小説(転載) 『 連 鎖 』 ( 後 編 ) 近親相姦小説 05 /21 2018 掲載サイトは消滅。こういう叙述形式はなんと呼ぶのか解らないが、正直なところ少々わかりにくい。 間奏曲もしくは断章 飛んできた拳を「彼」は避けきれなかった。 いや、避ける気がなかったと言った方が正しかったかもしれなかった。 腫れ上がった顎を押さえたままうずくまると、「彼」は自分を殴り倒した相手を仰ぎ見た。 固く握りしめた拳を「彼」の顎と同様に腫れ上がらせ、その男の全身は激しい息遣いに震えていた。 男は初老といってもいい年齢だった。が、その全身は、年齢を感じさせない強靭な筋肉を未だにまとい、うずくまる「彼」とは桁違いなまでの精気を発散させていた。 男はさらに一歩前へと踏み出した。 納まることのない激しい怒りが、男を衝き動かしていた。 うずまったまま「彼」は待った。 再び男の凄まじい鉄拳が降ってくることを承知していながら、「彼」は抗う素振りも、逃げ出す気配も微塵も見せなかった。 従容として男の鉄拳を受ける決意が「彼」の面にはっきりと現れているのを見て取った時、男の動きが止まった。 苦渋に満ちた声音が、男の口を衝いて出た。「消えろ・・・消え失せろ。お前には、この家に居る資格はない。俺が許さない」 傍らのテ-ブル上に置かれていた一冊の日記帳と一本のビデオ・テ-プを手に取ると、男は「彼」に向かってそれらを叩きつけた。 日記帳とビデオ・テ-プが「彼」の身体に当たって床に落ちた。だが、「彼」は微動だにしなかった。「これが、お前のやったことだ・・・自分のやったことを胸に手を当てて考えろ。そして犯した罪を償うにはどうすればいいか、考えろ」 言い終えた男はテ-ブルの椅子を引き、くずおれるように腰を落とした。 のろのろとした動作で「彼」が起き上がったのは、それから何分間も経ってからのことだった。 日記帳とビデオ・テ-プを手に部屋を出て行こうとする「彼」に向かって、振り向きもせずに男は言葉を投げつけた。「葬儀には来なくていい・・・いいや、来るな!お前に来てもらっても、亜佐美は決して喜ばん・・・それだけは言っておく。二度とその薄汚い面を俺の前に出すな」 そう叫んだ男の貌には、深い哀しみを刻みつけられた老いがはっきりと浮かび上がっていた。 * * * どこをどう歩いたのか。いつの間に電車に乗ったのか。まるで記憶がなかった。 気が付いた時、「彼」は馴れ親しんだ新宿の雑踏の中にひとり立ち竦んでいた。 どこへ向かうあてもなく彷徨う「彼」に行き会う人々は、例外なく道を譲り、異形のものを見るまなざしでその後ろ姿を見送った。 姿形、身なりこそまともだが、焦点の定まらぬ目は憑かれたように中空をさまよい、その唇からは呪文を思わせる低い呟きが漏れ続けていた。「姉さん、どこにいるんだ・・・」 そんなあてどもない彷徨が何時間続いただろうか。 歌舞伎町の裏道に迷い込んだ「彼」は、運悪く前から来た3人連れのチンピラのひとりとぶつかった揚句、血まみれになるまで叩きのめされた。 チンピラたちが去った後、よろばうように立ち上がった「彼」は何事もなかったかのように再び彷徨を続けた。 が、「彼」の気力も体力ももはや限界に近付いていた。 のしかかる疲労に押し潰され、一台の公衆電話にもたれかかりながら荒い息を弾ませていた半ば朦朧とする「彼」の意識の中で、何かが明滅した。 その正体を突き止めようとした「彼」の視界に飛び込んできたのは、公衆電話に貼り付けられた一枚のピンクチラシだった。 引き千切る勢いでチラシを剥がすと、「彼」はわななく手で十円硬貨を電話の投入口に放り込み、受話器を握りしめた。「はい、ハニ-ハンタ-です。お電話ありがとうございます!」 軽薄なまでに底抜けに明るい男の声が、「彼」の耳朶を打った。「あ・・・チラシ、見たんだけど・・・」「ありがとうございますッ!初めてのお電話でございますか?ご指名の女の子はございますか?なお、当店の料金システムは・・・」 たて続けに繰り出される男の饒舌を遮り、チラシの写真から目を離すことなく「彼」は押しかぶせた。「アサミ・・・さん、呼べるかい?ぜひお願いしたいんだ」「え-と、アサミ・・・ですか?はい、大丈夫ですが。お客様、ホテルはもうお決まりでしょうか?お手数ですが、お部屋の番号が決まりましたら再度お電話ください。 歌舞伎町でしたら、十分以内にお伺いできます」 相手の言葉に「彼」の視線が周囲を彷徨い、真正面の看板を見据えるのに僅かの間を要した。「ああ、とりあえずホテルは決まった。99(ツ-ナイン)というところだ」「99(ツ-ナイン)ですね。はい、承知いたしました。お部屋番号は後ほど連絡を頂くとしまして、お客さまのお名前を頂けますか?」 相手のその質問に、「彼」が強張ったのはほんの一瞬のことだった。 不意に「彼」の口調が変わった。 今までにない落ち着き払った口調になると、「彼」は厳かに呟いた。「結城です・・・結城といいます」 13 拓 也「そんな怖い顔すんなよ・・・えぇ、坊や?」「こんな所にまで来るなんて、約束が違うじゃないですか?」 あたりを窺いながら結城を庭の物陰に引っ張りむと、拓也は結城に噛みついた。「どういうつもりなんですか?僕の廻りをウロチョロして、姉さんにあんたの姿を見られたら計画が全部パ-になるじゃないですか!」 必死にまくし立てる拓也を見やりながら、結城は妙に楽しげな表情を口許に浮かべていた。「・・・・・・」「何とか言ったらどうなんですか?」「坊や、何か勘違いしてないかい?確かに俺たちは利害の一致をみて手を組んだ。 それは確かだ。しかしこの取引、全くのイ-ブンって訳じゃないんだよ。 お前さんと美人の姉貴の生殺与奪の権は、全てこの俺さまが握っているんだよ。 そこんとこ勘違いするんじゃないぜ、坊や・・・」 言いざま、結城が電光の勢いで繰り出した膝頭が拓也の鳩尾にめり込んだ。 強烈な一撃に肺の中の酸素を残らず絞り出された拓也は思わず膝を崩し、その場にへたり込みそうになった。 しかし結城は拓也が倒れるのも許さず、その髪を鷲づかみにして顔をねじり上げると、力まかせに傍らのブロック塀に押し付けた。 そうしておいて結城は、拓也の耳元に粘りつくような声音で囁きかけてきた。「もう一度思い出すんだよ・・・あん時のことをよ、えぇ?」 結城の声を聞きながら、息が出来なくなった拓也は、あえぐだけで精一杯だった。 * * *「そんな・・・二千万円なんて・・・とても用意できませんよ!」「誰も、学生ッぽのお前さんに用意しろなんて、ひとことも言っちゃいないよ。 お前と美人の姉貴には、大企業にお勤めの立派なパパがいるじゃないか? パパに洗いざらい喋って、泣きつきゃ・・・可愛い娘の為だ、一肌も二肌も脱いでくれるさ!」 結城の言葉に、拓也の全身から再び血の気が引いていった。「そ、そんな・・・親父に全部打ち明けるなんて・・・絶対にできませんよ!」「じゃあしょうがないな。こいつを、姉さんの見合相手の家に持っていくしかないか・・・ 姉さんのお相手はいいとこの倅のボンボンだったよな、確か?高く買ってくれるといいんだがなぁ・・・」「そ・・・それだけは、勘弁してください!」 それまではむしろ柔和な表情を浮かべていた結城の顔つきが、拓也のその言葉をきっかけに不意に変化した。「あれはイヤ、これもイヤ・・・甘ったれんなよ、このガキが!」 声こそ低かったものの、鋭い眼光と共に叩きつけられた結城の恫喝に世間知らずの拓也は手もなく震え上った。「いいかい、坊や?お前さんの返事ひとつで、愛する姉さんの人生が決まるんだぜ! そこんとこ、よォッく考えてごらん?」 どうしていいか分からなくなった拓也は、虚ろな眼差しでテ-ブルの上に散乱する写真を見つめていた。 ふたりが押し黙ったまま、かなりの時間が経過した。 拓也の様子を見つめていた結城は、不意に声を低めて囁いた。 「このままじゃ、お互いに妥協点なしの手詰まりって奴だな・・・。 どうだい、ここはひとつ利害の一致って奴でいかないかい? おまえさんの出方ひとつで、金の件は無しにしてやってもいいぜ・・・」「ほ、本当ですか?」 相手の態度の急変に拓也は戸惑いを覚え、猜疑心に固まった視線を向けた。「なあに、ほんのちょっとばかし俺さまに協力してもらえればそれでいいんだ」「協力って・・・まさか、お前・・・姉さんのことを・・・」「へッ、一人合点して先回りすんじゃねえよ。いくら美人でも、他人さまの姉さんなんかじゃなァ・・・」「・・・?」 意味が分からず不審気な顔になった拓也にはかまわず、結城は押しかぶせた。「そんなことは、どうでもいい。それよりも俺に協力すれば、ラブラブ状態で美人の姉さんを抱くことも不可能じゃないんだぜ・・・どうだい?」「どういうことですか、一体?僕に、どう協力しろっていうんですか?」「なあに、簡単なことさ。ちょっとしたお芝居に付き合ってもらえりゃいいのさ」「お芝居?」「そうさ。ちょとした、な・・・。それでもって、その後めでたく姉さんとラブラブ状態になったら、その様子をビデオに撮らせてもらうだけでいいんだ」「ビ、ビデオに・・・」「そうよ。実の姉弟がずっぽり濡れ場を演じている奴をな。そうすりゃあ、ネガも返してやるし、二度とお前さんたちには近づかないぜ。約束してやるよ」「そんな・・・ビデオなんて、撮れませんよ!」「何も目の前にビデオカメラ置いて、姦ってくれなんて頼んじゃいねえよ。 俺さまもそこまで悪趣味じゃぁないさ・・・」「どうだか、分かるもんか・・・」「まあ、聞きなって。お前さんたち姉弟が家やモ-テルでひといくさする時に、こっそりビデオを仕掛けておいてくれりゃいいのさ。 それが難しけりゃ、俺がビデオを担いでお前さんたちのハメ場へ出張撮影に行ったっていいんだぜ。もっとも、そん時ゃ野外でアオカンってことになるがな? どうだい、とくに厳しい注文なんかじゃねえだろう?」 これ以上はない卑しげな笑いに顔を歪めながら、結城は拓也をねめつけた。 考えるまでもなく、拓也に乗れる相談ではなかった。ただでさえ眼前の写真で、姉の人生が断崖絶壁に立たされているのだ。これ以上動かぬ証拠を、自分からゆすり屋に献上するのはナンセンス以外の何物でもなかった。 しかしそんな拓也の内心の動きを見抜いたかのように、結城は続けた。「言っとくけどな、別に乗らなくったっていいんだぜ」 そう言ってニヤリと笑うと、結城は傍らのセカンドバッグの中から1本のビデオテ-プを取り出した。「こ、これは・・・?」 果てしなく湧き上るどす黒い予感に慄きながら、しかし拓也は聞かずにはいられなかった。「これか?これァ、お前・・・」 そこで言葉を切ると、結城はさらにその笑いを下卑たものに変化させていった。「ラブホ盗撮シリ-ズ第2弾・・・実録・姉弟相姦!って、とこかな?」「ま、まさか・・・そんな・・・」「この馬鹿奴!俺さまがこれっぽちの写真だけをネタに参上したとでも思ってたか? 芯から甘ちゃんだね、お前は!これはプレゼントしてやるから、家に帰ってとっくりおさらいすんだな、手前がやらかしたことを・・・。おっと、こいつに興奮して、カキ過ぎてくたばるのだけは勘弁してくれよ!」 結城はテ-プを、テ-ブルの上を滑らせて寄越した。「よく考えたら、そうだな・・・無理に仕掛なんかしなくっても、ここみたく俺さまの息のかかったラブホは何軒もあるぜ。そこに行ってもらえば、話は簡単だぁな。 そこなら一々ビデオを仕掛けなくっても、お前ら姉弟がサカっているとこを録画できるぜ。そうだな、それがお互い一番手間なしでいいよな・・・うん、そうしようぜ、坊や!」 悪意と喜悦に固まった笑いを頬に張り付かせ、結城はひとりで頷くと拓也に笑いかけてきた。 もはや事態は、これ以上悪化しようのないところまで進んでいるのだ。今さら拒んでみてもどうにもならない。 拓也はガックリと首を落とした。「まあしかし、ものは考えようだぜ、坊や。 この日以来ずっと不完全燃焼気味のチンポコ抱えて、お前さんが悶々としてたってことは、俺さまも先刻ご承知ってやつさ。 話を聞くまでもないさ。この美味しいテ-プをじっくり拝見させてもらったからな。 いささかは同情しているってことだけは、一言付け加えておいてやろう。 それがこんなタナボタで願いが叶うっていうんだから、感謝してもらいたいくらいだぜ、ホント。 なあ、到って簡単な話じゃないか。 おまえは、実の姉を抱きたい。 俺は、実の姉と弟が姦ってるビデオを撮りたい。 寸分の違いもなく、俺たちの利害は一致しているとは思わないか? 俺たちが手を組めば、双方の希望が叶うんだぜ。 まあどうしてもイヤなら、俺も諦めるさ。そんでもって、この写真とビデオを手当たり次第にばら撒くだけのことさ」「だって、そのときは本当に何もしなかった・・・できなかったんだ! あんただってそのビデオを見たんなら、分かっているでしょうが!」 無駄な抵抗と知りつつも、拓也は最後の悪あがきを試みた。「同じこと何度も言わせんなよ、坊や。 この写真やビデオを見た奴ァ、そんな風には考えないぜ。 誰がどう見たって、ひといくさ済ませてきたばかりのおふたりさんの写真と、美味しいところをカットされた盗撮ビデオとしか見えないぜ・・・こいつァ。 姉さん、可哀相になァ。このテの噂は広まるのも速いし、おまけにいったん広まったが最後、向こう十年くらいはしつこく思い出す奴がいるから厄介だぜ。 姉さんには、二度と結婚話なんか来なくなるな・・・こりゃ間違いねえよ。 ん!?待てよ、もしかして・・・そうか!それが、お前さんの狙いだったのか?」 そこで言葉を切った結城は、今まででも最大級の卑しい笑みを口許に張り付かせて拓也の顔をのぞき込んだ。「だとしたら、大したもんだ。最低の弟だぜ、お前は・・・相当なタマだな! さすがの俺さまも、シャッポを脱ぎたくなったぜ!」「じょ、冗談じゃない・・・誰がそんな・・・」「いいかい、坊や?お前さんにそのつもりがあろうと無かろうと、ンなこたァ関係ねえんだよ。このままいきゃぁ、どっちにしたって結果は俺が言った通りになるんだよ! そこんとこ、よ-く考えてみるんだな。えぇ、坊や?お前さんにゃ、他に選ぶ道はねえんだよ!」 結局・・・拓也は堕ちた。屈服せざるを得なかった。「分かった・・・分かったよ。どうすればいいんだ?」 チッ、チッ・・・結城は舌を鳴らしながら人差指を立てると、自分の顔前でメトロノ-ムさながらに左右に振ってみせた。「おっと、これからは口の利き方にも気をつけてもらわんとな。 いいかい、坊や?『分かった』じゃない。『分かりました』だ。 さあ言ってごらん。プリ-ズ、ワンスモア・・・ん、どうした!?」「くっ・・・わッ、分かりました。これで、これでいいのかい」「ノンノン・・・『これでいいんですか?』だ! いかんなぁ、口の利き方から教育せにゃならんのか、困った坊やだぜ!」「これで・・・これで、いいんですか?」 拓也の膝の上で、握り締めた拳が微かに震えていた。「たいへん結構。じゃあ詳しい段取りの相談といくか、坊や?」 30分後、店を出ながら結城は拓也の肩を親しげにポンポンと叩いた。 知らない人間が見れば、十年来の友人に見えたかもしれない。「要はタイミングが命だからな。死んだ振りをしている俺が反対側のドアから抜け出すタイミングを見計らって、車を崖下に落とせよ。 そのために、ドアを開け閉めしなくていい車を調達してくるからよ。 間違っても、俺ごと車を落とそうなんて考えるな。 電パチの数値を大きくしたり、車ごと落として本当に俺を殺そうなんて考えているんなら止めた方がいい。 俺が一週間以内に手配りをしないと、この写真やビデオが見合相手や、姉貴の会社、それに親父さん親展で会社にも届く手筈になっているんだからよ。 ま・・・姉貴を泣かさない為にも、くれぐれも妙な考えは起こさないこった」 * * *「しっかり思い出したかい?あん時のお前は、自分の姉貴を裏切って俺と手を結んだんだよ。自分の欲望に負けてね・・・」「でも、あの時は他に方法がなかったんだ。そう仕向けたのは、あんたじゃないか!」「俺に怒ってどうするよ?お門違いも甚だしいな、お前は? 一番の根本原因は、お前が実の姉貴に一服盛ってラブホに連れこんだことじゃねえか!! それを棚にあげてよう吹くぜ、お前は・・・えェ、この変態弟が!?」「そ、それは・・・」「まあいい。わざわざここまで来てやったのは、そんな話をする為じゃない。 お前さんに約束を果たしてもらう為に、今後の段取りを詰めようと思ってな」「約束って・・・」「おっと、今さらオトボケはなしだぜ、坊や? お前さんが目出たく姉さんとラブラブになった暁には、こっちの約束も果たしてもらうはずじゃなかったかな!?」「それは分かってます、もちろん・・・でも・・・」「でも・・・何だい?」「実はまだ、その・・・ラブラブって所まではいってないんです。 なにせ、昨日の今日のことで・・・だから、その・・・」「だから待ってくれ、ってか?」「そう、そうなんですよ!」 ここぞとばかりに力を込める拓也を見つめ、結城は何もかも分かったと言わんばかりに鷹揚な態度で頷いた。「そういうことか・・・」「そういうことです・・・」・・・ドスッ! 次の瞬間、結城の膝頭が再び拓也の腹部に叩き込まれた。 油断していた拓也は、今度こそ手加減抜きの強烈な打撃にいっぺんでくずおれ、激しく嘔吐し始めた。 素早い身ごなしで身体を開いて拓也の嘔吐物を避けながら、結城は嘲りを込めて言い放った。「随分とまた舐めた真似してくれるな、この坊やは?」 抗弁しようとするが、激しい空えずきに襲われた拓也は声も出せなかった。 そんな拓也を冷酷に見下ろしていた結城は、やおらしゃがみ込むと懐からウオ-クマンを取り出し、付けたままのヘッドホンを拓也の耳に無理やりねじ込んだ。 反抗する気力も根こそぎ刈り取られ、涙で滲んだ目を上げた拓也に向かって嫌らしい笑いを浮かべながら、結城は再生ボタンを押した。 拓也の耳に、押し殺した男女の喘ぎ声が飛び込んできた。「本当に、もう終わったのね・・・タク・・・アアァッ・・・」「ハァッ・・・姉さん、愛してるよ・・・もう大丈夫だ・・・あいつは今頃、三途の川を・・・」「出来るだけ早いうちに・・・婚約解消するね・・・」「親父、怒るだろうなァ・・・」「いいの・・・私には、タクが居るから・・・」 間違いなかった。昨夜の殺人芝居の後、逃げ込むようにして入ったホテルでの姉との会話であり、今朝、秩父市内の駅で姉と交わした会話だった。「どうやって、これを・・・」「だから前にも言ったろ?壁に耳ありって・・・」 拓也のシャツの胸ポケットに手を伸ばし、有無を言わせず携帯電話を抜き取りながら、結城は悪魔の笑みを浮かべた。 拓也の脳裏に昨夜の情景が、まざまざと甦ってきた。 殴り飛ばされて、ポケットから吹っ飛ぶ携帯。 拓也を引きずり起こしながら、妙に親切ごかしく結城がポケットに戻した携帯。「ま、まさか・・・」「そう、そのまさかって奴よ。メジャ-な携帯そっくりの盗聴器なんざ、秋葉原の裏通りに行きゃあいくらでも売っているんだよ! 油断したお前さんが悪いのさ。ま、俺さまの方が一枚上手だったってだけのことだがな・・・ンなこたァ、どうでもいい。 こんだけはっきりとしたネタがあるんだ、言い訳できまい? 俺さまを騙そうたァ、ふてえガキだ!姉貴共々たっぷり仕置きしてやらにゃあなるまいて。覚悟するんだな!」「す、すいません・・・決してあなたを騙すつもりなんかじゃ・・・」「まだ言いくさるか、この変態弟が!」 靴の底を倒れた拓也の頭に乗せると、結城は力まかせに踏みにじった。「これのどこが『騙すつもりじゃ・・・』なんだ、えェ!?言ってみろ、こるらァ!!」 結城は靴底に一層の力を込めながら、拓也に囁き続けた。 淡々と押し殺した調子ではあったが、逆にその静かさが却って結城の狂気の焔(ほむら)を際立たせ、拓也の全身の肌に粟を生じさせていた。(逆らったら、本当に全部バラされる・・・いや、それだけじゃ済まない。 こ、殺される・・・) 拓也は心底から恐怖していた。 次の瞬間、その加虐心が発火点を越えたのか、地面に転がる拓也の全身を結城がところ構わず蹴りつけ始めた。(くッ・・・うゥ・・・ッ!) 胎児の体勢をとって全身を丸めると、拓也は結城の足蹴に必死で耐えた。 時間にすればほんの2、3分のことだったろう。しかし拓也にとっては、無限とも思える長い時間だった。 唐突に・・・本当に唐突に、結城の攻撃が止んだ。 グイ!と頭髪を鷲づかみにされ、拓也は顔を上向かされた。「ゆ、許してください・・・」 もうプライドも何もあったものではない。 涙と鼻水、そして鼻血にまみれた顔のまま拓也は必死で懇願した。「・・・・・・」 しかし、結城は無言のままじっと拓也の顔をねめつけていた。「本当に、ホントに・・・約束は守りますから・・・お願いです・・・」 拓也は必死で更に言い募った。 と、結城は拓也の頭髪から手を離した。「いいだろう。そこまで言うんなら、今回だけは特別にお前さんの愚かな行為に目を瞑ってやろう」「ホ、ホントですか?」 我ながら情けないと思いつつも、拓也は自分の声に安堵が混じるのを抑え切れなかった。「あぁ、本当だ。ただし・・・」「ただし・・・?」「今度こういうふざけた真似をしでかしたら、どうなるか・・・言わなくても、もう充分に分かったな?」 拓也は壊れた人形さながらに、頭をガクガク振って返事をした。「よおし、お利口さんだ・・・じゃあ、まずはそこの水道で、その薄汚いツラ洗ってこいや! 段取りの相談はそれからだ、いいな?」 結城は凄まじい膂力で拓也を立ち上がらせると、庭の水撒き用水栓を指し示しながら、口の端を僅かに吊り上げた。 それが結城の笑い顔であることに拓也が気付いたのは、ベトベトの顔を洗い終えた時だった。 14 史 子「なんだって、史子?もう一度言ってごらん」 父・修造の顔と、ビ-ルをたたえたグラスを握る手が同時にこわばるのが、はっきりと史子には分かった。 深夜勤出勤前の仮眠から醒め、手早く夕食を済ませていると、父・修造が常よりもかなり早く帰宅した。明日は篁(たかむら)専務のお供で、箱根まで接待ゴルフに出かけるとかで早く帰宅したらしい。 着替えもそこそこに晩酌を楽しみ始めた修造に対して史子が口火を切った時、金曜の夜の平和な団欒のひとときは終わりを告げた。「何度でも言います。幹夫さんとの婚約、解消させていただきます」 背筋を伸ばし、父親に向けた眼差しを逸らすことなく、一語づつはっきりと言い切った史子の言葉に、再び修造の手がわなないた。「史子、お前・・・一体、突然にどうしたっていうんだ? 今さら、そんなことが通るわけないこと、お前だって分かっているだろ?」 ようやくグラスをテ-ブルに置くと、修造は半ば身を乗り出した。「幹夫君と何かあったのか?彼に他に女性でもいたのか?」 「いいえ、幹夫さんとは何の関係もありません。これは純粋に私自身の問題なんです、お父さん・・・」「だったらなおのこと・・・今さらそんな話が通らないことぐらい、お前だって分かってるだろう?先様はもちろん、関係各所で話は既に動き出しているんだ! ここまできて婚約解消なんてことになったら、私の立場が一体どうなると思っているんだ、えェ?」 修造の声は早くも裏返っていた。予想通りの展開に、史子は湧き上がる索然とした思いを内心で噛み殺していた。 日本でも5指に入る超一流商社・東都物産の部長職にあると言っても、つまるところは小心翼々たる典型的なサラリ-マンに過ぎない修造にとって、降って沸いたように訪れた幸運が史子の結婚話だった。 会社の行事に家族ぐるみで参加した史子が、大口取引先である大手食品会社の跡取り息子に見初められたのがきっかけだった。 後日になって修造の上司である篁専務の口利きという形で見合い話が持ち込まれた時、既にこの話は史子自身には止めようのない奔流と化して、彼女を巻き込んでいた。 食品事業部長の修造と同じ部門出身の篁専務にとって、幹夫の父親が実権を握るビ-グル食品は、総合食品メ-カ-の最大手のひとつとして喉から手が出るほど関係を強化したい相手だった。 それがこのような形で叶うとすれば、万年部長の修造には諦めていた取締役への道が、篁専務には社長の椅子への道が開かれるかもしれなかった。 修造が必死になるのも無理はなかった。 この結婚話に対する修造の入れ込み方は凄まじく、篁専務が「あんまり強くネジを巻きすぎて娘さんがそっぽを向いたら、話はおシャカになるんだぞ。少しは考えたまえ!」と諌めるほどの熱の入れようだった。 しかし、そんな篁専務の諫言さえも耳に入らないほど修造は、はやっていた。 曰く、「今すぐ病院なぞ止めて、花嫁修業に専念しろ」だの・・・。 曰く、「お前、今付き合っている男はいないだろうな?もしも付きまとって仕方のないような奴がいたら、うちで使っている総会屋の手下でも使って話をつけてやる」だのと口走り、ひとり訳のわからぬ狂騒状態に陥っていた。 そんな父親を苦々しく思いながらも史子がこの結婚話に乗ったのは、大会社の御曹司にしてはまともなものの考え方をする幹夫に対して、すぐに愛情は感じられなかったものの、決して悪感情を抱いたわけではなかったからだった。 だが、今は・・・弟との禁断の恋に全身を灼く今となっては、この結婚話はもはや意味のないどころか、疎ましいものとなってしまった。幹夫には心底済まないと思う。が、幹夫とは所詮人生のレ-ルが一瞬交錯しただけだったのだ。 自分の人生のレ-ルは、弟がこの世に生を受けた時から共に歩むことが運命づけられていたのだ。 口に出すことはできないものの、そんな強い思いに背中を押されて、史子は真正面から父親の顔を見据えた。「ともかく、お話はお断りいたします。明日の夜、幹夫さんと会う約束になっていますがその時にキチンとお話をして、理解していただくつもりです」「な、なんだとォ・・・」 史子が突きつけた最後通牒に、修造は返す言葉が見つからず酸素不足の金魚さながらに口をパクパクさせ、青ざめるだけだった。 父親以上に、母親の美佐子がおろおろして取り乱すかと不安に思っていた史子は、視線を修造の隣に座る母に移した。 普段から無口で、絶対専制君主の父に口答えしたことのなかった母・美佐子がいきなり言い放った。「史子が決めたことなら、それでいいわよ。後悔、しないのね?」 史子は、思わず母の顔をまじまじと見直してしまった。「どうなの、史子?」 今だかつて一度も聞いたことのない、厳しい口調で母は史子の目をまっすぐに見据えていた。「はい・・・後悔、しません!」 史子もまた、あるだけの意思を込めて母親を見返した。「分かったわ、母さんは反対しないわ。史子の好きになさい!」「ちょっと待て!そんな簡単に決められちゃ、たまんないぞ・・・私の立場は一体どうなると思っているんだ?」 修造の悲鳴にも似た絶叫が上がるが、美佐子は全く動じなかった。「時間でしょ、史子?仕事に行きなさい。あとは、私がお父さんに話します。 あなた・・・これは、史子の人生の問題なのよ。史子は、あなたの出世の道具なんかじゃないのよ!」 美佐子は修造に向き直ると、一歩も引かない口調で決めつけた。「な、何だとお・・・」 結婚以来初めて見せられた妻の強烈な意思表示に、修造は二の句が告げず再び口をパクパクさせた。 そんな両親に向かって、史子ははっきりと宣言した。「お母さん、分かってくれてありがとう!私、自分の思う通りに生きてゆきます。 じゃあこれから深夜勤なんで出掛けますけど、今は私もちょっと興奮してて冷静じゃないから事故るといけないんで、タクに送ってもらいます。 悪いけど車出してくれる、タク?」「あ、ああ・・・構わないけど」 弟を促して立ち上がると、史子はリビングを後にした。 ドアを閉める瞬間、押し殺した、しかし圧倒的な迫力で修造を威圧する美佐子の声が、史子の耳に飛び込んできた。「あなたとは、三十年近い年月を一緒に過ごしてきました。でも、子供たちの幸せを第一に考えてやれないようなら、私にも考えがあります・・・」 ドアを閉め終えた史子は、思わず弟と顔を見合わせていた。「なんか、エラいことになったね・・・」 エンジンを暖めるべくしばらく低速ギアで徐行運転をしながら、弟が軽いため息をついた。「このぐらいでビビっていて、どうするの?私たちのこと、お父さんやお母さんに話すときはもっと修羅場になるわよ・・・」「え・・・やっぱ、話すのかよ?」 瞬間、蒼ざめた弟の頬を、史子はからかい気味に指先で突っついた。「当たり前でしょう?今すぐとはいかないけれど、折りをみて話だけはしなくっちゃ。 もちろん賛成してもらえるとか、理解してもらえるなんて思ってはいないわよ、私だって・・・」フロントウインドウにひたと視線を据えると、あたかもそこに両親がいるかのように、史子は低くしかし力強い声音で語りかけた。「今すぐ分かってくださいなんて言いません・・・でも、知っていて欲しいんです。 私たちは血のつながりを越えて愛し合い、結ばれたんです。 世間や他人どんなに糾弾しても、その絆を壊すことは絶対にできません。 悲しまないでください。誇りに思ってくださいとは言いません。でも私たち、人間として恥ずかしいことをしてはいないって・・・それだけは、いつか分かってもらえると思っています。 どんなに時間が掛かっても・・・」 そんな史子の言葉に、ようやく弟が頷いた。「分かったよ、姉さん。僕も、同じ気持だよ」「ありがとう、タク。無理言ってごめんね」「ううん・・・僕こそ、そこまで考えてあげなくて、済まないと思っているよ。 それにしても、一緒に出掛けられるように上手く話を持っていってくれたね、姉さん?」 少し顔を赤らめながら、史子はぼそぼそと呟いた。「ゴルフで出掛ける前の晩は、父さんいつも早く帰ってくるじゃない?だから父さんの予定を耳にした時、今夜ならいいかなって思ったのよ・・・」「そこで、入ってもいない深夜勤と偽って出掛けるとは・・・姉さんも策士だよね。 今ごろお袋にボコボコにされてる親父はいい面の皮だね。見直したよ、姉さん」「ちょっとォ・・・なあに、その言い方?ひっど-い! だって、この間からもう何日もふたりっきりになれなかったんだよ。 家の中で姉弟として一緒に過ごすことはできても、全然恋人同士っぽくできなかったんだよ。私、寂しかった・・・」「ごめんごめん・・・そんなつもりで言ったんじゃないんだよ。 凄く嬉しくってさ、何て言うかさ・・・ちょっと調子に乗っちゃたみたいで、悪い! 僕だって、この何日かずっとそうしたかったんだよ。姉さんと、恋人同士として過ごせる時間が欲しかったのは、僕だって一緒さ! でもまさか、親父やお袋の前でイチャつくわけにはいかないだろう?」「そんなことわかっているわ。でもね、毎晩毎晩思っていたのよ。今夜こそ、タクが私の部屋に来てくれるんじゃないかって・・・」「いや、僕だって行きたかったけど、やっぱマズイよ。気付かれたら一発で終わりになるしさ・・・」「私は・・・そうなったらそうなったで、いいって思っていたわ! やっぱりタクは、人に知られるのは嫌なの・・・私たちのこと?」「嫌とか、良いとかいう問題じゃないだろう?それに僕はまだしも姉さんだけは、世間の心ない中傷にさらしたくないんだ。 前に約束しただろう?どんなものからも、姉さんを守ってみせるって・・・あの言葉、今でも引っ込めるつもりはないからね。 僕の人生は、姉さんのためにあるんだ。それを忘れないでよ!」「タク、あなたって・・・」 知らず知らずに涙がこぼれそうになっていた史子は、シフトレバ-を握る弟の手をぎゅっと握り締めた。「ところで、どこに行くの?あんまり遠くに行くわけにもいかないけど、かといって近過ぎると、それこそ私たちの顔を知った人に見られないとも限らないわ。 どこかいい場所知ってるの、タク?」「任せて頂戴・・・ってとこかな?実は、いい所見つけておいたんだ」「本当、タク?」「インタ-ネットでラブホ、おっとファッション・ホテルっていう単語で色々検索していたらヒットしてね。何より、出入が他人の目に付き難いらしくって大人気だそうだよ」「でも、そんな所・・・満室じゃなくって?」「今日は水曜日でもろに平日だよ。ホテルが満杯のわきゃないっしょ?」 弟のその言葉に、史子も思わず吹き出してしまった。「そっか・・・そうよね!よ-し、レッツゴ-!」「あのね、姉さん・・・ま、いいかッ」 苦笑しながらアクセルを踏み込む弟に向くと、その頬に史子はキスした。「うわ-お!」 車は夜の街道を蛇行し始めた。 15 結 城 そこはカ-セックス・スポットとして、とみに名の知られた湾岸道路沿いの空き地地帯だった。 バブル崩壊で身動きの取れなくなった数千坪単位の土地の中で、無数の雑草たちが我が世の春を謳歌している。 無論、そこここにフェンスや有刺鉄線が張り巡らされてはいるものの、押し寄せるアベックたちのたぎる欲求は、それらをものともしていなかった。あちらでもこちらでもフェンスが壊され、有刺鉄線が引き千切られ、実質的には空き地への出入はフリ-パスに近かった。土地の所有者たちもその事実は知っていたが、それらの回復なぞに割く金も時間もない者が大半で、出入の自由は当分の間保障されたも同然の状態だった。 今しも茂みの中で折畳み椅子に腰を下ろすと、結城は三脚の雲台に据付けたスタ-ライト・スコ-プの調整に余念がなかった。 伝手を辿って入手した米軍横流し品の為やや旧式だが、結城の自慢の一品であり商売道具として欠かすことのできないものだった。文字通り星の光ほどの光量があれば、電気的に数千倍に増幅してあたかも真昼の如き映像を見せてくれるこの機器を手に入れてから、仕事の何とやり易くなったことか。 スコ-プ本体を慈しむような手つきで撫ぜると、結城はおもむろにアイピ-スに目を当て、光量調整ダイヤルを操作しながら狙いを定めた。 スコ-プのレクティルに、鮮明なグリ-ンの画像が飛び込んでくる。 こちらに鼻面を向けた一台のワンボックワゴンの運転席と助手席でモジモジし始めている男女の姿を見て取り、結城の口許にいつもの笑みが浮かぶ。 耳にねじ込んだイヤホンを再度確かめると、結城はもうひとつの武器を慎重に動かした。 