ臭いがして、興奮とともに少し達成感をかんじまし
た。マンコを少し舐めたとき、母から少し声が漏れて、いったんそこでス
トップして風呂に入りました。このとき性に目覚めてから初めて母と風呂に
入りました。風呂場で母のマンコに触りながら自分のチンポを触っていた
ら、母が触ってくれました。風呂から上がり、自分はベッドに仰向けにな
り、母のおっぱいを吸いながら母のテコキで射精しました。
その夜は母親のマンコとおっぱいを舐めては、母のテコキか自分でしごいて
の射精を繰り返しました。マンコやおっぱいを舐めているときの母親のこえ
の漏れ方には興奮でした。AV女優の声とは違って動物的というか、熟女らし
い声でした。そして翌日の受験には見事に失敗でした。
最後の受験を終え、実家にいったん戻ってから大学入学までの1ヶ月間は、
平日の夜はよく母親の体を舐めていました。しかし、うぶだった自分には
セックスしたいという気持ちはなぜか生まれず、母親にいやらしい格好をお
願いしたりして欲求を満たしていました。
そして上京2日目に童貞を捨てました。18歳の春です(母はこのとき40
歳)。母は自分が住む部屋の整理や支度のために、はじめ5日くらい一緒に
上京しました。いつものとおり母の体を舐めているときに、高2の時に母親
の下着でオナニーしていたのをみつかったとき以降の話を振り返られ、合わ
せて彼女をちゃんとつくるためにがんばるよう言われました。ひとまず今ま
での生活は終わりになるので、最後にセックスさせてあげると言われまし
た。初めてフェラも経験しました。そしてそろそろ入れようかという雰囲気
になってきたとき母はゴムがないことを思い出し、一時停止。ゴムくらい男
が買ってくるように言われ、初めてゴムを購入。部屋に戻って再開したと
き、フェラの後、ゴムを丁寧に付けてくれて、騎乗位から挿入されました。
あのときの気持ちよさはなんともいえないものでした。正常位になってから
は動きのぎこちなさを指摘されたり、またまたAVとは異なる砕けた雰囲気で
した。そして一気に射精し、童貞を喪失しました。それから母が帰るまでは
セックス三昧でした。
その後一人暮らしになりましたが、上京してから母といた数日間に母と話し
たこと、要するに親離れしなきゃねという話ですが、そういったことや大学
に入ってからのこれまでとまったく違う生活となったせいか、少しずつ母を
欲求の対象にはしないようになりました。夏休み等に帰省したときはやりま
したが、大学半ば以降は普通の親子に戻っています。言ってしまえば昔の彼
女みたいな感じで、母親もそんな感じに思っているみたいです。ただ、年上
の女性が好みで、女性の下着の好みも母の下着のようなタイプです。これは
母の影響というしかないと思っています。
私は、中一のころから母に興味を持ち始めました。オナニーを覚えてから女
性の下着にものすごく惹かれるようになり、身近な母の下着でオナニーしよ
うと思ったのがきっかけです。かなり変態的なことをいろいろとやってきま
した。当時母親は34歳でした。自分はピンときませんが、よく浅野ゆう子に
似ていると言われていたそうです。下の妹はいたものの父親は単身赴任で土
日しか家にいなかったので、いい環境だったと思います。
母が寝た後で、洗濯機の中から母のパンティを自分の部屋に持ち出して、エ
ロ本を見ながら母のパンティの臭いを嗅いだり口にしゃぶったりしたあと
で、射精の時には母のブラジャーに顔を押し付けながらパンティの淫液がつ
いている部分に発射し、軽く洗って戻していました。淫液の臭いは最高でし
た。母は生理の時はパンティを夜から漬け洗いしていたのでやっていません
でしたが、それ以外の日は大体週に2、3回くらいのペース、定期テスト前
はほとんど毎日やっていました。母の下着のサイズは、ブラジャーが85C、
パンティはヒップ92~100でした。体型は太っているわけでも痩せているわ
けでもないです。
そんな生活をずっーと続けていましたが、高校2年の冬に母にバレました。
母の下着でオナニーしているときに寝室に入ったはずの母親が自分の部屋に
