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告白(転載)母とはラブホでエッチしています・・母子相姦セックス体験談

近親相姦告白・体験
08 /24 2020
掲載サイト「セックス体験談~秘密のエッチな体験を告白・・(/。\)イヤン!」は消滅。
私は31歳、妻は29歳、そして母は56歳です。

父が病気で亡くなってから母は一人暮らしでしたが、

3ヶ月前に私と妻が結婚して実家で母と一緒に暮らすようになりました。
妻は妊娠してセックスの快感に目覚めたようで、私等夫婦はほぼ毎日、

一回といわず夜朝と、セックスは欠かさずしていました。

私等夫婦は二階で、母の寝室の真上だったので、

控えめにしたつもりでも妻の喘ぎ声やベッドの軋む音など

刺激的な音が嫌でも母に聞こえていただろうと思います。

母は昔はかなり細かったのですが、

父が亡くなってから少し肉がついて前よりも魅力的になりました。

特にオッパイはボリュームある膨らみで、白い胸元は年令を感じさせません。

そんな母と私がセックスをするようになったのは今から1ヶ月前のことです。

実は妻とは、デキチャッタ婚なんですが、毎日激しくSEXをしていたせいで、

妻が出血と腹痛を起こして、切迫流産で緊急入院することになりました。

妻が入院して、母と二人っきりの生活が始まってすぐのことでした。

晩酌の相手が母になり、あまり飲まない母も、

私と二人の時はけっこう日本酒を飲むようになりました。

その日も風呂から上がって母と二人で日本酒を飲んでいました。

「今日、素敵なお洋服を見つけちゃって衝動買いしちゃったの」

「どんな服?」

「じゃぁ、ちょっと見てくれる?」

母は嬉しそうに微笑んで部屋を出ていって、

買ってきた服に着替えてまた戻ってきました。

「すこし派手かしら?」

「それってさぁ、どうなんだろうね。オッパイが出すぎだよ」

母は自分の胸元を見ながら、

「そんなに出てる?これくらいなんともないわよ。平気よ」と言いました。

「じゃぁ 近くで見られても平気?」と言って、母に近づいて側に座りました。

私も酔っていたので「触わってもいい?」と 母に顔を近づけて小声で言いました。

母も小声で「触わりたいの?」と聞いてきました。

私は黙って手を伸ばして母の乳房を軽く掴みました。

妻とは違う弾力とボリュームを感じました。

「どう?」 母は、ちょっと首を傾けて私の方を見ていました。

「結構、大きいんだ」 私もあまり深刻な顔をすると気まずいので軽く言いました。

すると母の手が私の手の上に乗って、乳房に押し付けてきました。

私は母の微妙な気持ちを読んで、乳房を愛撫するように揉み始めました。

母も私も次第に息が荒くなって、呼吸が聞こえるほどの静けさで、

それが淫靡な雰囲気を高めてきて、二人とも黙って顔を寄せ合い唇を重ねました。

互いの舌と舌が絡み合い、息が詰まるほど長いキスでした。

私はそのまま母を畳に仰向けにしました。

その時母が「隣の部屋じゃないと・・・」と言いました。

その言葉に母がこれから先に起こることを受け入れるつもりでいることを確信しました。
母の寝室に入ると、敷いてあった布団に母をそっと横たえました。

私もすごく緊張していましたが、母の左に横になって、

母の耳元で「いいよね」と、ささやき、右手で母の胸を愛撫しました。

母は目を閉じて私のなすがままになっていました。

私は右手を徐々に母の下半身におろし、一旦母の股間をまさぐり始めましたが、

やはり「母」という垣根が私には振り払えなくて、

途中でやめて母の乳房への愛撫に戻りました。

母の服を上にずらし乳房を出して、乳首をつまんだり吸ったりしていました。

母は感じてきたのか、乳房を突きだすようにしてきました。

母が感じ始めていることを知ると、

「母」という垣根がなくなったように思えて、それから先は、

母の下半身の熱気を帯びた湿地帯へ愛撫の手を進めました。

パンティの中に手を入れると、そこは熱を帯びてヌルヌルと湿っていました。

指を少しだけ入れてみると、

「はぅっ。うう~ん・・」と声を出しました。

母のパンティを脱がそうとすると、

母が腰を浮かせてくれたので簡単に脱がすことができました。

目の前に、熟しきって半開きになり、奥からどんどんと、

ヌルヌルした汁を出しているおマンコが現われて、

部屋中に熟女の匂いが放たれました。

そのまま母の両足を広げて股間の間に膝で立ち、母のおマンコに顔を持っていきました。
母のおマンコの穴に舌を入れるとまた母の口から喘ぎ声が洩れました。

しばらく舐め続けたあと、私は(いよいよ・・・)と決心すると、

自分のパジャマのズボンを脱ぎ、勃起した肉棒を母のおマンコの割れ目にあてがい、

そのままズブズブと言う感じで母の膣穴に挿入しました。

熱くて柔らかい肉壁に締め付けられたとたん、

母がグッと腰を持ち上ておマンコを押しつけてきました。

妻の固い膣穴とは比べようもありません。

まるでタコに吸い着かれたような得も言われない快感です。

私も、自然と目を閉じて

「ううぅ~っ。」と声を出してしまったほどです。

同時に母も

「はぁ~んっ・・・」というあえぎ声を出しました。

私はその声を聞いて、さらに欲情が刺激されて、激しくピストンを開始しました。

夢中でピストンしながら、ユサユサと揺れる母の乳房を時々揉んでいると、

一気に射精感が込み上がってきました。

それを察知した母は

「い・・いいよ・・中に出して・・・」

「え・・だ・・出すよ・・・・」

「はぁ~んっ・・・」

「でちゃうぅぅぅっ。」

私は母の膣の中に大放出しました。

最後の一滴の放出が終わるまで快感に身を委ね、

肉棒をゆっくりとピストンし続けました。

