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告白(転載) 卑猥なお母さん

近親相姦告白・体験
09 /11 2022
掲載サイト「禁断の体験 エッチな告白集_」は消滅。

僕のお母さんは、昼間、優しく微笑で家事をしていました。そんあ、お母さんが、あんな卑猥な事をしていたとは、信じられませんでした。お母さんの、所詮、女盛りで自然の事と思いますが、幼い僕にはショックでした。夜中にトイレに行こうと、お母さんの寝室の傍に来た時に、部屋の中から、お母さんの異様な呻き声が聞こえてきたのでした。そっと、襖を開けると、お母さんが裸で、お父さんの身体の上に、馬乗りになって盛んに腰を上下に動かしていたのでした。お母さんの口元から「あなた~いいわ~おまんこ気持ちいいわ~おまんこ!おまんこ!」僕のオチンチンは、張り裂けんばかりに勃起して、パンツの中で射精してしまったのでした。グラビア雑誌の裸の女で興奮した事はありましたが、問題外の興奮でした。あの柔和な温厚なお母さんが、あんな卑猥な声で喘いでいあ事に衝撃でした。次の朝、お母さんは、昨夜の事が何もなかった様に振舞っていました。僕の頭の中は、今、そこにいるお母さんが、あの破廉恥な格好が焼きついていました。二三日、悶々としていましたが我慢出来ずに、お母さんと二人っきりになった時に、「お母さんって助平なんだね~!」「どうしたの~そんな事を言い出して~変な子ねぇ~?」「だって、お父さんの上に乗っかって、おまんこ^おまんこ~と叫んでいたじゃ~ないか!」お母さんは、びっくりした顔で「まぁ~おさむちゃんに見られてしまったの~?おさむちゃんは、まだ子供だから分からないけれど、あれは、お父さんとの夫婦の行為なのよ~?おさむちゃんも大人になれば分かると思うけど・・・」「お母さんが、思うより僕は大人だよ!あれが、大人のセックスだって知っているよ!だけど、普段、そんなそぶりも見せない、お母さんが、あんな卑猥な声を出すなんて、あれから、僕、興奮してオナニーばかりしているよ」「ごめんなさいね!お母さんの不注意で、おさむちゃんを悩ませて~」「僕、このまま気持ちが治まらないよ!」「困ったわねぇ~お母さんが、何をすれば気持ちが落ち着くのかしら~?」「僕も、お父さんにした様にしてほしい!」「まあ^なんて言う事を~!お母さんは、おさむちゃんの母親なのよ!そんな事、出来る訳がないでしょう~?」「じゃ~このまま、悶々として、お母さんを見ているなんて出来ないよ~!」母は、しばらく考えていたが、「分かったわ!こうなったのも、お母さんの責任だから、おさむちゃんの好きな様にしてあげるわ~?その代わり、絶対に、お母さんの中に精液を出さないと約束してくれる?それと、お父さんには~・内緒ににしてね?」母は、着ている物を脱ぎ捨てて全裸になって「さあ~おさむちゃんの、やりたい事をして構わないのよ~!」初めて、真正面から、お母さんの全裸と陰部の恥毛を見て、興奮は頂点に達したのでした。お母さんの太腿を広げて、陰部を覗き込みました。「あまり、ジロジロ見ないで~お母さん、恥ずかしいわ~」「これが、お母さんの「おまんこ」なんだね~凄い毛深いだね!」僕は、陰部を手で触って、感触を確かめていた。そして、恥毛を掻き分けて、おまんこの割れ目に指を入れた瞬間、お母さんは「あぁ・・・うぅ・・・」声に鳴らない声を出していた。更に割れ目の奥に、指を差し込むと、お母さんは身体を海老の様に反らせて「あぁ~おさむちゃん!いいわ~お母さん、変な気持ちになってきたわ~」「お母さん、我慢しないで、大きな声を出してもいいんだよ!おまんこ~おまんこ~って言って~」「意地悪なおさむちゃん!あっ・・いっ・・うっ・・おまんこ~おまんこ~おさむちやんのオチンチンほしいわ~早くおまんこに入れて~」

