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告白(転載)  【916】息子の子を産みました

近親相姦告白・体験
04 /07 2016
近親相姦体験・願望告白 消滅サイト。投稿者別に時系列で追ってみる。

2004/10/2(土)02:53 - 主婦・きよみ・45歳 (女)
私は19歳で未婚の母となり、息子のたけしをひとりで育てました。
そして息子が中学2年の夏に息子と結ばれました。私は33歳の女ざかりで、息子も
女に興味を持つ年頃でした。息子がオナニーするようになったことを知った私は、
息子が遠くに行ってしまうような気持ちになり、居ても立ってもいられなくなりました。
私は息子を手放したくはありませんでした。誰にも渡したくなかったのです。
私は息子がオナニーするときを見計らって裸になって息子の前に立ちました。
とても恥ずかしかったけど、私の頭の中は息子との性愛のことしかありませんでした。
息子はそんな私の気持ちをわかっていたみたいで、私の身体を求めてくれたのです。
股を大きく広げて性器を見せてあげると、息子は夢中で匂いを嗅ぎ、ぎこちない
しぐさで舐めてくれました。ペニスを硬く勃起させて。
その日から私たちは犬畜生と言われる母子相姦の世界に踏み込んだのです。
それから12年もの間ほとんど毎日母子相姦を続けていますが、息子とするように
なってすぐに妊娠し、最初の子は堕しましたが、それから半年後に再び妊娠しました。
息子も産んで欲しいと言うので思い切って産むことにしました。
元気な女の子が生まれましたがその子も今年10歳です。息子は私としながら子ども
の性器を舐めたり、私の膣に出した精液を舐めさせたりしています。あと2年もすれば
息子とできるようになるでしょう。息子は、そうしたら3人でやろうと言います。

告白(転載)  【915】超・近親相姦

近親相姦告白・体験
04 /07 2016
近親相姦体験・願望告白 消滅サイト。投稿者別に時系列で追ってみる。

2004/9/27(月)21:38 - ユリコ (女)
 皆さんは、近親相姦の体験はありますか?あっても、母親と息子、あるいは父親と娘との
恋関係ぐらいですよね。でも、私が体験した近親相姦は、お婆ちゃんと孫なんです。この時
点で、読まなくなる人が殆どだと思います。でも私はまだ51歳で、お婆ちゃんと呼ぶには
まだ早すぎると思いませんか?孫は15歳の高校2年生。私は、百合子(仮名)で、孫は哲
也(仮名)です。

 16歳のときにできちゃった結婚した私は、高校2年だったのですが中退をし、パート主
婦として毎日を過ごしていました。しかし、息子が19歳のときに結婚をして翌年に孫の哲
也が産まれました。そして、孫が中学生になったときに主人は蒸発して、主人が残した家に
1人暮らしとなりました。しかし、孫が学校の定期的な休み(春・夏・冬休み)のときに遊
びに来てくれるので、私には孫の存在は主人以上に大きいです。

 でも、孫が高校生になってからは、定期的な休みだけでなく、土日も来てくれるようにな
り、しまいには私の家に住み着くようになりました。土日も来るようになったのは、不登校
が原因です。高校に入学してからの哲也は、勉強に身が入らず、登校拒否を繰り返していま
した。家に閉じ篭る日々を過ごしていたらしいのですが、親がいくら説得しても学校にも行
きませんでした。土日には、私の家に足を運ぶのですが。工業高校を出て技術系の会社に勤
めているマジメ派の息子には孫の心はわからないはずです。また、心理カウンセラーを名乗
る息子の嫁ですらも。なんせ不登校の経験がないのですから、高校中退は社会で不利だとか
学校がイヤなら働けとかの言い方は孫にとって酷ですよ。こんな両親がイヤで孫は私の家に
転がり込んで来るのですが、不登校の末に高校を中退した私は孫に家で好きなことをさせて
います。とはいっても、ゲーム等の無駄なことはさせずに、図書館や科学館、博物館、美術
館へ連れて行きました。中でも、孫は美術館が気に入ったみたいです。裸婦画が特にお気に
入りで、美術館である裸婦画をじっと見ていたのかと思うと、翌日は図書館へ行ってルーベ
ンス等の本を借りてきては、画用紙に描き写していました。

