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小説(転載)  気付かないけど、傍に 4/8

官能小説
02 /25 2019
気付かないけど、傍に

4

 


 辺りを夕闇が覆っていた。
 真っ赤に染まる夕焼けと違って、一面が黄色い世界で覆われるこういう空気は。寂しさよりも、もっと単純に、懐かしさを感じさせる。
 子供の頃、親に怒られる事を心配しながら遊んでいた時間。
 大きくなって、時間の割に明るいんだな、と空を見上げて。思ったよりも暗い事に気付いた時間。
 そんな世界の中の、並木道の下。俺の隣を由悠が歩いている。
 確かに、由悠なんだよな。何か不思議な感じがして、俺は由悠の事をぼんやりと見ていた。
「なに?」
 こいつに、あんな才能が眠っていたなんて、想像もつかなかった。
「どうしたの?」
 じっと見られて照れ臭くなったのか、俺の腕をばしばし叩きながら、由悠が言っていた。そう、だよな。何を俺は戸惑っていたんだろう。
「いや、まあ。それで、やるんだろ?」
「なにを?」
「今度の舞台のヒロイン」
「うーん…多分、やんない」
 何か含みを持たせるようにして笑うと、由悠は人差し指を唇につけて片目を瞑った。
「演劇部に、あの役をやりたがってる人がいるからね」
「勿体無いぞ。その気が無いのを、無理に薦めたりしないけど」
 正直、由悠があんなに演技が上手かったなんて、初めて知った。細かい技術的な事はともかく、天賦の才能とでもいうか。惹きつけられるものがあった。
 由悠の事だから、あがったり、とちったりはしないとは思っていた。それなりにこなすだろうとも思っていた。けれど、まさかあんなふうに感じるなんて、思ってもみなかった。
「じゃ、無理に薦めない事」
「あ、ああ」
「それより、お兄ちゃん、来週から林間学校でしょ。準備とか終わってる?」
「終わってると思うか?」
「ごめんね、聞いた私が悪かったよ」
 どういう意味だ、おい。
 こんなふうに気楽に笑って、喋って。自然な空気で一緒にいる。まあ、生まれた時からのつきあいなんだから、当然と言えば当然なんだけどな。
 けれど、それでも知らない面がある。
 何がどうというよりも、俺はその事がショックだったのかも知れない。由悠の事なら、何でも分かっているつもりだった。けれど実際は、俺よりも、部長の方が由悠の才能を見抜いていたって事なんだろうし。
「どうしたの? なんか暗いけど」
「由悠。お前、好きな奴が出来たら俺に言えよ」
「え? なんで言わなくちゃいけないの」
「な、なに? 既にいるのか? どこのどいつだ。とりあえず、家に連れて来い。両親にも会わせて、いや、向こうの親への挨拶が先なのか?」
「なに言ってるのよ。いないわよ、そんな人」
「いや、正直に言え。誰だ?」
 半分冗談で流しながら、俺はやっぱり気になっていた。それは、由悠の好きな奴が誰かという事じゃ無くて。俺の知らない由悠がいる、という事に。それは当然、俺の知らない面もたくさんあるんだろうけれど。
「いないってば。私の好きな人、って言ったらそうだねえ…お兄ちゃん、かな?」
 そう言って、俺の腕にからみついて笑ってひっぱる由悠の笑顔に。何故だか、胸が高鳴った。
 って、ちょっと待て。相手は由悠だぞ? 何考えてんだ、俺は。

