小説(転載) Coffee Shop 3/7
官能小説その日、喫茶店に寄ると、美知はいつものように働いていた。美知は竹内の姿に気づくと、
「今日は、ありがとうございました。」
と微笑んだ。近くにいたマスターが不思議そうな顔をしている。
「何?どうしたの?」
マスターの質問に、竹内は返事に困ったが、美知がマスターに事情を説明してくれた。
「やるねえ。竹内くん。」
美知がそばを離れたすきに、マスターが話しかけた。そこへ、カウンターの奥から、マスターの奥さんが顔を出した。マスターは奥さんを呼び、竹内の話をし始めた。
「ちょっと、やめてくださいよ。」
竹内の制止も聞かず、マスターは奥さんに事情を説明した。
奥さんは、妙に感心し、いいことを思いついた、と言って奥から何かを持ってきた。
「美知ちゃん。」
奥さんは、離れたところでテーブルを片づけている美知を呼び、美知に紙切れを渡した。
「これ、あげるから。竹内くんを誘って行ってきなさいよ。」
奥さんが渡したのは、映画のチケットだった。お客さんに頼まれて買ったのだが、店があるから行けないと奥さんは言った。
竹内は焦った。この変な雰囲気は何なんだ。美知とデートしたいと思ったら、竹内は自分で誘える。おばさんの下手なお膳立てに乗せられる形で、美知と出かけるなんで最悪だ。
そんな竹内の心情など、奥さんは全く気づかない。マスターもそれがいい、と言わんばかりだ。美知は、映画のチケットを見つめて、少し考えていたが、竹内の方を見ると、
「どうですか?」
と笑った。
「もちろん行くわよ、ねえ。」
奥さんの言葉に、竹内は苦笑いしながら、結局承諾したのだった。
約束の日、竹内は美知と駅前で待ち合わせた。映画を見終わり、二人は夕食を食べた。
「映画、おもしろかったですね。」
美知は、笑いながら竹内に話しかける。竹内は、どうも集中しきれない。こんなバツの悪さは初めてだった。
「よかったの?俺と映画なんかみて。」
最悪だった。こんなお膳立てでしたデートのときに、男が口にできるのは、この言葉だけだ。
美知は、楽しいですよ、と答えた。駅で別れる間際に、竹内は美知に謝った。
「ごめん。俺、こういうの苦手なんだよ。」
美知は竹内の言う意味が分からず、表情を変える。
「あの、ご迷惑でしたか?」
「いや、そういうことじゃなくて。うーん、今度の休みに会えないかな。」
竹内の言葉に、美知は驚いたようだった。苦手だと言った竹内の言葉はなんだったんだろう。戸惑う美知に、竹内は、このデートの発端が奥さんの差し金だったことがどうも気になって、誘うなら自分の方から誘いたいということを話した。
美知はくすくす笑いながら、おもしろい人ですね、と言い、自分の携帯電話の番号を竹内に教えた。
休みの日、竹内は久しぶりに駐車場から車を出し、美知を迎えに行った。休日で道路は空いている。待ち合わせの場所に、美知は立っていた。薄手の白いセーターと、長めのタイトスカートをはき、髪をあげた姿を見て、竹内がかわいいとほめると、美知はうれしそうに笑った。
富士山が見たいという美知の希望で、竹内は山梨の方角へと車を走らせた。車中での会話はとぎれることなく、先日のデートのあと、喫茶店の奥さんがいろいろ聞いてきて、答えるのが大変だったことを美知が話すと、竹内も奥さんがいないかどうか確かめてから、喫茶店に入るようにしていたことなどを話し、二人で声を出して笑った。
このときには、竹内の美知への気持ちははっきりしていて、いずれ美知に打ちあけようと思っていた。ただ、今日はまだその時期ではないと竹内は考えていた。
富士山がよく見える場所に車をとめると、美知は車を降り、しばらく富士山をながめていたが、隣に立っている竹内の方を見、
「富士山って、絵みたいに赤く見えるんですか?」
と尋ねた。竹内が、夕日があたればそう見えるんじゃないか、と答えると、見てみたいと言いだした。竹内も絵や写 真でしか赤富士を見たことがない。美知は今、実際の富士山を目にして、その姿に感動したらしく、滅多に近くまでは来られないから、と竹内に頼んだ。
竹内と美知は、近くのレストランで食事をし、夕方まで待つことにした。
久しぶりに車の運転をし、少し疲れた竹内は、美知に了解をとって、運転席のシートを倒し、仮眠をとることにした。
しばらくして、竹内が目を覚ましたとき、隣で美知も眠っていた。朝早くから出かけたので、美知も疲れたのだろう。ドアの方へ顔を向けているので、顔は見えないが、静かな寝息を立てている。竹内は、自分の上着を美知のひざにかけ、助手席側を向き、左手を枕にして横になった。
時折、車が通っていくが、それ以外は静かで、時間が止まったような気がする。
竹内がもう一度目を閉じたとき、美知が寝返りをうった。竹内が目を開けると、美知もこちらを向いて横になっている。竹内はそのまま美知の寝顔を見つめた。目の上に薄くアイシャドウをぬ っていたことに竹内は気づいた。若い女の子なのだから化粧はしているだろうと思っていたが、こんなふうに美知の顔を見たことはない。口もとに小さなほくろがあることも、気づいていなかった。
竹内の目に、美知のつやのある唇が映る。美知が目を覚ます様子がないことを確かめると、竹内は右手の中指をゆっくりと美知の唇へと伸ばした。指先に美知の体温が感じられるところまで近づけたが、ふと指をとめ、またゆっくりと自分の方へ戻した。
(やっぱり、まずいよな…)
竹内はふぅっとため息をつくと、体を倒し、車の天井を見つめた。まだ夕方には時間がある。竹内はまた目を閉じた。
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