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小説(転載) 幻  影

官能小説
11 /24 2018
戦争前後の思い出話なので情景が掴めないところもあるが、そのまま紹介する。

幻  影

1 海坊主
これは20世紀の幻影である。話の発端は、約50年も前にさかのぼる。その頃の記憶は
あらかた靄の中に消えかけているが、この部分だけは引き攣れた火傷のように、心の襞
に貼りついている。

私が1年間の浪人の後、郷里の知人を頼って上京したのは昭和29年3月であった。知人
が紹介してくれた下宿は上野広小路に近い表通りに面した印舗で、そこの小学6年男児の
家庭教師をして下宿料と相殺するという条件であった。まだ苦学という言葉が珍しくなか
った時代であり、食う・寝る所さえ確保できれば、奨学金をあてにして学業を続けること
ができる。後は何とかなるだろうと、今思えば無謀に近い行動であったが、赤十字に売血
しながら生活している学生もいた当時としては、それほど特異な事とは思っていなかった。

58歳の店主は、大工の徒弟として修行してきた6尺・30貫(180cm・112kg)の巨漢で、
腕力自慢の海坊主といった印象である。海坊主は二人の女にそれぞれ娘と息子を生ませた
が、両人とも幼い子供を残して逃げてしまい、子供は千葉の漁師町に住む祖母に育てられ
た。

3歳年上の奥さんは小柄で痩せた下町育ちの老婆といった感じで、印章職人として働い
ていた男を一人娘に娶わせて4歳の孫娘がいる。3年ばかり前、戦後建てたバラック同然
の店舗を補修にきた海坊主が、未亡人暮らしの長い初老の女主人を垂らし込んだのであっ
た。小金を貯めていた海坊主は、ここを3階建ての店舗併用住宅に改築し、名実共に印判
屋の主人の座に収まった。

海坊主の実子は、祖母が2年前に亡くなったために二人とも広小路の店舗に引き取られ
たが、娘はすでに27歳であり、腹違いの弟の勉強を私がみることになったのである。複雑
な家族構成は、まだ歴史の浅いためかなんとなくよそよそしいもので、主人の一存で居候
になった私は、勝手のわからぬ居心地の悪さを感じていた。1階は判子屋の店で、仕事場
と2階・3階へ上る階段があり、奥に共通の居間と主人夫婦の居室、台所や浴室などの水
周りがある。2階は若夫婦家族と小6男児の子供部屋。3階は奥から6畳の和室が襖続き
で3室並び、表通り側は根太板の下にスプリングを入れた20畳大の柔道場で、主人の自慢
の場所であった。海坊主の娘は、階段の降り口に近い一番奥の部屋を使っており、中一部
屋空けて柔道場脇の6畳が私の居場所に決められた。

自転車で10分ほどの所に版下屋があり、よくそこに使いを頼まれた。印鑑や会社のゴム
印などの原稿を届けて逆文字の版下を書いてもらうもので、急ぎの仕事は待っているうち
に仕上げてくれる。そこは裏長屋の一軒で、タールを塗った板塀に自転車を立て掛けて玄
関の格子戸を開けると、半坪の狭い土間になっている。上り框の所に据えた経机が仕事場
で、老眼鏡の爺さんが面相筆で細字を書いていた。式台に横座りしてそれを見ていると、
未知の世界に紛れ込んだような不思議な気持ちになったと同時に、爺さんの来し方を想像
してしまった。
経机の下には薄汚れた布が下げられていたが、爺さんが座ったときに膝で押し出された
雑誌類が覗いていたことがあった。「猟奇」「リベラル」「夫婦生活」といったカストリ
雑誌で、こんな爺さんも読むのかと思ったが、夜な夜なキャバレーに出かけて若い女の体
を触りまくっていたそうである。このあたりの下町は、表通りと裏通り、表社会に隠れた
どろどろの裏社会が混在する下町特有の雰囲気があり、19歳のお上りさんを幻惑するには
十分すぎる魔力が潜んでいた。売春防止法が施行される4年も前で、高校時代の歴史教師
が、江戸の情緒を残す所と言っていた吉原も健在であった。

27歳の女と19歳の男が、襖で仕切られただけの3階に同居するのは危ないと、海坊主が
中間の部屋で寝ることになった。テレビは未だ一般家庭には普及されておらず、ラジオの
みの夜は就寝が早かった。8時9時にはそれぞれの部屋に篭ってしまい、10時には電気も
消えて、廊下の豆電球のみがぼんやり灯っているだけで、まばらな都電や自動車の音のみ
が支配していた。
布団に腹ばいになって本を読んでいると、娘の部屋から海坊主の声が聞こえてきた。背
中や腰を揉ませているらしく、3階に移ってからは毎晩繰り返されているが、娘の声はほ
とんど聞こえず、やがて隣室に戻った海坊主は、大鼾で寝てしまう。遅くまでスタンドを
点けていると吝嗇な海坊主に怒られそうなので、私も寝てしまうのが常となった。

こんな生活が一週間も続いたある日、広小路の交差点で娘に呼び止められた。娘は春子
といい、引き取られてから判子屋の注文取りを手伝っていた。お得意先の会社や個人商店
などを回るのであるが、年度替りの3・4月は特に注文の多い時期である。やっと東京の
地理と営業の仕事になれてきたところで、家に居る時よりも活発に見えた。
“みつばち”という甘いもの屋は女性に人気の店なので、男客は私一人だけであった。
上背もあり、漁師町の育ちらしく色黒だがしなやかな身体つきの春子は、最初のうち年上
らしく饒舌に喋った。私が今の家族について質問し始めると次第に口が重くなり、「貴方
には想像も出来ないことがある」と言って黙ってしまった。俯いた表情に影ができ、憂い
を含んだ30台の女に見えたほどである。最後に「時々お喋りに付合ってほしい」と席を立
ったが、もう一軒回るところがあるからと店先で別れた。その夜、春子の帰宅は8時を回
っていた。

珍しく早い時間から隣室の布団に横になっていた海坊主は、襖越しに遅くなったわけを
問いただし始めた。千住の会社を回り、最後に寄った商店で奥さんや子供たちと話し込ん
でいたのだという。亭主の晩酌にも付合わされて、夕飯もご馳走になったと言っていた。
得意先のこととてそれ以上の詮索も出来ず、例によって背中を揉むように命じたが、着替
えも入浴もまだなので後にしてほしいと言う声が聞こえた。機嫌の悪い海坊主は聞かず、
襖の滑る音がして春子は隣室に入ったらしい。背中を揉んでいるような気配がし始めたが、
くどくどと小言が続くので聞きずらくなり、明かりを消して布団を被ってしまった。

しばらくして、抗うような気配と何か襖に当たる物音がし、足元の方にぼんやりした光
が流れ込んでいた。襖に5ミリほどの隙間ができており、豆電球の下に海坊主の太い左腕
が春子の上半身を抱え込んでいるのが見えた。上体を倒されたときに足が襖を蹴ったので
あろうか、昼間着ていたギャバジンのスカートが乱れ、ストッキングの足と幅広の赤いガ
ーターが目の前にあった。折檻かと思ったが、引き寄せようと腰に絡みつく手を必死に払
い除けている。隣室に人がいるからと小声で訴えるのを無視して春子の両手をねじ上げ、
片足が引かれると白い下穿までもあらわになった。ゴムが固太りの太股に食い込み、ガー
ターとの間の素肌が燐光を発していた。私の胃袋は固まって胸元を突き上げ、全身にがた
がたと震えがきたが、目を離すことができなかった。
右手は容赦もなくズロースを引きさげ、蝦のように身を折る尻を剥き出しにした。ほの
暗い視界に、陰毛のみが鮮烈に見える。隠微な指の動きが春子の抵抗を奪ってしまい、荒
い息使いを隣室に悟られまいと必死に耐えているようであった。ズロースをガーターと共
に膝まで下げ、さらに足先で引っ掛けて脱がしてしまうと、やっと後ろ手を開放し、臀部
を掴んで腰に跨らせた。フレアーのスカートがあらかたを覆ってしまい、海坊主に揺り動
かされる春子のシルエットのみが、操り人形のように踊っていた。

