小説(転載) 満たされる毎日 1/7
官能小説
現実にはなかなか起こらないことを小説にまとめられる作者の能力がほんとにうらやましい。
私は現在39歳で真奈美と申します。
主人を5年前に交通事故で亡くしてから、一人息子と二人暮らしです。
お恥ずかしい話なのですが、私が37歳、息子が15歳のときに関係してしま
いました。
以来ずっと身体の関係は続き2年以上になります。
息子と関係を持ってから、私は今までに経験したことがないほどセックスに溺
れ、史博も驚くほど毎日何度も求めてきて、私が心配になるほどでした。
関係を持って半年。
私が初めてだった息子は、最初は私が教えないとだめだったのですが、半年の
間、私が生理のとき以外毎日のようにセックスしていましたので、主導権は息
子に移っていました。
私も1回のセックスで必ず逝かされるようになってしまっていました。
(こんなに幸せでいいのかしら)
そんなことを思うほどでした。
そんな幸せな思いの中、私には1つだけ不安なことがありました。
それは息子のことで、男の子にしてはおしゃべりの好きな息子が私達の関係を
誰かに話はしないだろうかと言うことでした。
的中して欲しくない予感ほど当たってしまうもので・・。
高校から親しくしていた友達に話してしまったと言うのです。
それで、その友達とも関係させられることになってしまったのです。
そこから私の身体と生活は大きく変わっていくことになるのです。
彼は息子と同じ15歳でしたが、息子と違いかなり女性との経験があったので
す。
13歳ときから近くの主婦と初体験を済ませ、その主婦の友達とも次々と関係
を持つようになって、すでに10人以上の経験があったそうです。
それも、全てが人妻と言うこともあって、15歳では考えられないほど卑猥な
言葉や恥ずかしい責め方を熟知していたのです。
私は主人とのセックスでも、オナニーでも1回しか逝った経験がなかったので
すが、彼にかかればあっさりと4~5回も逝かされました。
3人での関係は続き、1ヶ月もすると彼がバイブやローターを調達してきて、
それまで以上に何度も逝かされるようになり、緊縛、浣腸、アナルセックスと、
どんどん彼の要求はエスカレートしていきました。
3ヶ月もすると、私は1回のセックスで50回くらい逝かされる身体になって
いました。
そんなとき、ある道具によって私の身体は劇的に覚醒させられることになった
のです。
それはハンディータイプの按摩器で、家庭用のコンセントから電源を取るもの
でした。
それほど音も大きくなかったので、怖くはなかったのですが・・。
クリトリスを剥き出しにして押し当てられ、スイッチが入ったとたん・・本当
に衝撃でした。
振動が始まると、一瞬で身体中を激しい快感が駆け巡って、いきなり「逝く」
がやってくるのです。
ほんの数秒で逝かされましたが、按摩器は押し付けられたまま・・。
今逝かされたばかりなのに、すぐまた「逝く」が襲ってきます。
我慢なんて出来ませんでした・・。
ほんの2~3分で10回以上も逝かされ続け、ついには失禁してしまいました。
スイッチには“強”、“弱”があったのですが、そのときはまだ“弱”だった
のです。
その日から私の身体は按摩器に無理矢理何十回も逝かされるようになり、少し
休ませてくれるとまた当てられて何十回も・・。
私が逝かされる回数は3桁が当たり前になっていきました。
いつのころからかピルの服用もするようになり、オマンコにも毎回中出しされ
るようになり、お尻の中にも出されるようになりました。
按摩器を使うようになったのがきっかけかどうかわかりませんが、その頃から
お尻の穴でも信じられないほど逝くようになりました。
3人での関係が1年を過ぎようとしたころ、別の男性との関係を強要されまし
た。
その方は息子の高校の担任で、32歳の既婚者です。
同じくして、友達が連れてきた29歳の人妻が私と一緒に責められることもあ
りました。
更に数ヵ月後 先生の同僚も加わることになり、今では4人の男性と関係を持
っています。
息子と関係してしまったのは、何か自然な感じでした。
高校受験が終ってすぐのことです。
洗濯機に入っていた私の汚れたパンティーを息子が悪戯しているところを見て
