小説(転載) Eternal Delta 4/9
官能小説
新規登場人物
崎元久遠(さきもと・くおん)
遙紀の親友。モデルで女優で歌手。
第2章 確認なんてしなくても〈1〉
「再婚!? おじさんが!?」
修祐が驚いた声を上げた。
「うん。やっぱりびっくりするよね?」
遙紀は修祐をリビングに通し、近況を説明した。
くの字のソファーに遙紀と修助が座り、梨玖は父愛用のロッキングチェアーに座っている。この椅子を買うときは、父とかなりケンカした。高かったので。
梨玖は不機嫌な顔をしていた。あからさまではないが、なんとなく判る。理由も判っている。しかし、信用されていないような気がしてなんだか腹が立つ。ので、梨玖を無視して修祐と話を弾ませることにした。
「で、修祐? また引っ越してきたの?」
見知らぬ梨玖が気になるのか、修祐は横目で梨玖を見ていた。
「……ああ。父さんがこっちの方の大学に呼ばれたんだ。前とは違うところだけど」
修祐の父親は大学教授。修祐が学校を何度も変わるのは可哀想だろうといって、中学卒業するまで大学を変わらなかった。一年前に京都の大学に呼ばれ、家族揃って引っ越したのだが。一年で戻るとは思わなかった。
「学校は? どこ行くの?」
「高鳥。近いしさ、私立行くとまた金かかるし」
「あ、そうなんだ。じゃあ、また一緒ね」
遙紀は単純に、一番親しい友人と同じ学校へ通うのを懐かしく思っただけだった。遠くへ行ってしまった友人と、こうしてまた話が出来ることが嬉しいだけだった。
梨玖はそれを快く思わなかったらしい。黙って立ち上がり、リビングを出ようとした。
「……梨玖?」
「宿題やってくる」
それだけ言ってさっさと出ていった。階段を上がる足音が大きいような気がした。
……今のは不注意な言葉だったかもしれない。
遙紀はちょっと反省したが、別に深い意味があって言ったわけじゃないし、それぐらい判ってくれたっていいじゃない、とも思った。
修祐はただの幼なじみで、友達以上に思っていないことはさっき説明したはずなのに。
どうしてこんなことぐらいですねるのか。すねるということは、自分のことを信用していないということじゃないのか……。
「……遙紀?」
「──え? あ、なに?」
どうやら自分もすねていたみたいだ。修祐に覗き込まれた。
「もしかして……付き合ってる?」
「え、あ、えっと……判る?」
「……なんとなく。連れ子だって言ってたよな? それから?」
「あ、ううん。もっと前から。半年ぐらいかな」
「へー……遙紀に彼氏が出来るとは思わなかったな」
「……なにそれ? どういう意味?」
遙紀がしかめっ面をすると、修祐はごまかすように笑った。
「いや、別に」
「そーいうあんたは? 彼女ぐらい出来たの?」
「いたら戻ってくるわけないだろ。向こうで一人暮らししてるよ」
「あ、そうね。でもあんたってさあ、モテるくせに彼女作らないんじゃない。なんで?」
「……なんでって……好きでもないのに付き合えるわけないだろ」
「もったいないわねー。ちょっと付き合ってみて、嫌ならやっぱりダメだって言えばいいじゃない」
「そういうぬか喜びさせるようなのは嫌なんだ」
「モテる人の余裕よね、それ。好きな子でもいるの?」
「……いた」
「いた? 過去形?」
「失恋したからな」
「あんたが? へぇー。あんた振る子がいるんだ。誰?」
遙紀は興味本位で聞いた。自分の知っている子だろうか、と。
修祐は、じっと遙紀を見た。
「遙紀」
「……は?」
遙紀は首を傾げた。
今のは聞き間違えか? 名前を呼ばれただけか?
それとも今のは自分の問いに対する答えなのか?
唖然として修祐を見返していた。一瞬後、修祐は吹き出した。
「冗談に決まってるだろ。惚れてるんならもっと前に言ってるよ」
「……あんた、性格変わったわね」
「別に変わったつもりないけど」
「いーえ。前よりもっとひねくれてる」
「悪かったな。けど遙紀もちょっと変わったな。影響されたんじゃないか?」
「え?……ああ、梨玖に? そうかな?」
確かに、まったく影響を受けていないとは言えないだろうと思う。
おおざっぱな性格のくせに人に気を遣うところがあって。男の同級生と話してたらすぐ割り込んできて……。
「……あ、そうだ」
梨玖のことを考えていたら、さっきの恥ずかしい体験を思い出し、ついで梨玖に言われたことも思い出した。
「あのね修祐。えーっと……前の正月にあったあれ、あるじゃない?」
「……正月?」
「あの、ほら、えっと、なかったことにしようって言ってたあれ」
「あ、ああ、あれ、か」
「あの、あれってやっぱりなんにもなかったみたい」
「……なんで?」
「なにが?」
「いや、なんで判るんだ?……あ、今の……りく、だっけ。やったのか?」
遙紀は瞬間的に赤面した。
「え、あ、あの……」
あれは「やった」うちに入るのか?