母は私の下で ピクッピクッ と痙攣のように身体を震わせて目も閉じたままでした。

しばらくして深呼吸をすると、

「いっっぱい出ちゃったわね。」と言いました。

私は妊娠のことがすごく心配でしたが、

「もう生理は終わったの」と聞いて安心しました。

数日後、妻が退院してきましたが、妻とはSEXができないので、

性欲の処理はずっと母が相手をしてくれています。

もちろん、妻の前では、何ごともないように振舞って、

妻にバレないようにして、母とはラブホでSEXしています・・・。

告白(転載)母の膣にペニスをハメっぱなしでやり狂い

近親相姦告白・体験
08 /23 2020
掲載サイト「セックス体験談~秘密のエッチな体験を告白・・(/。\)イヤン!」は消滅。
母とやるようになってまる2年、今年の春ようやく娘が誕生しました。
僕は20歳で母は42歳になりますが、儀父(65歳)は自分の子だと
思って有頂天です。母は僕を連れて父のところに再婚したのですが、
儀父はセックスが弱くなっていて母を満足させることができなかった
そうです。それでもセックスは好きみたいで、母のおまんこを舐めたり
いじったりするのだそうで、母にしてみれば蛇の生殺しみたいだったと
言います。僕が大学進学で東京に出てきてからは月に2回の割りで母が
来てくれるので、その度にまる一日朝から晩までセックスしっぱなしです、
二人とも全裸でいつでも繋がれるようにしています。
僕はものごころ付いた頃から母をセックスの対象にしていて、一度だけ
ですが中学の頃に眠っている母のおまんこを舐めたことがあります。
それ以来母にぞっこんになり本番をしたくて仕方がなかったです。
そして大学生となって一人暮らしができるようになり、母が泊りがけで
来るようになってすぐ関係を持ちました。夕ご飯を食べた後、片づけを
しようとした母を押し倒し抱きすくめたのでした。母は驚いてはいましたが
抵抗はしてきませんでした、僕は正直に母を好きだ、性欲の対象にしている、
セックスがしたいと告白しました。すると今度は母の方から僕にしがみついて
きて、夢中で唇をむさぼるのです。言葉はなにもいりませんでした。
お互い急いで素っ裸になると抱き合ったままベッドインしました。僕は
母のおまんこを剥いて舐め狂い、母は僕のペニスを痛いくらい舐めしゃぶって
きました。愛撫もそこそこに最初は正常位で母に結合を仕掛けました、固く
怒張したペニスで膣と肛門を何度も責めました。母は肛門性交は初めて
だったそうで、かなり痛かったと思いますが拒否することはなく、
「好きなようにしていいのよ」
と言って僕のすることに協力してくれました。義父は肛門には興味が
なかったせいで色こそは黒に近いこげ茶色に色素が付着していましたが
ピッタリ窄まった形の良い肛門でまさに処女肛、僕は舌をドリルの
様にして皺穴の中心をぐりぐり掘り解し、ペニスをたっぷりハメさせて
貰いました。
母ははっきりいって美人だと思います、65歳にもなる義父が年甲斐も
なく夢中になり僕の友人達もセックスさせてくれないか頼んでくれと
いいだすほどです。実際年齢よりすごく若く見えてスタイルの良い
自慢の母と肉体関係を持つことはすごく嬉しくてこの日は一睡もせず
まるで新婚夫婦のように母とセックスに明け暮れました。
次に訪れたときには母は食料品をどっさり買い込んできました。
僕は午前中の講義が終わると寄り道なんかしないでまっすぐ帰りました、
玄関の扉を開けると母が出迎えてくれましたがなんと下半身は丸裸で真っ黒い
陰毛が目に入ってきました。
「ご飯を食べに行く時間がもったいないからお弁当を買ってきたのよ」
と言って嬉しそうにお尻を振りながらテーブルにお昼の用意をし始めて
くれたのですが、そんな美味しそうなお尻を見せられて僕が我慢できるは
ずもなく、そのまま母のお尻に飛びつき押し倒してセックスを始めて
しまいました。それをかわきりにまる二日間というもの、僕たちは
それこそ精液まみれになってやり狂いました。部屋の中は二人の体液の
匂いがこもって生臭かったほどです。二回目ともあって前回のようにがっついて
母の体を求めるのではなく、僕も大分余裕ができてきたのでお互い楽しんで
体を求め合うことができました。
3回目に母が来たとき、母の口からすごい言葉が出ました。
『子どもを産みたい』と。そのときはじめて義父との関係を聞かされたのですが、
僕は嫉妬に狂いそうでした。蛇の生殺しのようなセックスで母が毎日オナニーを
するようになっていたなんて、僕は義父が許せませんでした。この日、母は
生理中だったのですが僕の性欲に答えてくれ当然体を求めてもセックスを
拒むことはなく、僕も初めて生理中の女性とのセックスでしたがいつも以上に
興奮しました。トイレで母が生理の処理をしているときに同行させてもらい、
母の尿と経血まで飲みました。母を帰したくはなかったのですがそうもいかず、
母に約束させました。これからはできるだけ義父とはセックスしないように
するということを、母は了承してくれました。
そして母が来るたびに二日間というものはセックスに費やしました。ほとんど母の
膣にペニスをハメっぱなしでやり狂いました。全部中出しで、妊娠しやすいように
体位にも気をつかい腰に枕をあてがってやったのです。ドリンク剤は言うに及ばず
およそ栄養剤と言うものはたいていのものを飲みペニスが萎える時間を極力少なく
しました、サモンゴールドが一番効くみたいでした。そうした甲斐があって母が
妊娠し先月無事出産できました。可愛いとはお世辞にも言えない猿みたいな顔を
した赤ん坊が、僅か2週間もするうちに可愛らしい顔立ちになって僕を安心させて
くれました。五体満足で、それこそ健康優良児に近いと看護婦が言ってました。
母は42歳になりますが、心も身体も若いのでこれからもどんどんセックスする
つもりです。母の生理があがるまで、妊娠できるうちは何人でも僕達の愛リ結晶を
産んでもらいたいです。