 こんな日々が半年ほど続いた8月のある日、孫は私をモデルに描きたいと言い出したんで
す。孫の真剣な表情に私は承諾して、1階の和室へ行きました。ここだと服を脱いでも周り
の視線を気にすることがありませんから。孫は画材セットを揃えて、和室に入りました。昼
間とあって暑いので、クーラーをかけてから、私は服を全て脱ぎ全裸になりました。体型は
小柳ルミ子と似て細身なのですが、乳房がCカップと大きめで、張りがなく垂れパイであり、
乳輪や乳首は黒ずんでいました。正直、私は恥ずかしかったのですが、不登校の孫が何か好
きなことを見つけてくれればという思いで我慢しました。

 全裸となってポーズをとり10分くらいじっとしていたのですが、孫が何も書き出そうと
しないんです。
私「どうしたの?哲也くん。お婆ちゃん、じっと我慢してるのよ」クーラーが効いているの
ですが、窓から差し込んでくる日差しに乳房辺りが汗ばんできました。
哲也「・・・・」顔を赤らめ、石のように固まったままの状態でした。
私「描くなら早く描きなさいよぉー。お婆ちゃん、恥ずかしいんだからぁー」私も顔から火
が出そうなくらい恥ずかしいのです。それでも孫が鉛筆を動かす様子がないんです。
私「緊張しちゃってるんだね。わかった。汗かいたからお婆ちゃん、シャワー浴びてくるわ
ね。哲也くんは、お茶でも飲んでリラックスしてなさい」そう言い残して、風呂場へ向かい
ました。

 シャワーを浴びて汗を洗い流してから沸かしておいた風呂に浸かりました。浴槽でリラッ
クスしていると、孫がドア越しに覗いてきたんですよ。
私「あら哲也くん、女性が風呂入っているとこ覗いたらだめでしょ!」笑い口調で頬を膨ら
ませて一喝しました。
哲也「ごめんなさい・・・」顔を赤らめてドアを閉めてしまいました。高校生だし、女性の
裸に興味が湧くのは仕方ないし、私が先ほど全裸を見せたのですから、風呂に浸かっている
私の入浴シーンを覗くのもムリはないですよ。
私「哲也くん、覗くなんて男として最低よ。お婆ちゃんと入りたいなら、入りたいと言いな
さい!」少し強めに言いました。ちょっとの間、沈黙が続きました。この間、私はドキドキ
してました。
哲也「お婆ちゃん、一緒に入っていいですか?」自信なさげな、女々しい声で聞いてきまし
た。
私「男の子でしょ?!はっきり言いなさい!」怒るようにして言いました。
哲也「お婆ちゃんと一緒に入りたい!」強く言ってきました。
私「いいわよ。服を脱いで入ってきなさい」一転して優しい口調になりました。服を脱ぐ音
がした後に、ドアが開いて、顔を赤くした孫がタオルでチ○ポを隠しながら入ってきました。
そして、そのまま浴槽に入ろうとしました。
私「哲也くん、ダメ!風呂入る前はちゃんと掛かり湯しなさい。それと浴槽にタオルを入れ
てはダメ!」孫は立ったまま掛かり湯をし、湯が私にかかってきました。誰にこんなこと教
わったのかと思いましたよ。息子にはしゃがんで掛かり湯するよう小さい頃に教えたし。
私「哲也くん、しゃがんで掛かり湯しなさい」孫は言われた通りにし、私の横に浸かりまし
た。その後、お互いに向かい合わせになりました。
私「哲也くん、絵画で見て描くよりも実際にモデルの前で描く方が難しいでしょ?」笑顔で
柔らかい口調で聞きました。
哲也「うん」
私「じっとしたままポーズをとっているモデルだってしんどいのよぉー」頬を膨らませて言
いました。
哲也「ごめんなさい・・・」俯きながら謝りました。
私「お婆ちゃんなら構わないけど、実際のモデルさんだと大変なことになっちゃうよ」
哲也「やっぱ・・・僕って絵を描くのはムリなんだ・・・」目に涙が浮かんできました。
私「ごめんね。ムリじゃないの!ただ、このようなことを先に言っておかないと、と思って。
裸婦画の作者はこのようなことを十分に理解して絵を描いてるのよ。最初はムリだと思うの
は誰でも同じ。だって、あのルーベンスも苦労したのよ」泣き出して自信を無くそうとして
いる孫を説得するのに必死でした。
哲也「本当?」涙で潤んだ瞳が私に向けられました。ドキンとしました。
私「本当よ。お婆ちゃんが約束する」
哲也「絶対だよ!」
私「お婆ちゃんがウソついたことあった?」孫は首を横に振りました。指切りげんまをした
後に、体を洗い合いしてから風呂を上がり、和室に戻りました。このとき、私は孫に性教育
をしようと思い立ちました。女性慣れして欲しいが故の考えでした。

