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告白(転載)  【725】妻のはなし1

近親相姦告白・体験
04 /04 2016
近親相姦体験・願望告白 消滅サイト。投稿者別に時系列で追ってみる。

2004/1/29(木)20:11 - しげる (男)
 わたしの家族構成、わたし、妻、息子の健郎は大学生、娘、朱美は中学生です。
 今年の初め頃になります。妻がわたしに相談があるといってきました。
「朱美が部屋を別にして欲しいっていううんだけど」
「なんで?」
「健郎が、なんか口実作っては、朱美の身体をさわるらしいの」
「部屋を別にといってもな」
2階に二間、夫婦の部屋と子どもの部屋、子ども部屋に2段ベットです。
階下は、居間とキッチン、風呂という間取りです。
「わたしたちが1階の居間に寝て、二階でふたりを別々にしたらどうかしら」
狭い家です。
それしか方法はないだろうと、わたしたちは階下に降り、
二階は健郎、朱美でそれぞれが部屋を占有することにしました。
二段ベットは、廃棄物として処分しました。
 
 しばらくしたある夜、朱美が、夫婦で寝ている居間に飛びこんできて、
「ここに寝させて」というのです。
「どうしたの?」
「おにいちゃんが、わたしの部屋にきてへんなことするんだもん」
「へんなことって?」
「さわらせろっていうの」
「俺がいって、しかってやろうか」
妻が「それは、やめて。いま、そんなことしたら、亀裂が入ってしまう」
 健郎は、わたしたちにとって実の子ではありません。
東北の地方都市に生まれたわたしの妻、奈津子は、20歳で結婚しました。
この時結婚した男は再婚です。2才の連れ子がいました。健郎です。
奈津子は、結婚するとすぐ一児の母親になったのです。
 この家族は長く持ちませんでした。男は、結婚後3年目に倒産、奈津子には、
財産というものは何も残さず、かわりに義理の子だけを押しつけて離婚。
小学校入学前の男の子をかかえ途方に暮れている奈津子の境遇に同情したということも
あります。
 わたしと奈津子は結婚しました。奈津子が23才、健郎が5才、わたしが30才でした。
1年後朱美が生まれました。健郎も、我が子と思い分け隔てなく育てました。
 
 このような時に、父の権威をふりかざして頭ごなしに注意したら、
まだ感情定まらぬ危うい年頃の健郎と家族の間に亀裂が入る。
それだけは避けなければならない。わたしと妻とのこれまで律してきた歴史があります。
「朱美がおびえているのに」と聞くと、
妻は「健郎にはあしたわたしからはなしする。今夜は、朱美が、ここにお父さんと寝て。
お母さんは、朱美の部屋に寝るから」妻のとっさの案でした。
 朱美は、うれしそうに妻のふとんに入りすぐに眠りにつきました。朱美は、このところ、
ぜい肉も落ちて、初々しい輝きに満ちた少女になっています。
 
 翌日の夕方、「ゆうべはどうだった?」と妻に聴きました。
「健郎の部屋でいつまでも物音がして眠れないから、「明日があるんだから静かになさい」って
 いったの」
「で、」
「朱美にいたづらしないでって、そのこともいってやった」
「それはよかった」
「健郎がいうには、最近、夜になると昂奮して、どうしようもなくなるんだって。
 がまんして、お昼に、なんかスポーツでもやったらっていったんだけど。
 で、そうしたんだって。そうすると、ますます昂奮してくるんだって」
「それで」
「じゃ、どうしたいの?ってきいたのよ。そうしたら、セックスしたいっていうの」
「若いからな血がたぎってるんだ」
「勝手にして、っておこって、そのまま。しばらくして静かになったところ見ると、
 自分で処理したんじゃない」
 わたしの思春期の悶々とした日々を思い出しました。
 大学受験で母と一緒にホテルに宿泊した時、なかなか寝つかれず、母のベットに入り、
母の体をまさぐりながら、オナニーをしたことがあります。母は、寝ていたのか寝たふりなのか、
息子が体をまさぐるのを許してくれました。
「自家処理でおさまるならそれでいい。男ってのはそんなもんだ。単純なんだ。
 手伝ってやったら」と冗談めかしていいました。
 妻は、明るく笑って「ばかなこといわないで」。
しかし、それで平穏が戻るなら、一時のことで、オナニーの手伝いくらいなんでもない、
と思ったのです。