告白(転載)5年くらい続いている母子相姦の関係

近親相姦告白・体験
08 /23 2020
掲載サイト「セックス体験談~秘密のエッチな体験を告白・・(/。\)イヤン!」は消滅。
僕は母子相姦しています。もうかれこれ5年くらい続いています。
母は特別美人でもなければスタイルがいいわけでもありませんが、気持ちが優しく、
若々しいく、僕と12歳しか離れていません。
僕は母の弟ということになっていますが、母と母の兄との間にできた子なのです。
戸籍上は祖父母の子として届けれていますが、家では何かと疎まれた存在で、
同病相哀れむというか、いつのまにか母とセックスするようになってしまいました。
初めのうちは毎日数回やっていましたが、最近では夜寝るときだけで、ずいぶん
大人しくなったものだと思います。
母はいま30歳で、近所のスーパーでレジのパートをしてお金を貯めています。
僕は高校を卒業して東京の小さな会社に勤めたばかりですが、母と二人で住める
ように一生懸命頑張っています。
一般に近親相姦で生まれる子は精神薄弱だったりかたわが多いと言われるようですが、
そんなことはないと思いますよ。
僕は自慢ではないですが、成績は学校全体で十番以内に入っていたし、体育の成績も
並以上だったと思います。
僕が母子相姦をするようになったきっかけは、父母(祖父母)から僕の「出生の秘密」
を匂わせられてからで、母にしつこく聞いたのがいけなかったんだと思います。
母は僕にそうしたことを知らせたくなかったんだと思いますが、僕があまりしつこく聞く
もんだから、「そうなのよ。」と言ったのです。
僕は母から「その頃」のことを聞いて母が可愛そうになりました。
母は自分からしたくて兄妹相姦したのではなく、「兄に犯された」のだそうです。
たった一度犯されただけで妊娠し、知識がなかったことと、両親に知られたくないと
隠していたことが災いして僕を出産したのだそうです。
僕は母が泣き出してしまったので肩を抱き寄せ、なぐさめていたのですが、以前から
「姉」の裸体を想像してオナニーしていたので、急にむらむらとしてきました。
いままで姉だと思って育ってきたのに、実は母だったと知った衝撃は確かに大きかった
ですが、逆に性欲は急速に膨らみ、「母とやりたい」と思いました。
僕は母の唇に自分の唇を重ね、強く抱きしめました。
母は身体から力を抜き、僕に身を任せるようにぐったりとしています。
僕は母の胸をまさぐり、スカートの中に手を滑り込ませました。
「好きなようにしていいよ。」と母が言いました。
「母さん、僕とするのが嫌ならいいんだよ。嫌いになったりしないから。」
僕は母を無理やり犯したくはなかったのでそう聞いたのです。
今から思えば、そうした行為を正当化しようと無意識にそう聞いたのかも知れませんが、
母は僕とセックスすることをためらいませんでした。
僕は母の性器をいじりまわし、固く勃起したペニスを愛液に濡れた膣に挿入しました。
初めての性交でしたがどうにかうまくできました。
母も気持ちがよさそうで、何度も「いい、いい。」と言っていました。
その日は夢中で何回もやりましたが、回数は覚えていません。それほど多くやったのです。次の日も、その次の日も、毎日まいにち、暇さえあれば母子相姦に現を抜かし、
僕はすっかり母の身体におぼれてしまいました。
その間、祖父母からは「犬畜生みたいなまねはやめろ」と何度も叱られましたが、
僕は母を心から愛してしまったので、もうどうすることもできません。
母も「もう離れられないわ」と言い、僕たちは独立することを考えるようになりました。
戸籍上では姉弟、実際は母子、実態は恋人であり、夫婦であり、愛人である僕たちは
来月、祖父母の家から少し離れたアパートに住むことになっています。
今母のお腹の中には僕の子供がいます。

