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金曜夜の銀座は人出3割増

ひとりごと
02 /13 2021
「緊急事態宣言が続く東京都内の繁華街などで、12日金曜日の夜間の人出が1週間前と比べて大きく増えていたことが、スマートフォンの位置情報を利用するIT企業「アグープ」の人出データでわかった。飲食店への時短要請は続いているものの、新型コロナウイルスの新規感染者数の減少に伴い、外出する人が増えているとみられる。」ということで、自粛疲れもあるのではないだろうか。ただまたあの女がヒステリックに叫びだすかもしれないな。

告白(転載) 【近親相姦えっち体験談告白】下着でオナニーしていた息子を襲う痴女な母

近親相姦告白・体験
02 /13 2021
掲載サイト「告白しよう!えっちな体験談」は消滅。
可愛く、そして愛する息子と母子相姦してから私の体は夫のものじゃなく、大好きな息子のものになっています。

息子のゆきちゃん14才、夫は46才。

ダンナの方が1回あたりのシツコサはずっと上だけど、結婚したての2年間はほぼ毎晩夫婦の営みしていまいたが、最近の1年間はせいぜい週に1回。

前戯は長いけど、オチンチンは15分も保てば良い方、自分が終わったらさっさと寝ちゃうし、34才のオンナをバカにしてる。

それに比べて、ゆきちゃんのオチンチンはずうーと長持ち、1回あたり30分以上。

スゴイ硬いし、前のダンナに似たのか大きめ。

わたしとするようになってまだ1ヶ月だけど、ほぼ毎日、夏休みの間は義理の娘やダンナが出かけたら、即ゆきちゃんの部屋で1日に2回か3回はしてたし、新学期始まってからはゆきちゃんが学校から帰って来て、だいたい4時から6時くらいまで、1回か2回はしてる。

きっかけは今年に入ってから、わたしと義理の娘(17才)の下着が何枚か無くなって、下着ドロボーかなとか家族で騒いで干すのにも気を付けていて、それでもわたしの下着が無くなっていて、夏休みに入って犯人を発見したことがきっかけ。

夏休みに入ってゆきちゃんが少年サッカーの合宿に出かけた後、ゆきちゃんの部屋を片してたら、ベッドの下に差し込んだ掃除機にわたしのショーツ1枚が引っかかって出てきたの。

しかも精液でガビガビに固くなって。

ちょっとショックだったけど、こっそり部屋中を探すと、クローゼットの中から娘とわたしのショーツがそれぞれ2枚ずつ出てきて、オナニーに使った後が全部にくっきり。

それにDVD2枚、近親相姦もので1枚が姉弟、1枚が母息子だったから、大ショック。

オトコの子って家族でもそういう目で見るんだ、でもまだ14才、ちょっと前までは小学生でとか思ってちょっとだけ悩んじゃった。

気になったけど、元通り、下着もDVDも隠した。

子供の性とか、その日の内に図書館に行ってそれらしい本も読んだけど、余りピンとくる本が無くて、翌日に新宿の大きい本屋に出かけたけど見つからなくて、あったのは小さい本屋にエロっぽいタイトルの秘密○○本や、文庫本、マンガだけ。

結局、5冊くらい買っちゃった。

家に帰って、没頭しちゃった。

ぜーんぶエロい。

真面目に書いてあった図書館の本とはえらく違って、どうして「近親」したか「近親」が気持ちいいとか、間違った本を買ってきて、ただコーフンしちゃった。

翌日、ダンナと娘が出かけた後にゆきちゃんの部屋に入って、DVDを引っ張り出して見てしまった。

スゴかった。

モザイクは入ってるけど、ほとんど生セックス。

オトコの子が射精してるのも、ホンモノっぽいし、リビングで見ながら思わずオナニーしてしまった。

それからゆきちゃんが帰ってくるまでの1週間、わたしはレンタルショップで合計7枚も近親相姦ものを借りて、
昼間中オナニーに狂っちゃった。

8月20日、息子のゆきちゃんが帰ってくるのが怖いような、待ち遠しいような、変な気分で待ってた。

午前中にバスで帰ってきたゆきちゃんは真っ黒に日焼けして、ちょっと精悍、背がわたしより5,6センチ大きい167,8センチ、あらためてオトコ!って感じに見えた。

ダンナは会社だし、娘は予備校、家に二人きりでそれまでになく息苦しくて、ゆきちゃんがシャワーを浴びて自分の部屋に昼寝しに行ったときは、何だかほっとした。

でも1回癖になったら止められなくて、わたしも自分の部屋でDVD見ながらオナニー、ゆきちゃんの顔を想像して、軽くイっちゃった。

2時間くらいして、ゆきちゃんの部屋を覗きに行った。

部屋の前まで行ったら中からかすかに呻き声、思わずドアをちょっとだけ開け覗くと、暗くした部屋の床にゆきちゃんが下半身裸で足を投げ出しいて、パソコンの画面は母息子のAV大写し、ヘッドホンをあてて音が漏れないようにしてたけど、自分の呻き声は隠せなかったみたい。

