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小説(転載)  インセスタス Last Incest 明日 4/7

官能小説
05 /12 2019
          ※

 作為的ではなかった──といえば嘘になるだろう。
 菜織は知っていたのだった。今日、田山──正樹の部活の顧問──が施錠係であ
ったこと。そしてまだ、校舎裏の臨時通用門が未施錠であったこと。そして、おそ
らくはあの時間に、田山が施錠しに来るであろうことを。
 肩を強くかき抱きながら、菜織はずるずると力なく、校舎裏の冷たい土の上にへ
たりこんだ。息が荒い。駆けずり回った仔犬のように「はッ、はッ」と吐く息が、
目の前で白く霞んで冬の大気にふわりと溶けた。
 どうかしてた。
 どうかしてたんだ、あたしは──。
 こんな風に追いつめるつもりなんてなかった。ただ、正樹の気持ちを、あいつ自
身の口から聴きたかった、ただそれだけなのに。
 だのに、だのにこんなまるで、最悪の、形で──
「うっ、あッ……」
 身を切るような寒さと、内からわきあがるたまらない自己嫌悪に押し潰されそう
になりながら、菜織は爪を立てるようにして肩を掴む指に力を込めた。鈍い熱と痛
み。けれどそれも、全身を駆けめぐる震えにすぐにかき消される。
 ──なにをしてるんだろう。なにやってるんだろう、あたしは。どうして、こん
なことになってしまったんだろう──?
(正樹くんのこと、よろしくね)
 去年の秋──真奈美がミャンマーに帰る日の朝、正樹には聞こえないくらいの小
さな声で、真奈美が自分にそう囁いたのを思い出す。
 その「よろしくね」というひと言には、本当に、どれくらいの想いが込められて
いたのだろう。タラップを踏む真奈美の横顔は、ひどく寂しげで──でもそれでも、
最後まで笑っていた。
 どんな想いで、真奈美はあの時自分に、そう囁いたのだろう。どんな想いで、あ
の時真奈美はそれでも懸命に、微笑んでいたのだろう。
 それなのに。
 それなのに、あたしは──。
 熱い感覚が、頬を滑り落ちた。冷たい地面にへたりこみながら見上げる空は、そ
の乳白色をゆっくりと黒ずませていく。
「ごめん──ね」
 空を見上げたまま、力なく菜織は呟いた。その肩に、白く淡い結晶が静かに触れ
て散り、誰に向けるでもなく、ひたすら菜織は呟き続けた。