告白(転載) 彼と息子のいいなりに

近親相姦告白・体験
09 /11 2022
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私、美紀38歳15歳の息子と二人暮らしです。息子が2才の時離婚、離婚直後に職場の取引先の彼55歳、既婚者と知合い、何かと生活の相談をしている内に肉体関係を持ちました。25歳だった私も寂しさの中、毎晩私のアパートい呼び彼を求めました。彼は42歳でした、彼の気を引こうと、下着一枚だけで出迎えたえたりしているうちに彼の要求が目覚めて行き、その頃すでに私は彼の言い成りになっていてある日プレゼントだとケースを渡されました、中にはシースルーの下着とガーター、メッシュのストッキングでした、息子も2歳で意味も解らなと思い、その晩、それを身につけ、彼を迎えました、鏡の前で着替え映し出された自身の容姿を見ると殆ど透けて見えていました。チャイムが鳴り、私はドアを開け彼を迎えました、彼は私のシルエットを見て、燃えたのか、すぐに寝室に連れ込み咥えさせました、事が終わると、私を浴室に連れて行き、洗ってくれると陰部を剃毛して、毎日綺麗にする様に言われました。その時息子は、居間で遊んでいます。帰り際に彼は、此れから家では何時もこの格好で過ごすように言い、仕事の帰りなどに突然来る彼のために私は帰宅すると直に着替え、その格好で夕飯の支度をします。子供も小さく、その格好での生活に見慣れてくると違和感も無くなり時々は全裸で迎える事もありました、1年位経った休日の朝、陰部が丸見え位短いキャミで朝食の方付けをしていると彼が来ました、私を寝室に呼び、裸にすると黒の綿縄で縛ろうとします、少しは抵抗もしましたが、彼が喜ぶならと、直に諦めされるがままに縛られました、手足は自由に首から股までを亀甲に、オッパイはツンと張るように緊縛され鏡の前に立たされた自身を見て、濡れていました、私はその場で彼を求め深く入れてもらい、私を深く突きながら、今日はこの格好で過ごすように言います、私は何度も頷き、往ってしまいました。緊縛のまま、居間に行き子供の前に行かされされました、頭の中は彼との欲情と子供えの罪悪感で入れ乱れていました。しかし子供は何時もこれに近い格好に見慣れているのか私の異常な容姿にも目もくれず遊んでおりホッとして昼の支度をし始めました。彼は台所を行き来する私の亀甲姿を椅子に座って見ています。彼が私を呼びました、子供が遊んでいる所でツルツルの陰部を指で慰め始め私は子供を気にしながらも、感じて来ました、彼は大きなディルトとアヌスバイブを私に手渡し私は前後に深く入れ込みました、落ちないようにディルトを細紐で私に縛り前後のスイッチを入れます私は立ったままキッチンの縁にしがみ付き、次第に腰を振り感じ始め、アーアーと声をだしていました、私の荒い息つかいに息子が気付きママ大丈夫?と来ます、私はバイブで頂点に達する所、喘ぎながら、来ないでと言いますが、気付くと息子を抱きしめ、往っていました。私は息子に大丈夫だよと取り繕い、私を性の虜にして行く彼を睨め付けながらも、後戻りできない自分を認めていました。この事が遭ってから、自慰をしたくなるとバイブを入れて、寝ている息子を抱き寄せ、往くようになってしまいました。数年経ち気付くと、寝ている息子のチンチンを咥えて自慰するように成っていました。子供が小5の時、その事を彼に話すと、大人になる成る準備だと言い皮を剥いて綺麗にしないとだめだよ、言い聞かせしてあげろと、その方がきっと気持ちが良いはず、突然ばれるよりいいと思うよ、と彼に言われ、その頃私は、彼とのプレイは彼の要求で、殆ど経験しており、露出から3P,4P、彼の取引先のアルバイトの高校生など彼とバーベキューに誘って6人で2.3回も廻されたり、ある時は、プレイ募集で知り合ったお宅に行き、奥さんと一晩中レズプレイをして、その家の愛犬に舐められ何十回と往ったり彼の言うとおり、皮を剥いてあげる年頃なのかなと思ったりして、お風呂に入って洗ってあげた後、色々説明してチンチンも洗うことを納得させました。石鹸で丁寧に洗い皮を剥くと痛がるので、それじゃ口でしてあげるからと私の口に頬張り舌を使ったり上下に動かしたり、息子も気持ちよさそうに小さいながらも勃起をしました。それから1週間で綺麗に剥け、私の口が気持ち良いのか息子の方から要求をしてきて毎日口で洗ってあげました。小5の春休み、何時ものようにお風呂でして上げていると、その頃は私もついつい気が入ってしまい20分位咥えていて、その日も口で剥いてあげていました、息子が突然、ママ何か出そうと言い、私は咄嗟に、初射精と感じ口の動きを早め往かせます、息子が出ちゃうと言うと同時に私のくちにドクドクと射精し私は初射精に感激してゴクゴクと息子の精子を飲んでいました、それからは目覚めたように私の口を求め、私も愛おしく、朝学校に行く前など私の方から呼びとめ、ママとの秘密と言い、玄関先で出してあげ学校に行かせます。小さい時から家で、今でも裸同然の下着一枚で過す私を見慣れていても、中学に入って、女性の身体に異常に興味が出てきたのかお風呂でも私の身体を触ったり、ある日私の方から、息子の手を取り、私の陰部に誘い触ってみると、息子は私の柔らかいアソコに指を入れ始め、次第に奥え入れます、わたしも、何時も彼とするセックスプレイとは違う感情がこみ上げてきて、夢中になって息子の手を何本もの指を入れさせ感じていました、息子も始めての経験で、夢中に私のリードに従いました。何回ものフィストに慣れている私は、息子の手を取り手首まで入れさせました、硬く大きくなった息子のモノを咥え口で往かせ、又咥えていました、息子にママのアソコに入れてみる?と言うと息子は頷き、そのまま居間に行き、私の中で始めて往きました。それからは、毎晩要求します。彼とホテルでプレイした後、緊縛されたまま家に返され、まさか彼に縛られたとも言えず、上着を脱いで息子にごまかしながら、どうこんな格好とおどけて見せて、待っていたかのように、また息子に求められ、入れられながら、今日はこれで何回したのか数えたりしながらかんじています。今は毎朝フェラで息子を起こし丁寧に舐めないと不機嫌になるので喉の奥まで入れ込み、その後私のマOコに出して学校に行きます。仕事の帰りに彼と会い、会う前に駅のトイレなどで必ず着替えさせられ吸引で親指位に肥大させられたクリに鈴ストラップを付けミニワンピだけで彼を迎えホテルだけではなく野外などでプレイをして、家に着きます。家では、むすこがお風呂を待っていて、最近では玄関で全てを脱ぎ、裸でご飯を食べたりそれから何回も求められ、彼の高度なプレイと息子の若い体力の奴隷になって行く私です。