 和室で脱ぐのが面倒くさいので、全裸のまま部屋へ向かいました。でも、孫がTシャツと
パンツだけの格好で描こうとしていました。ですから、クーラーを自動から弱風に変えまし
た。そして、再度スタートしました。しかし、10分経っても孫は描き出そうとしません。
それどころか、パンツが勃起したチ○ポで大きく膨らんでいました。このときどうしようか
と悩みました。私が童貞を破って女慣れさせるか、このまま放っておくか。5分くらい胸を
ドキドキさせながら悩みました。この間、孫はチ○ポが爆発せんくらいに勃起させていまし
た。
私「哲也くん、お婆ちゃんがリラックスする方法を教えてあげる」孫が座っている椅子に歩
み寄りました。
哲也「エッ?!」全裸の私が近付いてくるのですから、驚きですよね。
私「哲也くんは女性との体験、初めてでしょう?!」いやらしい口調で言いました。
哲也「体験?!」ビックリした表情でした。
私「こ・れ・よ」孫の膨らんだ股間を優しく掴みました。
哲也「うわぁー!」ビックリした孫は椅子をひっくり返し、転倒しました。運良く床が畳だ
ったので大事には至りませんでしたが。私は孫を椅子から離し寝かせました。このときお互
い見つめ合いました。お互いこれからの展開に期待と不安を募らせていたのでしょう。
哲也「お婆ちゃん?!」孫が瞳を潤わせて言いました。
私「百合子と呼んで」首を横に振って、百合子と呼ぶよう促しました。可愛い孫の童貞を破
ることはできませんが、少年ならできるかもしれないと思ったからなんです。理性と性欲と
の争いに時間がどれだけ経過したのかはわかりませんが、いくら時間が経とうとも、目の前
にいるのは私の孫であることに変わりがありませんでした。
私「ごめんなさい、哲也くん。やっぱり可愛い孫にこんなことできない」私は孫から離れて
泣き崩れてしまいました。啜り泣きが和室を支配していました。

 結局、この日は何もできずに終わってしまいました。私って本当に根性なしですね。です
から、翌日私はレンタルビデオ店に行って、近親相姦系でレイプモノのビデオを借りてきま
した。お互いに性欲を爆発させる為です。夕方くらいに、また和室で裸婦を描く練習を始め
ました。10分してシャワータイムをとり、風呂から上がると、借りてきたビデオを孫と一
緒に見ました。勿論、お互いにパンツ1丁です。表紙で見たのと内容がかなり違っていて、
中身の方が息子の性教育に悪いのですが、性欲を爆発させて童貞を失わせたい衝動の方が勝
っていた為、後悔はしていませんでした。全裸の男が女を裸にしてレイプするシーンになっ
たら、私は孫のチ○ポを握りました。
私「哲也くーん、もうこんなに固くなってぇー」パンツの中に手を入れて、亀頭とくびれを
撫で回しながら、いやらしく言いました。
哲也「お婆ちゃん・・・」快楽の表情でした。
私「百合子さんと言いなさい!」チンポをきつめに握りました。
哲也「百合子さん」快楽から苦痛の表情に変わりました。この表情を見て、一線を越えるこ
とにためらいをなくしました。
私「哲也くん、大好き」私は孫に抱きついてキスをしました。手を絡め合って、ディープキ
スをしばらくしました。私はキスから、首筋、肩、腕、胸、乳首、腰、股間へと舌を這わせ
ていきました。孫は体を捩じらせながらよがり声を出していました。次にパンツを脱がせる
と、フェラをしました。すると、最高の雄叫びが上がりました。それに快感を覚えた私は、
夢中でフェラをし続け、次第に孫の体がエビ反り状態になったかと思うと、私の口に孫の精
液が広がりました。残り汁を吸い取ると、私は孫の目の前で精液をごくりと飲み干しました。
私「哲也くんって、カ・ワ・イー」いやらしい目つきと声で言い、キスをしました。孫は抵
抗しますが、私は押さえつけたまま孫を下にして寝かせました。次に、私はオ○ンコにチ○
ポが入るのを確認すると、起き上がって騎乗位をしました。
哲也「痛ーーい!」童貞が破られた瞬間の表情がとても快感で、思いっきり腰を振りました。
私「哲也くーん、この瞬間にあなたは男になったのよぉー」
哲也「男になったの?!」
私「そうよぉ。男になれば、緊張することなく女の裸が描けるのよぉー」
哲也「男になったんだね!」
私「そうよ。百合子を信じてくれたら、あなたを立派な男にしてあげる」
哲也「わかったよ、百合子!」
私「嬉しいわぁー」私はもっと腰を激しく振り、オッパイを孫にしゃぶりつかせました。孫
とお婆ちゃんの一線を越えられた喜びで胸が一杯でした。哲也は私のものになっていました。
孫とのこれからの肉体関係を想像している間に、膣に温かいものを感じました。精液です。
気付いたら、孫は体中が汗だくで、私も汗だくでした。でも、まだ孫は残りを搾り出してい
る最中でした。
私「哲也くん、大好きー」私はキスをしました。

