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告白(転載) かつて見た母親のオナニー

近親相姦告白・体験
08 /07 2019
掲載サイト(Incest Taboo)は消滅。
2012年6月8日金曜日
かつて見た母親のオナニー

 今はもう子供もいる家庭の主として平平凡凡とした生活を送っていたのですが、会社の命により単身赴任をしています。
 1kのアパートに住んでるんですがふと昔のことを思い出しましたのでここの書きとめます。


 隣の部屋の住んでいるOLさんのセックスの声を聞きながらオナニーしてたんですが頭の中に浮かんだのがもう忘れ去ったと思っていた記憶でした。
 それは母親のオナニーシーンです。


 私の母親は私が小学生の頃離婚し女手ひとつで私を育ててくれましたが非常に厳しい女性でした。
 勉強でも運動でも一番にならなければ意味がないと平日の夕方仕事から帰ると私を塾に連れて行き、日曜日はスポーツジムへと行かされました。
 今思うと女盛り、夜遅く帰ってくることもありましたが、そのときは外で欲情を発散していたんだなと後になって理解しました。


 そんな中ある日の夜、のどが乾いて目がさめ冷蔵庫に向かうとき居間明かりが漏れてました。
 こんな夜中に不審に思いながらガラス戸から中をのぞきこむと、そこにはスカートを捲り上げて大きく足を開いた母親の姿が目に飛び込んできました。
 一瞬何が起こったのか判断できない状態が続きました。
 そして状況を理解した後「見てはいけないからその場を立ち去る」気持ちに駆られました。
 ただ身体は金縛りにあった様に、足は動きませんし目もその場に釘付けになって、自分の息だけが母親に聞こえるのではないかというほどうわずっていました。


 今でもそのときの母親の姿は思い出すことが出来ます。
 居間のソファーに浅く腰をかけ、上半身はボタンをはずしたブラウスから胸が飛び出してました。
 ブラジャーが首のあたりで絡まってるのが見えました。
 頭をソファーの背に乗せて、上を向いた形で目をつぶっていました。


 時々長い舌で唇を濡らすように舌なめずりをしたり、大きく口をあけて苦しそうにせわしなく息をしたりするのが見えました。
 下半身はスカートをはいたままスカートを腰まで捲り上げて大きく左右に足を開いていました。
 そこにはショーツはなく母親は一心不乱に自分のおまんこを触っていました。
 今思うともう佳境に入っていたのでしょう左手でクリトリスをさすって(いたんだと思います)、右手の指をすごい勢いでおまんこに出し入れしてました。


 数分間それが続いた後、両足を強く伸ばして母親はいきました。
 大きく上下する胸がすごく記憶に残っています。 その母親も今は他界し私も今まで忘れかけていました。 身内の性行為は見たらいけない気持ちが多く、罪悪感に似た気持ちがありましたが、その姿は今思えば非常に淫靡でエロティックなものと思います。
 その頃はまだ性体験もなくオナニーばかりしていましたが、その姿は私を勃起させるには十分すぎる迫力がありました。
 それ以上の関係には幸いなりませんでしたが、それから母親を一人の人間としてみとめられるようになりました。
 しかし、今までいろいろな女性にオナニーを見せてもらいましたが、みんな本気でしてないんでしょうね、母親のオナニー以上に興奮させられるオナニーは今だ見たことがありません。

告白(転載) 癒しの母

近親相姦告白・体験
08 /07 2019
掲載サイト(Incest Taboo)は消滅。改行を直したいところだが原文のまま紹介する。
2012年6月8日金曜日
癒しの母



僕は高校の終わり頃から母とSEXをするようになりました。
受験前の大事な時期に、勉強の妨げとなる旺盛な性欲を、母の体を使って処理することで、勉強に集中できるようにしてくれたのです。


僕は母のおかげで、大学に合格でき、東京に出てきたのを切っ掛けに、母とのSEXは終わりにしようと思っていました。


しかし、新しい慣れない環境でストレスが溜まり、母とのSEXで癒されたいと思う気持ちが強くなってきて、結局、僕が東京に出て来て、一月もしないうちに、母に来てもらうことになりました。