告白(転載) 49歳の母親

近親相姦告白・体験
09 /11 2022
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49歳になる母親と関係をもって半年になります。前々から母親とやりたくってずっと我慢していましたが、我慢できずレ××してしまいました。最初はすごく泣き叫び嫌がっていました。嫌がり泣き叫ぶのにはすごく興奮しました、時間をかけて楽しみました。最初は嫌がっていた母親でしたがしだいに声をだして感じ初めた母親、父親と離婚して10年になるので欲求不満だったんだろうなレ××した次の日には母親から求めてきました。それからは毎日母親とやっています。3ヶ月したら普通プレイに物足りないのか母親から「下の毛剃っていいよ」と言ってきました。T字カミソリを渡されたときはビックリしましたが、優しく剃ってあげました。パイパンの母親もまた興奮しました。ちょっとでも生えてきたらすぐに剃ってあげます。つい最近、僕宛に荷物が届きました、身に覚えのない届き物、中をみてビックリしました。中には、鞭やロウソク、浣腸などのグッツが入っていました。すぐに母親が頼んだものだと思いました。母親に見せると「やっときたね楽しみに待っていたんだよ今日から、ご主人様って呼ぶね」と母が言いました。その日からはSMプレイを初めました。鞭で叩いたり、ロウソクをたらしたり、母親の悲痛の声は最高です。中でも浣腸をしてアナルをふさいで、ロウソクをたらします。「熱い熱いもぅダメお腹いたい出ちゃう」って叫びます、最高の叫びです。すぐには出ささないですひたすら苦しめます。母親もその苦しみが好きみたいで耐えます。トイレに連れていき僕の前で排便させ、アナルに僕のチンコをいれアナルセックス中にいっぱい出してあげます。終わった後は母親もぐったりです。でも次の日にはまた求めてきます。僕も好きなので楽しんでいますが、ちょっと飽きてきました、最近母親が自分の前でメチャクチャにされているところを見たいなって思っています。僕とやっているときよりも、泣き叫ぶ声を聞きたいし変態プレイに苦しみ苦痛の顔もみたい。

