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告白(転載) 娘

近親相姦告白・体験
01 /21 2016
2001年3月26日 11時35分37秒 - s
中学3年になる娘にオナニーを見られてしまったしかも娘のパンティーの汚れた部分で勃起したオチンコを包み娘のベットの上でしている所を、父親としてのい けんがこの時消えました。娘は変なことしないでよお父さん!と言いながら家を飛び出していってしまいました。夜になっても帰ってこない娘を探しに走りまわ りました。娘を見つけ、ごめんなお父さん。なんであんなことするの?この歳の娘に説明して解ってもらえるだろうか、しかも親子。私は、一生懸命言い訳を正 当化して話しました。中3にもなればそれなりに今の娘は昔より性に対する事を知っているみたで、以外に楽に話が進みました。娘は私におねだりをしてきまし た、口止め料でしょう。洋服その他を買ってやりました。娘はすっかり気を良くして冗談まじりに、又買ってくれるお父さん?私はもうしないから勘弁してくれ よと。お父さん私のことが好きなの?好きだよ。お母さんのことは?もちろん好きだよ。こんな話をしているうちに又買ってくれてお母さんに内緒にしてくれる なら下着ぐらいいいよと言い出しました。今回買ってあげた金額、物から考えたら自分の下着で・・・・なんて事は忘れてしまうのでしょう。私は娘と約束を交 わしました。月5万円の買い物をする事を。何ヶ月かして娘は5万円で足らない物が欲しくなったみたいで、お願いされました。私は娘を意を決してホテルへ誘 いました。娘はしばらく考えOKを出しました。そこでなにするの?お父さん。なにもしないよ、と言いながらそこで娘を犯してしまいました。娘に脱ぎたての パンティーをもらい娘の目の前でそのパンティーの匂いを嗅ぎ舐め、包み、汚れた部分にザーメンをかけました。最初は見て見ぬ振りをしていた娘も変な気分に なったのかおまんこをもじもじ弄くり始めました。私はHビデオを娘に見せました。娘はテレビに食い入るように見ています。私は娘の身体に触り始めました。 抵抗する様子もなく腰をくねらせ布団の上におまんこを擦りつけているのが解りました。私はそーとおまんこに触れました。娘の口から小さな声が漏れました。 静かにベットに寝かせおまんこに舌を這わせました。娘の手を勃起したおちんこにもって行き擦りつけるよにさせました。おまんこからだんだん上に行き太もも の内側、へそ、腹、胸、キスもしました。娘はおまんこがむずむずするらしく、しきりに触っています。指を1本入れました様子をみて2本、痛がる様子もない ので、コンドームを着けおまんこに唾液を塗りおちんこの先だけを挿入しました。だんだんに奥に入れていきました。娘はオナニー経験があるらしくすんなり挿 入してしまいました。私は興奮と始めての経験にすぐにいってしまいました。罪悪感が心を占めるまもなく、2回目に突入しました。今では5万円の約束も果た さず時間させあればどこでも娘と嫌らしいことをしています。

