告白(転載) 【725】妻のはなし1
近親相姦告白・体験
近親相姦体験・願望告白 消滅サイト。投稿者別に時系列で追ってみる。
2004/1/29(木)20:11 - しげる (男)
わたしの家族構成、わたし、妻、息子の健郎は大学生、娘、朱美は中学生です。
今年の初め頃になります。妻がわたしに相談があるといってきました。
「朱美が部屋を別にして欲しいっていううんだけど」
「なんで?」
「健郎が、なんか口実作っては、朱美の身体をさわるらしいの」
「部屋を別にといってもな」
2階に二間、夫婦の部屋と子どもの部屋、子ども部屋に2段ベットです。
階下は、居間とキッチン、風呂という間取りです。
「わたしたちが1階の居間に寝て、二階でふたりを別々にしたらどうかしら」
狭い家です。
それしか方法はないだろうと、わたしたちは階下に降り、
二階は健郎、朱美でそれぞれが部屋を占有することにしました。
二段ベットは、廃棄物として処分しました。
しばらくしたある夜、朱美が、夫婦で寝ている居間に飛びこんできて、
「ここに寝させて」というのです。
「どうしたの?」
「おにいちゃんが、わたしの部屋にきてへんなことするんだもん」
「へんなことって?」
「さわらせろっていうの」
「俺がいって、しかってやろうか」
妻が「それは、やめて。いま、そんなことしたら、亀裂が入ってしまう」
健郎は、わたしたちにとって実の子ではありません。
東北の地方都市に生まれたわたしの妻、奈津子は、20歳で結婚しました。
この時結婚した男は再婚です。2才の連れ子がいました。健郎です。
奈津子は、結婚するとすぐ一児の母親になったのです。
この家族は長く持ちませんでした。男は、結婚後3年目に倒産、奈津子には、
財産というものは何も残さず、かわりに義理の子だけを押しつけて離婚。
小学校入学前の男の子をかかえ途方に暮れている奈津子の境遇に同情したということも
あります。
わたしと奈津子は結婚しました。奈津子が23才、健郎が5才、わたしが30才でした。
1年後朱美が生まれました。健郎も、我が子と思い分け隔てなく育てました。
このような時に、父の権威をふりかざして頭ごなしに注意したら、
まだ感情定まらぬ危うい年頃の健郎と家族の間に亀裂が入る。
それだけは避けなければならない。わたしと妻とのこれまで律してきた歴史があります。
「朱美がおびえているのに」と聞くと、
妻は「健郎にはあしたわたしからはなしする。今夜は、朱美が、ここにお父さんと寝て。
お母さんは、朱美の部屋に寝るから」妻のとっさの案でした。
朱美は、うれしそうに妻のふとんに入りすぐに眠りにつきました。朱美は、このところ、
ぜい肉も落ちて、初々しい輝きに満ちた少女になっています。
翌日の夕方、「ゆうべはどうだった?」と妻に聴きました。
「健郎の部屋でいつまでも物音がして眠れないから、「明日があるんだから静かになさい」って
いったの」
「で、」
「朱美にいたづらしないでって、そのこともいってやった」
「それはよかった」
「健郎がいうには、最近、夜になると昂奮して、どうしようもなくなるんだって。
がまんして、お昼に、なんかスポーツでもやったらっていったんだけど。
で、そうしたんだって。そうすると、ますます昂奮してくるんだって」
「それで」
「じゃ、どうしたいの?ってきいたのよ。そうしたら、セックスしたいっていうの」
「若いからな血がたぎってるんだ」
「勝手にして、っておこって、そのまま。しばらくして静かになったところ見ると、
自分で処理したんじゃない」
わたしの思春期の悶々とした日々を思い出しました。
大学受験で母と一緒にホテルに宿泊した時、なかなか寝つかれず、母のベットに入り、
母の体をまさぐりながら、オナニーをしたことがあります。母は、寝ていたのか寝たふりなのか、
息子が体をまさぐるのを許してくれました。
「自家処理でおさまるならそれでいい。男ってのはそんなもんだ。単純なんだ。
手伝ってやったら」と冗談めかしていいました。
妻は、明るく笑って「ばかなこといわないで」。
しかし、それで平穏が戻るなら、一時のことで、オナニーの手伝いくらいなんでもない、
と思ったのです。
この日から、様子見で、二階の子ども部屋は健郎が独占し、妻は二階に、朱美とわたしは下に
寝ることにしました。こうやって変則就寝をとっている姿が、婉曲に健郎に伝わり、正常に復し