 余韻を楽しんだ後、2人で風呂に入り中の精液を洗い出してから、孫のチ○ポと私のオ○
ンコとを洗い合い、風呂を出ました。この日があって以来、私は孫を彼氏、孫は私を彼女と
いう感じで見るようになりました。朝起きれば、朝立ちセックス。夜寝る前にもセックス。
裸婦画を上手に描けたら、ご褒美にエッチ。こんな日々を今でも続けています。ところで、
9月初めに孫は高校を中退しました。そして、両親と喧嘩を起こして、私の家に住むことに
なりました。私にとっての、第三の人生が始まりました。

 長くなりましたが、以上で私の体験告白を終わらせて頂きます。なお、最後まで読んでく
ださった方には心より感謝致します。

告白(転載)  【908】家庭内不倫

近親相姦告白・体験
04 /07 2016
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2004/9/19(日)22:40 - 久仁子 (女)
 私は神戸 久仁子(仮名・43歳)です。私の家庭は4人家族で、コンピュータ関係の会社を開いている主人・昌和(46歳)とOLの美和(22歳)と浪人 生の陽一郎(19歳)がいます。主人はベンチャー企業の社長ですが、毎日が忙しさの連続で家に帰ることは週に1度の日曜日ぐらいでした。しかし、その日は 終日寝転んでばっかりで、このような状態が2年ほど続いています。最初の1年くらいは、仕事に疲れているのだろうと思っていたのですが、1年を過ぎてもこ の状態で何だか不思議に思いました。不思議というか、女の勘というか。この勘が私を狂わせることになりました。

 そもそも夫との出会いは、20代最初に遡ります。夫は機械オタクですが、その容姿は世に言うオタクとは違って、光GENJIの諸星君みたいな感じの好青 年でした。短大生だった私は、合コンで彼と知り合いました。合コンでは彼の人気は低かったのですが、物理が得意だった私は彼とすぐ打ち解け、合コンが終る と近くのビジネスホテルで愛し合いました。時期が12月のクリスマスとあって、物凄く燃えました。今思っても、下半身が疼いてきます。今ではオッパイは萎 んで微乳となり垂れて体型が崩れていますが、そのときの私はスレンダーな体にCカップの巨乳でした。合コンではノーブラ・ノーパンだったので、部屋に入っ て即キスをされて、オッパイとアソコを撫で回した彼の反応は股間に反映されてました。ズボンに閉じ込められたチ○ポが出してくれと叫ばんばかりに大きく膨 らんでいましたから。股間を撫でながらチャックを開けて、泣き叫ぶチ○ポを解放してあげました。そして、両手でチ○ポをしごいたのですが、彼の反応は絶大 でエビ反り状態になってました。そんな彼を見て、私は彼のズボンとパンツを脱がせて両手でしごきながらフェラをしました。彼が「ぁー!久仁子ちゃん、最高 だよぉー!もうダメぇーー!」と言うと、足を痙攣させた後、私の口に射精しました。彼が童貞だったのか、私が処女でエッチが始めてだったのか知りません が、口は精液で満たされ頬が膨らんだ状態でした。その味が吐きそうな程気持ち悪かったので、どうすることもできずに玄関の床に吐いてしまいました。その 後、吐き気がしてしまい、しばらくベッドで横になっていました。よく覚えていませんが、泣き出していたらしく、彼は私の横で髪を撫でるしか成す術がなかっ たらしいです。覚えているのは、オ○ンコに太いチ○ポを入れられた激痛で泣き出してしまったことです。でも、ここで逃げたら彼は戻らないという意識で痛い のを必死で堪え彼に必死でしがみついてました。こうして堪えているうちに、膣に温かいものが流れ込んできました。そのことに気付いたのか気付いてないのか わからないまま私は気絶し、翌朝彼に起こされました。目が覚めて気付くと、ベッドには赤い尿をもらしたのかと思うほどの血がベッドに付いており、私は思わ ず吐きそうになり慌ててホテルをチェックアウトしました。