告白(転載) 母との事

近親相姦告白・体験
01 /21 2016
大手プロバイダのホームページ上で公開されていた告白。投稿者別に時系列で追います。

2001年3月21日 0時22分2秒 - 熟女ファン
私は25歳。母は48歳です。昨日、ひょんなことからケンカになり、私は母をレイプしてしまいました。最初、口論となり、カッとした私は母を突き飛ばしま した。その際、タイトスカートをはいていた母の股がひらいてしまい、むっちりした太股、そしてベージュのパンティまでもがあらわになってしまったのです。 私の中でなにかか切れてしまいました。気がつくと、私は後ろから母に抱きつき、スカートをたくしあげながら、勃起したペニスを母の大きなヒップにパンスト ごしにこすりつけていたのです。母は力一杯、抵抗しましたが私は逃しません。10分位、抵抗していた母の力がすーと抜けた瞬間、わたしは後ろから一気に母 のパンストとパンティーを引き下ろしました。あらわになった母の真っ白な大きなヒップ。私は夢中でヒップを愛撫しながら、指でオマンコをまさぐりました。 なんとそこはもう大洪水だったのです。私は勝利を確信しました。それからはゆっくりと母の躰を愛撫し、時間をかけて母の頭のてっぺんから足の先までなめつ くしました。いつの間にか母の口からは成熟した女の雌の叫びが、漏れ始めました。そしてついに母の口から「入れて」の一言が!私はそれでもなお、母をじら しました。執拗に母のクリトリスからアナルを嘗めまわしました。そしてついについに、あの普段は清楚な美しい母の口から雌のもっとも猥雑な言葉が発せられ たのです。「もうーダメー。入れてー。チンポ入れてー。お母さんのオマンコにチンポぶち込んでー。あなたのチンポでお母さんの子宮を串刺しにしてー。」一 気にこう叫ぶと、もう母は淫乱な雌ぶた状態です。私はついに、ゆっくりと母のオマンコへとペニスを沈めて行きます。「おう、おう、おう、おう、おおー、お おー、おおー、おおー、おおーいぐー、いぐー、いぐー、いぐー、いぐでー、いぐでー、いぐーーー。」母はまるで獣です。あの普段はおとなしく清楚な美しい 母とはまるで別人の雌ぶたです。それから私と母はほとんど朝まで、獣のようなSEXにあけくれたのです。このページを見ているみなさん!母親はレイプする ものです。勇気をだして、あなたも母親をレイプしましょう!

告白(転載) 本当に母?