野鳥や野生動物撮影用にビデオに連動させて使用できる超高性能ガンマイクだ。数百メ-トル離れていても対象物の音を拾うことの出来る、正真正銘のプロ用機材だった。 スコ-プとガンマイクの向きを慎重に合わせ、ピント調節や集音レベル、暗騒音補正をも同時に行う。 イヤホンを通して、押し殺した話声が聞こえてくる。「なあ、美樹子・・・いいじゃないか?」「いやよ、兄さん・・・こんなところじゃイヤよ!」 女の方は真剣に嫌がっている様子だ。 どうやら久しぶりの当たりが来たようだ。この場所で張っていて近親相姦カップルを見つけたのはこれで3組目だった。 兄と妹のカップルで、妹の方が野外でのカ-セックスに難色を示しているようだ。(さあ、お兄ちゃんや・・・腕の見せ所だぜ。上手いこと口説いておくれよ) 足元に置いたビデオが順調に録画を開始しているのを確かめると、結城は全身の力を抜いた。 ゆったりとした気分で完全にリラックスした体勢になり、アイピ-スから目を離すと、スイングトップのポケットから取り出したスキットルの栓を捻り、その中身を一口呷る。 一瞬焼け付く熱さの余韻を残して、琥珀色の液体が結城の喉もとを滑り落ちていく。 思わず小さなため息が漏れる。 待ち伏せの最中は煙草を吸うわけにもいかず、せめて喉を潤す以外にない。ならばここは贅沢をするにしくはなく、いつも結城のスキットルにはバランタインの12年物が詰め込まれている。 スキットルをポケットに仕舞い込み、再びアイピ-スに目を当てた結城の口許は邪悪な期待に歪み、何ものも見落とすまいとばかりにレクティルに映る映像に見入った。 イヤホンからは必死に妹を口説き続ける兄の声が流れ込み、映像とシンクロしながら結城の裡に妖しい色の焔を灯し始めた。「そうだァ、いいぞゥ・・・」 ワゴンの車体が少しずつ揺れ始めた。 妹の上着の中に手を入れた兄が、その乳房を強く揉んでいる。 拒みながらも結局拒みきれず、切なげな吐息を切れ切れに漏らし始めた妹の顔にぴたりとフォ-カスを調節する。 上唇を舐めながらスコ-プレンズを調整する結城の手許が、わずかに震えている。「姉さん・・・亜佐美・・・」 結城の唇を割って、かすかな声が漏れた。傍らに誰か居たとしても、ほとんど聞き取れないほどの呟きだった。 レクティルに映る画像を追う結城の視線は、しかし何か別のものを追い求めるように揺れ動き、実際の画像を追ってはいなかった。その表情には懈怠とも悔悟とも見える複雑な色がよぎり、この男には珍しく剥き出しの感情がその面にはっきりと浮かんでいた。 それは、何か遠い記憶に揺り動かされている表情に見えた。 ふと我に返った結城は、逍遥する意識を無理やり押しやると、改めてアイピ-スに意識を照準し直した。 いつの間にか妹を押さえつけた兄が、激しく全身を撫で廻し始めている。「いいぞ、お兄ちゃん・・・その調子だ」 口許を喜悦に歪ませた直後、結城の眉根が寄った。 ワゴン車の助手席脇に群生しているツツジの植込みが、かすかに揺れていることに結城は気付いた。 仕方なく三脚の雲台を軽く横に振り、スコ-プを覗き込んだ結城の口許から、いまいましげな舌打ちが漏れた。 茂みから伸び上がってワゴン車の車内を覗き込もうとしている中年男の姿を、スコ-プのレクティルが捉えた。 ご同業の登場だった。 再びスコ-プをワゴン車に向けて戻すと、豹を思わせるしなやかな動きで椅子から立ち上がった結城は茂みの背後に移動した。 覗きに全神経を奪われた男の背後に音もなく忍び寄ると、亀さながらに伸びきった男の首筋に結城の両腕が毒蛇を思わせる動きを見せて巻きついた。 一瞬の早業に、男は声も上げられずに硬直した。 首に巻きついた結城の腕を離そうと男はもがくが、頚動脈の血流を瞬間的に止められた男の脳が酸素不足に陥り、身体が動きを止めるのにさほど時間は要しなかった。 ほんの1分足らずだった。 全身の力を失ってぐにゃりとなった男を引きずって、結城は闇の中を後退した。 暗がりの中を50メ-トルも引きずっただろうか。やっと物陰に男を引きずり込んだ時には、さすがに結城も肩で息をしていた。身長こそないものの、肥満体の上に気を失った男の身体は異様に重く、結城は小声で男をののしっていた。 ガムテ-プを取り出すと、結城は男の両手の親指同士を後ろ手にまとめてきつく縛り上げた。さらに目と口をふさぐ格好で、頭の周囲にもテ-プをぐるりと巻き付ける。 男をその場に置いて立ち上がった結城の耳に、エンジンが掛かる音が聞こえた。 思わず振り向いた結城の目の前でライトが点灯する。すかさずしゃがみ込んだ結城の前を一台の車が横切り、スピ-ドを上げて走り去ってゆく。 今の今まで、結城のビデオが狙っていたワゴン車だった。 覗き屋を締め上げている最中に外れたイヤホンをはめ込むが、兄妹の話し声はしない。 恐らく既に第1ラウンドは終了したのだろうが、ヤリたくてヤリたくてサカリがついた兄妹は第2ラウンドを落ち着いて楽しむためにホテルにでも移動するつもりとみえる。「ま、いいか・・・」 今日のところはとりあえず第1ラウンドをしっかりとビデオに収めてあるし、ワゴン車のナンバ-も控え済みだから慌てることはない。 遠ざかるワゴン車のテ-ルランプが闇に没するのを見送り、撮影機器の許へ戻った結城の全身がいきなり硬直した。 茂みの中で、スコ-プを装着したビデオカメラが三脚ごと倒れていた。 男を締め上げに動いた際、バッテリ-ユニットから伸びるケ-ブルを知らずに足で引っ掛け、三脚を倒してしまったようだ。 自身の犯した、らしからぬ失態に結城の口許から今度は本物の舌打ちが漏れた。 見る間に、結城の顔色がどす黒い憤怒に歪んだ。 転がったままの男の許に足早に戻ると、結城は薄手の皮手袋をきっちりはめ、男の上着の内ポケットを丹念に探って紙入れを引っ張り出した。 収められた数枚の紙幣を額面も改めず一枚残らず抜き取り、無造作に自分のポケットにねじ込む。次に2枚のクレジットカ-ドを抜き出し、迷わずこれもポケットに直行させる。 最後に免許証を手にした結城は一瞬思案したが、軽く首を振って紙入れに戻し、そのまま紙入れごと手近の茂みに放り捨てた。 あたりを窺って人影がないことを確認すると、ガムテ-プを付けたままの男の口に力まかせに靴先を蹴り込んだ。 ガムテ-プ越しにもはっきりと分かる歯が折れる嫌な感触と共に、意識を取り戻した男の口許からくぐもった悲鳴が上がる。 だがそんなことにはお構いなく、結城は蹴り込んだ靴先に一気に全体重をかけた。 ガムテ-プが裂け、結城の靴先が一気にめり込むのと同時に、ゴキッ!という不気味な音を響かせながら顎が外れて、男の顔がいきなり長く伸びた。 顎が外れてもなおも執拗に抗う男に、結城の蹴りが続けざまに炸裂した。 脇腹に、首筋に、そして肛門に向かって一発、二発・・・手加減抜きの渾身の力を込めた結城の蹴りが、これでもかとばかり男に叩き込まれる。 必死で立ち上がろうとする男の膝裏を蹴りつけて再び地面に這わせると、結城はいっそう容赦ない蹴りをお見舞いした。 くぐもったうめき声を上げながら必死で抗っていた男の動きが、次第次第に弱くなる。 休みなく数分間も蹴りつけていた結城の靴先から、不意に抵抗が消え失せた。 足を止めて男の様子を窺った結城は大きく息を吸い込むと、最後の一発とばかり渾身の蹴りを男の脇腹にめり込ませた。 肋骨と思われる骨が折れる衝撃を靴先に感じた結城がにやり!とするのと、男の口から化鳥を思わせるうめきが一声だけ漏れるのが同時だった。「邪魔しやがって、このクソが!」 完全に動かなくなった男に向かって一言吐き捨てた結城は、設置した撮影機器の許へ足早に戻ると、暗闇をものともしない馴れた手つきで機器を撤収した。 撤収には5分と要しなかった。 近くに停めたチェロキ-に撮影機器を積み込むと、結城はエンジンを掛けながら携帯を取り出し、素早くボタンを押した。 待つ間もなく相手の受話器が上がる。「結城だ。遅くて悪いが、アメックスとJCBが一枚づつ手に入った。 ああ、そうだ・・・明日の朝までは大丈夫だ。アシのつく心配はない。 これからそっちに行くから、準備していてくれ・・・手数料はいつもと同じでいい。 それじゃ」 一気にまくしたてて携帯電話を切り、ギアを入れ車を発進させようとした結城のジャケットの内ポケットで、納めたばかりの携帯電話がブルブルッ!と振動を始めた。 踏んでいたクラッチから足を離しながら携帯を取り出し、素早く受話ボタンを押す。「あ、あの・・・」 押し殺した若者の声が流れ出す。「いよう、タクちゃん・・・どうした?」「今、例の指定のホテルに向かっています」「ほう・・・そりゃまたご苦労なこって。で、今はどこだい?」「東関東自動車道の市原サ-ビスエリアで給油してるとこです。今、スタンドのトイレからです・・・」「ようし、分かった。じゃあ先方には連絡しとくから。いつものお前さんの、あのポンコツだな?」「・・・そ、そうです・・・」「じゃあ、しっかりお姉ちゃんを可愛がってやるんだぜ・・・へへッ!」「あの・・・」「何だよ?」「これで、本当に勘弁してもらえるんですよね?もう僕たちには、一切近付かないでくれるんですよね?」 縋るような相手の声音に、結城の口許にいつもの邪悪な笑みが浮かび上がるが、そんな様子はおくびにも出さず、結城は頷く。「ああ、その約束だからな・・・その代わり、しっかり励むんだぜ、いいな?」 低く口笛を吹き吹き一旦携帯電話を切ると、結城は別の番号をダイヤルし始めた。 16 史 子 ドアを後ろ手に閉めた史子の眼に飛び込んできたのは、正面に立ちはだかる大きな一枚ガラスで構成されたサッシ窓だった。本来、隠密性を旨とすべきこの手のホテルの常識からすると、それはあってはならない建物の造りだった。 反射的に窓に近寄りカ-テンを引こうとした史子は、思わず窓辺で息をのんだ。 そこには予想していなかった光景があったからだ。 窓の先には芝生を植えた庭が広がり、その一番奥には丈の高い木々が密生している。 そして窓のすぐ前から芝生の間を縫ってタイルを敷きこんだ小径が続き、その先には小さな東屋(あずまや)が建っている。東屋の屋根の下には、豪華な檜製の浴槽が据えてあった。 木々の隙間を通して僅かに見える眼下には、流れるように左右に動くライトの群れが見え隠れしている。恐らくさっき下りてきた高速道路なのだろう。 つまりここは高速道路よりかなり高い位置にあることになり、よほどのことがなければ外から覗き見されることはなさそうだ。 すこしほっとして窓に手を掛けながら外の光景に見とれた史子は、唐突に後ろから抱きしめられて小さく嬌声を上げた。「あ、こら・・・ダメよ、タクったら、もう・・・」「どォ、姉さん・・・気に入ってもらえた?」 耳に息を吹きかけるようにして問いかけてくる弟に、史子はくすぐったさを隠せずに身を捩って逃れようとした。「いや・・・くすぐったいよ、タク」 が、そんな史子を逃がすまいとばかり、弟はその両手にいっそう力を込めて抱きすくめてくる。「待ってたよ、この時を・・・姉さん!」 長く美しい史子の黒髪に顔を埋め、その匂いを思い切り吸い込む弟の様子に史子も抗うのを止めた。 得もいわれぬ幸福感が史子の胸にじわり、と広がっていく。 この半月もの間、こんな時間が来ることを史子はずっと願っていた。 「好きなの、タク・・・大好きよ・・・愛してるわ!」 やおら振り向いたかと思うと、その美しいかんばせを羞恥に赫く染めながらも、史子は弟に改めて自分から愛を告白した。 そして史子は、迷いひとつ見せずに自分から弟の唇にむしゃぶりついていった。 最初は唇同士だけが触れ合うキスだったが、どちらからともなく口を開くと、姉と弟は互いの口に舌を差し込み、粘膜を舌先で探り合い、舌と舌を絡ませ合いながら互いの唾液さえもすすり合った。 ようやく名残惜しそうに唇を放した姉弟双方の唇からは、共に唾液が糸を引いて垂れていた。「ね・・・せっかくだからお風呂、入ろ!」 唇を離した後も弟の目から片時も視線を外さず、見つめ続けたまま史子は囁いた。「えェ、マジ!?」「いいじゃない。せっかく、こんなお風呂があるところに来たんだよ。 ねえ、入ろうよォ・・・」「うん・・・分かったよ」 弟の返事に少しの間と、言い淀む気配があった。 普段の弟からすると妙に歯切れの悪い物言いに、史子はちょっと小首を傾げた。(照れているのかしら・・・) 既に一度は互いの恥ずかしい部分を完全にさらけ出し合って、ケダモノのように激しく結ばれているのだ。そんな風に恥ずかしがったり、照れたりしなくてもいいのに・・・。 確かに前回は普通の精神状態ではない状況下で、半ば衝動的に結ばれたのかもしれなかった。今日とは、少し違うかもしれない。 今日は前回と違って、始めっからホテルに行くという共通の認識に立ち、ここまでやって来た。そのものズバリの目的で、いま私たち姉弟はここにいる。 やっとふたりっきりになれた嬉しさの反面、正面きって意識してタブ-を破ろうとしているという事実に、弟は怯えのようなものを感じているのかも知れなかった。 ならばそれを解き放ち、導いてやるのが、歳上でもあり少なくとも性については弟よりも経験を積んでいる自分の役目だろう。 そう決心すると、史子はやおら身に付けていたものを脱ぎ始めた。 そういえば、結城を殺した夜に入ったホテルには室内にプ-ルがあったっけ。よくよく特徴あるホテルに縁があるのかしら。 そんな風に考えると、史子は妙に可笑しくなってしまった。「何さ・・・何がそんなに面白いの?」 史子とは対照的にやや躊躇いがちに服を脱いでいた弟が、不思議そうな面持ちをした。「何でもないわ・・・お先!」 先に脱ぎ終わった史子は、思いきってサッシに手を掛けた。 その大きな面積の割には意外と軽い手応えだけ残して、サッシは簡単に開いた。 5月の夜気の中に踏み出された史子の足裏は、ひんやりとした素焼きタイルを踏みしめた。どこか素朴で不思議な温かみのあるその感触に、史子の心は不思議な高揚感に包まれ一糸もまとわぬ全裸であることも忘れて、軽いステップを踏みながら史子は露天風呂に近付いた。 近付いてみると、室内から見ているよりもずっと大きな浴槽であることが分かり、史子は少しはしゃぎながら弟を振り返った。「早やくゥ、タク!すっごい大きいよ、このお風呂!」 そんな史子のはしゃぎように苦笑いを浮かべながら近付いてくる弟に向かって、史子はいきなり浴槽の湯を両手で掬ってかけ始めた。「あ、こら・・・」 口ではそう言いながらもようやく付き合う気になったのか、弟も「そんなことすると、お仕置きだァ!」と叫びながら、駆け寄ってくる。 すかさず浴槽のへりに沿って走り出す史子を、弟も笑いながら追いかけ始めた。 公園の遊具でじゃれ合う幼児さながらに、姉と弟は邪気のない追いかけっこにいつまでも興じた。 車の走行音以外には何も聞こえない静かな5月の夜気の中、裸足で素焼きタイルを踏みしめ走り回る姉弟の足音と嬌声は、いつかな止みそうもなかった。「キャッ!」 息切れを静めようと浴槽のへりに掴まって呼吸を整えていた史子は、背後からいきなり弟に抱きつかれて軽い悲鳴を上げた。 もっともその悲鳴はかなり甘い、鼻にかかった吐息と言った方が正確だったかもしれない。なにしろヒップにめり込む勢いでグイグイと押し付けてくる肉の棍棒の凄まじく熱く、硬い感触に史子の股間もあっという間に熱くなっていたからだ。(このままじゃ、すぐに気持良くなっちゃう・・・そんなの、ダメ・・・) 激しく火照る美しいかんばせを捻じ曲げ、史子は弟を睨みつけた。「こら!どこの暴れん棒将軍だ、このヘンなものは!」 電光石火の早業で伸びた史子の掌が弟の勃起を捕まえ、いささか手荒に捻り上げた。「うッ・・・ダメだよ、姉さんッ!そんなことされたら、あっという間に出ちゃうよ!」 嬉しいとも苦しいともとれる弟の悲鳴に、史子の瞳が妖しく煌いた。「だったら・・・一回、出しておく? どうせ一回くらい出しても、この暴れん棒将軍は収まらないでしょ?」 内心の激しい羞恥を押し殺して、史子は弟に囁いた。「・・・(ゴクッ!)それって・・・そのぅ、つまり・・・」 生唾を飲み込み、歓喜のあまり全身を硬直させる弟にさらに追い討ちをかける。「出したいんでしょ、私の口の中に・・・?」 真っ赤になって頷く弟に、史子はわざと怖い顔をして見せた。「いいわよ、タク。姉さんが・・・口で、してあげる! その代わり、あとで私のこともちゃんと気持ち良くさせてね!もしも、自分だけで勝手に気持ち良くなって、姉さんのこと置いてけぼりにしたら・・・姉さん、承知しないからね!いいこと?」 一も二もなく頷く弟の瞳の中に『弟』ではなく、『男』だけが持つ性に対する激しい欲望の炎を見出して、史子の身裡にも歓喜の震えが走った。(タクに需められてる・・・) そう考えただけでさらに史子の下腹部は熱をもち、今にも熱いしたたりを漏らしてしまいそうだった。 身体を起こすと、史子は弟の身体に手を掛けた。 史子の潤んだ瞳で見つめられ、甘い声に囁きかけられ思わず唾を飲み込んで一心に頷く弟を、史子は可愛いと思った。「そこに、横になって・・・」 浴槽の傍らに大きめの木製ベンチがある。ご丁寧に大ぶりのバスタオルまで掛けてあるところをみると、ここで一戦に及ぶカップルも少なくないようだった。 ベンチに仰向けに寝転んだ弟の足の間に両肘を突くと、史子は上半身を起こした体勢のまま弟の股間に顔を近づけていった。 そこに聳え立ち、かすかに震えている肉の棒に史子の視線は釘付けになった。 史子の意識から一切の雑念が消えた。 かけらほどの躊躇もなく、史子は唇を近づけ・・・そして、含んだ。 弟の亀頭を口に含んだだけで、その下半身がピクリ!と反応するのが分かる。「くッ・・・」 生まれて初めて体験する強烈な刺激にたまらず、息を呑んで呻き声を上げながら必死で耐える弟のありさまを、舌と唇を使いながら史子は上目遣いに見つめた。 弟の呼吸が次第次第に荒くなっていくのを感じ、史子はさらに舌と唇を動かす勢いを強めていった。「姉さん、気持イイよ・・・」 囁き同然のかすれた声を発して呻く弟の、まぎれもなく感嘆し、狂喜しているさまに、史子自身も歓びを感じていた。 弟が喜んでいる・・・私の口と舌に、弟が喜んでくれている。 実の弟の肉の棒を咥え込み、フェラチオにいそしむ姉。それが今の私。弟との口腔性交に狂喜し、弟の精液を飲んでもかまわないとさえ思っている自分自身が不思議ではあったが、そんな自分を厭う気持はまるでなかった。 ひとは、世間は私を許さないだろう。でも弟を、タクのことを好きだというこの気持は偽れない・・・何があっても。 ならばいくところまで、いってしまう他に手はない。 その思いが、史子をしてさらに深く弟の肉の棒を飲み込ませた。 あふれ出る唾液を潤滑油に、頬を膨らませながら裏スジを舌でなぞり、歯茎の裏で先端部を刺激する。「うう・・・姉さん・・・」 史子の頭を両手で押さえ、歯を食いしばって快感に耐える弟に精一杯の愛情を込めて、その愛おしいものに口唇で愛撫を続ける。「んん、レロレロッ・・・んムムッ・・・美味しいよ、タクぅ!」 弟の肉の棒を咥え込んだままの史子の口の端から、これ以上はないほどの淫らがましくくぐもった声が漏れ出た。 亀頭の先端を持ち上げると、その裏側を舌と唇でねぶり廻してやる。 玉袋も忘れてはいけない。音をたてて口に吸い込み、これも飽くことなく舐め回す。 史子の口許からこぼれ落ちた涎が糸を引いてしたたり落ち、床の素焼きタイルに黒い染みを作った。 口一杯にほおばった弟の勃起に舌を巻き付けるようにしてからみつかせ、再び口から引き抜いていく。弟の亀頭の膨らみを口腔内に残したまま、その先端を舌でくすぐってやる。かと思えば、またグッと喉の奥まで飲み込んでやる。 緩急を心得た史子の巧妙な口戯に、もはや弟が射精を抑えきれなくなっているのは明らかだった。「あうッ、姉さん・・・もう、もうダメだッ!」 遂に臨界状態に達したのだろう。 とっさに自分の頭を引き剥がそうとする弟の動きを察知した史子は、弟のものを咥え込んだまま首を振って、弟の手を止めさせた。「うぅ・・・出ちやうよ!姉さん、いいの!?」 最後の力を振り絞って耐えながら発した弟の問いに、口一杯に弟のものを咥えたまま、史子ははっきりと頷いてみせた。「あ・・・はぅッ!」 瞬間、その顔が泣き笑いのように歪んだかと思うと、史子の口の中で弟の肉の棒が激しく炸裂した。「ぼッ、僕のザ-メン・・・飲んでくれッ、姉さんッ!!」 絶叫と共に口腔内と喉の奥にまで叩きつけられた弟の白濁液の感触に、史子もまたイッてしまった。 熱く湿った下腹部の先端から、半透明の粘っこい液体が漏れ出したかと思うと、太腿内側を伝ってしたたり落ちた。その淫らがましい感触に、史子の全身は甘美な背徳感に包まれた。 咳き込みそうになる衝動を喉に力を込めてねじ伏せ、弟の放った精液を史子は夢中になって飲み込んだ。少し青臭い独特の匂いも、粘りつくような感触も気にならなかった。 一心不乱に口と喉を動かしながら、史子は弟の放った愛の形を受け止め続けた。 だが、腰を震わせながら弟が吐き出し続ける精液は、飲み込んでも飲み込んでも史子の口腔にあふれ返り、いっこうに尽きることを知らなかった。 遂には、史子の口の端から一条の白い糸となってしたたり落る始末だった。 そんな史子の様子に慌てた弟は、今度こそ引き剥がすように自分の勃起を史子の口腔から抜き放った。「ご・・・ごめんよ、姉さん・・・間に合わなくって・・・大丈夫?」 ずっと呼吸を止めたまま弟の精液を飲み込んでいた史子は、突然開放され却って激しく噎せこんでしまった。「いいのよ・・・ゴホッ・・・凄っごく濃かったし、量も多くてちょっとビックリしたけど大丈夫よ。だって、タクの出したものだから・・・全然平気よ。 姉さんは、喜んで飲んだんだからね・・・あなたが気にすることなんかないのよ!いいこと、タク?」 口の端から弟の放った精液をしたたらせたまま、史子は艶然と微笑んだ。 * * * 浴槽に一緒につかりながら、史子は弟の胸に頭を持たせかけ、目を閉じたまま動こうとはしなかった。 弟への愛しさと、ふたりきりでいられることの幸せで一杯になった史子の胸は、今まででは考えられなかったほどの暖かさと平穏に満たされていた。「ふたりだけで・・・ずうっと、こうしていられたらいいね、タク」「僕もさ、姉さん・・・」 眼下の高速道路から響いてくる潮騒のような車の音に、姉と弟はじっと耳を澄ましていた。 遠く近く、寄せては返すような・・・時には単調に、しかし時には甲高い音も交えながら人工の潮騒は禁断の愛に堕ちた姉弟を優しく包み込んでいた。「何だかさ、僕と姉さんだけを残して世界中が死に絶えてしまったみたいだね・・・」「今日のタクったら、なんだか凄い詩人ね・・・フフッ・・・そんなタクも、姉さん嫌いじゃないなァ・・・」 湯の中でしっかりと手と手を握り合い、引き離されたときが世界の終わりだとでも言わんばかりに一分の隙間もなく密着した姉弟は、たゆたうような静かな時間の中に在った。 今なら・・・そう、今この瞬間に世界の終わりが来たならば、自分たちはこのまま消滅してもかまわない。ぼんやりとした意識の中、そんなことさえ史子は思っていた。 ふと自分に密着した弟の身体の妙な動きを感じて何気なく湯の中を透かし見た史子は、思わず息を呑んだ。「やだ、タクったら・・・もう・・・なの?」 顔を赤らめた史子の心臓は、早鐘のようにドキドキしていた。 湯の中で史子の太腿に接していた弟の肉の棒が、ついさっきの射精直後が嘘のように巨きく、硬く強張っていたからだ。「あんなにいっぱい出したばかりなのに、もうこんなだなんて・・・信じられないわ。 ねェ・・・部屋に入ろ、タク?あとは、部屋で・・・ね?」「うん。今夜は姉さんを一睡もさせないからね、覚悟しててよ・・・ずっと一緒だよ・・・」 立ち昇る湯煙の中、姉と弟はどちらからともなく頷き合った。 17 拓 也「愛してるよ、姉さん!絶対に誰にも渡さない・・・何があっても、姉さんは僕が守ってあげる。これからの一生、僕の人生は姉さんに全て捧げるよ・・・」 身裡を焦がさんばかりに姉への愛しさを滲ませた拓也の呟きが、はっきりと室内に響いた。 それは、誰がどんな力をもってしても引き裂くことの叶わぬ強烈な愛の告白だった。「私だって・・・タクのこと、愛してる!これから先、死ぬまでずっと一緒よ、私たち。 誰になんて言われてもいい・・・私はタクが好きなの。タクも私のことが好き・・・心から好き合った同士なら、いいじゃない!? 近親相姦なんて、関係ないわッ! いいよ、タク・・・来て・・・」 押さえきれない激情のまま嵐のように結ばれた前回とは異なり、今夜の姉と弟にとってお互いへの愛の告白は、どうしても欠かすことの出来ない契りの儀式だった。 再び姉を裏切っているという負い目が、どこか拓也を俯き加減にさせていたことは事実だった。今もこの瞬間、部屋のどこかに仕掛けられたビデオ・カメラが自分と姉の姿を克明に記録していることは間違いない。 逆らいようがなかったとはいえ、結城の命ずるままに姉との秘め事を人目にさらすような真似は、本来絶対にしたくはなかった。(ごめんよ、姉さん・・・今日だけ、今夜だけはかんにんしてくれ。これさえ済めば、あの男と手を切ることができるんだ・・・) 只々心の中で姉に手を合わせるしかなかった拓也だったが、何のてらいもなく真正面から自分に心の全てをぶつけてくれる姉の姿を目の当たりにして、拓也の心もようやく定まったのだった。(今夜だけは、仕方がないんだ。でも、もう二度と姉さんを裏切ることはしない・・・。 どんなことがあっても、これからは死にもの狂いで姉さんを守るからね。それだけは、誓うよ・・・姉さん!) ホテルに入った時からずっと胸の中にわだかまっていた負の感情がようやく消えていることに、拓也は初めて気付いていた。 共に激情を露わにし、迷いも躊躇いさえも捨て去った姉と弟にはもはや遮るものは存在しなかった。恥じらいを捨て、剥き出しの欲情に瞳を輝かせながら需めてくる姉に頷くと、拓也はその胸許に手を伸ばしていた。 その姉を相手の、たった一度の経験しかない拓也の愛撫は、乱暴ともいえるほど力強くそして激しいものだった。 年齢相応に人並みの性体験はしているであろう姉が、自分の愛撫で感じてくれるのだろうか。拓也の裡にあったそんな密かな怯えにも似た感情は、しかしすぐに雲散霧消してしまった。 暖機運転が終了した優秀なエンジンと同様に、姉の全身はどの部位を攻めても最高の感度で鳴く一歩手前の状態だった。 拓也の掌が触れると、姉の身体は熱を出しているのではと思わせるほど熱く、しかしそれが発熱でないことはすぐに拓也にも分かった。 抱きしめると折れてしまいそうなほどたおやかな姉の裸身は、しかし拓也の情欲を最高限度までぶつけずにはいられないほど艶かしいものだった。 両腕に力を込め、グイ!と姉を抱きしめる。「あ・・・タク!」 甘く漏れ出した姉の吐息が耳にかかり、拓也の心拍数が一気にはね上がる。 抱きしめられるまま弓なりに反り返る姉の白い肌と、その胸元にたわわに実る両の乳房は、いやが上にも拓也の目を釘付けにした。 非の打ち所のない美しい釣鐘形の乳房と、その頂きにかすかに聳え立つ薄い桜色の乳首が拓也を招いていた。 つきたての餅を思わせる柔らかさと、染みひとつない色白の肌をした姉の乳房に、拓也の股間の肉の棒は一瞬のうちに怒髪天を衝く勢いでそそり立った。 色白の乳房の中心で一際存在感を感じさせるのは、上品な薄い桜色に染まった小さな乳首だ。 それは、弟である拓也の愛撫を待ちわび、かすかではあったが震えていた。 意を決した拓也は、おずおずと姉の乳房に指先を伸ばす。「あッ・・・」 再び耳にかかる姉の甘く切ない吐息に、拓也の身も裡もその興奮は頂点に達した。 もはや、迷いも躊躇いもなかった。確信と力強さに満ちた拓也の指先は、姉の乳首をムンズ!とばかり挟みつけた。 拓也の人差し指と中指に挟まれた姉の乳首は、最初は触っているかいないかの僅かな力で、そして次第に強い力でしごかれる内、その大きさと色合いを著しく変化させていった。 まず、ひっそりと控えめな佇まいでやや窪んでいたものが、強烈な自己主張を放ちながらムクムクと勃ち上がってきた。 さらに、五分咲きの桜に似た薄い色は、満開の桜が見せる淫らがましい鮮烈なピンク色へとその色あいを変化させていった。 掌の中心に乳首を押し当てながら刺激する一方で、同時に掌全体で乳房を包み込むように揉みしだく。 時には、慈しむのにも似た繊細さをみせて、柔らかくこねまわす。 時には、暴力的とも言える力強さをみせて、激しく鷲づかみにする。 揉みしだく際も大きさの異なる幾つもの同心円を描きながら、拓也の掌は常軌を逸した執拗さを見せながら、姉の乳房を揉んでいった。「綺麗だよ、姉さんのオッパイ・・・姉さんのビ-チク、可愛いよ!」「ふッ・・・ううン、いやッ・・・」 大きく勃った乳首の先にざらついた舌先を這わすと、姉のあげるすすり泣きにも似た甘い呻きがいっそう高まる。 乳首を含んだまま舌先を転がし、軽く歯をたてて噛みつく。 姉の胸に顔を埋め、片手で乳房を揉みくだしながら、反対側の乳首をも口に含み、一心に舌先で転がす。 姉の身体から立ち昇るかすかな石鹸の香りが、拓也の鼻腔を実際以上に強烈に刺激し、眩暈にも似た感覚が拓也の脳髄を揺さぶらないではいなかった。(うぅっ・・・このままイッっちゃうかもしれない・・・) 軽く目を瞑り頭を振った拓也は、挟みつけた二本の指で固くなった姉の乳首を摘むと、反撃だとばかりにかなりの力で引っ張った。「ああっ・・・いや、タクッ!いッ・・・痛いよォ、もっと優しくしてェ・・・」 悲鳴とも、快楽の呻きともつかぬ姉の声が上がる。(そうだ。もっとだ・・・もっともっとだ・・・) さらなる姉の甘い呻きを聞きたい。今、拓也の脳裏を支配しているのは、只々それだけだった。 無我夢中で姉の乳房を味わう内、拓也の舌先は蝸牛にも似た緩慢な、しかし確実なペ-スではあったが、徐々にその位置を変え始めていった。 舌先は、ゆっくりと姉の脇のあたりへと降りていく。 不意に侵入してきた弟の舌にいきなり腋の下を舐められ、息が止まるほどビクリ!と全身を硬直させた姉の姿に、拓也はしてやったりと言わんばかりの笑みを浮かべた。「ひいッ・・・タクッ・・・そんなとこ、舐めるの・・・ダメ・・・」 語尾を震わせながら快感に全身を委ねる姉を、拓也は心底可愛いと思った。 全身全霊で愛しぬきたいと、拓也は改めて自分に言い聞かせずにはいられなかった。 すかさず反対側の腋の下にも口撃を加える。「あ・・・だから、そこは・・・あ、いやだってば・・・かんにんしてッ」 乳首への愛撫から続く酷使に、拓也の舌先は痺れるような痛みで感覚が失われかけていた。 そろそろ拓也の我慢も限界だった。 あとはもう、まっしぐらに終着駅を目指す頃合だった。 グイ!とばかりに姉の両脚を大きくせり上げた拓也は、もはや遠慮は無用とばかりそこに顔をねじ込んでいった。「綺麗だッ・・・なんて綺麗なんだ、姉さんのアソコ! こんなに綺麗なんだ、姉さんのアソコは・・・まるで、ダイヤモンドみたいに輝いているよ!これこそ、僕の・・・僕だけの宝石だ!この世に二つとない、宝物だ!」 心の底から発せられた拓也の最大級の賛辞は、しかし姉には最大級の羞恥を味あわせずにはいなかったようだった。 あの勝気な姉が真っ赤になって顔を両手で覆い、声もなく全身を震わせているさまは、拓也にとって何ものにも替えがたい眺めであった。 その光景を心のフィルムにしっかりと焼き付けると、拓也は改めて最後の秘境へと旅立った。 ほころび始めた花弁を思わせる肉襞を覗かせた姉の割れ目と、その両脇で愛らしく盛り上がった恥丘に繁茂する漆黒の翳りを目にした刹那、拓也の理性は完全に蒸発してしまった。 もはや結城の存在も、仕掛けられているビデオカメラも、そこに映っているであろう自分たち姉弟の肉欲に溺れる姿さえもが、拓也の脳裏から完全に消し飛んでいた。 誘いかけるように大きく拡げられた姉の股間に、むしゃぶりつくように顔を埋めると、引き攣りかけた舌先を叱咤しながら、拓也はさらに激しくあたり構わず舐めまわす。 両手の指先を総動員して姉の膣を、その肉襞を夢中で掻き回し、淫らな肉唇をめくり、子宮の奥までも白日の下に晒そうとする。「奥の奥まで綺麗だよ、姉さんのココ・・・」「もう、拓也のバカぁ・・・姉さん、知らないからぁ・・・」 割れ目の肉唇をめくりながら、拓也の口許に堪えきれないほどの喜悦の笑みが浮かぶ。 めくり上げた肉襞をかき分けるように指先をこじ入れると、力まかせに肉襞をこねくりまわす。 信じられないくらい熱い姉のそこは、とめどもなくあふれ出した半透明の液体に濡れ、拓也の指が出入りするたびに、淫らがましい音をたてる。 姉の肉襞は拓也の指に吸い付き、からみついて離そうとはしなかった。拓也の指の動きに反応して、震えながら締め付けると脈動を繰り返した。「ああ、タク・・・そんなとこ・・・指、入れちゃダメよ・・・アアッ!」 あまりに強烈な刺激に、四肢を突っ張らかせて全身を震わせた姉の指先が何かを求めてシ-ツの上を彷徨い、爪先でシーツを掻き毟る。 したたり落ちる愛液がベッドのシ-ツを濡らし、漆黒の翳りをも湿らせた。「こんなにイイなんて・・・姉弟なのに、こんなにイイなんて・・・ああッ、信じられない!」 だがそんな姉の言葉とは裏腹に、股間だけではなく全身が喜びにうち震えているさまは隠しようもなく、股間からしたたり落ちる愛液はますますその量を増していくだけだった。「違うよ、姉さん。姉弟だから・・・僕たち、実の姉弟だから・・・こんなにイイんだよッ! こんなに気持イイからだよ、きっと!血のつながった姉弟でセックスしちゃイケナイなんていうのは・・・みんながみんな、姉弟や兄妹でセックスしたら、良くって良くって誰も他人には見向きもしなくなるからかもしれない・・・」 アフタ-バ-ナ-に点火した勢いで、拓也の性欲もまた加速する一方だった。 