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告白(転載) 5 裏にある狙いに、はめられてしまった両親

近親相姦告白・体験
02 /20 2021
「母の第三の夫は息子の私です」は消滅サイト。
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昭和40年の頃頃の話になります、
当時、父「行男」39歳で 母「真弓」33歳。

私「英雄」10歳(小4)で田所さんは「浩一」と言います。 
当時52~5歳の位でなかったかと思います。

私の家は代々農家でした。 
お祖父さんの頃に片手間に雑貨屋を
営んでおりました。

その頃始めました辺りは近所に百貨店が
出来るまでの間は結構繁盛して痛そうです。

百貨店出来てからは、ほとんど
売れなくなったようです。

貸家業もしていたので食べるには
そこそこ困りませんでしたが、
雑貨業がそろそろ辞めようとしていた
ときのことです。

父は店をたたんだ後の就職先はまだ
決めておりませんでした。

そんな時に近所に住んでいて飲み友達の
田所さんが「それならワシん所の仕事を手伝って
くれんか?」と言ってきました。

田所さんは「田所組」と言う40人程の人足を
使う土建屋です。

大手の土木会社の下請けをしており仕事は
殆ど地方の山の中での請負仕事だったようです。

雪の無い四月~雪の降り出す十一月頃までが
特に忙しく出稼ぎ仕事で今で言う単身赴任でした。

山の中で電話も無い様な所での仕事ですので
父は仕事を引き受けるのを渋っていましたが、
田所は毎日のように家に通って来ては両親を
口説いておりました。 


しかし田所には、その裏にある狙いが
あったようです。

両親はとうとう根負けをしてしまい、
期間は四月から十月一杯で八月のお盆には
一時帰郷出来る事と言う条件で出稼ぎに
行くことになりました。

父は三月の終わりに長野の山奥へ
出稼ぎに行きました。

その後、父と母は月に一度位のペースで
手紙のやり取りをして連絡しあっていました。

田所の家は我が家の近所に在りましたが、
「田所組」の事務所は、少し離れた「K市」の
駅前にありました。

田所は月の初めの一~二週間ほどは
事務所を中心に仕事をし残りの月の半分を
現場で過ごすということを毎月だったようです。


当時の給料は銀行振り込みなど無い時代なので、
田所が月初めに現場から戻ったついでに父の
給料を母に手渡すことになっていました。

五月の初めの夜に田所は家を訪れ 
母に初めての父の給料を手渡しました。


その際母は、お酒と手料理でもてなしましたが、
この辺は田舎のためにそのこと自体は別に珍しい
ことではなくてむしろ当たり前のことで 

誰かが家に訪ねてくればお酒と肴でもてなすのは、
いつものことでしたし田所もいつものように楽しそうに
父の近況などを話して帰ってゆきました。

そして次の六月の初めに 田所がいよいよ
本性を現したのでした。


前の日に田所より電話があり「明日の午前中に
行く」とのことでしたので母は、子供達を学校に

送り出してから いつものように酒と肴の用意を
して田所の来るのを待っていたのでした。

梅雨の前にもかかわらず暑い日が何日か
続いたときで、その日も朝から真夏のような
暑い日でした。

十時過ぎに家に来た田所は背広を手に持ち 
いつものネクタイを外して全身汗まみれ
だったそうです。

給料を母に手渡して居間に訪された田所は、
母に「汗をかいて気持ちが悪いから、行水させて
欲しい」と言い、その場で着ている物を脱ぎ 

パンツ一枚になると勝手知ったる家とばかりに
風呂場に行きました。

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。