 この日から、様子見で、二階の子ども部屋は健郎が独占し、妻は二階に、朱美とわたしは下に
寝ることにしました。こうやって変則就寝をとっている姿が、婉曲に健郎に伝わり、正常に復し
てくれればという願いもありました。
 妻と別々に寝ることで、夫婦の営みはなくなりました。朱美の寝息が聞こえるのを待って、
わたし自身もぞもぞと自家処理でまぎらわすほかありません。妻は、日常的には、冷静で明るい
性格です。目がくりっとして愛くるしい表情、引き締まった身体、小ぶりな乳房、そんな容姿は
いつまでも若さをかもしだし、中年の只中にあっても若い時の残影をとどめています。房事に入ると、
身体全体のどこをとっても反応がよく、全身性感帯といてもいいほど淫猥です。たかまってくれば、
積極的に頂点をめざして求めてきます。
 愛液のあふれた壷に挿入し、抜き差しすると、腰をせりあげ、さらに深く咥えこみ、
歓喜の声をあげます。結婚以来、何才になっても飽きないからだです。
 生理週間をのぞいては毎晩欠かさず続けてきました。それが互いの青春の感動を維持し
つづけているヒケツのようにも思えました。

 変則就寝3日目のことです。妻が、いいにくそうにしながらわたしに打ち明けました。
「ゆうべ、わたしのところにきて、おっぱいさわらしてくれっていうの」
「とうとうきたか」
「とうとうって?」
「こんなこともあるかもしれないと思ってた」
「なんか、あんまり必死にいうもんだから」
「さわらせたのか」
「しょうないでしょ。服の上からよ。拒んで家庭内暴力にでもなったら大変でしょ」
「さわらせただけか」
「そうよ」
オナニーの手伝いもしたんではないかと勘ぐったが、それは聞けなかった。
「エスカレートしたら、どうなるか、自信ない」
「おまえ、本当はたのしんでるんでないのか」
「ははは・・・」と満更でもないように笑うと、「怒るわよ」と付け加えた。
「やはり、あんたから意見してよ」
「それはいいけど、その反動がどうでるかだな」
「この時期の男の気持ちってわかんない」
「おまえが、我慢すれば、それで朱美が守られるんだから、
 エスカレートしないようにしてがんばってみよう」
「できるかな」
「なんかあったら、下におりてくれば、そん時はおれがいって意見する」
 健郎は、長男とはいえ、真実のところ妻との血縁はありません。
場合によってオナニーの介添えを強要されてもそれくらいはしかたないか、
という気持ちも一方には、ありました。

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告白(転載)  【721】妻の母親と

近親相姦告白・体験
04 /04 2016
近親相姦体験・願望告白 消滅サイト。投稿者別に時系列で追ってみる。
趣旨とはずれているがそのまま紹介する。

2004/1/23(金)14:34 - 義息子 (男)
僕は32才の男ですが妻が出産の為 8ヶ月目から実家に帰ってます
僕も何かと不便なので同じ町の妻の実家に今はお世話になってる
義母は49才 妻は28才 義父は地方へ単身赴任中で住み心地も良いのですが
1週間ほど前に過ちをおかしてしまいました でもひどい快感なのです