大きくなったオチンチンを、わたしのショーツでくるんで、オナニーの最中。

『ママぁあ』

切なそうにわたしを呼んで、一生懸命自分のオチンチンを扱いてる、ゆきちゃん。

わたし自身、オナニーしたばかりでコーフンしてたっていうのもあったかも知れないけど、もうダメだった。

廊下で、手早く裸になった。

あそこはもうヌルヌル、乳首もびんびんに立ってて、スゴイコーフンして頭の中は真っ白になってしまってた。

気がつくと床の上のゆきちゃんの体にまたがって、騎乗位、ゆきちゃんのオチンチンを銜え込んでお尻を揺すってグラインド。

「ゆきちゃん、ゆきちゃん」

どれぐらい経ったのか分かんないけど、ゆきちゃんに正常位で攻め立てられて、泣き叫んでた。

「ママ、ママ、気持ちいいよ!ママあ!」

ぎこちないけど、激しいピストン運動で腰を動かし、わたしの乳房を両手で揉みくちゃにしながら、わたしを無茶苦茶に狂わせてくれた。

ゆきちゃんが2回目の射精をする前に、わたしは何回もアクメに達し、ゆきちゃんのガシガシ動く腰に両足を絡めて、お尻を揺すってグラインド

「ママ!」

射精の瞬間、ゆきちゃんが腰をがくがく動かしてわたしの中に熱い精液を打ち込んで来て、わたしも絶頂した。

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告白(転載) 【近親相姦えっち体験談告白】母親に性教育の実践を受けた息子

近親相姦告白・体験
02 /13 2021
掲載サイト「告白しよう!えっちな体験談」は消滅。
これは、俺が12才、母さんが36才の、今から30年くらい前の話しです。