告白(転載)娘が安全日だったので3回セックスしました

近親相姦告白・体験
08 /23 2020
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私には高1の娘がいます。娘が小5の夏のことです。私はAVを見ていました。そこに娘がはいってきたんです。私は勃起したペニスをさわってるところを見られました。「お父さん何してるの」同時にあえぎ声がしてるセックス中の男女のシーンも見られました。「お父さんいやらしいビデオ見てる」私はパンツをはき、いいわけしました。大人になったらみんなこんなことするんだよ。こんなことって?男と女はあんなことするんだよ。
おとうさんは?お父さんは一人だからできないんだ。だから見てるだけだ。女の人がいたらしたいの?私は素直に、いたらなあ。っていいました。楽しいの?そうだな。私があいてしてあげるよ。お前はまだ子供だから。あんなにおっぱい大きくないからだめなの?そんなことないけど。私おとうさんを楽しくさせてあげたい。元気なくつぶやきました。私はありがとう。そういって抱きしめました。娘は服を脱ぎ始めました。ちっちゃいけど吸っていいよ。
ちょうどおっぱいを吸ってるシーンでした。吸うだけなら。そう思った私は膨らみ始めたばかりのおっぱいを吸いました。私はもう2年もセックスしてませんでした。その時は32歳でした。つい、いつかは他の男にこんなことされるんだ。そう思うと自分の手で。と思いました。娘はファザコンの気がある子でした。私はお父さん楽しんでいいかい?すると。うん。といいました。私は娘を布団にねかせました。そして体中をなめまわしました。お父さん楽しい?楽しいよ。私は男はね、女の子とこんなことして楽しくなってきたらちんちんが大きくなるんだよっていい、みせました。すごい大きい。みきが魅力的だからおとうさんおっきくなっちゃった。娘はまだ毛もはえていませんでした。おとうさんみきのなかにちんちんいれたくなっちゃった。みきのどこに?あそこ?あそこ?おめこだよ。他の部分も実際は関西弁です。でもね。最初はいたいから、もしみきががまんできるんならいれたいんだ。おとうさん何でちんちんいれたいの。男はここにいれたいんだ。いいよ。がまんできるか?うん。私はゆっくり娘の中に入れました。娘はいたがりました。ペニスは真っ赤になりました。娘は顔をしかめて抱きついていました。そしてしばらくして私は娘の中にだしました。まだ生理がなかったんです。しばらくして初潮がはじまりましたが。私は娘がいたい思いするだけなのはかわいそうなので、それから毎日セックスしました。しばらくしてあの娘が気持ちいいっていうようになりました。それからです。娘がセックスを好きになったのは。小学生が喘ぐ姿は少し戸惑いましたが。少したって陰毛が生え始めました。娘は恥ずかしがってみせたがりませんでしたが、お父さんだってほら。みきも大人になりはじめたんだよ。おっぱいもAカップだったのがBカップ、Cカップと発育を始めました。私がお父さんお前のおっぱいが大きくなってうれしいよといったらすごくよろこびました。みんなより遅かったので。陰毛も今ではかなり濃くなってます。正直毛深いです。どんどん濃くなるのをはずかしがってましたが、私がそれが好きなので今では、はえるままにしているみたいです。中学になる急激におっぱいは成長しました。卒業するころにはEカップでした。ウエストもくびれてすっかり女の体になりました。今では娘は巨乳をすっかり自慢に思ってます。家では胸元の見える服をよくきています。わたしたちの関係は今でも続いてます。娘は将来好きな人ができてもお父さんの性欲はずっと処理してあげるからといってくれてました。実際去年の春には彼ができたみたいだけど、同じ年頃の男は自分が気持ちよくなることしか考えてないってすぐに終わってしまったみたいです。むしろお父さんのセックスが一番いい。ちんちんも大きいし。っていってくれるんです。私たちは毎日1回か2回。とにかく毎日ほとんどセックスしています。私もまだ37歳。セックスパートナーがいい女なのでやりまくっています。娘もセックスが好きで娘から求めてくることもしょっちゅうです。
娘は私が胸がエロくみえる服やミニスカートがすきなので、自然とそういう服をよくきるようになりました。外出するときは比較的地味ですが。でも二人でデートするときはミニスカートをよくはいてくれます。私はドライブしてて何回ホテルにはいりたくなったか。ホテルはお金がかかるので月に1回にしています。最近またブラがきついって言ってるんです。Fカップのブラ買ってってせがまれてます。最初の2年ぐらいは子供とセックスしてるみたいでしたが
中学になるとおっぱいもかなりおおきくなったので、セックスがより楽しくなりました。
私は娘の成長がみれたのがすごくうれしいです。
日ごとに大きくなっていく胸。濃くなっていく陰毛。
だんだん大きくなっていくのが刺激的でした。
娘の成長を記録するために数ヶ月に1回ビデオをとりました。
最初は裸だけでしたが娘がセックスしてるとこも撮ってっていうので、娘がCカップぐらいのころからはセックスしてるとこもとるようになりました。娘は自分が大人になっていく姿を見るのが好きみたいです。それを見ていると娘がテクニシャンになっていくとこがよくわかります。実はフェラを教えたのはビデオをとるようになったころからなんです。
昨日は娘が安全日だったので3回セックスしました。
風呂で1回、夜布団の中で2回。風呂では娘の希望で立ってしました。娘の足を持ち上げると娘は私のペニスを握って早くはいってきてって催促され挿入しました。私が中にだすと、いっぱいだして。っていいたったままそれからしばらく抱き合いました。その夜も私のなかにお父さんの子種はいってるのね。今日はもっといっぱい注入してくれるんでしょなんていわれました。もちろんたっぷり子種をいれてあげました。

告白(転載)小5の時でした。母から射精してもらったのは・・

近親相姦告白・体験
08 /23 2020
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小5の時でした。母から射精してもらったのは・・・。
夜のことです。寝てる時、下半身がなぜか痛くなってきまし
た。夜に母が着替えてる姿を見て勃起してしまったのです。
性的なことに関心がなかった僕は、勃起は病気だと思い込み
、不安になりながらもそのまま眠りにつきました。
しかし、朝に起きて下部に驚きました。白い液が・・・。
初めての夢精でした。不安が限界に達し、真っ先に母の元へ
行きました。恥ずかしさを忘れ母に相談しました。

「ママ・・・」
「ん?どうしたの」
いつもの母の返事でした。僕は思い切って母に言いました。
「チンチンが大きくなって・・・朝・・白い液が出てきて」
僕は母の目の前で初めてパンツを脱ぎました。小さいチンチ
ンの先から白い液が垂れ、床に落ちました。母は少し驚いて
「大人に近づいた証拠だね。大人に近づくと男の子はみんな
白い液が出るのよ。安心してね」
そういうと母はそっと僕をお風呂場へ連れて行ってくれまし
た。
「今日は日曜でパパも朝早くゴルフに行っていないからお風呂
に今から一緒に入ろっか?」
僕は緊張しながらも小さく返事をし、脱衣所に母と入りました
。脱衣所で母はなにも言わず服を脱ぎ始めました。僕はその場
で棒立ちでした。夜の着替えを思い出したのです。胸の鼓動が
聞こえるくらい心臓が高鳴りました。母はブラを外そうとしてます。が、なかなか外れません。実は母はすごい爆乳なのです。母がブラを外すと爆乳が揺れました。モロに見てしまった僕は、チンチンが完全に勃起してしまいました。
「ママ・・下部がまた痛い・・・。」
そう母に言うと、
「もうすぐ直るからね」
僕は意味が解らず、シャワーを浴びて待ってると母がきました。

