小説(転載) 天狗村奇談 サーカスの夜 その7
近親相姦小説
掲載サイト「母と少年 禁断の部屋」は消滅。最終話。
お腹の中のものをすべて出し尽くしたぼくはズルリッ、と肉棒を引き抜いた。
体力を使い果たしたぼくは腰が抜けたみたいに尻餅を突き、そのまま起きあがれなかった。母も床の上に倒れ込み、荒い息を吐きながらぐったりとしている。
すると、一つのショーが終わったかのように、賀来や団員達の間から拍手が沸き起こった。見回すと、ロドリゲスだけは別だったが、皆、好意的な顔で手を叩いている。これでぼくもサーカスの仲間になった、とでもいうことなのだろうか・・・。
引き抜いてしばらくの間も、肉棒は突き立ったままだった。しかし、少しすると風船の空気が抜けるように肉棒は急速に縮んでいき、やがていつもの朝顔のつぼみみたいなオチンチンに戻ってしまった。だが、快感の余韻だけは消えなかった。
ぼくは、自分は本当にこのままサーカスの一員になり、彼らと一緒に世界中を旅して回るのだろうか、と考えながら改めて団員達を見渡してみた。
それもいいかもしれない、とも思う。そうすればいつでも、あの気持ちのいいことを母にしてもらえる。しかし、何かが胸に引っかかっていた。さっきのサヨちゃんの言葉だ。
「お願いだから連れていかないで」
と、サヨちゃんはすがりつくような顔でぼくに言った。あれはどういうことなのだろう。サヨちゃんは永遠に生きられるのに、楽しくはないのだろうか?
そういえばロドリゲスも、母に少し優しくされただけで死ぬほど喜んでいた。あれはいったい、どういうことなのだろうか・・・。
ふと、ぼくは思い当たった。永遠の命なんて本当は楽しいものではなく、単に死なないで生きていられる、というだけのことではないのだろうか?
サヨちゃんはきっと、寂しくて堪らなかったのだ。何も考えずにサーカスについて来たが、村を捨て、両親と別れてしまったことを後になって後悔したのだ。もしかしたらその寂しさは、生きている限り永遠に続くのかもしれない。
それは、誰からも優しくされず、その醜さを馬鹿にされ続けてきたロドリゲスも同じかもしれない。誰かに愛されたいと願いながら愛されず、悶々としたまま永遠に生き続けるのかもしれない。
そう考えたとき、ぼくには、外から見ていたときあんなに華やかだったサーカスが、何だかとても物寂しいものに思えてきた。
サーカスを見にくる観客達は、サーカスが終れば自分の家に帰っていく。自分の家族や生活が根っこのようにその土地にある。しかし、団員達に帰る家はない。
観客にとってサーカスは一時の夢でしかないが、賀来や団員にとっては、その一時の夢である閉ざされたテントの中が終の住処なのだ。サヨちゃんやロドリゲスは、その住処の中で、これからも永遠に苦しむのだろうか?