静寂が戻ると、海坊主が寝息を立て始めた。春子は物憂げに上体を起こし、足首に引っか
かったズロースを外して股間に当て、海坊主の体から離れた。海坊主の身づくろいを直し、
布団を掛けてから立ち上がると、豆電球を消そうとソケットに手を伸ばした。もう一度部屋
の乱れを気にして振り返り、襖のずれているのを見つけたと同時に覗いている私と目があっ
た、いや、実際には気が付かないだろうと思った。春子は左手で股間をおさえたままの姿勢
で硬直したが、気を取り直したように消灯して出て行った。

動悸の激しいまま仰向になっても胃袋の痙攣は治まらず、強烈な画像が押し寄せてくる。
カストリ雑誌で見た小野佐世男の挿絵と重なって、隠微な妄想はさらにエスカレートする。
疲労し、勃起してもいないのに熱病のような爆発寸前の状態が続く。

陰夢なのかと思っていると、枕もとの襖が静かに開き、湯上りの春子が入ってきた。脇
に回り、襖のずれを直すとそのまま枕もとに座ってしまった。海坊主は豪快な鼾をかいて
いる。私はそのまま硬直してしまい、寝たふりを続けるしかなかった。春子の膝あたりか
ら発せられる輻射熱が頬を押す。かすかな身じろぎとともに洗い髪の匂いが襲い、萎えた
まま射精がおこった。それはだらだらと長く、気持ち悪く太股を伝わって流れたが、金縛
りの体を動かすことはできなかった。そのまま何も言わず、春子は立ち去った。

朝食の座に春子の姿はなかった。埼玉の方まで足を伸ばすと言って出かけたらしく、救
われた思いであった。海坊主の様子はいつもと変わらず、昨夜の出来事は私のみの幻影で
しかなかった。食後風呂場で洗濯をしたが、青臭いこわばりのついたパンツのみが、覗き
の罪を告白していた。
屋上の物干し場に上ると、まだ寒い朝の光に春子の下着が干してあった。入浴中に洗っ
たのであろうが、私の咎を許さないと証拠を突きつけられたようなショックを受けた。同
罪として地獄に落ちろと脅迫しているようでもあった。昨日、“みつばち”で言っていた
「貴方には想像も出来ないこと」が、朝日の中に明白な証言として曝されていた。
当時は高価であったナイロンストッキングとブルマ型のズロースの隣に、罪を告白する
ように私のパンツを干したが、それらが突然に生身の肉体を包み込んだように、淫らな交
わりを始めた。燐光を発する太股に掌が張り付き、もてあますほどのボリュームを撫で回
す。その感覚は行きつ戻りつして、それ以上には進まなかった。思い切って春子の下着に
手をかけたが、押し返す弾力は無かった。

一日中同じ幻覚にもてあそばれ、夕刻例の版下屋から戻るとすでに春子は帰宅していた。
自室にはたたんだパンツが置かれており、同志の誓が許されたような甘酸っぱい連帯の意
識が湧き上がってきた。

2 春子
後に春子は、自分はいつ処女を失ったのか覚えていないと言っていた。子供の頃は膝丈
までの着物で通し、男女の区別とて知らなかった。素裸での水浴びや、そのまま畦道にし
ゃがみこんで小便をするのも一緒だった。4~5歳になると、年上の男の子が股の奥を見
たがるようになった。平気で股を開いたが、そうすることが仲間に入れてもらうための条
件でもあった。小学校2年生のある日、学校からの帰り道で男の子たちに陰部をいじられ、
露草の花を割れ目に挟んだまま帰宅した。しゃがみこんだ股の間に露草の花を見つけた祖
母が咎めると、「皆にこれはお薬だから取ってはいけないと言われた」と答えた。祖母は
仲間の名を聞くと、学校に出かけていって教師に報告した。若い女の教員は「あんたの仕
付けでしょう」とも言えず、春子に形式的な注意を与えただけで不問にした。その時から、
祖母は春子にズロースを穿かせるようになった。

昭和9年は東北地方が飢饉に見舞われ、身売りをする娘が多かった。不況で仕事にあぶ
れた海坊主が、しばしば帰郷するようになったのがこの頃である。40台に入ったばかりの
海坊主は、勢力を持て余していた。夜になると春子を風呂に入れ、丹念に陰部を洗ってや
った。それは父親の愛情ではなく、幼女を弄ぶぎらぎらした欲望であり、子供同士の遊び
とは比較にならない微妙な指の感触であった。春子は、下腹部から疼くような快感を覚え、
不思議そうに父親の顔を眺めた。父親といっても生まれてこの方ほとんど一緒に過ごした
ことの無い男は、親切ごかしに春子を背負って裸の尻を触る男どもとかわりなかった。海
坊主としても、都合の良い処に幼児姦の対象を見つけただけで、春子が居なければ実の母
親の腰巻を捲くるような男であった。

やがて同じ布団にくるまった春子は寝巻きを脱がされ、唾をつけた指先で丹念に陰烈を
擦られた。刺激の強すぎる処は陰核と尿道の周りで、そこに触られると体がピクッと反応
し、脳に達する痺れがある。未発達の陰唇は、海坊主の太い指先を包み込むが、膣は硬く
閉ざしたままである。初めての陶酔に、尿意を覚えたが、中断されるのが怖くてじっと我
慢していた。海坊主が口淫しようと身を屈めると、我慢できなくなり「ちょっとおしっこ」
と言って裸のまま蒲団を抜け出し、縁側にしゃがみこむと勢いよく庭先に放尿した。
 隣で寝ていた祖母がこの格好を不信そうに眺めていたが、総てを悟ったらしく背を向け
て寝てしまった。続く快楽を期待して走リ寄ってくる春子を、そのまま仰向に寝かせ、舌
先で大陰唇を割って尻に回った小便まで、丁寧に舐めとってやった。9歳の春子は、固い
蕾のままエクスタシーに近い興奮を覚えて思わず叫び声をあげたが、祖母の背中が震える
のを気づかなかった。海坊主は巨大な陰茎を春子に擦らせ、挙句に亀頭を舐めさせたが、
とても頬張れる大きさではなく、再び春子の股に擦りつけながら射精した。海坊主の呻き
声と腹にかかる精液の粘つきは、春子にとって初めての事だったが、おぼろげながら大人
の秘事を体験しても、さして驚きはしなかった。ぶちまけた精液を拭うでもなく、それで
も寝巻きを着せて海坊主は寝てしまった。二人の寝息が聞こえ始めると、祖母はそっと起
きだして春子を抱きかかえて自分の寝床に運んだ。
翌朝祖母は海坊主に「早く帰れ」と言い、「ほんとに壊されちゃう」と嘆いた。

大人の愛撫を経験してしまうと、春子は子供たちとの遊びに興味を感じなくなった。対
象は高等小学生や中学生になり、最初は無視されても近づいていった。着物の裾を割って
座り込み、地面に絵など描いたりしていると、横目で見ている中学生たちが話し掛けてく
る。少女は、彼らが何を見たがっているか承知していた。木登りをして、枝にかけた足を
大きく開くと、中学生たちまでニヤニヤしながら木登りをはじめる。仲良くなると小便の
飛ばしっこをした。祖母が庭先の肥溜めに、後ろ向きに尻を突き出して放尿するのを真似
て、中学生と並んで尻をからげて勢いよく飛ばした。皆笑いあっていたが、ひそかな性的
興奮を楽しんでいたのである。しかし集団で遊んでいる時は、おたがいの牽制からそれ以
上の進展はなかった。