俺が小2の時に、親が離婚した。

小6になると、俺も女の裸とかに興味が出始めていて、キスとかしてみたい!とか考えていた。

当たり前だけど、当時小○生だった俺には、なかなか実現しない話しだったから、ムラムラしていた。

ある日、寄り道をせずに俺が珍しく学校から真っ直ぐ家に帰ったら、家の駐車場に知らない車が止まっていた。

最近、母さんが夜になると出掛けたり、出掛けたその日は帰りが遅いのは知っていたが、まさか男を連れ込んだのか?とか考えながら、玄関のドアを黙って開けた。

家に入ってみると、リビングにも客間にも誰も居なかった。

車があるから、歩いてどこかに出掛けたのかな?と思い、二階の自分の部屋に向かった。

階段を上がりきらない所まで行くと、母さん部屋から変な声が聞こえてきた。

ドアはしっかり閉まっていたけど、声は漏れてきていた。

その声は、どんどんと激しくなっていっていた。

気になるが、ドアを開ける勇気はない。

なので自分の部屋に行き、ベランダに出て 母さんの部屋の所まで行った。

ベランダは、母さんの部屋までつながっていた。

カーテンのほんの少しの隙間から中が覗けた。



そこには裸の母さんが、裸の男性に足首を持たれて、股を開かされていた。

そんな母さんの姿を見て、衝撃を受けた。

母さんは不潔だっ!と思ったが、何がどうなっているのかの方が気になっていた。

なぜかは分からないけど、居たらマズいと感じ、再びランドセルを持ちそっと家を出て公園で適当に時間を潰してから、改めて家に戻った。

家に帰ると、車はなく男性はおらず、

「ただいま」

と言うと、母さんに

「遅かったね」

とか言われて、普通に迎えられた。

夕飯が終わりテレビを観ていると、母さんは風呂に入りに行った。

いつも母さんが先に入っていたが、その日、俺は母さんが風呂に入ったのを確認すると、服を脱ぎ風呂に入った。

いつも風呂は別々なのに入ってきた俺に、母さんは、

「どうしたの?」

と聞いてきたが、俺は黙って掛け湯をして、母さんと湯舟に浸かった。

そして実は一回帰ったけど、また出掛けてから帰り直したと打ち明け、一回目の時に母さんの部屋を覗いて見ちゃったことを話し、何をしていたかと質問した。

母さんは驚いていたが、

「風呂から出たら教えてあげる」

と言った。

先に母さんは上がり、俺も風呂を出た。

一階には母さんが居ないので、二階に上がってみた。

母さんの部屋のドアが開いていたので覗いてみたら、母さんはベッドに居た。

部屋に入ると、母さんはドアを閉めて

「ここに来なさい」

と布団を少し捲った。

言われるまま母さんのベッドに入ると、母さんは裸だった。

母さんは布団に潜ると、俺のズボンとパンツを脱がした。

何をするのかと布団を持ち上げて見てみると、手で俺のチンポをシゴきながら、チンポの先を口に入れていた。

ビックリしてしまい思わず、

「汚いから」

と言うと、

「昼間、何をしていたか教えてあげてるんだから、抵抗しないで」

と言われた。

何とも言えない感覚だったけど、気持ちいいのでされるがままになっていた。

母さんの舌が袋の方まで這っていき その周りも舐めていて、手でシゴき続けられていた。

その気持ちよさに俺は爆発寸前だったけど、その時の俺には訳が分からず、オシ○コが出るかと思った。

「何か出そう、オシ○コしたい訳じゃないのに!何か出る!」

と言うと、母さんはチンポをまた口に入れて、更に激しく手でシゴいた。

ヤバい!と思った途端に我慢の限界になり、母さんの口の中に出してしまい、悪い事をしている気になり、

「ゴメンなさい!」

と言うと母さんは布団から出て、口の中を見せた。

白い液体があり、母さんはそれを飲み込むと、

「今のが精子だよ」

と教えてくれた。

しかも、またチンポを口に入れて起たせると、今度は自分の胸を俺の口に当てて

「吸って」

と言う。

乳首を舌で舐めながら、乳房を揉みながら吸うと、母さんが昼間の時の声を出しながら、自分でモゾモゾと股間を触っていた。

掛け布団を退かし、四つん這いになり おまんこを自分の指で開き、

「ここにチンポを入れて精子を出すと、子供が出来る」

と教えてくれた。

入れると男も女もお互い気持ちいいのと、精子を出したくなるのも女が気持ちいい絶頂になる事も、イクとも教えてくれた。

「そのイク時は同時だと理想なんだけど、まだまだムリよね」

と言われたが、意味は分からなかった。

キスしただけでもしかしたら子供が出来ちゃうかも程度の知識がなかった俺にとって、チンポのオ○ッコをする以外の機能と、子供の作り方まで教えて貰って驚いてしまい、頭の中が混乱していた。

昼間の男性と弟か妹を作るのかとも気になったが、今は母さんに聞いた事を実際にしてみたい、としか頭の中にはなかった。

なので、母さんに

「したい!してみたい!入れていい?」

などと聞いていた。

母さんは、

「慌てないで。入れて精子を出したら子供が出来るから、出来ない方法を教えてあげるからまだ入れちゃダメよ。」

と言って、枕元にあった箱から何かを出した。

「これはコンドームっていって、こうやって着けるの」

と 俺のチンポにゴムを被せた。

「ゴムの中に出せば妊娠しないからね」

と言い、仰向けになって昼間の時みたいに股を開いた。

そして、

「ここがクリトリスで刺激すると気持ちいい所。

その下がオシ○コの出る穴で、ここが肛門。

肛門は分かるわよね?

肛門とオシ○コする穴の間が、オチンポを入れる所よ」

と丁寧に教えてくれた。

入れる所が分かったから、入れようとした。

すると母さんは、俺に仰向けに寝るように言い、母さんが俺の顔の上に跨がった。

自分でおまんこを開き、

「クリトリスを舌で刺激してみて」

と言われたのでしてみると、母さんがまた昼間の時の声を出して感じていた。

腰をくねらせ、自分で胸を揉んでいたが 俺の手を取り、胸を揉ませた。

「吸って!吸いながら舌で刺激して!」

と言われ、クリトリスを刺激してみると、更に声がデカくなっていった。

しかもヌルヌルした液体がドクドクと出てきたので、俺は怖くなっていった。

母さんは一旦体制を変えてコンドームを外し、俺のをまた口でして、自分の股間を俺の顔の前に突き出してきた。

いわゆる69の体制で、お互いのを舐め合った。

不思議と二回目の時には、口ではなかなかイキそうにならなかった。

新しいコンドームを出し、母さんは仰向けになり股を開いて、自分でコンドームを着ける練習と、母さんへのというか、人生初の挿入をする練習をした。

なかなか上手くコンドームも着けれず、挿入にも時間がかかっていたけど、母さんは

「自分でちゃんと入れれるようになりなさい」

と言いながら、挿入されるのを待ってくれた。

やっと挿入できて腰を振り始めると

「、激しく振ったりゆっくり振ったり、入口付近で振ったり奥まで入れたり、出したりの長いストロークてしたりと変化をつけれるようになるといいんだけど、まだムリよね」

と感じている声をだしながら、途切れ途切れに説明していた。

俺はそれを聞いてはいたが、その時は夢中で、無茶苦茶に腰を動かしていた。

一緒にイクといいって教えてもらっていたけど、自分勝手にイッて終わっていた。

母さんは、

「この事は誰にも内緒だからね!」

と言って、

「内緒にできるなら、また教えてあげる」

と約束してくれた。

女の裸に興味を持ち始めていて、裸を見たいとかキスしたてみたいだの思い、ムラムラしていたのが吹っ飛んだ。

その日の夜は、母さんのベッドで一緒に寝た。

起きると、いつもと同じように朝を迎え、母さんは仕事に俺は学校に行った。

学校から帰ると、母さんは先に帰っていた。

男性は来ていない。

宿題が終わり、夕飯を済ませると母さんに、

「一緒に風呂に入ろう」

と言うと承知してくれて、

「昨日の事をまたしたい」

と風呂で話すと、

誰にも言ってないかとか、「これ内緒だぜ」とか言って、話してないか確認してきた。

俺は約束通り、誰にも話してなかった。

なぜなら、また母さんとしたかったからだ。

母さんは約束を守った俺に、ご褒美とオッパイを吸わせてくれた。

風呂から出ると、母さんの部屋に行き、セックスレクチャーをしてもらった。

だけど、

「昨日来ていた男性と再婚を考えている」と言ってきた。

なので俺との関係を内緒にして、再婚するまでの間だけと約束して欲しい、と頼まれた。

中学になり、彼女ができてセックスする事になったが、俺は童貞のフリをしてセックスをした。

その時、母さんから卒業できた気がした。

そして、母さんも再婚した。

今は母さんは亡くなり、俺は結婚して息子が高○生だが、ここに投稿する以外は口外していない。

時々、息子を見ると、うちの女房としてないだろうなぁ?なんて目で見てしまうが、俺と母さんは特別だったんだなぁと思っている。

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告白(転載)【近親相姦の体験談告白】お母さんの薄っすらと白髪が生えた陰毛に勃起してしまった小5の時の思い出