しまったことからはじまりました。
気をつけて見るようになると、数枚パンティーがなくなっていることや息子の
部屋のクズ籠に、ティッシュが異常に多くなっていることなどが見えてきまし
た。
ベッドの間にはH本、机の引き出しにはHビデオとなくなった私のパンティー。
(史博も もうそう言う年齢なのかしら・・ちょっと複雑・・でも下着のこと
は言わないとダメよね・・でも 私の下着でしてるのかしら・・)
その次 パンティーがなくなったとき、私は息子を問いただしました。
問いただした・・と言うより、そういったことをしないといけない息子に同情
したって感じでした。
そのときの話の内容は覚えていないのですが、何故か私のほうから、
「したくなったら・・母さんがしてあげるから もうパンティー取ったりしな
いで・・」
そんな感じのことを言ってしまったのです。
息子は少し恥ずかしがりましたが、すぐに喜んでくれるようになって、私もそ
れが妙に嬉しく思えるようになってきました。
最後までいくのにそれほど時間もかかりませんでした。
「オッパイ見せてよ」、「アソコ見せてよ」、「オッパイ触らせてよ」・・。
段階的にエスカレートしていき、私も体裁で困った風に見せましたが拒みませ
んでした。
オッパイを初めて触られたとき、乳首を長く触られ思わず喘ぎ声を上げてしま
いました。
もう息子も私も歯止めが効きません・・。
そのまま一気に最後までいってしまいました。
息子は最初 クリトリスのことさえ知りませんでした。
乳首もとにかく強く吸うばかりで私は我慢するしかありませんでしたが、
「母さん これでいい? こうしてると母さんも気持ちいいの? どうしたら
いいか教えてね 母さんのこともっと気持ちよくしてあげたいから・・」
私は学生時代に初めて男の子から告白されたときのように、胸の奥がジーンと
したのを覚えています。
その日から私は恥ずかしかったですが、息子にあれこれ教えるようになりまし
た。
息子は昼夜関係なく私の身体を求めてきました。
初めの数回は中で出されてしまいましたが、
・絶対に中で出さないこと
・二人の関係を絶対に秘密にすること
この2つだけは守るように約束させました。
約半年間、私が生理のとき以外、息子は毎日私の身体を求めてきて、1日に3
~5回射精していました。
生理のときでもお口でしてあげました。
その頃には私自身も息子とのセックスに溺れてしまっていました。
2ヶ月頃から時々息子に逝かされるようになり、半年もすると必ず逝かされる
ようになっていたからです。
そして息子から、
「母さん 実は仁史に母さんとのこと話しちゃって・・そしたら仁史も母さん
にさせて欲しいって言ってるんだよ・・じゃないと先生にばらすって・・」
男の子にしてはおしゃべり好きな息子に、唯一心配していたことでした。
仁史くんは息子が高校から親しくなり、家にもよく遊びにきていました。
何度も息子に説得され、私も学校に知られることが一番困りましたから、拒む
ことが出来なくなってしまいました。
結果的には私が承知した次の日に仁史くんが来ることになりました。
仁史くんは子供っぽい息子とは違って、私を驚かせるようなセックスをしてき
ました。
私が逝くまで指と舌でアソコとクリトリスを延々と責めたり、お尻の穴まで舌
を入れてきたり、私が赤面してしまうようなことを聞いてきたりしました。
何より驚いたのは、挿入後30分以上も終らない事でした。
それまで私は、主人とのセックスでもオナニーでも1回しか逝ったことがなく、
1回逝くと終わるのが当たり前になっていたのですが、仁史くんの責めは私が
逝っても延々と続きました。
はっきりとは覚えていませんが、私はその日仁史くんに4~5回逝かされてし
まいました。
息子もそんな仁史くんに対して教えてもらいたいようなことを言い出し、その
後頻繁に3人でのセックスが始まりました。
1ヶ月もすると 息子に2~3回、仁史くんには10回以上逝かされるように
なっていました。
その頃聞いたのですが、仁史くんは中学1年のとき、近所の人妻と初体験をし
たそうです。
その後、人妻の友人、そのまた友人・・といった感じで、これまでに人妻ばか
り10人以上と関係してきたらしいのです。