さらに拓也の指先は尿道口さえもこねまわす始末で、膣口にこじ入れた指先と共に姉の肉襞をところかまわず嬲り、刺激し、性欲の渦に突き堕としていった。「堕ちるわ・・・このまま、姉さんも堕ちてくッ・・・タクと一緒に、どこまでも堕ちていくの!」 漆黒の翳りを掻き分け、萌え始めたばかりの新芽を思わせる突起を、指先を総動員して左右から押さえ込むと、最も敏感な部分を覆い隠す包皮をあからさまに剥き出した。「これが、姉さんのクリトリスだッ!凄い・・・凄いよ、最高に可愛いよ!」 感に堪えかねたような拓也の喜びの絶叫が、ホテルの室内にこだまする。「いや、タクったら・・・そんなこと大声で言うなんて・・・ひどいよォ!」 羞恥のあまり、姉の顔ばかりか全身までもが激しく血の色を昇らせる。 それがまた、いっそう拓也のリビド-を高めずにはいなかった。 剥き出しになった姉のクリトリスに対して、舌先を使った拓也の口撃がいっそう激しさの度を増してゆく。 クリトリスに押し当てた舌先を、これでもかと言わんばかりに強く押し付ける。 突起した先端の柔らかい部分こそ優しく舌先で包むように舐めまわすが、その全体を刺激するときにはめり込みかねないほどの力で押し込み、かと思えば引き千切らんばかりに強く吸い込む。 ピチャツ・・・ピチャピチャ・・・ピチャ! これ以上はないほどに淫らがましくも、湿った音が室内に響く。 飽くことのない拓也の執拗な口淫に感電したように身体を硬直させ、断続的に短い喘ぎを漏らしながら全身を痙攣させる姉のありさまに、拓也の中の『男』はさらに猛りに猛り狂った。 黒く艶やかな姉の髪が、乱れ、波打つ。 快感にむせび泣くその声は、拓也にとって天上の音楽といっても過言ではなかった。 甘く、切なげな吐息を漏らし下半身を震わせる姉に、拓也の股間の肉の棒は、いっそう硬くコチンコチンに隆起していた。 無我夢中で姉のクリトリスを責めたてていた拓也の口許が、不意にすぼまった。 突き出すようにして舌先を尖らせると、それをいきなり姉の膣口にねじ込む。「あ・・・そ、そんなの、いきなり・・・いやあァ!」 しかしそんな言葉とは裏腹に、拓也の舌先を迎え入れた姉の肉襞が歓喜に震えながら、舌先を締め付けようとして激しく蠢き、収縮するのが分かった。「もう・・・もうダメだよォ、タク・・・姉さん、どうにかなっちゃうゥ・・・。 早く、早くしてェ・・・舌じゃイヤッ!あなたの、そのコチンコチンになっちゃったものを頂戴!姉さんの中に入れてッ・・・壊れてもイイの! 姉さんのアソコが壊れるまで、突いて突いて・・・突きまくって頂戴、タク!」 拓也はもちろんのこと、もはや姉も限界のようだった。 全身を汗と淫らな体液にまみれながら、姉と弟はどちらからともなく姿勢を入れ替えた。 両手を突いて上半身を起こしながら拓也は姉を組み敷く格好を取り、姉の両太腿をこれ以上はないほど大きく拡げると、その中心の女の部分を露わにした。 コチンコチンに硬く勃起した肉の棒の先端を、姉の女の中心に押し当てる。 姉のそこは、すでにたび重なる姉弟同士の淫戯であふれ出した愛液でヌルヌルに濡れそぼち、一方拓也の肉の棒の先端からも、堪えきれない先走りの半透明の液体が染み出していた。「いいね、姉さん・・・行くよ?」「いや!」 いきなり水を掛けられて思わずズッコケそうになる拓也に向かって、姉がわざと膨れてみせた。「ど、どうして?」「タクのバカぁ・・・だって、スポ-ツじゃないんだよ。『いくぞ!』『さあ来い!』なんて感じ、イヤよ。お願いだから、もっとロマンチックにして頂戴・・・」「ごめん、姉さん・・・僕が悪かった・・・」 軽く深呼吸をして笑顔を引っ込めると、拓也は改めて姉の耳元に囁きかけた。「愛してるよ、姉さん!僕たち、ひとつになろう・・・いいね?」 それは、これまでにないほどの真剣な調子だった。 拓也の囁きに、見る見るうちに姉の頬が美しいバラ色に染まった。「いいわ、タク・・・姉さんも、あなたと身も心もひとつになりたいの! 愛してるわ、タク・・・私の、タクッ!」 全身で歓喜を表しながら頷く姉のことを、拓也は心の底から愛しいと思った。 細心の注意を払いながら指先で姉の割れ目の中に開く穴を確認すると、おのが勃起の先端のパンパンに充血した亀頭をそこに当てがう。 いよいよ、最愛の姉と禁断の肉の快楽を分かち合う時が来た。 むろん、それはすでに一度経験したはずだった。しかし、極限の興奮に支配され、激情の赴くままに結ばれてしまった前回は、全くここらへんの記憶がない。 その意味では、今夜が拓也にとっての姉との初体験と言っても差し支えなかった。 喪われた記憶を掘り起こすように、ことさらゆっくりとした動作をとりながら、亀頭で姉の狭い膣口を押し拡げていく。 ヌルッ・・・ヌルヌルヌルッ! しかし、そんな拓也の思い入れとは裏腹に、充分に潤みきった姉の膣はいとも簡単に拓也の肉の棒を受け入れ、その最奥に呑み込んでしまった。「うッ・・・うぅゥッ!ね、姉さんッ・・・き、気持イイよッ!」 呑み込まれた肉の棒は、熱く濡れながら蠢く無数の肉襞にからめ取られたかと思うと、強烈な締め付けに遭い、千切れそうな勢いで締め上げられ始めた。 拓也の目の前に、文字通り火花が飛び散った。「くぅ・・・くっ、くううぅううぅっ!ね、姉さん・・・僕、気持ちイイよ! 気持ち良くって良くって、もうどうにかなっちゃいそうだッ!」「姉さんもよ・・・姉さんも、姉さんも・・・ああッ、気持ち良過ぎて身体じゅうが、もうバラバラになっちゃいそうなの!凄いわ、タクッ!」 あまりに凄まじい快感に、拓也はそのまま達しそうになる。 が、歯を喰いしばり凄まじい射精の欲求を必死ではねのけると、拓也は無我夢中で腰を動かしながら、おのが勃起した肉の棒をさらに激しく姉の膣に抜き差しした。 肉の棒をつけ根まで押し込んだかと思うと、今度は亀頭の根元まで一気に引き抜く。 そのたびに拓也の腰に生じた信じられないほどの快感が、全身細胞に快楽をまき散らし性欲のパルスが高圧電流となって全神経の隅々にまで走った。 恥骨と恥骨を密着させた姉と弟の恥毛がからみ合い、ひとつになってジャリジャリ!と厭らしさ極まる擦過音を響かせた。 それは本来ならば決して姉と弟が生み出してはいけない禁断の音であり、こすれ合う恥毛の感触は拓也の脳髄を激しく灼きつくしそうになった。 だが、それと同時に心の最も奥深いところで、姉と自分がひとつの存在となって溶け合い、互いの全てを共有し合っているのだという感覚が、拓也の意識野に鮮明に浮かび上がってきた。 それは拓也が生まれて初めて感じる、全身を暖かく包み込む、こころ溶かすような不思議な感覚だった。 愛するひととのセックスは、こんなにもこころの充足感を生み出すものなのか。 まだ二度目の体験でしかないにもかかわらず、拓也は真に愛する女性とセックスすることの歓びを心の底から味わい、全身で浸りきっていた。 生まれて以来二十数年間同じ屋根の下で生活し、その全てを知り尽くしていると思っていた姉の、見たこともない(当たり前だが)淫らな姿は、拓也の全く知らない姉だった。 自分の身体の下で汗にまみれた美しい裸身を蠢かし、性の歓びを全身で謳歌しながら名前を呼んでくれる姉は、これまでの拓也の人生で最高に美しく、神々しくさえ見えた。「タク・・・タク・・・あぁッ、私のタク・・・私だけの、愛しいひと・・・」 姉に名前を呼ばれるたび、拓也の興奮はいやが上にも高まる。 名前を呼ばれたことなどこれまでに何千、いや何万回もあったはずだ。が、いまこの瞬間に姉の口を衝いて出ているのは『弟』ではなく、『男』としての自分なのだ。 そのことに、拓也の全身は歓喜し、わなないていた。 拓也はもう夢中で腰を動かすと、姉の胸を揉み、乳首を口に含んだ。「あんッ・・・あああっ!くうぅっ・・・タク・・・タク・・・私、私・・・ああッ!」 迎え入れた拓也の肉の棒を、これでもかと締め上げながら激しく震え、痙攣を繰り返す姉の肉の壷の感触は、拓也を底なしの快楽地獄へと落とし込んでいった。 尻の穴をつぼめるように腰に力を入れながら、必死で漏れそうになる精液をこらえていた拓也だったが、もはやそれも限界だった。「も、お・・・っ・・・ダメッ!」 長く尾を引く呻き声と共に、姉が大きく体を痙攣させた。 拓也の全身もまた、襲いかかる激しいわななきに耐え切れず絶叫していた。「姉さん、もうダメだよ・・・出ちゃうよ!」「いいわよ、タク!出してッ・・・いいの、好きなだけ姉さんの中に出してッ!」 姉の絶叫に、拓也の中に残っていた最後の理性の一片が音をたてて消し飛んだ。 刹那、襲いかかってきた凄まじい衝撃が拓也の下半身を、腰といわず足といわず強烈に揺さぶり、震わせたかと思うと堪えに堪えていた衝動を一瞬に開放した。 ピクッ・・・ピクピク・・・ピクピクッ! 拓也の肉の棒の先端から、凄まじい勢いのままに禁断の白い液体が噴出した。「ねッ、姉さんッ・・・愛してるよッ!」「愛してる、タクッ・・・何があっても、あなたが好きよ・・・タクッ!」 間歇泉さながらに脈動を繰り返し、拓也の肉の棒は姉の膣(なか)に白く濁った液体をこれでもかとばかりの執拗さで注ぎ込んでいった。 ベトベトに粘っこい上に、溶岩さながらにドロドロした拓也の精液は、姉の膣ばかりか、子宮の表面にも雨あられと降り注いだ。フェラチオで一度は出し尽したはずの拓也の精液は、無尽蔵とも言えるほどの量をすでに姉の胎内に注ぎ込んだにも拘らず、一向に止まる気配はなかった。 姉弟の腰の下あたりのシ-ツは、粘り気のある液体に思うさま蹂躙されてとっくにその役割を果たせなくなっていた。漏れ出した粘液はシ-ツを通り越してマットレスにまで染み込み、スプリングが軋むたびに染み込んだ液体が表面に滲み出るありさまだった。 だが姉と弟はそんなことには一切お構いなく、互いの胎内から噴出する淫らな液体を、夢中になって混じり合わせた。 体液の最後の一滴までも絞り尽くそうと、あらん限りの大声で互いの名前を呼び合って姉と弟は暗い冥界の淵へと飛び込み、意識を喪ってしまった。 さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った室内には、静かな、そして落ち着いた息遣いだけが聞こえていた。 ようやく醒めだした興奮の余韻と、おさまりきらぬ動悸の間にあって姉と弟は互いに手をからませながら、一緒にベッドの上の天井を見上げていた。「後悔しない?」「馬鹿ね・・・後悔なら、とっくにしているわ」 姉の言葉に、拓也は思わず起き上がった。「そ、それって・・・そのぅ・・・」 蒼ざめる拓也に、柔らかい微笑を浮かべた姉が囁きかけた。「ううん・・・そうじゃないの。何でもっと早く、タクと結ばれなかったんだろうって・・・それを後悔してるのよ、姉さんは・・・」 その姉の笑顔は、ずっと昔に教科書で見た菩薩像を、拓也に思いださせた。 18 結 城「今日は2枚だって?」 豪奢なデスクの向こうから、物憂げな、しかし低く潰れた男の声が響く。 その声に頷くと、結城は内ポケットから2枚のクレジットカ-ドを抜き取り、テ-ブルの上に置いた。ついさっき出歯亀男を締め上げて強奪してきた代物だった。「ほう・・・JCBとアメックスかい。豪儀だね」 2枚のカ-ドを手に取り、細いメタルフレ-ムの眼鏡を光らせながらカ-ドをためすがめつしているのは進藤だった。時刻は既に深夜の2時を廻っていたが、進藤が任されている組事務所はいつもの如く猥雑な喧騒に包まれていた。 進藤の部屋へ昇る途中の2階からは、相変わらずパソコンを始めとする電子機器類の音が低く唸りを上げていた。「いいでしょう、どうやら間違いなさそうだ・・・」 軽く顎を引いて小さく頷くと、卓上のクリスタル製のベルを鳴らして若い者を呼びつけ、進藤は2枚のカ-ドを渡した。 恐らく2枚のカ-ドは、明日の朝一番には九州か北海道の外れのとんでもない場所か、ヘタをすると海外で使われて、大量の商品券やブランド品に化けるだろう。 もっとも持ち主はあの公園で明日の朝に発見されても、とても盗難届を出せる状態ではないだろうが。 若い者を下がらせた進藤は手の切れそうな新札の束をテ-ブルに載せ、結城に向かって滑らせた。いつもの約束通りの手数料、きっかり20万円だった。 改めもせず結城は札束をポケットにねじ込むと立ち上がった。「じゃ、これで・・・」「待ちな、結城さんよ」 押し潰れた声を発して、進藤は結城を見上げた。 ドアへ向かって歩もうとした結城は、物憂げにこうべをめぐらせた。 この連中は毒蛇のようなものだ。わずかでも隙を見せれば飛び掛ってくる。恐れる姿を見せるのは禁物だが、さりとてビジネス上の付合いをするためには無闇と角突き合わせることも出来ない。その匙加減が難しい。「何だい、進藤さん?もう用はないはずだが?」 心もち下腹部に力を込めると、至って平静な口調で結城は言葉を押し出した。「いやあ、カ-ドの方はもういいけど・・・。 DVDの方はどうなっているんだい?ちょっと新作が遅くはないかい? 前の作品から、随分と間が空いちまっているんだがね・・・常連さんたちが五月蝿くってね。 あんたの見つけてくる代物は、間違いなく本物の犬畜生連中らしいから、マニアといってもいい常連さんたちが大喜びして、首を長くして待っているんだよ。 前の作品なんか本物の母子相姦の上に、心中場面までバッチリ収録されてるんで賞賛の嵐だったぜ」 そこで言葉を切った進藤は、目の中にわずかに威嚇する色を込めて結城を見やった。 しかし結城はそんな進藤の目線を受け止め、全く動じる気配を見せなかった。 つ、と視線を外すと進藤はわざとらしくため息をついてみせた。「頼んますよ、本当に・・・そろそろ新作発表といってもいいんじゃないですか? あんまり勿体つけていると、折角の常連さんたちが離れていっちゃうんだよ。そうなったら、あんたも俺もお互いに困るだろ?だから・・・なあ、頼むよ」 進藤の言葉が終わるのを待って、結城はようやく呟いた。「ンなこと言われてもなァ・・・ネタがないんだよ、実際・・・今んところはな。 新しい獲物が網にかかったらすぐに堕として、作品化はするさ。そんでもって、あんたのとこでタップリと捌いてもらうさ。 だがね、獲物が網にかかんないじゃどうしようもあるまい?ま、ここはじっくり腰を据えて待っててくれ。じきにいい作品をお目にかけてあげるよ・・・」 結城の言葉に、進藤は再びわざとらしいため息をついてみせた。「ま、製作会社のあんたがそう言うんじゃ仕方ないか。こっちはしがない配給会社でしかないんだからね」 進藤のその言葉に、もう話は終わったとばかりに背を向け、結城はドアに歩み寄った。「結城さんよ、何で俺がこんな渡世を選んだと思う?」 さして剣呑ではない、世間話といってもいい気軽な調子を帯びた進藤の言葉に、結城が思わず足を止めたのは無理からぬことだった。「さあな。あんたの来し方なんぞ、俺は聞きたくないね。大方、美味いものをたらふく喰って、いい酒を飲んで、綺麗な姉ちゃんを抱けるからじゃないのかい?」 結城の言い草に、進藤はわざとらしくため息をついてみせた。「あんたみたいな人でも、そんな風にしか考えられないかね・・・」 今度は結城は鼻を鳴らす番だった。実際、暴力団員の大半はそれが人生の目的であると言っても過言ではない者が圧倒的多数を占めるからだ。 入りたての見習組員はともかく、正式に組長から杯をもらった組員たちは各個人個人で様々な方法のシノギ(稼ぎ)を行う。その際に彼らの拠り所となって、カタギの相手を射竦めるのが『組』の存在そのものだった。 彼らの仕事は暴力を振るうことではない。暴力を振るわれるかもしれないとカタギに思わせることによって、労せずして金を吸い上げることが仕事なのだ。 組の代紋をバックにすれば、カタギは怯えていともた易く金を出す。 組員たちが『組』に上納金を納めるのは、その代紋の使用料と言ってもいい。 つまり、彼らは全員が独立営業の個人事業主としてシノいでいる。実にシビアな世界だ。 そのようなキツイ思いをしながらも、彼らがこの世界にしがみ付いているのは、他の世界では生きられない人間であることもひとつだが、何よりも美味しいシノギにありついた時、笑いが止まらないほどの金が楽に手に入ることがあるからだ。 地道に、額に汗して稼いだ金ではない分、どうしても金遣いは荒くなる。 また、時によっては刑務所での「お勤め」や、「鉄砲玉」といった割の悪い役回りが廻ってくることもある。結果、いやでも刹那的な生き方にならざるを得ないことが多い。 そんな中にあって、パソコン等を自在に駆使してカ-ド偽造や裏DVDの製作、あるいは債権回収といった、どちらかといえば手を汚さないシノギを悠々と行う進藤は確かにこの世界でも異色の存在だった。 が、進藤のような芸当が出来ない多くの同業者たちは、昔ながらにシマ(縄張り)内の飲食店や風俗店からのみかじめ料(いわば用心棒料)の取り立てを始め、風俗嬢たちの管理(監視)や、ホテトル等の管理売春、あるいは覚醒剤を始めとする薬物売買といった危険度の高いシノギに関わらざるを得ない。たとえ暴力団新法の施行以来、警察に目をつけられることが増えても生き方を変える事はできない。 そしてその生きていく上での、張り合いもそう大きく変わる事はなかった。 つまるところ、金と女といい暮らし・・・だった。 が、そんな結城の答えに進藤は首を振った。「俺はね、結城さん・・・金なんかどうだっていいんだよ。 あんたは信用しないだろうがね・・・そこそこ人並み以上の生活が出来れば、俺は至って満足さ。もちろん、それにはこの世界が手っ取り早いって言うのは確かにあるよ。 だがね、俺がこの世界で生きていて一番生き甲斐を感じるのは、そんなもんのためじゃないのさ」 そこで言葉を切ると、進藤はその表情のない目でじっと結城をねめつけた。 睨み返すでもなく、かといって怯えを見せることもなく、結城もまた淡々とした表情で進藤の視線をはね返した。「それはね、結城さん・・・他人を支配できるからなんだよ。俺たちや、俺たちのバックの力に、少なくともカタギは屈服することが多い。 蛇蠍の如く俺たちを忌み嫌っているカタギどもが、結局は震えながら屈服するのを見るのは何ものにも替えがたい快楽なのさ、少なくとも俺にはね。 それがなきゃ、とてもじゃないが勤まる商売じゃないのさ。 俺たちにとっちゃ、支配するのはいいとしても、支配されるっていうのはすこぶる趣味に合わなくってね・・・分かるだろう?」 結城と進藤の視線が、空中でからみ合った。 確かに今は供給者である結城が、進藤に対してかなり優位な立場にある。が、進藤はいつまでも結城の風下に居る気は無いと宣言したに等しい。「それが俺たちの生理ってことは、あんただって知らないわけじゃあるまい?そこんとこ、よ-く覚えといてくれるとありがたいんだがね・・・」 最後はその声に含み笑いが混じったものの、進藤の視線は突き刺すような冷ややかさを秘め、結城に執拗にまとわりついていた。 が、そんな言葉も柳に風と受け流し、結城は後ろも見ずにノブを握ってドアを引き開けた。「それじゃ、おつかれさん・・・」 ことさらゆっくりとした動作で、結城は廊下に足を踏み出した。 19 拓 也 キャンパスには、もう人影は少なかった。 四時限目の講義がとっくに終了した午後6時過ぎに校内に残っているのは、クラブ活動中の学生ぐらいなもので、それも文化部ならば各部室、運動部ならばグランドか体育館、稀に校舎の階段をトレ-ニング場所にして昇り降りしているくらいのもので、教室校舎には人影は皆無に近かった。 薄暗い蛍光灯の灯りに白々と照らし出された廊下に響く自分の足音を聞きながら、拓也は両腕一杯の大量の文献を、身体を揺すって抱え直した。 ゼミの教授から図書室へ大量の文献を返却するよう命じられた時、研究室に居残っていた学部生は拓也ひとりだった。 廻りにいる大学院生や助手には目もくれず、教授は拓也に20冊以上ある文献の返却を厳かな口調で命じた。 確かに一介の学部生に過ぎない自分は、その場では一番の下っ端だった。しかしこれだけの代物をひとりきりで運べというのは、いささか無茶というものだった。本来なら、学部生に毛の生えた程度の大学院生あたりが手を貸してくれても、罰は当たらないと思うのだが、彼らも知らん顔の半兵衛であった。 今日という日は、拓也にとって特別な日だった。講義やゼミが終わった途端、何はともあれ家に飛んで帰りたいところだった。 父親が明日一杯の出張に出掛けて、今夜は家が空っぽだからだ。 日勤だった姉は、恐らくもう帰宅しているに違いなかった。 今夜は、姉とふたりっきりの貴重な夜だ。父親が帰宅する明日の夕方まで、拓也は姉を独り占めできる。 今夜だけは、誰はばかることもなく姉とイチャつき、姉弟で一晩中でもエッチを楽しむことも可能だった。 拓也の明日の講義はいずれも出席を取らないどうでもいい代物だけだったし、姉も夜勤なので夕方に家を出れば良かった。 姉の白く柔らかい身体を組み敷き、思うさまその肉体を貪り尽くすことを考えていると、人前にも関わらず股間が熱くなり、気が付くと痛いくらい勃起してしまった。おかげで慌ててトイレに駆け込んだのも、1回や2回ではなかった。 夕方のゼミの最中に到っては、最早完全に拓也は上の空で、教授に当てられてもしどろもどろで答えられなかった。 だから教授はこんな作業を命じたのだろう。 文句を言っても始まらない。 荷物のバックを肩から掛けると、拓也は全ての文献を両腕一杯に抱え込み、よろばうような足取りで図書室を目指した。 道はようやく半ばといったところで、なんとかエレベ-タ-ホ-ルの手前にたどり着いた。エレベ-タ-で1階に降り、向かいの図書館に入ればそこが終着点だ。 抱えたままの文献の山を崩さないようにそうっと指先を伸ばし、エレベ-タ-のボタンを辛うじて押す。 扉の真上のインジケ-タ-に目をやると、エレベ-タ-は降りたばかりのようだった。 軽くため息をつきながら再び両腕に力を込めて文献を抱え直すと、拓也の意識はふっと深いところへ沈み込んでいた。 先日の露天風呂付きホテルでの姉とのセックスを、恐らく結城はしっかりと盗撮したに違いなかった。その後、結城から何の連絡もないまま今日でもう半月近くになる。 どうやら、結城は約束を違えなかったようだ。二度と自分たちの前に結城が姿を現すことはないだろう。 拓也は深い安堵のため息をついた。 あとは、このまま時間が経つことで、姉の(偽りの)殺人の記憶が風化してしまえば、何も言うことはない。 この先の人生で姉との関係をどのように築いていくか、まだ明確なヴィジョンは拓也の頭の中にはなかった。が、少なくとも姉と共にずっと生きてゆきたいという気持には、何の揺らぎもなかった。 いつか・・・そう、いつの日か・・・姉と結婚式を挙げたい。 拓也は、最近それだけをずっと考えていた。 もちろん他人を招いて、盛大な披露宴を催すわけにはいかない。出来るとすれば、姉とふたりだけでひっそりと結婚式を挙げる以外にない。 でもどんな形であれ、きっちりとした形でけじめをつけたいと拓也は考えていた。 もとより『女』として生まれてきた以上、姉とてウエディングドレスを着たくないはずはないだろう。しかし実の姉と弟でありながら愛し合い、結ばれてしまった自分たちが普通の恋人同士のように結婚式を挙げることは、叶わぬ夢だった。 ならば、せめてふたりだけでもいい・・・姉と弟で結婚式を挙げたっていいじゃないか。 たとえそれが姉弟だけの自己満足に過ぎなくても、そこには大きな意味がある。 ならばいいのではないか。 そう、『近親結婚式』・・・その言葉が、ここのところ拓也の頭から離れることはなかった。 姉に言ったら、どんな顔をするだろうか。 喜んでくれるだろうか。いや、きっと喜んでくれるに違いない。(姉さん、結婚式を挙げよう・・・)(本気なの、タク?)(ああ、もちろん本気さ。これ以上ないくらい本気さ! 実の姉弟同士の結婚式・・・近親結婚式を挙げるんだ!) そう告げたときの姉の喜ぶ顔が、今から拓也の脳裏に浮かんでは消えていた。(そうさ。僕が、姉さんを幸せにしてやる・・・) 自分自身に向かって、拓也が大きく頷いたその時だった。 友人同士が交わす気軽な調子で、ポン!と誰かの手が拓也の肩を叩いた。(・・・!) 不意を突かれて思わず飛び上がった拓也は、弾みで文献を一気に床に落とした。 振り返った拓也の眼前に、下卑たニヤニヤ笑いを浮かべた結城がうっそりと立っていた。「あ、あんた・・・」「いやあ、勉学に勤しむ学究の徒はいいねえ。実に清々しいよ。俺もずっと昔の学生時代を思い出して、ちっとばかりおセンチな気分になっちまったぜ」 例の、なんとも形容し難い不気味な笑みを浮かべて近付いてくる結城に、思わず拓也は後ずさった。後退する拓也の靴底が文献を踏みしめるが、それどころではない。 じりじりと後退したものの、じきに拓也はエレベ-タ-脇の壁に押し付けられてしまった。「何をそんなに怯えているんだい、え?タクちゃんよォ・・・」 そんな拓也のさまを実に楽しげに見つめていた結城が、一気に距離を詰めた。 顔を上げた拓也の目の前、吐く息がかかるほどの近さに結城の顔があった。「ヒッ・・・!」 パンクしたタイヤから漏れる空気さながらに、声にならないかすかな悲鳴が拓也の口を突いて出た。「か、勘弁してください・・・お願いです!」 ようやくの思いでそれだけの言葉を呟くと、拓也はぎゅっと目を瞑った。 情けないとは自分でも思う。しかし、結城の恐ろしさ・・・それは凄まじい暴力もさることながら、結城の全身から立ち昇る得体の知れぬ瘴気、それも普通の人間が発するとは思えないほどの・・・が、拓也をして、とても太刀打ちなど叶わぬと思わせるからだった。 肉食獣と草食獣。 フッと、そんな言葉が拓也の脳裏をよぎった。 結局、自分は結城に捕食されるだけの存在でしかなかったのか。そんな諦念にも似た思いが、拓也の全身から力を奪った。 我知らず拓也の全身の力が抜け、壁に沿ってズルズルとその身体がずり落ちた。床に尻を着け、拓也は両手で自分の頭を抱えこんだ。「何もそんなに怯えることはなかろう?お前が約束どおりにコトを実行してくれたから、俺さまだって約束を守ってやったじゃないか。えェ?」 意外にもの静かな結城の言葉に、拓也は思わず閉ざしていた目を見開いた。「え?じゃ、じゃあ・・・今日は、別に僕を脅しに来たわけじゃ・・・」「おいおい、ひと聞きの悪いこと言うなよ。今までだって、俺さまがお前さんを脅したことがあったかい?今までの経過は、全てビジネスじゃなかったかね? 確かにお前さんには、いささか無理を聞いてもらったかもしれないがね」 そこで言葉を切ると、結城はにやりと片目を瞑ってみせた。 それは、さながらメフィストの笑いだった。拓也の背筋を再び冷たいものが這い登る。 そうだった。こんな男はカケラほども信用してはいけない。うかつに信用すれば、どんな目に遭わされるか。この男を信用するくらいなら、毒蛇と一緒にベッドに入るほうがマシなくらいだった。 頭を上げると、拓也はグイ!と結城を下から見返した。「あれがビジネスですか?」 震えそうになる語尾を必死で押さえつけながら、拓也は反問した。「ああ、そうだよ。ありゃ、ビジネス以外の何ものでもあるまい? 見事なギブアンドテイクじゃないか。 何しろ、俺は実の姉弟の近親相姦ビデオをばっちり録画できたし、お前さんに到っては血のつながった実の姉と思う存分セックスしたじゃないか。 それも実の姉弟のくせして「膣(なか)出し」と来やがった。たいしたもんだよ、タクちゃんには恐れ入ったぜ。 これがギブアンドテイクのビジネス以外の何だっていうんだい、えェ?」 嘲る調子の結城の言葉に、拓也は思わず唇を噛んだ。 確かに事実はその通りで、起きたことは曲げようがない。だからといって、この男にだけはそんな言われ方をされたくなかった。 きっかけはどうあれ、今では自分と姉の間には何ものにも替えがたい、誰にも断ち切ることの出来ない愛情と絆が存在するのだ。こんな男にだけは、それを壊させはしない。 ともすると萎えそうになる気持に鞭をくれ、拓也は必死で自分自身を奮い立たせようとした。 が、そんな拓也の気持も、結城の次のひとことで木っ端微塵に砕かれそうになった。「まァ、済んだことはそれとして・・・どうだい、もう一回だけ撮影に協力しちゃくれないかい?」 言葉尻こそ「お願い」だったが、それは明らかに恫喝以外の何ものでもなかった。「そ、そんな・・・約束が・・・約束が違うじゃないですか!」 頭に血が昇り、我知らず声が大きくなる。結城に対する恐ろしさも、一瞬拓也の脳裏から消し飛んでいた。 反射的に立ち上がりざま、自分でもそれと意識せぬまま結城の胸倉をつかんで締め上げていた。が、結城の面には何ら狼狽の色は浮かんでいなかった。いや、むしろ事態を楽しんでいる色さえあった。「おい、タクちゃんよォ・・・何だい、この手は?俺さまに向かって、どういう態度を取るんだよ、えェ?」 結城の発した声音の嘲笑の響きに、拓也の裡で何かが完全にキレた。「ふざけんなァア・・・!」 もはや周りを気にする余裕は、拓也にはなかった。 いいように押さえつけられていた屈辱と、無意識下にあった怒りが一条の鋭いベクトルとなって拓也の右腕を衝き動かした。 子供の頃を除けば殆ど喧嘩などしたことのなかった拓也にしては、それはあり得べからざる程の鋭いパンチだった。 空気を切り裂いて突き出された拓也の右拳が、結城の左頬にめり込んだかに見えた。 しかしコンマ数秒早く、結城の左掌が自分の頬と拓也の拳の間に割り込んでいた。 肉を打つ鈍い響きが、ひと気のない夕暮れのエレベ-タ-ホ-ルにこだました。「惜しかったねェ・・・」 完全に拓也のことを舐めきった笑いが、結城の面に浮かぶ。「いいねえ・・・いいパンチだったよ。でも、いまひとつだったかなぁ・・・」 その言葉が終わらぬうち、拓也の腹部を凄まじい打撃が襲った。 結城の右拳が自分の腹部に突き刺さっていることを、辛うじて拓也の意識が感知したとき、肺の中の空気が最後の一息まで絞り出されていた。(ぐ・・・はッ・・・) 呼吸も出来ず、声も出せぬまま拓也はその場にくずおれた。 酸素を求めて肺があえぐが、一向に呼吸は楽にならない。発作を起こした喘息患者さながらに、拓也の全身は新鮮な空気を求めてわなないていた。「困った坊やだ。何遍言っても、学習ってことが出来ないようだな。俺さまに逆らうなんて百年、いや千年も早いってことがまだ分かっていないみたいだな」 床に転がり苦しむ拓也の傍らに片膝を突くと、結城は楽しげに語りかけてきた。「お前と姉さんには、そもそも俺さまに逆らう権利なんて一切ないんだよ。ただ言われた通りに素直に命じられたことをするしかないんだよ。 それを忘れるから、こんなことになるんだ」 いかにも仕方ないといったため息をつきながら、結城は拓也を引きずり起こすと、ホ-ルの片隅のベンチに引き摺っていった。 ほとんど投げ出されるようにしてベンチに座らされた拓也は、襲い掛かる苦痛に耐えながらようやく顔を上げていた。「も、もう・・・しませんから・・・」 それだけ言うのが精一杯だった。 前に立ちながら、そんな拓也の有様をじっとねめつけていた結城は、やれやれと言わんばかりに首を2、3度左右に振るとしゃがみ込み、拓也の顔に自分の顔を寄せてきた。「何とかは死ななきゃ直らないって言うけど、お前さんは違うようなぁ?」 あからさまに拓也を馬鹿にし切った結城の口調にも、もはや反発する気力は拓也に残されてはいなかった。「何でも・・・何でもしますから、許してください・・・」「そうそう、そうこなくっちゃあ。始めっからそう言ってりゃあ、痛い思いなんかしなくて済んだんだよ。えェ、タクちゃん?」 満足げな様子で頷くと、結城はことさら楽しげな口調になった。「そんじゃ、またまた段取りの相談といくか?」 * * * のろのろとした動作で床に散らばった文献を集めながら、拓也は自分自身の今の姿に涙がこぼれそうだった。 自分はこれほどまでに暴力に弱かったのだろうか。心底自分が情けなくなる。 しかし、肉体の苦痛は遭遇したことのない人間には理解できない。そして、その苦痛がもたらす恐怖や屈辱も。 恐ろしかった。結城の暴力が心底恐ろしかった。腹部に突き刺さったパンチの重量感と、叩き込まれた瞬間の凄まじい苦痛は、まだ拓也の全身を支配していた。 そして暴力もさることながら、結城が握っている自分たち姉弟の秘密を暴き出す証拠の存在は、拓也の身裡を激しい悔悟の念でギリギリと締め上げていた。 もしもこのまま一生、結城に付きまとわれたら・・・。 そこまで考えたとき、これ以上はないほどの恐怖が襲いかかり、拓也の全身の肌に粟が生じていた。 頭では分かっているつもりだった。 強請を働くような人間は1回では満足しはしない。何回でも、何度でも、強請られる人間が身を縮めれば縮めるほどかさにかかって責めたててくるものだ。 動かぬ証拠を握られている以上、決して逆らえない相手に手加減などする必要はないのだ。絞れるだけ絞り取ろうと考えるのが当たり前なのだ。 大した金なぞ持っていない自分たち姉弟から結城が絞り取れるものは、姉弟の秘密しかない。結城が金儲けを企めば、話は簡単だ。 考えたくはないが、先日の姉とのセックスを盗撮したビデオが、結城の手によって裏ビデオの類として出回らない保証はない。そんな物が出回れば、どこで誰が目にするか分かったものじゃない。そうなったら最悪だ。 どう考えても逃れようのない蟻地獄の罠に自分が堕ちてしまったことを、拓也は今さらながらに身に沁みて感じていた。 確かに結城の言う通り、元をただせば実の姉に邪な欲望を抱いてしまった自分自身に、全ての責任はある。それを言い訳するつもりは毛頭ない。 だが・・・だからといって、こんな形でひとを苦しめることが許されていいのか。 手前勝手な理屈は百も承知だ。しかし一寸の虫にも五分の魂という言葉ではないが、どんな人間にも許せないことがある。 自分はまだいい。自分自身のしでかした不始末は、自分で被るしかないから。 だが・・・姉さんは、どうなる。自分のような弟が居たために、ヘタをすれば全ての人生を棒に振りかねない。 