そんな姿を見ながらぼくも一緒に暮らすなんて絶対に嫌だ、と思った。
そして急に、友達と野山を駆け回ったり、川で遊んだり、縁側でのんびりと寝転んでいた平凡な自分の生活が無性に懐かしく思い出されてきた。
「お母さん、帰ろう、家に帰ろうよ!」
ぼくは、まだ横たわっていた母にすがりつき、狂ったように叫び上げた。
夢中だった。何としても母と一緒に家に帰りたいと思った。母は艶めかしく微笑みながら顔を上げ、何か言おうとして口を開きかけたが、ぼくの真剣な表情にはっとしたように目を見開いた。
「お母さん、ねえ、お母さん、帰りたい、ぼく家に帰りたいよ!」
ぼくの叫び声は、そのうち泣き声に変わった。すると必死の思いが通じたのか、母の顔からは憑き物が落ちたように、みるみる艶めかしさが消えていったのだ。
やがて母の目に強い意志の色が浮かぶのを、ぼくは見た。
「正一、わかったわ・・・もう、泣かないで」
母は、優しく微笑みながら立ち上がると、
「賀来様、やはり私は行けません。正一と一緒に家に帰らせて下さい」
穏やかな声で賀来に告げた。
ステージの入り口に立っていた賀来は、しばらく無表情で母のことを見詰めていたが、やがて、ゆっくりと近寄ってきた。
「そうか、気が変わってしまったか。おまえの淫乱な願望も、息子の涙にはかなわなかったか」
「はい、その通りです賀来様」
「嫌だという者を無理に連れて行くことはできない。しかし、おまえは大事なことを忘れている。すでにおまえは不老不死なのだ。正一が成長し、年老いて死んでからも生き続けるのだぞ。それでもいいのか」
「はい、覚悟はできています」
凛とした声で母は答え、賀来ががっくりと肩を落としたように見えた。
「仕方がない。おまえの代わりはまた別のところで捜すことにしよう。二人で家に帰るがいい」
それを聞いて、ぼくは胸を撫で下ろした。しかし、今度はサヨちゃんが叫び上げた。
「いやーっ、行かないでカズちゃん、私を一人にしないで、お願いよぉ!」
サヨちゃんは観客席から駆け上がってきて母にしがみついた。
大泣きするその顔はまさに子供の顔だった。あまりにも哀れで、ぼくは胸が締め付けられる思いだった。
「許して、サヨちゃん。でも約束するわ、私が一人きりになったとき、またこのサーカスに戻ってくるって・・・絶対に戻ってくるから、それまで待っていて、ねっ」
母の言葉にサヨちゃんは驚き、それからみるみる笑顔になっていった。しかし、ぼくの驚きはサヨちゃん以上だった。母の覚悟とは、そういうことだったのだ。
声を揃えて指切りげんまんをする二人を見詰めながら、ぼくは何とも言えない気持ちになった。
「賀来様、また戻ってきてもよろしいでしょうか」
「いいだろう。世界中のどこにいても、おまえが戻りたいと念じれば私は感じることができる。そのときには誰かを迎えにやろう」
「はい」
母とサヨちゃんは手を取り合い、互いに別れの言葉を言い合った。ふと気がつくと、ぼくの後ろにロドリゲスが立っていた。母が家を出るときに着ていた服が、綺麗に折り畳まれてロドリゲスの手に乗せられている。
「ありがとうロドリゲス、あなたも、待っていてくれるの?」
素早く衣服を身につけながら母が言うと、ロドリゲスは、気持ちの悪い唇を奇妙に歪めて笑った。不細工な小さな目が嬉しそうに輝いているのを見て、ぼくはまたも激しい嫉妬を覚えた。ぼくが年老いて死んだ後、母はまたこのロドリゲスとステージに上がるのだろうか? それも永遠という時の流れの中で・・・。
「では、このまま家に帰ります」
「うむ。待っているぞ、和子」
賀来と団員達に見送られながら、ぼくと母はテントを後にした。
しかし、ぼくの心には複雑な感情が渦巻き、もう、無事に帰れることを心から喜べなくなっていた。
テントから飛び出してきたサヨちゃんが、いつまでも、いつまでも手を振っている。
来たときと同じように、空には満天の星が輝いていた。
つぎの日の朝、ぼくが布団の中で目覚めると、家のなかはいつものように何気ない日常が始まっていた。