          6


 色褪せて、すでに正確に時を刻むことのできなくなった古い壁時計が、それでも
健気にかちかちと秒針を鳴らしていた。重い沈黙。窓の外に見える雪空はもう、乳
白色から暗灰色に染まりつつある。時刻はもう、5時を周りつつあるだろう。
 正樹は拳を固く握りしめて、重い息を吐いた。生徒指導室には正樹と、静かな怒
気をたたえた陸上部顧問の田山の二人しかいない。担任の吉井も姿を見せていたが、
(乃絵美を呼び出すためだろう)5分ほど前にいったん教室を出ていった。
 正樹は強く唇を噛んだ。どうして──こんなことになってしまったのだろう。予
想していなかったわけではない。しかし、しかし余りにも、早すぎる。
『裏切るんだ──!』
 菜織の、悲鳴混じりの声が、頭の中で鳴る。『裏切るんだ、あんたは! わたし
を、真奈美を、みんな、みんな、裏切るんだ──』。報い、なのだろうか? 菜織
の言うように、みんなの想いを、期待を、結果的にせよ踏みにじった──これは、
報いなのだろうか。
 苦い味が、口中に広がる。少し唇を切ってしまったようだったが、今はそんなこ
とはまるで気にならなかった。
 ふと、鈍い音を立てて教室の扉が横引きに開かれた。顔を出したのは、四十がら
みの背の低い教師──正樹の担任の吉井だった。吉井は乱れた頭髪を撫でつけなが
ら教室の中に入ると、正樹の方に視線をやり、後ろ手に扉を閉めた。その後ろに乃
絵美の姿がないことに、正樹は一瞬安堵の息を洩らした。──もちろん、それが時
間の問題であることは分かっていたが。
「氷川は?」
 田山の鈍い声に、
「帰るように言いました。ひどく体調が悪そうでしたし。養護の築山先生に行って
もらってます。──彼女には、また後日、話をすればいいでしょう」
 吉井はそう返すと、溜息に似た仕草をしながらテーブル越しに正樹の前の椅子に
腰を下ろした。
「まあ、まずは座ろうか?」
 吉井の声に促されて、正樹は手近にあった椅子を引いて、腰を下ろした。季節柄、
ひやりとした冷気が臀部に伝わる。
 まず、なにをどう話したものか──そんな戸惑いを表情にひらめかせながら、吉
井がこほんと喉を鳴らした。田山の方は2メートルほど離れた教室の壁に寄りかか
りながら、ぶすっとした顔で宙を睨みつけている。
 やがて、意を決したように吉井が口を開いた。
「そうだね、私もまだ、田山先生からさわり程度しか聴いていないから事情を全て
理解している訳ではないんだけれど──込み入った話をする前に、まずこれだけは
言っておきたい。私たちは何も事を荒立てたいわけではないし、もちろん事を大き
くしたいわけでもない。まず、そのことだけは理解してほしい。──どうかな?」
 ひとつひとつ、言葉を選ぶように、吉井はゆっくりと時間をかけてそう言った。
まるで幼い子供に噛みふくめるように──いや、吉井にしたところで実際、どう対
処したものか判断に困るところだろう。『あるところにとても仲の良い兄妹がいま
した。兄は妹のことが好きで、妹もそんな兄のことが大好きでした──』そう、単
純な、言葉にしてしまえばたったそれだけのことから始まった問題なのだ。……だ
から、そんな小学生じみた問題に直面すればどんな教師だって戸惑い、差し障りの
ない言葉をかけることしかできないだろう。
 無言のままうなずく正樹を、困惑の残った表情で見やりながら、吉井は言葉を続
けた。
「じゃあ、そうだな、まず何から訊いたものか……伊藤、田山先生が耳にしたって
いう、氷川の話は本当なのかな? 妹さん──1-Cの伊藤乃絵美さんだったかな
──のために、城南の推薦をあきらめるというのは?」
「…………」
「伊藤は言っていたな、『考える時間をください』と。ということは、君は城南と
妹さんの、二つのものの間で悩んでいたということなのかな。そして、田山先生の
伝聞が正しいのなら、伊藤は城南を捨てて、妹さんを選んだ。そういうことになる」
 答えない正樹をちらりと見やって、吉井は続けた。
「城南進学と妹さん──どうして、この二つが、天秤にかけられる、対比する要素
となるんだろう。妹さんがあまり、体が丈夫じゃないということは聞いているよ。
けれどたしか、伊藤の家は自営業だったろう。だから、そのことはあまり、考慮の
内に入らない気がする。だから、単純に思うんだ。この桜美から、城南までは遠い。
寮に入らなければならないだろうし、妹さんの傍にいてやれることもできなくなる
だろう──伊藤は、それが嫌なのか? 単純に、妹さんと離れることが──」
 正樹は小さく唇を噛んだ。まったく、言葉にしてしまえば、本当に単純なことだ
と思う。軽く諭されて終わってしまうくらいの。そう、これが兄と妹という間のこ
とでなければ。あるいは、兄と妹の範囲にとどまる問題であったら。『あるところ
にとても仲の良い兄妹がいました。兄は妹のことが好きで、妹もそんな兄のことが
大好きでした──兄妹愛というよりも、肉欲さえ抱きあう、ひとりの少年と少女と
して。そして、兄はそんな妹を想うあまり、兄は自分の進むべき道が見えなくなっ
てしまっていたのです──』
「……俺は、」
 何かを答えようとして、正樹は言葉を切った。視線の先に、吉井の温和そうな顔
と、不機嫌そうな田山の顔が映る。何と、答えようとしているのだろう、自分は。
これから発する言葉は、どんな言葉であれ、もう戯言ではすまなくなる。本心から
であろうとも、偽りのものであろうとも、この場で発する言葉は、もはや。
 自分は、何を言おうとしているのだろう。何と言うべきなのだろう。
 ごくり、と無意識に喉が鳴る。
 瞬間、様々なものが脳裏に浮かんで──そして消えた。ひとつひとつ模様の違う、
まるで規則性のないカレイドスコープのように。『裏切るんだ!』と叫んだ菜織。
冷然としながら、眼鏡の奥に強く情熱を潜ませた、井澄の瞳。ミャーコちゃんの無
邪気な笑顔。冴子の心配そうな顔。フィールドに毅然と立っていた、片桐さんの姿。
そして──
(──そんなお兄ちゃんだから、好きだよ)
 そう、微笑んでくれた、少女。
 ああ、そうだ。結局は、本当に何よりも単純な、取捨選択なのだ。自分にとって
何が本当に大事で、大切なものなのか。何もかもが手に入らない以上、本当に傍に
あって欲しいもの、手ばなしたくないものは──なんなのか。
 答えるべきひと言は、本当に、なによりも簡単で。
 ふと、廊下の方から、コツ、コツと小さな靴音がする。その音の主を思い、正樹
は小さく笑った。そうだ。どうせ、世の中には万人が認めるたったひとつの正解な
んてのはなくて──そんなものがない以上、自分にとっての答えが、正解だと信じ
るしかないのだ。例えそれが他人から見てどれだけ滑稽で、奇妙なことであっても。
 正樹は、ゆっくりと顔を上げた。
 膝の上の拳に、力がこもる。
 そして、ゆっくりと──その言葉がすべり出た。
「俺は──乃絵美が、好きなんです。
 ──だから、あいつをひとりにしておきたくないんです」