近親相姦告白・体験
02 /13 2021
掲載サイト「告白しよう!えっちな体験談」は消滅。
まだ俺が小学生の頃に、母が仕事で地方に出張し、一緒についていった事がある。

母の仕事はすぐ終わってしまい、その日は有名な温泉旅館に泊まった。

忘れもしない小学5年生の夏休みだった

通されたのは家族風呂付きの広い部屋。

その日はとても暑くて、母も僕も一刻も早く汗を流したかったのは事実だが、まさか一緒に入るなどという発想は全くなかった。

それだけに、

「わぁ、素敵なお風呂。久しぶりにママと入ろうか」

と言った母の言葉には耳を疑った。

母とは物心ついて以降、一緒に風呂に入った記憶がなく、母も僕の前では絶対に肌を見せなくなっていた。

服を着替える時は必ず別の部屋で着替えたし、風呂に入る時は鍵をかけていた。

僕が早熟で、女の体に興味津々である事を見抜いていたのかもしれなかった。

母は肌の色が白く、僕から見てもかなりの美人だった。

歳よりもずっと若く見えていたと思う。

体格は中肉中背だが、胸の膨らみが凄かった。

母のおっぱいがどんなだったかどうしても思い出せず、もう一度見てみたくて仕方がなかった。

その夢が突然今日叶う事になったのだ。

「うん。食事まであまり時間もないしね」

僕は声が震えそうになるのを抑えて、やっとそう答えた。

先に僕が風呂に入り、湯船につかりながら入口のほうを見ていると、引戸のすりガラス越しに、母がゆっくりブラウスを脱ぐのが見えた。

スカートを脱ぎ、パンストを下ろし、白いブラジャーとパンティだけの姿になった。

すりガラス越しにではあったが、ブラジャーがえらく大きい事はぼんやり見て取れた。

母はタオルを体の前面に当てながら、パンティを脱ぎ、器用にブラジャーを外した。

僕は期待と興奮で、心臓が破裂しそうだった。

やがて、引戸がそろそろと開き、タオルを体の前面でしっかり押さえた母が入ってきた。

僕は無関心をよそおって見ないふりをしていたが、母も体を絶対見せまいと、胸から下を頑なにガードしていた。

そのまま注意深くしゃがんで、

「背中洗ってあげるわよ」

と言った。

僕は湯船から上がって、母に背中を向け、腰掛に座った。

母は優しく背中を洗ってくれた。

それから

「前を向いて」

と言って僕に正面を向かせた。

向かい合うと、変に照れ臭かった。

母は、タオルを両方の腋に挟んで体を隠していたが、胸がモッコリとタオルを突き上げていて、フルフル揺れ動くのが分かった。

それを見ているうちに、不覚にも半勃起状態になった。

母はあくまで隠し通すつもりらしく、タオルを挟んだ体勢のまま、窮屈そうな手つきで僕の胸や肩を洗っていた。

ところが、僕の肩に手を伸ばした拍子に一瞬腋がゆるんで、タオルの片側がハラリと外れてしまった。

右のおっぱいが半分以上顔を出し、乳輪の一部が見えていた。

母はすぐタオルを直そうとしたが、焦っていたせいか、反対側も外れてしまい、タオルは完全に膝に落ちてしまった。

今さら隠すのはかえって不自然と思ったのだろう、母は何気ない風を懸命に装っていた。

おかげで、全く思いがけず、お母さんのおっぱいが僕の目に晒されたのだった。そこには、まさに超特大サイズのおっぱいがあった。

当時の母は、四十路前半で張りが少しなくなったのと、重力に逆らえないほどの大きさのため、2つの爆乳おっぱいは、ズッシリ重そうに垂れていた。

母は諦めがついたのか、膝に落ちたタオルを畳んで横の棚に置いた。

おかげで、黒々とした陰毛も丸出しになった。

何年もの間肌を見せなかった母が、今僕の目の前で、おっぱいも、乳首も、下の毛も、全て晒して座っているという現実が信じられなかった。

母が石鹸に手を伸ばして体をひねったとき、大きなおっぱいがよじれるようにたわんだ。

僕は、いけないと思いつつも、食い入るように母の体を見るのを止める事ができなかった。

青く血管の透けた真っ白な肉の塊が2つ、大きなヘチマのように、へそのすぐ上までダラリと垂れ下がっていた。

乳首も、それを取り囲む乳輪も、おっぱいの大きさに比例した大型のサイズで、乳輪はいくらか縦長の楕円形をしていた。

乳首と乳輪の色は黒ずんだ桃色をしていて、白い肌とのコントラストが鮮やかだった。

乳輪は微妙に盛り上がっていて、まわりにブツブツがたくさんついていた。

大きい乳首は丸みを帯びた円筒形をしていて無数のしわが刻まれ、乳輪の真ん中からプックリ突き出していた。