約一か月ぶりに見た母は、新鮮で奇麗になったような気がしました。


母は玄関で僕の顔を見るなり、目をまるくして
「佑ちゃんどうしたの、いきなり電話で母さんを呼び出して」


母がそう言うのも、無理はありません。
「すぐに出て来て」と理由も言わずに東京に呼び出したのですから。


「御免、東京で暮らし始めたら、無性に母さんに会いたくなったんだ」
と言いながら僕のペ○スがみるみる大きくなっていくのが分かりました。


「母さん、早くドアを閉めて中に入ってよ」と母の荷物を取って傍に置きました。


「そうね」と言いながら母が後ろ向きにドアを閉め、内鍵を閉めているとき、僕は久々に母の大きなお尻を見て、我慢できず背後からそのお尻を触りました。


「実を言うと… 母さんと久々にやりたくなったんだ…」と白状しました。


「えっ… それで、母さんを東京まで呼び出したの?」と母は振り返って微笑んでいました。


僕は、母を玄関のドアに立たせたまま、スカートをめくりパンティを脱がせ、あらわになった母の性器を、夢中で舐め始めました。


「ペチャ、ペチャ」といやらしい音が玄関に響いていました。


僕は両手で母の性器を開き、クリトリスから、尿道口、膣口と舌先で丹念に舐め廻しました。


母も気持ちが良くなってきたのか、「はぁ、…はぁ」と少しずつ息遣いが荒くなってきました。


膣穴に舌先を挿入すると、母が、ガクッと膝を落としてきたので、僕は、一旦立ち上がって、ジャージを脱ぎ捨て、ドアを背中にして立ったままの母の性器に勃起したペ○スをあてがいました。


僕は久々の母の膣穴の感触を確かめるように、母の膣穴にゆっくりとペ○スを挿入していきました。


母の膣穴の穏やかな締め付けを心地よく感じながらピストンを始めると、徐々に母も腰を前後に動かしはじめ、僕も、母も一月ぶりのSEXに燃えるように激しく腰を使いました。


「母さん、出すよ…」


「きて、佑ちゃん… 」


と言う母の声が聞こえたのと同時に、ドク、ドク、ドク、ドク、と母の子宮をめがけて久しぶりの射精を果たしました。


玄関先で、服を着たままSEXをしたあと、母と2人で浴室に行きシャワーで汗を流しました。


久しぶりに見る母の裸は白くて眩しいほど綺麗でした。


シャワーを浴びた後、タオルを巻いた母の手をとって、部屋に行き、母を横に寝かせると、母を抱きしめて唇を吸いました。


母も僕の唇を吸い返し、舌を絡ませ合いました。


僕は片手で母の背中から、やわらかい張りのあるお尻を揉みました。


目を閉じて舌を絡ませてくる母の表情が僕をさらに興奮させました。


僕は、キスをしながら、母の胸に巻いたタオルをはずしました。


重量感のある、つんと上を向いた乳房に、くすんだ色の乳輪と、太目の乳首。 下腹には黒い陰毛がありました。


僕は舌を母の唇からうなじ、そして乳房へと這わせ、乳首を口に含み、舌先で転がしました。


すると、母は
「あっ…」


と声を上げ、そのあと


「いけない、お隣に聞こえちゃう」とつぶやき、自分の手で口を塞ぎました。


僕はそんな母の仕草を見てさらに興奮して、おへその周りをなめ、さらにその下の母の陰毛へと舌を這わせました。


母の足を開き、股のあいだに顔をうずめ、ゆっくりと、そして徐々に激しく、母の性器を嘗め回しました。


母の両足を持ち上げ、お尻を出させて、肛門の周りを舌でつんつんと刺激すると、
「ぁぁぁぁぁぁぁぁ…」と母は顔を左右に振って、必死になって声を我慢している様子でした。


僕は、片手で、母の陰毛をかき分け、膣穴の中に指を入れ、膣穴の天井を刺激しました。
「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ」
母はもう声をガマンできなくなっていました。


しばらく母の膣穴を指で刺激した後、今度は僕が仰向けになり、顔の上に母をまたがらせました。


舌で母の膣穴の中を嘗め回すと、母は後ろに手をついてバランスを取りながら、ゆっくりと腰を動かしました。


そのままの体勢で、下から母の乳房を揉み上げると、眉間に皺を寄せた母の腰の動きが激しくなっていきました。


僕は顔の上に座った母を後ろ向きにさせ、母の背中をそっと押して僕の勃起したペ○スを咥えさせました。


僕の顔の前には大きく開かれた母の性器と、大きなお尻と、そして浅黒い肛門があり、肛門の中に指先を少し入れて刺激してみると、母のハスキーな喘ぎ声がさらに大きくなりました。