てくれればという願いもありました。
妻と別々に寝ることで、夫婦の営みはなくなりました。朱美の寝息が聞こえるのを待って、
わたし自身もぞもぞと自家処理でまぎらわすほかありません。妻は、日常的には、冷静で明るい
性格です。目がくりっとして愛くるしい表情、引き締まった身体、小ぶりな乳房、そんな容姿は
いつまでも若さをかもしだし、中年の只中にあっても若い時の残影をとどめています。房事に入ると、
身体全体のどこをとっても反応がよく、全身性感帯といてもいいほど淫猥です。たかまってくれば、
積極的に頂点をめざして求めてきます。
愛液のあふれた壷に挿入し、抜き差しすると、腰をせりあげ、さらに深く咥えこみ、
歓喜の声をあげます。結婚以来、何才になっても飽きないからだです。
生理週間をのぞいては毎晩欠かさず続けてきました。それが互いの青春の感動を維持し
つづけているヒケツのようにも思えました。
変則就寝3日目のことです。妻が、いいにくそうにしながらわたしに打ち明けました。
「ゆうべ、わたしのところにきて、おっぱいさわらしてくれっていうの」
「とうとうきたか」
「とうとうって?」
「こんなこともあるかもしれないと思ってた」
「なんか、あんまり必死にいうもんだから」
「さわらせたのか」
「しょうないでしょ。服の上からよ。拒んで家庭内暴力にでもなったら大変でしょ」
「さわらせただけか」
「そうよ」
オナニーの手伝いもしたんではないかと勘ぐったが、それは聞けなかった。
「エスカレートしたら、どうなるか、自信ない」
「おまえ、本当はたのしんでるんでないのか」
「ははは・・・」と満更でもないように笑うと、「怒るわよ」と付け加えた。
「やはり、あんたから意見してよ」
「それはいいけど、その反動がどうでるかだな」
「この時期の男の気持ちってわかんない」
「おまえが、我慢すれば、それで朱美が守られるんだから、
エスカレートしないようにしてがんばってみよう」
「できるかな」
「なんかあったら、下におりてくれば、そん時はおれがいって意見する」
健郎は、長男とはいえ、真実のところ妻との血縁はありません。
場合によってオナニーの介添えを強要されてもそれくらいはしかたないか、
という気持ちも一方には、ありました。
2004/1/29(木)20:11 - しげる (男)
わたしの家族構成、わたし、妻、息子の健郎は大学生、娘、朱美は中学生です。
今年の初め頃になります。妻がわたしに相談があるといってきました。
「朱美が部屋を別にして欲しいっていううんだけど」
「なんで?」
「健郎が、なんか口実作っては、朱美の身体をさわるらしいの」
「部屋を別にといってもな」
2階に二間、夫婦の部屋と子どもの部屋、子ども部屋に2段ベットです。
階下は、居間とキッチン、風呂という間取りです。
「わたしたちが1階の居間に寝て、二階でふたりを別々にしたらどうかしら」
狭い家です。
それしか方法はないだろうと、わたしたちは階下に降り、
二階は健郎、朱美でそれぞれが部屋を占有することにしました。
二段ベットは、廃棄物として処分しました。
しばらくしたある夜、朱美が、夫婦で寝ている居間に飛びこんできて、
「ここに寝させて」というのです。
「どうしたの?」
「おにいちゃんが、わたしの部屋にきてへんなことするんだもん」
「へんなことって?」
「さわらせろっていうの」
「俺がいって、しかってやろうか」
妻が「それは、やめて。いま、そんなことしたら、亀裂が入ってしまう」
健郎は、わたしたちにとって実の子ではありません。
東北の地方都市に生まれたわたしの妻、奈津子は、20歳で結婚しました。
この時結婚した男は再婚です。2才の連れ子がいました。健郎です。
奈津子は、結婚するとすぐ一児の母親になったのです。
この家族は長く持ちませんでした。男は、結婚後3年目に倒産、奈津子には、
財産というものは何も残さず、かわりに義理の子だけを押しつけて離婚。
小学校入学前の男の子をかかえ途方に暮れている奈津子の境遇に同情したということも
あります。
わたしと奈津子は結婚しました。奈津子が23才、健郎が5才、わたしが30才でした。
1年後朱美が生まれました。健郎も、我が子と思い分け隔てなく育てました。
このような時に、父の権威をふりかざして頭ごなしに注意したら、
まだ感情定まらぬ危うい年頃の健郎と家族の間に亀裂が入る。