それだけは・・・嫌だ。 歪んだ愛情かもしれないが、自分は姉を心の底から愛している。 自分のせいで、姉がそんな目に遭ったら・・・。それだけは、絶対に嫌だ。 拓也の身体の奥深いどこかで、何かが動いた。(そうだ・・・やるしかない。たとえ奴と刺し違えてでも・・・姉さんを救うには、それしかない) その目の中に灯った妖しい光の色が、結城の目の奥にあるそれとほとんど同じ色をしていることに、拓也自身はむろん気付いていなかった。 20 史 子「タク・・・あなた、何か私に隠しているんじゃないの? 何か悩んでいるんでしょう?」 買ってきた寿司折にろくに手も着けず、ぼんやりとしている弟に向かって史子は声を掛けた。 父親が家を空けた今夜は、史子にとっても待ち遠しい一夜だった。 そのために無理を言って勤務のロ-テ-ションさえ変えて貰い、今夜から明日の午後までの姉弟だけの甘い時間を心から楽しみたいと思っていた。 だが、帰宅した弟の顔色は夜目にも鮮やかなほど蒼ざめ、何を聞いても生返事を繰り返すばかりだった。 史子の問いかけに、弟がはっきりと狼狽するのが手にとるように分かった。「そんな、悩みなんて何もないよ・・・」 言い募る弟の声にも、明らかな動揺の色が隠し切れない。「嘘・・・分かるのよ、姉さんには。だてに二十何年間も、タクと付き合ってきたわけじゃないのよ。言ってみれば交際期間二十年の恋人同士なのよ、私たちは。 ねえ、何を悩んでいるの? タクと私は、実の姉と弟で・・・そして恋人同士なのよ。 普通の恋人以上に強い、二重の絆で結ばれているはずじゃないの? だのに隠し事なんて、そんなの哀しいわ・・・」 そう言って史子は目を伏せた。 しばし食卓を支配していた沈黙を破ったのは、無残なまでにひび割れた弟の声だった。「実は・・・結城の奴が、生きていたんだ!」「何ですって?嘘、そんなことって・・・だってあの時、確かにタクが車ごと崖下に落としたんじゃなかったの?」「僕だって、そう思ってたよ!確かにこの手で車ごと突き落としたはずなんだ。 あの時、奴の車は崖下で火を吹いたし・・・助かるはずなんかなかったんだ! でも・・・奇跡的に生命を取りとめたらしい。今日の夕方、いきなり大学に現れた時には、心臓が停まりそうになったよ」「そ、それで・・・」「散々に僕を脅しつけていったよ。僕らに対して、相当の恨みを持っていることだけは確かだ。 前は単に金が欲しいってだけの要求だったけど、今度はそれだけじゃ済まないかもしれない」「何だって?」「とりあえず300万円よこせって言い出してる。おまけに、その・・・」「何?」「そのぅ・・・僕と姉さんのカ-セックスを、どこかで盗撮させろなんて言い出しているんだ・・・」「何ですって・・・そ、そんな・・・」 何てことになってしまったのか。史子は二の句が継げなかった。「むろん、そんなことお断りだよ、僕だって・・・でも、言うこと聞かないと・・・」「聞かないと?」「例の写真をバラまくって言うんだ」 その時、史子の目の前に一瞬薄黒い幕が下りた。 急速に失われていく意識の中で、史子の耳にあの結城の嫌らしい笑い声が響いていた。 * * *「大丈夫、姉さん?」 心配にはち切れそうな、気づかわしげな弟の顔が目の前にあった。 意識を失っていたのは、ほんの僅かの間のようだった。 リビングのソファに横たえられ、毛布を掛けられている自分に気付いた史子は、頭を振った。「大丈夫よ、タク。ごめんね、心配させて・・・ありがとう」 不意に史子は胸一杯にあふれてきた熱いものを押さえきれず、夢中で目の前の弟の首筋にしがみついていた。「ね、姉さん・・・」「お願い、しばらくこうしていていいでしょう?」「ああ、いいよ・・・」 背中に廻り込んだ弟の両手が、史子を優しく抱きしめてくれた。 両手から伝わってくる弟の体温に、史子の心を覆っていた黒い雲が少しずつ晴れていった。 ああ、やっぱり私はタクのことが好きなんだ・・・。 その時、史子は改めてそう感じずに入られなかった。血のつながりと、肉体と心の奥深いところで結びついた男女の愛情が輻輳し、震える史子の心を優しく包み込むのを感じずにはいられなかった。 何分間そうしていたことだろう。 実際にはほんの数分間、いや1、2分間のことだったかもしれなかった。 しかし効果は絶大だった。愛する男に抱きしめられることが、これほどの心の平穏と安逸をもたらすものとは、意外な気がしてならなかった。 適齢期と呼ばれる年代の史子にとって、これまで男性との恋愛経験が皆無であったわけではない。中には肉体的にも激しく需め合い、セックスに耽溺したこともある。 しかし、それらも含めて今まで出逢った相手は、ただの一人も自分が真から出逢うべき相手ではなかったのだと、史子は思わないではいられなかった。 なぜなら誰一人として、これだけの安らぎと安逸を与えてくれた相手はいなかったからだ。 真に出逢うべき相手は最も身近で、最も自分のことを知っていてくれる相手であったことに、史子は当然過ぎるくらい当然なものを感じていた。 ようやく本来の強い意志を取り戻し始めた史子だったが、逃避することの叶わぬ過酷な現実は相も変わらずのしかかっていた。 卑劣な脅迫者・結城の高笑いが聞こえるような気がする。 しかしそれとても、血のつながりを越えて愛し合ってしまった姉弟なればこそ受けなくてはいけない試練ではないのか。 この試練を乗り越えた時にこそ、自分たち姉弟が胸を張って生きていけるのではないだろうか・・・不思議なくらい平静な気持を取り戻した史子は、そんなことを思っていた。「それで、どうする気・・・タク?」「このままだと、奴の要求はどこまでエスカレ-トするか・・・分かったもんじゃない。 今回は言う通りにしても、いつ又無理難題を押し付けてこないとも限らない」「私もそう思うわ。あのひとは、蛇のように執念深い・・・っていう気がするわ。 でも、そうだとしたらどうすればいいのかしら?」 史子のその問いかけに、弟が僅かに言い淀んだ。 何か考えがありそうだった。が、言って良いものか悪いものか、逡巡しているように史子には思えた。 弟が口を開くまで、史子は待った。 姉弟の間に落ちた重苦しい沈黙は、それほど長くは続かなかった。「・・・・・・」 ポツリと呟くような小声で弟が言葉を押し出した時、史子は一瞬耳を疑った。「ね、もう一度言って頂戴。何て言ったの、タク?」「だから・・・こうなったら『毒をくらわば皿まで』で、行くしかないと思う・・・」「それって、まさか・・・」「ああ、もう一回奴を眠らせてやる。今度こそ、奴を絶対に醒めない永遠の眠りにつかせてやる!」 反射的に弟の目を見つめた史子は、そこに決して揺るがぬ激しい決意の色を見出して絶句した。「タク、あなた・・・」 史子の沈黙を同意と受け取ったのか、改めて力強く頷く弟に、史子の方が色をなした。「駄目よッ!もう、あんなこと・・・タクにさせたくないわ! お願いだから、考え直して頂戴!」 史子の懇願を聞く弟の顔に、泣き笑いにも似た表情が浮かんだ。 子供の頃からよく知っている表情だ。 こんな顔をした時、弟は決して言い出したことを曲げようとはしない。 この前の時もそうだった。結城の殺害を決意し、自分に全てを打ち明けて、自分の責任で全てを処理すると言い切った、あの時もこの表情をしていた。 21 結 城 それは、殺風景な室内に似つかわしくない調度だった。 パソコンを始めとする無数の電子機器で充満した結城の仕事場の片隅に屹立していたのは、一体の人形(ひとがた)だった。 ブティックや洋服売り場に置かれ、様々な彩りやデザインの服を着せ掛けられ、客にその存在を誇示するのが役割の代物だった。 人形(ひとがた)には、一着のナ-ス用白衣が着せ掛けられていた。 その意味ではまさに本来の役割を果たしていたとは言えるのだが、この場に似つかわしくないことこの上ない眺めであった。 白衣はそう古いものではなかった。 全く白色の、文字通りの白衣というわけではなく・・・淡い、注意してみなくては分からないほど淡いピンク色をした生地で作られていた。 先ほどから人形(ひとがた)の脇に立ち、じっと見入っていた結城は白衣を人形から外すと、これ以上はないくらい愛おしげな手つきでそっと抱きしめた。 目を閉じたまま白衣に顔を埋め、鼻をかすかにひくつかせながらその匂いを嗅ぐさまは「恍惚」の一言としか言い表しようがなかった。 ろくに換気もされず埃っぽい室内にあって白衣もまた埃にまみれていたが、そんなことに一向に頓着する様子はなかった。「あぁ・・・姉さん・・・」 結城の口を衝いて、ため息ともとれる声が漏れ出た。 目を見開いた結城は、部屋の中で1台だけ稼動しているモニタ-に目をやった。 モニタ-の中では、若い男女が戯れていた。 ふたりとも全裸で、露天風呂とおぼしき浴槽を出たり入ったりしながら、あたりはばかることなくイチャついている。 ふたりは互いの裸身に手を伸ばすと顔を、胸を、腹を、そして股間を撫で廻し合い、舌を這わせ、時には子供のように湯を掛け合い、すっかりと悦に入っている様子が窺えた。 そのモニタ-に向けた結城の目は激しい熱を帯び、その呼吸もいつしかふいごを思わせる荒いものに変化していた。 不意に結城の右手が荒々しく動き、おのがズボンのベルトをいきなり解き放った。 滑り落ちるズボンはそのままに、トランクスの中に右手を突っ込むと、激しく動かし始める。 足元に脱ぎ捨てたズボンをまとわりつかせたまま、モニタ-から片時も目を離すことなく結城は一心に右手を動かし続け、おのが欲望の権化を少しずつ育て上げていった。 いつぞやとは異なり、見る間にトランクスの前面が派手に膨らんでいく。 その面に感極まった喜悦の色を浮かべた刹那、何年かぶりに結城の背筋を、蹴りつけるような強烈で、しかし甘美な電撃が縦横無尽に走った。 ひと際高い絶叫が、室内の淀んだ空気を打ったのはその直後だった。 22 拓 也 前回の秩父山中とは異なり、さして人里離れた場所ではなかった。 そこは、山梨県の甲府市から富士五湖のひとつ河口湖へと抜ける裏道の途中にある、閉鎖されたドライブインの駐車場だった。 山ひとつ向こうにバイパスが出来て以来すっかり使われなくなってしまった寂れた旧道で、こんな深夜に通ろうとする車など一台もなかった。 その駐車場にサニ-を滑り込ませたのは、午前2時を廻ろうかと言う時刻だった。 サイドブレ-キを引くと、あたりを凄まじいまでの静寂が覆い尽くした。 ふたりの耳に聞こえるのは、サニ-のエンジンが奏でるアイドリング音だけだった。 眼下には河口湖町の明かりが点々と広がっているが、今夜のふたりにはそれを鑑賞している余裕はなかった。 ほっと息を吐きながら拓也が助手席に顔を向けると、姉もまたじっと見返していた。「本当にやるの、タク?」 姉の声音はかすかに震えを帯び、歯の根が合わないのか小さくカタカタという音が口許からこぼれ出ていた。「大丈夫だよ、姉さん。僕の作戦通りにことが運べば、結城の奴は今度こそ本当にお終いさ。だから、安心して僕に任せてくれよ・・・」 拓也の言葉に頷いてみせはしたものの、姉の震えは一向に止まる気配はなかった。 助手席に向かって手を差し伸べると、拓也は姉の髪を優しく撫ぜてやった。「大丈夫。本当に大丈夫だから・・・」 ようやく落ち着いてきたのか、姉の全身を支配していたかすかな震えはなりを潜めたようだった。 姉に向かって大きく頷くと、拓也は姉の唇に自分のそれを重ねた。 そうすることで、これから姉弟が行わなくてはならないことへの恐れが打ち消せるとでも言わんばかりの勢いで、姉の唇が拓也の唇を貪った。 拓也も姉に応えて、姉の唇を舌先でこじ開け、姉の舌を自分の舌でまさぐり、激しく舌と舌をからめ合わせた。 激しいディ-プキスに、拓也はともすると我を忘れそうになった。 しかし今は、計画の遂行の為にこの場に居ることを忘れてはならない。 そう、誰のためでもない・・・自分と姉の未来を、結城の手から取り戻すための計画なのだ。 * * * 昨夜遅くまで、姉と打ち合わせていた手順を拓也は脳裏で反芻していた。「いいかい、姉さん?結城は僕たちのカ-セックスの一部始終を、ビデオで録画したいって言っているんだ」「もちろん廻りに人が居ないところなんでしょう?」「その通りさ。僕たちも人に見られたくはないけれど、結城自身だってヘタな場所でビデオを廻すわけにはいかないからね。 指定してきたのは富士山近くの山道で、夜は他の車なんか通らない道らしい。途中に潰れたドライブインがあるんだそうだ。そこの駐車場で・・・その、してくれってさ」「でも、そんな真っ暗なところで撮影できるの?」「そこなんだ、僕が逆転のチャンスを見つけたのは」「どういうこと?」「結城の奴は、真っ暗闇でもあたりが真昼のように見える機械を持っている。スタ-ライトスコ-プっていうんだ。それを使って撮影するから、暗がりでもしっかり励んでくれってさ・・・」「厭らしい男ね、全く!でもどういうものなの、それ?」「簡単に言えば、星明かり程度の微かな光を人の目に見えるくらいまで電子的に増幅する機械だよ。うちの大学にもあるし、実験でも使ったことがあるよ」「それで?」「ああ、この機械は凄いハイテク機器なんだけど、たったひとつだけ大きな弱点があるんだ。何だかわかるかい、姉さん?」「何かしら?」「機械の常で、馬鹿正直にしか作動しないんだ。例えば、入ってくる光が1ルックスならば百ルックスに増幅するし、百ルックスの光が入ってくれば一万ルックスに増幅しちゃうんだ」「それって・・・」「そう、暗がりでこちらを覗き見している結城に向かって、いきなり強烈な光を浴びせればどうなると思う?」 * * * バックレストをリクライニングさせたシ-トに座り、姉を自分の上に載せると、拓也は呼吸を整え、落ち着こうと必死になった。 恐らくチャンスは一度きりだ。 姉と自分が感極まって絶頂に達したその瞬間、結城は間違いなくスコ-プを覗き込んでいるはずだ。その一瞬が唯一のチャンスだ。 運転席と助手席の間に押し込んであるのは、強烈な照度を誇る700ワットのスポット型フォグランプだった。一般公道で使用が禁止されている代物で、出所は大学の自動車部の練習車に装着してあったものを、無断拝借してきたのだった。(許してくれよ・・・)自動車部の友人の顔を思い浮かべながら、拓也は心の中で詫びた。 ランプから伸びるコ-ドは、リアシ-トのバックレストの隙間を通して又しても積んだトランク内のバッテり-に繋いである。 あとはチャンスを待って、ランプを照射するだけだった。 恐らくライトの照射を浴びた瞬間、結城の片目は潰れるだろうが、こちらの知ったことではない。 いくら結城が強くても、その状態でまともな格闘が出来はしないだろう。 あとは奴を押さえつけて、写真とビデオの原本のありかを吐かせるだけだ。そして、その後は・・・。 拓也は駐車場脇に立つ潰れたレストランに、ちらりと視線を走らせた。 あの窓のどこから、結城がこちらをビデオカメラで狙っているはずだった。 正確にその位置でなくとも良い。フォグランプの照射範囲はかなり広いから、例え真正面でなくともそれなりの一撃は与えられるはずだった。 しかし万全を期すならば、ピンポイントで結城の目を潰してやりたかった。 眼前でセックスの演技をしているはずの姉が、いつの間にか演技でなくなっているようだった。声を荒げ、激しく息を弾ませている。 ついついそんな姉に視線を合わせてしまいそうになる自分を叱咤しながら、拓也は一心に目的のものを探し続けた。 そして、遂に・・・見つけた。 暗闇の中、レストランのガラスの向こうに、ほんの小さな赤い光がポツンと灯っているのが見えた。(あった・・・ビデオのパイロットランプだ!) 間違いなく結城はあそこに居る。(今だ・・・!) シ-トの隙間に押し込んであったランプを取ろうとした、まさにその時だった。 23 史 子 まばゆい光芒が、突然史子たちを射抜いた。「な、何だ?」 眩しさに抗いながら、弟が光芒の正体を見極めようとする一方で、史子を庇うようにその身体に覆い被さった。「何なの、ねえ?」「分からない。誰かがこの駐車場に入ってきたみたいだ・・・一体、誰なんだ?」 弟が訝しげに再びこうべをめぐらした刹那、車のドアが出し抜けに開かれた。 あっと思う間もなく、弟が何者かにいきなり車外に引きずり出され、眩い光芒の中で何者かに蹴り飛ばされて吹っ飛んでいた。「タク・・・いやぁあ!誰なの、あなたたちは!」 史子の悲鳴を耳にして立ち上がろうとした弟の身体に、第二撃が襲いかかっていた。 狙いすました正確さで、何者かの靴先が再び弟の脇腹にめり込んだ。「ぐ・・・ふっ!」「世話の焼ける連中だぜ」 暗闇の中から、ぞっとするほど冷酷な声が響き渡った。 半裸に近い自分の姿にも構わず、外へ飛び出そうとした史子は背後から凄まじい力で羽交い絞めにされた。「ほお、中々の上玉じゃないか。実の弟とハメまくっているヤリマン女だっていうから、どんなオカチメンコかと想像していたけれど、これほどの上玉とはねェ・・・。 いや、驚いたよ。男にモテなくて、仕方なく弟に向かって股を開いてサカっているクソ女かと思えば、意外や意外って奴だね。 実の弟の薄汚いチンポコなんか突っ込ますには、惜しいねェ・・・」 この男は、自分たち姉弟のことを知っている!結城の仲間なのか、それとも・・・。 史子は、全身の血が一気に冷えていくのを感じた。 しかしそれでも、史子は持ち前の勝気さで叫ばずにはいられなかった。「誰なんです、あなたは!」 ビシッ! 激しい痛みが頬に走った。声の主に平手打ちを喰ったのだと分かったのは、一瞬の後だった。「ガタガタ騒ぐんじゃねえ、この腐れメス犬が!」 男の声にこもる凄まじい恫喝の響きに、我知らず史子の足が震えだした。 暗闇を割って、小柄なシルエットが現れた。「なあ、お姉さんよォ・・・騒いでいると、愛しい弟クンがブチ殺されるよ。それでもいいのかい?」 男が指差す先には、地面に転がって動かない弟と、その身体に足を掛けて得意そうに振り返っている若いチンピラの姿があった。「分かりました。逆らいませんから、お願いですから・・・弟に暴力をふるうのだけは止めてください」 震える声で懇願する史子に、男は鷹揚に頷いた。「そうそう。その態度を忘れなさんな・・・」 男が顎をしゃくると、背後から史子をいましめていた力が緩んだ。 傍目も憚らず弟に駆け寄る史子に、足を掛けていたチンピラはせせら笑いながら場所を譲った。「タク・・・大丈夫?しっかりして!」 骨折してるかもしれないので、派手に揺さぶるわけにはいかない。「あ、ああ・・・なんとか・・・姉さんの方こそ大丈夫かい?」 共に震える声音で、姉と弟は互いの無事を確認し合った。 24 結 城 出し抜けに肩口に衝撃が襲ったのは、まさに姉弟のカ-セックスがクライマックスを迎えようとする瞬間だった。 一心にスコ-プのレクティルを覗き込んでいた結城は、背後から風を切って振り下ろされた何かに肩から首筋をしたたかに痛打され、そのまま床に崩おれた。(ぐ・・・くそッ、誰だ・・・) 床に転がりながらも、結城は必死で反撃の糸口をつかもうとした。 ブ-ツの脇に差し込む格好で常に携帯している、極小の薄刃ナイフに手を伸ばそうとした右手が、しかし頑丈な半長靴にしたたかに踏みにじられた。 呻く結城の首筋に、ひやりとする冷たい感触があった。「動きなさんなよ。動いたら、その首筋が真っ二つになるぜ。 さあ、そっと立ち上がるんだ。ヘンな真似すんじゃねえぞ!」 逆らいようがなかった。 ズキズキと疼く首筋の激痛に耐えながら、結城は静かに立ち上がった。「ようし・・・そのまま、表に出るんだ」 ゆっくりと歩き出しながら、相手の声に聞き覚えがあることにようやく結城は気付いていた。(この声は確か・・・) そこまで考えながら建物を出た結城を、よく知った声が出迎えた。「いよう、結城さん・・・」「きさまか、やはり・・・くそ・・・」 光量を落としたライトを放つベンツを背に立つのは、誰あろう他でもない進藤だった。「おうよ。あんたがあんまり勿体つけて、作品を出さねえもんだからいけねえんだよ。 こっちも痺れ切らしちまったよ。悪く思うな・・・恨むんだったら、自分を恨みな」「心外だな。あんたと俺のビジネスはこれまでだって、充分に利益を上げていたはずだぜ。 何をトチ狂ってこんな真似をするんだ?」「へッ・・・こきやがれ!こんな上玉の作品を出し渋っておきながらよう吹くぜ。 ヘタすりゃ、どっかよその組にでも売り込むつもりだったんじゃねえのか?」「何か誤解があるようだな。この連中は、商売ネタじゃないんだ。 言うなれば、そうだな・・・趣味みたいなもんだ。こいつら姉弟のビデオは、俺ひとりが楽しむために撮っているんであって、他の代物みたく商売にする気はないんだ。 分かったら、さっさと失せてくれ。さもないと・・・」「さもないと・・・ほお、何だい?」「あんたたちとは、今後一切取引はしない。それでもいいのかい?」「上等だよ。こちとらも、お前みたいな風来坊にいつまでもデカイ面させておく気は、最初からこれっぽちもなかったんだよ。 嫌なら結構。だがな、お前さんの手の内は、もうすっかり見せてもらっているんだよ。 ラブホや公園張って、近親相姦してる犬畜生カップルを引っ掛けるだけじゃねえか。 こっちにもそれなりの機材と、人間はいるんだ。もっと大々的に儲けられる商売なんだぜ、こいつは。これほどのシノギは中々ねえよ。 いつまでもお前さんの風下になんか、ついている必要はないんだ」「じゃあ、これで決裂ってわけか・・・」「その通りさ。ま、お前さんはこれまでの実績に免じて、腕の一本くらいで勘弁してやらァ」「そのふたりは、どうするつもりだ?」「そうさな・・・まずは2,3本はこいつらをネタに、モノホン近親相姦ビデオを撮らして貰うぜ。そのあとはだな・・・」 進藤はそこで言葉を切ると、意味ありげな笑いを浮かべて震えながら寄り添う姉弟を見据えた。「こいつらには、うちの組の地下カジノで『姉弟本番ショ-』を演ってもらおうか、とりあえずは。受けるぜ、きっと・・・」「こいつらが行方不明になったら、親が黙っちゃいないぞ。警察に捜索願を出すぜ」「そんなこたァ、先刻承知の助って奴よ。 なあに、こいつらに直筆で親宛に手紙を書かせりゃ済むこった。『僕たちは駆け落ちします』ってな。親が読んだ時の顔を見てみたいぜ。 娘と息子が実の姉弟で手に手を取って駆け落ちしたなんて知ったら、卒倒するな、多分。とてもじゃないが、警察はおろか世間に知られないように必死になるさ」「それでもって、最後はどうなる?」「そうさな・・・女は南米か中近東の金持ちの奴隷に売れるし、男の方も東南アジアあたりじゃそれなりの需要があるさ。その辺のル-トはうちの組の得意技でね・・・心配には及ばんよ」 結城と進藤のあまりと言えばあまりな会話に、それが自分たちの運命だと知った姉弟は、見るも無残に震えていた。 そんな姉弟の姿に、フッと結城の口許から不思議な微笑が漏れた。 結城の口許に浮かんだ笑みを嘲笑と取ったのか、不意に進藤が声を発した。「おい、サブ!そいつの腕をへし折っちまいな! こいつはこう見えて、結構アブない野郎だ。二度とうちのシマ内でうろうろ出来ねえようにしちまうんだ!」 サブと呼ばれたのは、先ほど結城を背後から殴り倒した男のようだった。 そういえば、確かに進藤の組事務所で何度か見かけたことがある。 全くの下っ端ではなく、若い者を何人かは束ねている立場にはいるらしい。無闇とイキがるほどのチンピラではないが、そういうのが最も危ない人種であることを結城はよく承知していた。 恐らく容易に隙はみせまい。進藤は別格にしても、相手は暴力のプロが3人も揃っているのだ。無傷で切り抜けるのは、恐らく不可能だろう。(腕一本くらいは、くれてやるしかないか・・・) 結城は肚を括った。 まずサブに素直に腕を折らせてやろう。そうすれば、奴らに隙が必ず出来る。 幸運なことに、圧倒的優位な状況に慢心した連中は身体検査を怠り、ブ-ツに隠したナイフに気付いてさえいない。 奴らも腕を折られた直後の人間が反撃するとは、露ほども考えてはいないだろう。 そこに唯一のチャンスがあった。 無論、結城とて人間である以上、腕を折られる苦痛は耐え難いものがある。しかし、自分はかつてそれ以上の苦痛を耐え忍んだ経験があるのだ。その程度の痛みや、こんな連中などに負けるわけにはいかなかった。(それに、このふたりだけは何としても・・・) 結城は地面にしゃがみ込むと、右腕をそのまま差し出した。「好きにしろ・・・やれ!」 結城のその言葉を耳にして、一瞬進藤の目の中にかすかな怯えにも似た色が走った。 気圧される自分を叱咤するつもりなのか、進藤は必要以上に大きな声で命じた。「いいだろう・・・やれ、サブ!」 サブの半長靴が、背後から自分の右腕にのしかかる。 グッ!と奥歯をかみ締めながら、さりげなくブ-ツに這わせた左手で差し込んだナイフを抜き放つことだけに意識を集中し、次に襲いかかって来る苦痛に備えようと結城が身構えた時だった。「あ、このクソアマッ!」 進藤の叫び声が上がった。 顔を上げた結城の目に映ったのは、脱兎の如く駆け出し、停めてあった車に駆け寄る史子の姿だった。 思わずサブの半長靴が、結城の腕から外れた。(今だッ!) 流れる如く自然な動作でブ-ツのナイフを抜き放つや、結城はろくに見もせずその刃先を背後に向かって跳ね上げた。 声にならない悲鳴を耳にした瞬間、結城の首筋にザザッ!と生暖かい液体が降り注いだ。 しかし結城は背後には構わず、ナイフを水平に構えると一気に眼前の進藤に向かって跳躍していた。 25 史 子 進藤と呼ばれた、明らかにヤクザと思われる男と結城の会話は、普通の人間の会話ではなかった。 ひとを人とも思わぬ、鬼畜の会話だった。 確かに自分たち姉弟は、いわゆるモラルを大きく踏み外し、姉と弟でありながら「男女の愛」という迷宮に迷い込んでしまった罪人かもしれなかった。 しかしだからと言って、どんな鬼畜な振舞いを受けてもいいなどということはないはずだった。 史子の裡で、勃然たる怒りが渦を巻き始めた。 それは結城や進藤に対する怒りと言うより、この1ヶ月余りいいように自分たちを翻弄してきた運命への怒りであったかもしれなかった。 そして、好き勝手にこづき廻され苦痛にのたうちまわっている弟の姿を目の当たりにして、史子の怒りは発火点を越えた。 おぞましいことに、進藤と結城は近親相姦カップルを見つけては、その秘密の姿をビデオ化して売り捌いていたらしい。恐らくは秘密をネタに強請りも働いていたに違いない、自分たちがそうされたように。だが何が齟齬をきたしたのか、両者は決裂してしまったらしい。 暴力団員と思われる進藤たち四人を相手にしては、さすがに結城も分がないと思ったらしい。おとなしく腕を折らせるつもりのようだ。 そして彼らの暴力の顎(あぎと)は、次は自分たちに向かってくるのだ。(そうは、させるもんですか・・・。私の身と引き換えにしてでも、タクだけは守ってみせるわ。この前はタクが私を守ろうとして、あんなことまでしてくれたんだ。 今度は、私がタクを守る番よ!) 史子は、今にも血の出そうなほど唇を噛みしめた。 そして、待っていたチャンスが来た・・・。 史子の脇に立つ男は、結城が腕を折られるさまに見とれていた。 他人が苦痛を味わうさまに目を輝かせて身を乗り出す、暴力を常習とする人間の吐き気がしそうな本能が男の面に表われ、他人の上げる苦痛の声への期待でその顔ははちきれんばかりに輝いていた。(今だわッ!) 一瞬の隙を突いて、史子は駆け出していた。(待っててね、タク!) 駆け出してすぐ、史子は愕然とした。 高校時代は陸上部の中距離選手だった史子だが、それが遥か遠い昔に思えるほど足は動かなかった。 停めてある車までのほんの数十メ-トルが、無限の距離に感じられた。(追いつかれる・・・) ともすると振り返りそうになる自分を叱咤して、必死で足を動かす。 走行中に後ろを振り返るとスピ-ドが一気にダウンすることだけは、かつて嫌というほど叩き込まれた身体が覚えていた。振り返っている余裕はない。 背後の方で、凄まじい絶叫が上がった。 それが追ってくる男の上げたものか否か考える余裕もないまま、ドアが開いたままの車内に史子は飛び込んだ。 間、髪を入れず史子の髪がグイ!と掴まれた。 半ば悲鳴を上げながらも、史子の右手は目的のそれを掴み取っていた。「このクソアマ!」 背後の男に髪を引き寄せられるまま振り返る史子の手が小さなスイッチを必死でまさぐり、次の瞬間、史子の手許からほとばしった凄まじい光芒が男の眼球を直撃した。「うッ・・・うわぁアアッ!」 結城の目を潰すために用意していた強力フォグランプの光にまともに眼球を射抜かれ、男は顔を覆ってよろよろと後退した。 運転席に飛び込んだ史子は、一気にクラッチをつなぐと車を発進させていた。 車の向きを進藤や結城たちに向けた瞬間、史子の眼に凄絶な光景が飛び込んできた。 結城の腕を折ろうとしたサブと呼ばれた男が、首筋から真っ赤な飛沫を滴らせながら、でく人形のような足取りで2、3歩進んだかと思うと、そのまま地面に前のめりに倒れた。 その向こうでは、残る四人が入り混じり、混戦状態を呈していた。 結城と進藤がもみ合い、その進藤の足に弟がしがみつき、もう一人のチンピラがその弟を足蹴にしている。 足蹴にされている弟の姿を目にするや、史子の中で完全に何かがキレた。 史子は猛然とアクセルを踏み込んだ。 発進直後の車体に伝わる軽いショックに思わずバックミラ-に目をやると、先ほど目潰しを食らわせた男が跳ね飛ばされて宙に舞うのが映った。 が、キレてしまった史子はそれには構わず、更に右足に力を込めてアクセルを踏み込んだ。 砂煙を上げて突進してくる車を見て、四人は弾かれたようにばらばらになった。 その中で、弟だけが動かずに地面に倒れたままだった。 つんのめるような勢いで弟の傍らに車を停めた史子の視界の片隅に、横合いからおめき声を上げて突進してくるチンピラの姿が映った。 暴力を生業とする男たちへの恐怖と、それに倍する激しい怒りが史子の手足を反射的に衝き動かした。 躊躇いもなくギアをバックに叩き込む。 アクセルを床まで一気に踏みながら、クラッチを踏んでいた左足を跳ね上げる。 後輪から白煙と悲鳴をまき散らしてバックし始めた車体を、チンピラはたたらを踏んで避けようとした。 それを横目で見ながら右手だけでステアリングを目一杯左へ切ると同時に、渾身の力を込めた左手でサイドブレ-キを引き上げる。 次の瞬間、行き場を失った後輪の駆動力を受け止めた車体は、その場に止まったまま、後輪を軸にして一気に右側へと鼻面を旋回させた。 旋回するフロントフェンダ-が、立ち尽くすチンピラを真正面から捉えた。 グシャッ! 骨の折れる鈍い音に、肉の潰れる湿った音が重なる。 フェンダ-に跳ね飛ばされたチンピラは、暗がりの彼方に吹っ飛ぶとその場で動きを止めた。 かつて弟に叩き込まれたスピンタ-ンのテクニックが、考える前に史子の手足に指令を飛ばしたのだった。史子自身も、これほどきれいに決まるとは思わず、自分でもあっけにとられていた。 が、あっけに取られたのは史子ひとりではなかった。事態の急転にやはり固まってしまった進藤の隙を見逃さず、結城が身体ごと進藤にぶつかっていった。 糸の切れた操り人形さながらに、進藤の身体が地面にくずおれたのはその直後のことだった。 車のドアから転げ出た史子は、弟にむしゃぶりついていった。 「タク・・・大丈夫?」 弟のすぐ脇の地面に転がる進藤の腹には、結城のものとおぼしいナイフが垂直に突き立っていた。その光景に、さすがにキレた史子も息を呑んだ。「手前ら・・・こんなことして、タダで済むと思うなよ・・・」 ぜいぜいと喉を鳴らし、苦しい呼吸の下から進藤が嘲るように呟いた。「手前ら全員、うちの組の的だァ・・・どこへ逃げようと、地の果てまで追っかけてやらァ。ざまあみろ・・・」 思わず顔を見合す姉弟の背後から、別の声がした。「へ・・・ハッタリもたいがいにしな、進藤。お前がこんな美味しいシノギを組内にだって話しているわけなかろうて・・・。 今夜、お前がここに来ていることを知っている者は、この手下どもを除けば恐らく組内には一人も居ないはずだ。だから、お前の代わりに俺たちを的に掛けるような奴も居ないはずさ。違うかい?」 結城の声だった。 反射的に振り向いた姉弟は、幽鬼の如き定まらぬ足取りで立ち上がる結城を見て、凍りついた。「くッそぅ・・・手前ェ・・・」 搾り出すように一言唸ると、進藤の首がガクリ!と垂れ下がった。「へ、やっとくたばりやがったか・・・くたばりぞこないめ・・・。 心配すんな・・・俺も、もう終わりさ」 そう呟くと、姉弟の前で結城もまた地面に前のめりに倒れこんだ。 駆け寄った姉弟は、結城の身体を仰向けに起こしてみた。 結城の脇腹にも刃物で大きく抉られた跡があり、止めどなく血が滲み出している。 もの問いたげな弟の視線に、史子は軽く首を振った。とても助かる傷ではなかった。 そんな姉弟に向かって、苦しい息の下から結城が声を搾り出した。「済まなかったなァ・・・あんたらには、とんだ迷惑を掛けちまって・・・」 初めて耳にした結城の人間臭い、暖かい声音に史子は思わず弟と顔を見合わせた。「もう心配いらねえよ・・・あとの2人も、たった今俺が首を掻き切っておいた。 進藤の野郎もくたばったし、あとはふたりしてここをさっさと逃げ出せばいい・・・」 ますます意外極まる結城の言葉に、史子は全身が血で汚れるのも構わず、結城を抱き起こした。「いけねえな。そんなことしたら、血が付いてあとで検問にでも引っかかるぞ。 車に乗ったら、さっさと着替えな・・・」「あなたは一体、何者だったんですか?私たちを強請っていたんじゃないんですか? どうして私たちを助けるようなこと、してくれたんですか?」 だが史子のそんな問いに、結城は応えようとはしなかった。「そんなことは、どうでもいい。それより・・・これから俺の言うことを良く聞いて、忘れんじゃないぞ・・・いいか? 山を下ってすぐ中央高速に乗れ。