「母さん、起きてこっちを向いて…、抱っこしてあげる」
あぐらをかいた僕は母を前からかかえるように抱きよせ、ペ○スの上に母をまたがらせました。


母は、僕の肩に手をかけ、ゆっくりと腰をおろしてきました。


僕のペ○スが母の膣穴に根元まで入ったところで、母は「あああ」と深い喘ぎ声をあげました。


僕は母の腰を持って、下からペ○スを突き上げるように動かしました。
僕の突き上げにあわせて、母は「あ、あ、あ、あ、あ」と小刻みに声を出していました。


目の前で母の大きな乳房が揺れていました。


「母さん…こんなのどう…」


「…うれしい。佑ちゃん…」


母は僕の首に手を回してキスをしてきました。


僕の腰の動きはさらに激しさを増し、ペ○スは母の子宮口を強く突いていました。


「ぅ… 母さん… 出そうだよ」


「いいのよ…佑ちゃん。出して、母さんの中に出して…」


「出すよ…。母さんの中に。」


「きて、佑ちゃん。きて、きて、きて、」


母は自分でも激しく腰を振っていました。


僕は母の腰を強く引き寄せると、母を後ろに押し倒し、母の乳房を激しく吸いながら、母の膣穴に大量の精液を放出しました。


ドク、ドク、ドク、ドク、とペ○スから全ての精液を出し切った後、身体を離そうとすると、母は僕の首に手を回し、


「しばらくこのままでいて…」と言いました。


僕は、母と性器を結合させたまま、まだ火照っている母の乳房を吸いました。


「佑ちゃんは、母さんのおっぱい、好き?」


「うん。母さんのおっぱいは大好き…」


「母さんも、佑ちゃんが好きよ…」


「母さん…」


僕は性器を結合したまま母のからだをきつく抱きしめました。


翌朝、母は帰りましたが、月に一回は東京に出てくる約束をしました。


やはり、僕を癒してくれる母とのSEXは当分の間、止められそうにはありません。

告白(転載) 息子愛

近親相姦告白・体験
08 /07 2019
掲載サイト(Incest Taboo)は消滅。こちらはタイトルも内容もすでに紹介済みだがコメントがついていたのでそのまま紹介する。
2012年6月8日金曜日
息子愛