告白(転載) 母の愛情

近親相姦告白・体験
09 /11 2022
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俺の初体験のことを今でもはっきりと覚えている。そう、あれは俺が18歳の高校卒業式が終わって、就職するまでの間の出来事だった。母との初体験で俺は童貞を卒業出来たのだ。(以後も続くのだが)。俺は母が31歳の時の末っ子として生まれ、ぐ~たら親父に愛想をつかした母は、俺が8歳の時俺を連れて実家へ戻って親父と別居をした。親父と別れ、実家へ戻る前の日、誰もいない二人きりの時、母は「○○(名前)、お前がお母ちゃんは一番好きだよ」と俺の頬を両手で挟んで鼻先同士を擦り合わせてくれた。田舎の中堅工務店の実家へ戻り、事務の手伝いを始めた時俺小学2年生、母は39歳の熟女だった。小学生の俺は、6年生まで母と一緒に一つ布団で寝ていた。先に布団で寝ている俺に母は「足元が寒いだろ・・・・」と言って俺の脚を自分の太腿に挟んで寝てくれた。たまに、「手も冷たいだろ・・・・・」と言って、自分の寝巻(浴衣)の襟元から俺の手を導いて直に乳房に触らせ温めてくれた。母の太腿に脚を挟んで寝る時は、何故か母は下着をつけておらず、陰毛が俺の大腿に擦り合わされていたし、乳房を触って寝る時は母の手が上から押さえ揉むようにしていた。良く考えると夏でもそうであったから、冷たい、寒いことはなかったのだが、母は子供でも俺で男を感じていたのだろう。「お母ちゃん、温かい!」と母親の愛情・・・・・・と、当時は素直に俺は思っていた。中学生になる頃には祖父母も既に他界し、2階に空き部屋ができたのでさすがに別々の部屋(襖で仕切られていた)で寝るようになってそんな行為もなくなっていたが。高校の卒業式から就職するまでの1週間ほどの間にそれが起きたのだ。もう直ぐ家族と離れ、遠隔地に就職して母とも暫く逢えない寂しさと、子供の頃の思い出とで、49歳になった母に「お袋、今晩はお袋と一緒に寝てもいいか?」と聞くと、「そうだね、もう直ぐ行っちゃうからね」と言ってくれた。久し振りに寝る母と、昔話をしているうちに夜は更けていった。「お袋は小さい頃、良くオッパイに手を入れて温めてくれたよね」「そうだね、こんな風に・・・」何年かぶりに触ったお袋のオッパイの張りは失っていたが、それなりのオッパイだった。俺の手は母の手が添えられる前に自然に揉んでいた。「こんな風に脚も温めてくれたよね」俺から母の太腿に、当時のように俺の太腿をちょうどSex体位の松葉崩しのように差し入れていた。18歳になれば、ペニスの皮は剥けて亀頭は露出していたし、当然男女の営みは理解していたけれども、母に女を意識はしていなくても自然に俺のペニスは勃起していた。「ん?」と思ったのは当時と同じく母の陰毛が俺の太腿に擦れるのだ。この時母は昔のように下着を着けていなかったのだ。オッパイを揉み、太腿を擦り合わせていると母の呼吸が乱れ始め、俺の勃起したペニスを自ら握り、強く弱く前後に動かしはじめた。呼吸は段々大乱れ始め、俺の尻を抱かかえるようにおマンコに、自ら俺の太腿部分を擦り合わせだしたのだ。俺は、母の尻に手を回し引きよせ太腿を擦り合わせると、母のおマンコ部は既に濡れそぼっていた。俺の太腿はおマンコを擦り、左右のオッパイを揉みしだいていた。俺のペニスを握りながら「お・・きぃ」、男のペニスを握るなんて親父と別居して(その間離婚成立)以来10年以上も握ったことがないので、俺のペニスが大きいと思ったのだろう。態勢を入れ替え、母を仰向かせ大腿は母の両太腿の間に挟んだまま、母の寝巻の胸元を豆電球の灯りの下で大きく開くと、張りは失ったがそれなりの大きさの白いオッパイが目にはいった。細身なので身体はそれほど崩れておらず、色白でやけに大きめなオッパイだったのが記憶に残っている。大腿はおマンコを擦り、左右のオッパイを交互に揉みしだき、乳首を舐め転がすと荒い呼吸から軽い呻き声に変わり、顔を片手で覆い階下の伯父、伯母に聞こえないように口を塞ぎ、喘ぎに変わっていった。相変わらず俺のペニスを絶対放すまいというように握ってしごきながら。 まだ童貞だった俺だが、マスターベーションで鍛えた(?)せいかこの程度では射精することはなかった。仰向いた母に添い寝をする態勢になり、手を母の割れ目に当てるとヌルヌルと淫汁が指先に絡まり、それは尻の方まで流れ伝わっていた。「お願ぃ○○、指で・・・擦って・・・・」母は俺にそう言って顔をそむけた。乳首を吸い、舌先で転がしながら、淫汁まみれの母のおマンコの割れ目を擦っているうちに母の下腹はいつしか上下に波のようにうねっていた。「ハぁぁ~・・・・ぁぁ~」「○○、乗って・・・」母のM字に開いた脚の間に腰を落とし、豆電球の薄明かりにテラテラと光っている母の縮んだアワビにも似たおマンコを見た。早く入れてみたい衝動にかられ、亀頭部をあてがった時、母の手が俺のペニスに手を添えおマンコへと導き「そのまま・・腰を・・・」前に突き出すように促され、グイっと力を入れるとヌルっと抵抗もなく母のおマンコの中へ俺のペニスは呑み込まてしまった。中は温かく、なんとも言えないペニスに纏わりつくヌメリ感で、暫く動かすどころでなく挿入感を味わっていた。母の腰の上下運動が始まり、中で擦られるペニスに下腹部にこみあげてくる快感に思わず「お袋~、でるッ」「ぃぃょ、ィィょ」ドバッと意に反し思わず射精。「早かったネ、気にしなくていいょ」枕カバー代わりのタオルを股間に挟んだ母は、労わるように俺の坊主頭をいつまでも優しく撫で続けていた。