そして調布インタ-で降りろ。インタ-を降りたすぐ近くに『パ-クネット調布』という古いマンションがある。 そこの308号室に行ってみろ・・・」 結城はそこで軽く咳き込み、ぺっ!と血痰を吐いた。 肋骨も折れ、肺に突き刺さっているのかもしれなかった。「お前さんたちの記録一式は、そこにあるぜ。 どれがそうだか分からなけりゃ、部屋にあるビデオとDVDを一枚残らず持って行け。 そして焼き捨てるなりなんなり、あとはお前たちの好きにしろ・・・。 ほら、これが部屋のキ-だ・・・」 震える指先でジャケットのポケットを探って鍵を取り出すと、結城はそれを史子の手の中に落とし込んだ。「調布インタ-を出てすぐ北側。『パ-クネット調布』。308号室だ・・・忘れんなよ」 不意に何かに気付いたように頭を上げた弟が、結城の顔を覗き込んだ。「それじゃ、もうひとつだけ教えてくれ・・・」「何だい?」「あんたが連絡を取らなかったら替わりに資料を公表するっていう相棒は、一体どこに居るんだ?」「そんなもの、居やしねえよ・・・俺は最初から最後まで、一匹狼さ。 へッ・・・とうとう、こうなったか・・・」 史子は、思わず弟と顔を見合わせた。「本当なのか、お前に相棒や協力者が居ないっていうのは?」「へッ・・・今さらお前たちを騙したところで、どうなるもんじゃなし。信じたくない気持は分かるし、信じないのはお前さんたちの勝手だがな・・・もう、俺にはどうでもいいこった。さあ・・・俺はもう疲れた。いいから、行け・・・」 目を閉じ、地面に背中を預けると、虫の息の結城はそれきり口を噤んでしまった。 26 拓 也 ドアを閉める寸前、拓也は運転席に座る結城の首筋に手を当てた。 結城は、完全にこと切れていた。それだけは確かだった。 不思議と後悔はなかった。むろん良心の呵責も。 大きくひとつ息を吐き出すと、叩きつけるようにドアを閉める。 開いたウインドウの窓枠に手を掛け、渾身の力で車を押してみる。 ギアを抜き、サイドブレ-キを外した結城の車は、ほんの少し惰性をつけてやるとあっけないくらい軽々と動き出した。 動き出した車から離れ、拓也はじっと車の行方を見守った。 ガ-ドレ-ルのない縁石だけの路肩を乗り越える瞬間、車体が軽く跳ね上がったかと思うと、そのまま一気に車は結城を乗せたまま斜面を滑り落ちていった。 スキ-の直滑降さながらに、斜面を下る車の速度が徐々に上がってゆく。 その行く手に太い立木が、1本立ちはだかっていた。 正確な軌道を描いて、車は立木に吸い寄せられていった。 ドッス-ン・・・! 腹の底に響く衝突音が、夜気を裂いて拓也の耳朶を打った。 立木に激突した車は、衝突の余勢をかってその鼻先を支点に尻を振り、スロ-モ-ションフィルムを思わせる緩慢さでゆっくりと横倒しになった。 さらに斜面を転げ落ちてゆくかと見守る拓也の前で、車はその動きを止めた。「・・・!」 だめか・・・失敗か・・・激しい焦りが拓也の背中を這い登る。 拓也の額に、粘っこい汗がどっと吹き出す。 思わず斜面に向かって拓也が一歩踏み出した、まさにその時だった。 ボワンッ!! 車体後部のガソリンタンクのあたりから、一条の火柱が立ち昇った。 みるみるうちに火柱は紅蓮の炎と化して車の後半分を呑み込み、あたり一面の夜闇をも圧倒する毒々しい黒煙と、激しい火花をまき散らし始めた。 もはや長居は無用だった。燃え盛る車に背を向け、拓也はサニ-に駆け戻った。 助手席に座る姉の顔が能面さながらにこわばっている。 無理もない。自身で手を下していないものの、共犯として殺人現場に立ち会うのは姉にとって2度目になる。 医師として、ひとの生命を救うのが仕事である姉にとって、相当な精神的負荷がかかっていることは拓也にも容易に想像がついた。が、今はそんな思いに囚われている場合ではなかった。 何か言いたげな姉を制してドアを閉めた拓也は、セルを捻りざま一気にクラッチを放してサニ-をスタ-トさせた。 悍馬に鞭をくれる勢いで、サニ-は駐車場から飛び出した。 方向は最初から決めてあった。計画通りにことが済んだ暁には、下り方向に道を一気に下って15分ほどのところにある高速道路のインタ-に入るつもりだった。八百長芝居の前回と違ってのんびり近場で一晩過ごす気は、拓也には毛頭なかった。 下り坂を駆け下りてゆく車内で、ようやく拓也の全身を縛っていた緊張の糸が緩んだ。「済んだよ、姉さん。何もかも・・・もう終わったんだ」 呟きながら横を向いた拓也は、自分で自分の身体を抱きしめたまま姉が全身を震わせていることに気付いた。「ううん、終わったんじゃないわ。始まったのよ、今度こそ・・・」「始まったって・・・何が?」「私たちが背負っていかなければならないものが・・・今夜、たった今から始まったのよ」「それは、あいつの生命を絶った・・・そのことを背負っていくってことかい? そんなもの、背負う必要なんかない!あいつは・・・結城は、人間じゃないんだ!」 ステアリングを操る拓也は、あたかもそこに結城が立っているかのようにフロントガラスを睨みつけ、言葉を叩きつけた。「あいつは、人間の皮をかぶったケダモノ以外の何ものでもなかったんだ! そんな奴に対して・・・まともな人間に対するのと同じ気持なんか、これっぽちも持つ必要なんかないんだ!」 しかし拓也のその叫びも耳に届かぬのか、全身を震わせたままの姉はひとり何ごとかをブツブツ呟きつづけていた。「ひと殺し・・・近親相姦の上に、ひと殺しよ・・・私たち、地獄に堕ちるわ・・・」 そんな姉を横目で見つめる拓也の顔が、やるせなさに歪んだ。「もういい・・・もういいんだ。全ては僕が背負っていくから、姉さんは・・・」 右手でステアリングを操りながら、拓也はやおら左手を伸ばした。 その指先で、姉の肩先にそっと触れる。 だが、それは却って逆効果だった。「いやツ!もう・・・いやツ!」 反射的に拓也の手を振り払った姉の掌が、勢い余って拓也の顔面を直撃した。「うわツ!!」 姉の指先に左眼を直撃され、コンマ何秒かではあったが、拓也は眼を庇って手を当てていた。 その時、サニ-はまさにタイトなヘアピンカ-ブにさしかかったところだった。 迫る急カ-ブに対して、右手一本で操られていたステアリングは、ほんの僅かではあったが切り始めるタイミングを逸した。 パニックを起こしかけた拓也は、反射的に全力でブレ-キを踏み込んだ。 ロックしたタイヤが路面の浮き砂利によってトラクションを奪われたのは、ほんの一瞬だった。しかしそれは、サニ-がコントロ-ルを失うには充分な時間だった。 外の風景が、フロントウインドウの中で一気に横に流れる。 拓也の両手がステアリングを目まぐるしく廻し、両足がブレ-キとクラッチそしてアクセルの間を激しく行き交う。 鍛えぬかれた拓也のテクニックが、サニ-のコントロ-ルを取り戻したかに見えたその時、拓也の視界一杯に白熱した光が膨れ上がった。 トラック特有の甲高いホ-ンの音があたりを聾して響きわたり、その直後に襲いかかった凄まじい衝撃が拓也の意識を暗黒と混沌のただ中に放り込んだ。 * * * 意識を失っていたのは、ほんのわずかの時間のようでもあり、逆にとてつもなく長い時間だったようにも思えた。 混迷する拓也の意識を揺さぶり起こしたのは、背中を切り裂く凄まじい激痛と耳を聾する強烈な高周波音だった。 薄ぼんやりとした拓也の視界の中で、巨大な蟹を思わせる鋼鉄の鋏が高周波音を発しながらひしゃげたサニ-のドアを徐々に押し広げていく。 その直後、白昼さながらに晧々とした光のもとに拓也は引きずり出された。「生存!生存!要救助者1名、生存、確認!」 野太い叫び声が拓也の頭上に響き渡る。 ストレッチャ-に載せられる瞬間、横に並ぶもう一台のストレッチャ-に横たわる姉の姿が拓也の目に飛び込んできた。 ストレッチャ-の上で彫刻さながらに微動だにしない姉の顔色は紙よりも白く、死神の魔の手が姉をつかみ、奪い去ろうとしていることを拓也は直感した。 襲いかかる苦痛も拓也を止めることはできなかった。全身のアドレナリンが沸騰し、拓也は死にもの狂いで上半身を起こそうとした。「ね、姉さん・・・」 すかさず幾本もの手が拓也を押し止めようと伸びる。 それらに抗いながら、ひび割れた絶叫が拓也の唇を衝いて出た。「お願いだ・・・姉さん、返事してくれッ・・・姉さん・・・亜佐美ッ!」 27 史 子 何かに追われるかのように、車は矢のような加速で駐車場を飛び出した。 急加速に背中をシ-トバックに叩きつけられ、史子の意識が不意に肉体へと舞い戻った。今になって、全身が激しく震え出す。 両腕で自分自身の身体を抱きかかえ、必死に落ち着こうとする努力は、しかしいっこうに効を奏してくれなかった。 弟の視線を感じた史子は、震えを必死に押さえつけながら首を捻ってこうべをめぐらせた。 ステアリングを操りながら、気づかわしげに自分を見つめる弟と視線が合う。 弟に向かって無理にでも微笑もうとするが、頬の筋肉が強張って引き攣った表情にしかならないのが自分でも分かる。「姉さん、大丈夫かい?」「あなたこそ・・・どっか怪我してないの、タク?」「何とかね。あちこち、痛いけど骨折したりはしていないみたいだ。 良かった・・・って言っていいかどうか分からないけど、とにかく終わったんだ」 フロントウインドウにひたと視線を据えたまま、弟は自分に言い聞かせるように何度も頷いていた。 そんな弟を見やりながら、史子は重いため息を吐いた。「でも、どうしても不思議だったのは、あのひとの最期ね」「ああ・・・それは、僕にも不思議でならないんだ。何で最期になって結城は、あんな風になったんだろう?人間は誰でも、死の間際には変わるのかな?」 弟の言葉に、史子は小首を傾げた。「それもあるかもしれないけれど、でも・・・」「でも、何だい?」「上手く言えないけど、あのひとは最初から私たちを単純に恐喝していたとは思えないのよ・・・何かそんな気がしてならないのよ・・・」「そうなんだ。ヤクザに向かって、僕たちのことを『商売にする気はなかった』って言ってたけど、あながちその場しのぎの嘘には思えないんだ」 どうにも腑に落ちないといった風情で語り合っていたふたりは、いっさい背後に注意を払っていなかった。 ガリガリ・・・ガッツン! 金属が擦れ合う耳障りな大音響と、突然の衝撃にふたりはシ-トの上で文字通り飛び上がった。「あ、あれはツ・・・!」 バックミラ-に映っていたのは、進藤が乗ってきたベンツだった。 フロントウインドウにのしかかるようにして運転しているのは、絶命したはずの進藤だった。「くそッ・・・い、生きてやがった!」 蒼ざめながら必死でアクセルを踏み込む弟を横目に、史子は再び後ろを振り返った。 全身血に染まりながらベンツを操る進藤の姿は、まさにこの世のものではなかった。 史子の脇で弟が必死にアクセルを煽り、ベンツを引き離そうとする。 次々と迫ってくる下り急カ-ブを利して、小型軽量車ならではの運動性能を極限まで引き出す弟の神業的なドライブが続く。 が、3倍以上の排気量の差はいかんともし難い。 カ-ブで引き離しても、直線でたちまちリアウインドウいっぱいに、ベンツのフロントグリルがどアップになる。 激しい衝撃と、僅かに遅れて歯の浮くような金属音があたりの空気を振るわる。 何時間もそんな攻防が続いたように史子は感じていたが、実際はほんの数分間のことだった。 もう数え切れない、何度目かの金属音と衝撃の直後、史子の眼に映っていた外の風景が、いきなり激しく横に流れた。「きゃッ!」 ふたりの乗るカロ-ラは、大きな弧を描いてスピンし始めた。 そのカロ-ラの横をスリップしながらすり抜け、ガ-ドレ-ルのない路肩に引き寄せられていく進藤のベンツの姿が、史子の網膜に映ったのはその直後だった。 スリップしたタイヤが上げる歯の浮きそうな擦過音に続き、悲鳴にも似た金属のへし折れる破壊音が史子の鼓膜を引き裂いたかと思うと、凄まじい衝撃がカロ-ラにも襲いかかってきた。 * * * 全身を包み込む高熱に、史子の意識は一気に引き戻された。 周囲は既に炎の帳に包まれ、容赦なく史子の全身を覆い尽くそうとしていた。 車外に抜け出そうと必死でもがく史子の両足は、しかし潰れたダッシュボ-ドに挟みつけられて、全く身動きができなかった。 足を引き抜こうと死にもの狂いで下半身に力を込めるが、抜ける兆候がないばかりか足全体にさらなる激痛が襲いかかった。 恐怖と絶望に炎よりも熱く全身を灼かれながら周囲を見回した史子は、半ば千切れかけて開いた運転席のドア越しに、車外に放り出されて動かない弟の姿を見出した。 刹那、史子の意識から自分自身の身に迫る危機は消し飛んでいた。「逃げなさい、タクッ!」 喉も枯れよとばかりに、史子は叫ばずにはいられなかった。 史子の声に反応したのか、辛うじて上半身を持ち上げた弟が史子に向かって何か叫んでいる。 「早く逃げるのよ、タク!あなたも巻き込まれるわ!」 半ば身を起こした姿勢のまま車に這いずり寄ろうとする弟の姿に、史子の全身の血が逆流した。「来ちゃダメッ、タク・・・逃げて、卓ッ!!」 次の瞬間、あらん限りの声で絶叫を放った史子の視界は、紅蓮の炎に閉ざされた。 エピロ-グ1 君が佳き名を・・・ 意識を取り戻したとき、痛みは感じなかった。 進藤に抉られた脇腹の痛みは、強烈過ぎて却って痛覚そのものを麻痺させてしまったらしい。「どうやら、俺の番らしいな・・・」 「彼」の脳裏には、つい先ほどの去り際に史子が浮かべていった、訝しげな表情が焼きついて離れなかった。 それは、かつて「彼」が愛し、慈しんだ女性の面差しにどこか似ているものだった。 その顔に向かって、「彼」は語りかけていた。(姉弟だっていい・・・幸せになるんだ。任せたぜ・・・す・ぐ・る、ちゃん・・・よォ) そう呟いた「彼」の口許からは奇妙に楽しげな笑みがこぼれ、その面にはどこか不思議な静謐さが漂っていた。 自棄や諦めとも違う・・・見方によっては長年の念願が叶ったとさえ見える、満ち足りた柔らかい微笑が「彼」の面差しを変えていた。 つい先ほどまでそこに在った人を人とも思わない倣岸さも、ナイフを連想させる鋭く尖った酷薄さも、もはや「彼」の表情からは探すべくもなかった。 そこにあるのは、どこにでも居そうな年齢相応のひとりの若者の表情だけだった。 一切の動きを止めていたはずの「彼」の身体に不意に動きが生じたのは、その直後だった。 激痛に逆らいつつ、でき損ないのロボットさながらに軋む左手を騙し騙し動かす。 痺れる指先を辛うじて操り、ジャケットの胸元から免許証入れを抜き出す。 耐えがたいほどの激痛に苛まれながら、「彼」は免許証入れの間から一枚の写真を抜き出した。 その拍子に免許証入れが地面に落ちたが、構わず「彼」は写真を摘んだ左手を眼前へとかざすことだけに全ての神経を集中させていた。 時間にすれば、ほんの十数秒のことだったろう。 しかし、今の「彼」にとっては永劫とも思える時間の果てに、その努力がようやく報われた。 薄れかかる意識と次第次第に暗くなる視界の中で、眼前に掲げた一枚の写真を「彼」は狂おしく見つめた。 しかし、もはや「彼」の目にはその写真を見定めることは不可能だった。「ね・・・姉さん・・・」 「彼」の口から、絶望的な吐息が漏れた時だった。 不意に何かの物音と共に、あたりが真昼の明るさを取り戻した。その光源が何かを見定める意思も余裕も、既に「彼」には残されてはいなかった。 照らし出された光の中、「彼」は最後の力を振り絞って掲げた写真に見入った。 それはひとりの女性と「彼」との、仲睦まじいツ-ショット写真だった。 何の屈託もなく微笑む「彼」とは対照的に、「彼」よりも何歳か年上と見えるその女性は、どこか哀しげな憂いをたたえた美貌をカメラに向けていた。 彼女の口元には、特徴的な黒子がひとつあった。「やっと一緒になれるよ、姉さん・・・待たせたね、亜佐美・・・」 そう呟いた「彼」の左手が、写真を握ったまま力なく地面に投げ出された。 それと同時に、写真を照らし出していた光源がゆっくりと移動を始めた。 光源は、瀕死の進藤が操る彼のベンツだった。血まみれの進藤が、最後の気力を振り絞って車を移動させていった後には、あたりに再び闇が訪れた。 その闇の中で、物言わぬ骸と化した「彼」が握りしめたままの写真が、吹き始めたかすかな風に煽られて小さくはためいていた。 そのそばには、落ちたはずみで開いた免許証入れが転がっていた。 開かれていたのは、ちょうど免許証の入っている部分だった。 免許証の氏名欄には、「鷹野拓也」と印刷されていた。 エピロ-グ2 三面記事【 朝読新聞埼玉版 1999年5月31日 朝刊より 】 31日午前1時半ごろ、秩父市森川の林道で、東京都練馬区の大学生、鷹野拓也さん(21)が運転する乗用車が、群馬県前橋市の運転手(42)が運転するトラックと出会い頭に衝突し、鷹野さんの乗用車がトラックの下敷きになった。 秩父市消防本部レスキュ-隊が出動して、鷹野さん並びに同乗していた鷹野さんの姉で医師の亜佐美さん(27)の2名を救助したが、全身打撲で秩父市内の救急病院に収容された。なおトラックの運転手に怪我はなかった。 秩父署によると現場には激しいスリップ痕が残っており、鷹野さんが運転を誤ってセンタ-ラインをオ-バ-したものと・・・【 朝読新聞山梨静岡版 2002年2月13日 朝刊より 】 13日午前3時ごろ、富士吉田市山峰の県道88号線で、東京都新宿区の暴力団組員、進藤学さん(36)が運転する乗用車と、東京都三鷹市の看護婦、綾部史子さん(29)の運転する乗用車が接触し、進藤さんの車は15メ-トル下の畑に転落し、進藤さんは全身打撲で死亡した。 一方、綾部さんの車は道路脇の雍壁に衝突したはずみで炎上し、綾部さんが全身火傷で死亡した。綾部さんの車には他に綾部さんの弟で大学生の卓さん(21)が乗っていたが、衝突の際に車外に放り出され、軽い怪我をした。 富士吉田署によると、進藤さんの乗用車が綾部さんの乗用車を無理に追い越そうとして接触し、事故を起こしたものと思われる。 なおその後の調べで進藤さんの全身に刃物による刺し傷があったこと、現場から2kmほど離れた駐車場内に4名の男性の他殺死体が発見されたことから、富士吉田署では殺人事件と見て捜査本部を設置し、進藤さんと事件との関連を追求する方針を固めた。 死体で発見されたのは進藤さんの所属する暴力団の組員3名と、3年前に失踪届が出されていた東京都練馬区の大学生、鷹野拓也さん(=当時21)と見られる。 鷹野さんは暴力団の内部抗争に巻き込まれ死亡したとの見方が強く・・・ エピロ-グ3 連 鎖 新宿花園神社は、五月晴れの午後の気だるいまどろみの中にあった。 平日の午後2時とあって境内には人影もなく、散策する老人や明治通りと靖国通りの間をショ-トカットしようと足早に通り過ぎるビジネスマンの姿がわずかに見られるくらいだった。 その二人連れの男たちがいつからベンチに座っていたのか、注意を払っていた者は少なくとも神社の境内にはいなかった。 彼らはベンチの上に置いた携帯型DVDプレ-ヤ-を一心にのぞき込みながら、何事かを話し込んでいた。 話の主導権を握っているのは、二十台半ばと見えるほうの男だった。 いま一人の男は、大学生になりたてといった風情の、気の弱そうな若者だった。 話が途切れたのは、かれこれ三十分以上も経ってからだった。 年長の「彼」は唐突に立ち上がり、座ったままの若者の肩を親しげにポンポンと叩いた。「じゃあ、そういうことでよろしく・・・。 そのプレ-ヤ-とディスクは、次に会うまでレンタルしてといてやるよ。 せいぜい楽しむんだな・・・おっと、楽しんでカキ過ぎて、くたばるなよ」 口元に微笑こそ浮かべているものの、サングラスで隠された「彼」の眸は捕らえた獲物をなぶりものにする快感に酔いしれ、粘っこい光を放っていた。「連絡は、またこちらからするから・・・ヘタな小細工はしないことだ。 念のため言っておくが、もしも俺に逆らうような真似をしたら・・・そのディスクが家や姉さんの会社に軒並みバラ撒かれるぞ・・・分かるな? 愛しい愛しい『姉さん』を悲しませたくないだろう・・・え、純一君?」 そこで言葉を切った「彼」は、自分の言葉が相手に与えた効果を推し量るかのように、じっと相手を見下ろしていた。 やがて沈黙に耐え切れなくなったのか、純一と呼ばれた若者は年齢らしからぬ苦渋にひび割れた声を辛うじて絞り出した。「で、でも・・・あの・・・結城さん・・・」「何だい?」 結城と呼ばれた「彼」の口元が、皮肉な色を帯びて楽しげに歪んだ。「取引、泣き落としなんかは、一切お断りだからね」「やっぱり、その・・・僕には出来ません、そんなこと・・・。ただでさえこんなことをしてしまったというのに、この上姉さんを裏切るなんて、僕にはとても・・・」「そんな分からず屋を言うんじゃないよ。 ここはひとつ、黙って俺の言うことを聞くのが利口ってもんだぜ。 そうすりゃあ、お前さんにだって何がしかの役得が廻ってくるはずさ。 なあ、持ちつ持たれつって奴で、協力していこうじゃないか・・・いいね?」 相手の反応なぞお構いなく一方的に押しかぶせると、「彼」は後も見ずに踵を返した。 純一はただ呆けたように、歩みさってゆく男の後ろ姿を見送るだけだった。 * * * 靖国通りに出た「彼」は、新宿駅に向かって歩を進めていった。 ことさら急ぐふうでもなく、ことさら傍若無人に肩を怒らせて歩いているわけでもなかった。 しかし何がそうさせるのか、道行く人々は「彼」に遭うとごく自然に目を伏せ、道を譲らないではいられなかった。 「彼」自身は人々の反応に気付いているのかいないのか、遥か遠くを見つめる茫洋とした視線のまま人並みの中を漂い進んでいった。 今も、そんな「彼」に行きあった二人連れの学生が、思わず道を譲っていた。 就職活動中と一目で知れる、板に付かないリクル-トス-ツ姿の二人はどちらからともなく振り返っていた。「マジかよ?」「・・・って、お前も気付いたか?」「ああ・・・ありゃ、綾部・・・だよな?」「俺も一瞬、他人の空似かと思ったけど。お前もそう思ったのなら、やっぱそうかな?」 問われた方の若者は、いぶかしげに首を傾げて呟いた。「いや、すっごく似ていたけど・・・奴はどっちかといゃ、ボンボンタイプだしなぁ。 あんな凄みを発散してるわけないか・・・奴がこの正月に車で事故って大怪我したって噂を聞いてから、かれこれ半年近く姿見てないもんな」 若者は慣れないネクタイを緩めながら、うっそりと呟いた。「タクかな、やっぱり?」「あれ・・・綾部の名前って、『卓(すぐる)』じゃなかったけ?」「ああ、読みは『卓(すぐる)』だよ。けど、うちのゼミじゃ教授まで『タク』って、呼んでいたよ・・・」 そう呟いた若者は再び顔を上げたが、新宿駅へと向かう人波に呑まれた「彼」の後ろ姿は、すでに見えなくなっていた。 - 完 -[2002/03/02]
小説(転載) 『 連 鎖 』 ( 前 編 ) 近親相姦小説 05 /21 2018 掲載サイトは消滅。こういう叙述形式はなんと呼ぶのか解らないが、正直なところ少々わかりにくい。 プロロ-グ1 君の名は・・・ そこは新宿歌舞伎町のはずれの、うらぶれたラブホテルだった。 世界の有名な宮殿を模した建物の外観も、内装も、そして受付の婆さんさえも・・・何もかもがうらぶれていた。 出入する男女もことさらうらぶれていたが、その一室〈エリゼ宮〉と名づけられた部屋にいる男は、妙に場違いな雰囲気を漂わせていた。 どちらかと言えば、端正と言っていい顔立ちだ。 年齢も若い・・・24、5歳といったところか。 二枚目、優男・・・どんな形容詞でも似合いそうな男振りであった。 実際、男が街を行くと振り返る女性も少なくない。しかし振り返った女性たちのほとんどは、例外なく感電したかのように回れ右をするのが常だった。 別に男がやくざ者風なわけでも、ヒモ男風なわけでもない。 男の目・・・だった。 それを目の当たりにした者は、例外なく感じるのだった。 暗く、底なしの暗黒の深淵・・・男の目の中にあったのは、虚無・・・ただ、それだけだった。 自らの下に若い女を組み敷き、男はその身体を蠢かせていた。 しかしその女は、若いという以外に何の取り柄もないような女だった。 女が口を開いたのは時間と金額を事務的に告げたのを除けば、部屋に入るなり「お待たせしましたァ・・・アサミで-す」と名乗った時だけだった。 真っ茶色に染めた髪はまだしも、男に組み敷かれながらもその口許に冷笑に似たものを浮かべ、あろうことかクチャクチャとガムを噛んでいる。 古びたホテルではあったが、室内の冷房だけは存分に効いていた。にもかかわらず、男の裸の背中にはうっすらと汗が滲んでいた。 男の背中のど真ん中を横断する形で、一条の太く大きな傷跡が刻み付けられていた。 その傷の表面は鮮やかなピンク色に盛り上がり、そう古いものではないことを示していた。男の動きにつれ傷跡が引き攣れるさまは、止めをさされて断末魔にのたうつの毒蛇を連想させた。 しかし、男の激しい動きにも拘わらず、女の口許の冷笑は止まなかった。「姉さん・・・くうッ・・・」 男の口からそんな言葉がこぼれる。それは先ほどから既に何回目か・・・。 女の顔に、はっきりとした嫌悪と苛立ちが浮かんでいた。 ・・・男の努力は、実らなかったようだ。 男の身体をはねのけるようにして起き上がった女は、乱雑に脱ぎ捨ててあった下着と服を手早く身に付けると、男の前に立つなりぞんざいに手を差し出した。「勃っても、勃たなくても料金は変わんないかんね。速く払って頂戴!」 男は、黙って幾枚かの紙幣を紙入れから取り出した。 あさっての方を向きながら、女は聞こえよがしに呟いた。「へッ・・・姉弟ごっこでも何でもいいけどさァ、しっかり勃てておくれよ! あたしは、あんたの『姉さん』じゃないんだからね・・・」 心底馬鹿にしきった女の声音にも、男は無表情のままだった。 男は押し黙ったまま、差し出された女の掌に紙幣を乗せようとして・・・つ、と手を離した。 エアコンの風に飛ばされた紙幣がクルクルッと回りながら、女の足許に落ちていった。「・・・・・・!」 小さく、しかしはっきりと舌打ちしながら紙幣に手を差し伸べると、女は身を屈めた。 豹を思わせる素早い身ごなしで立ち上がった男が、しゃがみ込んだ女の胸元に渾身の力を込めた爪先を叩き込んだのは、その直後だった。 肋骨の折れる鈍い音を響かせて女は部屋の反対側にまで吹っ飛び、背中から壁に激突した。「・・・くはっ・・・」 ころがったままの苦しい息の下で、女は見た。 限りない暗黒と深淵をたたえた眼差しのまま、男が自分に近づいてくるのを。 悲鳴を上げたいのだが、既に呼吸さえままならなかった。 * * * 洗面所の鏡を覗き込みながら、男は呟いていた。「あれは姉さんなんかじゃない・・・」 かすかに微笑んだ男の笑いは、見るもの全てを凍りつかせる笑いだった。 プロロ-グ2 煙が目にしみる・・・ 冷たく篠つく梅雨どきの雨に濡れそぼち、その建物はひっそりと佇んでいた。 一見すると低層のオフィスビルか公会堂と見まごう清潔で無機的な外観ではあったが、あたりに漂う独特の雰囲気は隠しようもなかった。 そこは、この世に存在を許されなくなった人間を見送るための場であった。 かつてその種の建物の象徴であった高くそびえる複数の煙突が技術の進歩によって姿を消した今でも、建物を覆い尽くす一種特有の雰囲気は変わることはなかった。 控えめな色調のレンガタイルに覆われた建物の内部は、静謐さと哀しみに重く沈み込んでいた。 黒衣に身を包んだ幾人もの人々が、今しも閉められようとしている小さな鉄製の扉を、ある者は喰い入るように注視し、別のある者は目を背け、そしてまた別のある者は己の裡の哀しみに向き合ったまま顔を上げられないでいた。 袈裟を纏った僧侶の短い読経の声と共に、重々しく鉄扉が閉ざされた。 鉄扉の奥に送り込まれた白木の棺に向かって、強烈な火力を誇るガスの炎がその触手を伸ばし始める。「あ、亜佐美先生・・・」 堪えきれなくなったのか、黒ずくめの集団の中でも一際若い娘たちのひとりが、不意にしゃくりあげた。それは時をおかず隣の娘に飛び火し、わずかの間にほとんどの娘たちのあげるすすり泣きの声が周囲を満たした。 娘たちのすすり泣きをバックに、男は凝然と立ち尽くしていた。 五十代半ばと思われる男の端正な容貌は、しかしいっさいの表情を欠き、ギリシャ彫刻の石膏像さながらに凍り付いていた。(本当に哀しいと、ひとは泣けないのかな。 それとも私は、とびきりの冷血漢なのか・・・。 亜佐美、教えてくれ・・・) 男は胸元に抱えたままの遺影に向かって、心の裡でそっと語りかけていた。 男の面差しとよく似て端正ではあるが、どこか寂しげな美貌の若い娘が、遺影の中でひそやかに微笑んでいた。「皆さま、今しばらく待合室でお待ちください」 黒衣の集団の中にあって、ただひとり地味な平服に身を包んだ中年の葬祭場職員が一同に向かって頭を下げ、片手を上げると建物の奥を指し示した。 屠所へ向かう牛さながらにのろのろとした足取りではあったが、それでもようやく一同は動き始めた。 いつまでも去り難く鉄扉の前に佇んでいた幾人かの娘たちもまた、職員に促されるまま歩みだした。 炉前ホ-ルと待合室棟を結ぶ渡り廊下の半ばに、一同がさしかかった時だった。 屋根だけで壁のない吹きさらしの渡り廊下に吹き付ける風雨をまともに浴び、無意識のうちに速まったかに見えた一同の歩みは、しかし唐突に堰き止められた。 遺影を抱え先頭を行く男の歩みが、何の前触れもなくいきなり止まったからだった。 男の視線の真正面に当たる待合室棟のとば口に、ひとりの若者が佇んでいた。 若者を見据えた男の目の中に、狂おしいまでの激しい感情が渦を巻いた。 男の両手から遺影が落下した。 打ち放しのコンクリ-ト床に落ちた遺影のガラスが、けたたましい音を発して砕け散り周囲に散乱した。 だが男は砕け散ったガラスの破片を音高く踏みしめながら、再び歩み始めた。その歩みは、先ほどまでの牛歩とは似ても似つかぬ素早いものだった。 瞬時に若者の眼前に立ちはだかり、その襟首を締め上げたかと思うと、男は若者を傍らの壁に力まかせに押しつけた。「何しに来た?」 押し殺した声音の低さが、男の裡にこもる強烈な怒りを端的に表していた。「貴様・・・ここに来る資格があるとでも思っているのか・・・えェ、どうなんだ?」 若者の襟首をつかんだまま揺さぶる男の目の中には、常軌を逸した狂気の焔(ほむら)が見え隠れしていた。 男の、年齢に似合わぬ凄まじい膂力に喉元を締め上げられ、若者の顔面がみるみるうちに赤黒く硬直していった。「・・・思っちゃいないさ・・・資格があるなんて・・・」 若者の唇から、かすかな呼吸音にも似たひび割れた声音が漏れ出した。 男が不意に両腕を激しく突き放し、若者の身体は凄まじい勢いで建物の壁面に叩きつけられた。 叩きつけられた若者も、叩きつけた男もその動きを止め、見守る会葬者たちもろとも、あたりの空気は完全に凍り付いていた。 ただひとつ、甲高い足音を響かせて渡り廊下を駆けて来る職員だけが、このパントマイムの例外だった。 駆け寄ってくる職員の姿を視界の片隅に捉えながら、その姿が妙に歪んでいることを男は訝しく思った。先ほどは一滴もこぼれることのなかった涙が、激しく頬を伝っていることに男は全く気付いていなかった。 それは、娘と息子を同時に喪ってしまった父親の、深く静かな慟哭だった。 1 拓 也 そこは八王子郊外の甲州街道から一本入った市道沿いで、ラブホテルの多いことで有名な一角だった。 夕暮れ間近のその道をかなり型遅れの旧型サニ-が一台、上り方向に疾駆していた。 運転席に座る鷹野拓也は、半ば機械的にステアリングと各ペダルを操作しながら、目を血走らせて路傍に建つホテルの入口ネオンに意識の大半を振り向けていた。 しかしどのホテルの入口も、拓也を嘲笑うかのように無情な『満』の赤いランプを灯していた。 場所によっては見渡す限りラブホテルが林立し、渋滞中の高速道路上の車のテ-ルランプもかくやとばかりに『満』の赤ランプが連なっている。 無理もなかった。 今日は、5日連続の大型連休となったゴ-ルデンウイ-ク初日、しかも土曜の夕方だ。 どこのホテル乱立地帯に行っても、かきいれどきと言うのも馬鹿馬鹿しいほどの繁盛振りのはずである。そんな今日の、この時間に『空』ランプを求める方が無茶なのだ。 しかし今の拓也には、そんな感慨に耽る余裕はこれっぽちもなかった。 拓也の血走った視線が、時に助手席を彷徨う。 助手席では、ひとりの女性が熟睡していた。 21歳になったばかりの拓也より少しばかり年上のようだが、どことなくあどけない少女の雰囲気をとどめている美しい女性だった。 ソバカスやしみとは無縁の、透きとおるような色白の肌。 ツンと上を向き、すっきりと通った高い鼻梁。 一重ではあったが、理知的な光を宿した切れ長の眸。 そして得もいわれぬ色気をたたえた、ほんの少し厚めの唇。 それらの要素が渾然一体となって形成する並外れた美貌は、見る者(特に同性)によっては、生理的な反発心を呼びさまし、驕慢な印象さえ与えかねないほどの代物だった。 しかし頬から顎にかけてのふっくらとした曲線が造り出す優しい表情と、口許でその存在を主張しているやや大きめの黒子が、その美貌をずっと柔らかいものにしていた。 その美貌に目をやりながら、拓也は今日何度目かのやるせない吐息を吐いた。(ここまで来たら、もう引き返すわけにはいかない・・・) サニ-の車内は狭く、運転席と助手席の間にほとんど余裕がないため、横で眠る女性の寝息が直截に拓也の左頬に当たってくる。(まだ当分ぐっすり眠っているはずだ・・・でも、急がなきゃ・・・) 以前犯罪に使われ問題になっただけのことはあり、使用した睡眠導入剤の効き目は目覚しいものがあった。適量の 2/3程度の用量に抑えても、女性は簡単に眠りに落ちてしまった。 この薬が効いているうちに何とかホテルに連れ込まなくては・・・。 キッ・・・キ-ッ・・・!! 