母は台所で朝食の用意をしていて、みそ汁の良い香りが漂っている。卓袱台の前に座った父はお茶を飲みながら新聞を読んでいて、祖母は飼っているインコに餌をやっていた。 いつもと何一つ変わらない、おだやかな一日の始まりだった。
「正一、早く顔を洗ってご飯を食べなさい。遅刻するわよ」
母が、卓袱台におかずの乗った皿を並べながら呼んだ。ぼくは慌てて布団から飛び出して顔を洗った。
ご飯を食べながら窺うように母の顔を覗き込んでみたが、変わった様子ははない。
「どうしたの正一、お母さんの顔になにかついてる?」
ぼくの視線に気づき、母がにっこりと微笑んだ。清楚で慎み深いいつもの母の顔だった。夕べの妖しいほどの艶っぽさなど、微塵も残ってはいなかった。
あれほどオロオロしていた祖母も、目を吊り上げてお酒を飲んでいた父も、穏やかな顔で朝ご飯を食べている。
そういえば昨夜、テントを後にして歩き出したところから、ぼくの記憶はすっぽりと抜け落ちている。家に帰ったところをぼくはまったく覚えていなかった。
でも、テントの中で起こったことは夢なんかではない。鮮明に場面を覚えているし、何よりぼくの下腹部には、いまだに母のなかに射精したときの快感の余韻が残っているのだから。きっとこれは、賀来の不思議な力のせいだ。ぼくには、そうとしか思えなかった。
父はいつものように黙ってご飯を食べ、ぼくより先に家を出て行った。
しばらくして、ぼくも家を出たのだが、いつものように玄関の外まで一緒に出てきた母に、ぼくは恐る恐る尋ねてみた。
「ねえ、お母さん・・・夕べのこと、覚えている・・・?」
「夕べ? 何かあったかしら・・・」
母は微笑みながら、首をかしげて見せた。
覚えていないふりをしているのか、それとも本当に覚えていないのか、ぼくにはわからなかった。
「ううん、何でもないよお母さん。いってきます」
ぼくは、学校に向かって歩き出した。
神社の境内にそびえていた黄色いテントは、もう無かった。どうやら、次の公演場所に向けて夜中のうちに出発したらしい。
振り返ると、家の前で母が手を振っていた。
頭上には今日も、澄み切って突き抜けるような青い空が広がっていた。
ああ、ようやくすべてを語り終わることができました。
話し始めたのは午前中でしたが、もう、すっかり日も暮れてしまいましたね。
ところであなたは、私の話しをどうお感じになりましたか・・・いえ、無理に信じて下さらなくてもいいのです。もともと信じろと言うほうが無理なのですから。
それよりも私は、あなたに聞いて頂いたことで、長いこと胸に溜めていたものを一気に吐き出すことができてたいへん満足しているのです。はい、死ぬ前に一度は誰かに話しておきたいと思っていたのです。
さて、その後のことも話しておきましょう。
私の母は、あれからどうなったのでしょうか? 残念なことに数年後、あの一連の出来事があってからしばらくして始まった太平洋戦争の最中に、母はアメリカの戦闘機の機銃掃射を受けて死んでしまいました。
戦局が著しく悪くなった頃、日本には毎日のように爆撃機や戦闘機が飛んでくるようになりましたが、私の村などは通称天狗村と呼ばれるほど山奥にあったので、まず標的地にされることはありませんでした。
ところが、あれはどこかを攻撃した帰りだったのでしょうか、突然村に飛来した二機の戦闘機が、いきなり機銃を撃ってきたのです。
村人達は悲鳴を上げて逃げ回りましたが、運悪く逃げ遅れた人が次々に狙われ、体を打ち抜かれてバタバタと倒れていきました。母も、そのとき外にいたのです。母は体に三発も弾を撃ち込まれ、即死してしまいました。
不老不死の秘薬も、あれだけ体を打ち抜かれては効力を持続できなかったようです。
ところで、これを言うのはとても勇気のいることなのですが、私は母が亡くなったとき、悲しくて仕方なかったくせに、実は心のどこかでほっ、としてもいたのです。
