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小説(転載)  インセスタス Incest.1 クロニクル 2/4

官能小説
04 /28 2019

          4


 ─January.23 / St.elsia Hichschool ─


「まーさきくーん、もう下校時間だよー」
 今日も一日、窓側の一番後ろという最高のロケーションで惰眠をむさぼっていた
正樹の耳元で、仔犬のように脳天気な声がした。
「まだおっきしないのかなー? おっきしないとくりくりしちゃうぞー。それ、く
りくりくりぃ……」
「ぶわっ」
 突然、右の耳に何か柔らかいものを差し込まれて、正樹はがばっと跳ね起きた。
「あっははー、ね、一発でしょ。ミャーコちゃん必殺、“寝起きのためにその1”
ナリ」
 まだ目をぱちぱちとさせていた正樹の視線の前に、自分のブラウスの裾をエンピ
ツのように細くした美亜子が、にゃはは、と屈託のない顔で笑っていた。
「ミャーコちゃん、心臓に悪いよ……」
「にゃはは、ごめんねー」
「ったく、ガキっぽいことばっかするなよな」
 美亜子の後ろで、冴子が活発そうなショートカットに手をやりながら、美亜子の
頭をちょんと小突いた。
 あうっ、と美亜子が頭を抱える。
「ま、グータラ君にはいい薬よね」
 いつの間にやら正樹の隣の机の腰をかけた菜織が、半分開いた窓から吹き込む風
に、シャギーの入った髪を揺らせながら、苦笑気味に言った。
「なんだお前ら、人が気持ちよく寝てるっつうのに……」
 正樹、菜織、美亜子、冴子。4人とも去年同じクラスになってからの仲の良いグ
ループだった。特に菜織とは、半ズボンの頃からの幼なじみで、腐れ縁というやつ
である。この時期受験やらなにやらで本来3年生はてんてこまいなのだが、皆早い
時期に進路が決まっているので、4人ともどこ吹く風という感じであった。
「それになんだよ、グータラって。俺は朝も夕方も練習練習でヘトヘトなの」
「もう大会もないのに?」
 くすくすと菜織が笑った。
 冴子も苦笑して、
「しっかし大会終わってからエンジンかかってどうするんだよお前。相変わらずピ
ーク調整の下手なヤツ」
「うるさい。俺は記録のために走ってるんじゃないんだよ」
「ほー。じゃ、なんのためだよ?」
「“愛”のため、だよねー。陸上に対する飽くなき愛! わーいマーくん、カッコ
いー!」
 茶化すように美亜子が笑った。
 へ? と場の空気が脱力する。
 美亜子はムードメーカーとしては最高の存在だが、ときどき妙な方向へ暴走する
のが玉に瑕だなあ、と正樹はこういうとき実感する。
 それにいつから俺はマーくんになったのだ。
「適当なことゆーな。なにが愛だよ、恥ずかしい」
 少し耳を赤くして、ごつ、と冴子が美亜子を小突いた。
「いたーい」
 また美亜子が頭を抱えた。
 そんなふたりを見ながら、正樹と菜織は顔を見合わせて笑った。
(この光景もそろそろ見納めかな)
 と思うと、妙に名残惜しい気もする。
「あ、そうだ」
 ふと、菜織が何かを思いだしたように、ぽん、と両手を合わせた。
「ね、正樹、真奈美から手紙来た?」
「ああ、来たぞ。お前のトコにも来たか?」
「当然じゃないの。ね、中身読んだ?」
「読んだ読んだ。次の夏だってな。もう半年もないよ」
「え、なになになに? 真奈美ちゃんの手紙がどーしたの?」
 興味津々、という顔で美亜子が言った。
 好奇心で目をきらきらさせている。
「今度の夏にね、真奈美、日本に帰って来れるみたい」
「へー、ホントか? こっちに戻ってくるのか?」
 冴子が口元をほころばせながら訊いた。
「少しの間なのかずっとなのか、ってのはまだ分からないみたいだけどさ、もしか
したら親父さんの転勤がもう終わるかも、って書いてあったぜ」
「へえー」
「わーい。じゃあじゃあ、またみんなで遊べるねえ」
 心底嬉しそうに美亜子が言った。
「そうだ、今度の夏なんだったら、7月に横須賀の方に新しいテーマパークがオー
プンするんだよ。ねね、そこ行こうよー」
 美亜子らしく、もう遊びの算段を立てている。気が早いっての、と隣で冴子が苦
笑した。
「そうよミャーコ、だいたい卒業式だってまだじゃないの」
「えー、善はいそげだよー。もう皆進路決まってるんだし、じゃ下見行こうよー」
「ばーか。建設中のテーマパークみて何が楽しいんだ」
 菜織たちの言葉に、ぶー、と美亜子が頬をふくらませた。
「そっか、お前ら桜美に推薦決まったんだよな」
