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小説(転載)  彼女は嘘つき  上

官能小説
01 /05 2019
高校に入って一年。
金欠で困っていた俺はある日、バイトをしようと思い立った。
ま、健全な高校生活を送るには数千円のわずかな小遣いじゃ足りなかった訳だ。
思い立ったらすぐ決めずにはいられない俺は、チラシや情報誌や周りの情報を元に、ある運送会社に的を絞った。
そこは時給は高くないんだけれども、高校生もとってくれるって話だった。
早速、さして書く場所もない履歴書を手に町中の一角にある事務所を尋ねると、太って脂ぎったそこの所長は即OKをくれた。
世間の評価? とは裏腹に、この所長は「高校生=素直で使いやすい」と思っているらしかったんだ。
あっけなさに緊張がほぐれ、いずれ手にするであろう札の束を思いホケーッてしてると、こちらを気にするようでもなく事務処理をしている女性が目に入った。
歳はそう、俺の母親と一緒か、もしかしたらもうちょっといってるかも知れないくらいの、おばさん。
俺に見られている事に気がついたのか、その女性は少しだけこちらを見て、また机の上に目を落とした。
ニコリと微笑みかける訳でもなく、真面目そうな表情・・・。
それが彼女との出会いだった。



その会社の仕事内容といえば、届ける荷物を整理してトラックに積む、仕分け作業が主だった。
最初は緊張して戸惑いとかもあったけど、だんだん上の人が言う事も頭の中に入っていき、それなりにこなせるまでそんなに時間はかからなかった・・・と思う。
ちょうど同時期、他の高校からも二人バイトに入って来てて、そいつらよりもマシになるまでは早かったんじゃないか? こんな事思うのはどうかと思うんだけれども。
休みの日や学校帰り、春先のまだ寒い空気の中を外に出て、ジャンパーを羽織りながら作業するのは身体に応えたけど、この結果がお金に結びつくんならと思うとそう苦痛でもなかった。
すぐに仲良くなった他校のバイトはよく愚痴ってたけど、「新人のクセに」とか「最近の高校生は甘えてる」とか思われたくなかったし、お金をもらうって事がそんなに甘くない事なのは俺なりに分かってたつもりだ。
そんな俺を上の人や周りの人はよく理解してくれて、

「生田君は幼く見えても真面目にやってくれる」

と、誉めてくれたりもした。
・・・そう、俺は身長も高くなく、体重も重くなく、顔も老けてなく、多少子供っぽく見られる事が多かった。
同時期に入った他のバイト高校生と比べても、だいぶ子供に見えただろう。
それが分かっていたから余計に「甘えてる」とか思われないように頑張ったんだ。
しかし、そんな努力を分かってくれない人もいた。

「・・・また生田君?」

バイトに限らず、社員のおじさん達だって、たまには荷物の積み間違いだとか小さなミスを犯す。
それぐらい当たり前だから、ちょっとしたミスでなじる人はいなかった。
しかし、だからと言って、失敗しても良いだなんて思った事はもちろんないんだ。
失敗すれば誰かに迷惑がかかるのは当たり前。業務上のミスは他のバイトや社員の人と比べたって少なかったハズだ。
・・・それなのに。

「もぅ、しょうがないのねぇ」

可笑しい、といった感じにみんなの前で笑うのは、ここの事務員である松山さんだった。
松山さんはここではただ一人の女性で、いつも事務所に居て事務処理をしている人だ。
結構背が高く、ほっそりとしていて、ロングのスカートが似合う、まぁ・・・割と美人なおばさんだった。
俺はこの人は最初三十代だと思っていたが、上の人に聞くと実際はもっとイッてるらしく、でも最初に見た冷たい印象とは違い気さくな性格らしくて、俺達とも気楽に接してくれていた。
もちろん最初は俺も、みんなと同じようにいい人だと思ってたんだけれど・・・。