……言わなきゃよかった、と後悔した。
「ちょっと安心したな」
「え?」
「そうだろ? 恋人同士でもないのに関係を持ったなんてさ。それも酒飲んで酔っぱらって憶えてないなんて最低だろ?」
「あー……うん、そうかも……」
はっきり言って初体験を憶えていないなんてものすごく嫌だったのだが、そう言うと修祐に対して失礼なような気がしていた。
「彼氏とやったのが最初なら俺も安心だ」
「あー……」
まだ処女なんだけど。
言いかけた遙紀だが、わざわざ言うのは変な気がした。かといってとっくの昔にそういう関係になっていると思われるのも嫌なのだが。
……そう言えば。
どうしてさっき、梨玖は指だけでやったんだろうか? 男は自分がやりたいからやるんじゃないのか?
少なくとも、途中まではその気だったみたいなのに。
自分だけが裸にされて、自分だけが変な気分になった。そのことがすごく嫌で恥ずかしかったのだ。
……といっても、ちゃんとやって欲しい、と思っているわけじゃない。そんなことは口が裂けても言えない。いや、絶対思っていない。
でも近いうちにそうなっちゃうんだろうなあ……と考えて、遙紀は一人赤面した。
「じゃ、帰るな」
修祐が立ち上がった。
「え? もう帰るの?」
「先にちょっと挨拶しに来ただけだからさ。おじさん、何時ぐらいに帰る?」
「んーと。夕方かな?」
「じゃあそれぐらいにまた来る。たぶん、母さんも一緒に来ると思うから」
「うん、判った」
遙紀は玄関まで修祐を見送った。それから二階へ上がる。
自分の部屋へ入ったが、梨玖はいなかった。
「あれ?」
中央のテーブルにあったはずのものがなくなっている。首を傾げつつ、梨玖の部屋へ行った。
「……梨玖?」
ドアをノックして、そうっと中を覗いた。
服やゲームソフトが散らかっている部屋の真ん中で、こたつ兼テーブルに問題集やノートを広げて梨玖が頬杖をついていた。右手が機械的に動いている。
「なんでわざわざこっちに持ってきたの?」
言いながら、遙紀は部屋に入り、梨玖の隣に座った。
無表情な顔をして、梨玖は遙紀のノートを写している。
「梨玖?」
「……帰ったのか?」
「え? あ、うん。まだ引っ越しの途中だからって」
「……あっそ」
とだけ言って、梨玖は黙々と作業を続けた。
遙紀は両方の手で頬杖をつき、梨玖の顔をじろーっと見た。
……これって、やきもちって奴よね。
なんで? 友達と話してただけじゃない。別に抱き合ってたとか、キスしてたとか、そんなことじゃないのに。また戻ってきたから挨拶しに来ただけなのに。
そりゃ、何かあったかもしれないって言ったけど。それは勘違いだったって梨玖が言ったんじゃない。結局何もなかったんだから、やきもち焼く理由なんてないじゃない。
ただの友達の修祐と関係したかもしれない、なんて抵抗あったけど。さっきの梨玖にされたあれは、一応同意の上って奴だった。その違いが判ってもらえてないのだろうか。
「ねえ、梨──」
「別にさ」
「え?」
「お前のことを疑ってるわけじゃねぇよ」
「……疑ってるじゃない」
「お前さっき言っただろ? 俺に昔の女がいたら嫌だって」
「え、あ、えっと」
「俺だってそうなんだよ。あいつはさ、お前の一番仲のいい男だろ?」
「だ、だから、修祐は幼なじみってだけで──」
「俺がお前のことについて知ってるのはこの一年……いや半年だけか。けどあいつは十年以上、お前のことを見てきてるんだ。俺が知らないお前を、あいつは知ってるんだぞ?」
怒ったような顔で、梨玖がそう言った。遙紀は唖然として、梨玖を見た。
「……それぐらいのことで妬いてるの?」
「ぐらいってなんだよ。俺にとっちゃ重要なんだよ」
「だ、だって。生まれてから死ぬまでずっと一緒にいるカップルなんてほとんどいないわよ。知らないことがあって当たり前でしょ?」
「俺は嫌なんだよ。俺、お前の彼氏なんだぞ? それなのに俺以上にお前のこと知ってる奴がいていいと思うか?」
「……しょうがないじゃない」
「じゃあ聞くけどな。俺にもし女の幼なじみがいて、俺がそいつとお前の前で仲良く話してたらどんな気分だ?」
「え、どんなって……」
梨玖に幼なじみなんていないので、どんな気分かは想像しがたい。でもちょっと考えてみた。梨玖のことをよく知っている女の子が、梨玖と仲良く話して……。
……嫌かも。
遙紀は自分の想像に腹を立てた。
「ほれみろ」
「いや、あの……」
「しょうがないのは判ってるよ。けどムカつくんだよ」
「……どうしろっていうのよ……」
「別に。俺がムカつくだけ」
「……修祐と話さなかったらいいの?」
「お前、幼なじみを無視できるのか?」
「……えっと」
「話すななんて言ってるわけじゃねぇよ。ただな」
「……なに?」
「俺、お前の口から好きだって聞いてないんだ」
「……え?」
「え?じゃなくて」
「……言ってない?」
「聞いてねぇな」
「……言わなくても判ってるでしょ?」
「いやー。判んねぇなー。そういうことはちゃんと言葉にしないと伝わらないよなー」
梨玖はにやにやしながらそう言った。
こ、こいつ……!