と言いますのも、サーカス団が去ってから母が亡くなるまでの間、私はずっと心に不安を持ち続けていました。もし、あの出来事が夢でないならば、母は永遠に生き続け、私が年老いて死んだ後には、サーカスに戻ってしまうのですから・・・。
遠いどこかの国で、観客に惜しげもなく艶めかしい姿を晒し、なおかつロドリゲスに貫かれる母の姿を想像するのは、私にとって堪えられないほど辛いことでした。
母は私が死んだ後に、今度はロドリゲスを我が子のように可愛がるのだろうか・・・そんなことを考えると、嫉妬と寂しさで私の胸は張り裂けてしまいそうでした。
しかし母が死んでしまったことで、私はそのような苦しみから解放されたのです。そして同時に、母は私だけのものになったのです。
本当はほっとしたというより、私は嬉しかった。そう、嬉しかったのです。
いまから思えば、母に申し訳ない気持ちでいっぱいでございます。
戦争が終わった後、私は村を出て就職し、よい伴侶にも巡り会え、子宝にも恵まれました。その間に、祖母も父も亡くなっております。
現在の私は長男夫婦に引き取られ、都心に近いこの住宅地で暮らしています。
ほら、見てごらんなさい、道の向こうには水田があり、その向こうには低い山々が連なっているでしょう。なんだか私の生まれ育ったあの天狗村に、景色がそっくりなのでございますよ。
ここで私は日がな一日、日向ぼっこや散歩をして過ごし、ときおり水田の近くを散歩したりもするのですが、遠くの山などを見ておりますとふっ、と幼い頃の自分に引き戻されることがあります。
そんなとき私は、山裾の岩影や木々の間の木漏れ日の向こうから、懐かしい母の喘ぎ声がいまでも聞こえてくるような気がして仕方がありません。
そして、決まって賀来サーカス団のことも思い出します。
賀来サーカス団は、今でも永遠の旅を続けているのでしょうか。
サヨちゃんは、私の知らないどこかの国で、母が死んだ事も知らず、母が戻ってくるのを心待ちにしながら、今でも一輪車に乗っているのでしょうか。だとすれば、あまりにも哀れです。
息子の嫁が呼んでおります。そろそろ終わりにすることといたしましょう。
ああ、それにしても、すべてを聞いて頂いて本当に良かった。もう、いつお迎えが来ても心残りはございません。ありがとう存じました。
それでは、気をつけてお帰り下さい。
お腹の中のものをすべて出し尽くしたぼくはズルリッ、と肉棒を引き抜いた。
体力を使い果たしたぼくは腰が抜けたみたいに尻餅を突き、そのまま起きあがれなかった。母も床の上に倒れ込み、荒い息を吐きながらぐったりとしている。
すると、一つのショーが終わったかのように、賀来や団員達の間から拍手が沸き起こった。見回すと、ロドリゲスだけは別だったが、皆、好意的な顔で手を叩いている。これでぼくもサーカスの仲間になった、とでもいうことなのだろうか・・・。
引き抜いてしばらくの間も、肉棒は突き立ったままだった。しかし、少しすると風船の空気が抜けるように肉棒は急速に縮んでいき、やがていつもの朝顔のつぼみみたいなオチンチンに戻ってしまった。だが、快感の余韻だけは消えなかった。
ぼくは、自分は本当にこのままサーカスの一員になり、彼らと一緒に世界中を旅して回るのだろうか、と考えながら改めて団員達を見渡してみた。
それもいいかもしれない、とも思う。そうすればいつでも、あの気持ちのいいことを母にしてもらえる。しかし、何かが胸に引っかかっていた。さっきのサヨちゃんの言葉だ。
「お願いだから連れていかないで」
と、サヨちゃんはすがりつくような顔でぼくに言った。あれはどういうことなのだろう。サヨちゃんは永遠に生きられるのに、楽しくはないのだろうか?
そういえばロドリゲスも、母に少し優しくされただけで死ぬほど喜んでいた。あれはいったい、どういうことなのだろうか・・・。
ふと、ぼくは思い当たった。永遠の命なんて本当は楽しいものではなく、単に死なないで生きていられる、というだけのことではないのだろうか?