「またって、全然俺間違えないでしょ」
「えー? ちょっと前も間違ってたくせに」

言わなくても、俺には「とぼけちゃって」というセリフが聞こえるようだった。
何故だか判らないが、この人はよく俺に軽口を叩く。
最初は仲良く思ってくれる証拠だと思ってたんだけど、だんだんとそれも、なんと言うか・・・疎ましく思えてきてた。
同時期に入った同年代のヤツらにはそんな軽口も言わないところを見てると、俺だけは認められていないような気がしたんだ。
喋り方だって俺の時は小さな子供を相手にするみたいな感じだった。
だから、

「なんで俺ばっかり・・・!」

なんて事も言っちゃってしまう。

「・・・え?」
「うん、生田君はあんまり間違えんもんね」

近くにいた社員の人が俺の言う事を認めてくれても、松山さんは聞いていないような感じだった。
それよりも、いつもは笑って返す俺が言い返したという事に戸惑っている様子だった。
もちろん俺だってこんな些細な事だけで怒ってる訳じゃない。
ここに入ってもう三、四ヶ月も経っていたのに、ちょっとした場面で感じるこの女性の接し方の不満が溜まっていたんだ。
例えば・・・。
ここに入ってからしばらく名前を覚えてくれず、俺だけいつも「あなた」とか「ちょっと」とかって呼ばれてた。
それをチクッと言ったら面白そうに、

「そうなのよぉ。息子の同級生と名前が似てるから、間違えちゃいけないと思って」

理由もよく解らないが、それからしばらくは俺を呼ぶ時、吹き出しながら呼んでたとか・・・。
他校のバイトや社員の人なんかは業務の事や私的な事を松山さんに気軽に相談したり頼んだりして、彼女も快くそれを聞いてあげてた。
一人だけの女性だから「母親代わり」の側面も持ってるとか誰かが言ってて、まぁそれは良いんだけど、同じように俺が松山さんに何かを頼むと、

「うぅん、いいけど・・・。出来ないかもよ?」

と、あからさまに消極的な返答をくれ、結局何もしてくれない、とか。
「あんまり甘えちゃいけない」からと、他の人と同じ事しか頼まないのに。
オマケに俺から頼み事をされたという事を、みんなに面白可笑しく話したり・・・。
その他、ちょっとした仕事を頼まれる時、同じバイトの中でも俺だけは「やるのが当たり前」てな言い方で、異常に回数が多いとか。
・・・まぁ要するに軽んじられてた訳だけれども、ひがみと思われるのもシャクだし、四十か五十か判らないようなおばさん相手にムキになってもしようがないと、最初のうちは何も言わなかった。
しかし、仕事的な面では真面目で信用できる人でも、俺個人の信頼度はいつまでも低い訳で、不満は溜まる一方。

「えっ? この前間違えてたの誰だっけ、あなたじゃなかったっけ。・・・え?」
「違う違う。生田君は間違えんよ、な?」
「・・・・・・」

もっとも、悪い人じゃないのは分かってるし、普通に話せばこんなに話しやすいおばさんもいないと思う。
見た目はとても上品な感じで、髪はショートカットにパーマをかけたイカにもな感じだけど、今時珍しいロングスカートの裾から見える足首は細くて女性らしくもあった。
俺だってそんな女性、ここでたった一人の女性とは仲良くしたいに決まってる。
うちの高校は男子校だから、[全く対象外]のおばさんでも、家族以外の女性と話すと新鮮さを感じたのは事実。
でも、平等に扱ってくれない・・・。
黙っておいて欲しい事を軽く言い触らし、そのくせ俺が他の人の事を聞くと、嘘ついたりとぼけたり・・・。
上の人や周りは認めてくれても、一人でもこんな態度の人がいると、本当に自分はここのメンバーなのか分からなくなってくる。
そうして何時からか、俺は松山さんと出来るだけ顔を合わせないようにと避けるようになったんだ。



一つ嫌な事があると、すべてが嫌になる。
秋になって外での作業には上着が必要になった頃、俺はバイトに来るのが少し苦痛になってた。
いくら頑張ったって認めてくれてるような気はしない、顔を合わせたくない人もいる・・・。
何度か辞めようかと思ったが、彼女もいない+帰宅部の身分では暇を持て余すのは判ってたから、言い出せなかった。