遙紀はムカついた。しかしここで言わないと、梨玖が本気で疑い始めるかもしれない、とも思った。ただからかっているだけだろうという気もするが。
なんでこんな意地悪な奴、好きになっちゃったんだろう。
遙紀は泣きたくなった。
「態度で示してもらってもいいぞ」
「え、た、態度って?」
梨玖は自分の口を指差した。
「──え!? あ、あたし、が!?」
こっちからキスしろと言うのか。言われてみれば、遙紀からしたことはない。さすがに町中とか人がいる前ではやらないが、二人きりになると梨玖はしょっちゅうキスしてくる。それは全然、嫌じゃないのだが。
今さらキスぐらいで照れる必要はないとは思う。だけどやっぱり自分からというのはちょっと……。
「ほーら、早く」
梨玖がテーブルをずらし、遙紀に向き直った。
「……わ、判った……目、閉じて」
言葉にするよりキスを迫る方がマシというのも変な話だが。
梨玖はさっさと目を閉じた。わずかに笑ったような顔をしている。
何が楽しいのよ、こんなこと。
嘆きつつ、遙紀はゆっくり目を閉じながら梨玖に近づいていった。
……ディープじゃなくてもいいわよね。
軽く触れるだけにしておこうと考えた。そしてほんのわずかに唇が触れたかどうかというところで、遙紀はがしっ!と頭を挟まれた。
「ん──!?」
思わず目を見開く。目の前に当然ながら梨玖の顔がある。意外にまつげが長い。いや、そうじゃなく。梨玖が両手で遙紀の頭を掴んでいたのだった。
「んーーっ!」
梨玖の腕を掴んで引きはがそうとするのだが、やはり男の力には敵わない。頭を振ろうにも全然動かない。
じたばたしているうち──といっても遙紀の体はまったく動いていないが、遙紀の口を割って、梨玖の舌が入ってきた。
「んんっ!」
いつもなら抵抗しないのだが、今はなんだか騙されたみたいで嫌だった。
梨玖の舌が、遙紀の口の中で動き回る。遙紀は絡ませてたまるか、と逃げ回っていた。
しかしその抵抗もむなしく、梨玖の動きに翻弄されて、だんだん思考が鈍ってきた。
「……んぁっ……はんっ……」
気がつくと、自分から積極的に舌を絡ませていた。頭の拘束もなくなっていたが、遙紀は逃げなかった。
やがて頭が真っ白になって全身の力が抜けた。梨玖がゆっくりと離れる。お互いの唾液で口の周りはべたべただ。
しばらくぼうっと梨玖の顔を見ていた。思考が戻るのにはそれほど時間はかからなかったが、抜けた力はすぐには戻らなかった。
「ひきょーものぉ……」
「気持ちよかっただろ?」
「へんたーい……」
「なんとでも言え」
「あんたなんか嫌いよー……」
「嘘だね、そりゃ」
「なによ、それ……」
好きだって言えって言ったくせに。
一人だけ満足したらしく、梨玖はテーブルを元の位置に戻して再び宿題を進めた。
遙紀は大きくため息をついた。
ホントになんでこんな奴、好きなんだろう。
夕方六時を回っても、両親は帰ってこなかった。遙紀は家にあるもので夕食を作り、先に梨玖と二人で食べた。
七時頃、修祐とその母親が手みやげを持って挨拶に来た。両親の代わりに遙紀が受け取り、明日はいると思うから、と言っておいた。手みやげは洗剤だった。家事の半分をやっている遙紀は、お金が浮いた、と喜んでしまった。
両親からはなんの連絡も入らない。父は昔からそういう人だが、新しい母もそういう人らしい。似たもの夫婦だ、と思った。
「なあ、遙紀」
夕食の片づけをやっているとき、梨玖が言った。
「風呂入ろうぜ」
「あ、沸いてるから先に入って」
「だから、一緒に入ろって言ってんだよ」
──がしゃんっ!