仁史くんは普通の成人男性なんかより、遥かに女を悦ばせる壺を心得ていたの
です。
3人での関係の主導権はすぐに仁史くんに替わりました。
仁史くんは私に恥ずかしい言葉を言わせることが好きみたいで、私が逝きそう
になると焦らしてきて、色々な言葉を要求してくるようになりました。
そう言った女の弱味を熟知していたのでしょうね・・。
私も恥ずかしさのあまり我慢していたのですが、最後には言わされてしまうと
言うことが続きました。
自分でも信じられないことに、恥ずかしい言葉を口にしたり、辱しめられると
今までに経験したことがないくらい感じてしまうのです。
また逝くときは必ず逝くことを告げるように言われました。
初めて大きな声で「い、逝く~」と言ったとき、身体中に鳥肌が立つのがわか
りました。
私が仁史くんのセックスに溺れるのに時間はかかりませんでした・・。
そして仁史くんがバイブとローターを持って来た日、透明のバイブとピンクの
ローター・・。
私は知ってはいましたが実際に使ったことはありませんでした。
息子はもちろん実物を見るのが初めてで、それで私をどうこうすると言うより、
その物自体に興味津々のようでした。
いつものように全裸にされると、何の刺激も与えられていない状態のままロー
ターがクリトリスに押し付けられました。
少し怖かったのですが、そんな気持ちはすぐに吹き飛びます。
スイッチが入った途端・・もう衝撃でした。
自分の中の常識が全て壊れてしまったような衝撃でした。
クリトリスから身体中に激しい快感が駆け巡って、触られてもいない両乳首か
ら電気が流れたような感じで、それがいつまでも続くのです。
すぐに大きな波が襲ってきて逝ってしまいました。
それなのにローターは押し付けられたまま・・。
私は無意識でローターから逃れようとしましたが、すぐに二人に押さえ付けら
れました。
本当に衝撃でした・・無理矢理逝かされると言う表現が合っていたかもしれま
せん。
激しい快感から心地良い快感に、また激しい快感といった具合にローターの振
動が私を責めてきました。
最初の1分で2回、その後は1~2分に1回は逝かされていたそうです。
そんな私に息子も仁史くんも面白がって、2~3回逝かせると少しだけ休ませ
てくれて、またローターで2~3回逝かせることを何度も繰り返されました。
私はもう何が何だか頭では何も考えられなくなっていました。
「すごかったよ 母さん連続で何回も逝って すごかった」
「おばさん 20回は逝ってたよ でも次からはちゃんと逝くって言ってよね」
3人で昼食のあと、私の身体はまだ変でしたが、息子達にはそんなことお構い
なし・・。
次はバイブが使われました。
ローターで何度か逝かされると、すぐにアソコは溢れてきたようでバイブが突
き刺されました。
入る瞬間少し痛かったのですが、かなり濡れていたので途中からはスルッと奥
まで入ったようです。
(また あんなにすごいのかしら・・)
と思っていたのですが、バイブのスイッチが入れられ、アソコの中で動き出し
ても予想していたような激しい快感はありませんでした。
それよりも断続的に心地良い快感が伝わってきて、自然と喘ぎ声が出ていまし
た。
それでも2~3分もすると波が襲ってきて、バイブにも逝かされてしまいます。
2回目の時でした。
「ああ ま、また また逝きそう・・ああ~ん ああ 逝っちゃう・・あああ
あ~~」
私が逝きそうになったそのとき、いきなり仁史くんがバイブを激しく出し入れ
してきたのです・・。
「あああああ~ い、逝く~~ ひぃ~~ 逝く~ 逝く~ 逝っちゃう~~」
クリトリスで逝かされた何倍も大きな絶頂でした・・。
「ああああ~ あひぃ~~ い、いま いま逝ったわ 逝ったから ああああ
ああ~~」
私が逝っても仁史くんはバイブの激しい出し入れをやめてくれません・・。
「ああああ~ ダメ また・・また ひぃ~~ 逝く~ 逝く~~~」
逝った余韻も味わえないまま連続で逝かされていまいました・・。
その後は言うまでもなく、バイブを突き刺したままローターでクリトリスを同
時に責められるようになり、挿入されているときでも時々ローターで責めてき
ました。
私の身体は何十回も逝くようになってしまい、またそれが二人の若い男の子を