なんと義母とセックスをしてしまったのです
土曜日でした 妻は朝から産婦人科へ定期検診へ
義母は買い物へ出掛けてました
僕は起き掛けのパジャマ姿でトイレへ行き 何となくモヤモヤしてました
なんせ妻が妊娠してからもぅ3ヶ月もセックスをしてなかったからです
朝から誰も居ない居間で下半身だけ裸になりオナニーをしてました
頭の中で色っぽい義母を想い
そぅなんです 色っぽい義母なんですよね
昨夜も短めのスカートの奥までチラリと見えたのですが黒い下着でした
今朝 洗濯物を漁りましたがもぅ洗濯済みでした
でも乾して有った義母の下着を手に取りオナニーをしてました
もぅ直ぐ射精と言う時です まぁー義昭さん そんな事をしてるのと
後ろから義母の声が ビックリしました全身が硬直しましたよ
でも始ってた射精は収まりません 瞬間 手で隠したのですが
精液は激しく噴き上げ なんと僕の指の間からお腹へとベットリなんです

僕は非常にバツが悪く言葉を失ってました
すると義母は 義昭さん 娘があんな状態だから溜まってたのね
可哀相だわ 娘にしてもらってないのと聞くのです
僕は あぁぁお母さん 済みません こんな所を見せてと訳のわからない言い訳を
すると僕の手にしてる義母の下着を目にして
まぁー私の下着なんかをオカズにして 申し訳ないわと
手から取り上げるではないですか
その下着にもベットリと僕の出したばかりの精液が
義母は その間々 待っててと言い風呂場へ
暖かいお湯に付けたタオルを持って来て僕のお腹と股間を拭いてくれるではありませんか
僕は混乱してました あぁぁーお母さん 自分でやりますと

お母さんは ゴメンなさいね 貴方に不便な想いをさせて
あの子は してくれないのね こんなにリッパなモノをもってるのに
自分でするなんて可哀相だわ まぁ出したばかりなのにもぅ大きくなってるわ
そぅ言うと意気なり口へパックリと義母が僕のペニスを
もぅ何だか分けが分かりませんでした
でも妻はフェラーを好きではなく求めても滅多にしてくれませんでしでした
その妻の母親がなんと凄く巧みに僕のペニスをしゃぶってるのです
時々 ペニスを外し言うのです 良いのよ出しても私を娘の代りと想ってと
もぅ快感を止める事は出来ませんでした

僕は声にして あぁぁお母さん スゴク良い こんなにキモチ良いの初めてです
内のはしてくれないから あぁぁお母さん 前から憧れてましたと
その後 激しい義母のフェラーが続き 義母の口の中へ勢い良く射精しました
命まで吸い取られるかの様な最高のフェラーでした
義母はペニスから口を外し あぁぁやはり若い人のは濃いわよねと
言って呑み込んでしまったのです そして美味しかったと言うではないですか
その顔がすごく色っぽく 2度目も射精したと言うのに勃起した間々でした
僕は勇気を出し お母さん やらせてくださいお願いしますと

すると義母は まぁこんな年寄りにしてくれるのと笑顔で言うのです
義母はスカートを脱ぎ上も脱ぎ全裸に 見事な成熟して身体でした
僕が観てると あら 恥ずかしいわこんな年寄りの身体をジッーと観られわと
そして僕がお願いしてお母さんの全身を舌で愛撫してクンニをタップリ
しました お母さんのおマンコは毛も多めで蜜の味が濃厚でした
クリトリスも妻より大きく蜜の量もハンパではなく多いのです
それを舌で掬う様に舐めアナルまで舐めました 最高に美味しいマン汁でした
そしてお母さんに女性上位の体位で挿入したのです
お母さんは狂った様に腰を使い僕のペニスを誉めながら快感を訴えます