サヨちゃんはきっと、寂しくて堪らなかったのだ。何も考えずにサーカスについて来たが、村を捨て、両親と別れてしまったことを後になって後悔したのだ。もしかしたらその寂しさは、生きている限り永遠に続くのかもしれない。
それは、誰からも優しくされず、その醜さを馬鹿にされ続けてきたロドリゲスも同じかもしれない。誰かに愛されたいと願いながら愛されず、悶々としたまま永遠に生き続けるのかもしれない。
そう考えたとき、ぼくには、外から見ていたときあんなに華やかだったサーカスが、何だかとても物寂しいものに思えてきた。
サーカスを見にくる観客達は、サーカスが終れば自分の家に帰っていく。自分の家族や生活が根っこのようにその土地にある。しかし、団員達に帰る家はない。
観客にとってサーカスは一時の夢でしかないが、賀来や団員にとっては、その一時の夢である閉ざされたテントの中が終の住処なのだ。サヨちゃんやロドリゲスは、その住処の中で、これからも永遠に苦しむのだろうか?
そんな姿を見ながらぼくも一緒に暮らすなんて絶対に嫌だ、と思った。
そして急に、友達と野山を駆け回ったり、川で遊んだり、縁側でのんびりと寝転んでいた平凡な自分の生活が無性に懐かしく思い出されてきた。
「お母さん、帰ろう、家に帰ろうよ!」
ぼくは、まだ横たわっていた母にすがりつき、狂ったように叫び上げた。
夢中だった。何としても母と一緒に家に帰りたいと思った。母は艶めかしく微笑みながら顔を上げ、何か言おうとして口を開きかけたが、ぼくの真剣な表情にはっとしたように目を見開いた。
「お母さん、ねえ、お母さん、帰りたい、ぼく家に帰りたいよ!」
ぼくの叫び声は、そのうち泣き声に変わった。すると必死の思いが通じたのか、母の顔からは憑き物が落ちたように、みるみる艶めかしさが消えていったのだ。
やがて母の目に強い意志の色が浮かぶのを、ぼくは見た。
「正一、わかったわ・・・もう、泣かないで」
母は、優しく微笑みながら立ち上がると、
「賀来様、やはり私は行けません。正一と一緒に家に帰らせて下さい」
穏やかな声で賀来に告げた。
ステージの入り口に立っていた賀来は、しばらく無表情で母のことを見詰めていたが、やがて、ゆっくりと近寄ってきた。
「そうか、気が変わってしまったか。おまえの淫乱な願望も、息子の涙にはかなわなかったか」
「はい、その通りです賀来様」
「嫌だという者を無理に連れて行くことはできない。しかし、おまえは大事なことを忘れている。すでにおまえは不老不死なのだ。正一が成長し、年老いて死んでからも生き続けるのだぞ。それでもいいのか」
「はい、覚悟はできています」
凛とした声で母は答え、賀来ががっくりと肩を落としたように見えた。
「仕方がない。おまえの代わりはまた別のところで捜すことにしよう。二人で家に帰るがいい」
それを聞いて、ぼくは胸を撫で下ろした。しかし、今度はサヨちゃんが叫び上げた。
「いやーっ、行かないでカズちゃん、私を一人にしないで、お願いよぉ!」
サヨちゃんは観客席から駆け上がってきて母にしがみついた。
大泣きするその顔はまさに子供の顔だった。あまりにも哀れで、ぼくは胸が締め付けられる思いだった。
「許して、サヨちゃん。でも約束するわ、私が一人きりになったとき、またこのサーカスに戻ってくるって・・・絶対に戻ってくるから、それまで待っていて、ねっ」
母の言葉にサヨちゃんは驚き、それからみるみる笑顔になっていった。しかし、ぼくの驚きはサヨちゃん以上だった。母の覚悟とは、そういうことだったのだ。
声を揃えて指切りげんまんをする二人を見詰めながら、ぼくは何とも言えない気持ちになった。
「賀来様、また戻ってきてもよろしいでしょうか」