私も息子と関係を持つようになり、もう息子の体から離れられなくなってしまいました。
私は42歳で息子は学生です。
そのいきさつからお話しすれば長くなりますけれど、ある日、ご近所で私が親しくしている方のお風呂場を息子が覗いていたと、苦情の電話を受けました。
その方は、
「年頃の男の子だから、おばさんの裸でも興味を持ったのでしょうから、あんまり大げさに叱らないで、注意だけはしておいて」
と言ってくれました。
主人は、建設資材の営業で、甲信越地方全体を担当していて、週に2日ほどしか家に帰って来ません。
普通でしたら主人に相談をするところでしょうが、15年前に私が流産して、赤ちゃんが出来ない体になってしまってから、
主人とはセックスもほとんどなくて、仮面の夫婦のように心を広げて言葉を交わすことがないのです。
赤ちゃんが出来ない体になっても、女にだって普通に性欲がある事を主人は理解しょうとはしない人なのです。
 その苦情の電話のを切ったあと、息子をそれとなく見ていると、息子と話さなければと思いながらもきっかけが掴めずにおりました。
 主人が出張していたある晩、私がお風呂に入っていると、脱衣場に忍び足の息子の影が映り、洗濯機に入れておいた私の下着を持ち出そうとしておりました。
私は、勇気を振り絞って、「ショウちゃんも、お風呂に入ったら…」と言いました。
努めて冷静にといいましようか、サラッと言ったつもりでしたが、私の声は少しうわずっていました。
息子はぶっきらぼうに「うん」と一言、返事をかえしてきました。
息子は、5秒くらいで脱いで、裸になってお風呂に入ってきて、突っ立ったまま私の裸をまじまじと観察していました。
私は、恥ずかしさを隠して笑いなが「どこを見てるのよっ 」と言って、おっぱいとあそこを手でかくしました。
私は「たまには母さんの背中を流してよ」と言いながら壁に向かって座りました。
息子は、私の背中を洗い始めました。
「洗うの上手ね」と褒めてあげると、少し大胆になった息子は「前も洗ってあげる」と言って、私を振り向かせようとしました。
私は「前は自分でするわよ」と言いましたが、息子が洗い始めたのでそのままにさせていました。
息子はタオルを手に持って、私のおっぱいを愛撫するように洗いました。
乳首をいじられていると、少しずつ大きく固くなってきて、気が遠くなりそうでした。
息子がおっぱいを洗ったあと、タオルを腹から腰、股間へと下げてき、私のアソコを洗おうとしたとき、
私が「そこはダメよ」と少し厳しい声で言い放ちました。
私はその時、ついに「何故なの… なせ近所のおばさんのお風呂を覗いたりしたの…」ときつく問いただしました。
息子は、そのことを私が知っていたことに驚いてビクッと手を止め、そのあとは黙ってただうつむいてるだけでした。
私は、なんだか息子がかわいそうに思えてきて、努めて明るい声で、
「女の裸なんてみんな同じよ」といいながら、息子の方を向いてタオルにボディシャンプーをつけて息子の首筋や肩を洗い始めました。
私の手は、息子の胸から腹へと順に下りてきて、ついに息子の股間に達しました。
息子のアレはビンビンに勃起していました。
私は、それを見ながら「ほんとに、大きくなったのね」と感心してつぶやきました。
息子が「母さんの裸がセクシーだから、勃起しちゃったんだ」と言ったので、
私は「何言ってるのよ」と笑って、タオルで息子の勃起したそれ洗いながら、少しうわずった声で「毎日オナニーしてるの」と聞きました。
すると息子が「今、手でオナニーしてッ」といってきました。
私は何も言わず、素手で息子のそれしごき始めました。
「いつものオナニーより、気持ちいいよッ、出ちゃう」と口走りましたが、
私は「固いわね」と言いながら亀頭の部分を刺激するようにこすり続けました。
我慢できなくなった息子は、私の両肩に手を置いたまま射精しました。
私の胸やお腹にも息子の精液がべっとりと付いてしまいました。
私は笑いながら「やだぁ、こんなに出して…」と言って、自分の体や息子の股間にお湯をかけてきれいに流しました。
息子が「すっごく気持ちよかったよ。 明日もして」と言って、恥ずかしそうに笑いました。
私は「父さんには内緒よ。 これで、よそのお風呂場なんか覗かないでね」と言って、お互いの体をタオルで拭いて浴室を出ました。
私も本当は興奮してしまって、体が火照って、久しぶりにその夜、オナニーしてしまいました。
 それから、息子と男女の関係になるのには、時間はかかりませんでした。
次の日から、お風呂場でのフェラチオが日課になりました。
主人とは、フェラチオなんて合わせても、数えるほどしか経験していなかったのに、息子とはほとんど毎日するようになってしまいました。
息子にフェラチオしてあげながら、自分の指でオナニーまでするようになりました。
1週間と経たない内に、とうとう、夫婦のベッドに一緒に寝て、息子の体を受け入れました。
私は息子をベッドに誘ったときもう最初から濡れていて、息子のアレが私のアソコに触れて、押し開いて、入って来た時、忘れていた女の感覚を呼び覚まされました。
息子の若く逞しい体が私の体の上で腰を動かし始めた瞬間から、私は声を上げていました。
5分もしないで、息子の精液が体の中に打ち込まれた時、もう私は狂ってしまいました。
その晩、続けて数回ののセックスをして、うとうと眠ってしまいました。
今では、息子も、クンニもしてくれるし、色んな方法で私を愛撫してくれます。
息子は、愛人のようにセックスも上手くなって、私を必ず絶頂にまで押し上げてくれます。
息子に激しく貫かれたまま、絶頂を迎えているとき、私は、いつもこのまま、息子と遠くまで駆け落ちしたいと思うほど、もう息子の体から離れられない女になってしまいました。

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告白(転載) 震えた手で母のショーツをハサミで切り、挿入、中出し!長年の夢を叶えた瞬間