ある日彼らが作った裏山の隠れアジとに行くと、16歳になる顔見知りの子が居た。悶々
として落ち着かない欲望に悩まされていた彼は、半ば期待して春子を待っていたようであ
った。春子は、堂々と彼の前にしゃがんで小便を始めた。かれの咽喉はひくつき、声がか
すれた。「見てもいいか」と問うのに、春子の方が落ち着いて「いいよ」と言って仰向に
寝た。彼は「誰か来るといけないから」といって春子を伴って藪の裏側にまわった。震え
る手で春子の右手を引き、片手には脱ぎ捨てたズロースを裏返しのまま握っていた。
 窪地の草の上に春子を寝かせると、おずおずと手を差し伸べて下腹に触れた。春子は、
子供たちとの遊びのときと同じ大股開きで空を見上げている。彼は足元に跪いて尻の下に
裾を敷き、紐を解いて前をはねた。一重の着物一枚の春子は袖を通したまま前を完全に露
出して下目に彼の仕草を見ていると、震える手は遠慮深く性器の周りを撫で回していたが、
かすかに盛り上った大陰唇を開き、小さなミミズほどの小陰唇に指をかけた。
 三段腹の下に蝙蝠が張り付いたような母親の陰毛に欲情してきた眼には、無毛のデルタ
は綺麗過ぎた。少女の性器は三角の突起しか見当たらず、カストリ雑誌の解剖図や粗悪で
猥褻な絵から得た知識とまったく違っていた。
 「これぬぎなよ」と春子にズボンを引っぱられ、いまや年齢差もなく素直に頷いてズボ
ンを脱いだ。お医者さんごっこになれた春子は、まだ少し皮を被った陰茎を掴んだ。篠だ
けの芽生えのような子供たちのチンコとも、握り拳のごとき節くれた父親の大魔羅とも違
う。少年の金玉はすべすべした下腹に環のように短く生えた毛の中から、青白く細い真竹
のようにすっくと直立していた。春子も綺麗だと見とれ、本当に青竹を割ったような匂い
を嗅いだ。海坊主に教わったように根元に向けて擦ると、包茎の皮が剥けて恥粕があらわ
れたが、それとて雌を陶酔させるフェロモンの役割をはたした。狂ったようにしゃぶりつ
いた春子は、父親の幼児姦で目覚めた一匹の雌獣になってしまった。思いがけぬ展開に、
視野の狭まった少年には裸の少女が彼の股間に食いつく姿しか写らず、むせかえる草いき
れの中でそのまま射精した。少年にとっての白日夢は背徳の後ろめたさを残したが、一生
忘れ得ぬ感覚と幻影が残った。
 それ以来彼にとっては、どんな幼女も天女と娼婦の両面を兼ね備えた弁才天に見えるよ
うになった。
 
その日、春子は早い初潮を迎えた。

3 祖母
海坊主の父は南房総の漁師だった。傍ら、小さな田畑を借りて自給自足の生活をしてい
たが、病弱だった妻を里に帰した後、山間部の貧農の末娘を農作業と飯炊きに雇った。17
歳の山出しの娘は、最初の夜に漁師のおもちゃにされたが、口減らしのために家を出され
たので、船橋あたりの遊郭に売られるよりましだと我慢した。早熟な南房の娘はすぐに身
篭り、漁師は海坊主が産まれると病弱の妻を離婚して二人を入籍した。離婚届・婚姻届・
出生届が同日付けで出されている。
ひとまわりも歳の違う夫婦が円滑にいくはずがなく、暴力や浮気に耐えかねて家出を繰
り返したが、その都度連れ戻され、その都度孕まされた。3歳頃の記憶だと思うが、海坊
主が寝付く時間に父親が家に居たことは無い。冬の夜、母は冷たい足を太股に挟んで暖め
てくれたが、子供の足に母の陰毛の感触が残った。20歳の母親は一人寝に耐えられなかっ
たのであろう。

腰巻だけの母親や裸の妹たちと一緒に寝ていた海坊主は、女体にそれほど興味を持たな
かった。しかし、小学校高学年になると母親の体が眩しく見えるようになった。夜中に寝
返りを打つ振りをして母親の足元に回り、そっと腰巻を上げて中を覗いた。母親も承知で
股を広げて見せてくれたが、二人ともそのままの格好で寝てしまったところに亭主が酔っ
て帰り、電気を点けたまま子供の頭が女房の太股を枕にしているのを見て、二人とも蹴飛
ばされた。

小学校6年になると海坊主の体はどんどん大きくなり、産毛が黒ずんでくると、チンコ
の先も膨らみ始めた。妹たちが寝てしまうと、母親はそれを口に含んで愛撫してくれたが、
未だ射精にはいたらなかった。そんな遊びは、海坊主が奉公に出されるまで続いた。
海坊主のあとは女ばかり4人も産んでいる。近所に同じような境遇の女が2人おり、友
達付き合いをしていたが、皆男運には恵まれなかった。海坊主が東京の大工に奉公に上り、
妹たちも次々に家を出た後、45歳で寡婦になった。前後して仲間は3人とも後家となった
が、やっと青春が巡って来たように喜んだ。ちっぽけな田畑を耕し、子供たちの仕送りが
あれば十分すぎる幸せであった。

同じ町の男たちは魚やら野菜やら、口実を作っては後家どもを見舞ったので、彼らの女房
たちはこの後家集団を目の敵にした。女たちから八分されると、報復に亭主の誘いに乗って
もんぺを脱いだ。肌の艶や生理のサイクルを維持するために、それが一番良い方法だと言う
ことを彼女たちは知っていた。女房たちが夜の外出を禁止したので、男たちは昼の寄り合い
を利用して順番のようにやってきたが、彼らにとって公然の秘密でも、それが外部に漏れる
ことはなかった。不時にやってくる男たちは、どこでも彼女たちを抱きたがった。野良仕事
の最中、萱の陰で尻を捲くられて前技もなく挿入されるような一方的な性交でも、野外白昼
のスリルが彼女たちを十分興奮させた。亭主との性交が、いかに義務的で味気ないものだっ
たかを知ってしまった後家たちは、「最近は頬っ被りした顔よりも尻のほうが日焼けする」
といって笑いあった。

春子は3歳になったころ、海坊主に愛想をつかした母親に置きざりにされてこの祖母に
預けられた。最初のうち、男と乳繰り合っているときは「向こうで遊んでいろ」と敬遠さ
れた。そのうち見張り役に立たせられるようになり、男たちとも顔見知りになった。町に
出ると「あ、おじちゃん」といって声をかけるので、春子の姿を見かけるとこそこそ隠れ
てしまう。女房どもは、春子まで憎むようになってしまった。小学校でも特別な眼で見ら
れたが、特に同性の先生や女の子たちは、汚いものを見るように春子を避けた。
 しかし、仲間の男の子たちは春子を阻害しなかった。

昼夜の区別なく祖母の家を訪れることができるのは、隣村に婿に出た祖父の弟だった。
大叔父は祖母より5歳も年上だが、祖母を「義姉さん」と呼んでいた。村役場勤めの大叔
父は、祖父が死ぬとすぐ“義姉さん”に何くれとなく奉仕した。それは兄の未亡人に対す
る義務として、ほめられる行動であった。婿入り先の義父が死に、大叔父の頭を抑えるも
のが無くなったころから、頻繁に実家の“義姉さん”を訪れるようになった。