近親相姦告白・体験
01 /21 2016
大手プロバイダのホームページ上で公開されていた告白。投稿者別に時系列で追います。

2001年3月10日 23時7分14秒 - あきら
両親は12年前に離婚しましたが、父は直ぐ再婚しました。優しく教養のある義母のおかげで明るい家庭を築き上げてもらいました。ある日、母の写真を押入れ の中から見つけ懐かしさに浸っていました。私が小6の時突然いなくなった母の思いではとにかく厳しく、私を叱るのは母だけでしたが、背が大きくてスタイル が良く美人の母は友達の間でも私の自慢でした。12年間音信不通です。夕方、父に母のことを訊ねたら今更という態度でしたが、池袋のデパートの地下食品売 り場で働いてるらしいと教えていただきました。1週間後、その場所に行き昔の記憶を頼りに歩きました、名前を言って探せば容易い事だったでしょうが、そこ までしたくもなく、ただ元気な姿を確認するだけでよかったのです。同じぐらいの年齢(母は48才)で、似たような人がいましたがやはり探せませんでした。 夕方の人込みとスペースの広さに疲れ、帰り際に持ち帰り寿司を義母のお土産にと思い商品を見てましたら、「あきらさん?」と言う声に驚き顔を上げたら、白 衣を着て頭に白い布を巻いた女性が笑顔で私を見つめてました。”お母さん?”私はその女性に昔の母の面影を探しました。「マキ(母の名)さんですか?」と 訊ねるとコクッと頷きました。「まぁー!どうして?・・・信じられない」と嬉しそうな弾んだ声で言います。母の面影とは違って、肌が日に焼けたように浅黒 く、細身で小さく見えましたが健康そうでした。目と形の良い唇で母であることを確信しました。「ねぇ、時間がある?お話ししたいの」周囲の客に気を使うよ うに早口でした。「うん、大丈夫だよ」「それじゃ、7時に東口の駅交番前で待ってて、お願いね」と嬉しそうに言うと他のお客の応対に回りました。母は時間 どおり来ました。髪がショートカットでジーンズにトレーナーと軽装でとても若く見えました。居酒屋に行こうということになり、カウンターに並んで座り今の 私たちの生活、母の離婚してから今日までの経緯などを互いに話した。お互い「マキさん」「あきら君」と名前で呼び合いました。母は静岡の実家に帰り、2年 後20歳も年上の男性と再婚したが2年前病気で亡くなり、また東京に出てきてアパートを借り今仕事をして1年半になるという。2時間があっという間に過ぎ た、私が母のアパートを見たいと言うと「いいわよ」と快く応えました。西武線で20分走った駅の直ぐ傍にアパートがありました、2階にの角に母の部屋があ り中に入ると部屋の仕切りの襖を外してあり、広く使ってる部屋にはダブルベッドと大きなテレビが目立ちます。母がビールと乾き物をテーブルに運んできて向 かい合わせて座り話しました。ずーと私のことを考えて暮らした事なども目を潤ませて話してくれました。居酒屋で話してた時から何度か母の携帯が鳴りました が相手先を確認するだけで電話に出ませんでした。また携帯が鳴り、母は立ち上がると台所に行き今度は電話に出ました。母は酔ったせいか声が少し大きく、話 してることが聞こえました。”今日は親戚が来てるから、、、泊まることになってるの、、、明日、、うん、、”男からだと直ぐ分かりました。「遅くならない うち、帰らないとね」と私は言いました。「いいのよ、気にしなくて、、泊まったら?、、」「でもね、、家にも何も言ってこないから」「あら、、無断外泊し た事ないの?真面目ね」と意地悪そうに微笑みます。話しをてるうちに母という感じではなく、親しいおばさんの感じになりました。母も”何処かの若い好青年 と一緒にいるようだ”と話してました。12時近くになりもう寝ようかと言う事になりました。「何処に寝るの?」と聞くと「あら、、同じベッドよ、、だ め?」と笑って言います「でも、、恥ずかしいよ」「いいじゃない、もうおばあさんだから、、ふふっ」と酔った口調になってます。母は立ち上がると風呂場に 行きしシャワーを出してます、暫くしてバスタオルを身体に巻き付けてきました。「ごめんね、シャワーだけだけど、先に浴びてきたわ、使うでしょ?」とバス タオルを渡され私もシャワーを浴びました。戻ると母が私の座ってた横に座布団を置いてビールを飲んでました、また新しいビールが私のコップに注がれてお り、私はそのまま並んで座りました。「マキさん結構呑むね」「今日はね、、何だかすすむのよ、ふふふっ、立派な好青年がそばにいるんだもの 胸が高鳴っ て、、馬鹿みたいね」と妖しく微笑み私を見つめました。私もその言葉に応えるように「俺も同じ、、年上の魅力的な人と同じ部屋にいると思うと、、、」と最 後の言葉を濁した。「まさか、興奮してるなんて言うんじゃないよね、、ふっ、ふふふっ、でも会いたかった」と母は私の肩に右手を伸ばしてきました。私も左 手を背中に回します。互いに顔をあわせるようにして見つめ合いました。母がまた妖艶に微笑みました私の理性は失われました。右手も母の背に巻きつけると母 のほうから畳に倒れるようになり、私たちは重なり合いました。「変な容になったね、、大丈夫?」と母が私の顔の下で微笑む「大丈夫って?、、」「これで も、、元、母よ、、ふふっ」「それは忘れた、目の前にいるのは俺好みの女性さ、、」「嬉しいこと言う、、じゃあそう言うことで、、」そう言うと母は私の唇 に吸い付いてきました。少しお酒くさいですが口の中は熱く、細い舌先が口の中に入ってきて私の舌を舐めました。私は片手を母の臀部から太腿を撫でまわしま した。上半身に比べて下半身は肉付きが良く弾力があります。バスタオルを外すと形の良い小ぶりな乳房が露になりました、母の手が私のパンツの中に入り硬く 大きくなった男根をしごきます。私も母のパンティに手を入れて局部を愛撫しました、すごく濡れてます。唇の感覚が無くなるぐらいキスを続け、唇を離したと きはも互いに丸裸でした。「でも、いけないことよね、、いいの?」と母「だから互いの関係は忘れよう、、、」「近親相姦するのよ、、でも、すごい迫力のあ る言葉よね、、」母は立ち上がり天井の蛍光灯を消しオレンジ色の小さな明かりだけにして、仰向けになった私の身体に跨るような体勢をとり、私の男根を掴ん で濡れてる局部に当てた。「お互い、後悔無しね、、」と囁くように言い、腰を落としてきました。熱く狭く感じる母の体内に私のモノがのみ込まれました。母 は歯をくいしばって声を押さえて顔を歪め、両手を私の胸について少し仰け反りました。インサートの瞬間に声を上げたのは私のほうでした。両足を大きく広げ てウンチングスタイルで腰をゆっくりと上下に動かし、私の固く膨張した男根が母の身体の中に刺し込まれそして抜かれるピストン運動で結合部分がモロに見え ます。「気・持・ち・い・い?」母の声が震えてます「すごく、いいよ、、母さん」「だめ!マキと言って、、あぁ~身体が溶けそう、、」母は天井に向かって 喉を絞るようにして声を出しました。「もっと早くしていい?、、私、もうイキそう、、あきら君、我慢してね」そう言うと母はさらに深くそして早く腰を動か しました。「あうっ!、、当たる、、あっ!、、あっ!、、イキそう!」母の呼吸が激しくなり跨った両足の膝が畳に付き、下半身の全体重を私の男根の根元に 落としてグリグリ押し付けてきて、母の愛液が私の股の間からお尻の穴にまで滴り落ちました。母の腰がビクビクと痙攣し、快感の絶頂を甲高い叫び声で訴えま した。母のグッタリした柔らかい身体が覆い被さってきました、母の顔の位置が私の耳元にあり、熱い吐息が心地よく当たります。私の男根はまだ勢いよく、母 の身体を貫いてます。少し突いてやると母の身体全体が反応して、震える喘ぎ声が余計に興奮を誘います母と体勢を入れ替え上になった。唇が触れ合うぐらい顔 を近づけ言葉を交わします。「早くイッタね、、」「だって、、久しぶりに興奮したし、あきら君の気持いいんだも・・・」「俺も、イキそうになったけど、我 慢した、こんな気持いセックス初めてだよ」「あんなに深く入れて出されたら、子供出来ちゃう・・・」言葉を遮るように唇を合わせ、舌を奥まで入れて絡め た。私はピストン運動をゆっくり、母の体内のを味わうように動かし始めた。母が私にぴったりとしがみ付き、また私の耳元で荒い呼吸をしだした。私は禁断の セックスに大胆になった、畳が軋み部屋全体が揺れるほど私は母を突きました、母はもう快感の渦に入り込み窓ガラスを揺るがすような声を上げて畳の上をのた うち回りました。