「ママが体洗ってあげるね。そこに立ってじっとしてて」

母は向かい合って体を洗い始めました。そして母は膝立ちで背中を洗い始めました。僕は一気に勃起しました。膝立ちしてる母の爆乳がちんちんを挟む形になり、パイズリ状態になってし
まったのです。さら母は背中の奥を洗おうとしたため、爆乳がちんちんを強烈に挟みました。母が上下に動いてる時僕は母に

「ママ、チンチンから何か出そうだよ・・。」
「出していいのよ。射精教えてあげるね。」
母は爆乳を手で持ち強烈にチンチンをしごきました。
母のIカップはあろう爆乳はとても気持ちよく、興奮を
押さえられませんでした。ついに僕は母のパイズリして
る手をどけ、母を立たせ後ろから立ちながら爆乳をわしづかみしたのです。
「ママ・・・」
「今日は特別に好きにしていいよ」

母のその言葉に

強引に後ろから爆乳を揉みまくりました。僕は興奮しました。
「ママ」そう言いながら母の爆乳をさらに揉みました。母のバストは柔らかく、揉みまくると大きめのバストは指先からこぼれました。
「アンッ」
母の声です。僕は母にお願いしました。
「射精おしえてほしい」
母は無言で後ろ向きになったままで僕のチンチンを握り、
しごきました。僕は快感を味わいながら、母の爆乳を揉みまくりました。とても気持ちよく僕は「ママ、出るっ」
と言うと母のヒップに射精しました。

「ママ、もう一回出していい?」

僕は母を仰向けにし、上に乗りました。母のバストに挟み
、自分でバストを揉みながらパイズリしました。
「ママ、ママ、気持ちいいよ」
「アン、強引ねえ。もっと強く揉んで好きにしていいからね」
強引に揉んで腰を動かしました。柔らかいバストは上下に揺れ

「出るよママ」
母に射精しました。

告白(転載)パパのお嫁さんになってくれないか・・

近親相姦告白・体験
08 /23 2020
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今朝は10時過ぎまで寝てしまった。

結局、美緒と5回のセックス。
ロリコンだと思われるかも知れないが、うちの美緒の裸を見たら
そんなことは言えなくなると思う。

美緒は150センチ、体重は判らないが、胸はBカップ近くある。
生理が始まった去年から、どんどん女らしくなって、顔つきさえ
子供っぽく無ければ(身体だけなら)、そこらへんのオンナより
大人っぽい。
顔は鈴木杏似、幼く細めにした感じ。

でもこんな子供・家族向けのTDLホテルの中で、こんな事してる
親子は、うちぐらいか。可笑しくなる。

最初は、こんなつもりは全然なかった。
夏休みに美緒がTDLに行きたいというので、4ヶ月以上も前から
無理してやっと予約を取って、一昨日チェックイン。
昨日の昼間は、混雑の中をあれに乗りたいこれに乗りたいと言うままに
並んで、遊び疲れてホテルに戻り、一休みした後、着替えてレストランに
食事に行った。
美緒は、自分で買ったという浴衣、シャワーを浴びて濡れた髪を纏めて
見た目17,8才の感じ。
レストランで私がワインを飲むのを見てて、飲みたいというので
従業員に見られぬようウォターグラスに注いでやると、おいしいと、
水みたいに飲み干してしまった。
確かに、白ワインで軽いフルーティーなやつだからだったけど。
部屋に帰って、あらためて私がシャワーを浴びていると、突然、美緒が
裸になって入ってきた。
「じゃあ~ん!、パパ、背中洗ったげる!」
酔っぱらってた。
3,4年ぶりで一緒に風呂(シャワー)を浴びた。美緒の裸を見た。
胸もそこそこあり、ピンク色の乳首がツンと上向いて、足も長い。
まだあそこには薄い産毛が生えかけてるだけで、でも色っぽい。
「パパ、エッチ!、あたしの変なとこ見てる!」
笑いながら言われて、ハッとしてしまった。
お互いの身体を洗いっこした。
美緒の裸を見て、美緒の身体に触れてるうちに、ペニスが硬くなって
反り返ってしまった。
「ええ~!、パパ、おちんちんおっきくなってるよ?」
答えずに、美緒の背中を洗い始める。
ふっくらとしたお尻、思わず衝動的に後ろから美緒を抱きしめてしまった。
ペニスが美緒の背中にあたり、二人の身体に挟まれてますます硬くなった。
美緒のあそこに指を走らせ、愛撫した。
「パパ・・・」
なにか感じたのか、何も言わなくなり、私の指の動きに身を任せてくれた。
割れ目に沿って指を走らせ、クリトリスだろう辺りを愛撫してるうちに、
シャワーの湯でもなく、ボディソープでもないヌメリが指先に感じられた
ように思った。
5分もしないうちに、私は我慢できなくなり、濡れたままの美緒の身体を
抱いて、ベッドに運んだ。

美緒の身体をベッドに横たえると、私は美緒の両足を軽く持ち上げ、M字
にして、美緒のあそこをさらけ出した。
ピンク色の割れ目、陰唇はまだほとんど閉じていたが、かすかに唇を開く
ように、中央辺りが開きかけ、どう見ても愛液で濡れているようだった。