こんなに大きく堅いチンポは初めてよ 旦那のチンポよりのずっと良い
亀頭のクビレがあぁぁマンコの肉を引っ張るわ
義昭さん なんて逞しい道具を持ってるの
もっと奥まで差し込んで あぁぁ久しぶりだわ イクーイクー
義母の腰が激しく動きます 顔は凄い色っぽく堪りませんでした
あぁぁバックで後ろから犯して欲しいと言うので今度はバックからしました
犬の様になり尻を上げた義母はセクシーで僕は後ろから濡れ濡れのマンコへ
ブッスリとペニスを突っ込みました すると義母は指でアナルも弄ってと言うのです
僕はマンコの奥へ激しくピストンしながら指をアナルへと
あぁぁどったの穴もイィィーと義母がのたうち廻るのです
僕はひどく興奮しました 射精の時 お母さん マンコの中へ出して良いんですかと
聞くと 出して ドップリ出して 私のマンコの奥にかけてと言うのです
尻の穴に入ってる指をさらに激しく動かしながら
僕は義母のおマンコの奥へ射精しました
今までの射精で最高に感じる射精でした
射精後 お母さんは口でペニスの根元まで舌と口で綺麗にしてくれました

口で掃除されてると又 勃起してきました
すると 義昭さん 貴方は女のアナルを犯した事はと聞きました
僕は経験がないですと言うと まだ出来るなら私のアナルを犯して欲しいと
僕は凄く興味惹かれ 義母のアナルへペニスを当てましたが
痛そうで一気には入れれませんでした
すると正上位の体位で腰を高く上げてた義母が 一気に突っ込んでといいました
僕は意をけして一気にお母さんのアナルへ突っ込みました
するとズボッと入ったのです 初めて女の尻の穴へ入れました
お母さんは あぁぁー私 その穴も感じるの
昔 若い頃 付き合ってた男に仕込まれたの 旦那と結婚後は初めてよ
あぁぁやっぱり 良いわ もっと激しく動いて
そぅ言い アナルを犯されながら自分の手で乳房を揉み指でクリトリスを触り
僕に尻の穴を犯され絶頂へイッター義母なのです

義母のアナル深くで射精後 風呂場へ連れて行かれ
ここで直ぐにオシッコをしなさいと 雑菌が入ったら大変だからと
義母にペニスを持たれオシッコをした僕なのです
オシッコの終わり頃 僕のペニスを口に含み あぁぁ本当に美味しいチンポだわと
居間へ戻り 二人で服を着ました
絶対に娘にはナイショよとキック言われ
今度からしたかったら直ぐに言うのよ 私で良かったらいつでもお相手するから
勿体無いからオナニーなんてしたら駄目よ
私が全部 飲んであげるから 出産しても数ヶ月はセックスは娘とも出来ないから
下手な女に引っかかると困るから私が義昭さんのおチンチンを面倒みるからねとし

それから1週間が過ぎました 妻の目を盗み もぅ義母には5回もお世話になり
真夜中 トイレに起き義母の部屋に忍び込み
寝てる義母を犯した事も有りますが 義母と直ぐに目覚め
相手になってくれるのです ホテルでの時は本格的にジックリセックスをしてます
義母の結婚前に付き合ってた男がサゾっ気が強く縛られたりアナルをされたり
変態セックスをジックリされたと その時の快感が忘れられなかったと
今は僕がサゾになりお母さんをマゾ女として扱い
僕の精液をドップリと3つの穴に出してます
妻よりも身体のぐわいが良い義母なんです
妻とセックスする様になっても僕はお母さんを抱き続けるでしょう
ちなみに義父はインポだそうです それに義母の女としての経験上
僕ほどのリッパでタフなチンポの男は滅多にいないと言います

49才の義母ですが 本当に名器なマンコとアナルをしてますし
お母さんのフェラーは最高に上手なんですよ
今は時々 本当の息子と母親の近親相姦の演技で楽しんでます
義母は本当は男の子が欲しかったと
お風呂で息子のおチンチンを洗ってやったり勃起するようになったらオナニーを教えてやったり
息子に自分の身体を使い性教育をして息子の童貞を奪いたかったと
だから今は本当の息子と母親との設定で ママと呼び義母は名前を呼び捨てして
近親相姦を楽しんでます 義母に昔の男とのセックスの話 義父とのセックスの話を
させながらセックスしたり 義母は僕の過去のセックスの話や妻とのセックスの話を
しながらのセックスは凄く興奮します