告白(転載) いけない快楽

近親相姦告白・体験
01 /21 2016
大手プロバイダのホームページ上で公開されていた告白。投稿者別に時系列で追います。

2001年3月8日 11時40分8秒 - NOBU
二階の書斎で仕事をしている父がいるのにサンルームで母とふざけ合って抱き合い重なり合って倒れ、互いに変な気持になりキスをしそしてセックスまでしてし まいました。白昼堂々と・・・母と私は昔から兄弟のように仲が良く、一般的な母と子の間柄とは違ってました。転勤先から3年ぶりに帰ってきた次の日の午後 の事でした、母は本当に嬉しそうに振る舞い夕食の時から無口な父をそっちのけで、昨夜は遅くまで話しました。私は28才です、もちろん何人かの女性とは セックスもしたことがありますが母は私にとって母であると同時に姉でもあり時には恋人のような感情も抱いてきました。セックスに至るまで私たちは笑いなが らじゃれ合うようにしてました、母が上になって私のパンツを下げ、そして自分のスカートの中のショーツを取り結合するまで互いに笑みを浮かべて見つめあい ました。互いに無言で意思確認をしました。私のものを握りソコに導くようにして腰を落としました。すごく狭さと熱さを感じましたが、スムーズに入りまし た。私は母と交わった事に一抹の罪悪感を感じましたが、それを打ち消すような興奮と痺れるような快感に包まれあっという間に絶頂に達し果てました。母はす ぐさま私から離れてバスロームに消えましたが、私は暫く呆然としていました。母はやがて出てくると台所に行き、お茶を入れて乳の書斎に向かいました。暫く して母が下りてきて、私に買い物に付いてくるように言い二人で出かけました。

告白(転載) 伯父に教え込まれた快感!