近親相姦告白・体験
08 /07 2019
掲載サイト(Incest Taboo)は消滅。タイトルは違うがすでに同じ内容のものを紹介しているがこちらにはコメントがついたので併せて紹介する。
2012年6月7日木曜日
震えた手で母のショーツをハサミで切り、挿入、中出し!長年の夢を叶えた瞬間

あれは今から十年前の事です。
私が21歳で母が45歳の時でした。
母は私が小学校2年の時、父と離婚し、私を引き取り実家に帰り、町工場で働きながら私を 育てて来ました。
小さい頃は母に対して特別な感情など持つ事もありませんでしたが、異性にいや、性に興味を持ち始めた頃から母を女として見るようになりました。


母にと言うより女性の体に興味があると言うのが本当の所だったのです。
内気だったので女性と話をする事も出来ず、もちろん彼女も出来なかった私にとって、母は一番身近な女性だったのです。
まず最初にした事が風呂に入っている母を覗く事でした。
田舎の家だったので風呂場は木造作りで壁板に所々穴が開 いており、そこから覗いていました。
しかし母の胸は見えても、肝心な女性器は毛で覆われていて見えません。
どうしても女性器が見たい!私の想いは募るばか りでした。
風呂場では遠くて見えない、ならば近くで見るしかない、そう思った私は母が寝ている時に見る事にしました。
田舎の狭い家で二間しかなかったので すが、その間は渡り廊下みたいなものでつながっていました。
祖父母が奥の部屋で私と母が入口側の部屋で寝ていました。
貧乏でしたので寝る時は母と一つの布団で寝ていました。
母はネグリジェのような物を来ていましたが、夏場は暑いので裾ははだけている事が多かったです。
その日も下着が丸見えの状態でした。
私 は懐中電灯で母の股間を照らして見ました。
ショーツの脇から陰毛が3本ほど出ています。
それを見ただけで、心臓は早鐘を打ったようになり、私の股間は痛いくらいに勃起していました。
ゆっくり近づきショーツに手をかけました。
脱がすと起きてしまう恐れがあったので、あの部分を少し横にめくる事にしました。
震える手で恐る恐るずらしてみました。
私の目の前に夢にまで見た母の性器が現れました。
遂に私は母の性器を目の当たりにしたのです。
ショーツで引っ張られ少し口を開いた状態のそれは私にとって衝撃的な光景でした。
急激に快感が押し寄せ、それだけで射精してしまいました。
「うーん」不意に母がうめいたので慌て て手を離し寝たふりをしました。
これ以上は無理だと思いトイレに行き、パンツについた液を拭き取り、母のものを思い出しながら自慰をし再度放出しました。
今までした中で一番の快感を感じました。
それからも時々、気づかれそうになりながらも、覗いて自慰のおかずにしていました。
回を重ねるうちに当然の事ながら次は挿入したくなって来ました。
毎日挿入する事を考えて自慰をしていましたが、結局行動に移す事が出来ませんでしたが、一度だけそれに近い事はした事があります。
ある冬の寒い晩の事です。
夏は良いのですが、冬は寒くて布団の中で引っ付いて寝ていました。
母は私に背を向け寝ています。
私は寒いふりをしていつも以上にくっつきました。
母のお尻の部分に私のペニスが当たり、段々大きくなって来ました。
気持ちいいので押し付けてみました。
母は軽い寝息を立てています。
私は大胆になり自分のパンツを下ろし、直に母の性器と思われる部分に当てました、私のペニスと母の性器の間には薄いショーツの布一枚があるだけです。
軽くピストンの真似事をしただけで射精してしまいました。
母の下着にべっとり精液が着きましたが、バレたらバレてもいいやと思い、そのまま寝てしまいました、しかし、その後も母は何も言わず、二人の間には何事も無く、高校を卒業して、就職の為に田舎を後にしました。
就職してから彼女も出来て童貞ともおさらばする事が出来ました。
母の事もすっかり忘れていましたが、卒業して3年後の盆の帰省の時、その事は起こったのです。
久し振りに帰省した晩、風呂に入り母とビールを飲みながら話をしました。
「お前もお酒が飲める年になったんだね」と母は嬉しそうに言いながらビールを美味しそうに飲んでいました。私も嬉しくなり、母に何度も注ぎました。
12時を過ぎ、酔いも回ってきたので寝る事にしました。
母は「飲み過ぎたわ、明日起きれるかしら」と言いながらも嬉しそうに笑い寝床につきました。
夜中に喉が乾き水を飲みに起き、トイレに行って帰って来て母を見ると高校時代に見た時と同じ様に、ネグリジェの裾がはだけ、 ショーツが丸見え状態でした。
突然頭の中にあの時の事が蘇って来ました。
高校時代に2年余り挿入したいと思い続けた母のマ○コがショーツを着けているとはいえ、無防備にそこに横たわっています。
私は「ゴクリ」と生唾を飲み込みました。母は軽いいびきをかいて寝ています。