告白(転載) 狂った家庭

近親相姦告白・体験
07 /14 2022
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俺の親父ってのが飲食店や酒卸会社を経営してるが、女にだらしないゲスな野郎だ。母はそいつの愛人で、俺は認知されたゲス野郎の息子だ。親父は俺に愛情のかけらも見せたことがなく、母にだって肉欲の対象みたいな接し方しかしない。月に数回、俺達母子が住むマンション(親父に与えられた)に親父がくる。俺が中学一年になってまもなくだった。親父がきてビールを飲んでるときだ。「おいカズ。お前もそろそろ経験してみたいだろう?」言ってる意味がよくわからず黙っていたが、ビールを飲んだあと、母となにをするかはわかっていた。「まぁいい。そうゆうことだ」母は入浴中でその会話を聞いてない。俺の誕生日、夏休み中の八月六日、部活を終えて帰宅すると親父が待っていた。「カズ、誕生日おめでとう。俺からのプレゼントだ」母の部屋のドアを親父が開けると、全裸の母が立っていた。なんだかわからないでボーっとしていた。「中学になったらと思っていたんだ。母さん説得に半年もかかったよ。さぁどうぞ」と俺の背中を押し、部屋に入れてドアを親父は閉めた。俺13才なったばかり、母は36才だ。母は親父の愛人で、飲食店の経営を統括する会社で働いていて、給料と愛人手当みたいなのをもらっていて、普通の母子家庭よりいい暮らしをしていた。こんな親父のいいなりになるのかと悔しかったが、熟れて美しい母の裸体に、血液は俺の一点に集中を始めていた。「嫌なら無理しなくていい。カズが嫌なら私はあいつと手を切って、別な仕事とか探してやっていこう」こんなことと思いながらも完全に勃ってしまっていた。それを見た母は俺の短パンとブリーフを下ろして、ベッドに俺を座らせた。まだ剥けきっていない俺の皮を押し下げ、チラッと俺を見てからパクリと口にした。温かく柔らかい口内の感触が気持ちよかった。胸に手を伸ばし触ってみたら、柔らかくて、手のひらの中心部分にコリコリと母の乳首が当たり、それも気持ちよかった。「もう我慢出来ない」と母に言う。「ズォッ!」と音をさせて竿を吸引されて、それに合わせるように口に出した。母は全てを飲み尽くし、あとから尿道から染み出てくる精液も舌先ですくった。もう出終わっても母は舌先で刺激し続けて、俺はまた勃ってしまった。俺の中で何かが切れて、俺は母に抱きついた。そして母を押し倒そうとして、肘が母の頭に当たった。「いたっ!優しく、優しくだよ・・・」