近親相姦告白・体験
01 /21 2016
大手プロバイダのホームページ上で公開されていた告白。投稿者別に時系列で追います。

2001年3月1日 1時1分9秒 - Mari
 私は、幼い頃から伯父が事故で死ぬ19歳まで、伯父に挿入以外の色々な快感を、教え込まれました。幼い頃から私は、伯父に懐いていたので、その関係が終 わるまで、両親は気付かないままでした。 一番古い記憶は、まだ幼稚園児の頃。建築関係の仕事で、全国を飛び回っていた伯父は、年に数回数日間、私の家に 逗留して、仕事に出かけていました。田舎の農家で、お風呂が外にあるのをいいことに、伯父は親切ぶって私をお風呂に入れてくれていました。お風呂で伯父は いつも、「湯船に浸かる前に、オシッコをしなさい。」と言って、私にオシッコをさせ、それをのぞき込んでいました。そしてその後、私に股間を洗わせると必 ず、「キレイになったか調べてやる。」と言って股間を舐めるのです。それが気持ち良くて大好きでした。それがどんどんエスカレートしていき、「体なんか洗 わなくて良い。俺が全身を舐めてキレイにしてやる。その方がマリも気持ちいいだろ?でもこれは、お父ちゃんやお母ちゃんには、内緒にしろよ。喋ったらもう こんな気持ちのいいこと、してあげないから。」と言われました。伯父はいつも、決して自分の体には触れさせようとはせずに、私の快感のために尽くしてくれ ました。そのお陰で、小学校に入学いする頃にはもう、『イク』という感覚があったように思います。 小学生になると、もう伯父と一緒にお風呂に入る事を、 両親から止められるようになりましたが、私は伯父に舐められる快感が欲しくて、一計を案じました。そのころ隣町に出来たスーパー銭湯に連れて行って欲しい と、両親に頼んだのです。兼業農家の両親は、そんな暇など無いと伯父に連れて行ってくれるよう頼みました。伯父は車で私を連れ出すと、山の中に入っていき ました。廃屋になった山小屋の中で私の服を脱がし、何度も私がイクまで、舐め続けてくれました。それ以降関係が終わるまで、その山小屋の中での快感の追求 は続きました。 中学生になると、自然に挿入を求めるようになりましたが伯父は、「処女のままでいろ!そうしたらマリが結婚するまで、俺が気持ちのイイ事 は何でもしてやる。」そう言って伯父は、私の経血を美味しそうに啜り、アナルを舐めしゃぶり、挿入をせがみ腰を振る私を、身動きの出来ないように縛り、失 神するまで攻めてくれました。 高校生になった私は、年に数度しか会えない伯父との快感を思い、山小屋の中でオナニーをするようになりました。ある日それ を伯父に見つかってしまいました。伯父はそのままオナニーを続けるよう命令をし、イク瞬間にオシッコをかけるように言うと、私のオシッコを飲んでくれまし た。そして「俺のいない時は、これでオナニーをするように。」と言って、ピンクローターと麻縄をくれました。今も麻縄は形見として、伯父の分身で自縛をし てオナニーをしています。 伯父が突然の事故で死んだ後、伯父が死んでしまった事よりも、伯父との快感を求め身悶える、女の淋しさに泣き続けました。ヤケ になって、色んな男に抱かれました。誰かに縛られたくてSMクラブで働きました。ハードにされればされるほど、肉体の快感は得られましたが、心の中の違和 感は募っていきました。今は伯父に観られている事を想像しながらの、自縛オナニーだけが私を満たしてくれます。