「お兄ちゃん、電話だよ」
「きゃっ。えっち」
 部屋でドライヤーを使っていた俺は、唐突に開けられた部屋の扉に向かって言ってやった。顔中、いや、体全部を使って呆れた事を表現しながら、由悠が子機を差し出してくる。
「なんで呆れてるんだよ」
「他にどうしろって言うのよ」
「少しは申し訳無さそうな顔しろよな。見ろ。俺なんか、パンツ一枚なんだぞ。お前がパンツ一枚の時、部屋に入ったら怒るだろうが」
「そりゃ怒るわよ」
 呆れながら子機を差し出してくる由悠を、何とかやりこめてやりたかった。どうも、由悠の芝居を見てから、俺は自分で自分のペースを乱している気がしてならない。
 子機を受け取りながら、もう一方の手で由悠の腕を掴むと、俺の胸を触らせてやった。これで、きゃあ、と叫んで。って、なんでだよ。
「きゃあ! お兄ちゃんのえっち」
 …何故?
 ぱっと手を引っ込めると、顔を赤らめて、ぱたぱたと由悠が走り去って行った。
 男の俺の胸を触ったところで、楽しい事なんて一つも無いと思うんだけどな。女心の不可思議さを考えながら、保留になっていた子機に気付いて耳に当てる。
「もしもし? お電話代わりましたけれど」
「あ、春日部君?」
「おお、源太か」
「…」
 冗談の通じない奴だ。
 どうせまた、電話の向こうで、怯えきったような目で恨みがましそうにしてるんだろう。黙ったままだと、俺はこのままパンツ一枚でいる事になり。湯冷めして風邪をひきかねないから、促す事にした。他に理由は一切無いぞ、うん。
「で、何だ? 直美」
「あ、う、うん。あのね、春日部君。私…」
 余計な茶々を入れると、また話が長くなるので黙ってじっと待っていた。別に、それ以外に待ってやっている理由は無いんだけどな。
「あのね…」
「分かった。ヒロインがやりたいんだな? 俺から由悠と部長には話しておく。だから、何の心配もしないでいいぞ」
「え?」
 俺が結論を言った事が気に食わないのか、直美は黙ってしまった。全く。あれだけ露骨な態度を見せられてれば、気付かない方がおかしいだろうが。
「やっぱり、わかっちゃうんだな…」
「当たり前だろう。お前のような奴の考える事くらい、見当がつく」
「そ、それじゃ。やっぱり、手紙の事も分かっちゃってた?」
 手紙?
「あ、え、えとえと。切るね、うん。じゃ、また」
 俺に一言も挟ませず、直美は電話を切ってしまった。いや、ちょっと待て。それじゃ何か? つまり、あの手紙は、直美が出したっていう事なのか?
 まあ、あいつが真っ白なラブレター書いている、怯えた目なら簡単に想像出来る。ただ、分からないのは、なんだって今日唐突に告白…
 あ。
 なんだって今日だったのか、俺は見当がついた。つまり、ヒロイン役をやりたいと意思表示するための、助走が欲しかったんだろう。それが、あの一言だけ加わった手紙だったんだな。
 そこまで考えて。俺はふと、一番重要な事を全く考えもしなかった事に思い至った。
 俺、直美の事、どう思ってるんだろう?

小説(転載)  気付かないけど、傍に 3/8

官能小説
02 /25 2019
気付かないけど、傍に

3

 