「恥ずかしいよ、パパ・・・」
美緒が目を閉じたまま、小さい声で呟き、膝を閉じようとするのを、私は
その時、思ってもないような事を言いながら、再び開かせた。
「美緒、パパと結婚してくれないか・・・」
「パパのお嫁さんになってくれないか・・・」
はっきり言って、出任せ、子供だまし。
美緒は目を開けて、私の方を見つめて、しばらく黙ってから、無言で頷い
た。

「じゃあ、今日から美緒はパパの恋人だ。」
「・・・セックスするよ・・・」

セックスって言葉を聞いた途端、美緒の身体が一瞬強張ったけれど、再び
目を閉じて深呼吸するようにしてから、「・・・ウン・・・」って頷いた。

私は美緒のあそこを指でなぞり、割れ目を探った。
ピンク色の陰唇を軽く押し開くと、一番端に小さなクリトリス。
まだ小豆粒くらいのピンク色の突起。
あそこに顔を埋め、舌先でクリトリスを刺激し始めると、
「・・・うぅ、いや、変、・・・・」
だんだん感じ始めたらしく、声を上げ始めた。
クンニをしながら、両手でオッパイを揉んでやる。
指先で乳首を弄っていくと、だんだん硬く尖ってくる。
15分以上続けるうちに、美緒の身体がどんどん反応してきた。
陰唇がわずかだが開き、舌先に愛液が感じられるようになった。
「パパあぁ、変、美緒、変!」
「パパ、オシッコしちゃうョ、美緒、変!!」
自分でどうしたらいいのか判らないようで、身体を捩って私の頭を両手で
掴み、半分泣き声を上げる。
私も我慢の限界で、美緒の両足を押し開くと、いきり立つペニスを美緒の
割れ目に宛い、挿入。
「パパ!」
熱い、きつい。
半分ほど入ったところで、美緒が身体を強張らせ、逃げようとした。
「痛い!、痛いよ、パパ!」
肩を押さえつけて、根元まで挿入。

ダメだ、またペニスが硬くなってきた。
美緒のベッドに行く。
また。

告白(転載)ディープキスで母の口を楽しみながらペニスを打ち続けて・・

近親相姦告白・体験
08 /23 2020
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もう、十数年前の話だが、僕の場合を話してみよう。

高1の夏っていうか夏休み前だった。学校を早退して、いつも使う駅からかなり離れた駅の構内をブラブラしていると、偶然母を見つけた。「何故、こんなところに?」と言うのは、母は地元の市役所に勤めているから、午前中のこんな時間にこんな所に居ることがおかしいいんだ。早退した後ろめたさもあったんだが、その日の母には何か声を掛けづらい艶かしさがあった。
見つからない様につけると、駅前の噴水の所で立ち止まり、腕時計を見る。誰かと待ち合わせしている様だった。僕はずっと柱の影から見つづけた。

母は当時40歳位。取り立てて美人って感じじゃなかった。何処にでもいるオバサンって感じ。背が少し高く(167位だと思う)、スタイルはよかった。
全体的に言うと田中美佐子みたいな感じ。
でも、それまで僕は母を「セックスの対象」として見たり、また母が「セックスをしている」と考えた事は無かった。

5分位見ていると案の定、男が来た。でも、男は叔父(父の弟)だった。僕は「僕のいやらしい予感が外れた」と安堵したが、母が楽しそうに叔父に腕を組んだのをみて「やっぱりか」と思った。その後、2人をつけたが「やっぱり」駅裏のホテル街へ消えていった。

エロ本やAVと全く違うイヤラシサが頭の中をかけめぐった。叔父の舌が母の舌を吸い、乳房を舐め、叔父の指が母のオマンコをいじくる。イヤラシク悶える母。叔父のペニスに舌を這わす母。叔父のペニスをオマンコに受け入れる母。激しく腰を振る叔父と母。僕は家に帰り、オナニーを3~4回したと思う。

それから、2~3日後の朝。父が会社へ出、母が洗い物をしている時、後ろから抱きついた。役所に行くため白のブラウスと紺のスカートを履いてた。胸をもみ、ペニスを尻にこすり付け、感触を楽しんだあと、台所に押し倒した。最初何が何だか解らない感じの母だったが、僕が馬乗りになって、ブラウスを脱がそうとすると、真っ赤になって怒鳴りながら抵抗した。
でも、僕が「明叔父さんにはさせてんだろ、俺にもさせろよ」というと、驚愕の表情のまま、抵抗はしなくなった」

僕はブラウスを脱がせ、ブラジャーを取り、母の胸、腋、を舐め、吸った。母は堪える様な感じでずっと目をつぶってた。ストッキングを取り、パンティに手を掛けた時、「それだけは、許して。親子では絶対してはいけないの」と涙目で僕を見たが、僕はがまんできず、パンティーを取り、母のオマンコを舐めた。毛むくじゃらで中がべたついた母のオマンコ。母の足を大きく開き、舐めまわした。そして、ペニスを挿入した。暖かくて、ペニスにまとわりつく母のオマンコの肉壁、泣いている母の頭を持ち、ディープキスで母の口を楽しみながら、母のオマンコにペニスを打ち続けた。5分位で母の膣に出してしまった。僕は立ち上がり、母をみた。胸まで上がったクシャクシャになったスカートのみ身につけ、両手で顔を抑えて泣いていた。

僕は2階の自分の部屋に戻り、後悔していたが、すぐムラムラして来た。下に降りると、母は浴室でシャワーを使っているみたいだった。僕は泣きながらシャワーを浴びている母を見るとまたムラムラしてきた。
「もう、堪忍して」と言う母の手を取り、ペニスを擦らせた。ペニスが大きくなった所で咥えさせ様とすると泣きながら首を振るので、「明叔父さんのじゃ無いと咥えたくないのか?」と言うと「死にたく為るからもう言わないで」っとペニスを咥えた。僕は母の口を性器の様に母の頭を抑え前後させ、母の口に出した。
結局その日は朝から夕方まで、計7~8回母と交わったと思う。
疲れて自分のベットに入った時、「俺は地獄に落ちるな」と思った。