体を少し揺すってみましたが、まったく起きる気配がありません、あの時の快感が頭に浮かび、股間ははちきれそうになっていました、
「長年の夢を叶える時だ!」酒の酔いも手伝い何の見境も無くなった私は行動に移す事にしました。
挿入前に起きられたら、拒まれ抵抗されるに決まっています。
下着を脱がしたら起きてしまうと思ったのでハサミを取って 来てあの部分、デルタ地帯を覆っている布を切り離す事にしました。
震える手でハサミが母の体に当たらないように気を付けながら切り取りました。
切った布を めくると懐かしい母のマ○コが少し薄くなった陰毛の中に息づいていました。
早く挿入したい!挿入してしまえば後は何とかなる、そう思っていました。
酒の酔 いが無ければそんなむちゃくちゃな考えはしなかったでしょう、母のマ○コに口を付け舌で唾液を軽くつけ、先走りを垂らしながらいきり立っている自分のペニ スに唾液を塗り、母の足を開き、ゆっくりとペニスの先を母のマ○コの少し開き気味になっている膣口に押しつけました。
お互いの物を唾液で濡らしてあったの でそれだけで亀頭の部分がヌルッとした感じで入りました、母の中に入っている、そう思っただけでもう爆発しそうでした。
少し気持ちが落ち着いた所で腰をぐっと突き出すと母のマ○コの中を押し開くようにして入って行き、そして根元までスッポリ入りました、脳天まで突き抜けるような快感がおそいました、必死 で我慢してからゆっくりとピストンを開始しました。
しばらくすると母が「うーん」とうめき、薄目を開けました。
しかし、まだ何が起きているのか理解出来な いようで「えっ、なに…どうしたの?」とすっとんきょうな声を出していましたが、下腹部の異常に気付くと「何しているの!止めなさい!」と叫びながら母の 必死の抵抗が始まりました。
両手で私の胸を押し返そうとします。
私はそうはさせじと母の両肩をしっかり抱きしめ動かれないように押さえつけます。
すると今 度は下半身をひねって私のペニスを抜こうとします。
その間も「いやぁー、止めて!」と泣き叫んでいます。
耳元で「じいちゃん、ばあちゃんに聞こえるよ」と ささやくと急に大人しくなりました。
その前から隣は気になっていたらしく、泣き叫ぶと言っても大声を出すほどでは無かったのです。
その間もピストンは続け ていたので母のマ○コもグチュグチュに濡れています。
今考えればそんな禁断な状態に母も興奮していたのかも知れません。
母は涙を流しながら観念したのかじっとはしています。
また私はゆっくりと動き始めました。
動く度にヌチャヌチャと音がします。
母は何かを我慢するかのように眉間にシワをよせていましたが、やがてシーツを握りしめ、体をそらし始めました、段々ピストンのスピードを速めると遂に母の両腕が私の背中に回り、抱きついて来ました。
下から下腹部 を押し付けて来ます。
息が荒くなっています。
母が感じている!そう思うと嬉しくなり更にピストンを速めました。
そして今まで感じた事が無いほどの快感が押し寄せ、思い切り母の中へ放出していました。
それを感じとったのか母も思い切りのけぞり、両脚を膠着させ逝きました、私は母に覆い被さったまま肩で大きく 息をしていました。
母も息も絶え絶えの様子で横たわっています。
お互いに何も言いません。
と言うか言葉がないと言った方が正しいでしょうか。
下になっている母が可愛く見え、唇を合わせると母も舌を絡めて来ます。
しばらくそうしていると私のペニスがまた大きくなって来ました。
それに気付いた母は「アラッ! やっぱり若いわね」と言いながら二人の結合部分に手を持って行き、じかに私のものを触り、「硬くて大きい」と言いながらさすっていました、
「不思議なもの ね、お前が出て来た所にまた帰ってくるなんて…」
「高校の時からやんちゃなおちんちんだったわね」
「えっ、知っていたの?」と私が聞くと
「当たり前じゃな い、気付かないはずがないでしょう?あんな 事されて…」母はそれ以上の事をされたら叱りとばすつもりだった事、年頃だから性に興味があるのは仕方ないと思って知らないふりをしていた事を話した。 「でも今日はさすがに酔っていたせいもあって気付かなかったわ、しょうがない子ね!」と軽く笑った。
そして「これは夢よ!2人とも夢を見ているの、だから 目が覚めたらおしまい。分かった?約束よ!」母は私に言いながら自分にも言い聞かせているようでした。
私は「まだ目が覚めていないよ」と言いながらまたピストンを始めました、母も
「今日は起きれないかもと言ったでしょう?」と言いながら背中に手を回して来ました。
結局その後、朝まで3回ほど交わりました。
中出しでしたが幸いに妊娠もせずに済みました。
母とはその夜限りでしたが良い思い出として残っています。その後は以前の親子関係でいます。