歯の浮くようなブレ-キ音を立てて、サニ-は急停車した。 焦るあまり拓也は赤信号をひとつ見落とし、横断歩道を渡ろうとしていた男を撥ねそうになった。てっきり男に怒鳴りつけられるものと思った拓也は、これで今日の計画がパ-になるのを覚悟せざるを得なかった。 それに今の急ブレ-キで、目を覚ましただろう・・・そう思い、助手席に目をやると、しかし助手席の女性は相も変わらず熟睡している。半ばホッとしてフロントウインドウに視線を戻す。 後は撥ねそうになった男に謝れば・・・。 しかし、車の前に既に男の姿はなかった。 あたりを見回すと、横断歩道を渡りきった反対側の歩道からこちらを見ている男の姿があった。 思わず片手を挙げて謝る仕草を取るが、男は特に何の反応も示さない。 ビッ、ビ-ッ! 信号が変わったのに発進しない拓也の車に苛立った後続車のホ-ンにせっつかれ、拓也は弾かれたようにギアを入れると、サニ-を発進させた。 バックミラ-に目をやると、例の男がじっとこちらを見送っているのが見て取れた。 しかしものの数百メ-トル走るうち、視界に飛び込んできた緑色の『空』表示ランプと『HOTEL 99(ツ-ナイン)』の看板によって、拓也の意識から男の存在はきれいに追い出されてしまった。(やった・・・!) ほとんど行き過ぎかけてブレ-キを踏み、後続車の迷惑も顧みず無理やりバックすると、拓也のサニ-は入口にぶら下がるビニ-ル暖簾にル-フを擦りつけながらホテルの敷地内へと滑り込んでいった。 あまり綺麗な作りのホテルではなかった。 しかしこの際贅沢は言っていられない。 それに部屋は各々独立したコテ-ジ形式で、車を直接部屋の前に乗り付けられるのが有難い。熟睡している女性を引きずり、ロビ-を歩いて部屋に入るのは考えただけで気が遠くなる。 各室の入口には、空室を示すランプが点滅している。 それらのうちの一室の前に駐車し終えた拓也は、部屋の入口をストッパ-で開け放ったまま固定すると、助手席の女性を車の外へと引っ張り出した。 車のドアをロックするのもそこそこに、抱きかかえた女性をなんとか部屋に連れ込み、部屋のドアを閉めたときには、興奮と期待も手伝って拓也は息を荒く弾ませていた。 ややくたびれた外観とは裏腹に、リニュ-アルを済ませたばかりと思われるホテルの部屋は意外と綺麗で清潔であった。 これならば、彼女との初体験の場として申し分ない。 あまり薄汚い場所では彼女に失礼だし、自分としても記念すべき初めての体験は出来るだけ上品な雰囲気の中でコトを成就させたかった。 広大なダブルベッドに横たえられた女性は自分の置かれた状況を知るべくもなく、相変わらず安らかな寝息を立てていた。 拓也は彼女の髪に顔を埋め、その匂いを胸の奥まで吸い込んだ。「姉さん・・・」 微かに震えを帯びた声で呟くと、拓也は眼前に横たわる女性・・・血のつながった実の姉のおとがいに手を掛け、その半ば開いた唇に自分の唇を重ね合わせた。 キスは、たっぷり三十秒は続いたが、一向に姉が目を覚ます気配はない。 拓也は、姉のブラウスのボタンに手を掛けた。 高まる興奮と期待で、自分でも手が震えているのが分かる。 長年憧れ、心の中で密かに恋していた姉と、今ようやく結ばれる時が来たのだ。 本当ならば、薬を盛るなどという卑劣な手段を取りたくはなかった。 しかし3ヶ月前に行われた見合いによって、姉の結婚話が急速にまとまりつつある今、拓也の焦燥は極限に達していた。 最愛の姉を他の男になぞ渡すのは、拓也にとってどうしても我慢ならない事態だった。 かくなる上は、どんなに卑劣な手段を用いても姉を他の男には渡さない・・・拓也はそう思いつめていた。 父の急病で、祖父の法事に代理出席することになった拓也は、色々な言訳を付けて姉に同行を承知させた。 法事も無事終了し、東京への帰途についた拓也は途中のサ-ビスエリアでかねて用意の睡眠導入剤をコ―ヒ-に混ぜ、姉に飲ませることに成功した。 そして今、誰よりも恋しい姉が無防備な姿のまま自分の目の前で寝息をたてている。 拓也よりも6歳年上で27歳になる姉の肌は、しかし二十代半ばを過ぎたとは思えないほど滑らかで、指先でそっと触れると柔らかな産毛の感触すらした。 淡いピンク色をしたジョ-ゼットのブラウスのボタンを全て外し終えるのは、あっという間だった。 その下からは同系色の上品なピンク色のブラジャ-が現われた。(ラッキ-!) そのホックが前開きだったことに、拓也は思わず心の中で快哉を叫んでいた。 抑えようとしても抑えきれない興奮の表われか、ホックを外そうとする拓也の指先は微かに震えていた。 ようやくのことでホックが外れた時、声にならない叫びが拓也の脳裏にこだました。(き、綺麗だ・・・なんて綺麗なんだ!) 姉の乳房を目の当たりにして、拓也は半ば呆然としていた。 数字で言えば82cm、Bカップといったところか。 しかし、姉の乳房は数字では表すことが出来ない見事に均整の取れた美しさを備えていた。 まるで計ったかのように優美な御椀型の曲線。 乳房全体のヴォリュ-ムと絶妙なバランスを保った大きさの、その表面に嫌味のない程度に適度なブツブツ感を備えた乳輪。 そこから突き出した乳首が、また愛らしい。 ほんのりと赤味を帯びた美しいピンクの色あいと、ごく僅かにへこんだ先端をつんと上に向けて尖った姿は神々しささえ感じさせた。 拓也はもう前後の見境もなく顔中を口にして、姉の乳房にむしゃぶりつき、夢中になって舐めまわし始めた。 ピチャッ・・・ピチャピチャッ・・・。 部屋中になんとも言えない淫猥な、湿った音が響く。「おいしいよ…姉さんのオッパイ!それに、なんて綺麗なんだ」 いったん口を離した拓也は、感に堪えぬといった表情を浮かべて頷く。 そして再び姉の乳房と乳首に舌を這わせると、全てを舐め尽くさずにはおかないという決意を感じさせる勢いで、あたりを舐めまわし続けた。 拓也の舌は、たっぷり5分以上も姉の乳房と言わず、乳首も腋の下までも這いまわっていた。 ようやく顔を上げた拓也は、もはや震えることもなく確信と自信に満ちた指使いで、ゆっくりと姉のスカ-トのサイド・ジッパを下ろしていった。 ファスナ-の擦れる金属音が、拓也の耳に天上の音楽となって響き、彼の眼前で天国の門が徐々に開かれていった。 姉の目を覚まさせぬよう細心の注意を払いながら、蟻が這う速度でスカ-トを引きずり下ろしてゆく。 さらに拓也の手が、姉のショ-ツに掛かった。 自分でも、掌が汗ばんでいるのが分かる。 ひとつ大きく深呼吸をすると、拓也は姉のショ-ツを一気に引きずり下ろした。 2 結 城 6畳ほどの部屋の壁面を所狭しと占領した十数個ものTVモニタ-が、音もなく明滅していた。 ビルの中央監視室を思わせるその光景は、しかし中央監視室とは似ても似つかぬ役目の代物だった。TVモニタ-のいずれの画面の中でも、男と女が激しく或いは静かにからみあっているからだ。 手元監視盤のマイク端子に繋いだイヤホンを耳にねじ込み、食い入るように画面のひとつに見入っていた根岸喜久栄は、突然肩を叩かれて反射的に飛び上がりそうになった。 振り向くと、知り合って2年間全く変わらぬ無表情な男の顔があった。「こんな年寄りを驚かすのは止めとくれ!びっくりした勢いで心臓が止まったらどうすんだい?勘弁しとくれよ、結城さん・・・」 喜久栄のそんな言葉にも、結城と呼ばれた男の無表情は全く崩れなかった。「もう充分に生きたんじゃなかったのかい?60年も人間稼業やってんだろう、あんたの口癖じゃあ?」「まあ、いいさ。それにしても、早かったねえ・・・あんたの携帯鳴らしたのはほんの15分前じゃないか?」「だから、すぐに行けるって言ったじゃないか・・・」「まさか、あんたがうちの近所にいるとは思わなかったよ」「まあな。世間じゃゴ-ルデンウイ-クなんて言って浮かれているから・・・この時とばかり、穴蔵から這い出してきた奴らがいるんじゃないかと思ってね」「当たりだよ・・・それも大穴」「本当かい?」「本当もホント・・・ホンマもんの姉弟らしいんだよ、あんた・・・」 そこで言葉を切った喜久栄は、男の反応を窺うような眼差しで見上げた。 しかし、結城の顔には何の反応も現われていない。 小さく舌打ちすると、喜久栄はさも汚らわしそうに口を歪めて吐き出した。「マイクのスイッチ入れた途端に・・・『姉さん』、『姉さん』のオンパレ-ドさね!」「・・・兄嫁とか、従姉ってセンは?」「ないね、絶対!賭けたっていいよ、あたしゃ!」「そうか。あんたがそう言うんだったら、ひとつ腰を据えてみるか」 そう呟きながら勝手知った様子で事務室の椅子のひとつに腰を下ろすと、結城は壁のモニタ-群を見上げた。「で・・・何号室だい?」 * * *「あんたも好きだねェ…」 そう言いながら喜久栄は、湯呑茶碗を結城の目の前に置いた。 安物の煎茶の上に何回も淹れた出がらしと覚しい茶は、ほとんど香りさえしない代物だったが、結城はそんなことには拘泥する様子もなく縁の欠けた湯呑茶碗を機械的に口許に運んだ。 モニタ-群のひとつ、『12号』と書かれたパネルを貼り付けられたモニタ-を見つめ続ける結城の瞳は、スイッチの入っていないブラウン管にも似た無機的な輝きを放っていた。 結城は手の上でミラ-のサングラスを弄びながら、耳にはめたイヤホンから流れ出す声音にじっと聞き入っていた。 一息入れるつもりなのか、受付カウンタ-を離れた喜久栄は、くしゃくしゃになったハイライトのパッケ-ジを取り出しながら結城の真向かいに腰を下ろした。「やっぱり本物かい?」 煙草のヤニで汚れた乱杭歯を剥き出しにして、喜久栄は嫌らしい笑いを浮かべた。「あぁ、どうやらそのようだな・・・久しぶりのアタリが来たようだ」 結城は感情を全く感じさせない声で、押し出すように呟いた。 しかしその表情に、してやったりという微かな満足感が浮かんでいるのを喜久栄は見逃さなかった。「やっぱり、本物の姉弟だろ・・・え、どうなんだい?」 喜久栄はせかせかと百円ライタ-で煙草に火を点け、吐き出す煙と共に結城をせかした。「あぁ・・・正真正銘、混じりっ気なしの実の姉弟らしい・・・」「よかったねェ・・・今日は本当にツイてたみたいだね・・・こんなにタイミングいいのは、初めてじゃないかい?」 喜久栄の言葉に、結城は僅かに顎を引いて頷いた。「本物の迫力って奴は、また特別みたいだね。ク-ルなあんたでも、そんな顔するくらいだ。そんじゃぁ、いつもの約束ってやつで・・・」 目の中に狡猾な笑いを閃かせながら、喜久栄は結城に向かって手を差し出した。 懐から取り出した紙入れから数枚の紙幣を抜き出すと、結城はそれを喜久栄の掌に乗せた。 3 拓 也 ピチャッ・・・ピチャピチャッ・・・。 湿った、そして淫らな音があたりに響いている。 どのくらいの時間になるだろうか。時間の感覚もないまま、拓也は夢中で姉の股間を舐めまわしていた。 睡眠下にあっても姉の秘所からは粘り気のある甘い液体がしどとにあふれ出し、夢中になってそれをすくい取ろうと伸ばされた拓也の舌先は、今しも攣りそうだった。(姉さん、嬉しいよ・・・こんなにも感じてくれているなんて・・・僕の舌先で、こんなに気持ちよくなってくれるなんて、感激だァ!) 恍惚感に酔い痴れる一方、さすがに口と舌先に痺れを感じた拓也が小休止とばかり顔を上げた、まさにその瞬間だった。 目尻が裂けそうなほどまん丸に見開かれた姉の目が、拓也の視野に飛び込んできた。 姉が意識を取り戻していたのだ。 拓也の理性は、状況を確実に認識していた。 にもかかわらず感情がそれを拒み、理性と感情に真っ二つに意識を分断された拓也の反応は一瞬遅れた。 姉の口から、悲鳴とも呪詛ともつかないひび割れた声が迸り出た。「ここ、どこ・・・ねえ、タク・・・あなた、一体何してるの!」 姉のその問に、拓也の脳は一気に弾けた。 こうなったら、最早いくところまでいくしかない。 そう決断した拓也は、全身から立ち昇る性欲を叩きつけるべく、一気に姉へとにじり寄った。 反り返った股間の肉の棒を隠しもせずに全裸で迫ってくる拓也を目の当たりにして、姉の喉から今度こそ本物の悲鳴が漏れた。「何でなのッ!何で・・・こんな、こんなことになるの! こんなの・・・こんなのって・・・い、いやあぁぁァ・・・ッ!!」 拓也は慌てて姉の口を掌で蓋をしようとしたが、逆に女としての防衛本能のスイッチが入ってしまった。 掌に力まかせに噛みつかれ、今度は拓也が悲鳴をあげる番だった。 思わず手を離した拓也の顔面に、姉の平手が小気味良い音をたてて炸裂した。 渾身の力でこそなかったが、見事なタイミングでヒットした平手打ちに、拓也は勢いよくベッドから転がり落ちた。「・・・!」 鈍い音をたてて床に転がる拓也に、我に返った姉の声がかぶさってきた。「ちょっと・・・タク、大丈夫?」 顔を上げた拓也は、しかしその面に奇妙な笑みを浮かべていた。「大丈夫さ・・・もちろん大丈夫だよ、姉さん・・・」「タク、あなた・・・」「いいんだよ、姉さん。もっと打ってくれよ、好きなだけ・・・でも何をされても、僕は止めないからね・・・」 立ち上がった拓也は、じっと姉を見つめながら再びベッドに這い上がってきた。「お願いよ、タク・・・正気に戻って!やめて頂戴、お願いだから!」 ベッドの上を後退してゆく姉に向かってにじり寄りながら、拓也は何度も首を振っていた。「違う・・・違うんだよ、姉さん。これ以上ないくらい、今の僕は正気だ! ずっと前から、姉さんのことが好きで好きでたまらなかったんだ! もう自分を偽って生きるのは、止めることにしたんだ。これから僕は、自分の心に忠実に生きることに決めたんだ! だから・・・止めない!姉さんとひとつになるまで、止める気はないよ!」「私だって、タクのことは好きよ・・・でも姉弟の『好き』と、これは違うわ!」「いいや、違わない。本当に、心の底から好きな女性に対して、ただ『実の姉』だからという理由だけで、なんで気持にブレ-キをかけなくっちゃいけないんだ?」「そ、それは・・・」「ほらご覧、姉さんだって答えられないじゃないか!」「でも、実の姉と弟がこんなことになるなんて・・・考えられない!ううん、考えたくないの!」「考える必要なんか全然ないよ。姉さんはただ、あるがままの事実を受け入れればいいんだ・・・僕が、姉さんをひとりの女性として心から愛しているっていう事実だけを・・・」「分からない・・・なんで、こんなことになっちゃうの?私の知っているタクは、一体どこへ行ったの?」「今の、この瞬間の僕こそが・・・本当の僕なんだ!今の、この僕を姉さんに受け入れてもらいたい!」「そんなのって、受け入れられない・・・無理言わないで、タク!」 全裸の胸と股間を両手で庇いながら首を振ってベッドの上を後ずさる姉をまのあたりにして、拓也の加虐心にさらに火がついた。 ベッドによじ登った拓也は、夢中で姉に迫っていった。「いやッ、来ないで!」 ベッドの上を後ずさり、ヘッドボ-ドに追い詰められた姉がそこに置かれてあった物を掴むと、手当たり次第に拓也に投げつけてくる。 といっても、ティッシュの箱や櫛などでしかない。 そんな姉の抵抗を歯牙にもかけず、その足首を掴むとニヤリ!と拓也は笑いかけた。 それは見るもの全てが目を背けたくなるような、淫猥で、歪み切った笑みだった。 夢中で枕許を探っていた姉が、小さな何かを掴んで自分の首筋に当てたのはまさにその瞬間だった。 それは、エチケットシェ-バ-と呼ばれる女性用の小型剃刀だった。「今すぐやめなさい!そうしないと・・・」 姉が目をつぶり、右手に持った剃刀の歯を自らの首筋にグッ!と強く押し付けた時、拓也の裡で全ての時間が凍りついた。「弟にレイプされるぐらいなら・・・私、もう生きてないから!」 姉の声音には、死を覚悟した者だけが持つ鮮烈な響きがあった。 4 結 城「年をとると、とんと物忘れがひどくなるよ。この前の母親と息子のアレは、いつだったけねェ?随分と久しぶりだよね、あんたの顔を見んのも・・・」「あれはもう3ヶ月前だ・・・」 モニタ-から目を逸らすことなく、相変わらず全く感情を覗かせない声で結城は呟く。「あァ、もうそんなになんのかい。あれは見るからに金持ちの奥様風だったからねえ・・・さぞかし、たっぷり絞り取ったんだろう・・・あんた?」「たいした事はない。ほんの端金にしかならなかったさ」「だってこのテ-プ持ってきゃあ、相手はグ-もスウも出ないんじゃないのかい? 何せ、あん時ゃ凄かったからね。今でもあたしの耳にこびりついて離れやしないんだよ。『母さん、愛してるよ』だの、『母さんもよ、博文!』だなんてさ・・・汚らわしいったらありゃしないよ、あン畜生どもの声がさ! 母親が実の息子とこんな所でシッポリよろしくやっていたんだ・・・誰にも知られたくはないだろ? あんたがいくら吹っかけたところで、絶対に応じるはずじゃなかったのかい?」 結城は湯呑茶碗を持ち上げ、その中身を一口啜ると口許を微かに吊り上げた。「死にくさったよ、あいつら。心中しやがった、母子で・・・」 喜久栄は思わず息を飲み込んだ。あの母子が心中したことに驚いたのではなかった。 それを、まるで道端に落ちていた石ころについて語るような結城の声音に、背筋が冷たくなったからだった。「1月もしないうちに、ふたりして車に排気ガスを引き込みやがった。 おかげで、金を取れたのは一遍こっきりさ」 淡々とした口調で話を締めくくると、結城は微かに口許を吊り上げた。 それが結城の笑顔であることは2年以上の付き合いの中で喜久栄は知っていたが、何べん見ても気持のいい笑いじゃない・・・改めてそう思わずにはいられなかった。 実の母子の近親相姦を暴きたてて金をゆすりとった揚句、相手を死に追いやっておきながら・・・いくら自業自得とはいえ・・・少しくらいは寝覚めが悪くないのか、この男は。 喜久栄は自分のことは棚に上げ、そう思った。(ま、いいか・・・あたしゃ、こいつのおこぼれに預かれりゃそれでいいんだ。 それに、母子や姉弟のくせして畜生みたいにサカっている連中が悪いんだ・・・) 喜久栄はそう勝手に自分を納得させると、結城から受け取った金をさっさと財布にしまい込みながら件のモニタ-に目をやった。 と、その表情が微かに曇った。「あんた、あれ・・・まさか・・・」 画面の中で女が刃物とおぼしい金属を片手に、何事か喚いている。「どうやら、女が逆ギレしたらしいな・・・」 結城の表情には、感情のさざ波ひとつ立ってはいなかった。 先ほどと変わらず、道端に転がる石ころを見る目付きでモニタ-を眺めている。「そりゃ、あんた・・・実の弟にこんなとこ連れ込まれたんだから、キレもすんだろうけどさ・・・でも、血ィ、見んのはあたしゃ困るよ! ヘタすりゃ、あたしがクビになっちまうよ! ねぇ、あんた・・・後生だから止めに行っておくれよ!」「何て言って入っていくんだい? 隠しカメラで見ていたら、刃傷沙汰になりそうなんで止めに来ました・・・。 殿中でござる、ってか?」 結城の声音には、むしろ事態を楽しんでいる響きすらあった。 その言葉に、喜久栄はウッと詰まった。 このホテルが全館全室に隠しカメラと隠しマイクを置いていることは、社長と管理責任者の自分しか知らない。こんなことが公になればどうなるか? 喜久栄には、咄嗟に判断が付かなかった。 きっかけは3年前、新宿の系列ホテルで起こった殺人事件だった。 全身を殴打されて身体中の骨をへし折られ、あげくに内臓破裂を起こしてホテトル嬢が死んでいたのが発見されたのは、『99(ツ-ナイン)』歌舞伎町店だった。 事件のせいでホテルの評判が落ちたことに怒った社長が、客のプライバシ-なぞくそ食らえとばかりに傘下の全ホテルにカメラとマイクを置いたのはそれからだった。 実際、あれは酷い事件だった。思い出した喜久栄はブルッ!と震えた。 結局、犯人は捕まらず迷宮入りになったと聞いている。 そして、よりにもよって今度は自分のところか! もしここをクビになったら・・・喜久栄は目の前が真っ暗になる思いだった。 好き好んででラブホテルのカウンタ-をやっているわけじゃない。 身寄りもなく、年金だけが頼りの高齢者が働ける職場なんか簡単には見つからない。 ひょんなことで知り合ったこの男と組んで、小遣い稼ぎをしていただけなのに・・・。「あたしがクビになりゃ、あんただって金儲けのお相手を簡単に捜せなくなるんだよ!」 喜久栄の声は悲鳴を通り越して、既に金切り声になっていた。「それもそうだな・・・」 喜久栄の悲鳴とは対照的にボソリと呟きながら、いかにも大儀そうに結城が立ち上がろうとした時、事態が動いた。 女が刃物を投げ捨てると、床に座り込んで泣き始めた。男はそれ以上の行為は諦めたらしく、女におずおずと近寄って一言二言声をかけている。 女は泣きながら盛んに首を振っている。「もう大丈夫みたいだぜ・・・良かったな、クビになんなくて」 結城は浮かしかけた腰を下ろすと煙草を取り出し、火をつけた。 ゆっくりと紫煙を吐き出しながら再びモニタ-に目をやる結城の顔には、しかし何の表情も浮かんではいなかった。 とてつもなく恐ろしいものを見た気がして、喜久栄は結城に背を向けカウンタ-に座りながら小さなため息をひとつ吐き出した。 が、5分も経たないうちに結城が音もなく立ち上がり、喜久栄はドキリ!として振り返った。「い・・・行くのかい?」「あぁ、そろそろチェックアウトしそうだからな・・・記念撮影に行かなきゃ」「テ-プはいつもの要領で送ればいいね?」「あぁ、頼んだよ・・・」 そう言い捨てた時には、結城はもう事務所のドアを半ば閉じかけていた。 見るともなしに『12』のモニタ-に目をやると、のろのろとした動作で件の男女がそれぞれ脱いであった服を身に付け始めている。 間抜けなパントマイムを見せられた気分になった喜久栄は、向き直ってカウンタ-に頬杖を突き、こんどこそ本当に深いため息をついた。 5 史 子 ホテルを出てからの道には渋滞もなく、ものの十分としないうちに車は高速のインタ-チェンジに入ろうとしていた。 助手席を避けてリアシ-トに座った史子は、ぼんやりと窓外に視線を投げかけていた。 と、その視線の先に高架の線路とそこを走る電車の姿が飛び込んできた。 ほとんど反射的に、史子は叫んでいた。「停めて、タク!」 いきなり後ろから叫ばれた弟がつんのめる勢いでブレ-キを踏み、無理やり路肩に車を止めるのさえ待てず、史子はドアを開いて飛び出していた。 車が停まりきっていなかったため危うく転びそうになったが、傍らの電柱に縋って辛うじて転ぶのを避けた史子は、そのまま後ろも振り向かずに歩き去ろうとした。 駆け寄ってくる足音がする。「来ないで!お願い・・・」 振り向きもせずに発した史子の言葉に、足音がたたらを踏んで止まるのが分かった。 捻じ曲げるようにこうべを巡らした史子は、立ち尽くしている弟に対して更に言葉を叩きつけた。「来ないで頂戴!私、ここから電車で帰るから・・・あなたは一人で車で帰って! 今は・・・タクと一緒に居たくないの!だから、お願い・・・行って!」 叩きつけるように言葉を発しながら、しかし史子は思わず息を呑んでいた。 そこにいる弟は、既に弟であって弟ではなかった。 呆けたように弛緩と懈怠を漂わせ、ぼんやりと虚ろな視線を投げかけてくる弟の表情に、史子はいたたまれなくなった。 嫌悪感に震える手足を引き剥がすように動かしてドアを開け、再び車のリアシ-トに乗り込んだ史子は、なおも立ち尽くしている弟に声をかけた。「乗って・・・タク・・・」 泥人形さながらの鈍い動作で弟が運転席に尻を落し、ドアを閉めた時、覚悟はしていたものの史子はうなじの毛が総毛立つ嫌悪感と恐怖、そして息苦しさに襲われた。(こうしてふたりきりでいるだけで、こんな気持になるなんて・・・) 理性の上では、今さら弟が何かしでかすはずはないと分かってはいても、実の弟にレイプされかけた恐怖は簡単には消えてくれなかった。 だからといって、なし崩し的にうやむやにしていい話では、絶対にない。 強張りつく舌に力を入れ、言葉を発しようとするのだが、声が出てこない。 PTSD・・・心的外傷。 そんな単語が史子の脳裏をよぎった。 史子はぎゅっと目を瞑り、膝の上に置いたハンドバックを握り締めることで、辛うじて自分の心のバランスを保とうとした。 車内を沈黙だけが支配していた。「ごめん、本当にごめんよ・・・許してくれって言っても、無理だろうけど・・・」 ややあって、無残にひび割れた声が車内に響いた。 目を見開いた史子の視線が、バックミラ-の上で弟のそれとからみ合った。 弟の目には悔悟と自責、そして苦渋の色が満ち満ちていた。自分自身の犯した過ちを深く悔いている人間だけが見せる目の色だった。 だがそれが許せるかどうかは、また別の問題だった。 最も信頼していたはずの肉親である弟が、セックスの欲望に衝き動かされて自分を蹂躙しようとした事実は、史子の心を重苦しい暗雲で覆い尽くしていた。 自分たち姉弟が共に過ごしてきた、この二十数年間という時間は一体何だったのだろうか・・・史子は、そればかりを考えていた。 長い年月をかけて築き上げてきたはずの姉弟の絆とは、こんなものだったのか。 今日、こんな時間を迎える為に、自分たち姉弟の時間はあったのだろうか。 そうは思いたくなかった。 しかし、事実は冷酷なまでに明白だった。 つい30分前に自分たち姉弟の間に起きた出来事は、一点の曇りもない事実であり、どんなに消し去ろうとしても消せない刻印となって史子の心に刻み込まれてしまった。 弟はいつから実の姉である自分に対して、性の欲望を感じるようになっていたのだろうか・・・そして、それはなぜ・・・。(・・・近・親・相・姦・・・) 口にするのもおぞましいその言葉を思い浮かべ、史子はいよいよ気持が滅入っていくのを感じていた。 そんなものじゃない・・・血のつながった姉弟にしか存在しない深い絆、暖かい愛情というものがあることに気付いて欲しかった。 これから先の一生にわたって、親よりも長い時間を共有するはずの世界でただ一人の肉親なのだ。(明日から、どんな顔をして共に暮らしていけばいいの・・・。 こうなったら、私か拓也が家を出るしかないのかしら・・・。 それとも幹夫さんとの結婚を早めるべきなの・・・) 執拗に全身に這い廻る嫌悪感をこらえながら、ようやくのことで史子は言葉を押し出した。「最初に言っておきたいの・・・今日のこと、お母さんに話すつもりはないわ。 こんなこと知ったら、本当に悲しむと思うの・・・だから、私は何があっても話すつもりはないわ。 でも、だからって私がタクのことを許してあげたなんて、勘違いしないで・・・」 史子の言葉に、弟の首がガクリと前に折れた。「僕・・・どうすれば、いいの?」「今日のことは・・・お互いの胸にだけしまって、一生鍵をかけて頂戴。 せめて、それだけは約束してくれる?」 ぎこちない動きを見せて弟の首が再び折れるのを目の当たりにして、史子はようやく小さな吐息をひとつ吐いた。「今日限り、お互いの間でもこの話はしない・・・そのことも約束して頂戴。 そうしてくれるなら・・・私、忘れる・・・。ううん、忘れるように努力するわ。 タクも、忘れてくれる?」「どんなに責められても仕方のないことをしでかしたのに・・・本当に、それでいいのかい、姉さん?」「これ以上あなたのことを責めたって、私自身が嫌な気持になるだけだわ。 だったら、一日も早く忘れたいの。忘れて、元通りの姉弟に戻りたいの・・・」 しかしそう言いながらも、史子は自分の言葉に虚しさを感じていた。 絶対にそうなることはあり得ないと・・・自分たちが元のただの姉弟に戻ることは、たぶん不可能であろうと、はっきり感じていた。 もし可能になるとしても、それは共に何十年もの人生を経て、老境に達してからのことに違いない。遥かな旅路の果てにたどり着くであろうその日のことを思い、史子は我知らず瞼が熱くなるのを感じていた。 何かを築き上げることの困難さと、それを失うことの余りの容易さに史子の頬を一筋の涙が伝った。「忘れたいの、全てを。そして忘れてしまって、幹夫さんと式を挙げたいの。 でも、今のこの気持じゃ、とてもそれは無理ね・・・」「それって・・・まさか、婚約解消するってこと?」「そうじゃないわ。そうじゃないけど・・・でも、なんだか自信がなくなってきたの・・・。 こんな気持のまま、幹夫さんと一緒に暮らせるとも思えないし・・・」 言葉を切った史子は、窓の外の風景にぼんやりとした視線を投げ、口をつぐんでしまった。 エンジンを始動させながら、そんな史子を痛ましげに振り返った弟が何か言おうとするのだが、言葉にならない。 前に向き直りサイドブレ-キを外して、発進しようとした弟に向かって史子が呟いた。「ねえ、タク・・・なんで、私なの?なんで、実の姉に対してそんな気持を感じるようになったの?私、何がいけなかったのかなァ・・・」 半ば独り言に近い史子の呟きは、弟の耳に届かなかったようだ。いや、届いたのかも知れなかったが、今の弟には史子にかけるべき言葉が見つからないようだった。 もとより史子も返事を期待していたわけではなかった。 頬を伝う涙もそのままに、固く眸をつむった史子は動き出した車の振動にじっと身を委ねていた。 6 結 城 剥き出しのコンクリ-トの荒々しい地肌の壁に囲まれて、複数の機械があげるOA機器特有の小さな唸り声が部屋を満たしていた。 デスク上の複数のパソコンとモニタ-、そしてそれらとケ-ブルでつながったプリンタ-、スキャナ-等の周辺機器やVTRなどで、部屋の壁一面を占める事務用の大型スチ-ルキャビネットは一杯だった。 一台のDVDレコ-ダ-から録画の終わったDVD-Rを取り出してケ-スにしまうと、結城はケ-スごと無造作にデスクの上に放り出した。 デスク上には同じケ-スが既に2ダ-スほども積み上げられていたが、たった今放り出された一枚がバランスを崩し、山は軽い音をたてて雪崩を起こした。 崩れたディスクの山には一瞥もくれず、結城は黙々と新しいDVD-Rをレコ-ダ-にセットして録画を開始した。 サイドテ-ブルの上からひしゃげたホ-プのパッケ-ジを掴み取り、一本抜き出す。 無骨なブリキ製のイムコのオイルライタ-を鳴らしてホ-プに火を付けると、紫煙と共に軽い吐息を吐き出しながら、結城はレイバンのミラ-グラスを外した。 両目の真中、鼻梁の付け根あたりをつまんで軽く揉みほぐす。 疲労が溜まっていることは、自分でも良く分かっていた。今日で丸二日間ろくに寝ていないのだから当たり前だった。しかしその甲斐あって、どうやら注文の部数は間に合いそうだ。 ようやくビジネスから開放されて、自分の楽しみに時間を使える時が訪れた。 レコ-ダ-の前を離れた結城は、部屋の反対側にぽつんと置かれた小ぶりのデスクの前に移ると、そのデスク上のパソコンを起動させた。 他のパソコンと違い、このマシンだけは一から自分の手で組み上げ、時に応じてパワ-アップ、カスタマイズを繰り返してきた代物だった。それだけに愛着もひとしおで、注文のメ-ルを受ける以外でこのマシンを仕事に使ってはいなかった。 さすがにマザ-ボ-ドやチップセットの旧式化は否めず、最近は手を入れることにも限界を感じ始めてはいたが、いま少しの間はこのマシンを引退させる気にはなれなかった。 新着メ-ルが無いことをチェックし終えた結城は、ドライブに一枚のDVD‐Rをセットしてモニタ-に目を凝らした。 光量不足のやや荒れた画面が、モニタ-の上で踊り始めた。 モニタ-の両サイドにセットされたスピ-カ-から、激しいあえぎ声が流れ出す。「姉さん、愛してるよ・・・姉さんは誰にも渡さない・・・」「私もよ・・・あぁ、愛してるわ・・・」 画面の中、ベッドの上でもつれ合う一組の男女の痴態から目を離さぬまま、ごく自然な動作でスラックスの前チャックを解き放つと、おのが股間の肉棒をつかみ出す。 結城のそれは、赤黒い光沢にぬめぬめと輝く立派な亀頭こそしているものの、力なくダラリと垂れ下がり、年齢相応の一物とは呼び難かった。 しかし結城は委細構わずおのれの肉棒を握り締めると、一心にそれをしごき始めた。 画面の男女のからみ合いが激しさの度合いを増すにつれ、結城の呼吸と右手を動かすピッチも速くなっていく。 辛うじて半ばまで立ちあがったおのが一物を握り締める結城の右手の動きは、さらに加速の度合いを強めていった。「・・・!」 声にならない声が結城の口許から漏れ、不意にその右手の動きが止まった。 その年齢であれば当然来るはずの、背骨を蹴りつけるような激しい快感は訪れてくれなかった。 半立ちの股間の一物も露わなまま、結城は椅子を蹴って立ちあがった。 激しく肩で息をしながら、その顔は絶望と憤怒に黒く染まっていた。 その時、デスク上に放り出されていた携帯電話が耳障りな電子音を奏でながら、その存在を強烈に主張し始めた。 のろのろとした動作でスラックスのチャックを引き上げ、ようやく下半身を整えると、気だるげに携帯電話を手に取る。「進み具合はどうだね、結城さん?」 挨拶も、前置きもなしで押し潰れた声が響いてきた。「ああ、順調だよ。今、最後のひとロットが終わるとこだ。 今夜中には持ち込めるから心配しなさんな、進藤さんよ・・・」 先ほどのオナニ-の最中に見せた激しい感情は既に影を潜め、いつもの物憂げな無表情に戻った結城はうっそりと答えた。 進藤と呼ばれた相手は、その押し潰されたような声をさらに歪めると低く呟いた。「ま、あんたのことだ・・・ブツの程度は信頼してるけどな。じゃあ、よろしく頼んだぜ、結城さんよ・・・」 しかしそんな相手の声を、結城はもう聞いていなかった。 携帯電話を持つ手をダラリと下げ、相手構わず通話ボタンをオフにすると結城は虚ろな足取りで部屋を横断した。 部屋の入口脇に、本来はバスル-ムだった部屋がある。 床まである黒い暗幕をくぐって入ると、あたりは赤い電球の光の中に沈んでいた。 シャワ-カ-テン用レ-ルには、幾枚もの現像したての印画紙がぶら下がり、まだ湿り気を帯びていた。 その内何枚かをレ-ルから外して顔の前ににかざすと、目を細め、じっと印画面に見入る。 