告白(転載) ■告白87 :掲載の快感 洋子 ♀41歳
告白・体験
■告白87 :掲載の快感 洋子 ♀41歳
もう10年以上も前のことになります。当時はまだネットのような便利なものがございませんでしたので、ご主人様も洋子に露出調教を施されるのに苦労されておりました。すでにその頃で、10年近くマゾ奴隷としての調教を受けていた私ですので、大概のことはこなせるようになっておりました。野外露出も三十路の前にすでに恥ずかしいという意識が完全に殺されておりまして、放尿や時には脱糞までができるへと育っていたのです。
そんな私にご主人様が課した調教は、SM雑誌の誌上調教に参加して、幾人もの男に責められる様を「雑誌グラビア」という形で全国の殿方に見て頂くというものです。
ご主人様が選定した雑誌は、今はもう廃刊になってしまった「SMセレクト」と「スペキュラム」でした。
私はまず「SMセレクト」の方と新宿中村屋の喫茶店でお会いし、私の性癖や掲載の方向について語り、そのままホテルへ。
総勢6人はいらっしゃったでしょうか。洋子は彼らの前で、ご主人様の命令の通りに、腋毛を伸ばし、そのかわりにおま○この毛をお尻の穴まできれいに剃毛した裸体を晒したのです。皆様、仕事を忘れて喜んで頂き、洋子も「ここでの行為がすべて全国の殿方に見られるのだ」と言い聞かせ、張り形からビール瓶までをおま○こで銜え、最後には浣腸による脱糞までを披露致しました。
それから三ヶ月後に行った「スペキュラム」では、スタッフの方がプロのSM嬢を用意して下さり、初めて女にいたぶられる快感の中で、蝋涙に泣き、やはり脱糞に至るまでの姿を写真に収めて頂きました。
この手の趣味のある方なたおわかりかと存じます。私の珍芸の数々が掲載されている雑誌が書店に並んでいるひと月というものは、いつでもどこでも腿が濡れているのです。それが自分の父親でも、男という男はすべて私がどんな女であるかを知ってしまったような妄想にとりつかれました。
ご主人様は、大層満足してくださり、私の掲載された号を何冊も購入され、わざと知人に配ったりされていたようです。
当時はまだヘアヌード解禁以前でしたので、私のおま○こはべったりと墨で塗られております。今なら、内臓の奥底まで晒したい気分ですが、悲しいかな、その後まったくつまらない夫と結婚し、愛のないまま子供を生んだ私の体型は崩れてしまいました。今では人様に出せるような代物ではございません。
それでも、今でも洋子は主人の目を盗んで昔のご主人様に逢いに行き、豚のような体に調教を施して頂いております。最近、ご主人様が、私の小1になる娘の下着をもってこいと言われたときは流石に驚き、躊躇もしたものですが、娘の下着を被らされたままバイブを頂くと、これまでにない被虐の喜びが身体を走るのです。
ご主人様は、まじめに娘をも奴隷にすると語るのですが、洋子の心は、実はそれを望んでもいる。親としては大変恐ろしいのですが、嫌いな夫の面影のある娘がどうにも私には我慢ができず、いっそのこと、ご主人様の慰みものにでもなって、今の時代にふさわしくネットで裸でも晒されたらいい気味だわ、なんて考えてしまう。
そうしたら、私もまたこの醜い裸を晒そうかしら。そんなことを考えていると、まだまだ変態女の現役でいたい気持ちがふつふつと湧いてくるのでした。
もう10年以上も前のことになります。当時はまだネットのような便利なものがございませんでしたので、ご主人様も洋子に露出調教を施されるのに苦労されておりました。すでにその頃で、10年近くマゾ奴隷としての調教を受けていた私ですので、大概のことはこなせるようになっておりました。野外露出も三十路の前にすでに恥ずかしいという意識が完全に殺されておりまして、放尿や時には脱糞までができるへと育っていたのです。
そんな私にご主人様が課した調教は、SM雑誌の誌上調教に参加して、幾人もの男に責められる様を「雑誌グラビア」という形で全国の殿方に見て頂くというものです。
ご主人様が選定した雑誌は、今はもう廃刊になってしまった「SMセレクト」と「スペキュラム」でした。
私はまず「SMセレクト」の方と新宿中村屋の喫茶店でお会いし、私の性癖や掲載の方向について語り、そのままホテルへ。
総勢6人はいらっしゃったでしょうか。洋子は彼らの前で、ご主人様の命令の通りに、腋毛を伸ばし、そのかわりにおま○この毛をお尻の穴まできれいに剃毛した裸体を晒したのです。皆様、仕事を忘れて喜んで頂き、洋子も「ここでの行為がすべて全国の殿方に見られるのだ」と言い聞かせ、張り形からビール瓶までをおま○こで銜え、最後には浣腸による脱糞までを披露致しました。
それから三ヶ月後に行った「スペキュラム」では、スタッフの方がプロのSM嬢を用意して下さり、初めて女にいたぶられる快感の中で、蝋涙に泣き、やはり脱糞に至るまでの姿を写真に収めて頂きました。
この手の趣味のある方なたおわかりかと存じます。私の珍芸の数々が掲載されている雑誌が書店に並んでいるひと月というものは、いつでもどこでも腿が濡れているのです。それが自分の父親でも、男という男はすべて私がどんな女であるかを知ってしまったような妄想にとりつかれました。
ご主人様は、大層満足してくださり、私の掲載された号を何冊も購入され、わざと知人に配ったりされていたようです。
当時はまだヘアヌード解禁以前でしたので、私のおま○こはべったりと墨で塗られております。今なら、内臓の奥底まで晒したい気分ですが、悲しいかな、その後まったくつまらない夫と結婚し、愛のないまま子供を生んだ私の体型は崩れてしまいました。今では人様に出せるような代物ではございません。
それでも、今でも洋子は主人の目を盗んで昔のご主人様に逢いに行き、豚のような体に調教を施して頂いております。最近、ご主人様が、私の小1になる娘の下着をもってこいと言われたときは流石に驚き、躊躇もしたものですが、娘の下着を被らされたままバイブを頂くと、これまでにない被虐の喜びが身体を走るのです。
ご主人様は、まじめに娘をも奴隷にすると語るのですが、洋子の心は、実はそれを望んでもいる。親としては大変恐ろしいのですが、嫌いな夫の面影のある娘がどうにも私には我慢ができず、いっそのこと、ご主人様の慰みものにでもなって、今の時代にふさわしくネットで裸でも晒されたらいい気味だわ、なんて考えてしまう。
そうしたら、私もまたこの醜い裸を晒そうかしら。そんなことを考えていると、まだまだ変態女の現役でいたい気持ちがふつふつと湧いてくるのでした。
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