告白(転載) 母も祖母も

近親相姦告白・体験
07 /14 2022
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うちは俺が二十歳の大学生、母43歳、祖母64歳の三人家族です。母と祖母は美容室をやっています。母も祖母も年齢よりは若く見えます。最初は二年前に祖母が体調を崩して入院した時でした。その日は昼間から雨が凄くて夕方には雷もなりはじめたんです。夜の9時頃に俺は自室でテレビをみていました。その時に急に停電になったんです。その瞬間に「きゃーっ」と言う悲鳴が。その声の主はまさしく母であわてて俺は声の方向に行きました。どうやら入浴中に停電したようでそこには全裸の母が。俺は母には以前から好意を持っていたし、母をおかずにオナニーもしていたので全裸の母を見て思わず抱きしめてしまいました。そしてキスを。母はびっくりして俺を押しはなそうとしましたが、俺ががっちり抱きついていたので離れませんでした。俺は衣服が濡れるのも構わずに母の胸に顔を埋め、乳首を舐めまわしました。そのうち母の抵抗の手も緩んだのを期に半ば強引に浴室で母と合体してしまいました。浴室の照明が点かないまま俺と母は男と女になってました。2ヶ月後に祖母が帰ってくるまでは毎晩のように求めあいましたし祖母が帰ってきた後は祖母の目を盗んで関係を続けていました。それから一年近く経ったある日、母が商店街の旅行で出かけた夜に祖母が俺の部屋にきました。そして母との関係を知っていることを耳元で言われ、絶対ばれていないと思っていたので俺は固まってしまいました。そして俺の股間に手を伸ばしてファスナーを下げた途端にいきなりくわえてきたんです。あまりの気持ち良さに俺は祖母の口の中に放出してしまい、祖母はザーメンを全て飲んでくれました。その後は俺のベッドで朝まで。思った以上に祖母の身体は綺麗なのにびっくりしました。しばらくは祖母との関係を母に隠していましたが、やがてばれてしまい、今では三人で関係しています。セックスの主導権も今は俺に移りSな俺の言うことをMの祖母と母は服従しています。彼女がいた時期もありましたが、今では熟女のセックスにどっぷりとはまっています。世間では許されないのでしょうが、うちの家族はもう止まりません。夢は将来の奥さんも一緒に関係したいけれど、そんな女の子いるかなあ?

告白(転載) 予備校生

近親相姦告白・体験
07 /14 2022
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僕は浪人生の18歳です。予備校に行く以外は朝から晩までAVや動画を見ながらオナニー。合間に勉強する感じです。彼女も友人もいないので、母に対して屈折した感情を持つようになりました。もちろん童貞でしたので、悶々とした日々でした。母はといえば結構さっぱりした感じで、毎朝起しに来てくれる時に、僕が見せつけるペニスにも動じず、夜食を持ってきてくれた時にオナニーの最中だった際にも「まあ、元気なのね。勉強も頑張ってね」と笑ってくれていました。そんな優しい母を尻目に僕は母の洗濯物を嗅ぐ事やわざとオナニーを見せつけたりしていました。お恥ずかしい限りですが、性欲には勝てません。そんな先週末の午後でした。両親は法事で出かけるというので僕はリビングでAVを見ながらソファで母の下着を使ってオナニーをしていました。うとうとして下半身裸のままうたたねしてしまいました。いつしか下半身に違和感を覚えて目を覚ますと、タオルが下半身にかけられ、傍らには両親が。母はタオルの横から手を入れてペニスを揉んでくれていました。「おう、目が覚めたか。途中だったのか?恥ずかしがらなくてもいいじゃないか」「そうよ、お父さんだってオナニーなんてしょっちゅうしてるんだから」「そうだな。お母さんには敵わないな」僕が恥ずかしくて下を向いている中で、母はタオルをどけて僕の勃起を晒してしまった。「まあ、ねえ見て。あなたににて立派なものね」「おう、良いもの持ってるじゃないか」「あたしの下着いたずらするなんて、まだ体験したことないの?」勃起させながらも僕はうつむくしかなかったが、「ねえ、あなた、いいでしょ」「まあ、悶々としたままじゃかわいそうだしな」。母が服を脱ぎ始めると、父はAVを再生してくれた。「見たい場面どこだ?最初からでも良いか?」「へえこういうの好きなのね」母は勃起を優しくしごきながら僕を見つめてきた。腰を突き出す僕を受け止めるように口で咥え、頬で締め付けてくる。父に見守られながら僕はいつしか恥ずかしさを忘れ、母の顔を手で押さえペニスを引き抜いて立たせおっぱい、股間と夢中で舐めた。「AVばっか見てるだけあるな」「本当に上手。初めてじゃなさそう」母をソファに座らせて股間を押し付けた。うまく挿入できず母と父がペニスを掴んで手伝ってくれた。母の股間に分け入ったペニスは中で一段と膨らんで腰を振り始めた途端に射精してしまった。最初に中出しを経験できたので、次はゆっくり母の体を堪能した。こんなにセックスが気持ち良いなんてしらなかった。屈折したとはいえ、こんな良い初体験ができたのを感謝しています。