告白(転載)母と姉が性器を舐めあっている最中に母のアナルを突きまくり

近親相姦告白・体験
08 /22 2020
掲載サイト「セックス体験談~秘密のエッチな体験を告白・・(/。\)イヤン!」は消滅。
私はお母さんが大好きです
いつもお母さんがお風呂に入っているときにパンツを拝借し自分のちんぽに巻きつけてシコっています。
ある日のことです僕がトイレに行こうとしたらんなぜか電気がついていました、でも鍵がかかっていなかったので普通に入りました。

するとお母さんが自分のマンコに指を突っ込んでかき回していました 僕は驚いて声が出ませんでしたが母はそのままオナニーを続けていました。

そして母がイクッというと僕の服にお母さんのマンコから出てきた大量の蜜がかかりました。僕はなんだか変な気持ちになりました。

そして母がお母さんのこと好き?と聞いてきたので僕が大好きと答えるとおもむろに僕のズボンを下げ僕のちんぽをフェラしてくれました。自分でするのとは比べものにならないぐらいの快感でした。僕が一回イッた後、僕は母のマンコを舐めさせられました。
僕はお母さんが気持ちよくなるようにがんばりました。

母がまたイクうと言うと今度は僕の顔に大量の蜜がかかりました。
母はしばらく意識がもうろうとしていたので僕は目が覚めるように自分のちんぽを生でマンコに突っ込みました。
僕が激しく腰を動かすと母はああんあああんああっつといいものすごく感じていました。僕はモット気持ちよくなるように母をトイレから出してバックで突きまくりました

すると母は狂ったかのように感じていました。でもそこはトイレの外だったので母のあえぎ声を聞いた姉が駆けつけてきました僕はまずいと思い。いったん母は放置して姉に襲い掛かりました。姉は泣き叫んでいましたが胸からマンコまですべて僕は責めまくりました。
姉は母ほど快感に対する免疫がなかったのでイキまくりでした。僕はだんだん楽しくなってきて、その場で写真を撮りレズをしないとコレをばらまくぞと言っておどしてやりました。

するとふたりはキスをかわしお互いの性器を舐めあっていました。僕はその最中のアナルを母を突きまくりました。

最後はふたりのマンコに一発ずつ射精して終わりました
そのあとふたりは同時に妊娠してしまいました。
でもそんなことは関係なく僕がしたいときはいつでもしていました

告白(転載)好きな人とエッチする前にママと練習しましょう

近親相姦告白・体験
08 /22 2020
掲載サイト「セックス体験談~秘密のエッチな体験を告白・・(/。\)イヤン!」は消滅。
5年前、僕が高校受験を控えた中学3年の夏、ママと初体験しました。
そのときのことをお話します。

当時、受験生だった僕は、夏休みと言うこともあり、勉強している毎日でした。

ある日、パパが出張でいなかった日の夜、初体験をしました。

夕飯を食べ終わって、部屋で勉強していると、ママが部屋をノックして入ってきました。
『お風呂が沸いたわよ』
と。じゃぁ、先に入っちゃおうかな、と思ったとき、
『まさ君、勉強頑張って疲れてるみたいだから、久しぶりにママと一緒にお風呂入って気分転換しない?』
とママが誘ってきました。

僕は最初、耳を疑いましたが、ママの雰囲気から、本当に一緒に入りたいことを察しました。
そのとき、僕は、まだオナニーしか知らず、グラビアやHな本で女性の裸を想像する毎日でした。
(ママの裸、女性の裸が見れる)
そう思うだけでドキドキして、やっとの思いで、
『うん』
と一言だけ言うことができました。

ママと二人して、脱衣場まで行き、一緒にお風呂に入るのは久しぶりだから恥ずかしい、みたいな話をしていました。

脱衣場に着くと、ママは何のためらいもなさそうに、着ているワンピースとスカートを脱いでいきました。
僕は、その光景をちらちらと見ながら、何もできずにいました。
初めて見る、ママのストリップです。ママは、白いブラとおそろいのショーツを穿いていました。レースが使われているショーツから、
ママの毛がうっすらと透けていたのをよく覚えています。
『まさ君も早く脱いじゃいなさい』
と言われ、服を脱ぎましたが、トランクスだけは恥ずかしくて脱げませんでした。
そうしてる間にも、ママはブラとショーツを脱いで、一糸纏わぬ姿です。
ママのブラが外された瞬間、プルンッ♪としたおっぱいが見え、ショーツを脱ぐと、生のあそこの毛が見えました。
もうそれだけでドキドキです。
トランクスを脱げない僕を見ると、ママは先に入ってるから、とお風呂に入ってゆきました。僕はトランクスを脱ぎ、おちんちんを手で
隠しながら、お風呂に入っていきました。恥ずかしくて恥ずかしくて、でも、ママの裸をもっと見たくて・・・そんな感じでした。

湯船に向かい合って入っているときも、僕はままのおっぱいやあそこを眺めてるだけでした。すると、ママは
『まさ君は、好きな人いるの?エッチしたことある?』
と聞いてきたので、正直に、
『好きな人はいるけど、エッチはしたことない』
と答えました。ママは、
『じゃぁ、好きな人とエッチする前に、ママと練習しましょう』
と言い、ママの性教育が始まりました。

ママの裸を目の前で見ているだけで、僕のおちんちんはびんびんでした。
ママは湯船の淵に座ると、僕のほうを向いて、足を大きく広げました。濡れた毛でよくわかりませんでしたが、ママは手で開いて、
クリトリスとおまんこの説明をしてくれました。
『ここがおまんこで、まさ君が生まれてきたところ。そして、その大きなおちんちんを入れるところだよ』
と。
ママのおまんこを触ると、ぬるぬるしていて、それは濡れているの、と教えてくれました。