告白(転載) 8ヶ月の腹を抱えて、娘のお産の。

近親相姦告白・体験
01 /21 2016
大手プロバイダのホームページ上で公開されていた告白。投稿者別に時系列で追います。

2001年2月25日 23時20分46秒 - 杏子
夫58歳、私43歳(一昨年秋、再婚しました)。清人28歳、夫の子供です。10年近く、娘と二人暮らしを続けてきましたが、娘が結婚したのを機会に、同 棲を始めました。長い間、全くセックスもなく、同棲を始めた頃は、期待と不安とが混じり合い夜が来るのが恐ろしい気がしていましたが、だんだんと遅れてい た花が開くと云うのですか、夜が来るのが待ちどうしくなりました。正月を過ぎる頃になりますと、毎晩のように私から求めるようになり、逆に夫が逃げ回るよ うになりました。後、停年まで2年という夫は、時々は夜勤だと言って会社に泊まるようになりました。そんな夜は、通販で求めた、バイブで一人楽しむように なりました。連休の頃でした。やはり夫が留守の夜のことでした。一人バイブを使っていますと突然寝室のドアが明きました。廊下の明かりをバックにして清人 のシルエットが浮かびました。「杏子どうした。苦しいのか。」知らず知らずの中に今まで声が聞こえていたようです。「なにも無いよ」と往ったものの、ベッ ドの上だまたを開いてバイブはおまんこに突っ込んだままでした。「見ちゃいや」と言ったものの、絶頂期止めることは出来ません。「手伝うよ」「判ってる」 「判ってる」「親父は逃げてるよ」「杏子強そうだからな」   清人は、右手を私の首に回し左手で乳を掴みました。そうして強引に口を吸います。バイブ は、突っ込んだままです。そのまま、彼に両手で抱きつき、「いく、いく」と叫んだようです。「大きなこえだな。表まで聞こえそうだ」清人は、バイブを抜き 乳を揉んでいた手をおまんこに当て、クリをなで始めました。こんな事は初めてです。頭の中は真っ白になりました。そのうちに清人の熱い堅い肉棒がそろりそ ろりと入ってきます。バイブも太いと思っていたのですが、おまんこが避ける様な気もしたが、すんなりと収まったようで子宮がゴツンゴツンとつつかれて、清 人の「いくぜ」の声と共に熱いものが子宮を包みました。気が遠くなりました。ピタンピタンと頬をたたかれて気がつきました。「恥ずかしい、こんな事は初め てよ」「杏子は若いな」15も年下の清人はこんな事を言います。「もういっぺん」「もう一度」夜明けまでになんど往ったのでしょう。それからは、夫の夜勤 を待ちわびるようになりました。11月の初め同棲1周年と言うことで、夫と一泊力に出かけました。のんびりと二人で温泉の家族風呂につかりのんびりとふざ けあったりしました。そのとき「杏子、少し太ったな」といいます。そんな覚えはありませんが。「立ってみろ。正面から横から眺めます。「いやよ」帰宅後、 数日して起き掛けに少し吐き気を催しました。おかしいな。よく考えて見ますと、先月生理の無かったことに気がつきました。同棲前から生理は不順というか あったり無かったりでもう更年期に入ったのかと思って全然気にも掛けていませんでした。8月終わり頃、僅かな出血があったことは覚えていますが。そうしま すと9月10月と必死に思い出した見ました。この歳で絶対にそんな事は無いと言い聞かせながらもしやと心配になり、産婦人科へ出かけました。この歳で恥ず かしいとは思いましたが。診察の結果はもう10週とのことで。「おめでとうございます」「予定日は5月末ですね」といわれました。しかし、恐ろしくて夫に も、清人にも子供の出来たことは言えませんでした。最初に清人が気がつきました。11月の暮れのことです、久しぶりに夫が泊まりで清人の部屋で伝記をつけ たままで抱き合いました。「杏子、よく見せろ、乳首が、少し黒くないか」そんなことを云いましたが、「馬鹿な電気の加減よ」まだ私はその頃は3ヶ月を過ぎ た頃で、おろす事しか考えていませんでした。しかし、腹の子供は、順調に育っていきます。12月の暮れ病院から出てくるところを夫に見つけられました。 夜、床の中で夫に、どこが悪いのか。くどく聞かれ、子供の出来たこと、もうじき5ヶ月になる。貴方を喜ばせようと、はっきりするまで黙っていたかった。と 云いました。「再来年は、停年だぜ。おろせよ」と言います。「産んでは、だめ」「俺の年を考えよ」「お医者さん相談して」そんなことでとうとう何かさめた 感じで一晩あかしました。  暮れも押し迫っており、病院は休みに入っていました。正月を悶々と暮らしました。早速病院に行きましたが、もう5ヶ月に入っ ておりおろすことは出来ないと云われました。夫は、仕方ないといっています。清人は相変わらず、夫の留守の晩は求めてきます。私もそれを楽しみにしていま すが、少し腹も膨らみ、もう清人を上に載せることは苦しくいろいろと体位を変えて楽しむことにしています。もう完全に誰が見ても妊娠して居ることも判り、 そうですもうぼつぼつ28週になりますもの。ご近所の皆さんも「勇気があるね」などと言われますが。もう5月末の予定日まで、頑張る他はありません。私自 身、楽しんで結果子供を生むんで、年を考えると少し恥ずかしいと思いますが、昔はこの歳で産んだ人は沢山あるそうで、それだけ私は元気だと思うと力がわい てくるような気もします。ただ、先に結婚した娘が、3月の暮れにお産をします。8ヶ月近い大きな腹で娘のお産に、娘には私の妊娠したことはまだ伝えては居 ません。