 それから2ヶ月くらいして悪阻が起こり、妊娠とわかりました。お互い卒業間近でまだ就職が内定しない状況の中、どうしようか悩みました。結局、このまま 中絶せず産むことに決めました。現役警察官である私の父が大噴火だったのは言うまでもなく、彼は父に殴られてばっかりでした。しかし、それにもめげず私と 結婚したいことを必死で訴え続けました。私もそんな彼に惹かれ、彼を庇いながら一緒に泣き叫びながら訴えました。そんなことがあって、ようやく結婚にこぎ つけました。結婚費用は彼の親が全額出してくれました。9ヶ月遅れの新婚旅行は、北海道の病院で出産という情けない旅程でした。産まれた子が女の子で、2 人には美しく和やかな表情をしていたことから、一致して「美和」と決まりました。しかし、バイトが安定しない彼が職探し中だったこともあり、彼の親元で生 活する日々が2年ほど続きました。1年目に機械関係の会社に技術職として採用になり、毎日が忙しさの連続で娘の顔を見ることは実質的に月に1度でした。2 年目に入ると、忙しさが和らぎ週に1度は娘の顔を見るようになりました。天使の顔に励まされて精力が発揮されたのか、ボーナスが大量に支給され、その資金 でマイホームを買おうと思いました。しかし、マイホームの購入はボーナスの殆どを抉り出してしまいかねない程の金額で、結論はマンションの1室を借りるこ とにしました。それでも、2人の部屋ができた喜びで一杯でした。

 娘が幼稚園に入り、育児疲れがほぼ完治した頃、また主人との夜の営みが始まりました。私は娘を寝かせ風呂に浸かり、風呂から上がると、寝巻きを着て蒲団 に入りました。すると、主人がいきなりオッパイを鷲掴みしてきたかと思うと、オ○ンコに手を入れてきて、クリトリスを撫でてきました。「イヤぁ~ん。あな たダメぇー」とよがり声を小さく言うと、主人は「もうダメだぁ。我慢の限界だぁー!」と返してきました。私は主人の股間に手を当てると、チ○ポが膨らんで いました。私は片手でしごくと、彼は「両手でしごいてくれ」と言って、69の姿勢になりました。私は「フェラチオはイヤよぉ。口の中で出されたら吐きそう になるんだからぁ」と言うと、彼は「かまわないから早く両手でしごいてくれぇ!」とせがんできた。ぶら下がったニガウリのようなチ○ポを目の前にしなが ら、両手で必死にしごきました。彼は私のオ○ンコを必死で舐めてきました。イキそうになったのは私で「あなたぁ、もう我慢できない!チ○ポ入れてぇ」とせ がむと、すかさず挿入してきました。彼の抜き差しする勢いは凄く私はイキそうになりました。私はエビ反り状態になり、主人はそれに合わすかのように腰を恥 骨にゴリゴリ当てながら小さく振り回し、彼の「イクぅーーーー!」という声と共に、お互いの体が硬直しました。その瞬間、膣に精液が流れ出ました。私も同 時にイッた為、お互い体をピクピクさせて重なり合いながら余韻を楽しんでいました。それからすぐに寝ました。

 3ヵ月後くらいに悪阻が起き、10ヵ月後くらいに男の子を出産しました。産まれた時が晴れで昼の1時であったことから、主人が「陽一郎」と名付けまし た。2人目を産んでから、主人は毎日精力的に仕事をし、ボーナスを多くゲットして帰りました。しかし、バブルが崩壊した90年代の半ばに、主人は勤めてい た職場を自主退職しました。理由は、上司の考え方についていけないということでした。頑固な性格の主人のこと、他の職場が見つけられることを祈るだけでし た。退職から3ヶ月くらいして、コンピュータ関係の会社に技術職として再就職を果たしました。給料は今までと比べて減少したものの、機械オタクの意地で昇 給を果たし、基本給が上がっていきました。2000年になると、ベンチャー起こすに十分な蓄えができたことから、2001年には退職をし、銀行からの融資 もあって、ベンチャー設立に至りました。それに合わせて、マイホームの夢が実現しました。このとき、娘は19歳の短大1回生、息子は16歳の高校2年生で した。娘の通う短大は家から電車1本だけで、通学には事欠きませんでした。息子も電車1本です。