「あ・・・生田君」
「・・・」

事務所に入った俺を見つけた松山さんが言いにくそうに呼びかけてくると、俺は返事もせず顔を睨み付けた。
そういう態度をとるようになってから、さすがに彼女も俺の名前を間違えたり、どもる事は無い。
また仕事を押しつける気か、と嫌な顔をして言葉を待つと、松山さんは「違うの」とでも言うように慌てて口を開いた。

「あの、この伝票の事なんだけど」
「・・・」
「知ってる? ちょっと前に来た荷物なんだけどさ」
「田中さんに聞いてくださいよ。俺知らないでしょ」
「あ、うん、聞いたのよ。でもね・・・あ、ちょっと・・・」

俺は上の人の名前を出してその場を離れた。
我ながら度胸ある態度だとは思うが、今まで俺の意見なんか二の次にしか扱ってくれなかった人なんだと、皮肉を込めて言ってやったんだ。
事務所を出るときちょっとだけ振り返って顔を見たら、松山さんは困った顔つきをしていた。
ザマミロって気持ちと、ちょっと苦い気分・・・。
でもその頃の俺は、松山さんの顔を見るのも、男ばかりの職場で目立つ女の声を聞くのも、華奢な体つきも、皺の目立つ指先も、わざと強調するような白いスカートだって、すべてが嫌に感じていた。
誰かと楽しそうに話しているところを見るのだって、もちろん。
時には年齢や容姿の事をエサに、学校の友達やバイト仲間に悪口を言う事もあった。
きっとその時の俺の頭には、意味もなく松山さんの事ばかりが入っていたのだろう。
しばらくするとそんな自分もおかしく思えてきて、俺はさらに松山さんを避けるようになった。
別に差別されてたっていい、なんであんなオバサンの事を気にするのか疑問に思えてきてたから。
とにかく、あっちがそう扱うなら、俺も[どうでもいい人間]としてこの事務員を見てやる。
周りの人間はそんな俺と松山さんのたわいのない反目を面白がっているような感じだった。
そして、もっと寒い季節になり・・・。
顔を見せない俺が入ってくるのを待っているのか、帰る時間になってもずっと事務所にいたり。
たまに顔を合わすと、大袈裟なくらいに名前を正確にハッキリと呼んだり。
めんどくさい仕事を出来るだけ俺の所へは回してこなくなったりと、まあ、松山さんも色々と配慮してくれるようにはなってた。
その変化は俺の自尊心をくすぐったんだけれども、露骨な白々しさに折れる気もなく、憂鬱な気分で学校とバイトの往復をこなす日々・・・。
しかし、とうとう二学期も終わろうとしていた一二月、二人は衝突してしまったんだ。



その日、俺は学校で嫌な事があり、いつもよりバイトに集中できなかった。
五時を過ぎると辺りはすぐ暗くなり始め、外は少しの風でも大袈裟に震えられるほどの寒さ。
その頃には後に入ってきた一つ下の高校生バイトもいて、俺はそいつと一緒に作業をしていたんだ。
そいつはバスケをしているせいか背が高く、別の高校ながら俺と話が合い、仕事場で一緒にいる事が多かった。
もっともそいつは俺より年下で新人なのにもかかわらず、松山さんから子供扱いされる事はなかったんだけれども・・・。
その松山さんはその日は休みで、事務所の机の電気は消されたままだった。
作業が一段落つくと、俺たちは自動販売機でホットコーヒーを買い、その事務所に入った。
事務所の中には誰もいなくて、俺は不機嫌な気持ちを隠さず、いつも松山さんが座っている椅子に乱暴に座ったんだ。