「そんなわけで、自薦他薦を問わずに聞いてみたい。誰かいないか?」
 部長のお言葉を、部員一同が黙って聞いている。教室として充分に使えるスペースを部室にしている割に、部員が集まると狭く感じる。道具類が多い事もあるだろうけれど、ざっと見た限り人の占める割合の方が多い。
 大半が女の子だけれど、クーラーの無い教室で暑さにもだえている人の群れは。はっきり言って、色気だのとは無縁の世界だった。
 さっきから無駄に流れる汗を拭っている俺の肘を、何者かがぐいぐいとひっぱっていた。脇見をすると、部長にありがたい使命を命じられるので。俺はあえて無視している。
 隣に座ったは直美だし。どうせいつものように、怯えきった涙目で恨みがましそうに俺の事を睨んでるんだろう。
「ごめんね、さっきは。怒ってる?」
「なんで怒る必要があるんだよ」
「なんでかな?」
 いや、俺に聞かれても。
 例えば。俺と部長がそういう関係で、部室で情事をする気になったとしても。ものの数分で部員達がやってくるのが分かっているのだから、我慢すると思うけどな。
「推薦の結果は、直美。お前だが、やってみるか?」
「え、えと。わ、私はちょっと」
 部長に声をかけられて、何の話だか確認もせずに直美が条件反射で応えていた。今の議題は何なんだろう、と。俺はゆでっている頭を無理に集中させながら、黒板を見る。
 ヒロイン
 ああ、これは駄目だ。直美の奴は、確認した上で断ったのかも知れないな。
 直美の顔は、ほとんどの奴が可愛いと言っているのだから、可愛いのだろう。同じクラスの女子の水泳の授業後の証言によれば、スタイルも良いらしい。ただ、
 いつもいつも怯えている事からしても。こいつは、舞台に上がる度胸が無い。
 何かあっても、いつも影でこそこそやっているような奴で。どれだけ台詞の覚えが良くても、どれだけ演技力があっても。舞台度胸の無い役者なんてものは、はりぼての木ほどの役にも立たないものだ。
「しかし、困ったな」
 部長が尋ねる口調だったのも、結果がわかっていたからだろう。
 他にやりたい、という奴がいれば問題は無いのだけれど。主役には部長の容赦無いしごきが待っている事を知っている部員達は、なかなか名乗り出ようとはしなかった。
 もしくは、やりたいのだけれど、恥ずかしがってるのかも知れない。これは、時間がかかりそうだな。
「春日部」
「…い、いくらなんでも、俺は嫌ですよ」
 女装した自分の姿が思い浮かんで、一気にげんなりとしながら俺が応えると。周囲と部長から、はっきりとした苦笑がもれてきていた。
 不思議に思った俺が、振り返って入り口の方を見ると。由悠が弁当箱を手に持って、ひらひらと振っていた。あ、そういや、弁当を持ってきた覚えが無い。
「…いるじゃないか」
 ちょっと。いや、かなり嫌な予感にかられて部長の方を振り向くと、既にその姿は無かった。視界をすり抜けて通り過ぎた人影を追うと、部長が由悠に話しかけようとしていた。
 それを見て、怯えた気分になった俺は。怯えることにかけては大先輩である直美に、意見を伺ってみる事にした。
「本気、だと思うか?」
「え?」
 ぱっと顔を上げた直美が、俺の事を怯えた目で見る。
 いま、ちょっとだけ違和感を感じたのは、俺の気のせいなんだろうか。違和感というか、なんというか。どうも、直美がおかしかったんだけどな。

 人のいない体育館は広い。広かろうが、暑いものは暑い。
 外から容赦なく押し寄せて来る、蝉の声につられるようにして。蜃気楼が見えるくらいの暑さが、体育館を埋め尽くしていた。少なくとも俺の視界は、額から流れ込んできた汗で滲んでいる。
「照明!」
「はいはい」
 暑かろうが元気な部長に聞こえないように呟くと、俺は暗幕を降ろしにかかる。体育館の中二階通路にそって、窓が並んでいて。そこにある暗幕を一枚閉める度に、体育館の温度が上昇していくように感じた。
 感じただけじゃなくて、本当に上がってるのかも知れない。
「よう」
「うん?」
 向こうから暗幕を閉めながら走ってきた直美に声をかけると、不思議そうな顔で見返してきていた。こいつの偉いところは、怯えた目が筋金入りだという事だろうな。どんな表情をしてみせようと、目だけは常に怯えている。
 自分を通すというのは、なかなか出来る事じゃ無いからな。
「頑張れよ」
「うん?」
 分かっていない顔の直美を励ますと、俺は内心頷きながら持ち場に戻った。
 いきなり通し稽古をやると言っても。台本も、まだ全部は書き上がっていない。当然、部員の誰もが台詞なんて覚えていない。
 つまり今日のこれは、由悠が本当に使えるかどうかのテストなんだろう。
 舞台上から俺の方に大きく手を振ってくる由悠に、目に入るようにライトを当ててやる。手をかざして眩しそうにしている由悠を見て、俺はちょっとだけ勝ったような気がした。
「それじゃ、台本見ながらでいいから。やめと言うまで続けるように」
 嵌り役の主役をやっている源太と、ヒロインをやる由悠。こうして見ると、制服を着てるから、雰囲気も何もあったもんじゃ無いな。
 部長が手を叩いて、台本を見ながらの芝居が始まる。台詞をものにしていない舞台は、役者が感情を込める事なんて出来無い。これは、由悠のテストというだけなんだろう。それも、由悠が使えるかどうか、が目的じゃない。
「それでは、参りましょうか?」
 スカートの端をつまみ上げた由悠が、恭しくお辞儀をする。凛とした表情が、遠く離れたここからもよく見えるようだった。慌てて、きりっとして頷く源太。
 由悠が使えるという事を、部員達に知らしめる為のものなんだよな、これは。
「行く? どこへ行くというのだ。私は、彼女と約束したと言うのに」
「何故ですか? 私はあなたに、この世をもっと見せなければなりません。あんな小娘の一人や二人、どうなったっていいじゃありませんか」
「しかし…しかし、何の妖かしだろうか。私には彼女が見える。ほら、あそこに。首に赤い布を巻いて、立っている。これは、虫の報せと言えるのではないか?」
「いいえ。気のせいですよ、さあ」
 背筋が震えた。
 照明に反射された髪が舞う毎に、目が惹きつけられ。耳は彼女の台詞の微妙な調子を聞き逃さないように、研ぎ澄まされる。舞台からここまで、かなりの距離があるはずなのに。ありありと目の前に、彼女の表情が浮かんでくる。
 ふと気がついたけれど。あれだけ鬱陶しかった暑さが、気にもならなくなっていた。

