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小説(転載) 母子結婚 1/4

近親相姦小説
04 /14 2015
複雑な家庭環境が親子の関係を深くしていく。


自慰

オナニーは小学5年でおぼえた。こんな気持ちのいいことを何でいままでやらなかったの
か悔やまれ、それこそ毎日暇さえあればやっていた。
放出した精液を手に受け、それでちんこをこすりたてるとぬるぬるして気持ちがいいので、
やるときはたてつづけに5~6回はやった。手に残った精液は全部飲んだ。精液を飲みな
がらやると変態的な気分になり、性欲がどんどん強くなるような気がした。自分の尿もと
きどき飲んでいた。尿を飲むのも同じ理由からで、肛門に指を突っ込んで匂いを嗅いだり、
指に付いた粘液を舐めるのも好きだった。
母と日常的に性交するようになってもオナニーは続けている。出張のときにはテレフォン
セックスするのだ。そんなときには肛門にアナルバイブを挿入してやる。母も肛門に同じ
ものを挿入し、おまんこには別のバイブを挿入して僕とテレフォンセックスするのだ。そ
んなとき母は5回も6回もイクと言う。

実母

母は昭和25年生れで今年52歳になる。僕と結婚してからは若作りするようになったが、
実際に気持ちも身体も若々しく、三つ四つ年上の姉さん女房にしか見えない。愛液の出も
半端でなく、膣の締まりも抜群で、ほかの女とやる気がしない。
母は中学を出てすぐに青森から上京し父の会社に就職した。当時父は三河島で縫製業をし
ており、母はそこでミシン掛けの仕事をしていたという。
父は僕に輪を掛けたようなド助平で、従業員の中で器量のよい娘にうまいことを言っては
犯しまくっていたそうで、母もそうした父の毒牙に掛かったひとりだった。
母は父と関係するようになってすぐに妊娠してしまった。母と同じように妊娠した他の娘
たちは父から若干の「特別手当」をもらって中絶に応じたが、母はどうしても産むと言っ
てきかず、翌年僕を出産した。
父は養子だったから妻(義母)に頭が上がらず、何とか「手付の子」を内密に処理しよう
と考え、一計を案じたのだ。
義母は腺病質で身体が弱くほとんど病床で生活していたから子どもを産むことなどとても
できないが、先代から引き継いだ会社を継がせるためには子が必要だ。
「養子をもらおうと思うんだが、どうだろうか?」
父は義母に相談するように話を持ちかけた。
「どうせなら産まれたばかりの子がいいと思うが、実は取引先の○○さんからちょうどよ
さそうな話があるんだ」
父は義母をうまく丸め込み、母にもうまいことを言った。
「お前の産んだ子を私らの実子として育てようと思う。お前には気の毒だが、私らの子と
して育った方がこの子のためにもいいと思うが、どうだろうか?了解してもらえれば相応
の礼はするつもりだ」と、ことば巧みに母を言いくるめたのだ。
母はずいぶん悩んだ末、父の申し出を承諾した。僕を「ててなし子」にしたくなかったの
だと言う。
こうした経緯で僕は「斎藤正雄・斎藤佳子夫婦の長男」として入籍されたのだ。
母は父から手切れ金として当時の金で50万円もらったそうだが、その金は今でも手を付
けずに取ってある。母は父の会社を辞めて青森に帰り、しばらく田舎で生活したが僕のこ
とがどうしても忘れられず、2年後に再び上京して僕の家の近所に住むことにした。
僕が病気もせずにすくすくと育っているのをずっと見守っていたのだ。


(2)へつづく・・・

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。