それだけは避けなければならない。わたしと妻とのこれまで律してきた歴史があります。
「朱美がおびえているのに」と聞くと、
妻は「健郎にはあしたわたしからはなしする。今夜は、朱美が、ここにお父さんと寝て。
お母さんは、朱美の部屋に寝るから」妻のとっさの案でした。
朱美は、うれしそうに妻のふとんに入りすぐに眠りにつきました。朱美は、このところ、
ぜい肉も落ちて、初々しい輝きに満ちた少女になっています。
翌日の夕方、「ゆうべはどうだった?」と妻に聴きました。
「健郎の部屋でいつまでも物音がして眠れないから、「明日があるんだから静かになさい」って
いったの」
「で、」
「朱美にいたづらしないでって、そのこともいってやった」
「それはよかった」
「健郎がいうには、最近、夜になると昂奮して、どうしようもなくなるんだって。
がまんして、お昼に、なんかスポーツでもやったらっていったんだけど。
で、そうしたんだって。そうすると、ますます昂奮してくるんだって」
「それで」
「じゃ、どうしたいの?ってきいたのよ。そうしたら、セックスしたいっていうの」
「若いからな血がたぎってるんだ」
「勝手にして、っておこって、そのまま。しばらくして静かになったところ見ると、
自分で処理したんじゃない」
わたしの思春期の悶々とした日々を思い出しました。
大学受験で母と一緒にホテルに宿泊した時、なかなか寝つかれず、母のベットに入り、
母の体をまさぐりながら、オナニーをしたことがあります。母は、寝ていたのか寝たふりなのか、
息子が体をまさぐるのを許してくれました。
「自家処理でおさまるならそれでいい。男ってのはそんなもんだ。単純なんだ。
手伝ってやったら」と冗談めかしていいました。
妻は、明るく笑って「ばかなこといわないで」。
しかし、それで平穏が戻るなら、一時のことで、オナニーの手伝いくらいなんでもない、
と思ったのです。
この日から、様子見で、二階の子ども部屋は健郎が独占し、妻は二階に、朱美とわたしは下に
寝ることにしました。こうやって変則就寝をとっている姿が、婉曲に健郎に伝わり、正常に復し
てくれればという願いもありました。
妻と別々に寝ることで、夫婦の営みはなくなりました。朱美の寝息が聞こえるのを待って、
わたし自身もぞもぞと自家処理でまぎらわすほかありません。妻は、日常的には、冷静で明るい
性格です。目がくりっとして愛くるしい表情、引き締まった身体、小ぶりな乳房、そんな容姿は
いつまでも若さをかもしだし、中年の只中にあっても若い時の残影をとどめています。房事に入ると、
身体全体のどこをとっても反応がよく、全身性感帯といてもいいほど淫猥です。たかまってくれば、
積極的に頂点をめざして求めてきます。
愛液のあふれた壷に挿入し、抜き差しすると、腰をせりあげ、さらに深く咥えこみ、
歓喜の声をあげます。結婚以来、何才になっても飽きないからだです。
生理週間をのぞいては毎晩欠かさず続けてきました。それが互いの青春の感動を維持し
つづけているヒケツのようにも思えました。
変則就寝3日目のことです。妻が、いいにくそうにしながらわたしに打ち明けました。
「ゆうべ、わたしのところにきて、おっぱいさわらしてくれっていうの」
「とうとうきたか」
「とうとうって?」
「こんなこともあるかもしれないと思ってた」
「なんか、あんまり必死にいうもんだから」
「さわらせたのか」
「しょうないでしょ。服の上からよ。拒んで家庭内暴力にでもなったら大変でしょ」
「さわらせただけか」
「そうよ」
オナニーの手伝いもしたんではないかと勘ぐったが、それは聞けなかった。
「エスカレートしたら、どうなるか、自信ない」
「おまえ、本当はたのしんでるんでないのか」
「ははは・・・」と満更でもないように笑うと、「怒るわよ」と付け加えた。
「やはり、あんたから意見してよ」
「それはいいけど、その反動がどうでるかだな」
「この時期の男の気持ちってわかんない」
「おまえが、我慢すれば、それで朱美が守られるんだから、
エスカレートしないようにしてがんばってみよう」
「できるかな」
「なんかあったら、下におりてくれば、そん時はおれがいって意見する」
健郎は、長男とはいえ、真実のところ妻との血縁はありません。
場合によってオナニーの介添えを強要されてもそれくらいはしかたないか、
という気持ちも一方には、ありました。