小説(転載)  気付かないけど、傍に 2/8

官能小説
02 /25 2019
気付かないけど、傍に

2

 


 非常階段は、風通しがひどく良かった。
 黙って座っているだけで、額にびっしりと汗をかくくらいの陽気が続いているというのに。ここは相変わらず、涼しいを通り越して寒かった。
 日陰だとか、風がいつも吹いているとか。それだけでは説明しきれない事かも知れない。ま、でも。俺にとっては人がこない場所という事だけが重要で、他の事はどうでも良かったりするんだけど。
 土曜の放課後は、場所を選ばないと生徒の大群に当たってしまう。そこでこんな、いかにもな封筒を開こうものなら、いい晒し者だろう。少なくとも俺だったら、真っ先に囃し立てる側に回ると思う。
「…いつもの、だよな」
 朝、源太の視線から隠した封筒は。宛先が俺になっている事といい、差出人が書かれていない事といい。封筒も同じなら、封をしているシールまでが一緒だった。
 いちいち確認するのも馬鹿らしく思った俺は、無造作に開いてみる。中から出てきた、既に見慣れてしまった便箋は、いつもと同じように…

『あなたが、好きです』

 …いつもとは違っていた。
 何かの気まぐれを疑うように、封筒の中を逆さに振ってみる。はずれの券も当たりの券も、別に出てくるわけでは無いけれど。何か、こう。普段とは違う状況に追い込まれて、どうしたらいいのか分からなくなっているんだろう。
 いつもは、真っ白な便箋が入っているだけだった。何の文字も書かれていない。
 回を重ねる毎に、文字が増えていったり。あぶり出しをすれば出てくるというのなら、って違う。また考えがあさっての方にいってる。
 避けよう避けようとしていたけれど。
 一月以上も、ずっと届いていた白紙の手紙。それが脅迫では無く、ラブレターなんだと分かった瞬間に。俺は犯人を見つけなければならなくなったのだ。
 そう。
 俺にこんな悪戯をした奴を見つけ出して、思い知らせてやらなければならないんだ。
「春日部君?」
「うをっ!?」
 唐突にかけられた声に、俺は大慌てで手紙を胸ポケットにしまう。何というか、相手が知人である事が分かっただけで、落ちつきが無くなっている気がする。
「な、なにか用か、源太?」
「どうやったら、私と源太君の声を間違えるの?」
「それもそうだな、由悠」
「なんでそこで妹さんが出てくるの?」
 冗談のわからない奴だ。いや、確かに俺はかなり本気だったけれど。
 非常階段のところから、直美はいつも通りの怯えたような視線を向けてくる。本人の弁によれば、別に怯えてはいないらしいが。口元に手をやって、上目遣いにおどおどしているのを見る限り。どう見ても、怯えているようにしか見えない。
「早く行かないと、部長が怒るよ?」
 おどおどもじもじした、見るからに鬱陶しくて殴りたくなるような態度とは違って。直美の奴は、意見をはっきりと言う。多少不機嫌な顔を向けても、いつものような怯えた顔を見せるだけ。
 いつもそうだから、怯えてるかどうか分からなくなってくるんだけどな。
「大丈夫だ」
「根拠は?」
「勘だ。俺の勘が大丈夫だと告げている」
「当たった試し、あったっけ?」
「知らない」
「急がなくていいの?」
 お前も少しは急げよ。