告白(転載) 可愛い息子と

近親相姦告白・体験
07 /11 2022
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19歳の息子の部屋に洗濯物をもっていくと、いつものように後ろから私を抱っこして胸をまさぐってました。「オヤジ、今週ゴルフ行く?」「ええ、泊りだって。」「じゃあ土曜日ヤっちゃう。」私は無言で息子の部屋を出ました。(とうとうその気になったのね。)私は興奮してその夜は寝付けず、そっとクリトリスを弄りイっちゃいました。本当は私を犯す気なんてない息子。わかってたけど私は息子に「いいわよ。」と告げたんです。息子は怪訝そうな顔したけれど一気に期待が膨らんだみたい。夫は鼾が煩く一階で寝ています。私は2階の息子の隣のタンス部屋にベッドを置き寝ています。息子が私によからぬ欲望を抱いてると気づいた時、それもいいじゃない?って呟く私がいました。だってエッチしたいんだもの。オナニーだけじゃ満たされない、、。息子とのエッチを想像すると異常に興奮してた私なんです。彼と別れて半年近く。転勤で遠くに行っちゃったんです。3年近く続いて、凄く良かったのに。週末に友人と買い物と偽り彼と朝からホテルで楽しんでました。夫はもう「ダメ」で求めてきませんが薄々気づいてる。でも何も言いません。夫はゴルフ、私はセックス。しかも全て彼が出してくれてお金はかかりませんでした。そして夫はゴルフに出かけ、のそのそと起きてきた息子を車に乗せいつものラブホテルに。そうしていいか分からない息子に裸になってと言い、私もベッドの上で裸に。脚を拡げローターをそっとクリトリスに。よってきた息子に「まだ、だめえ!」と甘えるように言い思い切り声を上げ悶えました。「オチンチン!早くう!」背が高いしズボンの上から握った事もあるけど想像通りけっこう長くて大きい。でも咥えてあげると「やば、もう出そう!」とだらしない。「しょうがない子ね。じゃあ指でお母さんをイかせて。」「奥から手前にかきよせるように動かすの。わかった?」息子の指の動きに合わせ私も腰を浮かしくねらせます。「ああん、いくう!だめえ。まだだめえ!」「ぶって!ほっぺをぶつの!」「パシン!」「もっと強く。。「バシッ!」「そうよ!もっとぶって!」あとお尻をぶったり、腰をつよくつかんだり。時にはジュースを飲んでまぎらわせたり。そうやってイキそうになるのを止めるんです。一時間近くそんな事を。顔が熱い、そして全身も熱くなっていきます。もう止められない、、。「ひいいーー!」私は絶頂を迎え気が遠くなりました。後はちゃんとコンドームをしなさいと言い息子がしたいようにさせました。「このヤリマン女!誰とこんな事してんだよ?」「あ、もう別れたの!貴方がいいの貴方が好きなのお!」息子は怒りにまかせてもう顔が腫れるほど私をぶって、、。4度目が終わりさすがに息子もぐったり息子を抱き締めながら言い聞かせました。「ね、これでお母さん、貴方の女になっちゃったのよ。貴方が悪いのよ。だから時々お母さんとエッチな事しなきゃだめなの。わかった?」「うん。」そう答えた息子ですがまた私の口におちんちんを持ってきました。凄いわ。5回目、、、。