本当に善い義母親に恵まれた僕です ここまで義息子の世話をする義親は滅多にいないはず。

告白(転載)  【719】愛娘が・・・

近親相姦告白・体験
04 /04 2016
近親相姦体験・願望告白 消滅サイト。投稿者別に時系列で追ってみる。

2004/1/10(土)21:10 - ぱぱさん (男)
毎年恒例の家族でスノボー旅行で今年は下のチビが風邪でいけなくなり
娘と二人で行く事になりました。

滑り終わりペンションにかえるとオーナーが申し訳なさそうに
暖房が故障してしまいまして部屋にストーブを置きましたので
一日だけご辛抱くださいと言われました

風呂に入り夕食を済ませる所までは良かったのですが
ストーブでは部屋は暖まらずに二人で寒い寒いの連発で
眠れませんでした、持ち込んだ酒を飲み酔いもまわって
きたので床に着きました、私は寝れたのですが
娘が寒くて眠れないで居たみたいで夜中布団の中に
潜り込んできました。

この布団では布団がまくれてよけい寒いから出て行けといいましたら
並んで寝るからだよねと言いながら私の上に重なってきました
始めは重く感じていただけですがそのうち娘の体の柔らかさや
胸の膨らみがもろに感じられてきて、私は下半身を熱く、硬くして
しまいました。硬くなった物は娘の太ももあたりに擦りつけられ
娘もそれがわかったようでした。

お父さん何感じてるのなんかあたるよ・・・・
いやだ~娘に感じてどうする~・・・・
私は無言で払い退けようとしましたが寒いから嫌だと体に
しがみついてきました。

私は娘のおしりに手を添え自分の体に押し付けてしまいました
娘の口から、あっ・・・と小さな声が漏れました
娘の太ももに擦りつけているだけでもう射精寸前までのぼり詰めました
私はこれ切れずに娘の大切な所に指を入れてしまいました
拒否することもなくされるがままの娘に、いけない事だよなごめんねと
謝ると娘は謝るならしなければいいのにと・・・・

娘の手を取り硬くなった物にもっていくと娘は自分にあそこに擦りつける
ようにしてきました。それからはもう一人の女と男として当たり前の
行動になりました。

翌朝リフトの上で娘がつぶやきました
暖房壊れていれも平気だねパパって・・・
私は娘と唇を重ねました。

告白(転載)  【715】叔父と夫婦に

近親相姦告白・体験
04 /04 2016
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2004/1/8(木)21:16 - あきこ (女)
以前から悩み続けていることがあるのに、誰にもお話し出来なくて辛かったです。
偶然この掲示板を見つけて書く決心をしています。

叔父は32才の独身で22才の私とは10才しか離れていません。
幼い頃から兄妹の様なお付き合いで、子供の私は「お兄ちゃんのお嫁さんになるの」
だなんて良く言っていた思い出があります。
それが現実に近付こうとしているだなんて、全然想像も出来ませんでした。
私の運命を変えたのは8年前の交通事故です。
平成8年12月29日のことでした。
一家で母の実家を訪れて、買い物を済ませて函館郊外の母の実家へ向かう途中で
事故は起きました。
父が運転するクルマは凍結路にハンドルを取られてガードレールに接触したと思ったら、
その弾みでクルマは横向きのまま対向車線に入ってしまいました。
運悪く対向車線のトラックに激しくぶつかって、運転の父と助手席の母は即死でした。
後ろにいた祖母は後遺症で2ヶ月後に亡くなりました。
祖母の隣にいた私だけがシートに足を挟まれての骨折で1ヶ月半の入院で済みました。
その事故で私を除いて一家全滅してしまって、身寄りも無い私は母方の親戚を
転々とお世話になって育ちました。