「・・・寒いなぁ」
「寒いっスねぇ。冬手当とかって時給に付かねーかな・・・」
「それより基本時給が上がって欲しい」

かじかんだ手をさすりながらふと机の上に目をやると、手のひらに乗るくらいの包みが置かれているのに気付いた。

「あれ、これなんだろ」
「・・・勝手に触らない方がいいんじゃ?」
「かな・・・食いモン?」

俺が何気なくその包みを手に持っていると、運送会社の外で車が止まったのが見えた。
その車の助手席から誰かが降り、こっちにやってくる。

「・・・こんばん、は」

誰だろうと目を細める二人の前に現れたのは、全身を隠すような黒いコートを羽織った松山さんだった。
休憩中のリラックスした雰囲気が一変、俺はいつも通り居心地悪い気分に襲われる。
松山さんは後輩とだけ挨拶のような言葉を交わし、事務所内を見渡して、俺の手の中の物に視線を留めた。

「あ・・・」

俺は慌てて包みを机の上に置いた。
きっと彼女は、この包みを取りにここへ来たのだ。
あからさまに嫌っている人間の持ち物をいじっていた事に、俺は気まずさを覚えた。

「あ、うん、それね。田中さんがくれたのよ。昨日忘れて帰っちゃって」

松山さんは俺ではなく後輩に向きながら言った。
後輩が「中はなんなんですか」と聞くと、松山さんは俺にも聞かせるみたいに、社員の人から貰ったという包みの事を話し始めた。
もちろん視線は後輩だけに向けながら。
俺も当然彼女の話なんて聞く気はなかったけど、意識しない訳にもいかないから、横目で彼女が早く帰らないかと窺ってた。
コートを着た松山さんは年輩らしい貞淑な雰囲気を増して、スレンダーな身体が一段と引き締まって見える。
きっと、浮気なんかとは無縁な人なんだろう。
そんな事を思いながら、なかなか帰らない松山さんと後輩の話を聞いてるうちに、俺はまたモヤモヤと怒りの感情が持ち上がってきたんだ。
俺はわざと声入りの大あくびをして席を立った。

「あ・・・じゃ、外でお兄さん待ってるから」

松山さんが慌てて言い、机の上に近づき包みを取ると、横にいた俺と肩を並べる格好になった。
視線の高さはヒールの分か俺の方が低い。俺はそれを認めたくなくて、つい汚い物から避けるような動作で松山さんから体を離したんだ。
その瞬間、やっぱりというか、松山さんの表情が曇ったのが分かった。

「そうだ、生田君。あなた、倉庫に置いてる荷物知ってる?」
「荷物?」
「うん、同じ入れ物に入れてたくさん置いてるんだけど、それをナンバー通りに整理して直しておいて欲しいって。所長さんが」

久々に口をきいたと思ったらまた頼まれ事。それも、「他の人が言ってたから」という無責任な言い方。
俺の中のモヤモヤとした怒りが、固い物へと変わっていくのが分かった。
もしこれが俺ではなかったら、ちゃんと仕事をする理由を話して「お願い」するクセに!
こんな言い方だと結局俺が仕事を終わらせたところで、「あっそ。私が頼んだんじゃないから知らない」と、ねぎらってももらえないんだ。

「ふん、俺だけはそんな言い方」
「違う。みんなにだって同じように頼んでるわよ、あなただけじゃないって」
「どこが頼んでるって? 頼んでなんかないでしょ!」

俺は松山さんから目を逸らすと、早足で事務所を出た。
こんな人と話したってどうしようもない。
一段ときつくなったような寒さが身体を包み、入り口の方を見ると、松山さんが降りてきた車が見えた。
乗っているのは若い男。「お兄さん」という言葉から、子供なんだろう。
俺は腹立たしさと気恥ずかしさで、とにかく誰もいないところへ行きたかった。

「ねぇ、ちょっと、生田君」
「・・・」
「ねぇ生田君! ちょっと! ・・・何か私に言いたい事あんだったら言ってよ!」

後ろを振り向くと、事務所を出てきた松山さんがすぐ後ろに立ってた。
強くなった風でカールした前髪がおでこにかかり、いつの間にか目は充血して涙ぐんでいるように見えた。
その後ろでは、後輩が「どうしたんだろ」といった様子で首を傾げ、こちらを見ている。