 ここからが本題です。主人がベンチャーを築いてから1年、短大2回生になった娘は秘書の資格を取り、アルバイトとして主人の秘書になりました。主人の言 い分は、娘の実務経験になればということでした。最初は疑うことはしなかったのですが、妙に主人と娘とが恋人みたいな感じで接しているのです。家にパソコ ンを導入し、パソコンの扱いを教えている主人と教えられている娘が妙に恋人チックなのです。それを疑い始めて半年が経ったある日、私は夕飯の買出しに少し 遠くのスーパーへ行きました。そこはラブホの近くにある所なんですが、ふと見覚えのある車がラブホの裏口へ入るのを見ました。主人の車だと思った瞬間、車 の助手席に娘が座っていたのです。2人は私に気付かないまま、ホテルへ入って行きました。入る瞬間、主人が娘のオッパイを揉んでいたのが目に焼き付いてい ます。私は腹が立って急いで家に帰りました。家に帰ると、主人から電話が掛かってきて、営業先との交渉に難航を来たし帰りが遅くなる為、夕飯はいらないと のこと。晩ご飯は、私と息子の2人分を作りました。食事を終えて、私は息子に先に風呂へ入るよう勧めましたが、勉強の途中との事で私が先に入りました。

 湯に浸かりながら私は、主人が娘とホテルでエッチしている光景が思い浮かびました。思い浮かべたくもないですが、処女の娘には主人のエッチがどう感じて いるのか気になって仕方がありません。なにしろ、私が主人とエッチしたのは娘ぐらいの年ですから。両手で主人の膨らんだチ○ポをしごいていないかとか、 バージンの娘に主人の精液はどんな味がしたのかとか想像するうちに、手がオマンコの方へ行きました。あまりの気持ちの良さに喘ぎ声が出てしまいました。し ばらく声を出していると、息子が扉越しに覗いているのが見えました。私は息子にオッパイを見せつけるように、縁に腰掛けオ○ンコを見せつけながらオナニー をしました。息子がズボンとパンツを下ろしながら膨らんだチ○ポをしごいているのが見えました。息子の顔が主人に見えてきて、思わず「あなたぁ、私を抱き 締めてぇ」とやらしい声を息子に向けて発しました。息子は私に気付いたのか、扉を閉めてどこかへ消えました。もう私に迷いはありませんでした。風呂から上 がり、体を拭くと、裸のまま息子の部屋へ行きました。

 部屋に入ると私は「さっき覗いてたでしょう?」と聞きましたが、息子は黙ったままだった。私は「今夜はあなたに抱いて欲しいのぉ。優しく童貞を破ってあ げるぅ!」と言うと、椅子に座っている息子を力ずくでベッドに押し倒し、ディープキスをしました。童貞でエロビデオをまだ見たこと無いとわかった私は、息 子を全裸にしてフェラチオをしました。私はフェラでチ○ポが適度に湿るのを確認すると、オマンコに挿入しました。
陽一郎「うわぁー!」童貞が破られた瞬間です。
私「陽一郎、これが初エッチの瞬間よぉ。はぁはぁ。あなたの大きなチ○ポが私の子宮に当たったわぁ。」夢中で腰を上下させたり、時計回りに回したりしていました。
陽一郎「お母さん・・・」息子の顔が快楽でゆがんでいました。
私「陽一郎、もう何も言わないでぇ。お母さんがたっぷり教えてあげるぅ」気持ちよくなってきた私は、今度は腰を前後に振りました。私の喘ぎ声は息子の部屋中に響き渡りました。
私「なんて素敵なのぉ。お母さんが先にイッちゃいそぉーーー!」
陽一郎「お母さん、もうダメぇ。イッちゃうよぉーーーー!」彼の体が硬直し、足が攣りそうなくらいなのを感じました。すかさず、私は腰を上げてチンポを フェラしました。すぐに口の中に精液が流れ込みました。その量はあのときと同じでした。しかし、私は大量の精液を飲み干しました。私は彼の体の上に倒れこ み、余韻を楽しんでいました。余韻が吹っ切れると、私と息子は一緒に風呂に入りました。このとき、息子のチ○ポを丹念に洗いました。そして、このことは2 人だけの秘密にしました。

 それからというもの、息子は受験よりも私とのセックスに夢中になり、大学を滑ってしまい、娘は短大を卒業して主人の秘書として働いています。そして、私 は主人が出張で長く家を空ける日は、息子と夜の営みを楽しんでいます。勿論、主人は娘との、私は息子との愛を深めることが目的です。しかし、いつかは私と 主人は子離れをしなければならず、息子と娘は親離れをしなくてはなりません。しかし、娘に何でも買い与える主人、そして彼女を作らずマザコン状態の息子を 溺愛する私、果たしてこの関係がいつまで続くのか。不安な毎日を私は過ごしています。

 大変長くなって申し訳ありませんでした。長い文章を書いている間、私はオナニーを息子が寝ている近くで何回もしていたのです。朝になったら、息子と朝立ちセックスをします。主人は娘と出張でハワイに行っています。

告白(転載)  【906】親父と共有??