母が手を細かく動かすと、おっぱいが小刻みにプルプル揺れ、それに合わせて2つの乳首も忙しく動いた。

右手を洗ってもらったとき、ほんの一瞬だったが、伸ばした手の指が偶然左のおっぱいに押し付けられ、深くめり込んだ。

おっぱいは生温かく、つきたての餅のような感触だった。

ペニスがさらに勃ってきた。

母は片膝を立てていたので、股の間が否応なく目に入った。

母のそこは随分毛深く、縮れのある長めの毛が、腿の付け根の広い範囲を逆三角形にもっさりと覆っていた。

母が白髪を染めているのは知っていたが、下の毛にも少し白髪が混じっているのが見えた。

毛は、またぐらを鬱蒼と覆っていて、目を凝らしても残念ながらその奥は見えなかった。

ひたすら、深いジャングルが続いているだけだった。

そのジャングルを見ているうちに、完全に勃ってきた。

当然母はそんなち○こも見えただろうが、
何も言わなかった。

僕を洗い終わった後、母は自分の体を洗った。

僕は湯船に入ってソッポを向いていたが、横目で気づかれないように母の体を凝視していた。

母は、いまや僕の目など全く気にしない様子で体を洗っていた。

おっぱいを洗うときは、スポンジで下からすくうように何度も持ち上げ、こねるように擦った。

そのたびにおっぱいは、重そうなうねりを見せて、ブランブランと挑発的に揺れた。

背中を洗うときは、タオルを広げて後に回し、左右に動かして洗った。

手の動きに合わせて、おっぱいも振り子のようにプラプラ左右に揺れた母は立ち上がって、ボディソープを手に取り、股の間をゴシゴシ洗った。

泡だらけになった陰毛が、大きなかたまりになって、こんもり盛り上がったり、上に向かって腹に貼り付いたり、色々形を変えた。

僕は湯船から出て、母の背中を洗ってあげた。

いくぶん脂は乗っていたが、華奢で綺麗な背中だった。

両手を前に回して巨大なおっぱいを掴みたい衝動を押し殺し、背中から肩、首筋をこすりながら、立ち上がって母の胸元を肩越しに眺める事で我慢した。

それでも、山のような白いおっぱいと、突き出た乳首がプルプル揺れる様子や、両腿の付け根にもっさり茂った縮れ毛は、失神しそうなほど官能的な眺めだった。

もちろんそれ以上の事などあるわけがなく、僕は先に風呂から出て、うずくち○こを持て余しながら、母の体の事を思い出して満足していた。

読んでくれている人の期待を裏切るようで申し訳ないが、なにしろまだ5年生の子供だったのだ。

母も良識人だし、じっさいにそれ以上の事はなく、ただ子供ながらに母の全裸に興奮してしまった。

今でも鮮烈に残っている子供の頃の思い出だ。

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告白(転載) 【近親相姦の体験談告白】再婚してから息子の態度が冷たい。寂しく感じた母は、息子を抱きしめ眠るが…

近親相姦告白・体験
02 /13 2021
掲載サイト「告白しよう!えっちな体験談」は消滅。
私は離婚歴のあるバツイチでしたが、40歳の時、私は再婚しました。

再婚相手の夫は凄く優しく、いい人。

心から愛しています。

交際期間も5年と長かったので、すんなり結婚生活に入れました。

一回り年上の夫には、前妻との間に娘さんがいますが、既に結婚。

私には、今年高校2年生になった息子のユウキがいます。

私の実家にいるのですが、同居は拒まれました。

私の親も元気で、

「いずれは巣立つんだから、無理しない方がいい」

と言ってくれ甘える事にしたんです。

夫と息子はお互い気を使ってくれていて、私は幸せ者です。

夫とは、順調に結婚までいったわけではありません。

言い訳かもしれませんが、結果別の男性と二股をかけた状態になった事もあります。

その人とも、いいかげんに付き合ったわけではありません。

でも感情にむらがある人で、私と似ていました。

息子がいず、私だけであれば結婚したと思います。

夫は鷹揚な性格。

物足りないと思う時もあったのですが、私に対するスタンスがいつも変わらない感じでした。

その安心感は私に安らぎを与え、夫に惹かれていったのです。

「俺、もうあんまりダメなんだ。適当に遊べよ」

「やだあ」

と言いながら

「まあ、そのうち」

と答えていた私です。

週末はゴルフか家でごろごろしてる夫。

私は実家に帰るか、息子とデートして家に連れてくるパターン。

欲しいものない?なにかする事ない?