「ああ。あたいはスポーツ推薦、菜織は学校推薦だけどな」
 正樹たちの地元の桜美大学は、レベルもそこそこ、スポーツも県内ではかなりの
名門で知られている。なにより自宅から歩いて通える距離、というのがいい。
「ミャーコちゃんは専門学校だっけ?」
「うん。服飾だよー。デザイナー目指してるのだ」
 桜美駅前にも分校がある、大手の服飾専門学校だ。桜美大は駅から歩いて5分の
ところにあるから、ほとんど隣同士といっていい。
「ま、結局メンバーは変わらないってことだな。腐れ縁もここまで来ると相当だよ」
 冴子が笑った。
(そっか、やっぱみんな桜美なんだよな)
 頬杖をつきながら、ぼんやりと正樹は思った。ん? と冴子が怪訝な顔をする。
「なんだよ、お前も桜美から話来てるんだろ? もう決めたんじゃなかったのか?
地元だから便利だとか言ってたじゃないか」
「ああ」
 最後の大会の少し前くらいから、県内、県外から正樹のところにはスポーツ推薦
の話はいくつも舞い込んできた。その中にはもちろん地元の桜美大の名前もあった。
大学に入っても陸上を続けられるのは願ってもない話だったから、推薦を受けるこ
とは正樹は早くから決めていた。
 それなら、地元の桜美大が一番いい。そう思っていたのだが──。
「んじゃ、そろそろ書類とか、手続きしないとヤバイんじゃないのか? 陸上の方
はよく分からないけどさ。もう2月になっちまうぞ」
「んー、まあ、桜美には週末までには返事することになってる」
「早めにしとけよ」
「ああ……」
 そう言いながら、正樹はちらっと菜織の方を見た。菜織はちょっと複雑な視線を
返した。
「なんだよ、煮え切らない返事だな」
「いやさ、……」
「ん?」
 正樹は一拍置いて、
「城南からも──話、来てるんだ」
 と、言った。
 へ、と冴子は一瞬ぽかんと口を開けて、
「なにいいい~!」
 素っ頓狂な声をあげた。
「城南? 城南ってあの城南か? 八王子の?」
「ああ」
「え、なになに、それってすごいの?」
 好奇心を全身から発散させて、美亜子が身を乗り出した。
「すごいもなにも、陸上の名門中の名門だよ、あそこは。あたいだって知ってるく
らいだ。国際強化選手なんてごまんといるし、オリンピック選手だって何人も出し
てるぞ」
 お前、そんなにすごいヤツだったのか、と冴子は感心したように言った。
「んー、けっこう前から電話とか来ててさ。──昨日、書類が送られてきた」
「全然知らなかったよ、なんだよ、水くさいな。菜織は知ってたのか?」
「うん。ちょっと──話はね」
 少し寂しそうな口調で、菜織は答えた。
「なんだよ、菜織には教えて、あたいたちには教えてくれなかったのかよ。友達甲
斐のないヤツだなー」
「ちっちっち、無駄よサエ。このふたりにはあたしたち新入りがおよびもつかない、
ふかぁーい絆があるのですヨ」
 口では茶化しながらも、美亜子もちょっと不満そうな表情をしていた。
 てっきりふたりとも、正樹は桜美に行くものだとばかり思っていたから、突然出
てきた対抗馬に驚いているのだろう。正樹が桜美大に行かないかもしれない、とい
うことより、なぜその対抗馬のことを教えてくれなかったのか、ということを詰問
しているような表情だった。
「なーに言ってんの。ま、コイツもいろいろ複雑みたいだったし、あんまり話広げ
ても、って思ったからさ。……でも正樹、そろそろ答え出さないと。いつまでも考
えてたって、先進まないよ」
「まあ、そうなんだけどな」
「橋本先輩もさ、誘ってくれてるんでしょ?」
「ああ」
 正樹の1年上で、去年卒業した陸上部の前キャプテン、橋本まさしは、スポーツ
推薦で桜美大に入り、かなりの有望株で、大学の競技会でも好成績をおさめている
らしい。この前電話をもらったとき、声がはずんでいた。桜美の陸上部で充実して
いるのだろうし、正樹が来るかもしれないということで、楽しみにもしているのだ
ろう。
(きっと、桜美に行けばのびのびやれるだろうな)
 正樹は思う。
 対して、城南の陸上部はとことんリベラルでありながら、徹底的な競争社会だと
聞いている。自大の陸上部の中で完全な競争社会が確立し、ついてこれない人間は
容赦なく脱落していく、という話だ。よくもわるくもシビアなのだろう、だからこ
そ、名門の上に立つ名門でいられるのだろうが。
「それに、城南に行くとなると、八王子だろ? 寮にしろひとり暮らしするにしろ
──家を空けなきゃならなくなるからな……」
 そう言いながら、正樹は昨日、乃絵美から城南大学からの手紙を受け取ったとき
のことを、ふと思い出した。