「ねぇ! 言いたい事があるんだったら言って! 黙ってないで」
「・・・何が?」

大人の女、オバサンが怒ると、何とも言えない迫力がある。
俺は剣幕に押されながら聞き返すと、松山さんは手を震わせながら続けた。

「何か不満があるんだったら言ってくれなくちゃ分からないじゃない! ずーっと黙ってばっかり、男らしくない!!」
「・・・何が!!」

さすがにその言葉にカチンときた俺が言い返すと、松山さんは更に言い返し、それにまた言い返し。
大の大人相手に激しい言葉をぶつけるのは躊躇もするけど、俺は気圧されないようにと、松山さんの皺の目立つ顔を見返しながら声を張り上げたんだ。
そして「男らしくない」「差別しやがって、嘘つき」と何度も言い合った後、松山さんは「子供!」と言い捨てて車に走っていった。
・・・・・・なんでだ!
俺の方が一方的に責めなくちゃいけないのに、なぜ言い合いに、喧嘩にならなくちゃいけないんだ!
そんな気持ちで一杯だった。
激しい怒りに立ちつくしていると、「とうとうやっちゃったッスね」っていう後輩の声が聞こえた。



その日、家に帰った俺は・・・。

「お母さん! お兄ちゃんが電話返してくれない~!」
「うるせぇな!」

メシも食わず、部屋にこもって一時間。
事務所のアドレス帳からメモってきた電話番号と子機を持って唸ってた。
・・・電話をかけるか、かけないか・・・。
俺は腹を決めて番号をプッシュした。受話器から無情なコール音が響いていく。

「はい、松山ですが」
「・・・あ、あのー、○○運送のバイトの生田と申しますが・・・」

俺は震える手で電話機を持ちながら、すぐにその家の主婦だと判る声に名前を告げた。
すぐに切られるかも知れない・・・そう心配していると、意外にも相手は少し笑った。

「ああ、はいはい」
「あの、んー・・・・・・今日の事なんですけど・・・。今いいですか」
「あ、うん。いいわよ」

先程までとは打って変わり、松山さんの声はあまり怒ってなかった。
俺は焦らないよう、ずっと考えたセリフを頭の中で繰り返す。
電話したのは仲直りするつもりじゃない、あんな場所で言い合いになってしまった事を謝るだけだ、と。
会社の中で問題なるのは嫌だし、とりあえず部分的に謝っておけば、他の人が話を聞いた時に「こっちは謝ったのに」と言い訳になる、ような気がした。
まぁ、相手は大人、多少臆病風に吹かれたってのもあり・・・。
それと俺の頭には、車に向かって走ってく松山さんの姿がこびり付いて離れなかったんだ。

「その、さっきはすいませんでした」
「あ、うぅん、いいのよ。私もちょっとカッとしちゃって」
「俺も、ちょっと・・・」
「うん、いいのいいの。私そんなのあまり気にしないから。うん」

さっきまではあんなに怒ってたのに意外な程優しい言葉に、俺は心がパーッと明るくなったような気がした。

「でもほら、生田君事務所にあまり入ってこないし、私の顔見てすぐ帰ったりするでしょ? だからね・・・」
「それは松山さんが普通に扱ってくれないから、俺だって喋る気無くなるし」
「そんな事ない、みんな平等に扱ってるのに」
「そんな事ある!」
「・・・ないってば、生田君ー。じゃあ、なに? 例えば言ってみてよ」