喜ばせたようでした。
私は現在39歳で真奈美と申します。
主人を5年前に交通事故で亡くしてから、一人息子と二人暮らしです。
お恥ずかしい話なのですが、私が37歳、息子が15歳のときに関係してしま
いました。
以来ずっと身体の関係は続き2年以上になります。
息子と関係を持ってから、私は今までに経験したことがないほどセックスに溺
れ、史博も驚くほど毎日何度も求めてきて、私が心配になるほどでした。
関係を持って半年。
私が初めてだった息子は、最初は私が教えないとだめだったのですが、半年の
間、私が生理のとき以外毎日のようにセックスしていましたので、主導権は息
子に移っていました。
私も1回のセックスで必ず逝かされるようになってしまっていました。
(こんなに幸せでいいのかしら)
そんなことを思うほどでした。
そんな幸せな思いの中、私には1つだけ不安なことがありました。
それは息子のことで、男の子にしてはおしゃべりの好きな息子が私達の関係を
誰かに話はしないだろうかと言うことでした。
的中して欲しくない予感ほど当たってしまうもので・・。
高校から親しくしていた友達に話してしまったと言うのです。
それで、その友達とも関係させられることになってしまったのです。
そこから私の身体と生活は大きく変わっていくことになるのです。
彼は息子と同じ15歳でしたが、息子と違いかなり女性との経験があったので
す。
13歳ときから近くの主婦と初体験を済ませ、その主婦の友達とも次々と関係
を持つようになって、すでに10人以上の経験があったそうです。
それも、全てが人妻と言うこともあって、15歳では考えられないほど卑猥な
言葉や恥ずかしい責め方を熟知していたのです。
私は主人とのセックスでも、オナニーでも1回しか逝った経験がなかったので
すが、彼にかかればあっさりと4~5回も逝かされました。
3人での関係は続き、1ヶ月もすると彼がバイブやローターを調達してきて、
それまで以上に何度も逝かされるようになり、緊縛、浣腸、アナルセックスと、
どんどん彼の要求はエスカレートしていきました。
3ヶ月もすると、私は1回のセックスで50回くらい逝かされる身体になって
いました。
そんなとき、ある道具によって私の身体は劇的に覚醒させられることになった
のです。
それはハンディータイプの按摩器で、家庭用のコンセントから電源を取るもの
でした。
それほど音も大きくなかったので、怖くはなかったのですが・・。
クリトリスを剥き出しにして押し当てられ、スイッチが入ったとたん・・本当
に衝撃でした。
振動が始まると、一瞬で身体中を激しい快感が駆け巡って、いきなり「逝く」
がやってくるのです。
ほんの数秒で逝かされましたが、按摩器は押し付けられたまま・・。
今逝かされたばかりなのに、すぐまた「逝く」が襲ってきます。
我慢なんて出来ませんでした・・。
ほんの2~3分で10回以上も逝かされ続け、ついには失禁してしまいました。
スイッチには“強”、“弱”があったのですが、そのときはまだ“弱”だった
のです。
その日から私の身体は按摩器に無理矢理何十回も逝かされるようになり、少し
休ませてくれるとまた当てられて何十回も・・。
私が逝かされる回数は3桁が当たり前になっていきました。
いつのころからかピルの服用もするようになり、オマンコにも毎回中出しされ
るようになり、お尻の中にも出されるようになりました。
按摩器を使うようになったのがきっかけかどうかわかりませんが、その頃から
お尻の穴でも信じられないほど逝くようになりました。
3人での関係が1年を過ぎようとしたころ、別の男性との関係を強要されまし
た。
その方は息子の高校の担任で、32歳の既婚者です。
同じくして、友達が連れてきた29歳の人妻が私と一緒に責められることもあ
りました。
更に数ヵ月後 先生の同僚も加わることになり、今では4人の男性と関係を持
っています。
息子と関係してしまったのは、何か自然な感じでした。
高校受験が終ってすぐのことです。
洗濯機に入っていた私の汚れたパンティーを息子が悪戯しているところを見て
しまったことからはじまりました。
気をつけて見るようになると、数枚パンティーがなくなっていることや息子の