いつも息子に問いかけていた私。

「いいよ、いいよ」

めんどくさがって、私をそでにする息子でした。

両親の世話になりながらですが、2人で築き上げた母と子の絆がぷっつり切れてしまうような不安を感じていました。

私はもう「よその人」

そんなふうに息子は思ってると感じたのです。

実家に泊まり、いやがる息子に抱きつき寝てました。

ふと気がつくと、私の脚は息子の脚の膝あたりをはさんでました。

息子の膝がぐいぐいとおまんこを押し付けているんです。

「あっうんん~」

やがて手のひらが私のおまんこを包みました。

息子は自分のものを握り締めていました。

私は手を伸ばし、包んであげました。

そして息子のを口で含み、イかせてあげたんです。

息子の手は私のあそこをさすり、ぐっしょりに濡れてしまってました。

何度か同じ事を繰り返して、日々は過ぎていったのです。

いけない事をしたという気持ちもありましたが、息子に対する想いは余計募ってしまいました。

息子に女として抱かれたい。

そう思うようになったのです。

私あれが好きなんです。

千葉にあるのに東京と名がついているとこ。

一人でも行ってしまうくらい好き。

夫は

「それだけ勘弁してくれ」

と一緒に行ってくれません。

だから息子をOKさせました。

「やだよ」

「いってくれたらしちゃってもいいよ」

すぐ

「行く。」

と返事が来ました。

前日から東京に入り、2泊して両方行っちゃう日程。

3月、息子は春休みに入ってました。

東京駅に近いところにツインで宿をとりました。

東京までは新幹線で2時間ちょっと。

4時ごろに乗ると始発のせいもあり、お客はまばら。

ちょっぴり無理してタイトミニの私。

息子がゲーム、私はうとうとして、気がつくと後30分ぐらい。

私は窓側に座っていました。

少し寒かったのでコートを膝にかけてた。

息子がきょきょろしたかと思うと、手を入れてきました。

必死に脚を閉じる私。

指先でこすられ、下着はすぐぐっしょりに。

脚をもじもじさせ耐えた30分。

とりあえずホテルにチェックイン。

銀座でお買い物兼夕食を考えていた私ですが、部屋に入るなりベッドで私の脚を開き触ってきた息子。

「ああん、だめ。服が汚れちゃう」

はぎ取られるように、裸にさせられた私です。

息子はもう、あそこを弄り回すのに夢中でした。

乱暴に指を突き上げるので優しくと注意。

次第にコツを覚えた息子に私は、恥ずかしいほどあそこから愛液が溢れてしまいました。

「あ、イっちゃう、、ダメ!」

息子も裸にし、コンド-ムをつけ口で大きくしました。

太くはないけど、硬くて長いペニスに私は絶叫してしまいました

「イク、イクわ!」

「俺も出そう!」

イったのは私が先でした。

息子のイタズラを受けながらアトラクションに乗ったり、楽しい近親相姦旅行でした。

実家に行く度に愛し合う2人。

ちょっと買い物に行って外で食べてくるね。

そう言ってラブホテルに行っている、アブノーマルな親子2人です。

どうやら息子は、再婚相手の夫に嫉妬していたようです

そんなマザコンの息子がとっても愛おしく、母としても嬉しい限りです。

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告白(転載) 【近親相姦の体験談告白】熟女好きな息子が大晦日に叔母、元日には母親と関係を持つ話

近親相姦告白・体験
02 /13 2021
掲載サイト「告白しよう!えっちな体験談」は消滅。
俺は、毎年お正月は実家で過ごす事になっているので、元日の朝に帰省しました。

何故大みそか帰られないというと、毎年恒例となっている叔母と長年続いている

「年越しセックス・カウントダウン射精」

は絶対に外せない行事なので(笑)。

何年も前から叔母と肉体関係を持ち、年に数回だけ激しく愛しあっています。

両親から大晦日の前ぐらいに帰ってこいと言われますが、何とか言い訳してお正月に帰省する事にしています。

1月1日大晦日から元旦にかけて叔母と姫始めを済ませ、午前11時頃、実家に到着。

一昨年の母とのアクシデントを思い起こし、緊張しながら久々に母と対面しましたがあまりにも普段通りの母の様子に拍子抜けしたくらいでした。

父とも年始の挨拶を交わして一段落。

家族3人水入らずで雑煮を食べながら積もる話に花が咲き、僕はホッと胸を撫で下ろしました。

食後に一眠りして起きると、父は2階の自室で囲碁対局番組の録画を、母は1階のリビングルームでお笑い番組をそれぞれ観て過ごしていました。

僕がリビングに入って行くと、母は

「紅茶飲む?お菓子食べる?」

と言って、お茶と菓子を用意してくれました。

ここで予め言っておきますと、もともと僕と母の仲は悪くありません。

もしかすると普通の親子より、仲が良いくらいかも知れません。

実は恥ずかしながら僕は、甘やかされて育ちました。

それがどれくらい過保護だったか、わかり易い例を挙げると、

「高校2年まで母と一緒に風呂に入っていました」

もちろんいやらしい意味ではなく、幼少期からの習慣を脱するキッカケがなかっただけです。

小学6年まで母に体を洗ってもらっていて、中学から自分で洗うようになったのですが、母と一緒に入浴する習慣はそのままになってしまっていたのです。

中学2年頃まで母と一緒の布団で寝ていましたし、19歳で家を出るまで母の膝枕で耳掃除をしてもらったりと、かなり甘やかされていましたが、それを父にからかわれたり注意されたりしたこともありません。

第一子が流れてしまったことが原因なので。

紅茶とお菓子を終えると、3人掛けソファーで寝そべってテレビを観ていた母に、

「俺も横になる!」

と言って、母の背中とソファーの背もたれの間にグイグイ割って入りました。

「やだ、落っこっちゃうよー」

と言う母のお尻をパシッと叩いて、

「落ちねえっつーの」

と言いながら割り込んで横になり、毛布を掛け直しました。

(昔から父が何かと母のお尻を叩くのを、小さい頃から僕が面白がってマネをしていたのが、今でも続いているのです)

母の特徴は何と言ってもデカパイです。

昔、雑誌などで

「爆乳グラビアアイドル」

の写真を見ても、えっ、これで爆乳なの?うちのお母さんと同じくらいしかないのに?