印画面には、ホテルとおぼしき建物から出てくる若い男女の姿が、顔形に至るまで鮮明に焼き付けられていた。 印画紙を見つめる結城の口許が少しずつ吊り上ってゆくにつれ、次第に凄まじい笑みがその面に浮かびあがってきた。「待ってなよ、坊や・・・今度は、お前さんの番だぜ」 それは、ホテル「99(ツ-ナイン)」の根岸喜久栄を怯えさせものとは比べ物にならないほど、さらに不気味な微笑だった。 7 拓 也 午後一時を過ぎた大学の構内は、新年度を迎えたばかりの若者たちの喧騒と熱気であふれ返っていた。 しかし正門そばの掲示板脇ベンチに腰を下ろした拓也の周囲だけは、そんなざわめきとは無縁だった。 一時限目の講義が休講と知った拓也は二時限目の講義にも出ぬまま、朝からずっとベンチに座り続けていた。 何人かのゼミ仲間やクラスの同級生が気付いて声をかけてきたが、拓也の意識には全く届いていなかった。彼らは一様に首を傾げながら、歩み去っていった。 拓也の脳裏には、ずっと同じ想念だけが渦巻き続けていた。 このまま家を出てしまおうか・・・。 姉の前から、一生姿を消すべきなのではないだろうか。 少なくとも姉が結婚して家を出るまで、姿を消していた方がいいのではないか。それが姉と自分にとって、最善の道なのではないか。 『あの日』以来、何事もなかったかのように家の中で振舞う姉に接するたび、拓也は無性に居たたまれなくなってしまう。 辛うじて親の前では、ふたりとも今まで通り普通の姉弟を演じてはいる。 が、姉が就寝時に自室に入る際、今までは使った事のないドアの内鍵を掛ける音を耳にした時。 或いは、夜半を過ぎても寝付けぬまま輾転反側するうちに、隣の部屋から漏れる姉の低いすすり泣きの声に気付いた時。 そんな時、拓也はもうどうしていいか分からなくなってしまう。 午後の講義が始まった構内は、既に行き交う学生の姿も少なくなっていた。 とはいえ遅刻しても講義に出ようとする真面目学生や、サボリを決め込み校外へ出てゆく不真面目学生が思い出したように拓也の眼前を行き交い、人通りそのものは絶えることがなかった。 そのせいで、傍らにひとりの男が音もなく寄り添った時、拓也は最初注意も払わなかった。「鷹野くん・・・だね?」「な、なんですか・・・」 唐突に名前を呼ばれた上を向いた拓也の顔が、薄気味悪さに歪んだ。 声を掛けてきたのは、奇妙な雰囲気を身に纏った年齢の良く分からない男だった。 二十代と言われればそう見えるし、三十代といっても通用しそうな雰囲気もある。しかし、明らかに学生ではなかった。かといって、大学の教職員でもなさそうだった。 少なくとも講師や教授、はたまた学生課や生協・購買部などで見かけたことのある顔ではなかった。 薄いコ-デュロイのジャケットを無造作に着こなした男は、ミラ-のサングラス越しにじっと拓也を値踏みするかのように見つめた。「だから、あんた何なんですか?」「鷹野くん・・・鷹野、拓也くんだね?」「そ、そうですが・・・」「ちょっと話したい事があるんだがね、君と君のお姉さんのについて・・・」 そこで言葉を切ると、男は自分の言葉が拓也に与えた効果を推し量るかのように、じっと拓也の顔をねめつけた。 姉のことを持ち出され、拓也は我知らず背筋がゾクリとした。「一体、何ですか・・・藪からぼうに、姉がどうしたっていうんですか?」「なあに、そんなに時間は取らせないさ。ほんの10分もあれば終わるよ」 しかし男が今ここで、拓也のその問に答えるつもりがないのは明らかだった。「ま、立ち話もなんだから、そこらの店にでも入ろうじゃないか」 言い捨てるや、男はさっさと踵を返して歩き始めた。 男の背中は確信に満ち、拓也がついて来ることを微塵も疑ってなかった。 既に時刻は午後2時に近く、昼食時間帯を外れたファミリ-レストランの店内は閑散としていた。 大学を後にした二人は、歩いて5分ほどのところにある店に腰を落ち着けていた。「さあ、何なんですか一体?用事があるならさっさと仰ってください」 注文のコ-ヒ-を置いてウエイトレスが下がると、拓也は男にまくしたてた。 よく見ると男は意外と若かった。拓也とおっつかつ・・・精々いって26、7歳といったところか。しかし男の全身からは年に似合わぬ妙な落着きと共に、ある種の強烈な精気のようなものが滲み出し、その物腰は三十代半ばの男のそれといっても通用しそうであった。 気圧される自分を感じた拓也は、ことさらに尖った態度をとろうとした。「まあ、そう尖がることはないさ・・・私は君の敵じゃない。 むしろ、君の為を思って忠告にやって来た者だよ」「忠告?一体、何を言いいたいんですか、あなたは?」 いい加減焦れてきた拓也は、やや口調を荒げて男を問い詰めた。 しかし男は気色ばんだ拓也にはおかまいなく、憎らしくなるくらいゆったりとした動作でカップを口許に運び、さも美味そうにコ-ヒ-を一口啜った。「いやァ・・・美味いなぁ。こんなチェ-ンの店でも、最近は美味いコ-ヒ-を出すんだね。 これでお代わりし放題で、200円かそこらじゃ悪いみたいだ・・・全く。 今時、専門の喫茶店でも不味いコ-ヒ-一杯に500円も取る店があるってこと思えばこれは天国だなぁ。 実際、世の中を上手に渡っていくには、どんどん価値観を変えてかなきゃいけないよ・・・コ-ヒ-ひとつだって、専門の喫茶店に限るなんて思ってたら損しちまう・・・」 男はそこで言葉を切ると、拓也の顔から視線を外し窓の外に目を向けた。 しかし男の目はミラ-・サングラスに遮られ、そこに浮かぶ表情は拓也からは全く窺えなかった。「そんな話をする為に、わざわざ僕をこんなとこに引っ張り込んだんですか? これ以上、用が無いんなら・・・行かせてもらいますよ」 拓也はそう言って伝票を取り、立ち上がりかけた。 すると男はやおら拓也の方に向き直り、伝票を持った拓也の手首を何気ない調子で握り締めた。「・・・ッ!」 思わず拓也の口から苦痛のうめきが漏れ出した。男の膂力はそれほど凄まじかった。 ほとんど力を入れているように見えない男の左手は、しかし万力を思わせる圧力で拓也の手首を締め上げていた。「コ-ヒ-一杯に限ったことじゃないぜ・・・世の中の既成の価値観なんて、はなッから度外視して生きてくほうが利口ってもんだよ、確かに・・・」 拓也には、これ以上男の訳のわからない話に付き合う気は無かった。 無理やりにでも男の手を振り切ろうとした、その時だった。「だからって血のつながった実の姉と寝たいなんて、俺は思わないけどなぁ・・・。 鷹野くん、君と違ってね・・・」 男のその言葉は、雷撃となって拓也の全身を打ちのめした。 動揺を見せてはマズイ!そう思っても、咄嗟の生理的反応は打ち消しようがなかった。「なッ、何を馬鹿なこと言い出すんですか・・・失礼じゃないですか!」 必死で否定しようとするが、声に震えがこもるのは止められない。「そう興奮すんなよ、坊や・・・本当に『馬鹿な』ことかな?」 左手で拓也の手首を締め上げたまま、男は残る右手で内ポケットから数葉の写真を取り出すと、カ-ドを扱うマジシャンさながらの器用さでテ-ブルの上に広げて見せた。 そのうちの一枚に目を留めた拓也は、一瞬で自分の顔色が蒼ざめるのが分かった。 あの日・・・ホテルに姉を連れ込み、後一歩と言うところで断念せざるを得なかったあの時の・・・写真だった。 どこから撮影したのか、コテ-ジ風のホテルの一室から拓也が姉と一緒に出てくる様子が、顔形まで克明に焼き付けられている。しかもご丁寧なことに駐車してあるサニ-のナンバ-プレ-トにまで、くっきりとピントが合っている。「まあ、座わんな。店中の注目の的だぜ、今のお前さんは・・・」 男はそう言うと、ようやく拓也の手首を離した。 言われた拓也は手首の痛みも忘れ、蒼白な顔色のまま座席にへたり込んだ。 目の前に散らばった数葉の写真が、拓也と姉がホテルに出入りしたときの様子を細大漏らさず記録していることは、細かく確認しなくても分かった。 何の予備知識も無い者に見せれば、十人が十人とも間違いなくホテルから出てくる恋人同士を盗撮したものだと思うだろう。「い、いつの間に・・・」 写真から目を離すことができぬまま、拓也は力なく呟いた。「壁に耳あり障子に目あり、もひとつおまけにラブホにレンズありってね・・・」 男は心底から楽しそうにクックッ・・・と笑っていた。「おっと、そうだ。自己紹介がまだだったな、鷹野拓也君・・・俺は結城って者だ。 よろしくな・・・」 そう言いながら微笑む結城と名乗る男の表情は、仕留めた獲物を前にこれから饗宴を始めようとする肉食獣のそれであった。 結城の口許に浮かぶ残酷な笑みは、既に打ちのめされた拓也の目には入らなかった。「ちょっと、待ってください。実は・・・」 無駄とは思いつつも、あの日ホテルで起きた出来事を、拓也は事細かに語って聞かせた。 しかし、拓也のそんな努力も全くの徒労だった。「で?そんなたわ言をこの俺様に信じろって言うのかい、坊や?」 両手を広げて客席ソファアの背もたれをつかんだ上、下半身をだらしなく投げ出したこれ以上は無いほどリラックスした姿勢のまま結城はじっと拓也を見据えた。「信じる信じないじゃないんです・・・今、僕が言ったことが真実なんです!」 拓也は必死に結城に食い下がったが、結城はと言えば退屈そうに生あくびをかみ殺すだけだった。「真実なんてこたァ、この際どうだっていいんだよ・・・要は、この写真を見た奴がどう思うかだ?見た奴がどう思うか・・・それだけが大事なんだよ、違うかい?」「・・・・・・」 拓也に返す言葉は無かった。 結城の言葉は着実に拓也を追い詰め、その肺腑をえぐリ出そうとしていた。「この写真をばら撒かれるのがイヤだったら、どうすればいいか・・・分かるよな?」「お金・・・ですか?」「へッ、他に一体何があるっていうんだよ、えェ?」「できるだけの事はします。ですから・・・」 すると結城は黙って指を2本立て、拓也の眼前に突き付けた。「に、二百万円ですか・・・?」「馬鹿言っちゃいけないよ!こんだけの上ネタ、そんな端金で渡せるか! 桁がいっこ違うんだよ・・・坊や!」「そんな・・・二千万円なんて・・・とても用意できませんよ!」「誰も、学生ッぽのお前さんに用意しろなんて、ひとことも言っちゃいないよ。 お前と美人の姉貴には、大企業にお勤めの立派なパパがいるじゃないか? パパに洗いざらい喋って、泣きつきゃ・・・可愛い娘の為だ、一肌も二肌も脱いでくれるさ!」 結城の言葉に、拓也の全身から再び血の気が引いていった。「そ、そんな・・・親父に全部打ち明けるなんて・・・絶対にできませんよ!」「じゃあしょうがないな。こいつを、姉さんの見合相手の家に持っていくしかないか・・・ 姉さんのお相手はいいとこの倅のボンボンだったよな、確か?高く買ってくれるといいんだがなぁ・・・」「そ・・・それだけは、勘弁してください!」 それまではむしろ柔和な表情を浮かべていた結城の顔つきが、拓也のその言葉をきっかけに不意に変化した。「あれはイヤ、これもイヤ・・・甘ったれんなよ、このガキが!」 声こそ低かったものの、鋭い眼光と共に叩きつけられた結城の恫喝に世間知らずの拓也は手もなく震え上った。「いいかい、坊や?お前さんの返事ひとつで、愛する姉さんの人生が決まるんだぜ! そこんとこ、よォッく考えてごらん?」 どうしていいか分からなくなった拓也は、虚ろな眼差しでテ-ブルの上に散乱する写真を見つめていた。 * * * 30分後、レストランを出ながら結城は拓也の肩を親しげにポンポンと叩いた。 知らない人間が見れば、十年来の友人に見えたかもしれない。「やるしかないか・・・」 歩み去ってゆく結城の後ろ姿を眼で追いながら、拓也は震える声で呟いた。 その蒼ざめた表情は、生きている人間のものには見えなかった。 8 史 子 忍びやかなノックの音に眠りを破られて、水底から浮上するように急速に史子の意識が本来の形を取り戻していった。 サイドテ-ブルに置かれた時計を、暗闇の中で見据える。 淡緑色の蛍光式長針と短針が綺麗なL字形を成している。どうやら午前3時らしい。「姉さん・・・」 押し殺した弟の声を耳にして、史子の全身が反射的に強張った。「何・・・こんな時間に?」 史子の声も自然と低くなっていた。「ちょっと話があるんだけど・・・」 史子はわずかに逡巡した。 だが、いくらなんでも階下に両親が寝ているこの家の中で、弟が無体な振る舞いに及ぶことはないだろう。むしろこんな深夜にドア越しに弟と押し問答していることの方が、よほどまずい。 そう考えた史子はベッドから立ち上がると手早くガウンを羽織り、照明のスイッチを押しながらドアを開いた。 影が侵入したと思わせる素早さで、スルリと弟が部屋に入ってくる。 史子は無意識に一歩後ろに下がっていた。 そんな史子の態度を目の当たりにして、表情を哀しげに曇らせた弟は黙ったまま一通の封筒を差し出した。 その意図を図りかねた史子は、封筒には手を出さず、更に一歩後ずさった。「大変なことになったんだ。これを見てくれ、姉さん・・・」 そう言って封筒を逆さにすると、弟は史子のベッドの上にその中身をぶちまけた。 封筒の中身は数葉の写真だった。 好奇心に衝き動かされ、おずおずと史子はその中の一葉を手に取った。「・・・・・・?」 その意味するものが分からぬまま写真を見つめていた史子の口許から、一気に十歳も年老いかと思わせるしゃがれたうめき声が漏れ出すのに、多くの時間は必要なかった。「な、なんなの・・・これ・・・あなたが撮ったの?」「よく見てくれ、姉さん!僕たちが一緒に写ってんだ。どうやって僕が撮れるんだよ?」「じゃあ、こんな写真一体・・・誰が撮ったっていうの?」「今日の昼間、大学の構内で・・・いきなり変な男が話し掛けてきたんだ」 結城と名乗る男に強請られた顛末を弟から聞くうちに、史子の意識は少しずつぼやけ始めた。眩暈にも似た感覚が史子をとらえ、ス-ッと意識が遠のきかける。「誰なの、その人・・・なんで・・・なんでなの?」「分からない・・・」弟は首を振るばかりだった。「結城っていう名前だって、本名かどうか怪しいし、どこの誰かも分かんないんだ。 はっきりしているのは、あのホテルで網を張って、不倫や僕たちみたいな・・・いや僕らは違うけど、その・・・そういったカップルを見つけては強請るのを商売にしているらしいんだ・・・」「じゃあ、どうするの?言われるままに、お金を払うの?仮にお金を払ったって、本当に二度と現れないって保証はないんでしょう?」 既に自力で立っていられなくなった史子は、ベッドのヘッドボ-ドを握り締めて身体を支えることで、辛うじて倒れこむのをこらえた。「してもいないことの為に、私たち・・・全てを無くさなくっちゃいけないの? どうしてこんなことになっちゃったの?」 既にパニックに飲み込まれかけた史子の声は、少しずつ大きくなってきた。「姉さん・・・声、大きいよ・・・」 あたりを憚るような弟の物言いに、史子の中で何かが音をたてて壊れてしまった。「何よ・・・何、言っているのよ!こんな・・・こんなことになって、どうする気? ねえ、言って・・・どうする気なのよォ!」 もの静かな史子の、常にない激昂に弟は絶句していたが、ようやく気を取り直した。「分かってるよ、姉さん・・・全ての責任は、僕にあるんだ! それは、充分すぎるほど分かってるつもりだよ。でも、今その責任を追及されても事態は何にも好転しないんだよ、分かるだろ? だから・・・お願いだから冷静になってくれよ、姉さん!」 しかし弟のそんな言葉も、逆に弾けだした史子の怒りの炎に油を注ぐだけだった。「大体、こんなことになったのも・・・」 更に言い募り、声を荒げる史子は完全にパニックの虜だった。 惑乱する史子を黙って見つめていた弟が、いきなり史子を抱きしめたのは次の瞬間だった。 史子の全身は、一瞬で凍りついた。「お願いよ、タク・・・やめて・・・」 硬直したままの史子の口から、ようやくそれだけ言葉が漏れた。 「分かってる・・・これ以上は、何もしない。落ち着いてくれ、姉さん・・・お願いだ。 大丈夫・・・何があっても、姉さんは僕が守る。誓うよ・・・だから、これから僕が説明することを聞いてくれ、お願いだ・・・」 抱きしめられていた弟の腕から開放されると、史子はそのまま床のカ-ペットにへたり込んでしまった。 膝を折ってしゃがみこみ、史子の両肩に手を掛けると、その目を覗き込みながら弟は押し殺した声で囁きかけた。 「もう・・・大丈夫?」 弟の問いかけに、凍りついていた史子の全身の細胞が緩み始めた。 無言で頷いた史子の両眸には、少しずつ意思の力が宿り、いつもの知的なたたずまいが甦りつつあった。「で、どうする気・・・?」 史子のその問いを受けて、弟は昼間から考えつづけていたという自分の「計画」を語り始めた。 半ばまで聞いていた史子の表情が、次第に激しく歪んでいった。「ダメよ、タク!いくら何でも、そんなこと・・・」「いいんだよ、姉さん。全ては、僕が蒔いた種なんだ・・・。 僕には、根こそぎ刈り取る義務があるんだ」「でも、だからって・・・それだけは絶対にダメよ。いけないわ、タク・・・お願いだから考え直して頂戴。ヘタしたら、あなたの一生を棒に振ることになりかねないわ」 史子のその言葉に、それまで沈鬱な色に覆われていた弟の表情が変わった。顔をくしゃっと歪ませると、泣き笑いのような表情へと変化した。 それは涙をこらえる時に弟が見せる、子供の頃からの癖なのを史子は思い出した。「やっぱり、優しいね・・・姉さんは。姉さんに対して、あんな酷いことをしてしまった僕なのに・・・世界一最低の弟なのに、そんな僕のことを心配してくれるなんて・・・」「当たり前じゃない・・・姉弟なのよ、私たち! 何があっても、他に代わりようがない、この世でたったふたりきりの姉弟なのよ。 あなたのことを心配するのは、当たり前じゃない!たとえ、あんなことがあったとしても・・・それは変わらないわ」「姉さん・・・ごめん、ごめんよォ・・・」 もはやこらえきれなくなった弟は、史子の胸にすがりつくと嗚咽を漏らし始めた。 弟にしがみつかれ反射的に身体を硬直させかけた史子だったが、自分の胸で涙を流す弟の姿を見ているうちに、先日来ずっと胸の奥に居座っていた重いしこりが徐々に軽くなっていくのをはっきりと感じていた。「もういいのよ、タク・・・いいの・・・」 そんな弟の頭をそっと抱えながら、史子は優しく撫でた。 あの時はまさに強烈な「男」そのものと化していた弟が、今は何と小さく、頼りなげに見えることだろうか。 そう、これが・・・これこそが私の知っている、本当のタクなんだ。やっと帰ってきてくれたんだ。「お帰り、タク・・・」 小声で呟きながら、史子は不思議な感慨にとらわれていた。 そしてまた、弟に対してほんのわずかではあるが、奇妙な愛しささえ感じている自分に気付いた史子はかすかに狼狽した。 その狼狽を弟に気取られるのを恐れるかのように、史子は弟の身体を強く抱きしめた。「あなたはもう充分に苦しんだのね。もう、いい・・・・いいのよ、許してあげる」 史子の言葉にいったんは泣き濡れた顔を上げた弟は、再び顔を伏せると前よりも一層激しく声を忍ばせて涙を流した。 * * *「分かってるよ。だから絶対に姉さんにはとばっちり行かないようにする・・・」 ようやく落ち着いた弟と向き合い、史子は真剣にその言葉に耳を傾けた。「万一、全てが露見しても僕が全ての責任を取る・・・姉さんは、何も知らなかったってことにしておけばいいんだよ」「そうはいかないわ。タクひとりを犠牲にして、私だけ無事でいるなんて・・・そんなことできるわけないじゃない」「いいんだ・・・繰り返すようだけど、全ての原因は僕にあるんだ。 だから、姉さんがそれに負い目を感じる必要なんてサラサラないんだ。 本当は、全て僕一人の手で片を付けなくちゃいけないくらいなんだ。姉さんをそんな場に立ち合わせたくなんかないよ。 この上、姉さんをおとりにするのは嫌なんだけど・・・奴を食いつかせるには、どうしても姉さんの力が必要なんだ」「それは分かるわ。私にできることなら、何だってするわ・・・」「ありがとう、姉さん」「でも・・・本当に、いいの?それで後悔しない?」 史子の問いに、弟はひとつ大きく深呼吸をすると、無言で力強く頷き返した。 その目の中にはもう微塵も迷いはなく、信念を固めた男だけが持つ力強さが史子にもひしひしと伝わってきた。「ううん、お礼を言うのは私の方よ。タクが私のために、そこまでしてくれる覚悟だなんて・・・」 そこまで言って、今度は史子の方が不意に突き上げてきた熱いもののに言葉を詰まらせた。「変ね、私ったら・・・本当ならタクのこと、もっと憎むべきなんだろうけど・・・」「憎まれても軽蔑されても当然のことを、僕がしてしまった事実に変わりはないよ。 僕にできることは、どうやってその償いをするかってことだけさ。 いや、今回だけじゃない。この先一生、もしも姉さんに何かのピンチが訪れたらその時も、僕は姉さんの為なら何だってするさ・・・」「タク、あなた・・・」「いいんだ、これで許されるなんて思っちゃいないよ。この先一生かかっても、償う気持に変わりはないよ」 史子の目から、こらえようとしてもこらえきれない熱いものがあふれ出してきた。 9 結 城 新宿歌舞伎町にほど近い大久保通りの歩道際に、一台のジ-プ・チェロキ-が停車した。 サイドブレ-キを引くと、結城は腹に力を込めるように大きく深呼吸を繰り返した。 車を降りてドアロックを確認しながら、結城はあたりをさりげなく見廻した。時刻は既に午前1時を過ぎ、さすがにこの界隈にも酔客の姿もまばらだった。 自分に注意を払っている人間が周囲に居ないことを確認し終えると、結城は大久保通りを2ブロックほど歩き、狭い路地に折れた。 目的のビルの前に立った結城は、再び深呼吸を繰り返した。 ただひとつ、異様に頑丈そうな鉄扉ひとつしか出入口を有していないことを除けば、それは特に目立った所のない平凡な雑居ビルに見えた。 鉄扉脇のインタ-ホンを押す。 するとビルの2階角に据付けられた、これも平凡な雑居ビルには不似合いな監視カメラが音もなく回転し、結城の姿を捉えているのが分かった。 カメラに向かってさりげなく手を振ると、鉄扉の目線位置にある小さな窓が開いた。 室内の明かりに、ひとの目が浮かび上がる。 覗き込んだ目に結城の姿を認めた色が浮ぶや、軽い金属音と共に鉄扉が開いた。「ごくろうさますッ!」 派手な柄シャツの上に紫色のス-ツを羽織り、片手に無線機を携えた一目でチンピラと知れる若者が深々と腰を折って結城を迎え入れた。「専務が3階でお待ちすッ!どうぞッ!」 あたりはばからぬ若者のドラ声にわずかに眉をひそめたものの、ほとんど無表情のまま結城は勝手知った様子で階段を上がっていった。 狭い階段を上りながら通過したドアガラス越しに、2階の室内でコンピュ-タを始めとする複数の電子機器類特有の機械音が漏れ聞こえた。 3階のドアをノックもせずに開けると、室内にいた数名の若者がバネ仕掛けさながらの勢いで立ち上がった。「オスッ!ご苦労さんです!」 口々に喚きたてる若者たちには一顧だにせず、結城はさらに奥にある扉を引き開けた。 うらぶれたビルの外観とは正反対に、その室内は豪華な調度で満たされていた。 素人目にも一目で外国産と知れる毛足の長い絨毯を踏みしめ、これも同様に輸入品とおぼしい豪華な革張りのソファに歩み寄ると、結城はぞんざいに腰を下ろした。 正面に座る男が、片側の眉をかすかに吊上げた。 仕立てのいい高級ス-ツに身を包んだ三十代前半の男は、テ-ブルに置いたノ-トパソコンを流れるような指捌きで操作しながら、うっそりと呟いた。「やれやれ、大巨匠の先生がやっとお見えですか・・・」 細いセルフレ-ムの眼鏡の奥で怜悧な目を細めながら言葉を選ぶ落ち着いた物腰は、先端ビジネスにしのぎを削るエリ-トサラリ-マン連想させるが、実態はその正反対だ。 男は、この一帯を仕切る暴力団の若頭補佐、進藤だった。 暴力団員には見えない外観通り、進藤のシノギの方法は至ってスマ-トだった。 民事介入暴力が規制された現在にあっても、巧みに法の網をかいくぐり、債権外しを始めとする経済紛争に割って入って甘い汁を吸うのを主なシノギとする典型的な経済ヤクザだった。 本当かどうか元弁護士か、司法試験浪人崩れという前歴を下っ端のチンピラから小耳に挟んだこともある。確かに部屋の一方に置かれた書架には、六法全書を始めとする法律専門書が並び、彼がそれらに目を通していた場面に出くわしたことも一再ならずある。 どうやらその筋の出身であることだけは間違いなかった。 その一方でコンピュ-タを始めIT技術にも造詣が深く、カ-ド偽造や盗品カ-ドを使った金品略取や贓品故買といった分野でも、その手腕を遺憾なく発揮している。 とはいえ、進藤がその手の綺麗なシノギだけでノシ上がってきた男でもないことも、結城は充分に承知していた。 以前に一度、この事務所で中年の男に凄絶なヤキを入れている現場に出くわしたことがある。どうやら中年男は進藤の組のフロント(企業舎弟)であるサラ金から借りた金を踏み倒そうとして果たせず、ヤキを入れられていたらしい。 いわゆる暴力団新法の施行以降、カタギが筋者からの借金を返さず(返せず)に居直った態度に出ても、以前の如くさらって臓器を抜いたり、見せしめに派手なヤキ入れを行うことが出来なくって久しい。 昔気質の極道の中には、舐めた真似をするカタギには以前と同様にそれなりの制裁を加える者たちも居たが、それは警察に格好の口実を与えたに等しく、組織がガタガタになるまで警察に叩かれる組が続出するに到って、彼らもやり方を変えざるを得なくなった。 そんな昨今にもかかわらず、舐めた真似をする相手に対して苛烈極まる報復も辞さない進藤はやはり筋金入りの極道者以外の何者でもなかった。 普段通りの冷静な物腰を崩さぬまま、血まみれになった男を執拗に蹴りつけるさまは、如何にエリ-トサラリ-マン然とした見てくれをしていても、やはり進藤が真性の暴力団員であることを改めて実感させた。 かつて結城を進藤に紹介した人間に言わせると、組内でも進藤の評価にケチをつける者は皆無らしく、いずれは四十代前にして組を完全に束ねるであろうということだった。それは結城のような部外者にも、大いに頷ける話であった。 暴力と知性。ふたつの相反する力を巧みに使い分けるあたりに、まさに進藤の真骨頂があるといえた。 車からずっと小脇に抱えてきた小ぶりのダンボ-ルを進藤の眼前に置くと、結城の口許から長いため息が漏れた。「これで約束のロットは全部終わった、いいかな? よけりゃあ、早速手数料を頂こうか、進藤さんよ?」 ダンボ-ルの蓋に手を掛け、それを引きむしるように開いて中から取り出したのは、ダビングを終えたばかりのDVD‐Rの山だった。 その一枚を放り投げながら、結城は進藤に笑いかけていた。 10 拓 也 峠の頂上に、そのスペ-スはあった。 駐車場として使うならば、楽に20台は収容できるだろう。 網の目を成して秩父山塊を縦横に走る、林道群の内のひとつ・・・奥武蔵林道の途中にある空きスペ-スだった。恐らく木材の伐採・搬出時にトラックへの積み込みを行うためのスペ-スだろう。 山仕事に使われている現役の林道らしく、舗装こそされていないものの、大きなギャップもなく、至ってフラットな路面と車同士が楽にすれ違えるだけの道幅を有しており、普通の乗用車が通行しても何の支障もなかった。 ただし、それはあくまで昼間ならば、と注釈を付けなくてはならない。 一般道とは異なり、照明はもちろんのこと路肩にガ-ドレ-ルひとつもないこの道を、深夜の12時に通行しようと考える酔狂な人間はさすがに他に見あたらなかった。 ライトの照射範囲の路面と迫ってくるカ-ブだけに神経を集中させ、時速20kmにも満たない低速度で車を進めること約15分。短い時間ではあったが、サニ-を操る拓也にかすかに疲労の色が見え始めた頃、結城との約束のランデブ-地点が目の前にあった。「大丈夫、タク?」 林道に入ってからずっと言葉を交わしていなかった姉と弟の間で、初めて言葉が発せられた。「ああ、なんとかね・・・」 拓也は助手席の姉に向き直ると、軽く頷いて見せた。 メ-タ-パネルの淡緑色の照明に浮かび上がる姉の顔は、かすかに緊張で強張ってはいるものの、拓也にはまずまず落ち着いて見えた。 サイドブレ-キを引き、キ-を捻ってエンジンを止めると、たちまちあたりを漆黒の闇と冷えびえとした静寂が包み込んだ。 不案内な深夜の山道の運転で固くなった筋肉を解きほぐそうと、拓也はドアノブに手を掛け、車外へ降り立とうとした。「待って・・・」 あたりをはばかるような姉のか細い声に、拓也は動きを止めた。「どうしたの、姉さん?」「行かないで・・・ここに居て、タク」「大丈夫だよ、姉さん。どこにも行きゃしないって。ちょっと外の空気が吸いたいだけさ」 拓也は意識して笑い顔を作ると、姉の肩に左手を掛けた。「それでも、行かないで・・・お願いよ、タク」 傍目には落ち着いて見えたが、やはり姉が緊張に押し潰されそうになっているのを見て取ると、拓也はもう一度頷いた。「分かったよ。どこにも行かない。ずっとここに居るから、安心してよ、姉さん」 拓也の言葉に安心したのか、姉は自分の肩に置かれた拓也の掌に自分のそれを重ね合わせると、ほっと小さな吐息を漏らした。 拓也もまた姉の肩に置いた左手をそのままに、じっと前方の暗闇を見つめていた。 フロントウインドウの向こうには、秩父市街と思われる町の明かりが明滅していた。 漆黒のビロ-ドの上にばら撒かれた宝石さながらに、闇の中に点々と散らばって浮かび上がる無数の町の灯りは、今の拓也たちの心を一時の間ではあったが、なごませずにはいなかった。「綺麗ね・・・」「ああ、本当に綺麗だね。姉さんには負けるけど・・・」「馬鹿。何言ってるの、こんな時に・・・」 姉の言葉には軽く揶揄する響きはあったが、決して気分を害しているようには思えなかった。 拓也は思い切って言葉を継いでみた。「本当だよ、姉さん。本当に・・・僕、そう思っているんだ」 姉がわずかに身じろぎするのが、拓也には感じられた。「ううん、約束を破ろうっていうんじゃないんだ・・・」拓也は少し慌てて先を続けた。「ただね、あの日・・・思い出させて、ごめん・・・でも、あの日最後に姉さんが言ったよね?『何で、私なの?』って・・・」 助手席の姉がこちらを向き、じっと見つめているのは暗闇の中でも分かった。「ずっと考えていたんだ、何であんなことしてしまったんだろうって・・・」「だから、その話はもういいわ・・・」 姉の声は昂ぶってはおらず、平静な声音を保っていた。「あなたはもう充分に苦しんだし、私も苦しんだ・・・だから、もういいじゃない?」「そう・・・だね。ごめん、結局蒸し返して嫌なことを思い出させてしまったみたいで・・・」「いいのよ、タク。何か話していないと不安で仕方なかったんでしょ?分かるわ、私だって今は同じ気持だもの・・・だって、これから・・・」 その時、闇を切り裂く一条の光芒が後方からル-ムミラ-に目潰しを喰らわせてきた。「来た・・・」「そのようね・・・」 自分の声に、わずかに震えがこもっているのを拓也は感じ、思わず両掌でおのが頬を叩きつけた。「じゃあ、打ち合わせ通りで・・・」「気をつけてね、タク・・・」 拓也は姉に向かって最後に力強く頷くと、ドアを開け放った。 ディ-ゼル特有の甲高いエンジン音が、静寂の中で狂想曲を奏でていた。 暗闇を割って姿を現したのは、いつのものとも知れぬ恐ろしく旧型の幌のジ-プだった。 屋根部分の幌以外はドアもないジ-プから、身軽に降り立った結城の姿がライトの光芒の中でシルエットになって浮かび上がった。「いよう、タクちゃん!約束通りに来てくれて、とっても嬉しいよ!」 片手に折畳み式のパイプ椅子を抱え、人を人とも思わぬ傍若無人な態度を隠そうともせず、結城は拓也に歩み寄ってきた。 震えそうになる膝頭に力を込め、拓也は必死で地面を踏みしめながら待った。「結構、結構。大変に結構。人間すべからく、素直なのが一番だよ・・・タクちゃんのようにね!」 露骨に人を馬鹿にした物言いで、結城は上機嫌で拓也の顔をのぞき込んだ。「そんじゃあ、早速お約束の実行といきますか?」 親友同士のように肩を組んでくると、有無を言わせぬ力で拓也はサニ-の方へ引きずって行かれた。「いよう、これはこれは・・・お初にお目にかかります。結城という、けちな強請り屋です。以後、お見知りおきを・・・」 サニ-の傍らに立ち、助手席のドアを開いた結城は、これ以上ないくらい下卑た口調でやに下がった。 助手席に座ったままの姉が全身を固くするのが分かったが、拓也は必死に自分を押さえた。 足許にパイプ椅子を置くと、芝居がかった動作で結城は拓也にそれを指し示した。「ほら、特等席を用意してやったよ・・・このライブ、結構いい値段がつくと思うぜ! 今回はまあ、特別にサ-ビスしといてやるからさ、しっかり見とくんだぜ!」 一人すっかり悦に入った結城は、改めて助手席をのぞき込むと、不満げに鼻を鳴らして拓也を振り返った。「おいおい、タクちゃんよォ・・・俺さまのリクエスト、聞いてくんなかったの? 愛しのお姉ちゃんには、仕事着の白衣を着させて来るようにって、言ったと思うんだけど・・・聞いてなかった?」「着てきたわよ!」 助手席から降り立った姉が着ていた春物のコ-トを脱ぎ捨てると、白衣姿で結城の前に立ちはだかり、怒りを隠そうともせず睨みつけた。「こりゃまた結構ですな。そうそう、初めからそれだけ素直でいてくれりゃ、言うことねえよ。 俺さあ、前々からいっぺんでいいから、やってみたかったんだよね。 白衣着た女とのカ-セックスってやつをよ・・・へへッ、そんじゃ早速・・・」 結城に促された姉がのろのろと助手席に座りなおし、身を固くして待った。 次の瞬間、撓めに撓めた拓也の全身の筋肉が爆発した。「き、きさまなんかにィ・・・!」 背後から飛びかかった拓也の両手が結城の首に掛かかる寸前、ほんの紙一重の差で結城の身体は拓也の両手をかい潜り、一気に下側へと沈み込んだ。 