部屋のクズ籠に、ティッシュが異常に多くなっていることなどが見えてきまし
た。
ベッドの間にはH本、机の引き出しにはHビデオとなくなった私のパンティー。
(史博も もうそう言う年齢なのかしら・・ちょっと複雑・・でも下着のこと
は言わないとダメよね・・でも 私の下着でしてるのかしら・・)
その次 パンティーがなくなったとき、私は息子を問いただしました。
問いただした・・と言うより、そういったことをしないといけない息子に同情
したって感じでした。
そのときの話の内容は覚えていないのですが、何故か私のほうから、
「したくなったら・・母さんがしてあげるから もうパンティー取ったりしな
いで・・」
そんな感じのことを言ってしまったのです。
息子は少し恥ずかしがりましたが、すぐに喜んでくれるようになって、私もそ
れが妙に嬉しく思えるようになってきました。
最後までいくのにそれほど時間もかかりませんでした。
「オッパイ見せてよ」、「アソコ見せてよ」、「オッパイ触らせてよ」・・。
段階的にエスカレートしていき、私も体裁で困った風に見せましたが拒みませ
んでした。
オッパイを初めて触られたとき、乳首を長く触られ思わず喘ぎ声を上げてしま
いました。
もう息子も私も歯止めが効きません・・。
そのまま一気に最後までいってしまいました。
息子は最初 クリトリスのことさえ知りませんでした。
乳首もとにかく強く吸うばかりで私は我慢するしかありませんでしたが、
「母さん これでいい? こうしてると母さんも気持ちいいの? どうしたら
いいか教えてね 母さんのこともっと気持ちよくしてあげたいから・・」
私は学生時代に初めて男の子から告白されたときのように、胸の奥がジーンと
したのを覚えています。
その日から私は恥ずかしかったですが、息子にあれこれ教えるようになりまし
た。
息子は昼夜関係なく私の身体を求めてきました。
初めの数回は中で出されてしまいましたが、
・絶対に中で出さないこと
・二人の関係を絶対に秘密にすること
この2つだけは守るように約束させました。
約半年間、私が生理のとき以外、息子は毎日私の身体を求めてきて、1日に3
~5回射精していました。
生理のときでもお口でしてあげました。
その頃には私自身も息子とのセックスに溺れてしまっていました。
2ヶ月頃から時々息子に逝かされるようになり、半年もすると必ず逝かされる
ようになっていたからです。
そして息子から、
「母さん 実は仁史に母さんとのこと話しちゃって・・そしたら仁史も母さん
にさせて欲しいって言ってるんだよ・・じゃないと先生にばらすって・・」
男の子にしてはおしゃべり好きな息子に、唯一心配していたことでした。
仁史くんは息子が高校から親しくなり、家にもよく遊びにきていました。
何度も息子に説得され、私も学校に知られることが一番困りましたから、拒む
ことが出来なくなってしまいました。
結果的には私が承知した次の日に仁史くんが来ることになりました。
仁史くんは子供っぽい息子とは違って、私を驚かせるようなセックスをしてき
ました。
私が逝くまで指と舌でアソコとクリトリスを延々と責めたり、お尻の穴まで舌
を入れてきたり、私が赤面してしまうようなことを聞いてきたりしました。
何より驚いたのは、挿入後30分以上も終らない事でした。
それまで私は、主人とのセックスでもオナニーでも1回しか逝ったことがなく、
1回逝くと終わるのが当たり前になっていたのですが、仁史くんの責めは私が
逝っても延々と続きました。
はっきりとは覚えていませんが、私はその日仁史くんに4~5回逝かされてし
まいました。
息子もそんな仁史くんに対して教えてもらいたいようなことを言い出し、その
後頻繁に3人でのセックスが始まりました。
1ヶ月もすると 息子に2~3回、仁史くんには10回以上逝かされるように
なっていました。
その頃聞いたのですが、仁史くんは中学1年のとき、近所の人妻と初体験をし
たそうです。
その後、人妻の友人、そのまた友人・・といった感じで、これまでに人妻ばか
り10人以上と関係してきたらしいのです。
仁史くんは普通の成人男性なんかより、遥かに女を悦ばせる壺を心得ていたの
です。
3人での関係の主導権はすぐに仁史くんに替わりました。