ある夏の夜、遊びつかれた春子は夕食を食べてすぐに寝てしまった。勤めを終えてから、
自転車の荷台に黄色いマクワウリを乗せて大叔父がきた。行水をすませた祖母は浴衣の寝
巻きに細紐一本締めただけだったが、愛想よく迎えて井戸水で絞ったお絞りをだした。祖
母が早速マクワウリを井戸に冷やしに行き、戻ってくると大叔父はシャツを脱いでお絞り
で上半身を拭いていた。冷えた麦茶を飲みながらもろもろの相談ごとをしていたが、「義
姉さんのことは俺が面倒を見るから安心しろ」と繰り返し、祖母を抱き寄せると浴衣の胸
を割って乳房を掴んだ。男を知り尽くした祖母は、驚いて拒む仕草をし、口を吸われて股
に手を入れられるとぎゅっと両足を絞めた。腰巻も付けていないので簡単に指先は陰毛に
達しているが、上半身を横抱きにして口を吸いながらでは容易に股を開けない。急に倒さ
れると、無理な姿勢で堪えていたバランスが崩れ、膝が緩んだ隙に難なく膣口まで指が届
いた。
 締め付けた指先に静かにくじり続られると、行水の後さっぱり拭いておいた股のあたり
がぐじゅぐじゅに濡れ、その気になってきたのが相手にわかってしまう。このあたりであ
っさり芝居を止めて、後は大叔父のなすがままに振舞った。やらせる気があるかどうかは
先刻打診済みの大人同士の芝居で、よっぽどいやな相手ならば気を引くようなことはしな
い。儀式は終わったと細紐をとかれて前がはだけられ、この暑いのに全身を舐めまわされ
る。障子も雨戸も開けっ放しで、だれが覗くか知れたものではないが、家の周囲は畑と田
圃で、訪れるのは日ごろお相手の男どもだけ。
失うものの無い強みか、素っ裸になって首っ玉にしがみ付く。大叔父の方は、日ごろ窮
屈な婿暮らしで、無愛想な女房に跨っても、早く終われと横を向かれるのが落ちで、歳も
若いし小股の切れ上がった兄嫁に惚れていたところ、やっとありついた据え膳に、このま
ま地獄の果てまでもと、足の裏まで嘗め尽くす。「早く入れて」と急かされて、ズボンも
褌も脱ぎ捨てて、「兄貴よりこっちの方が太いよ」と握らせる。気もそぞろの“義姉さん”
は、大魔羅を邪険に引っ張り上げて空割れを擦り、十分にぬらつかせると膣口にあてがっ
た。「いいよ、入れて」と合図すると、めりめり音がするような按配で、周りの小陰唇か
ら陰核まで巻き込むような勢いに、さすがの“義姉さん”も「うーん」と唸ってずり上が
ってしまう。
 大叔父は肩に手を掛けて引き戻し、2・3回小突いて淫水を塗りつけ、繰り返している
うちにぐーと根元まで入った。「届くう・・・」と腰が上げられ、亀頭が子宮口にぶつか
る。硬い子宮口を潜って、精子溜の奥まで突っ込むと、雁首辺りに硬いこりこりしたもの
があたる。
 祖母は、はあはあ荒い息を吐きながら大股開いて両手両足でしがみ付く。何度か襲う気
の遠くなる瞬間に、あえぐ腹の筋肉が大魔羅を吸い込み、膣が痙攣する。活躍筋は俵絞め
に躍動し、膣の中で無数のミミズが陰茎に絡みつく。
 大叔父がこのままでは我慢できなくなると腰の動きを止めると、“義姉さん”の尻が催
促するように突き上げられる。「ちょっと待って」と全身の重みで尻を押さえつけるが、
俵絞めもミミズの跳梁も休んでくれない。気を逸らして射精を堪えようと横を見ると、春
子がパッチリ眼を開けて眺めていた。
驚いて起きあがろうとするのに、「いかないで」としがみつかれ、「春子が見てるよ」
と言ってもあわてない。春子もとぼけて「なにしてる?」と聞けば、「相撲をとってると
ころ。今叔父さんを投げ飛ばすからね」と尻を突き上げる。観客が子供でも銭の取れる勝
負を見せなくちゃあと、汗を吹き飛ばしながら組討が始まった。野良で尻だけ突き出して
ぐるぐる回しているのと迫力が違い、砂被りまで移動してじっくり覗くと、薪みたいな
のが泡を吹いて婆ちゃんの尻を突き上げる。触って見るとべとべとぬるぬるが、尻の穴ま
で濡らしている。そのうちに婆ちゃんが「うー・・」と仰け反って動かなくなった。大叔
父も婆ちゃんの腹の上に被さったままがっくりと首を垂れている。二人とも荒い息を吐い
ているから心配ないけど、婆ちゃんは時々足をピクッと動かし、同時に陰茎を咥え込んだ
穴もピクッと締まる。大叔父は突っ込んだまま余韻を感じている。でもだんだん萎んでく
ると、最後にずるずると抜け落ちた。鰻が魚篭の口から逃げ出すようで、魚篭の口から乳
がどろりと流れ出した。尻の穴を通って畳に着くまでねばっこく垂れ下がり、鰻の逃げ出
した後はぽっかり穴が開いて、白髪の混じった陰毛が渦を巻いて周りに貼りついている。
春子は相撲の最後を見届けて寝てしまった。

翌日、後家連中が遊びに来ると、「夕べ婆ちゃんとおじちゃんが裸で相撲をとった」と
報告すると、皆げらげら笑い出して、「どっちが強かった?」「太い鰻が魚篭から逃げて、
両方とも負け」と答えたら涙を流していつまでも笑っていた。皆50台に入って月経の煩わ
しさも妊娠の心配もなくなり、十分男の精気を吸い取って、同年輩の亭主持よりはるかに
若く、輝いていた。

4 戦争と若後家
10歳の終に初潮を迎えた春子は、過剰な性の刺激を受けて瞬く間に女らしい性徴をあら
わしはじめた。小学校では女の先生と同じくらいに背が伸び、膝までの着物は腰揚げを全
部下ろしても太股が覗き、胸は襟を広げるように膨らんできた。最近は中学生ばかりでな
く、青年団の若者も裏山に現れるようになった。陰堤にうっすらと陰毛が芽生え始めたこ
ろには、亀頭の半分ぐらい入るようになったが、男たちは決っして無理な挿入を試みなか
った。小さな町では、少女を孕ませて評判になれば、即刻烙印を押されてしまう。必ず膣
外射精かコンドームが用いられた。祖母は着物の裾を精液で汚して帰る春子に詳しく性教
育をしたが、自分の経験から男たちが危険を冒すことはないだろうと思っていた。
春子の膣口は徐々に柔らかく広がり、処女膜も破れないうちに完全に挿入ができるよう
になった。尋常高等小学校に進んだ13歳になると、尻は魅力的に大きく張り出し、胸は着
物の前身ごろ押し上げていた。未だ娘になる前の体は胴も足もがっちり太めで、固太りの
胸は走ってもあまり揺れない。実の硬い桃のような印象だが、小麦色に引き締まった下腹
部から太股にかけての緩やかな曲線は、男を桃源の快楽に誘い込むのに十分であった。そ
ろそろ物資が不足し始めたこの頃、ブラウスやスカートといったものまで貢がれるように
なった。
しかし町から若い男たちが急激に居なくなり、愛国婦人会などが組織されると、春子や
祖母の周辺はまったく刺々しいものになった。春子も軍需関連工場に刈り出されたが、こ
こでも女たちに敬遠され、男たちには持てた。
 
徴用で家を離れている男は、町に出て女を誘った。映画館は女を引っ掛ける場所になり、
稼ぎ手をとられた主婦たちまで、そっと映画館で手を握られるのを心待ちするようになっ
た。主婦たちも、後家さんたちと同じように男を求め、一時の陶酔に我を忘れた。徴用さ
れた男たちは、目ぼしい女を申し送って去っていった。さすがに祖母は60台半ばになって
以前のように華やかな男出入りは少なくなったが、休暇になるとあぶれた男たちがかち合
った。そんな時は隣の部屋で順番待ちをし、金盥に跨って洗浄した祖母を押し頂くように
抱いた。祖母はそんな男の性をばかにすることなく奉仕していたが、鎮守の森影やススキ
の原で、今まで後家さんたちを蔑視していた婦人会の連中までが、同じように股の奥で徴
用の男たちを慰撫していた。いや、自分たちの方が嬌声を揚げて男にしがみついていった。