手に持っていた皿が滑って流しに落ちた。幸い割れていないようだ。
「……え?」
思わずスポンジをぎゅっと握りしめ、遙紀はゆっくり振り返った。
梨玖は丸めたバスタオルを脇に抱えていた。
「……なんか言った?」
「風呂、一緒に、入ろ」
言って梨玖はにやりと笑った。
「な! なに考えてんの!?」
「あー……いろんなこと」
「い、いろんなって! 変態!」
「いーだろ? もう裸見たんだし」
「そ、そういう問題じゃない!」
「他になんの問題があるんだ?」
「だ、だから……あ、と、父さんたち帰ってきたらどーすんの!?」
「んなもん、問題じゃないだろ? 親公認の仲だし」
「そ、そうだけど! そうじゃなくて!」
「なんだよ」
「な、なにする気よ!?」
「風呂ったら身体洗うんだろ?」
「……嘘ばっかり!」
「なんかして欲しいのか?」
「そんなこと言ってないわ!」
「いいから。ほら、早く片づけろ」
「よくないってば!」
遙紀は最後の最後まで拒否し続けた。
言いくるめることは不可能だと悟ったのか、梨玖は大きくため息をつき、流しのすぐ後ろにあるテーブルについた。
背中に視線を感じながら、遙紀は洗い物を続けた。
……最後のお皿を食器乾燥機に入れたら水道を閉めて、速攻で階段に向かう。
頭の中でシミュレーションした。
そして、最後の皿の洗剤を洗い落として食器乾燥機に置いた。
遙紀は深呼吸した。水道の栓をきゅっと閉め──
──階段に向かって猛ダッシュ!
「あっまぁーーいっ!」
「──きゃぁぁぁっ!」
ダイニングから出ることも出来ず、後ろから腰の辺りを抱きかかえられた。
「ちょっ、ちょっと、梨玖!」
手足をじたばたさせるのだが、後ろ向きにずるずると引きずられていった。
「梨玖! ね、ねえ! やめてってば! ホントに父さんたち帰ってくるわよ!」
「別に怒られたりしないって」
「そーじゃなくて!」
「こんなチャンス滅多にないんだぜ? 有効活用しないでどーする」
「わけ判んないこと言わなくていいから!」
努力もむなしく、遙紀はバスルームへ連れ込まれた。
ガラス戸に鍵をかけ、梨玖がにたっと笑う。
「へ、変態! 痴漢! セクハラ!」
「……彼氏に向かって言うことか、それ」
「な、なに言ってんのよ、夫婦でもレイプとかいって裁判になったりするんだから!」
「じゃー、訴えるか?」
「え?」
「そういう事件ってな、何をされたか具体的に説明しなきゃいけないんだぜ?」
「……う」
「言えるか、お前?」
こ、こいつ……おバカのくせに知能犯……!
遙紀が歯ぎしりしていると、梨玖が服を脱ぎ始めた。
「いやぁぁぁっ!」
「……まだTシャツ脱いだだけだろ……」
上半身裸の梨玖が呆れたように言う。
父や兄の裸でさえ、十年近く見ていない。あの二人はいい加減に見えて結構気を遣ってくれる。なのにいきなり同い年の男の胸板なんて見せられて平常心でいろというのが間違っているのだ。せめて海かプールにでも一緒に行っていれば少しは免疫もあるだろうが、付き合い始めたのは秋。見るのはこれが初めてだ。
「……なあ、遙紀」
「ななななによ!?」
「なんにもしないからさ」
「ううううそよ!」
「ホントだって。一緒に入るだけ」
「うそよ! 絶対うそ! 昼間みたいなことする気でしょ!?」
「いや、しない、ホント」
「信用できるわけないでしょ!」
「……じゃあ、あれだ。もしなんかしたら宿題は自力でやる」
「……あんたがぁ?」
「ほら、かなり自分の首絞めてるだろ」
「威張んないでよ……ほんっとになんにもしない?」
「しない」
「あたしに絶対触らない?」
「……ああ」
「なによ、今の間は!」
「あ、いや、あの、覚悟決めてたんだ」
「なんの!」
「なんのって……あのな、目の前に裸の女がいて我慢するのって根性いるんだぞ。しかも自分の彼女だぞ」
「じゃあ一緒に入んなきゃいいじゃない!」
「それも根性いるんだ」
「なんでよ!」
「いーから。ほら脱げ」
「っきゃあぁぁっ!」
遙紀はあっという間に裸にさせられた。
……なんであたし、こんな奴の彼女なの~~!?