「はあ、はあっ、ぜえっ、ぜえっ」
 切れた息をわざと強調するようにしてから、俺は部室の扉を大きく音を鳴らして開いた。さっと覗いた限り、誰も来ていなかった。
「早かったわね」
 部室の奥から唐突に聞えた声に、俺は余り驚かなかった。部長がそこに隠れているだろう事は、入り口から見た時に、見当がついていた事だからだ。
「当然ですよ。俺は真面目な演劇部員なんですから」
「そう」
 声はすれども、姿は見えず。君臨せしとも、統治せず。まるで立憲君主のような部長が、演劇部の部長だった! …なんて事だったら、面白いんだけどな。
 生徒数が減った為に使われなくなった、元は三年生の教室。その一室を、小さな部室棟に収まり切らないうちが、占有していた。
 体育館までの距離は、ざっと、思い出したくないくらいあり。舞台で発表する、なんていう時には男子部員達に辛い仕事が待っている。それが原因かどうかは知らないが、演劇部はほとんど女子の部員ばかりだった。
「…部長?」
 部室に何故か飾られている狸の置物に話しかけて見る。返事は無い。これはどうやら、部長の変身した姿では無かったらしい。意表をついて、黒板に化けているとか?
「…ねえ、ちょっと」
「はい?」
 あえて何かを見なかった事にしたかったのだけれども、どうやらお許しは出なかったらしい。俺は諦めて、書類の束だのダンボールだのが積み重なった場所へと歩いていく。そして、山から突き出てさ迷う腕を眺めた。
「だから、引っ張って」
「どこをですか?」
「あ、そう」
「さあ、しっかり掴まってて下さい」
 もう少しからかいたかったのだが、部長の声が明らかに匂わすものに俺は屈していた。今年の文化祭の大道具運びが、俺一人の役になってしまう気がしたからだ。
「しかし、どうやったら埋まれるんですか?」
「才能ね」
 ある意味天才かも知れない。
 よほど妙な体勢で転がり込んだらしく、妙な方向に突き出た腕をしっかりと掴む。そのまま反動をつけてひっぱり上げると、悲鳴と抗議の声に続いて、急に抵抗がなくなった。
「え? ちょ、ちょっと」
 書類の束をどかせば良かったのでは?
 こうなって初めて名案を思いついた頃には、鈍い音と衝撃が後頭部から広がっていた。血がひいていく感覚と、一瞬だったはずの落下感が続いているようで。鉄錆びのような匂いと一緒になって、俺の視界をはっきりさせなくしている。
「はあ、はあ。ひどいよ、春日部君。なんで走って先に行っちゃう…の?」
 入り口から聞える直美の絶句が、俺と部長がどういう体勢にあるのか教えてくれたけれど。少なくとも俺には、部長の胸がどうだとか味わう余裕は、微塵も無かった。

小説(転載)  気付かないけど、傍に 1/8

官能小説
02 /25 2019
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気付かないけど、傍に



 