昭和18年になると、海坊主にも徴用がきたが、同棲していた女が田舎に帰ってしまった
ので、2歳になる男の子を祖母に預けにきた。そのころ、木更津の旅館に奉公に出てその
まま番頭と一緒になっていた次女が、戦争未亡人となって戻ってきた。当初は彼女の立場
に同情と形式的な尊敬を示していた近隣の住民たちも、39歳の若後家を警戒するようにな
ったが、案の定隣の畑を耕している男と懇ろになった。
その男の30歳になる娘が、犬を連れて山仕事から帰る道すがら父親と若後家がつるんで
いるのを見てしまった。母親に密告すると、亭主よりも相手憎しと怒鳴り込んできたが、
祖母は「鎖で繋いでおけ」と一喝して追い返した。
いかず後家娘と若後家は、9歳離れているので顔見知り程度の付き合いだったが、この
事件以来敵対関係になった。両親健在の娘は、うるさい母親の干渉で30歳になるまで男知
らずで、偶然覗いた父親の勃起した魔羅が眼にちらついてしょうがない。山仕事をしてい
てもいつしか下腹の疼きを感じてしまう。仕事の帰り、若後家が一人で働いていのを見つ
けて犬をけしかけた。犬は勢いよく走っていったが、鍬を振るっている若後家の尻の匂い
をかぎはじめた。追い払っても前に回って股ぐらに鼻を突っ込む。月経の最中で、動物的
な匂いに雄犬が発情してしまった。「しょうがないね、お前もかい」と一人寝の寂しさを
知っている若後家は仕事の手を休めてもんぺを脱ぎ、褌のような生理帯をはずすと、更に
興奮して鼻を押し付けるので、草の上に座って股をひらいてやった。中型の雑種だが、犬
の陰茎は人間より太くて長く、おまけに根元に拳大の玉が付いている。「立派だね」と感
心して握ってやると、前脚を肩に掛けてのしかかってきた。メンスの時ほどしたくなる体
質で、雌犬を真似て尻を突き出してやると、筒先で膣口を探り当てるや一気に押し込んで
できた。本能とは言え、自然の仕組みは上手くできていると感心していると、ピストン運
動は野郎どもよりずっと達者で、手拭を口にあててよがり声を押し殺すありさま。野郎ど
もより良いのは、いちいち「回せ」だの「絞めろ」だの注文がないこと。頭を抱えて何度
か気をやると、犬の方も大量のザーメンを発射して尻から離れた。自分の陰茎からだらり
と精液を垂らしながら若後家の尻を舐めまわし、後技と後始末までのサービスに、振り向
いて「有難う」とつい礼を言ってしまった。

 出るに出られず、草むらに隠れて一部始終眺めていた娘は、父親のみならず飼い犬まで
敵の虜になってしまったのを悔しがったが、父親の合戦を見たときよりも興奮していた。
犬が得意そうに飼い主の所に戻ったので、立ち上がってもんぺを直していた若後家に見つ
かった。「おや、そこにいたの。その犬、上手だったよ。また貸してね。」と挨拶したが、
邪険に犬の首環に縄を着けて小走りに逃げ出した。鎌を入れた背中の籠が飛び跳ねるのを、
若後家はいつになく満足した笑顔で見送った。娘はこのことを母親に密告しなかった。

翌日の夕方、娘と若後家は狭い畦道ですれ違った。犬は縄で繋がれていたが、若後家の
方に喜んで寄ってきた。そうはさせじと強く綱を引かれたので犬が前脚をあげて立ち上が
ったが、昨日のように赤い陰茎が顔を出し精液で濡れている。「おや、あんたも楽しんだ
ね」と言われて、「そんなことしてないよ」と甲高い声で否定したが、「もんぺのけつが
べとべとだよ」と追い討ちをかけられて、真っ赤になって走り出す。「犬の合いの子産む
つもりか」とさらにからかった。
 数日後娘が若後家を待ち伏せしていたが、「ほんとに犬の合いの子なんて産まれるのか」
と聞いた。両親の監視の厳しかったのは、この娘が少々足りないからで、先日の言葉が心
配になったようだ。「居るともさ。里見八犬伝の伏姫なんか、八房の子を8人も産んでる
よ」。さすがに南総の住人、この話は知っている。がっくり肩を落として去っていくのに、
可哀想になって「うそだよ。大丈夫、畜生相手じゃ妊娠はしないんだ」と教えてやると、
「良かった」と明るい顔になった。
 「また貸してやるね」「たのむよ」まではおまけ。

この話も婆さん連中に披露されたが、ひとしきり笑った後、「犬ってそんなに良いのか
い」「犬なら婆さん相手だって文句はつけないだろうね」「今度借りておいで」と話はと
んでもない方に発展していった。
 ある日、本当に伏姫と八房が祖母の家に招かれた。主役を振られた伏姫が、すっかり板
についた仕草で八房とつるんで見せる。生唾を飲み込んで見ていた婆さん連中に八房が回
されると、さすがに3人目ぐらいから尻ごみしてしまう。白髪の陰毛に牛乳を垂らして突
き出すと、舐め終わるや横を向き、尻尾を股の間に巻き込んで降参した。

近所をうろつく犬がさかりの時期を過ぎても人間の尻を狙い、子供まで追われるように
なったので、町役場は野犬捕獲に力をいれ、飼い犬は鎖で繋がれた。
 男日照りはますます厳しく、東京湾上をB29が飛び、遠くの空が真っ赤に染まる夜が続
いた。そして、日本中に戦争未亡人があふれるようになった。

5 戦後
戦後は、自信を無くした大人たちや修身教育からの開放感に満ちていた。生活苦を跳ね
返すように、性は表舞台に踊り出てきた。男にだけ与えられてきた特権が、戦争未亡人や
若い娘たちにも広がり、隔離されていた売春は都会の真ん中にまで進出して、小説や映画
の格好な題材とされた。男女の開放的交際は田舎こそ激しく、青年会や村祭・野良ダンス
と、出会いの場所に不自由しなくなった。女も複数の男を体験し、明け透けな噂話で笑い
興じる。処女性も離婚暦も、女の価値を落とす条件にはならなくなった。若い男の数は適
齢期の女に対して圧倒的に少なく、女たちは誘われるままに体を開き、自らも堪能する。
テスの悲劇は、小説の中だけに封じ込まれたのである。
 春子の周りの性に関する哲学は、よりグローバルに展開していった。いまや少数派では
ない。いや、表面に出なかっただけで、古今東西のスタンダードだったのかも知れない。
かっての同盟国ドイツでは、戦後“夫を貸せ”運動まで起きたのだから・・・・・・。

戦闘帽や飛行服姿の男たちが町に目立つようになり、闇市・カストリ・ヒロポンなどの
文字が新聞紙上で踊っていた。インフレの加速は新円発行や預金封鎖まで引き起こし、焼
け残った着物が通貨の役割を果たした。都会から買出し列車に満載された中年過ぎの男女
が、リックサックを担いで押し寄せてきた。食料に換えられるものは何でも提供されたが、
復員した男たちは仕事も無く、生活力ある女の紐になった。都会ではジープに乗った進駐
軍の兵隊が一番金を持っており、他に娯楽もないから女に流れる。田舎まではジープが来
ないので、女を商品として都会に進出していった。ストリップ小屋はどこの町でも見られ、
白系ロシアらしい金髪の花電車まで毒々しく看板を飾った。伏姫と八房は、調子のいいア
ロハのあんちゃんに乗せられて伊豆の温泉町に連れていかれ、“獣姦ショウ”のスターに
なった。ショウの後、客の要望で体を売ったが、忠誠を尽くす犬士とは比較にならない。
両方とも稼ぎにはなるがエクスタシーを覚えるのは“獣姦ショウ”の時だけだった。

祖母に育てられた春子も、漁師町でそんな時期を過ごしている。19歳で終戦を迎え、復
活した魚市場で働いていた春子は、一日中男たちの視線に曝されていた。食糧難を知らず
に育った体は、漁師たちのターゲットとして十分な魅力をもっていた。少女期の健康的な
硬さがなくなり、くびれた胴とスッキリした脚線、もんぺからスカートに変わった服装、
もろもろの条件が、春子を脱皮した蝶のように変貌させた。魚市場を拠点に町のお偉方も
春子を意識した。田舎町の高級コールガール的存在であったが、相変わらず誰とでも寝た
ので、漁師たちの人気も高かった。

木更津の旅館での知り合いのが、叔母を訪ねてきた。死んだ番頭とも面識のあった土地
の地回りで、40歳を越して崩れた魅力を増した叔母に、エロ写真のモデルになってくれと
頼んだ。70歳に手の届く母と5歳の海坊主の息子、春子との4人暮らしで誰にも気兼ねの
ない気楽な身分、「面白そうだね」の一言で話は決まった。未だ白黒写真で、女が嫌がれ
ば簡単に首をすげ替えて他人の顔にしてしまう。首のあたりに修正した線が残るが、夜の
盛り場で売りさばくにはそんな程度で十分だった。仲居をしていた木更津の旅館が舞台で、
話を持ってきた地回りが相方を務め、素人の女を盗み撮りした顔に替えた。
春子を見た地回りがしつこく口説いたが、僅かばかりのモデル料では興味を示さず、
「いやだよ」と一言で断ってしまった。