告白(転載) 母のスリップ姿

近親相姦告白・体験
07 /11 2022
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私、勉、現在40歳です、15歳の頃、母は、38歳でした。学校は、夏休みで、部屋で宿題をしていました。勉強に疲れて部屋を出て、茶の間で扇風機にあたっていると、茶の間から、外を見ると、母が白のスリップ姿で庭の手入れをしていました。太陽の光で白のスリップが透けて見えていました。母は、ブラジャーも着けず、パンティーも着けていませんでした。母は、まだオッパイの張りがあり、薄茶色の乳首が透けて見えて、お尻の割れ目も見えていました。私は、母のスリップ姿をしばらく見ていると、私のおちんちんが、だんだん大きくなり固くなってきました。私は、部屋に戻り、隠してあるポルノ雑誌を見ていたら、母の先ほどのスリップ姿を思い出していると、母が、家に入り、お風呂場に行く姿を見て、私は、部屋を出て母がシャワーを浴びるため、スリップを脱いでいるところでした。私は、ドアの隙間から覗き、母のシャワーを浴びる姿を見て、「お母さんとやりたい」とふいに、思ってしまい、私も裸になり、母のシャワーを浴びているところに飛び込み「何、勉、どうしたの」「いや、暑いから、シャワー浴びようと思って」「あっそう、じゃ、背中流してあげる」私の背中を石鹸をつけて洗ってもらい、母のオッパイが背中に当たりこれが、オッパイの感触かと思った、そして、母は、腕を洗ってくれて、私の指が母の陰毛にあたり、ちょうど,母のおまんこのところにいき、私は、少し指を伸ばし、母のおまんこの割れ目をいじっていた。母は、気づかず、今度は、私が母の背中を流してあげるため、石鹸をつけて洗ってあげた、母の白い肌に柔らかい肌、私は、何回も触りお尻まで洗ってしまった、母は、年のわりには、お尻が小さく、締りのあるお尻だった。シャワーで石鹸を流し、お風呂を出て、母は、白のスリップ姿で下着はつけずに、茶の間で横になっていた、白い足が広がり、私は、母の股間に顔をつけて、おまんこをじっと見ていた。

告白(転載) 眠った母

近親相姦告白・体験
07 /11 2022
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私は27歳になる男性です。彼女いない歴27年、もちろん童貞です。気も弱く、女性と話すのは苦手ですが、性欲は持て余し気味で、パソコンのエロ動画で毎日抜くのが日課でした。私の中学生の頃から母との2人暮らしで、母は近くの飲食店で働いており、毎日帰ってくるのは夜中の2時頃で、日によってはkなり酔っ払って帰ってくることもあります。数年前のことですが、この日はかなり酔っ払っており玄関口で倒れこんでいました。そんな母を私は、抱きかかえるようにベッドまで運びました。透けたブラウスの胸元からは大きな乳房がはみ出しており短いスカートは捲くれ上がりパンティが丸見え、それどころかパンティの横からは陰毛がはみだしており、私は気になってそっと母の股間に顔を近ずけました。母の股間に顔を近ずけると何とも言えない汗とアンモニアが混ざった甘酸っぱい匂いが漂い、なぜか私の股間は固くなっていました。私はそっと母のパンティを下にずらしました。母は泥酔状態で母の足元までパンティを下ろしても意識はありません母の股間は黒々した陰毛に覆われおり陰毛を掻き分けるとビラビラのひだがあり、その色はエロ動画のものとは程遠く、黒ずんで使い込まれたものでひだを押し広げると赤黒い陰部が口をあけています。私は母の顔をみましたが、母は小さく寝息を立ててたままです。私は構わず陰部の上のクリトリスらしき部分に指を擦り付けました。驚いた事に母に陰部は湿り気を帯び、私の指はスムーズ母の部分を刺激しており、そのうちにその部分は硬く大きくなってきました。湿り気を帯びた部分はさらに反応して愛液が溢れる様に湧き出してきます。そのうちに愛液は母の内腿はおろか、シーツまでもを濡らすほど愛液でまみれ黒々とした陰毛は濡れて光っていました。それから朝方までの2時間ほど私は母の陰部を弄び続けました。まるで夢のような光景で、私は指、舌、母のバックにあった化粧瓶などありとあらゆる物で母を愛撫し、それの母の陰部は応え続けました。陰部は大きく口をパックリと開けヒクヒクと脈打っており、指を挿入するとまるで絡みつくように私の指に絡みつきます。ふと気がつくとカーテンの隙間から陽が差し込んできはじめ私は慌てて母のパンティを履かせてから自分の部屋に戻り、先ほど余韻を楽しみながら扱きました。目が覚めると10時を過ぎておりリビングには先ほど目覚めたばかりの母がボーっと座っていました。化粧の残る母の顔でしたが、あきらかに高潮しており目元はうっすらと色付き昨日の余韻が残っているようでした。あれ以来 母が泥酔して帰ってくるのを楽しみにするようになりました。

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。