 …痛い。
 目蓋がぼやけて明るく感じるから、もう朝なんだろうな。
 起きた時、全身が痛むように感じる事なんてよくある事だけど。今痛いのは、頭の方だよな…
 寝ていた疲れからなのか、頭の芯に鉛が入ってるみたいに重く感じる事ってよくある。これもそういう寝惚けた感じの痛み…
「ほら、起きて起きて!」
 …じゃない事は分かってるんだけどな。
 奴は鼻を潰す事が目的らしく、さっきからぐいぐいと押されていて痛い。妙にちっこい柔らかいものを、布で覆っている感触。これは、靴下だと思う。
「お兄ちゃんってば!」
「少しは起こし方、ってものが無いか?」
 いくらなんだって、こういう扱いは無いと思うんだけどな。一応、俺が兄なんだし。もう少しだけ、敬ってくれたって良さそうなものを。いや、敬えとは言わない。
 せめて人間扱いして欲しい気がする。
「いいから起きる!」
「パンツ見えてるぞ」
「やだ、どこ見てるのよ」
 寝惚けたまんまで薄目を開いたら、目の前に由悠のスカートの中が広がっていただけの話だ。何が悲しくて、妹のパンツを覗かなきゃならんのだ。にしても、真っ白なパンツって。もう少しだけ、色気づいたらどうなんだろう。
 童顔で小柄な由悠は、中学生に間違われる事を時々愚痴っている。これを色気と考えれば、色気づいてるんだろうけど。好きな男が出来ただの何だのという話だけは、少しも聞いた事が無いからな。
 あくび混じりに起き上がると、何かが鼻から伝い落ちる感覚があった。鉄錆びのようなこの匂いと味は、言わずと知れた、
「い、妹のパンツ見て鼻血出さないでよ」
 必死にスカートを抑え、後ずさりながら言う由悠の顔は、心なし赤らんでいた。多分、これから俺が言わんとする事への、羞恥心が顔を赤らめさせているんだろう。
「お前が鼻にけりを入れたからだろうが!」
「まあ、まあ」
 照れたような半笑いで、由悠が取りなすような顔を向ける。
「大体、欲情したんだったらだなあ!」
 そう言って俺は、布団をめくって見せる。そう、欲情したのだったら俺の息子がびんびんに…立ってるよ。
「すけべ」
「男の朝の生理現象だ」
「言い訳はいいから、とっとと仕度する。ほら」
 そう言って由悠が目の前に突き出してきた時計を見て、俺は二度寝しようかとかなり悩んだ。はっきり言って、今から遅刻を免れるには、相当気合いを入れて仕度して急いで出て…も無駄そうだったから。
「いや、土曜日は遅番だったから」
「無い無い」
 俺の完璧なまでの言い訳を、由悠は即座に完膚なきまでに叩きのめした。

「な、なんとか間に合ったね」
「…」
「そ、それじゃ、わ、私は行くね」
「…ああ」
 俺は息が切れきっていて、まともに喋る事すら出来無かった。よくもまあ、由悠の奴は全力疾走の後で喋れたもんだ。少なくとも俺には、その気力は残っていなかった。
 このまま帰って寝ようかな。
 十年前は新築だった校舎と、慌しく昇降口に入っていく生徒の流れを見ながら。ぼんやりとそう思っているうちに、自分の下駄箱の蓋を開いていた。生活習慣というものは、恐ろしいものだな。
「おはよう」
 周囲で交わされている挨拶の声。
 昇降口に詰めかけた生徒達が口々に挨拶をしているので。壁に当たって反響したその声や、靴を履き替える物音などが、潮騒にも似た音として聞えてくる。自分の周りをそういった喧騒がとり巻いている事を感じると、言葉の海の中に潜っているようにも感じられる。
「聞えなかったのか? おはよう、春日部」
「え? 俺?」
 下駄箱の蓋を開けながら振り返ると、下駄箱の中から何かが落ちた気配が伝わってきた。
 見られる可能性のあるのは、今声をかけてきた源太くらいのものだけれど。それでも、やっぱり他人に見せたく無い気持ちが先に立って、慌てて拾い上げる。
 見覚えのある、ピンク色で縁取りされた白い封筒。宛先や差出人は確認していないけれど、多分、いつもの手紙だろう。
「わ、悪いな。全力疾走した疲れで、聴覚が弱っていたらしい」
「そんなもの弱るのか? それより…まあ、いいか。急ごうぜ」
 長身かつ、すらっとした顔。素直に靡くその髪と、どこを取っても爽やか好青年の源太は。性格も外見を裏切るような事はしなかった。
 こういう、隠したい事をそっとしておいてくれる心遣いが、有り難いんだよな。源太を同じクラス、同じ部活で持っている俺は恵まれてるなあ、なんてしみじみ思う。
「そうだな。折角、学校まで全力疾走したのが無駄になっちまう」
「そうそう」
 白い歯を見せる源太に、俺の意思の承諾も聞かず、手が勝手に源太の胸を叩いていた。そして、俺の意思とは全く関わり無く、口が開いていた。
「爽やか過ぎ」
「…なんだよ、それ」
 弱り切ったように苦笑する源太は、その表情さえも爽やかだった。
 これから、俺内部で、源太の事を『爽やか源太君』と呼ぶ事に決めよう。しかし、神様も不公平だよ。どうしてこう、顔のいい男というのは何をしても似合うんだろうか。

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。