「いいだろう。世界中のどこにいても、おまえが戻りたいと念じれば私は感じることができる。そのときには誰かを迎えにやろう」
「はい」
母とサヨちゃんは手を取り合い、互いに別れの言葉を言い合った。ふと気がつくと、ぼくの後ろにロドリゲスが立っていた。母が家を出るときに着ていた服が、綺麗に折り畳まれてロドリゲスの手に乗せられている。
「ありがとうロドリゲス、あなたも、待っていてくれるの?」
素早く衣服を身につけながら母が言うと、ロドリゲスは、気持ちの悪い唇を奇妙に歪めて笑った。不細工な小さな目が嬉しそうに輝いているのを見て、ぼくはまたも激しい嫉妬を覚えた。ぼくが年老いて死んだ後、母はまたこのロドリゲスとステージに上がるのだろうか? それも永遠という時の流れの中で・・・。
「では、このまま家に帰ります」
「うむ。待っているぞ、和子」
賀来と団員達に見送られながら、ぼくと母はテントを後にした。
しかし、ぼくの心には複雑な感情が渦巻き、もう、無事に帰れることを心から喜べなくなっていた。
テントから飛び出してきたサヨちゃんが、いつまでも、いつまでも手を振っている。
来たときと同じように、空には満天の星が輝いていた。
つぎの日の朝、ぼくが布団の中で目覚めると、家のなかはいつものように何気ない日常が始まっていた。
母は台所で朝食の用意をしていて、みそ汁の良い香りが漂っている。卓袱台の前に座った父はお茶を飲みながら新聞を読んでいて、祖母は飼っているインコに餌をやっていた。 いつもと何一つ変わらない、おだやかな一日の始まりだった。
「正一、早く顔を洗ってご飯を食べなさい。遅刻するわよ」
母が、卓袱台におかずの乗った皿を並べながら呼んだ。ぼくは慌てて布団から飛び出して顔を洗った。
ご飯を食べながら窺うように母の顔を覗き込んでみたが、変わった様子ははない。
「どうしたの正一、お母さんの顔になにかついてる?」
ぼくの視線に気づき、母がにっこりと微笑んだ。清楚で慎み深いいつもの母の顔だった。夕べの妖しいほどの艶っぽさなど、微塵も残ってはいなかった。
あれほどオロオロしていた祖母も、目を吊り上げてお酒を飲んでいた父も、穏やかな顔で朝ご飯を食べている。
そういえば昨夜、テントを後にして歩き出したところから、ぼくの記憶はすっぽりと抜け落ちている。家に帰ったところをぼくはまったく覚えていなかった。
でも、テントの中で起こったことは夢なんかではない。鮮明に場面を覚えているし、何よりぼくの下腹部には、いまだに母のなかに射精したときの快感の余韻が残っているのだから。きっとこれは、賀来の不思議な力のせいだ。ぼくには、そうとしか思えなかった。
父はいつものように黙ってご飯を食べ、ぼくより先に家を出て行った。
しばらくして、ぼくも家を出たのだが、いつものように玄関の外まで一緒に出てきた母に、ぼくは恐る恐る尋ねてみた。
「ねえ、お母さん・・・夕べのこと、覚えている・・・?」
「夕べ? 何かあったかしら・・・」
母は微笑みながら、首をかしげて見せた。
覚えていないふりをしているのか、それとも本当に覚えていないのか、ぼくにはわからなかった。
「ううん、何でもないよお母さん。いってきます」
ぼくは、学校に向かって歩き出した。
神社の境内にそびえていた黄色いテントは、もう無かった。どうやら、次の公演場所に向けて夜中のうちに出発したらしい。
振り返ると、家の前で母が手を振っていた。
頭上には今日も、澄み切って突き抜けるような青い空が広がっていた。
ああ、ようやくすべてを語り終わることができました。
話し始めたのは午前中でしたが、もう、すっかり日も暮れてしまいましたね。
ところであなたは、私の話しをどうお感じになりましたか・・・いえ、無理に信じて下さらなくてもいいのです。もともと信じろと言うほうが無理なのですから。