仁史くんは私に恥ずかしい言葉を言わせることが好きみたいで、私が逝きそう
になると焦らしてきて、色々な言葉を要求してくるようになりました。
そう言った女の弱味を熟知していたのでしょうね・・。
私も恥ずかしさのあまり我慢していたのですが、最後には言わされてしまうと
言うことが続きました。
自分でも信じられないことに、恥ずかしい言葉を口にしたり、辱しめられると
今までに経験したことがないくらい感じてしまうのです。
また逝くときは必ず逝くことを告げるように言われました。
初めて大きな声で「い、逝く~」と言ったとき、身体中に鳥肌が立つのがわか
りました。
私が仁史くんのセックスに溺れるのに時間はかかりませんでした・・。
そして仁史くんがバイブとローターを持って来た日、透明のバイブとピンクの
ローター・・。
私は知ってはいましたが実際に使ったことはありませんでした。
息子はもちろん実物を見るのが初めてで、それで私をどうこうすると言うより、
その物自体に興味津々のようでした。
いつものように全裸にされると、何の刺激も与えられていない状態のままロー
ターがクリトリスに押し付けられました。
少し怖かったのですが、そんな気持ちはすぐに吹き飛びます。
スイッチが入った途端・・もう衝撃でした。
自分の中の常識が全て壊れてしまったような衝撃でした。
クリトリスから身体中に激しい快感が駆け巡って、触られてもいない両乳首か
ら電気が流れたような感じで、それがいつまでも続くのです。
すぐに大きな波が襲ってきて逝ってしまいました。
それなのにローターは押し付けられたまま・・。
私は無意識でローターから逃れようとしましたが、すぐに二人に押さえ付けら
れました。
本当に衝撃でした・・無理矢理逝かされると言う表現が合っていたかもしれま
せん。
激しい快感から心地良い快感に、また激しい快感といった具合にローターの振
動が私を責めてきました。
最初の1分で2回、その後は1~2分に1回は逝かされていたそうです。
そんな私に息子も仁史くんも面白がって、2~3回逝かせると少しだけ休ませ
てくれて、またローターで2~3回逝かせることを何度も繰り返されました。
私はもう何が何だか頭では何も考えられなくなっていました。
「すごかったよ 母さん連続で何回も逝って すごかった」
「おばさん 20回は逝ってたよ でも次からはちゃんと逝くって言ってよね」
3人で昼食のあと、私の身体はまだ変でしたが、息子達にはそんなことお構い
なし・・。
次はバイブが使われました。
ローターで何度か逝かされると、すぐにアソコは溢れてきたようでバイブが突
き刺されました。
入る瞬間少し痛かったのですが、かなり濡れていたので途中からはスルッと奥
まで入ったようです。
(また あんなにすごいのかしら・・)
と思っていたのですが、バイブのスイッチが入れられ、アソコの中で動き出し
ても予想していたような激しい快感はありませんでした。
それよりも断続的に心地良い快感が伝わってきて、自然と喘ぎ声が出ていまし
た。
それでも2~3分もすると波が襲ってきて、バイブにも逝かされてしまいます。
2回目の時でした。
「ああ ま、また また逝きそう・・ああ~ん ああ 逝っちゃう・・あああ
あ~~」
私が逝きそうになったそのとき、いきなり仁史くんがバイブを激しく出し入れ
してきたのです・・。
「あああああ~ い、逝く~~ ひぃ~~ 逝く~ 逝く~ 逝っちゃう~~」
クリトリスで逝かされた何倍も大きな絶頂でした・・。
「ああああ~ あひぃ~~ い、いま いま逝ったわ 逝ったから ああああ
ああ~~」
私が逝っても仁史くんはバイブの激しい出し入れをやめてくれません・・。
「ああああ~ ダメ また・・また ひぃ~~ 逝く~ 逝く~~~」
逝った余韻も味わえないまま連続で逝かされていまいました・・。
その後は言うまでもなく、バイブを突き刺したままローターでクリトリスを同
時に責められるようになり、挿入されているときでも時々ローターで責めてき
ました。
私の身体は何十回も逝くようになってしまい、またそれが二人の若い男の子を
喜ばせたようでした。
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