どうも松山さんは俺を差別した事はないと言い張る気らしかった。
俺はここぞとばかり、今まで溜めていたモノを吐き出してやったんだ。

「嘘ばかりつくし」
「え、何を? ・・・あれ? でもあれは所長さんとかに言われてしょうがなくて・・・。じゃ聞くけど、どうしてその時「嘘つくな」って言わなかったのよ?」
「すぐ言い触らすし」
「うそ、私言わないわよ何も。言い触らすの嫌いなのに」
「じゃ、なんで松山さんしか言わない事を他の人が知ってる? 俺が他の人の事で同じように聞いた時には、とぼけて言わなかったくせに」
「そ、それはー・・・(よく聞き取れない)」
「同じバイトの相手してても、俺の時は投げやりだし・・・」
「えー、そんな事ないわよぉ! ちゃんと平等に扱ってるって」
「・・・それが嘘だし」
「ホントだって。私、偉いなぁって思ってるんだから。学校行きながらバイトして・・・みんな」
「みんな?」
「うん。あ、もちろんあなたもよ。だから何かできる事があればしてあげるし・・・」
「俺、松山さんに何もしてもらった事ないよ。そのくせいつも俺が迷惑かけてるみたいに言われる」
「うぅん・・・私そんな事言った? でも・・・じゃあさ、みんなに何もしてあげない方がいいって言うの、私」
「そんな事言ってない! なんで俺だけ何もしてくれないのかって言ってるんだって」
「そ、それは、その時の事情によってしてあげられない事もあったかも・・・。あなただけ特別扱いも出来ないでしょ?」
「・・・。名前も覚えてくれないし。俺だけだろ、あなたって言われるの」
「う、うん。それは謝るわよ」

・・・。
開き直りというか、松山さんは自分の言っている事が分かっているのだろうか? って気持ちだった。
要するに、接し方に差はあったけど平等に扱った、と言ってるんだ。さすがオバサンというか・・・。
俺としてはもっともっと強く言い返したかったんだけれども、また喧嘩になるのも嫌だったし、俺の言う事も多少効いてるようであったのでやめておいた。

「だからね生田君。何かいけない所があったら、今みたいに私に言って欲しいのよ。男らしくないって言ったのは言い過ぎたけど・・・ね?」
「・・・」
「言わなきゃ分かんないから・・・ねぇ、聞いてる?」

突然フレンドリーになった先生のような言い方に、俺は曖昧な返事をした。
言わなきゃ分からないなんて・・・。じゃあ、何も言われなくても普通に扱ってやってる他のバイトとか後輩はどうなるんだ。
そういうところが差別だって言ってるのに。
でも、オレはそれを口にしなかった。

「ご飯は食べた?」
「まだ」
「まだなの? お腹減ったでしょ」
「松山さんは?」
「うちは・・・もう終わって、後洗い物だけ」

後ろを振り返りながらそう言ったのか声が遠くなって、そのすぐあとに誰かが歩く音が聞こえた。
さっき車に乗ってた息子さん? だろうか、それともだんなさんだろうか。
俺の頭に、膝をこすり合わせるようにして走っていく松山さんの姿がまた浮かんだ。
そうなんだ。
彼女は結婚していて、俺より二倍以上も生きた立派なお母さんなんだ。
そんな家で柱となる人がどこぞの高校生と喧嘩してるって聞いたら、家族はどう思うだろう。
・・・もういい。言いたいことは言ったし・・・。
いつの間にか「その時の」俺は、松山さんを許してやる気になってた。
決して納得した訳じゃないんだけど、話しているうちに気が紛れたというのか。
その後俺はほとんど聞き役にまわりながら、よく喋る松山さんと仕事の話や世間話をして過ごした。
全然知らなかった社内での話も多く、それはそれで楽しかった。

「・・・じゃ、もうそろそろ」
「あ、うん。ごめんごめん、長く話しちゃって」
「・・・全然。それより、そろそろ切らないと家の人に悪いでしょ」
「あ、うちはいいのよ。息子がいるだけだから」
「だんなさんはまだ帰ってないんですか?」
「うぅん、うちのお父さん単身赴任なのよ」

そうか、だんなさんはいないのか・・・と思うと同時に、俺は少しだけ嬉しくなった。
ちょっとした松山さんのプライベートを教えてもらったような気がしたからだ。
今までだったら、こんな事は絶対に俺には教えてくれなかったはず・・・。嘘ついたりして。
その時、俺の部屋のドアからミシッと軋むような音が聞こえた。

「じゃ、もう切りますよ。妹が怒ってるから」
「あ、うん。おやすみ」

俺は電話を切ると、ひとつ大きな溜め息をついた。心の中の大きな重石が取れたような晴れやかな気分だった。
歳は離れてても大きな子供がいても、やっぱり松山さんは話しやすい人なんだと感じた。