近親相姦告白・体験
04 /07 2016
近親相姦体験・願望告白 消滅サイト。投稿者別に時系列で追ってみる。
趣旨とはずれているがそのまま紹介する。

2004/9/19(日)00:41 - 健一 (男)
ようやく俺にも彼女と呼べる女が出来たのは1年前だ。
大学生になって童貞を捨てた俺は、当時は彼女に夢中だった。
おとなしい彼女も最近は俺のペースに会わせて、セックスも貪欲になっていたので、楽しい毎日
だった。
ある日、街中でたたずむ彼女を見つけた。
俺が近づいて声をかけようとしたときに、一台の車が彼女の横に止まり、彼女が乗りこんだ。
「親父の車だ・・・・・」
二人は顔見知りなので、送ってやるのかと思いながらも、日頃の親父のプレイボーイ振りが気になり、
なった俺は、慌ててバイクで追いかけた。
予想通りと言うか車はこの近所でも有名な郊外の公園の死角に・・・・・
バイクを隠し、車に近づいた俺の見たものは・・・・・親父のテクに歓喜の声を上げ、のた打ち
回る姿だった。

告白(転載)  【904】息子に・・・

近親相姦告白・体験
04 /07 2016
近親相姦体験・願望告白 消滅サイト。投稿者別に時系列で追ってみる。
句読点が振られていないので加筆してしまいたいところだが原文のまま紹介する。

2004/9/16(木)18:49 - かずみ (女)
中学3年生と小2の息子の35才の母親です
主人は建築関係の仕事をしており現在単身赴任しており3人で生活しています
長男が中学生になったぐらいから私の下着が無くなりだし「いたずら」ぐらいにしか考えてなかったのですが
自分の部屋でオナニーしている長男を見てしまい手には私の下着があり驚きましたが どーして良いのか分からなく
そのままにしてしまいました 
それからは長男の行動には注意して見てきたつもりでしたが次男をお風呂に入れてる時に見に来たり風呂上り
次男を拭きに来て見に来り・・・私の裸が目的だったそうです
先週の土曜日いつも通り次男を寝かせリビングに行くと長男が下半身を出してオナニーしており
「こんな所で何してるの」と言うと「オナニー 我慢できなくて」と言われ「そういう事は部屋でしなさい」と
言うと「お母さん何回も見てたでしょ ここでも同じジャン」と・・・頭の中は真っ白
確かにドアを開けてしてるので何回か見てしまった事はありましたが・・・はっきりと勃起してるアソコを
見るのは始めてですし出してる瞬間も見てませんので・・・
「お母さんはしたこと無いの?もっと凄いSEXとかもしてるんでしょ?」と聞かれ「大人だから」と答えて
しまい「僕ももう大人だよ」と言われ何も言えなく・・・体もアソコも主人のより大きく私自身何を言ってるのか
分からなく しゃがんで泣いてしまったら息子に「ごめん 変な事ばっかり言って・・・・お母さんが好きだから
見て欲しくて・・」 私は衝動的に手が長男のアソコに・・・2~3回こすると射精・・・ティッシュで拭いてあげ
誤る息子をお風呂に行かせ寝かせましたが息子は本気で私とのSEXを望んでおり受験にも身が入らなく困ってる
そうで18日~の3連休 本気で息子とSEXするか考えてます・・・私で良ければ・・・私自身あれ以来 毎日
の様にオナニー(本当にしてなかったのに)ばかりしており いつか息子に見られる・・・と言うか見られたい
気持も膨らんでおり・・・SEXしたい気持があるのが本当の気持です

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告白(転載)  【903】妹としたい・・・

近親相姦告白・体験
04 /07 2016
近親相姦体験・願望告白 消滅サイト。投稿者別に時系列で追ってみる。

2004/9/16(木)17:51 - ひろのり (男)
中学の頃から女性に興味はあった。
ただ、方向が少し違うだけ。そう思っていた。

中学受験の頃、欲求は高まり、5歳下の妹を夜這いした。
何度となく寝巻きを脱がし、知識もなく無理やりに入れようとした。
行為そのものについてはわからないのだろうが妹は体をこわばらせ
眠気を理由に拒絶した。
拒絶されると珍個は小さくなってしまい、妹に入れぬまま何度も行為は重なり、
妹の胸は小学6年生の頃にはCカップでは収まらなくなっていた。