          5


『乃絵美? どした、新聞──来てなかったか?』
『あ、ううん……はい、これ』
 乃絵美は慌てて、抱えていた新聞を正樹に差し出した。
『サンキュ。どれどれ……江藤G確定か? なになに……』
 スポーツ欄に目をやる正樹をじっ、と見つめながら、乃絵美は薄い下唇をきゅっ
と噛んだ。その視線に気づいた正樹が、ん? と顔をあげた。
『どした?』
『あ……なんでも、ない』
 取り繕うように、乃絵美はぱたぱたと胸のあたりで手を振った。
『あ、ほら、お兄ちゃん、真奈美ちゃんから、手紙が来てたよ』
 笑顔を作って、乃絵美は真奈美の送ったブルーの封筒を正樹に渡した。後ろ手で、
城南大学の白い封筒を握ったまま。
(どうしよう)
 そのまま、乃絵美は固まったように動けなくなった。
 気軽に、真奈美の手紙と一緒に渡せばよかった。だけど左手は──石のように固
くて、重くて、どうしても動かせなかった。
『ホントか? 先週来たばっかりなのに、真奈美ちゃん筆まめだなあ。なんかいい
ことでもあったのかな?』
 口元をほころばせながら、真奈美の手紙を受け取ると、正樹はサイドテーブルの
引き出しを開けて、ごそごそと中を探った。
『どれどれっと……ありゃ、乃絵美、ペーパーナイフってどこしまったっけ?』
『…………』
『おーい、あれ? ハサミもないぞ』
『…………』
『乃絵美?』
『…………』
『おい、乃絵美?』
『あ……』
 その声で、乃絵美ははっと我に返った。
 後ろ手に掴んだ封筒に、いつの間にか力が入っていた。
『どうした? なんかちょっとおかしいぞ? 調子悪いか?』
『あ、ううん』
 ぎこちない微笑を返しながら、乃絵美。
『そうか?』
『あ、ペーパーナイフなら、今朝お父さんが使ってたから、テレビのところのテー
ブルの上にあるんじゃない……かな』
 そっか、と正樹はテレビの方に移動して、お、あったあった、と声をあげた。そ
のまま、ペーパーナイフで器用に封筒を開けている。
(…………)
 乃絵美は唇を噛んだ。
 このまま黙っていようか──ふと、そんなことを思った。
 今週末まで黙っていれば。
 そうしたら……。
『…………』
 駄目だ。
 そんなこと、できるはずがない。
 乃絵美にはよく分からなかったが──正樹にとってみれば、今度の話は2度とな
い、本当に大きなチャンスなのだろう。
 自分ひとりの我が儘で──それを潰していいはずがない。
(言わなきゃ)
 手紙が来てるよ。
 一言そう言えばいい。後は正樹が決める。桜美大を選ぶにせよ、城南大を選ぶに
せよ、正樹自身の問題なのだ、これは。
 乃絵美は、深呼吸をした。
 そして精一杯の笑顔を作って──言った。
『お兄ちゃん、もう一通、手紙が来てるよ』