入ってきてしまいました。バレた瞬間はお互い凍りつきましたが、母親は
「なにしてんの、よしなさい」という言葉を軽く放って下着を取り上げて出
て行きました。翌朝はかなり気まずく、一日憂鬱でしたが、その夜に母が自
分の部屋に入ってきて、二人で昨晩のことについて話しました。母親は自分
がエロ本を持っていることは知っていたそうですが、母の下着でオナニーし
ていることはまったく知らなかったそうで、どうしていいのかわからなかっ
たそうです。ただ、母に黙ってやるのではなくて、下着がほしいときはちゃ
んと母に話すようにいわれました。とはいえ自分からなかなかそのようなこ
とは言いにくいと伝え、そのときの会話はうやむやに終わりました。
その翌日以降これまでの下着オナニー生活が変化し、たまに湯上りの母の方
がその日付けていた下着を持ってきて、「今日はいいの~?」とくだけた感
じというか、恥ずかしさを隠すような口調で聞かれるようになり、母からそ
のパンティを渡してもらってからオナニーするようになりました。初めのう
ちはパンティを渡したらそのまま去っていきましたが、2ヶ月ほど経ったと
き、風呂に入る前に聞いてくるようになり、自分が表情で返すと母親は自分
の部屋で服を脱ぎ、下着を渡していくようになりました。母親は家ではス
カートを穿きませんでしたので、AVにあるようないやらしい脱衣シーンでは
ありませんでしたが、母の下着姿~裸体をみたのは性に目覚めてから初めて
でしたし、まさに脱ぎたてのパンティの臭いを嗅げるわけですからとても興
奮しました。母は息子が女性の下着に興味があるだけだと思っていたらしい
のですが、徐々に母親自身に興味を持っていることに気づいたようで、高3
になる春休みのころには母親の裸を見ながらオナニーできるようになりまし
た。体に触れることは許されませんでしたが、母が下着を脱いだ後で脱ぎた
ての下着は自分が嗅ぎつつ母に別の下着を付けてもらったり、いろいろポー
ズをお願いしたり、いろいろとリクエストに応えてくれました。オナニーを
するような格好や、股を開く格好は断られましたが、四つん這いはOKで、お
尻の方から母のマンコとその向こうにみえるおっぱいを見つつ、脱ぎたての
パンティを嗅ぎながらオナニーしました。はじめは母親の裸に興奮しつつも
オナニーを見られている恥ずかしさが強かったですが、徐々に薄らぎまし
た。母の恥ずかしがっている表情にはとても興奮しました。母もまた少し興
奮していたようで、自分がオナニーを終えた後に母は風呂でオナニーをして
いたことがあったようです。風呂場の構造はどうしても覗けるものではな
かったので、母のオナニーの様子をみることはできませんでしたが、風呂場
の近くに声が漏れてきたことが何回かあり、それでまたオナニーしたりして
いました。
そのような生活を送りつつ、大学受験のときを迎えました。東京の大学を主
に志望していたので、泊りがけの受験で、すべて母親が連れ添ってくれまし
た。行った先の宿でも自宅と同じようにオナニーしましたが、このとき母親
はスカートでしたので、いつもと異なる脱衣シーンが見られ、いつもと違う
場所ということもあり、興奮ひとしおでした。母親が隣に浴衣姿でパンティ
をはだけながら眠っている様をみて、パンティの上から少しマンコの部分を
触ってみました。これが始めて母親の体に触れた瞬間でしたが、見事に母が
起きてしまい、受験前だというのに激しく説教されましたが、受験が終わっ
たら触らせてあげるから今は受験に集中するよう言われ、初回の受験はなん
とか合格できました。第一志望校受験の際も母親の体に触れることなく終
え、合格できました。合格の喜びも大きかったですが、母親が初回受験前日
の約束を守ってくれるか楽しみでした。
第一志望校の受験の後にも志望度の低い大学に受験申込みをしていて、教師
の押しもあり受験することになりました。もう進学先は決まっていて、受験
をしなくてもよかったので単なる母子旅行にすぎませんでした。出発前に、
どの下着を持っていってほしいとか、やっぱりいつもどおりパンツルックが