高校時代も、夏場はなぜか欲求は爆発せず、秋から冬にかけて何度も妹の部屋に侵入した。
少しずつ知識も増え、万個を舐めてみたり、唾液で濡らしまくっても見た。
当然、入れたいと挑んだが、妹もその頃には知識を身につけ、声を出してまで拒絶した。
それでも、何度か挑戦したが、拒否されるたびに勃起していた珍個は小さくなり、
結局妹と結合することはなかった。

大学時代も、他の女性とデートするようになっても
他の女性と肉体関係になっても、妹と結合したい気持ちは治まらなかった。
もう習慣となった夜這いが、早朝近くになったり、
一晩に何度も妹の部屋へ侵入したりもした。
しかし、妹の拒絶は激しさを増し、両親に密告するようになっていた。
両親は、敢えて俺には何も言わず、妹に拒否し続けるよう言っているのを
壁一枚裏側の部屋で聞いた。拒否すれば犯されないからと。
確かに、強姦するまでの気持ちはなかった。
ただ、同意の上か抵抗のない寝ている間に、
妹と結合したい、それだけだった。

大学卒業しても、妹との行為をしたくて、
自分の思いをぶつけて妹本人に交渉したり、
やはり夜這いしてみたり、数限りなく性行為に走った。
しかし、いまだに結合できぬまま、
本能的に同意の上で結ばれたい、
または抵抗なく結合したい、というのがあり、
12年過ぎた今でも、妹を狙っている。
今は妹も自分も自立して実家を出ているので
早々会うことはない。
ただ、妹の処女が誰に破られていてもいい、
両親に気付かれずに妹と結合したい。
ただそれだけである。

最終手段で睡眠薬を使おうかどうか、またどうやって入手しようか、
迷っている日々である。
抵抗されると性欲が萎えてしまう珍個のためにも、
必要なのかもしれない。

告白(転載)  【900】家族・・・・・・

近親相姦告白・体験
04 /07 2016
近親相姦体験・願望告白 消滅サイト。投稿者別に時系列で追ってみる。

2004/9/15(水)00:09 - 拓郎 (男)
忘れ物を思いだし,家に帰ると鍵がかかっていた。
「珍しいなあ。こんなに朝早く何処に行ったんだろう・・・・」
俺は独り言の様に呟きながら自分の鍵で中に入った。
2階の自分の部屋に行こうとした時,親父達の寝室から母の声が聞こえてきた。
苦しそうな声に聞こえたので,病気かもしれないと思いながら部屋に向かった俺は,近づくにつれ
その声が,苦しさからではなく,喘ぎ声だとわかった。
親父は出かけたはずだと思った俺は,そっと部屋を覗きこんだ。
危うく声を上げそうになった。
部屋の中の母は全裸で男と絡み合っていた。
呆然と立ち尽くし,二人の行為を見つめる俺の前で,母はいつもの清楚な控えめの母ではなく,
一人の女になって喘いでいた。
体勢が変わり,男の逞しい物が母の中に入っているのがはっきりと見えた。
騎乗位で腰を振りながら喘ぐ母の形の良い乳房を男は鷲掴みにし,腰を突き上げていた。
「アッ,アンアン・・・良いわ~~~~~良雄~~~~~~」
母の一言に俺は愕然とした。
何と男は弟の良雄だったのだ。
まだ良雄は中学生(3年)だ。
俺は衝動的に部屋に乱入した。

告白(転載)  【899】悩んでます

近親相姦告白・体験
04 /07 2016
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2004/9/12(日)22:46 - あずさ (女)
主人が海外在住中。最近高校生の息子に何度もせがまれていたのです。飲み会あって酔って帰りました。ふらふらする私をベッドに運んでくれた後、ふと気づく と全裸の私を抱きしめていたのです。「駄目、駄目」と抵抗しましたが、体動かずそのまま入って来たのです。激しく腰を振る息子に痺れてしまった私は息子を 抱きしめて応じたのです。その夜は何度も何度も関係を結びました。
毎夜求める息子に最初は抵抗していましたが、もう、親子ではなく夫婦のように交わっています。間もなく夫が海外から帰って来ます。この先どうすればと気が気でなりません。

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。