告白(転載) 今日は朝からお兄ちゃんと

近親相姦告白・体験
01 /21 2016
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2001年2月6日 18時2分9秒 - 栞
はじめまして。私は、今日12歳になった小学六年の女の子で、栞といいます。今日は私の誕生日ということで、学校を休んでお兄ちゃんと一緒にいます。私は 小さい頃から10歳年上のお兄ちゃんのことが大好きでした。お兄ちゃんとは、私が3年生くらいの頃からエッチなことをして遊んでいました。今でも毎日お兄 ちゃんにおまんこを触ってもらったりなめてもらったりして、私もおにいちゃんのオチンチンをしゃぶってあげています。去年の夏休みに、私はお兄ちゃんと初 めてセックスしました。それまで指や細いバイブなんかを入れられてはいたので、お兄ちゃんのオチンチンが入ってきた時も、痛いのは最初だけで、動かしてる とすぐに気持ちよくなりました。今日はお父さんとお母さんが仕事に出かけたあと、私とお兄ちゃんはすぐに裸になって抱き合いました。お兄ちゃんは私の体中 をやさしくなめてくれました。私もお返しに、お兄ちゃんの体中をなめてあげました。お兄ちゃんは私をソファに座らせると、足を大きくひろげさせておまんこ を指でいじったりなめたりしました。おまんこの中を指でグチュグチュされながらクリトリスをなめられると、ものすごく気持ちよくて何度も体がピクンピク ンってなっちゃいました。3回ぐらい続けていかされたあと、お兄ちゃんは私の口にオチンチンを入れてきました。私は顔を動かしてオチンチンをなめたりしゃ ぶったりしながら、右手で根元のほうをこすってあげました。しばらくするとお兄ちゃんが「出すよ」と言ったので、私はオチンチンをくわえたまま「うん」と 言いました。お兄ちゃんは私の口の中に出したので、飲んであげました。そのあとお兄ちゃんは私をソファに寝かせて、おまんこにオチンチンを入れてきまし た。私はお兄ちゃんの首にしがみついて、足をお兄ちゃんの腰にまきつけました。お兄ちゃんは私のおまんこの中をオチンチンではげしく突いてきました。私は 気持ちよくて、何度も「お兄ちゃん、気持ちいい」ってさけんでいました。私が何回かいったあと、お兄ちゃんはおまんこの中にドクドクと射精しました。しば らくオチンチンを入れたままのかっこうでいたら、お兄ちゃんがまた腰を動かし始めたので、私もすぐに気持ちよくなってしまいました。結局オチンチンを入れ たまんま、お兄ちゃんは3回続けて私のおまんこに射精しました。二人でシャワーをあびて、お互いに洗いっこしたあと、私とお兄ちゃんは裸のままでお昼ご飯 を食べました。お兄ちゃんはビデオカメラを持ってきて、私の裸やおまんこのアップをとったり、私がオチンチンをしゃぶっているところをとったりしました。 オチンチンを私の中に入れて動かしてるところもとりました。とり終わったビデオをお兄ちゃんと一緒に見ていると、私のおまんこにオチンチンが出たり入った りしているところや、オチンチンが抜かれてお兄ちゃんの精液が私のおまんこからトローっと出てくるところがすごくエッチでした。ビデオを見ている間、お兄 ちゃんにおまんこやお尻の穴をいじられました。見終わったあと、お尻でもセックスをしました。今、私はお兄ちゃんのひざの上に座ったかっこうでこれを打っ ています。お兄ちゃんは後ろから私の胸をもんだり、おまんこを触ったりしてくるので、なかなかうまく入力できません。これからまたお尻にオチンチンを入れ てもらって、それをビデオにとります。お父さんとお母さんが帰ってくるのは11時過ぎになるので、それまで何回くらいできるのか挑戦しようと思っていま す。