という感想しか持てなかったものです。

毎日、風呂で母のオッパイを見ていましたから。

一緒に歩いていると、すれ違う男のほとんどが母の胸をチラチラ見ていくのがわかります。

身長は叔母とほぼ同じですが母はポッチャリしているので、胸もお尻も叔母よりボリュームがあります。

無口な父に対して母はいつもキャッキャしててにぎやかで、身近な人のモノマネをしては僕や父を笑わせます。

母の背後にピタッと体をくっつけた体勢で一緒にテレビを観ていると、CMが始まった途端、

「そういえばさぁ、おととしの暮れにお母さんそっちに泊まったじゃない。東京で同窓会だからって」

と、話しかけて来ました。

僕は、(「そういえば」どころか、それが今回の本題じゃん!)と内心ドキドキしながらも、

「えっ?あぁ、そういえばそんな事、あったね」

と気のない返事をしました。

母は、

「キミさぁ、あの時のこと覚えてる?酔っぱらっててさあ」

と、一番気にしている部分をズバリ聞いて来ました。

「あの時?帰ってからも少し飲んだけど、その前に友達と飲んでたから」

と、ワザとズレた返事をすると、

「違うよー!そうじゃなくって。キミ、寝ボケてお母さんの布団に入って来たでしょ」

と来た。

「ん、そうだった?知らん。全く覚えてない。で、それがどうしたの?」

と、伝家の宝刀『しらんぷり』で切り返しました。

母は、

「えっ、覚えてないの、そう?」

と、言葉に詰まってしまいました。

僕は勝利を確信し、

「うん、全然覚えてない」

と最後の決めゼリフでこの話を終わらせました。

ところが、一番の心配事が片付いて気持ちに余裕が出たせいで、僕はまた調子に乗って母に余計なちょっかいを出してしまったのです。

お笑い番組を観ているので、頻繁に『笑いどころ』が来るわけですが、その笑いどころの中でも観客がどっと沸く、「爆笑ポイント」で僕の左手がスルスルッと動いてしまいました。

テレビの中の観客と母がドッと笑った瞬間、僕も一緒に

「ぎゃははー」

と笑いながら母のセーターの裾からスルリと左手を滑り込ませて、母のお腹に置きました。

もちろん母は気づきましたが、

「きゃはー、くすぐったいよ」

と言っただけでした。

そして次にドッと笑いが起こった時、僕はまた大きな笑い声を上げながら母のお腹に置いていた左手をスッと上にずらして、母の左の乳房にあてがったのです。

ブラジャーの上からですが

母がテレビに気を取られながらも、

「ちょっと、どこさわってんのよ~」

と笑いまじりで言うと僕もお笑いのネタにクック、クック笑っているていで、

「お母さんがソファーから落っこちないように押さえてあげてる」

と返しました。

母がおっぱいを触られてもさほど気にしないということは、一年前のことである程度判っていたので多少自信はありました。

その後も何度か、

「人のオッパイ勝手に触らないでよ」

と言っていましたが、かまわずに笑いどころが来るたびに乳房を揉みました。

笑いが止むと手を止めて、笑いが起こるとモミモミ。

お笑いのドサクサに紛れて約1時間、母のオッパイを揉み続けました。

当然のごとく勃起してしまったので、その体勢のままずっと母のお尻に勃起を押し付けていましたが、それについては何も言われませんでした。

夕飯は3人そろって外食。

外で食事したあとはカラオケ。

正月ながらほぼ満室でした。

父は正月など関係ないシフト勤務の仕事で、朝5時起床、6時には家を出るため途中抜けします。

だから最初は父優先の選曲。

午後8時に、

「じゃ、母さんを頼むな!」

と言って父が先に帰り、カラオケボックスの部屋に母と2人きりになりました。

母が

「じゃ、休憩して何か食べる物頼もっか?」

と、膝の上でメニューを広げたので、

「うん、俺何か食う」

と言いながらメニューを覗き込みつつ、体を密着させて母の腰に手を回しました。

照明を絞った薄暗いカラオケボックスの部屋に2人っきりで、かなりアルコールが入っていて昼間にちょっとエッチなことがあって、と色々な要素が重なってかなりあやしい雰囲気になっていました。