「長すぎっ! どこ電話してんだよ!」
「うるせーな。ほら」

色々釈然としない部分もあるけど、これで明日からみんなと同じように松山さんと喋れる。
みんなの事や色々な事を知ってて頼りになる、割と美人な女性と。
それだけでも良かった・・・と、その時 は思ったんだ。



それからというもの、松山さんの俺に対する態度は明らかに変わった。
ちょっとした事でも気を遣っているのが分かる接し方というのか。
例えば何かを頼まれた時でも、ちゃんと訳を言ってくれて、こっちの都合も聞いてくれて、お礼も言ってくれる。
他の人と一緒に話している時でも、俺を無視しないようにと努めてくれてるのが分かった。
いくらおばさんでも、女性のそんな気配りや笑顔を見るのはやっぱり嬉しい。
でも多少意識が過剰になってる部分もあるらしく、ある時襟が大きく開いた服を松山さんが着ていて、俺がそこを一瞬見てしまったら、次の瞬間には襟がちゃんと直されてた時があった。
俺としては単なる条件反射で、別に中を見たいと思った訳ではなかったのに。
まぁそれでも、俺の見てるとこも意識してくれるようになったんだ、って思えば納得も出来た。
そんな松山さんの変化に、しばらくは俺も満足してたつもりだったんだけど・・・。
時が経つうちに、何か物足りなさを感じてしまうようになっていったんだ。

「おはよう。今朝はすっごく寒いね」
「そうスね、もう手が動かなくて。・・・それ、なに?」
「これ? うん、知り合いからもらった映画の割引券。谷口君が友達と見たいって言うからもらってきたのよ。・・・生田君もいる?」
「・・・ううん」

机の上に置かれてある後輩がもらえるという割引券を見て、俺はちょっと嫌な気分になった。
松山さんが後輩のためにもらってきたと思ったら、自然と・・・。きっと俺も頼めばもらえるんだろうけれども。
そんな気持ちは次第に態度にも出ていって、年が明けた頃には俺と松山さんはまた、あまり会話を交わさない間柄になっていた。
仲直りしたばかりで、周りの人達は仲良く話す俺たちを見て驚いていたというのに。
なんでまた仲が悪くなったか、松山さんは判らないかも知れない。
でも俺にはちゃんと理由が分かっていたんだ。

「おう、生田君。もう上がりか?」

もうすぐ冬休みも終わる一月初め。
俺がひとりで缶コーヒーをすすっていると、社員の人が声をかけてきた。
同じ高校の卒業生で話好きのその人とは、歳もあまり離れてないせいもあり、色々お世話になっていた。

「ハイ、片付けして終わりです」
「そうか。じゃ俺も一休みするかな・・・。松山さん、まだ居たか?」
「・・・さぁ」
「そうかそうか」

その人は事務所に走っていき、しばらくして俺が居る自販機の前にやってきた。

「何飲もかな。お前何飲んでんだ?」
「カフェオレです」
「そうか、じゃ俺も。・・・そうかそうか、生田君は松山さんが『大好き』だったんだよな」
「違いますよ」

自販機から缶を取り出してそれを頬に当てると、その人は俺の横にしゃがんだ。

「でも、なんでそんなに仲が悪いんだ?」
「なんでって、色々ですよ。差別するし」
「差別ってどんな?」
「色々・・・」
「そりゃ生田君の思い込みだろ。なんかはっきりした差別があるんならともかく」

俺は今まで、具体的に松山さんの嫌なところを他人に喋る事はなかった。
悪口を言い触らすみたいだったし、周りはこの人も含め、松山さんを信用している人達ばかりなのだ。
でも、このままじゃなんか悪者にされそうで嫌だった俺は、この人に今までの事を話して見る事にした。
名前を覚えてくれなかった事から始まり、仲直りしてまた話さなくなった事まで・・・。
どうせ判ってくれないと思ったし、話してるうちにどんどん自分が惨めで小さな男に思えてきたけど、もうどうでも良かった。

「で、思ったんですよ。普通に扱ってもらうようになっても、結局はみんなと一緒になっただけなんだよなぁ、って」
「とは?」
「仲直りする前だって松山さんは俺を平等に扱ってたって言ったのに、すごい変わり様で。て事はやっぱ差別してたんじゃん・・・。それが普通になっただけかって思うと、なんか納得できないって言うか・・・。分かります?」
「・・・」