それとも恋人同士はこういうことをするのが当たり前なのだろうか。
いや、絶対違うと思う。違ってて欲しい。
第2章 〈2〉へ
崎元久遠(さきもと・くおん)
遙紀の親友。モデルで女優で歌手。
第2章 確認なんてしなくても〈1〉
「再婚!? おじさんが!?」
修祐が驚いた声を上げた。
「うん。やっぱりびっくりするよね?」
遙紀は修祐をリビングに通し、近況を説明した。
くの字のソファーに遙紀と修助が座り、梨玖は父愛用のロッキングチェアーに座っている。この椅子を買うときは、父とかなりケンカした。高かったので。
梨玖は不機嫌な顔をしていた。あからさまではないが、なんとなく判る。理由も判っている。しかし、信用されていないような気がしてなんだか腹が立つ。ので、梨玖を無視して修祐と話を弾ませることにした。
「で、修祐? また引っ越してきたの?」
見知らぬ梨玖が気になるのか、修祐は横目で梨玖を見ていた。
「……ああ。父さんがこっちの方の大学に呼ばれたんだ。前とは違うところだけど」
修祐の父親は大学教授。修祐が学校を何度も変わるのは可哀想だろうといって、中学卒業するまで大学を変わらなかった。一年前に京都の大学に呼ばれ、家族揃って引っ越したのだが。一年で戻るとは思わなかった。
「学校は? どこ行くの?」
「高鳥。近いしさ、私立行くとまた金かかるし」
「あ、そうなんだ。じゃあ、また一緒ね」
遙紀は単純に、一番親しい友人と同じ学校へ通うのを懐かしく思っただけだった。遠くへ行ってしまった友人と、こうしてまた話が出来ることが嬉しいだけだった。
梨玖はそれを快く思わなかったらしい。黙って立ち上がり、リビングを出ようとした。
「……梨玖?」
「宿題やってくる」
それだけ言ってさっさと出ていった。階段を上がる足音が大きいような気がした。
……今のは不注意な言葉だったかもしれない。
遙紀はちょっと反省したが、別に深い意味があって言ったわけじゃないし、それぐらい判ってくれたっていいじゃない、とも思った。
修祐はただの幼なじみで、友達以上に思っていないことはさっき説明したはずなのに。
どうしてこんなことぐらいですねるのか。すねるということは、自分のことを信用していないということじゃないのか……。
「……遙紀?」
「──え? あ、なに?」
どうやら自分もすねていたみたいだ。修祐に覗き込まれた。
「もしかして……付き合ってる?」
「え、あ、えっと……判る?」
「……なんとなく。連れ子だって言ってたよな? それから?」
「あ、ううん。もっと前から。半年ぐらいかな」
「へー……遙紀に彼氏が出来るとは思わなかったな」
「……なにそれ? どういう意味?」
遙紀がしかめっ面をすると、修祐はごまかすように笑った。
「いや、別に」
「そーいうあんたは? 彼女ぐらい出来たの?」
「いたら戻ってくるわけないだろ。向こうで一人暮らししてるよ」
「あ、そうね。でもあんたってさあ、モテるくせに彼女作らないんじゃない。なんで?」
「……なんでって……好きでもないのに付き合えるわけないだろ」
「もったいないわねー。ちょっと付き合ってみて、嫌ならやっぱりダメだって言えばいいじゃない」
「そういうぬか喜びさせるようなのは嫌なんだ」
「モテる人の余裕よね、それ。好きな子でもいるの?」
「……いた」
「いた? 過去形?」
「失恋したからな」
「あんたが? へぇー。あんた振る子がいるんだ。誰?」
遙紀は興味本位で聞いた。自分の知っている子だろうか、と。
修祐は、じっと遙紀を見た。
「遙紀」
「……は?」
遙紀は首を傾げた。
今のは聞き間違えか? 名前を呼ばれただけか?
それとも今のは自分の問いに対する答えなのか?
唖然として修祐を見返していた。一瞬後、修祐は吹き出した。
「冗談に決まってるだろ。惚れてるんならもっと前に言ってるよ」
「……あんた、性格変わったわね」
「別に変わったつもりないけど」
「いーえ。前よりもっとひねくれてる」
「悪かったな。けど遙紀もちょっと変わったな。影響されたんじゃないか?」
「え?……ああ、梨玖に? そうかな?」
確かに、まったく影響を受けていないとは言えないだろうと思う。
おおざっぱな性格のくせに人に気を遣うところがあって。男の同級生と話してたらすぐ割り込んできて……。
「……あ、そうだ」
梨玖のことを考えていたら、さっきの恥ずかしい体験を思い出し、ついで梨玖に言われたことも思い出した。
「あのね修祐。えーっと……前の正月にあったあれ、あるじゃない?」
「……正月?」
「あの、ほら、えっと、なかったことにしようって言ってたあれ」
「あ、ああ、あれ、か」
「あの、あれってやっぱりなんにもなかったみたい」
「……なんで?」
「なにが?」
「いや、なんで判るんだ?……あ、今の……りく、だっけ。やったのか?」
遙紀は瞬間的に赤面した。
「え、あ、あの……」
あれは「やった」うちに入るのか?