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告白(転載) 母さんにフェラと挿入後におっぱいをチュウチュウ

近親相姦告白・体験
08 /07 2019
掲載サイト(Incest Taboo)は消滅。
2012年6月7日木曜日
母さんにフェラと挿入後におっぱいをチュウチュウ

お母さんは40代、元実業団バレーの選手で全日本のメンバーでした。
今はリポーターなどをしているN・Mさんの先輩に当たるそうで、現役時代の写真の中に
何枚かチームメンバーとのショットがあり、N・Mさんとの2ショットもあります。
しかし、試合にはなかなかでられず、どんどんと後輩に先を越され、実業団チームから
解雇されたそうで、それが今でも悔しいみたいです。
その後、転職した会社の同僚と結婚し僕が生まれました。
中学校の母親参観では、身長の高いお母さんは人目につきやすく、またそこそこに美人
だったので、同級生からはよく羨ましがられました。
そんなお母さんを僕が女として意識してしまったのは、高校1年の夏休みの事でした。
長期出張が多かった父親が赴任先のOLと不倫関係になり、お母さんとすったもんだの挙
句に離婚した事がきっかけでした。
専業主婦だったお母さんはパートに出るようになり、そこで仲良くなったおばさんの紹
介で、土日のママさんバレーチームに参加するようになりました。