告白(転載) おにいちゃんと

近親相姦告白・体験
01 /21 2016
大手プロバイダのホームページ上で公開されていた告白。投稿者別に時系列で追います。

2000年12月1日 13時57分20秒 - みん
昨日、おにいちゃんとやっちゃいました。私の兄はなかなかカッコよくて私の自慢の兄なんです。今、母(母子家庭ですね)がいなくて、2人きりでした。する と兄が私を部屋に呼ぶので、行ってみると、兄は部屋のかぎをしめて「お前、やったことあるよな。おれとやらん?おれずっとお前のこと好きだった」と言われ 「うん。みんもお兄ちゃんのこと大好き。」と言うと、すると私をベッドに押し倒して、服を脱がしてくれました。そして、兄とやってしまいました。今日も兄 が学校から帰ってきたら、エッチする約束してます。またなんかあったら、メールしますねん。

告白(転載) 父と

近親相姦告白・体験
01 /21 2016
大手プロバイダのホームページ上で公開されていた告白。現在消滅、投稿者別に時系列で追ってみたい。

2000年11月26日 16時38分40秒 - 蘭
初体験は中学2年生のとき。相手は父です。その日も一緒にお風呂に入っていました。体を触られて何だか気持ちよくなって、「もっとして」とお願いしそのま まベッドにいきました。あそこは濡れています。母は旅行に行って留守の日のことです。いけないことだと思う前に体が反応してしまい、父に教えられるまま経 験しました。痛みはなく、バイブを使って性感帯を教えてくれました。それに初めてなのにバイブでイッてしまったのです。あの気持ちよさが忘れられず、今も おねだりしています。父からは「彼氏とのセックスの内容を教えなさい」と言われていて、素直に言うといつもよりも乱暴になります。「パパ、ごめんなさい。 パパとしてるのが1番気持ちいいよ」と言うまで許してくれません。近親相姦なのも、こんな関係もいけないのはわかってるけど、余計に興奮し、気持ちよさに 体が反応してしまうのです。それに今はまだ、この関係を止めたくないのです。

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。