……言わなきゃよかった、と後悔した。
「ちょっと安心したな」
「え?」
「そうだろ? 恋人同士でもないのに関係を持ったなんてさ。それも酒飲んで酔っぱらって憶えてないなんて最低だろ?」
「あー……うん、そうかも……」
はっきり言って初体験を憶えていないなんてものすごく嫌だったのだが、そう言うと修祐に対して失礼なような気がしていた。
「彼氏とやったのが最初なら俺も安心だ」
「あー……」
まだ処女なんだけど。
言いかけた遙紀だが、わざわざ言うのは変な気がした。かといってとっくの昔にそういう関係になっていると思われるのも嫌なのだが。
……そう言えば。
どうしてさっき、梨玖は指だけでやったんだろうか? 男は自分がやりたいからやるんじゃないのか?
少なくとも、途中まではその気だったみたいなのに。
自分だけが裸にされて、自分だけが変な気分になった。そのことがすごく嫌で恥ずかしかったのだ。
……といっても、ちゃんとやって欲しい、と思っているわけじゃない。そんなことは口が裂けても言えない。いや、絶対思っていない。
でも近いうちにそうなっちゃうんだろうなあ……と考えて、遙紀は一人赤面した。
「じゃ、帰るな」
修祐が立ち上がった。
「え? もう帰るの?」
「先にちょっと挨拶しに来ただけだからさ。おじさん、何時ぐらいに帰る?」
「んーと。夕方かな?」
「じゃあそれぐらいにまた来る。たぶん、母さんも一緒に来ると思うから」
「うん、判った」
遙紀は玄関まで修祐を見送った。それから二階へ上がる。
自分の部屋へ入ったが、梨玖はいなかった。
「あれ?」
中央のテーブルにあったはずのものがなくなっている。首を傾げつつ、梨玖の部屋へ行った。
「……梨玖?」
ドアをノックして、そうっと中を覗いた。
服やゲームソフトが散らかっている部屋の真ん中で、こたつ兼テーブルに問題集やノートを広げて梨玖が頬杖をついていた。右手が機械的に動いている。
「なんでわざわざこっちに持ってきたの?」
言いながら、遙紀は部屋に入り、梨玖の隣に座った。
無表情な顔をして、梨玖は遙紀のノートを写している。
「梨玖?」
「……帰ったのか?」
「え? あ、うん。まだ引っ越しの途中だからって」
「……あっそ」
とだけ言って、梨玖は黙々と作業を続けた。
遙紀は両方の手で頬杖をつき、梨玖の顔をじろーっと見た。
……これって、やきもちって奴よね。
なんで? 友達と話してただけじゃない。別に抱き合ってたとか、キスしてたとか、そんなことじゃないのに。また戻ってきたから挨拶しに来ただけなのに。
そりゃ、何かあったかもしれないって言ったけど。それは勘違いだったって梨玖が言ったんじゃない。結局何もなかったんだから、やきもち焼く理由なんてないじゃない。
ただの友達の修祐と関係したかもしれない、なんて抵抗あったけど。さっきの梨玖にされたあれは、一応同意の上って奴だった。その違いが判ってもらえてないのだろうか。
「ねえ、梨──」
「別にさ」
「え?」
「お前のことを疑ってるわけじゃねぇよ」
「……疑ってるじゃない」
「お前さっき言っただろ? 俺に昔の女がいたら嫌だって」
「え、あ、えっと」
「俺だってそうなんだよ。あいつはさ、お前の一番仲のいい男だろ?」
「だ、だから、修祐は幼なじみってだけで──」
「俺がお前のことについて知ってるのはこの一年……いや半年だけか。けどあいつは十年以上、お前のことを見てきてるんだ。俺が知らないお前を、あいつは知ってるんだぞ?」
怒ったような顔で、梨玖がそう言った。遙紀は唖然として、梨玖を見た。
「……それぐらいのことで妬いてるの?」
「ぐらいってなんだよ。俺にとっちゃ重要なんだよ」
「だ、だって。生まれてから死ぬまでずっと一緒にいるカップルなんてほとんどいないわよ。知らないことがあって当たり前でしょ?」
「俺は嫌なんだよ。俺、お前の彼氏なんだぞ? それなのに俺以上にお前のこと知ってる奴がいていいと思うか?」
「……しょうがないじゃない」
「じゃあ聞くけどな。俺にもし女の幼なじみがいて、俺がそいつとお前の前で仲良く話してたらどんな気分だ?」
「え、どんなって……」
梨玖に幼なじみなんていないので、どんな気分かは想像しがたい。でもちょっと考えてみた。梨玖のことをよく知っている女の子が、梨玖と仲良く話して……。
……嫌かも。
遙紀は自分の想像に腹を立てた。
「ほれみろ」
「いや、あの……」
「しょうがないのは判ってるよ。けどムカつくんだよ」
「……どうしろっていうのよ……」
「別に。俺がムカつくだけ」
「……修祐と話さなかったらいいの?」
「お前、幼なじみを無視できるのか?」
「……えっと」
「話すななんて言ってるわけじゃねぇよ。ただな」
「……なに?」
「俺、お前の口から好きだって聞いてないんだ」
「……え?」
「え?じゃなくて」
「……言ってない?」
「聞いてねぇな」
「……言わなくても判ってるでしょ?」
「いやー。判んねぇなー。そういうことはちゃんと言葉にしないと伝わらないよなー」
梨玖はにやにやしながらそう言った。
こ、こいつ……!