俺が話し終わっても、その人の口からは否定も肯定の言葉も出なかった。
やっぱり、こんなこと他の人に話したって分かってるもらえるはずがなかったんだと、一瞬後悔する。

「そうか・・・。例えとして、こういう事だな?」

そうしたら、しばらく黙っていたその人はいきなり指で丸印を作り、俺の前で数度置く仕草をした。

「誰かが持ってきた・・・松山さんにしとくか。松山さんがお菓子を持ってきたとして、それがこう・・・五個あったとする」
「はあ」
「でも従業員は六人いて、一個足りないと。もらえなかった奴は怒るよな」
「はぁ・・・怒りますか」
「例えばだよ。で、次は松山さん、ちゃんと六個お菓子を持ってきた。それで言うんだ。今度は平等にあげるってな」
「ええ」
「でも一回目にもらえなかった奴は一度損してる訳だろ。だから、二つもらわないと納得できないんだよ。でも松山さんはみんな平等にと一個しかくれないと。もらえなかった奴を特別扱いしないんだ。・・・そんな気持ちだろ?」
「うーん・・・」

合ってるような合ってないような。
俺の気持ちを判ってくれたような、お菓子なんかに例えて、なんとなく遠回しに批判されてるような気もするが、

「そんな感じ、ですかね」
「そうか、そうだろ」

その人は、俺の気持ちをうまく言い当てられた事が嬉しかったようだった。
特別を求める気持ち。それは確かに存在した。
不公平な扱いをされてたんだから、俺を優先してくれても良いんじゃないか・・・。そんな、あんまり誉められない気持ち。

「でも生田君。そんな事なんて世の中にゃ山ほどあるよ。好き嫌いもそうだし、誰しも相手によって対応を変えるってのはやってる事だろ? 松山さんも生田君が幼く見えるもんだから、ちょっと子供扱いしたんだろなぁ」
「やっぱそうですかね」
「気にしたってしょうがないな。でも松山さんは結構、生田君の事可愛く思ってるみたいだったけどな」
「どこが」
「本当だよ。最初の頃なんて、生田君生田君って生田君の事ばっかり話してたし」
「・・・最初はそんなもんでしょ」

と言いつつ、仲直りの電話の時の、はしゃいだような松山さんを思いだした。

「逆に言えば、生田君が気になってたから、ひいきにならないようにと気をつけすぎた、のかも知れない・・・って考えられないか?」
「全然全く考えられない」
「・・・そうだろなぁ。でも本当だぜ。今は知らんけど、生田君が本気で頼めば結構何でもしてくれると思う。・・・あっちの方でも何でも」
「はあ?」
「そりゃあもお、松山さんくらいの女なら手取り足取り教えてくれるぞ。・・・ナマで何回でも出来るよ」
「やめてくださいよ! 気持ち悪い・・・」
「そうかそうか。あはははは。高校生があんなおばさんにゃ女感じないか」
「当たり前ですよ・・・。それに、俺が何か頼んでもしてくれた事がないって言ったばかり・・・」
「そうだよな、そうそう。あはははは!」
「・・・」
「ま、とにかく、事務の人相手にそんなムキになるなよ。ひがみっぽいとモテないぞ・・・」

その人はそう言うと、仕事場へ戻っていった。
最後の方の冗談もそうだけど、松山さんを気にし過ぎている俺を不思議に思っているような様子だった。
確かに、なんで俺はこんなにも腹を立てているのだろう。
唯一の女性だから? みんなに信頼されているから・・・?

「分かんないけどムカツクもんなぁ・・・。あぁ、なんもかんも楽しくない。もぅやめよ。やめよ・・・」

風の音が聞こえるような寒空を見てると、バイトなんてもうどうでもいいと思えてきた。
今まで「高校生だから」だなんて考えちゃいけないと思ってたけれど、周りは高校生としか見てくれないのだ。
頑張ってもしょうがない、と。



続く

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。