それよりも私は、あなたに聞いて頂いたことで、長いこと胸に溜めていたものを一気に吐き出すことができてたいへん満足しているのです。はい、死ぬ前に一度は誰かに話しておきたいと思っていたのです。
さて、その後のことも話しておきましょう。
私の母は、あれからどうなったのでしょうか? 残念なことに数年後、あの一連の出来事があってからしばらくして始まった太平洋戦争の最中に、母はアメリカの戦闘機の機銃掃射を受けて死んでしまいました。
戦局が著しく悪くなった頃、日本には毎日のように爆撃機や戦闘機が飛んでくるようになりましたが、私の村などは通称天狗村と呼ばれるほど山奥にあったので、まず標的地にされることはありませんでした。
ところが、あれはどこかを攻撃した帰りだったのでしょうか、突然村に飛来した二機の戦闘機が、いきなり機銃を撃ってきたのです。
村人達は悲鳴を上げて逃げ回りましたが、運悪く逃げ遅れた人が次々に狙われ、体を打ち抜かれてバタバタと倒れていきました。母も、そのとき外にいたのです。母は体に三発も弾を撃ち込まれ、即死してしまいました。
不老不死の秘薬も、あれだけ体を打ち抜かれては効力を持続できなかったようです。
ところで、これを言うのはとても勇気のいることなのですが、私は母が亡くなったとき、悲しくて仕方なかったくせに、実は心のどこかでほっ、としてもいたのです。
と言いますのも、サーカス団が去ってから母が亡くなるまでの間、私はずっと心に不安を持ち続けていました。もし、あの出来事が夢でないならば、母は永遠に生き続け、私が年老いて死んだ後には、サーカスに戻ってしまうのですから・・・。
遠いどこかの国で、観客に惜しげもなく艶めかしい姿を晒し、なおかつロドリゲスに貫かれる母の姿を想像するのは、私にとって堪えられないほど辛いことでした。
母は私が死んだ後に、今度はロドリゲスを我が子のように可愛がるのだろうか・・・そんなことを考えると、嫉妬と寂しさで私の胸は張り裂けてしまいそうでした。
しかし母が死んでしまったことで、私はそのような苦しみから解放されたのです。そして同時に、母は私だけのものになったのです。
本当はほっとしたというより、私は嬉しかった。そう、嬉しかったのです。
いまから思えば、母に申し訳ない気持ちでいっぱいでございます。
戦争が終わった後、私は村を出て就職し、よい伴侶にも巡り会え、子宝にも恵まれました。その間に、祖母も父も亡くなっております。
現在の私は長男夫婦に引き取られ、都心に近いこの住宅地で暮らしています。
ほら、見てごらんなさい、道の向こうには水田があり、その向こうには低い山々が連なっているでしょう。なんだか私の生まれ育ったあの天狗村に、景色がそっくりなのでございますよ。
ここで私は日がな一日、日向ぼっこや散歩をして過ごし、ときおり水田の近くを散歩したりもするのですが、遠くの山などを見ておりますとふっ、と幼い頃の自分に引き戻されることがあります。
そんなとき私は、山裾の岩影や木々の間の木漏れ日の向こうから、懐かしい母の喘ぎ声がいまでも聞こえてくるような気がして仕方がありません。
そして、決まって賀来サーカス団のことも思い出します。
賀来サーカス団は、今でも永遠の旅を続けているのでしょうか。
サヨちゃんは、私の知らないどこかの国で、母が死んだ事も知らず、母が戻ってくるのを心待ちにしながら、今でも一輪車に乗っているのでしょうか。だとすれば、あまりにも哀れです。
息子の嫁が呼んでおります。そろそろ終わりにすることといたしましょう。
ああ、それにしても、すべてを聞いて頂いて本当に良かった。もう、いつお迎えが来ても心残りはございません。ありがとう存じました。
それでは、気をつけてお帰り下さい。
コメント