          6


 あのときの乃絵美は、なんともいえない表情をしていた。
 頬杖をつきながら、ぼんやりと正樹は思った。
 ひとりきりで置き去りにされて、どうしてよいのか分からない、迷子の仔犬のよ
うな表情。子供の頃行った縁日で、ふとしたことで連れていた乃絵美の手を離して
しまったときも──あんな顔をしていた。
「…………」
 ふう、と正樹は息をついた。
 早くに母親を亡くした乃絵美が、人一倍孤独に敏感だということは、誰よりも正
樹がよく知っている。実際のところ、兄妹なんて関係は本当はもっとドライなもの
だと思う。だがそれは、父親、母親、兄あるいは姉──愛情の対象が多くあり、兄
妹というのはそのつながりのひとつにすぎないからだ。
 けれど──乃絵美の糸は二本しかなかった。父親か、正樹か、その二本しか。
 正樹が東京へ行けば、また一本、糸が減ってしまう。
(まあ、もう寂しがるような齢でもないだろうけどな……)
 そう思いながらも、昨日の乃絵美の表情が、どうも頭から離れない。
「正樹?」
 傍らの菜織が怪訝そうな声をあげた。
「ん、ああ?」
 その声で正樹は我に返った。いつの間にか考え込んでいたらしい。
「どったの、黄昏ちゃってるよー」
 にゃっはは、と美亜子が笑った。正樹も、わるい、と苦笑を返した。
「まあ、あんまり考えすぎないことよ。自分が一番やりたい道を選べばいいんだし
……要はフィーリングじゃない? 案外パッと決めちゃった方がいい結果になるわ
よ」
 菜織の言葉に、そうだよな、と冴子が同意するようにうなずき、
「でも、城南を蹴るってのも、贅沢な話だぜ」
 そう付け加えた。
「そうだな……」
 正樹はうなずいた。行きたくて行けるところではない。城南に入りたくても入れ
ない選手だって、いくらでもいるのだ。
「……まあ、もうちょっと、ギリギリまで考えてみるよ」
「ああ、そうしな」
 正樹がそう言うと、菜織も冴子も少し伏し目がちにうなずいた。
 その選択によっては、正樹は桜美を出ていくことになる。いつかはこの居心地の
いい関係も、時間とともに疎遠になっていく。そうとは分かっていても、やはり寂
しさはぬぐえないものがある。
 そのまま、4人ともなんとなく黙ったまま、窓から吹き込む風に、制服を揺らし
た。長いようで短い3年間というが、本当にそうだった。その3年間が、もうすぐ
終わろうとしている。
 ずっと続くかと思っていた日常は、こうやってゆっくりと、あるいは唐突に──
変化を迎えるのだろう。
(もう2月か……)
 3年前の2月、自分は何をしていただろう、と正樹は思った。
 菜織と一緒に駄目もとでSt.エルシア学園を受験して、二人とも何とか合格し
て……乃絵美は自分のことのように喜んでいた。大人しい顔に決意をこめて、「わ
たしも頑張るね」と言っていた。
 来年の2月はどうしているだろう?
 正樹は思った。
 きっと走っているだろう。それだけは分かる。

 そして──誰が傍にいてくれるのだろう?

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。