僕は、

「デュエットしようぜ!」

と曲を入れ、イントロが始まると、

「ほら、デュエットなんだから、もっとくっついて!」

と、母の上半身をグイッと引き寄せると同時に、サッとお尻に手を回しました。

母が、

「こ~ら~、お尻は関係ないでしょ」

と笑ったので僕は、(かなり酔ってるし、これは結構いけるかも)と思いました。

母が一人で唄うパートになったときにお尻を触っていた手を移動して、レザースカートをめくり上げ母のふとももに手を置きました。

母は、

「ダ~メ、もう、さっきから。それより一緒に唄おうよ」

と、唄うことのほうに気を取られている様子。

母はカラオケ大好き人間なので、何か適当に曲を入れて唄わせておけばOKみたいなところがあるのです。

次の曲が始まると僕は、

「だいたい横に並んで唄うっていうのがやりにくいんだよ。お母さんが俺の前に座れば唄いやすくなるよ。デュエットなんだから」

と、ワケのわからない理屈をこねて、自分のヒザの上に母を抱きかかえました。

「ワッ、危ない~なんだか解らないけど、ヘンなとこ触らないでよ」

「わかってるって!ほら、もう始まってるぞ!」

曲が流れても僕が唄い出さないので、母が一人で唄い始めると僕は、

「ちょっと待ってろよ、ちょっとな」

と言いながら母のセーターに手を突っ込んで、ブラジャーのホックを素早く外し、

「よし、準備できた!」

と宣言して、母の乳房を両手で思い切り揉みはじめました。

昼間はブラジャー越しだったのでイマイチでしたが、やっぱりナマ乳の感触は最高です。

「あ!また勝手に人のオッパイ触ってる」

と言うので、

「ちげーよ!お母さんがソファーから落ちないようにつかまえててあげてるんだっつ~の!むしろお礼を言ってもらいたいよ」

とムチャクチャな返し。

もう、2人ともかなり乱れていました。

オッパイをしばらくモミ込んでいると、乳首がピーンと立って来ました。

「よーし、じゃ次の曲は俺も一緒に唄うから。とりあえずお母さんは俺の方に向いてほら、こっち向いて俺のヒザに座れば大丈夫だから!」

何がとりあえずで何が大丈夫なんだか、自分でも意味不明なことを言いながら母の体を自分の方に向かせて、抱きかかえました。

母は、

「なんじゃ、そりゃ」

と言いながら、この期に及んでもまだ歌を唄うつもりで、

「これじゃあ、歌詞が見えないじゃん!」

と画面の方を振り返っています。

僕は内心、そうそう、そのまま一人で唄ってろって!こっちはデュエットなんて最初からどうでもいいんだからと思いながら、母のセーターをまくり上げて目の前にブルンッと出て来た大きな乳房にむしゃぶりつきました。

僕が夢中になって乳首をペロペロ、チューチューしはじめると、さすがに母も、

「ダメ~、もうダメ~、おしまい、おしまい!」

と言い出しましたが、そんなものでやめるワケがありません。

片腕で母の体をガッチリとロック。

もう片方の手はお尻を触ったり、めくれ上がったスカートから丸出しになったムチムチのふとももを撫でたり、オッパイ舐めまくり吸いまくり、欲望炸裂のやりたい放題です。

ブラジャーのホックを外した時から最後までいくつもりだったので、そこからの僕の行動は素早いものでした。

片腕で母の体をガッチリと抱いたままもう片手で自分のジャージのズボンとパンツを一緒にずり下げて、勃起を出すと母のパンティーの股間部分を横に引っ張って出来た隙間からヌルンッ、と一気に挿入しました。

体をガッチリ抱き締められたまま僕の股間にまたがった状態だった母が、

「やめて~、離して」

と言った時には、既に挿入していました。(笑)

叔母に比べてズシッとした重量感と目の前の巨乳を愉しむ余裕もなく、早くも発射したくなっていた僕は、母のお尻をゆっくりと何度か上げ下ろししただけで、ドピュッ、とイッてしまいました。

その後、(叔母みたいに泣かれたらちょっと面倒だな)と思っていましたが、カラオケ店から自宅まで徒歩約15分の帰り道、母は泣くでもなくまた落ち込むでもなく、プリプリと怒っていました。

「やめてって言ったのに、何でするのよっ!」

と言う母に、

「ちげーだろ。お母さんが変に暴れるから、入っちゃったんだろ」

とふざけた答え方をして、余計に怒る母。(笑)

でも泣かれるよりはずっと楽でした。

1月2日午前10時に起床。

顔を洗ってキッチンへ行くと、母は僕の朝食を準備中。

昨夜ほどではないにしろ、まだ機嫌が悪そうな(当たり前ですが)母に、

「何だよ。まだ怒ってんの?」

と話しかけながら背後から近づき、いきなりオッパイ鷲掴みの先制攻撃。

もう行くとこまで行ってしまっているので、何の遠慮もありません。

「あ~!もうあんたって子は!」

と、怒りながらも呆れ顔の母でした。

朝食後、

「こら、こら!」

と抵抗する母を抱き上げて自分の部屋へ連れ込み、ベッドで組み敷きました。

エプロンを外して、セーターをたくし上げると、

「もう、やだ~。許してよ~」

と、力で敵わないのがわかっているので、なかば諦め気味の様子。

僕は、

「大丈夫だから、お母さんは俺の言う通りにしてればいいから」

と何の意味も無いなだめ方をしながら、乳首に吸いつきました。

「ねえ、俺、おクチでして欲しいなー」

何度もしつこく要求して、おしゃぶりしてもらうことにも成功。

キンタマ袋をやわらかく揉みながら、カッポリくわえて頭を上下させた後、亀頭責め。

一連の手慣れた動作から普段、父にサービスしていることがハッキリとわかります。

「う~、もう・・・出ちゃう」

母の口の中で1発目のドピュッ!

次はバックで挿入。

終始、

「もうダメよ、これで最後にして」

と繰り返す母の巨乳を思う存分揉みしだきながら、シメのドピュッ!

終わったあと、しばらくの間ベッドで母を抱き締めながら、

「お母さんはもう俺のものだからね。わかった?」

と耳元でしつこく繰り返しましたが、返事はしてくれませんでした。

姫始めは叔母、そして次に抱いたのは実母の連続近親相姦でした。

今年も良い年になりそうな予感です。

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。