そして最後にお世話になったのが7人姉弟だった母の一番下の弟(今暮らしている叔父です)
でした。
大勢の叔父や叔母にお世話になって高校を卒業した私は、就職して一人で生活出来る様になる
ほんの少しの間だけお世話になるつもりでした。
暫くは普通に生活していた私達も、暮らし始めて3ヶ月くらいしたある日に
衝撃的な事件が起きてしまいました。
酔って帰って来た叔父は私に「今でも俺の嫁さんになりたいか?」と聞きます。
もちろん私は、「あの頃は小さかったし、第一叔父と姪の結婚なんて出来ないでしょ?」
と冗談だと思って軽い返事をしました。
でも叔父は本気でした・・・。

その夜、叔父は私を泣きつく様に口説いて・・・
最後には「この歳になるまで、あき子の事だけを思って待っていた」だなんて言い始めました。
私はただ泣くばかりで、叔父の家を飛び出したいと思ったくらいです。
でも行き場のない私は「形だけ・・・」と日常生活の形だけ夫婦を装うことで了承してしまったんです。
それが間違いと気付くのにそれ程の時間は掛かりませんでした。
次の日の夜、仕事から帰宅した叔父は普段と何も変わらないことに気が付いたんです。
それまでも家事は私がずっとしていて、叔父の身の回りのお世話も私がしていたからです。
いつもと変わらない状況に不納得の叔父は、深夜に突然私の寝室に入って来て
布団に潜り込んで来ました。
抵抗する私を叔父は力でねじ伏せて・・・私は、あっ!という間に犯されてしまいました。
幼い頃から叔父のことは好きでしたけれど、
でも叔父に処女を捧げてしまった私が、そして近親相姦の罪の意識に襲われて
とても言い尽くせないショックを味わいました。
信じられないお話しですけれど、叔父もこの時まで童貞だったそうです。
セックスが終わって気が付いたことですけど、叔父はこの時に避妊具を付けていなくて
更にショックを受けて一週間も仕事を休んでしまう私でした。

この事が切っ掛けになって叔父は私のことを、お友達や知り合いに「嫁です」と紹介して
広めています。
今ではもう普通の夫婦と変わらない生活になってしまいました。
周囲では私のことを「奥さん」と呼びますし、叔父のことを「ご主人」と言います。
そして夜も普通の夫婦の様に、週2回くらいは叔父とのセックスを続けています。
私もこの頃では、「避妊具は必ず付けてね」とお願いするだけで妻の様に叔父を受け入れています。
でも本当にこれでいいのでしょうか、差し障りのない場所では”姓”も
叔父の姓を名乗ってしまっている私です。

いつかその内、叔父が私との間に子供を欲しいと言い出さないかと心配になります。
そして私の将来はどうなってしまうのでしょうね。
このまま本当に叔父の妻として生きて行かなくてはならないのかしら・・・
私も叔父のことは好きですから、けじめも付けられないままになっています。

告白(転載)  【711】母を

近親相姦告白・体験
04 /04 2016
近親相姦体験・願望告白 消滅サイト。投稿者別に時系列で追ってみる。

2004/1/5(月)16:11 - toru (男)
僕は母を中学3年から今日まで一人の女として見てきました。
でも今日は、母、女、そして遂に彼女に成りました。
今日昼のご飯の時に母と二人で食べたのですが、その時母のお茶の中に(ハルシオン)
を細かく粉にして二錠分いれました、そしたら少しして完璧に寝てしまいました。
そして母を担いで、部屋に連れて行き、服を脱がせて全裸にしても目を覚ましません
そしてとうとうSEXしました。(中だしです)
今まだに目を覚ましません、グッスリ寝ています。  都合5回もハメました。
少し心配です。  何時目を覚ますか。
いくらSEXしても寝ぼけています。 父とSEXしていると思っているのです。

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。