遙紀はムカついた。しかしここで言わないと、梨玖が本気で疑い始めるかもしれない、とも思った。ただからかっているだけだろうという気もするが。
なんでこんな意地悪な奴、好きになっちゃったんだろう。
遙紀は泣きたくなった。
「態度で示してもらってもいいぞ」
「え、た、態度って?」
梨玖は自分の口を指差した。
「──え!? あ、あたし、が!?」
こっちからキスしろと言うのか。言われてみれば、遙紀からしたことはない。さすがに町中とか人がいる前ではやらないが、二人きりになると梨玖はしょっちゅうキスしてくる。それは全然、嫌じゃないのだが。
今さらキスぐらいで照れる必要はないとは思う。だけどやっぱり自分からというのはちょっと……。
「ほーら、早く」
梨玖がテーブルをずらし、遙紀に向き直った。
「……わ、判った……目、閉じて」
言葉にするよりキスを迫る方がマシというのも変な話だが。
梨玖はさっさと目を閉じた。わずかに笑ったような顔をしている。
何が楽しいのよ、こんなこと。
嘆きつつ、遙紀はゆっくり目を閉じながら梨玖に近づいていった。
……ディープじゃなくてもいいわよね。
軽く触れるだけにしておこうと考えた。そしてほんのわずかに唇が触れたかどうかというところで、遙紀はがしっ!と頭を挟まれた。
「ん──!?」
思わず目を見開く。目の前に当然ながら梨玖の顔がある。意外にまつげが長い。いや、そうじゃなく。梨玖が両手で遙紀の頭を掴んでいたのだった。
「んーーっ!」
梨玖の腕を掴んで引きはがそうとするのだが、やはり男の力には敵わない。頭を振ろうにも全然動かない。
じたばたしているうち──といっても遙紀の体はまったく動いていないが、遙紀の口を割って、梨玖の舌が入ってきた。
「んんっ!」
いつもなら抵抗しないのだが、今はなんだか騙されたみたいで嫌だった。
梨玖の舌が、遙紀の口の中で動き回る。遙紀は絡ませてたまるか、と逃げ回っていた。
しかしその抵抗もむなしく、梨玖の動きに翻弄されて、だんだん思考が鈍ってきた。
「……んぁっ……はんっ……」
気がつくと、自分から積極的に舌を絡ませていた。頭の拘束もなくなっていたが、遙紀は逃げなかった。
やがて頭が真っ白になって全身の力が抜けた。梨玖がゆっくりと離れる。お互いの唾液で口の周りはべたべただ。
しばらくぼうっと梨玖の顔を見ていた。思考が戻るのにはそれほど時間はかからなかったが、抜けた力はすぐには戻らなかった。
「ひきょーものぉ……」
「気持ちよかっただろ?」
「へんたーい……」
「なんとでも言え」
「あんたなんか嫌いよー……」
「嘘だね、そりゃ」
「なによ、それ……」
好きだって言えって言ったくせに。
一人だけ満足したらしく、梨玖はテーブルを元の位置に戻して再び宿題を進めた。
遙紀は大きくため息をついた。
ホントになんでこんな奴、好きなんだろう。
夕方六時を回っても、両親は帰ってこなかった。遙紀は家にあるもので夕食を作り、先に梨玖と二人で食べた。
七時頃、修祐とその母親が手みやげを持って挨拶に来た。両親の代わりに遙紀が受け取り、明日はいると思うから、と言っておいた。手みやげは洗剤だった。家事の半分をやっている遙紀は、お金が浮いた、と喜んでしまった。
両親からはなんの連絡も入らない。父は昔からそういう人だが、新しい母もそういう人らしい。似たもの夫婦だ、と思った。
「なあ、遙紀」
夕食の片づけをやっているとき、梨玖が言った。
「風呂入ろうぜ」
「あ、沸いてるから先に入って」
「だから、一緒に入ろって言ってんだよ」
──がしゃんっ!