ママは我慢できなくなったみたいで、僕をお風呂場のマットに寝かせると、上になって、おちんちんを入れてきました。
初めておまんこに入ったおちんちん。
入った瞬間に、包み込まれるような暖かさに、背中がゾクッとし、一瞬で逝きそうになりました。
ママが動き始めたので、数秒で僕はママの中に出してしまいました。

ママは不満そうで、また少し、湯船の中で話しをして、もう一度、ゆっくりと愛し合いました。


それから、パパがいない日には、必ずと言っていいほど、ママとエッチをしました。

今までも何人かの女性と関係を持ちましたが、やっぱりママが一番だな、と思っています。

ママと初体験したこと、よかったです。

告白(転載)母と妹を相手に1日に12回セックスしました

近親相姦告白・体験
08 /22 2020
掲載サイト「セックス体験談~秘密のエッチな体験を告白・・(/。\)イヤン!」は消滅。
僕は、初体験をしてから、セックスした時の事は日記につけています。
その日記の中から、12回やった日の事を振り返ってみます。

12回の相手は、
妹、母、母、妹、妹、妹、妹、妹、母、母、母、妹
と書いています。その日は日曜日で家族みんなでする日だったのですが、父と母は朝9時ごろまで寝ているので待ち切れなくなって、寝ている妹のオ○コを舐めて濡れてきたところで入れたのが最初です。初めは寝ぼけていた妹が僕につかれているうちに完全に起きたのを覚えています。

1発終わったあとで、妹と二人で父と母を起しにいって、妹が父のチ○ポをフェラチオし、僕はいきなり母に入れました。父のチ○ポがビンビンになると妹は上に乗って入れていました。すぐに父が起きて「誰だ、いたずらするやつは」と言って、だっこスタイルからすぐに妹を寝かせてはげしく突き入れていました。僕は母に「朝ごはん作ってよ」と言って、バックから入れたまま寝室を出ました。階段の前で「入れたままでは降りられないわよ」と母が言ったので、そこで一度出しました。下に降りてから朝ごはんの支度をしてくれる母を立ちバックでついていると、父が妹に入れたまま駅弁スタイルで階段を降りてきていました。そしてキッチンの椅子に座って妹にはげしく突きいれていました。相手を替えないでそのまま出したあとで、4人とも裸のまま朝ごはんを食べました。

その日は1日中、みんなでするはずだったのですが、父と母が母方のおばあちゃんから急に呼ばれて出て行ったのです。だから帰ってくるまで、ずーっと妹とやっていました。でもやりっぱなしと言うわけじゃなくて、途中テレビを見るので休憩したこともあります。妹のケータイがなって休んだこともあります。確かその時は電話中にフェラチオさせようと思ったのですが妹が拒否するので、紙に「アイスクリームを舐めているからと言えば大丈夫だから」と書いてフェラチオさせたはずです。妹は舐めながらケータイの相手に「アイスクリームを舐めているの」と言ってました。

5回連続で妹とやったころに父と母が帰ってきました。先にごはんにすることにしたのですが、父と母も裸になって食事をしました。ごはんのあとは、父と妹、母と僕の組み合わせでしました。相手はチェンジしなかったですが、正常位の妹とバックの母がキスしたり、妹を上に乗せている父が母とキスしたりしていました。

1回おわったあとで、4人で輪になって、チ○ポとオ○コを舐めあいました。そして、背中に文字を書いて順番に回していくようなゲームみたいに、僕が母のオ○コに舌で文字を書いて、それを母が父の玉に書いて、父が妹のオ○コに書いたのですが、最初の2回は外れたのですが3回目は当たり、笑いころげました。笑った理由は1回目が「オ」で、2回目が「メ」で、3回目が「ポ」だったからです。からだの向きを変えて今度は妹からスタートすると3回ともあたりました。答えは「チ、ン、ポ」でした。

そのあと父は妹に制服を着させてセックスしていました。途中から妹の部屋でやっていました。僕と母はリビングでやっていました。リビングの床は家族でセックスするようになってから毛足の長いカーペットに取り替えられたので、寝転がっても痛くないです。2回目を出してから、母と妹の部屋に見に行ったのですが、イスに制服を着たまま縛られていて、父のチ○ポをフェラチオしていました。父が「久美くん、もっとしっかりやらないと解放してやらないぞ」と言ったので、教師と生徒ごっこをしているのがすぐにわかりました。

父が母に向かって「みゆき先生は久美くんのフェラチオをどう思いますか?」と聞き、母が「まだ1年生だからそんなものじゃないですか」というと、父が「みゆき先生は生活指導の担当なんだから、和己くんを使ってフェラチオの指導をしてあげなさい」と言いました。そして僕のチ○ポをフェラチオしながら、妹に指導していました。

指導されている妹が笑いながら父のものをフェラチオすると、「久美くん、まじめにやりなさい」と言って怒られていました。でも、一度笑うと止まらない妹は笑い続けていました。仕方がないので父はロープをほどきチ○ポを入れて激しく腰を使うと笑うのをやめました。でも途中で、母に「和己くんは久美くんと不純異性交遊をしているらしいから、ほんとうかどうか絞りあげなさい」と言うと、母が「和己くんは久美くんに絞りとられたそうだから、絞っても何もでませんよ」と言い、それを聞いた妹が再び笑いころげました。

そのあと母に出してから、母と妹の2人がかりのフェラチオで元気にしてもらって、最後に父と二人で母と妹を交互にバックから責めたてて、妹でいきました。13回目に挑戦しようと思ったのですが、母のオ○コに入った父のチ○ポを下からなめている妹の姿を眺めていました。これが最高記録達成の日の思い出です。

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。