昭和26年、乱れた性風俗を正すためか、文部省推薦と銘打って“処女膜の神秘”と言う
短編映画が上映された。春子も自分の処女膜喪失の自覚がまったくなかったので、地元の
映画館に観にいった。文部省推薦ということなので、男女高校生も大勢観にきていた。映
画は間違った男女関係を正す目的であったのか、少女から大人の女に成長していく体の変
化や、処女・和姦・強姦それぞれの処女膜のサンプルが映画館の画面いっぱいに投影され、
その破れ具合が女のアナウンスで解説された。若いのから相当使い込んだと思われるもの、
陰毛の薄いのや剛毛やら、指で開いて詳細に説明してくれる。あげく強姦された場合の注
意、淋病・梅毒で崩れかかったのまで、食傷するくらい紹介された。無かったのは直接の
性交と出産のシーンぐらいで、女学生は席を立つものが大勢いたが、男子高校生は固唾を
飲んで熱心に観ている。このフイルムが今残っているかどうか不明だが、性教育に提供さ
れた医学用サンプルだとしても、極端に強烈なポルノ効果があった。

隣に座った高校生が太股を押し付け、肘を張って春子の乳に触れようとしていた。それ
を許すように座る角度を変えてやると、急に荒い鼻息になって遠慮が無くなり、周りを見
回しながら太股に手をかけてきた。映画が替わると、春子の手を取って「出よう」とささ
やき、先に立って通路に出た。続いて立ち上がる春子を確認すると、ぎこちない歩き方で
映画館を出て行き、薄暗い横道を曲がったところで初めて振り返った。自分よりはるか年
上で、女の旬といった春子に一瞬たじろいだようであったが、「こっち」と喉に引っかか
る声をだして、暗い方へ導いて行く。「やりたいんだったらいい場所があるよ」と言って
やると、美人局かと訝って固まる高校生に、「大丈夫、安心してついておいで」と今度は
春子が先導し、漁港の防波堤の突端に誘った。

低い灯台の明かりが頭上で回っているが、そのために基部は遠眼には暗い。海の方に回
ってしまうと沖から帰る漁船が気になるが、漁師だけが知っているスポットで、しばしば
逢引に使わせてもらっている。高校生の服を脱がせて尻の下に敷き、春子がリードしてキ
スをしたが、歯ががちがちぶつかるほど興奮している。「はじめてなの」と問うと、「は
い」とすっかり従順な態度で答え、次の段取りも解っていない。そのままの姿勢で胸を触
らせ、手首を取ってズロースの中に導いてやり、「実際に見てごらん」と囁く。スカート
を捲らせてズロースを脱がせるのも、腰を揚げただけで高校生にやらせた。他所から見ず
らくとも当人同士には結構明るく、灯台の明かりがミラーボールさながらに回ると、陰毛
が逆巻く大陰唇、陰烈、肛門が鮮烈に浮かび上がる。立て膝に股をあけ、「指に唾を付け
てやさしく開いて」と指導すると、粘膜性の小陰唇に囲まれた膣前庭が現れ、陰核のむけ
具合、外尿道口、膣、会陰部と続く。この明るさでは淡いピンク色に見えて、小陰唇や外
陰部のメラニン色素沈着はさだかでないが、早速の生物実験で総合的な観察は一通り終わ
った。
 「処女膜の破れ具合はどう?」と聞くと、さらに押し開いて眼を近づけ、「膣口の周り
に薄い環状のレースみたいに残っています」と医学的な観察結果が報告され、「強姦の痕
は窺がえません」と解剖所見が述べられた。春子はこの所見に満足して、「そう、じゃあ
次は実技ね。あんたもパンツ脱いで」とレッスン2に進む。

高校生の陰部は青竹の匂いがした。幼女の頃、最初に裏山で嗅いだ匂いと同じだ。突然
15年も前の記憶がよみがえり、「なつかしい匂い」とたなごころに包み込み、柔らかくし
ごいて口付けした。包皮を剥くと恥粕がこびりついているのも懐かしく、大人になる前の
少年を犯す残虐性と背徳の行為が春子の頭を痺れさせた。幼女の自分を犯した男たちの興
奮が乗り移り、猟奇の世界に埋没していったが、高校生は瞬時に射精してしまい、栗の花
の匂いが鼻の先に飛び散ってきた。慌てて亀頭を口に含み、少年の腹筋の痙攣と陰茎の脈
動が治まるまで十分に気をやらせてやったが、勃起は継続したまま。「サックもってる?」
「無いです」「じゃあ、出そうになったら言ってよ。今日は排卵日なんだから」と跨った。
石畳が痛くて膝がつけないので、中腰のままちり紙で小便のあとを拭き取るような具合に
亀頭を擦りつけ、湿りを与えて膣口にあてがい、軽く抜き差しを始める。包茎が一度に剥
げる痛さを気遣って、無理な姿勢で柔らかく揉み込んでいく途中、突然脳裏に草いきれの
裏山が出現した。初潮を見た日から2年にもおよぶ長い時間をかけて広げられた膣の感覚
が、灯台の回転に合わせて駒送りに進んでいく。少年たちの顔も鮮明に浮き上がってくる。
膣の感覚に意識が集中し、襞を押し分ける陰茎の脈動が伝わってくる。堪え切れずに腰を
落としたとき、亀頭が腹の底を突き上げるのを感じ、思わず「届くうー・・・」とうめい
てオルガズムを迎えた。緩やかな破瓜の進行がこの一瞬に凝縮されて再現し、体中が陶酔
のおののきに犯された。

2度目の射精を同時に向かえた高校生も必死で春子の尻を掴み、その瞬間が永遠に続く
ことを願ったが、意識の回復は春子よりも早かった。膣の蠕動を味わいながら、見上げる
女の顔は神々しい乱れの中で眼を閉じている。弁才天に犯され、エクスタシーに溺れた顔
を盗み見た罰で、岩穴の奥に閉じ込められるのではないかと恐れた。ごろりと大の字に転
げ落ちた弁天は、罰の替わりに陰部を綺麗に拭うことを命じた。淫水と精液で下腹から臀
部、太股までべったりと濡れ、陰毛が渦を巻いて貼りついている。高校生の指は、陰毛が
乾いて潮風にそよぐまで撫で擦り、爪で梳った。膣前庭は舐め清め、尻から太股にかけて
は自分のパンツで拭い、なごり惜しそうに撫でまわす。少年の眼は春子の乳と下腹を往復
し、春子の眼は星空を見上げていた。二人とも、その時になってやっと潮騒が聞こえ、立
ち上がって身繕いし、防波堤を後にした。町に入ると、「また会えますか」と聞かれ、春
子も後ろ髪を引かれるように「日曜日の午後なら、裏山に居るよ」と場所を教え、「友達
を連れておいで」と加えた。彼の戦果はすぐ伝わり、仲間の羨望に抗し切れないこともよ
くわかっており、春子自身も幼女時代の淫夢の再来を願う思いがあった。帰り道、「排卵
日だというのに・・・」われを忘れたことを苦笑していつもの春子に戻った。

次の日曜日、春子はアメリカ放出物資の赤と黒を基調にしたチェックのスカートを穿い
て裏山に行った。スカートのポケットに、1ダース入りのコンドームが用意してあった。
洗い晒した着物を着た未熟な体が変態を遂げ、中古品とはいえチェック柄の洋服で思い出
の場所に行くのは、心地良い緊張と優越感がある。すでに5人の少年が固い表情で春子を
迎えたが、誰の発案か草の上に畳茣蓙が用意されていた。