          ※


 ノックしようとしていた手が、小さく震えた。
 扉の向こうの声が、優しく耳を打つ。聞き慣れた──何千回も、何万回も耳にし
てきたけれど、でも多分、一生色褪せることはないだろう──あの声が、求めてい
た言葉を紡ぎだしてくれたのを、乃絵美は確かに聞いた。
 温かな感情が、ゆっくりとせり上がってくる。けれど、その春の木洩れ日のよう
な感覚は、
「──馬鹿げたことを言うな!」
 野太い怒号に遮られた。
 聞き覚えのある声。たしか、田山という体育教師だった。正樹からよく聞いてい
る。融通がきかなくて、曲がったことが嫌いで、今時珍しい熱血漢。たしか、陸上
部の顧問だった。
「馬鹿げては、いません」
 正樹の声が返った。田山の怒号にも、声にひるんだ様子はない。
「どこが馬鹿げてないと言うんだ。妹が好き? ひとりにしておけない? そんな、
そんなくだらん理由で、お前は進路を諦めるというのか? 子供じゃあるまいし、
とち狂うのもいい加減にしろ!」
「まぁ、田山先生──」
 別の声が怒号と押しとどめようとしたが、それを振り払うように野太い声は続い
た。
「それとも何か、お前は氷川が言っとったように、実の妹に恋しとるとでも言うの
か。だからなにもかも捨てるとでも言うのか? どうなんだ?」
「──はい」
 一瞬の沈黙、続けて、がたんと机が倒される音が廊下にまで響いた。
「…………!!」
「──田山先生!」
 慌てて、乃絵美は扉を開いて、教室の中に飛び込んだ。無秩序に倒された机。正
樹は、半ば禿げあがった男性教諭の太い手に首根を掴まれながら、それでも毅然と
その目を見つめ返していた。
「馬鹿か? お前は──馬鹿か?! 一体全体、どういう思考回路をしていたらそ
ういう答えになるんだ!? どれだけ多くの人間がお前に期待してると思っとる─
─それを、お前はそんな気色の悪い、下らん理由で──」
「やめてください!」
 震える声で、乃絵美は叫んだ。ふと、正樹の首根をしめる田山の指が弱まる。そ
してその声に弾かれたようにして、三つの顔が乃絵美の方を振り向いた。
「……乃絵美」
 呟くように、正樹。田山の手が放されて、その躰が力なく椅子にもたれかかる。
乃絵美は正樹の傍に駆け寄って、寄りそうようにしながら、こちらを見やる二つの
視線に顔を向けた。視線のひとつは困惑。もうひとつは──嫌悪感。
「……遅れてすみません、その、伊藤、乃絵美です」
 正樹の肩に手をやりながら、乃絵美は視線を受け止めながら言った。指先が震え
ているのが分かる。けれど、肌越しに感じる正樹の暖かさが──ゆっくりとその震
えを溶かしてゆくような気がした。
 かち、かち、と古ぼけた秒針が、不規則な音を立てる。
 カーテン越しの窓の向こうに、ひらりと雪が舞っていた。
 

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。