手に持っていた皿が滑って流しに落ちた。幸い割れていないようだ。
「……え?」
思わずスポンジをぎゅっと握りしめ、遙紀はゆっくり振り返った。
梨玖は丸めたバスタオルを脇に抱えていた。
「……なんか言った?」
「風呂、一緒に、入ろ」
言って梨玖はにやりと笑った。
「な! なに考えてんの!?」
「あー……いろんなこと」
「い、いろんなって! 変態!」
「いーだろ? もう裸見たんだし」
「そ、そういう問題じゃない!」
「他になんの問題があるんだ?」
「だ、だから……あ、と、父さんたち帰ってきたらどーすんの!?」
「んなもん、問題じゃないだろ? 親公認の仲だし」
「そ、そうだけど! そうじゃなくて!」
「なんだよ」
「な、なにする気よ!?」
「風呂ったら身体洗うんだろ?」
「……嘘ばっかり!」
「なんかして欲しいのか?」
「そんなこと言ってないわ!」
「いいから。ほら、早く片づけろ」
「よくないってば!」
遙紀は最後の最後まで拒否し続けた。
言いくるめることは不可能だと悟ったのか、梨玖は大きくため息をつき、流しのすぐ後ろにあるテーブルについた。
背中に視線を感じながら、遙紀は洗い物を続けた。
……最後のお皿を食器乾燥機に入れたら水道を閉めて、速攻で階段に向かう。
頭の中でシミュレーションした。
そして、最後の皿の洗剤を洗い落として食器乾燥機に置いた。
遙紀は深呼吸した。水道の栓をきゅっと閉め──
──階段に向かって猛ダッシュ!
「あっまぁーーいっ!」
「──きゃぁぁぁっ!」
ダイニングから出ることも出来ず、後ろから腰の辺りを抱きかかえられた。
「ちょっ、ちょっと、梨玖!」
手足をじたばたさせるのだが、後ろ向きにずるずると引きずられていった。
「梨玖! ね、ねえ! やめてってば! ホントに父さんたち帰ってくるわよ!」
「別に怒られたりしないって」
「そーじゃなくて!」
「こんなチャンス滅多にないんだぜ? 有効活用しないでどーする」
「わけ判んないこと言わなくていいから!」
努力もむなしく、遙紀はバスルームへ連れ込まれた。
ガラス戸に鍵をかけ、梨玖がにたっと笑う。
「へ、変態! 痴漢! セクハラ!」
「……彼氏に向かって言うことか、それ」
「な、なに言ってんのよ、夫婦でもレイプとかいって裁判になったりするんだから!」
「じゃー、訴えるか?」
「え?」
「そういう事件ってな、何をされたか具体的に説明しなきゃいけないんだぜ?」
「……う」
「言えるか、お前?」
こ、こいつ……おバカのくせに知能犯……!
遙紀が歯ぎしりしていると、梨玖が服を脱ぎ始めた。
「いやぁぁぁっ!」
「……まだTシャツ脱いだだけだろ……」
上半身裸の梨玖が呆れたように言う。
父や兄の裸でさえ、十年近く見ていない。あの二人はいい加減に見えて結構気を遣ってくれる。なのにいきなり同い年の男の胸板なんて見せられて平常心でいろというのが間違っているのだ。せめて海かプールにでも一緒に行っていれば少しは免疫もあるだろうが、付き合い始めたのは秋。見るのはこれが初めてだ。
「……なあ、遙紀」
「ななななによ!?」
「なんにもしないからさ」
「ううううそよ!」
「ホントだって。一緒に入るだけ」
「うそよ! 絶対うそ! 昼間みたいなことする気でしょ!?」
「いや、しない、ホント」
「信用できるわけないでしょ!」
「……じゃあ、あれだ。もしなんかしたら宿題は自力でやる」
「……あんたがぁ?」
「ほら、かなり自分の首絞めてるだろ」
「威張んないでよ……ほんっとになんにもしない?」
「しない」
「あたしに絶対触らない?」
「……ああ」
「なによ、今の間は!」
「あ、いや、あの、覚悟決めてたんだ」
「なんの!」
「なんのって……あのな、目の前に裸の女がいて我慢するのって根性いるんだぞ。しかも自分の彼女だぞ」
「じゃあ一緒に入んなきゃいいじゃない!」
「それも根性いるんだ」
「なんでよ!」
「いーから。ほら脱げ」
「っきゃあぁぁっ!」
遙紀はあっという間に裸にさせられた。
……なんであたし、こんな奴の彼女なの~~!?
それとも恋人同士はこういうことをするのが当たり前なのだろうか。
いや、絶対違うと思う。違ってて欲しい。
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