当時不良青少年たちの間には、仲間のセックス相手を呼び出して輪姦してしまうことが
あったが、多くは合意のもとの遊びで、社会問題になることはあまりなかった。今回は春
子の方から仕掛けたことで、期待感はあっても不安はなかった。赤黒のチェック柄と娘の
素足を見て、半信半疑でいた少年たちに驚愕の表情が浮かぶのが見えた。履物を脱いで乱
暴に畳茣蓙に座ると、ひるがえるスカートの下に太股からズロースまで見えたが、さらに
目を伏せて押し黙ったままである。幼女の体を触る少年たちも寡黙であった。へんに言葉
を交わすよりも行動が垣根を取り外してくれる。いきなり「誰がシャツを脱がせてくれる
の」と言うと、「僕が」と先日の少年が手を上げ、春子の前から胸のボタンを外す。袖の
ボタンは春子が外し、少年が後ろに回って脱がせる。シュミーズの肩を外すと、律儀に元
の席に戻ってしまった。笑いながら「みんなおっぱいに触りたくないの」とはっぱっをか
けると、最初背中や肩のあたりから初めて徐々に乳房に近づき、恐る恐る乳首に触れてき
た。電流が脳から子宮まで流れて、仰向に寝ると5人の手が我先に触りだした。乱暴な手
ではなく優しい愛撫で、やがて脚から太股にあがり下腹部に及んだ。乱れた着衣のほうが
興奮をかきたてるのを知っているる春子は、上半身が裸にされてもスカートとズロースを
外さずに少年たちの蹂躙にまかせていた。きっかけさえ与えてやれば後は本能が導いてく
れる。お互いの牽制が欲望の爆発にブレーキをかけているが、先発で来た5人は度胸のあ
るほうだったのだろう。一人が乳首を口に含むと、下腹を探っていた手がズロースの上の
ゴムにかかった。腰を揚げてやると静かに引き下ろす。みんなの注意が下腹部に向いてし
まうのを、「あんたは後で」と乳首に吸い付いている子の首を抱え込んでしまった。やは
り先日の子がコーチされたように陰烈を開き、今度は白日の下で詳細に観察する。春子は
自分の感覚の高まりを追うことに専念し、途中コンドームの付け方を教えてやると後は何
もいう事は無かった。腹ばいになって尻を持ち上げてやれば、後背位に対応する。横にな
って脚を開けば、松葉崩しに挿入してくる。最初の射精はコンドームを着けているうちに
起こってしまったが、みんな数回の絶頂を迎えた。春子も、飽くなき全身の愛撫に立ち上
がれなくなるほどの疲労を覚えたが、最後まで受身に徹していた。幼児期の感覚は、受動
的な中に潜んでいた。

家に帰りつくと、叔母が「ひとに観られたり写真を撮られたりするのはよけい興奮する
だろー。風呂がわいてるよ」と奮戦振りを察して、「あいてが高校生でなければ私が行き
たい」と、さすがに歳を気にしているようであった。しかし春子を酔わせているのは“青
竹の匂い”であり、少年たちとの性が自分の原点になっていることを思い出した満足感で
あった。

日曜日ごとの狂乱が3ヶ月も続いた夏の終わりに、祖母が死んだ。四拾九日が過ぎると、
叔母は木更津の地回りと一緒になって家を出て行き、春子と息子が東京に引き取られた。
漁師町の家はだれも住まなくなり、萱の大株が女たちの淫交の場所を隠すように揺れて
いた。

6 春子と私
春子と母違いの弟が上野広小路に移ってから2年が経過した。奔放な生活を送ってきた
春子は郷愁に明け暮れていたが、判子屋の注文取りを手伝っているうちに言い寄る男たち
との関係が深まり、気がまぎれるようになった。逢引は鶯谷あたりの連込み旅館で、鏡張
りやら回転ベッドなど、最初のうちは物珍しさがあったが、すぐに飽きてしまった。男た
ちは会社や家庭に知れるのを恐れ、旅館の出入りにも人目を憚った。初老の男たちは、性
的な能力の不足を性具で補おうと懸命で、変態的にエスカレートしていく。春子によがり
声をあげさせるために逃げようとする腰や脚を押さえつけ、強烈なバイブレーターを挿入
する。膣の奥では先端がくねくね動き、膣壁は小刻みに震える。陰核を挟んで震動を加え
たり、包皮を剥ぎ、剥き出しの実に舐めついてくる。直接すぎる刺激は春子にとって苦痛
でさえあった。男の発想で作られた玩具を、女の感覚を知らない男が操作する。女が嬌声
をあげるのが手柄と、2時間の御休憩をフルに攻め立てられると、膣は棒を挟んだように
広がって歩くのもままならない。そういう男にかぎって、別れ際に「良かった?」と聞く。
「うん」と返事してやると、我が実力が若い女を支配したと思って我家に凱旋する。女房
には“大人のおもちゃ”が使えないから、半立ちの陰茎では満足を与えられない。春子も
誘いに応じなくなるが、お得意さん特権で3度に1度は言うことをきかせる。工場長や田
舎の親父どものほうがよっぽどましだと思った。

若い男は旅館代も無い。春子にたかるが、そういう男は春子に惚れている訳ではない。
上野公園は条例では夜間立ち入り禁止だが実際はお釜の職場だし、墨田公園には浮浪者が
溢れている。日比谷公園のベンチで若い男とペッティングしていると、回りの植え込みか
ら4~5人ほどにも覗かれる。うっかりしているとハンドバッグの置き引きにあう恐れも
ある。2年の間ですっかり東京の夜と男たちの生態に嫌気が差してしまった。

海坊主の女房は痩せて貧相な女で、もともと惚れて一緒になったわけではないし、欲望
を処理するには不満だらけである。といって女房の娘には、一日中家で仕事をしている亭
主がいる。春子を引き取った日から三階の春子の寝床で体を揉ませ、裸で絡みついた。女
房はそこまでの事実は知らないが、宵の口から3階に上ってくれれば楽ができると喜んだ。

春子も、最初に性の感覚を芽生えさせたのは海坊主の指だったし、帰省する度に添い寝
して、新しい興奮を植え付けた父親を受け入れるのに抵抗はなかった。取引先の男どもよ
りよっぽど女の扱いは上手く、なによりもそのまま就寝できるのが良かった。さすがに終
わった後は、海坊主は一階に降りて女房の隣で寝た。

春子の生活がマンネリになったころに、私が家庭教師として雇われた。春子は久しぶり
に青竹の匂いを思い出し、郷愁と共に初めて恋心を覚えた。

私が埼玉の高校にいるとき、友達に頼まれて逢引のキャンセルを伝えに行ったことがあ
る。丘の上で相手の女学生とお喋りする機会が持てたが、「あいつと同じことをしてもい
いか?」と聞くと、「同じ気持ちでなければ良いよ」と言ってくれた。抱き寄せてキッス
し、開放的なセーラー服の下からシュミーズの胸を触り、制服のギャザースカートも難な
く捲ることが出来た。少女の陰部を擦っていると膣に中指が入った。2本の指までなんな
く入ったので、股の間に膝をついて正常位で挿入を試みたがどうしても入らない。そのう
ちに、相手の陰毛に向けて射精してしまった。「入れるのを手伝ってくれ」とは言えず、
最初の性交渉は未遂に終わった。
 数日後の夕方待ち合わせて、丘の上に着いた時はもう暗くなっていた。今度はコンドー
ムを用意してきたので、装着してから挿入しようとしたが、前回よりも亀頭の感覚がにぶ
く、膣口を探しているうちに爆発してしまった。
 次は昼間逢う約束をしたが、その時は友達が代わりにきた。定時制学校に通っているの
で時間の制約があったが、「俺の話聞いてる?」と聞くと「少しね。経験無いの?」と逆
に質問されて、最初から自信をなくす会話になった。1時間ぐらい暇があるというので、
誘って駅の裏手に出た。5分も行くと田圃があり、稲刈りが始まっていた。強姦してでも
この女学生を抱きたいと思うほど欲情し、「どうしたら出来るのか教えてくれよ」と打診
すると、ニヤニヤ笑ったので可能性ありと思った。
畦道に座ってしまえば遠くで農作業をしている人には見えない。一刻も我慢できない状
態で腰をおろしてキッスをした。周りを気にして落ち着かない彼女の下半身を性急にあら
わにして、陰烈を人差し指と中指でさぐっていると、意外に近いところで作業をしていた
農家の小母さんに「そんなところでなにやってる」と発見されてしまった。慌てて逃げ出
し、後日の約束が出来ないままその子たちとの連絡は途絶えた。

