小説(転載) Coffee Shop 2/7
官能小説仕事が終わり、竹内がアパートに帰ると、留守電のランプがついていた。母親からだ。同窓会の返事が来ないので、友人が実家に電話をかけたらしい。竹内は本棚の前に置いてあったはがきに手をのばし、もう一度読み返した。
「どうしようか…。」
竹内はつぶやきながら立ち上がり、カレンダーをめくった。同窓会は連休中に予定されている。竹内の会社は休みで、特に用事もない。竹内はまた腰を下ろし、誘ってくれるうちに行ってみるか、と思いながら、はがきの返信欄に記入した。
翌朝、近くのポストにはがきを投函し、駅へ向かった。毎日の通勤ラッシュには慣れてはいるが、知らない人間に自分の体をぎゅうぎゅう押される状態は、やはり気持ちのいいものじゃない。竹内は背が高い方なので、他の乗客よりは顔の位 置が上にある。おかげで、整髪料の強い匂いに悩まされるのだ。
しかも、今日は直接取り引き先に行くため、さらに、別の電車に乗り換えなければならない。乗り換えの駅に近づき、竹内はなんとかホームへ降りた。
「ふうっ」
一気に体が軽くなり、早足で歩いて隣のホームへ行った。数分で電車が入ってきたが、やはり、すごい乗客の数だ。竹内は無理やり車内に乗り込んだ。電車が動き出し、じりじりと奥の方へ進んでいくと、少し離れたところに美知の横顔を見つけた。
「ああ、この路線だったか。」
先日、美知と出会った電車が、この路線だったことを思い出した。声をかける状態ではないので、竹内はそのまま電車にゆられていた。電車の中吊り広告を意味もなく見つめる。くだらないゴシップ記事のタイトルが並んでいる。竹内は広告から視線を落とし、美知の方を見た。美知も人に押されながら立っている。
何気なく、美知を見ているうちに、竹内は、昨日マスターに、美知に興味があるのか、とからかわれたことを思い出した。そのときは否定したが、実際は少し興味がある。喫茶店で美知を見るようになって、美知が竹内の好みのタイプであったことから、いつか話しかけてみようと思っていたのだった。そんなときに思わぬ ところで、美知と話すことができ、竹内は、美知ともう少し話をしてみたいと思い始めていた。
電車が駅に着き、乗客が入れ替わった。竹内の目的の駅まではあとしばらくある。再び電車が動き出し、竹内は美知の方へ近づこうとわずかなすき間をぬ っていった。
あと少しのところで、竹内は、美知の表情に気が付いた。美知の顔色がみるみる変わっていく。その急激な変化に、竹内は美知に起こっていることを察知した。美知のすぐ後ろに立っている中年の男は、何食わぬ 顔で別の方を向いている。
竹内は、強引に美知のそばに近づき、美知の頭をつついた。美知は竹内の方を振り返る。竹内の出現で、後ろの男は慌てたのか、美知から離れていった。
次の駅で美知と一緒に竹内は降りた。
「大丈夫?」
竹内の問いかけに、美知は竹内が痴漢にあっている自分に気づいてくれ、声をかけてくれたということを悟った。
「ありがとうございました。」
うつむきながら礼を言う美知の肩をたたき、竹内は美知にコーヒーでも飲もう、と誘った。
「学校行っても、授業が身に入らないでしょ?」
竹内がそう言うと、美知はうなずき、竹内と並んで歩き出した。
「仕事は、いいんですか?」
美知が竹内の顔を見る。竹内は取り引き先との約束まで、まだ時間があるから、と答え、そのまま歩いていった。
「だいぶ落ち着いた?」
竹内の問いかけに、美知はカップを皿に置き、
「はい。本当にありがとうございました。」
と口もとをゆるめた。
「ごめんね。あいつをつかまえてやろうと思ったんだけど。」
竹内はイスにもたれながらつぶやいた。実際、竹内は男のあとを追いかけようとしたのだが、美知に腕をつかまれ、あきらめたのだ。今思えば、美知にとって、男をつかまえてもらうことよりも、誰かにすがりたい気持ちでいっぱいだったのだろう。
美知は首を強く振り、
「いいんです。助けていただいただけで…。」
と答えた。
「よく、あるんです。」
美知はゆっくりと話し始めた。
「あの時間帯の電車は、できるだけ避けるようにしていたんですけど。今日は寝坊しちゃって。」
美知の話を聞きながら、竹内がカップに口をつける。痴漢男が美知のようなタイプをねらうことに、竹内はだんだん腹が立ってきた。あの電車の中で、悲鳴をあげることは勇気がいることだろう。新聞で痴漢を捕まえた女性の記事を読んだことがあるが、それはすごいことなのだ、と竹内は思った。
時計を見ると、取り引き先との約束の時間がせまっていた。竹内は、もう大丈夫だと言う美知に別 れをつげ、駅まで走り出した。
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