いいとか調子に乗ってリクエストしましたし、デートみたいなノリでした。
ホテルについて風呂に入る時間になると、母親の方から「また(オナニー)す
る?」と聞かれ、初回受験のときの話になり、母は恥ずかしそうな困惑した
ような表情でしたが、体に触ることの許しを得ました。ただ、セックスは断
るとも母のほうから前もって言われました。童貞だったの自分は体に触れれ
ばそのときは満足だと思っていたので、すんなり了解しました。いつも通り
母親が下着姿になりましたが、下着を脱ぎだす前に母親のマンコに触りまし
た。AVのような色っぽい情景でもなく、力みすぎて母親からあまり強く触ら
ないよう言われたり、「はじめてちゃんと触るんだね~」などと言われた
り、笑いがあったりくだけた雰囲気でした。自分は興味本位で母親の体に触
り、おっぱいをなめたりマンコをいじくったりしてましたが、母親と向き
合った状態になって母親の足を開いたとき、初めてこの状態で母親のマンコ
の奥の部分を見ました(今までは足を開いてくれたことはなく、四つん這い
の状態でしかマンコをみたことはなかったわけですから)。いつもパンティ
で嗅いでいた臭いと同じ臭いがして、興奮とともに少し達成感をかんじまし
た。マンコを少し舐めたとき、母から少し声が漏れて、いったんそこでス
トップして風呂に入りました。このとき性に目覚めてから初めて母と風呂に
入りました。風呂場で母のマンコに触りながら自分のチンポを触っていた
ら、母が触ってくれました。風呂から上がり、自分はベッドに仰向けにな
り、母のおっぱいを吸いながら母のテコキで射精しました。
その夜は母親のマンコとおっぱいを舐めては、母のテコキか自分でしごいて
の射精を繰り返しました。マンコやおっぱいを舐めているときの母親のこえ
の漏れ方には興奮でした。AV女優の声とは違って動物的というか、熟女らし
い声でした。そして翌日の受験には見事に失敗でした。
最後の受験を終え、実家にいったん戻ってから大学入学までの1ヶ月間は、
平日の夜はよく母親の体を舐めていました。しかし、うぶだった自分には
セックスしたいという気持ちはなぜか生まれず、母親にいやらしい格好をお
願いしたりして欲求を満たしていました。
そして上京2日目に童貞を捨てました。18歳の春です(母はこのとき40
歳)。母は自分が住む部屋の整理や支度のために、はじめ5日くらい一緒に
上京しました。いつものとおり母の体を舐めているときに、高2の時に母親
の下着でオナニーしていたのをみつかったとき以降の話を振り返られ、合わ
せて彼女をちゃんとつくるためにがんばるよう言われました。ひとまず今ま
での生活は終わりになるので、最後にセックスさせてあげると言われまし
た。初めてフェラも経験しました。そしてそろそろ入れようかという雰囲気
になってきたとき母はゴムがないことを思い出し、一時停止。ゴムくらい男
が買ってくるように言われ、初めてゴムを購入。部屋に戻って再開したと
き、フェラの後、ゴムを丁寧に付けてくれて、騎乗位から挿入されました。
あのときの気持ちよさはなんともいえないものでした。正常位になってから
は動きのぎこちなさを指摘されたり、またまたAVとは異なる砕けた雰囲気で
した。そして一気に射精し、童貞を喪失しました。それから母が帰るまでは
セックス三昧でした。
その後一人暮らしになりましたが、上京してから母といた数日間に母と話し
たこと、要するに親離れしなきゃねという話ですが、そういったことや大学
に入ってからのこれまでとまったく違う生活となったせいか、少しずつ母を
欲求の対象にはしないようになりました。夏休み等に帰省したときはやりま
したが、大学半ば以降は普通の親子に戻っています。言ってしまえば昔の彼
女みたいな感じで、母親もそんな感じに思っているみたいです。ただ、年上
の女性が好みで、女性の下着の好みも母の下着のようなタイプです。これは
母の影響というしかないと思っています。
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