初めての経験は浪人中の夏であった。工業高校卒業後就職した悪友に誘われて特飲街に
行き、「こいつ初めてだからよろしくね」と相方に紹介された。娼婦でも少年の初穂を刈
るのは興味があるらしく、丁寧に誘導してくれたが、終わってから未練がましく陰部を覗
き込んでいると「また大きくなっちゃうと大変」といって隠してしまった。“ちょいの間”
45分のあっけない童貞喪失で、それ以来女性の体に触れてはいなかった。

春子と秘密を共有するようになってから3日が過ぎた。晩酌で茹蛸のように赤い顔にな
った海坊主は、7時ごろ3階に上ってきた。春子の部屋に入ったが、春子は隣室に連れて
きて寝かせた。足元に回って襖をこの前よりも広くずらし、電球は点けたまま背中から揉
み始めたが、強度の近眼の海坊主は眼鏡をはずすと襖の絵柄もぼけるくらいで、ましてか
なり酔っている。私には、春子の意識的な挑戦が始まったと思えた。
 海坊主の手は春子の尻にまといついた。女体に触れる感触が本能的な陶酔を呼び、麻薬
のような習慣性をもたらす。そうなると周囲のことは念頭から離れ、本能の導きだけで行
動してしまう。マッサージは最初のきっかけで、執拗な愛撫に春子はシュミーズだけにな
って海坊主の顔を跨ぎ、勃起する亀頭を愛撫する。体の重い海坊主は騎乗位を好んだが、
口淫も寝たままで尻の丸さを撫で擦りながら行う。緩慢な愛撫で次第に高まり、尻を押し
のけて促すと、春子はコンドームを被せた。そのままずれて、襖の隙間に向いたままゆっ
くりと挿入し、のけぞりながら腰を回す。私に見ていろと強制する体位を取りながら、決
して隙間を見ようとはしない。頭上の灯の影で陰部の詳細はさだかではないが、ぬらぬら
と濡れたうごめきは、微かな振動とともに私の感覚を痺れさす。やがて動きが激しくなる
と、春子は前に突っ伏して終演を迎えた。
 起き上がって海坊主の身繕いを直し、脱ぎ捨てた着衣を集めてから襖を閉め、消灯して
自分の部屋に戻ったが、最後まで私とは眼を合わせなかった。

私が暗闇の中で今見た情景を反芻して悶々としていると、入浴後浴衣の寝巻きに着替え
た春子が入ってきた。廊下の襖を開けたままなので、豆電球の光が逆光の春子を浮かび上
がらせた。なんのためらいも無く私の横に寝て、胸に頬を当てた。おずおずと体を抱くと、
それが合図だったように伸び上がってキッスをして舌を入れてきた。洗い髪と肌の香り、
唇と舌のぬめり。パジャマの前がはだけられ、腰紐を解いた春子の全身が張り付いてくる。
 剥き出しの尻が顔に被さり、下半身が裸にされると舌のぬめりは亀頭を包み込んだ。春
子の陰毛が顎に当たり、陰核は唇に、鼻まで膣口に覆われて呼吸が出来ない。秘密を見て
しまった罰で窒息死が与えられる。死に至る恍惚こそ最も甘美なものかもしれない。両股
で顔を締め付けたまま、腰を前後に動かし始めて、やっと呼吸が出来るようになった。舌
先と鼻で奉仕する。廊下の豆電球は、尻を浮き上がらせ、目の前の肛門を照らす。首を伸
ばして肛門にしゃぶりついた。一瞬春子がピックとして肛門を強く閉じるのがわかったが、
陰茎を横に倒して腰を救い上げると、私の肛門に舌先を入れるようにした。唾液をつけて
指先を肛門に浅く入れ、亀頭を吸われているうちに耐えきれず、口中に射精してしまった。
そのまましばらく口淫を続けたが、春子が向きを変えて私を迎え入れた。「サックは?」
と小声で聞くと「いらない」と答えたが、当夜交わされた会話はこれのみであった。
 深く挿入したまま、静かに臼を引くような動きがじわじわと続いた。隣室の気配を窺が
いながらお互いの顔を見つめあい、姦通のような切羽詰った罪悪感さえも迫ってくる。そ
れは淫交の極地だった。春子のうめき声を掌で押し殺し、体位を変えて数度の絶頂を迎え
たが、抱き合ったまま眠りに落ちた。

海坊主の朝は早い。3時ごろ寝巻きの前を合わせてそっと春子は出て行った。泥のよう
な眠りから覚めて屋上に上ると、春子が洗濯物を干していたが、朝の挨拶はしなかった。
春子は初めて秘めた恋に目覚め、人の目を意識するようになり、私は泥沼の肉欲を知って
しまった。春子と私の下着がいつも並んで干されるのを見て、海坊主の女房や娘が「夫婦
みたい」と冷やかすと、「居候同士の指定席よ」と笑って答えていた。

学校がはじまって一ヶ月ほど経ったある日、海坊主が「学校を辞めて春子と一緒になら
ないか」と言い出した。秘密がばれたのかと思ったが、単に娘を結婚させたいだけで、
「ここで一緒に暮らせば商売も上手くいくし、あんたの生活も安定する。教育のある連中
は薄情だから、すぐに学校を辞めて婿になれ」ということであった。春子は「そんなこと
出来るわけがない」と否定したが、私はすぐに次の下宿探しを始めた。春子に未練は残る
が、この環境に埋もれるのは我慢出来ないと思った。すでに薄情な要素を持ってしまって
いたのかもしれない。そして一週間後に、逃げるように転居してしまった。

新しい住所に移って1年が経過したころ、まったく偶然に判子屋の若夫婦に出会った。
聞けばごく最近この近くに越して来たのだという。いろいろと話しがあるからと誘われて
お邪魔すると、海坊主の女房も一緒だった。海坊主とは離婚したそうで、広小路の店も他
手に渡った。発端はその年の2月、春子が芝埠頭を徘徊しているところを水上警察に保護
され、事情聴取に応じて父親との近親相姦を話した。海坊主が水上警察に呼ばれたりして
家族に知れるところとなり、一家は四散してしまった。春子は自殺未遂とされ、海坊主と
離されたが、今は一人で故郷の漁師町に戻っているとのことであった。

気になって、春子の住所を聞いて手紙で近況を尋ねると、会いたいといって木更津の叔
母がいた旅館を指定してきた。久しぶりの春子は、日に焼けて元気そうだった。可哀想と
思ったが、自殺未遂のことから聞くと「あれは狂言だった」と笑いながら話し始めた。

私が居なくなると虚無感に襲われ、なにをする気もなくなった。やはり恋だったと知り、
今までの明け透けな奔放さも影をひそめてしまった。お得意先の男どもとは、結婚するこ
とになったからと言って関係を絶ったが、海坊主の求めはかわしようが無かった。せめて
故郷の祖母の家に帰りたいと思い、海の見える所をさまよい歩くようになった。そんな姿
を不審に感じた港湾管理者から水上警察に連絡が入り、事情を聞かれた。そこで近親相姦
を告白し、厭世的になったと話せば環境を変えることが出来ると考え、思い切った行動に
出たのだという。「家族の皆には迷惑をかけたけれど、決っして自殺しようと思ったわけ
ではないから心配しないで」と結んだ。

その夜、春子は狂乱した。一睡もしないのに目の輝きは衰えなかった。明け方私がまど
ろんでいると、広縁の籐椅子に座って遠い海を見ていた。春子の告白が不安に感じられ、
その日も一緒に居ることにしたが、その時に自分の生い立ちや祖父母からはじまる思い出
を話してくれた。終日寝床の中で絡み合い、お互いの体温が無ければ凍死してしまうと思
うほどに暖めあったが、時間は無常に過ぎていく。

翌日、チェックアウトしてから春子と叔母の家を訪ねた。地回りの夫は、堅気になって
魚の仲買をしていた。叔母は、当分春子を木更津に置くと言ってくれ、私も夏休みに訪ね
ると約束して別れた。

その約束は私が結婚するまで続いた。その4年前に春子は商家の後妻に入ったが、叔母
の家に里帰りと称して逢引を続けた。女の子を2人産んだが、臨月に近い体で乱れるとき
は野生の獣と番っているようで、女の生命力に圧倒された。叔母には「この不埒者ども」
とからかわれたが、二人の子が私の血を引いていないことだけは救いであった。

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。