初試合の3週間ほど前にユニフォームができ、それを試着したお母さんを見ました。
Tシャツに黒い短パン姿のお母さんを見た瞬間、僕は勃起してしまい、それ以来オナニー
する時はお母さんが20歳代で現役だった頃の黒いブルマーをはいたユニフォーム姿の
写真を見て、抜いていました。
秋ごろの事です。 その日もお母さんの写真を見ながらオナニーをしていたのですが、
うっかり寝入ってしまい、下半身は裸のまま、机にはお母さんの写真が数枚放置状態で
した。 そこにお母さんが入ってきたので、もう状況は一目瞭然、言い逃れできない気
まずい空気でした。 「洋輔!何してんの!」「お母さんの写真見て、変な事してたの
!?」 怒涛の勢いでしかられましたが、終始お母さんはチラチラと僕のペニスを盗み
見るように視線を走らせていたのでした。
「気まずいなあ」と思う反面、お母さんが好きなことを感じてもらえるチャンスだと思
い、僕は意を決して「お母さんが好きだからこんな事していたんです。」と打ち明けま
した。びっくりしたような表情になったお母さんでしたが、「お母さんもようチャンが
好きだけどこんなことされるとショックよ。」とやさしく諭すように語りかけてきまし
た。 怒られてしぼんでいたペニスもお母さんの表情や服装を見ているうちに元気にな
り、おなかにくっつくまでに立ってしまいました。 目をそらそうとしつつもチラチラ
とみているお母さんがどうしても欲しくなり、「お母さんに気持ちよくさせて欲しい」
と小声でお願いしてみました。 しばらく、沈黙の時間がありましたがお母さんが、
「久々にお風呂に入りましょう」といってきました。 言われるがままにお母さんと入
浴しました。 終始無言でお母さんは僕の身体に石鹸をつけて、汚れを落としてくれま
した。 「お母さんの現役の写真、どうだったの?」沈黙を破りお母さんが語りかけて
きました。「美人だなって思いながら・・・」「それだけ?」「お母さんとHな事して
みたいって思いながら見た・・・」「毎日していたの?」「うん、していた」僕がそう
いうとお母さんは僕のペニスを石鹸で泡だらけにし、シコシコとやさしく、時に激しく
しごいてくれました。「お母さん!いい!気持ちいい!!」そう叫ぶと僕は勢いよく射
精してしまい、それがお母さんのオッパイに飛んで行きました。
「最初だからしかたないのよ」、お母さんはそういうとシャワーで身体を流し、先に出
て行ってしまいました。 「身体を拭いたら、お母さんのお部屋にいらっしゃい」、脱
衣場でそういうと放心状態の僕を残し、お母さんはそそくさと立ち去りました。
数分後にお母さんの寝室に向かい、ドアを開けるとそこには現役時代のユニフォームに
身を包んだお母さんが薄化粧までしてくれてまっていてくれました。
「あんまり見ないで、恥ずかしいから・・・」「お母さん、キレイ・・・」「もう!」
「実業団時代のユニフォームがまだ着れるなんて、お母さんはスタイルがいいんだね。」
「恥ずかしいからやめて、ようチャン・・・」「お母さん、好きっっ!!」
僕は実業団のユニフォームに身を包んだお母さんに飛びつき、ベッドに押し倒しました。
社名入りのTシャツに黒いブルマーとハイソックス、写真と違わぬお母さんに欲情し、僕
のペニスはまたはちきれそうになりました。 ユニフォームからは防虫剤のにおいがして
きましたが、僕はオナニー時に妄想していた「ブルマー責め」を強行しました。
お母さんのはいているブルマーを舐めたり、すそ部分を引っ張ってみたり、食い込ませて
みたりしました。 「変態な事しないのよ」と言いながらもお母さんのアソコは音を立て
ていました。 「アア!アア!お母さん!!」「ようチャン!好きよ!」めくり上げた
ブルマーから飛び出たお母さんのアソコ。僕の生まれたところ。懐かしさとともに初めて
まじまじ見た気色悪い形状。 それでもペニスからは粘つく液がたれて、僕の太腿を濡ら
しています。 「しっかり舐めてからよ!ここを舐めてからよ!」、僕はお母さんに言わ
れた部分をいいといわれるまで舐め続けました。 首筋、耳たぶ、オッパイ、アソコや太
腿、手足の指先にいたるまで、お母さんに命じられるままに。 その間、我慢できずに1
度射精してしまいましたが、お母さんが手でしごいてくれ、すぐに元気になりました。
「早くお母さんとしたいよぉ!!」僕は甘えたようにお母さんにねだりました。
「待ってなさい!」、お母さんはそういうと髪を掻き揚げ、僕のペニスを口の中に入れて
くれました。 「包茎だからやさしく舐めてあげるね」お母さんはペニスの先端の皮をま
ず舌先でチョンチョンと刺激してくれました。 「あふう!気持ちいいよぉ!!」
僕はもう赤ん坊のようにお母さんに身をゆだねて、気持ちよさに泣くばかりでした。
「ママァ!!ママァ!!」 なぜかはわからなかったのですが、お母さんをママと呼んで
僕はお母さんに甘えていました。 「ママとしたかった!ブルマ姿のママとしたかったの!」
「いいのよ、好きにして!ようチャン!!」「アアッッ!!ママーッッ!!」
ブルマーの脇からお母さんに導かれるように挿入し、2,3度腰を打ち付けたとたんに
激しく射精してしまいました。 「初めてなんだからしかたないのよ、ようチャン。」
「ごめんなさい、お母さん、僕だけ気持ちよくなって・・・」「またお母さんとしてくれる?」
「うん」、その後全裸の僕は、Tシャツをたくし上げたお母さんのオッパイをチュウチュウと
吸いながら抱かれるように眠りました。
それから2年、お母さんとのセックスは回数こそ減ってきましたが、1時間は射精せずに
プレイできるようになりました。

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。