刹那、風を切って鋭く突き出された結城の肘が、襲いかかった拓也の脾腹に深々と突き刺さる。それは、目にも止まらぬ一瞬の早業だった。「ぐ・・・はッ!」 声にならない悲鳴を漏らしながら、拓也は地面に転がっていた。 胸ポケットに入れていた携帯が、闇の中に吹っ飛んだ。「タ、タクッ・・・!」 悲鳴をあげながら車を降り、駆け寄ろうとする姉を制して結城がうっそりと立ちはだかるのを、拓也は激痛に霞む視界の中で認めていた。「おっと、お姉ちゃんは動いちゃなんねえよ!さもないと・・・」 その言葉と同時に頭を靴底で踏みにじられた拓也は、さらに苦悶の呻きを上げた。「酷い!お願いです、弟に・・・タクに、それ以上乱暴しないで!」 身も世も無い姉の悲鳴とは対照的に、結城の声音は氷を思わせる冷酷さに満ち満ちていた。姉のどんな言葉も懇願も、結城の意思を変えさせることはできないようだった。「ちょっと待ってくれねえか?酷いのは、お前さんの弟の方なんだぜ。 お前さんと一発ヤらせてくれる約束をしておきながら、いきなり後ろから殴りかかるような卑劣な真似をしやがったんだぜ・・・あんたの弟は!」「そ、それは・・・」「だいたいが、実の姉に睡眠薬を一服盛ってラブホに連れ込むような野郎だ。そもそもの性根が、芯の芯まで腐っていたとしても何の不思議もないわな!」 心の底から嘲る結城の笑い声が、深閑とした夜気に谺した。「酷すぎるわ、そんな言い方って・・・いくら何でも・・・」 こみ上げる激しい怒りを、必死で押さえている姉の声がする。「ほォ?こいつぁ、魂消た!おい、タクちゃんよ・・・お前のお姉ちゃん、何だかお前に同情しているみたいだぜ。お前にあんな目に遭わされたっていうのによ?」「弟を乱暴されて、怒らない姉が居ると思いますか?」「そりゃあ、普通はな。でも、あんたの弟は同情に値するタマには思えんがね? すべてはこいつ自身が蒔いた種なんだぜ! それとも何かい、お姉ちゃん?あんた、まさかこのろくでなしの、それも実の弟に・・・ホの字になっちまったんかい?だとしたら、こいつぁ傑作だ!」「な、なんと言うことを・・・」 姉の声は怒りを通り越して、今にもキレる寸前に拓也には思えた。「だ・・・だめだ、姉さん・・・こいつに逆らったら・・・」 地面を這いずる拓也の頭をさらに力を入れて踏みつけながら、結城は厭らしい笑い声をあげた。「そういうことなら、ここは俺さまが一肌脱いでやろうじゃないの! どうやらお互いにホの字になっているくせに、下らん理性とやらで素直になれない可哀相な姉と弟の濡れ場を、シッポリと演出してやろうじゃないか! 俺は後でいいからさ・・・まずはタクちゃんのチンポコをねじ込まれて、実のお姉ちゃんが悶える様をじっくりと見物させてもらうじゃないの。さあさあ・・・」 結城は心底楽しそうな口調で拓也の襟首をつかみ、凄まじい力で無理やり立ち上がらせた。「ほら、忘れものだ!」 拓也の携帯を胸ポケットにねじ込むと、向き直った結城はそのまま姉をサニ-の助手席に押し込もうとした。「さあさあ、実の姉弟同士のシロクロ・ショ-の始まりだ!しっかり、姦っておくれよ、おふたりさん!」「あなたは・・・あなたは、人間じゃない!」「ハイハイ、何でもいいから乗った乗った!」 か弱い抵抗をせせら笑いながら、結城が姉をサニ-の助手席に無理やり座らせ終えた時拓也はそっと片手を上げて合図した。 大きくひとつ頷いた姉が、両膝を抱え込みながら座席の上で全身を丸めた。 何かを察知した結城が、サニ-のル-フに手を掛けたまま思わず振り返った。(今だッ・・・!) この時を待っていた拓也は、ポケットから小型のリモコンを取り出すと、躊躇うことなくスイッチを押した。 次の瞬間、サニ-のル-フに掛けた結城の手のあたりから、夜目にも鮮やかな青紫色の閃光が迸った。 11 史 子 5月とはいえ、これだけの山の上で、まして深夜の12時ではまだまだ気温は高くない。 だが、今の史子の全身を襲っている震えは、寒さがもたらしたものではなかった。 ついにふたりが越えてはいけない一線を、越えてしまったからだ。 地面に倒れた結城にのしかかった弟が、用意していたナイフを顔に擦りつけるようにして脅すと結城はあっさりと白状した。 ジ-プの助手席下の物入れからネガを見つけ出した史子が、それを手に持って掲げると弟は史子に車に戻るように指差した。 車に戻ってゆく史子とすれ違いに、結城を引きずる弟がジ-プに近づいて来る。 思わず目をそらしてすれ違った瞬間、結城のうめき声が耳に飛び込んできた。「なあ、頼むよ・・・もう、お前さんたちには近づかないから・・・勘弁してくれよォ・・・」 反射的に振り向き視線を合わせた史子は思わず口を開きかけたが、弟に目顔で制された。 車に戻ったものの、史子は車内に戻るのを躊躇い、傍らに立ったまま弟が今まさに行おうとしてる行為を見つめた。 結城を乗せたジ-プを、弟がゆっくりと押していくのが見えた。 その先はガ-ドレ-ルのない崖だ。 今ならまだ止められる。まだ引き返すことができる。 たとえ『近親相姦姉弟』の濡れ衣を着せられても、人殺しよりはましではないのか。 警察に捕まらずに罪を一生隠しおおせたとしても、この忌まわしい記憶は自分と弟の心から決して消し去ることはできない。 ひとの生命を救う職業にある自分が、ひとつの生命が今まさに奪われるのを見過ごそうとしている。 直接手を下していないとはいえ、許されていいことなのだろうか。 いいはずがない。それは分かっていた。 しかし、あの男の卑劣きわまる行為を決して許すことができないのもまた、史子にとっての真実だった。 そもそもの原因が弟にあることは否定しようもないが、しかしそのような行為に至った弟の心を今の史子は、かすかにではあるが理解できるような気がしていた。 確かに、それは決して許されてはならない形の「愛」かもしれない。しかしどのような形であれ「愛」に変わりはない。そしてその「愛」ゆえに道を踏み誤りかけた人間の、その弱さを材料に恐喝という行為を行うことは、もっと醜い行いだ。 そのような卑劣な人間には、何らかの償いが必要だろう。 しかし、それが生命を奪っても良い理由となり得るか否かは、神ならぬ身の史子には決めようもなかった。 徐々にスピ-ドを上げ始めたジ-プは、すでに弟の手を離れていた。仮に今、弟が車を止めようとしても間に合うまい。喉元まで出かかった制止の言葉は、もはや無意味だった。 併走していた弟が足を止めてジ-プを見送った直後、ジ-プの後ろ姿が暗闇の中にフッと消えた。 ややあって鈍い衝撃音が崖下から響くのと、ボン!という意外に軽い破裂音がするのが同時だった。 崖下から一条の炎が吹き上がる。 炎に照らされながら駆け戻ってくる弟の姿を、史子は非現実的な思いでぼんやりと見つめていた。 * * * 秩父市内を縦貫する国道に戻って来た時、既に時刻は午前1時を廻っていた。 国道沿いには何軒かのホテルが等間隔で並び、そのどれもが「空」表示のランプを灯している。平日のこの時間であれば当然だった。 そのどれに入ってもいいはずなのだが、中々踏ん切りをつけられぬまま史子は法廷速度を守って車を走らせ続けていた。 首尾よく結城を始末することが出来たら、町に下りて国道沿いのホテルに避難して、万一の検問や緊急配備をやり過ごすのが、かねてよりの計画のエピロ-グだった。 計画段階では、史子も特に異は唱えなかった。実行当夜は、両親には夜勤といって家を出る手筈の史子が変則的な時間に帰宅するわけにもいかず、やむなく書かれたシナリオだった。 しかし当然といえば当然だが、「あの日」の記憶がまだ鮮明な史子にとって一時避難とはいえ実際に弟と一緒にホテルに入るとなると、躊躇いが先に立ってしまう。 弟は「僕は部屋に入らないで、車の中で寝ているよ」とまで言っているのだし、かんぐりすぎるのは悪いとは思うのだが・・・どうにも踏ん切りがつかなかった。 国道に下りた時には精も根も尽き果てた表情でハンドルに覆い被さり動けなくなった弟に替わって史子がハンドルを握ったのだが、いざとなると踏み切れない。 そんな思いのまま人通りのない深夜の淡々とした地方道を運転するうち、フッと史子の意識は過去を逍遥していた。 そう言えば弟の車を運転するのは、久し振りだった。 少し不器用なところのある史子が運転免許を取った直後、その運転のあまりの危なっかしさに弟がコ-チ役を買って出てくれたことがあった。既に大学の自動車部でラリ-への出場経験もある弟は、免許取りたての史子に対して様々な路上での運転テクニックを伝授してくれた。 曰く、直前の車のブレ-キランプを見るな。そのリアウインドウを通して、さらにもう一台前のブレ-キランプに注意を払い、それが点灯したら自分もブレ-キを踏め。 曰く、道路端に停まっているトラックなどの背の高い車の横を通過する時は、あらかじめ手前からその車の床下に注意を払えば、その陰に歩行者が居ても察知できる等々。 そういった実際の路上運転のコツだけでなく、何を思ったか弟は史子にラリ-用の派手な運転テクニックまで仕込んでくれた。 急ハンドルと急クラッチにサイドブレ-キ操作を組み合わせて、一瞬の内に車の向きを180度変えるスピンタ-ンなど、一体公道上のどこで使えるのかと言いたくなるテクニックまで叩き込んでくれた。 万一の時の危険回避に使えるという弟の説明はいささか疑わしかったが、意外とこれが史子の気に入ったから大変だった。もう止めてくれと蒼ざめる弟を尻目に、史子は河原の砂利道で弟の愛車を何度も振り回し、嬌声を上げて喜んだものだった。(あの頃は楽しかった。それが、今は・・・) ほとんど物思いに沈み込みかけていた自分にハッとして、史子は慌ててフロントウインドウに意識を集中させた。いくら深夜の地方道とはいえ、ひとが絶対に通らないという保証はないのだ。万一交通事故を起こしてしまったら、それこそ百年目である。 既に矢は放たれてしまったのだ。全てが終わるまで、気を抜くわけにはいかなかった。 小さくため息をついた史子は、助手席の弟を横目で窺った。 そこにある弟の表情が、一夜のうちに十も歳をとって見えるほど暗く、苦渋に満ちたものと化しているのに気付いて、史子は思わず胸を衝かれた。 そうなのだ。最も苦しんでいるのは、この弟なのだ。 自らひとひとりの生命を奪ったという良心の呵責に加え、自身の軽率な行いがきっかけとはいえ、姉である自分を苦しめ、さらには殺人という罪科までも半分背負わせてしまったのだ。 拭っても拭いきれない巨大な悔悟が、弟の心にこれ以上はないほど重くのしかかっていることが史子には痛いほど感じられた。なのに自分はそんな弟に対していまだに不信感を募らせ、計画通りにことを行うことさえ躊躇っている。 私は自分のことしか考えていない。 史子は前方の道路を見つめながら、深く重いため息をついた。「姉さん・・・そこ、止めて・・・」 すぐ前方に迫る『ホットライン』という看板を認めるや史子の手足がめまぐるしく動き、車は半ば横滑りしながら道路脇の空地に飛び込んでいた。 『ホットライン』は全国チェ-ンのコンビニエンスストアだが、地方都市の常で既に店の照明は消え、あたりには人影ひとつない。 『ホットライン専用駐車場』と書かれた看板の下に車を停めるや、待ちきれずにドアを開け放って弟が駆け出していった。 駐車場の片隅の暗がりに膝をついた弟は、激しい空えずきの声を上げ始めた。 エンジンを切った史子は、タオルを片手に弟に駆け寄る。 緊張のあまり夕方から何も食べていなかった弟は、苦しげに黄色い胃液だけを足許に垂らし続けた。「大丈夫、タク?」 傍らに寄り添った史子を振り向いた弟は、無理やり笑顔を浮かべて頷いてみせた。「だらしないよね。ざまぁないよ、全く。とても犯罪者の器じゃないね・・・」「もういい・・・いいよォ。お願い、タク・・・そんなに自分を責めちゃ、嫌ッ!」「そんなこと・・・これが、僕に課せられた罰なんだから、甘んじて受けなくっちゃいけないんだよ・・・」 駐車場の防犯灯の乏しい明かりの下、力なく笑う弟の顔に浮かんだ決して癒されることのない苦悩の色を目の当たりにして、もはや史子の迷いは霧消していた。「車に乗って、タク・・・速く!」 弟の肩に手を貸して立ち上がらせると、史子は渾身の力を込めてその身体を助手席に引きずり込んだ。 エンジンを掛けた時、史子の心は既に決まっていた。 タイヤが抗議の悲鳴をあげるのも構わず一気にクラッチを繋ぎ、『ホットライン』の駐車場を飛び出す。5分と走る必要はなかった。 どぎつい黄色のネオン看板に、かなり悪趣味な書体で書かれた『パンドラ』という名前が史子の視界に飛び込んできた時、史子は躊躇うことなくハンドルを切っていた。「いいのかい、姉さん?」 心なしか震えを帯びた弟の声に、史子は決して作り物ではない笑みで応えた。「だって、予定通りでしょ?」「それりゃあ、そうだけど・・・だったら約束通り、僕は車に残るから・・・」「いいから、一緒に中に入ろッ!」 ポ-チに車を停めた史子は、さっさとドアを開け自分からホテルの入口に向かって歩を進めていった。 助手席のドアが閉まる音と共に、足音が追いかけてくる。 史子は自動ドアの前で立ち止まると振り返り、弟に向かっておどけた調子で手を振ってみせた。 * * *「うわッ・・・何、これ?」 ドアを開けた瞬間に史子の口から漏れたのは驚きと、いくばくかの賛嘆だった。「げげッ・・・!」 それは弟も同様だったらしく、史子の脇でため息にも似た声が聞こえた。 くたびれた建物外観とは裏腹に、ぴかぴかに磨き上げられた室内は清潔で快適そのものに思われた。しかし姉弟が感嘆の声を上げた理由は、そんなことではなかった。 狭い三和土(たたき)を上がって室内に踏み込んだ姉弟の前には、50畳はあろうかと思われる空間の広がりと、その空間を半ばで区切るガラス・スクリ-ンが在った。 そのガラス・スクリ-ンの向こうには、全長十メ-トルそこそこだが満々と水を貯えたプ-ルがしつらえてあるのが分かった。 度肝を抜かれた姉弟は、部屋の一隅のソファにとりあえず腰を下ろした。 プ-ルを別にしても20畳近くあると思われる室内のほぼ中心には、キングサイズのダブルベッドが置かれ、大型テレビやカラオケセットがその両脇に鎮座ましましている。 姉弟が座るソファは俗にラヴ・チェアと呼ばれる代物で、並んで座っていると完全に互いの身体が密着してしまう。先日までならば、とても耐えられなかったであろう至近距離に弟の体温を感じながらも、今の史子は不思議な安堵感に包まれていた。「終わったのね、タク・・・」「ああ、本当に終わったんだ。もう何も心配することは無いよ、姉さん。 だから安心して眠ってくれていいよ・・・って、僕が言ってもダメだよね。信用ゼロだもんね・・・」 弟の声にこもる自嘲の響きに、史子はゆっくりと首を振った。「そんなこと、ないよ。私、タクのこと・・・心から信頼してるよ・・・」 じっと目を見つめながら、史子は一語一語に力を込めて弟に語りかけた。「今のタクは、私を守るために・・・こんなことさえしてくれたじゃない・・・。 そんなあなたを、私がどうして信頼してないなんて思うの? むしろあなたを信じていなかったのは、姉さんの方だったかもしれないのよ。 ここだって予定通りに入らないで、ずっと躊躇って・・・身も心もクタクタになったタクのことを何も考えてあげなくて・・・恥ずかしいわ、姉さん」 自分の声が少しずつ湿ってゆき、次第に目の前がぼやけてきても、史子はまだ自分が涙を浮かべていることに気付いていなかった。「だからもういいの。このあいだも言ったけど、あの日のことは忘れようよ! 少なくとも、姉さんは忘れるし・・・ううん、絶対に忘れるし、だからタクも・・・」 そんな史子のことを見つめていた弟が、突然立ち上がってやおら服を脱ぎだした時も、もう史子は驚かなかった。 あっという間にトランクス一枚になった弟は室内を小走りに横切り、ガラス・スクリ-ンのドアを押し開けると、盛大な水飛沫を上げて一気にプ-ルに飛び込んだ。 ガラス・スクリ-ンの前に立ってそんな弟の姿に視線を遊ばせた史子は、盛んに水を撥ね上げてはしゃぐ弟の顔が、しかし泣き笑いに歪んでいるのを見逃さなかった。 自らの頬の涙を拭ううちに、史子の瞳が涙とは別の何かに濡れ、輝きを増していった。 ガラスドアを開けた史子は、濡れた足元にも構わずプ-ルサイドに足を踏み入れた。 あっけにとられて立ちすくんだ弟に、史子ははじけるような明るい笑顔を向けた。 それは、「あの日」以来初めて史子が弟に見せた笑顔だった。「姉さんも、泳いでいい?」「え、えェ・・・ッ?」 困惑の陰に隠しきれない嬉しさを滲ませながらも、どう返事していいものかとうろたえる弟を尻目に、史子は躊躇いもなく着ていたコ-トとその下の白衣を脱ぎ捨てた。 服を部屋に投げ込むと、ブラジャ-とビキニ・ショ-ツだけの姿で史子もプ-ルに勢いよく飛び込んだ。 派手な水飛沫に押されるように後退した弟に、史子は思い切り抱きついた。「ちょ、ちょっと・・・姉さんってば、勘弁してよ! いくら何でも、こんな事されたら、僕・・・」「僕・・・何?また私のこと、どうかしちゃうつもり?」「いや、だから・・・苛めないでくれよ、姉さん!折角、姉さんと元の姉弟に戻れそうだっていうのに・・・」「私が・・・元には戻さない、って言ったらどうする、タク?」 史子のその言葉に、弟の目が真ん丸に見開かれた。自分の耳に聞こえた姉の言葉の意味を理解した刹那、弟の顔が真っ赤になった。「それって、つまり・・・そのう・・・む、ぐッ!」 そんな弟の言葉は、途中で断ち切られた。 みなまで言わせず、史子が弟の唇を自らの唇で塞いだのだった。 史子にしがみつかれた勢いのまま、弟の身体は史子もろともプ-ルに沈んだ。「く・・・ゲホッ・・・」 しがみついた史子はともかく、しがみつかれた方はかなわない。 プ-ルのヘリに掴まって噎せる弟の背中を、史子は優しく撫ぜてやった。「うおォ・・・冗談キツすぎだよ、姉さん」 怒ってはいないものの困惑した顔で振り向いた弟と視線が合った時、史子は頬に血が昇るのをはっきりと意識しながら、きっぱりと告げた。「冗談じゃないわ・・・姉さん、本気よ! あなたが姉さんのことを女性として意識してくれたのと同じように、姉さんもタクのこと・・・」「ね、姉さん?」「好きなの・・・タクのことを、ひとりの男性として好きになっちゃったの! あの時は、確かにあなたのことが怖かったし・・・何よりもタクのことを、男性としてなんか見られないという気持ばかりが先に立っていたわ。 でも、タクが私のためにここまでしてくれて・・・それに一生私のことを守るって、言ってくれた時に分かったの。 本当に心から、あなたが私のことを愛してくれているって・・・。 それは、確かに姉弟としては間違った愛情かもしれない。でも、それでもいいんじゃないかなって、何故だかそう思えたの。血のつながった姉弟としてじゃなく、ひと組の男と女して愛し合ってもいいんじゃないかって・・・。 だから、あなたが実の弟でもいいの・・・愛してるわ、タク!」 これ以上はないほどの真剣さで弟の顔を見つめる史子に対して、むしろ弟の方が最後の躊躇いをみせた。「本当に、いいのかい・・・後悔しない、姉さん?」 返事をする代わりに史子は目を瞑り、顔を上に上げた。 ややあって弟の両手がおずおずと自分を抱きしめるのを感じたとき、史子は自ら弟の腕の中にしがみついていった。 もはや姉と弟に言葉は必要なかった。 弟の唇が自分の唇に重なった刹那、史子の閉じられた瞼から一筋の涙が伝って落ちた。 姉と弟のキスは、たっぷり三分間以上も続いた。 さすがに息が苦しくなり、ようやく唇を離した姉弟の唇同士を結んで唾液が糸を引き、なおも別れがたく互いを需め合っていた。「僕、やっぱり姉さんのことが好きだ・・・愛してるよ、姉さん! 元通りの姉弟に戻るのは、僕も嫌だ!ずっとずっと、姉さんと一緒に居たいんだ! 離さない・・・誰にも渡したくないよ、姉さん・・・僕の、史子!」 生まれて初めて弟に名前を呼び捨てにされた瞬間、史子の背中を得も言われぬ感覚が電流となって走った。「触って、タク・・・ほら・・・姉さん、こんなにドキドキしてる」 史子は弟の手を取ると、自らの胸に導いた。 水に濡れたブラジャ-は既に布地越しに乳首をくっきりと浮かび上がらせ、何も着けていないも同然だった。そこに触れている弟の掌がそろそろと動くたびに、史子の全身に甘く切ない電流が走った。 弟の手の感触に、史子の鼓動はさらに速まっていく。「好きよ、タク!あなたのことが恋しくて、愛しくて・・・姉さんの身体、もうどうにかなっちゃいそうよ!」 熱に浮かされたように弟の耳元に甘い囁きを繰り返すうち、史子の下腹のあたりが次第次第に熱くなっていた。 その感覚はお馴染みのものだった。夜毎、一人寝の侘しさに下腹部に手を伸ばして自らを慰めた際に覚える疼きにも似た感覚だった。いや、今感じている感覚は、それよりももっともっと鋭く、錐の鋭さを伴って史子の身体を貫き始めていた。 水の中に居るにもかかわらず、水とは異なる熱いぬめりが下腹部に染み出し始めていることに気付いて、史子思わず顔を赤らめた。 しかし既に史子の意識からは、恥ずかしいという感覚そのものが姿を消してしまっていた。自分でも意識せぬうちに空いている弟の手を取った史子は、自分の下腹部へと導いていった。 弟の全身が緊張と歓喜でわななくのが、史子にははっきりと感じ取れた。 そのままショ-ツの隙間に弟の指先を導くと、史子の全身も歓喜の震えで満たされた。 下腹部の秘めやかな草原におずおずと侵入してくる弟の指先の感触に、全身の細胞という細胞を沸騰させながら、史子は全身をわななかせていた。 もはや史子は、立っているのがやっとのありさまだった。「そう・・・そこよ、タク・・・」 染み出した史子の蜜に指先が触れた刹那、弟の全身が歓喜と緊張で激しく震えるのを、史子はたまらないほどの愛しさと共に感じていた。「これ、もしかして・・・」 感激の余り言葉を失くしている弟に、史子は頬を染めながら頷いた。「そうよ!これが、今の姉さんの、気持よ・・・」「熱いよ、姉さん。水の中なのに、凄い・・・ヌルヌルしてる」 無邪気にはしゃぐ弟に、史子はわざとそっぽを向いて拗ねてみせた。「もォ、タクったら・・・そんなにはっきり言わなくても、いいじゃない! デリカシ-のないひとね・・・姉さん、知らないからァ!」「ご、ごめんよォ・・・僕、そんなつもりじゃ、だってあんまり・・・」 興奮に水を掛けられてたちまち青菜に塩となり、必死で言い訳しようとする弟に、史子はいっそう愛しさを募らせた。 弟の唇に人差し指を当てて黙らせると、史子はとどめの言葉を囁いた。「ねェ・・・ベッドに行かない、タク?」 * * * バスタオルを巻いただけの姿でベッドに腰を下ろした史子は、半ば茫然自失といった体でベッドサイドに突っ立ったままの弟を意識しながらも、なかなか声を出すことができずにいた。 プ-ルから上って濡れた身体を拭き終えた姉弟は、いよいよとなると互いにもじもじとするばかりで、どちらも気恥ずかしげに顔を伏せることしかできなかった。 無理もない。許されぬ愛に身を投じる決意をしたとはいえ、血のつながった実の姉と弟が、赤の他人の恋人同士のように「それじゃあ、早速!」というわけにはいかなかった。 さまざまな想いが、ふたりの胸の中で荒れ狂っていた。 「あの日」のように力まかせに迫ってきても、抗わず、弟の全てを受け入れよう・・・。 そう決意を固めていた史子にとって、弟が中々動き出せなかったのは少なからず意外だった。 「あの日」の自分自身の行いが、逆に弟を縛り付けているのは明らかだった。 どんなに優しく振舞ってみても、ひとたび男と女の行為に及べば「あの日」の忌まわしい記憶を呼び覚まし、再び史子の心を傷つけてしまうのではないか。 そんな想いに囚われてどうしていいか分からず動き出せないでいる弟の心が、史子には手に取るように分かった。それはどんなに愛し合っていても決して他人同士では叶わない姉弟ならではの感情の共鳴が成せるわざだった。 そんな弟に対して、切ないほどのいとおしさが止めどもなく史子の胸にあふれ出してきた。 獣となって私に迫るタク。 私の身も心も蹂躙しようとしたタク。 私の胸の中で涙にくれるタク。 私を守るためにひとを殺したタク。 良心の呵責に苦悩するタク。 怖いタク・・・優しいタク・・・そして、私を愛しているタク。 全部、私のタクなんだ・・・私の愛するひとなんだ・・・。 だから、きっかけは私が作ってあげる・・・。 大きな吐息をひとつ吐くと、羞恥に耳朶を真っ赤に染めながら史子は辛うじて消え入るような声を絞り出した。「ねえ、速くゥ・・・来ないの、タク?」 史子の言葉に、弟の全身がピクン!と硬直した。「こういうときは、男が女をリ-ドするんじゃなくって?たとえ年下でも・・・」 顔を上げた史子の目の前で、傍らに立つ緊張しきった弟の顔があった。「姉さん・・・史子・・・」「タク・・・いいのよ・・・」 次の瞬間、史子は弟の体重を全身で受け止めていた。それは決して不快な重さではなかった。 夢中でむしゃぶりついてくる弟の背中に両手を廻しながら、心の中にある円環の欠けていた一部がカチリ!と音をたてて閉じるのを、史子ははっきりと聞いた気がした。 それは姉と弟として産まれながら、互いに唯一無二の相手として結ばれることを運命づけられたふたりだけに見える禁じられた、しかし何ものにも負けない強い約束の環だった。「本当に、もう終わったのね・・・タク・・・アアァッ・・・」「姉さん、愛してるよ!もう大丈夫だ・・・あいつは今頃、三途の川を渡っている頃だ。もう何の心配いらないよ!」 あらん限りの愛しさを込めて、史子は自分から弟の唇を需めていった。 それはどんな恋人同士にも負けない、灼けるような熱いくちづけだった。 弟もまた、全ての情熱を唇に込めて史子に応えてきた。 しばしその陶酔感に酔っていた史子だったが、突然下腹部に生じた違和感に思わず唇を離していた。 反射的に下に向けた視線を、史子は動かすことができなくなってしまった。 自分と密着した弟の下腹部に、巨大な何かが勢いよく屹立していたのだ。 史子は思わず息を飲んでいた。それは「あの日」見たはずのものだが、恐怖とパニックに襲われた史子の記憶からは、全く消し飛んでいたものだった。 史子の記憶にある弟のそれは、20年も前の赤ん坊時代の弟のそれでしかなかった。 母親の見様見真似で小学生の史子が弟のオシメを替えたこともあったが、成人した弟のものをはっきりと目にしたのはこれが初めてだった。 いつしか史子の股間は、じっとりとした熱い湿り気を帯び始めていた。 それほど経験豊富というわけではないものの、史子とて処女ではないし、まして病院に勤務する身なれば手術の際など男性の裸を目にする機会も決して少なくはない。 にも関わらず、史子は弟のそれから視線を外すことができなかった。 赤膨れした先端はいうに及ばず、節くれだった松の根っこを連想させる血管が浮き出した野太い本体に至るまで、史子が目にしたことのあるどの男性のそれと比べても何ら遜色はなく、弟のそれは最高に猛々しい代物であることは疑いようがなかった。 嫌悪感は全くなかった。それどころか無意識のうちに伸びた史子の手が、弟の肉の棒をきつく握り締め、離そうとはしなかった。 そんな自分の行為を、史子自身も何ら訝ることなく、ごく自然なものと受け止めていた。 ピクピクと脈打つ血管の力強い躍動と、はちきれそうな肉の量感、そして火傷するのではないかと思わせるほどの熱さを掌に感じて、史子の意識は真っ白になった。 顔を上げた史子の目の前には、バツの悪い照れ笑いを浮かべた弟の顔があった。「あ、その・・・ね、姉さんのキスがその・・・」 言い繕う弟の言葉を断ち切る勢いで、真っ白な意識のまま史子は叫んでいた。「欲しいの、タク・・・頂戴ッ!」「え、姉さん?」「タクの・・・これ、素敵よ!これで姉さんを満たして頂戴、お願い!」 もはや今の史子には、どんな手練手管も必要なかった。 弟の肉の棒の凄まじさに我を忘れ、股間を濡らした一匹のメス犬と化した史子は、前後の見境もなく弟を需めていた。 そんな史子の願いに、早くも限界一歩手前に居た弟は飛びついた。 プ-ル内での戯れを別にすれば、キスをしただけで一切前戯もないのに、姉と弟の全身は既に煮えたぎり、待ったなしの状態だった。「姉さん、僕・・・もう・・・」「私もよ、タク・・・来てッ!」 史子の誘いに、弟の全身に何かが充満するのが分かった。 刹那、史子の下腹部を激しい衝撃が襲い、痛みにも似た、しかし甘美な感覚が史子の秘めやかな部分を満たした。 大きく、確かな量感を伴った何かが、史子の脳天までも届けとばかりに股間を突き抜け、内臓にまで衝撃が走った時、史子の眼前にふわりと一枚の薄幕が下りた。 弟のくれた、たったひと突きで史子の意識は失われた。 * * * 鏡の前に腰を下ろし、シャワ-で濡れた髪をバスタオルで拭いていると、鏡の中から見返してくる弟と視線が合う。「何をそんなにジロジロ見てるの、タク?」 タオルを置いてブラシで髪を軽く櫛ずりながら、史子は軽い笑い声と共に睨みつけた。「二十何年も見つけているのに、私の顔がそんなに珍しい?」「いや、って言うか・・・ごめん!本当に・・・ごめんよ、姉さん・・・」 椅子を立った史子は、見るも無残なほど萎れた弟の横に腰を下ろした。「どォしたの、タク? 私の可愛い『恋人』がそんな風だと、こっちまで心配になるぞォ!」 ことさらおどけた調子で弟の腕を取り、左右に振ってやる。「だって、僕・・・気持ち良くって、アッ!って思ったときはもう、出しちゃって・・・。 これって絶対ヤバイよ・・・もし姉さんが妊娠しちゃったら、大変だ・・・」「なあに、そんなこと気にしてたの?」「そんなことって・・・姉さん!?」 意識を取り戻した史子は、自分の脇で荒い息を弾ませている弟の肉の棒と自分の股間を粘っこい液体が糸を引いてつながっていることに気付いた。 あたりに漂う匂いを嗅ぐまでもなく、失神寸前に弟が自分の中で射精してしまったことを史子もかすかに意識していた。が、不思議なことに、史子はショックも後悔も感じていなかった。 自分でも驚くほど冷静に、透明な澄み切った意識のまま史子は現実を受け入れていた。 弟に対して怒りや憎しみなどといったネガティブな感情は一切湧かず、ただただ弟への愛しさだけが史子の裡に満ちていた。 ベッドに座り込んでうなだれている弟の脇に寄り添うと、史子は優しく語りかけた。「いいのよ、タク・・・だって、あなたは姉さんのことを本当に、心から愛してくれているんでしょう?」「もちろんだよ!僕、姉さんを愛する気持ちだけは、絶対に誰にも負けないつもりだ! でも、だからって・・・」「それならいいじゃない?姉さんもタクのことが、好き・・・世界中の誰よりも愛してる。 その愛する男性の子供を産みたいって思うのは、女として当然の気持よ! 姉さんも、自分の気持に忠実に生きることに決めたの。 だから、もう迷わない。逃げない。ずっと一緒よ、タク・・・いい?」「僕も、僕も・・・姉さんとずっと一緒だよ!」 真っ赤になって頷く弟の顔を見返しながら、春の陽だまりを思わせる暖かいもので胸が満たされていくのを史子は感じていた。 12 拓 也 午前7時過ぎの街道は、既に軽い渋滞が始まっていた。 ホテルを出て最寄りの駅へと向かうサニ-の車内には、昨日までは考えられなかった甘く、艶かしい空気がたちこめていた。 決して多くの言葉を必要とせず、ほんの一言の囁きと互いを見つめあう熱いまなざしがあれば成立する、恋する男女のオ-ラが姉と弟を包み込んでいた。 殺人と近親相姦・・・普通の人間ならばまず犯さない罪をふたつも、共に手を携えて犯してしまった姉弟は、もはや分かちがたく一身に結びついていた。 拓也としては、本当はこのまま姉とのドライブを楽しんでいたかったが、姉が全てを計画通りに進めようと主張して譲らなかったため、残念な気持を押し殺して拓也はハンドルを握っていた。 今日は昼間勤務だけなのでなんとか保つという姉の言葉に、拓也は不承不承従っていた。 姉の勤める都内の病院まで、秩父から車で向かったのではいつ着けるか分からない。ここは大変でも、最寄り駅から電車を使って向かうしかなかった。「そんな顔しないの・・・」 優しい笑みを浮かべて姉に言われると、拓也はそれ以上言い返せなかった。 昨夜は結城を抹殺した上、一睡もせずに一晩中愛し合っていたが、拓也はまるで眠気を催していなかった。それは姉も同じようだった。 渋滞で車が止まるたび、拓也は顔を横に捻じ曲げて姉の顔をじろじろ見つめた。「さっきからひとの顔ばっかり見て・・・いやなタク・・・そんなに、私の顔が珍しいの?」「この世で最愛の恋人の顔を、見てちゃいけない?」 臆面もなく言い放つ拓也の言葉に、姉は頬を染めて俯いてしまった。「もォ、知らないから・・・いやな子ね、タクったら!」「くうぅッ・・・か、可愛いッ!」 閉ざされた車内で交わされるその会話は、恋の熱病に侵されている男女の睦言以外の何ものでもなかった。普通の姉弟同士であれば、一生涯交すことのないはずの言葉が次々と飛び出し、ふたりの心の更なる熱情を煽り立てた。 空いている左手を姉の右手に重ねながら、拓也はギュッと握り締めた。 拓也の手を握り返した姉は、何回か連続的に握っては緩め、緩めては握る、そんな動作を繰り返した。「分かった?」「ア・イ・シ・テ・ル・・・かな?」「しょってるわ、タクったら・・・もォ!」 口ではそう言いながら、姉の口許が微笑んでいるのを目の当たりにして、拓也は無性に嬉しくて仕方がなかった。「でも、本当に信じられないくらい上手くいったのね?」「ああ、僕も内心ヒヤヒヤものだったよ。電圧が強すぎれば奴は一発であの世行きだし、かといって弱すぎれば手負いにして反撃されてしまうし・・・。電圧の設定には苦労したよ」 動き始めた車列に従ってギアを入れながら、拓也はミラ-に写るトランクに視線を走らせた。トランク内には、繋がれた3個もの大型バッテリ-が固定されている。 昨夜の影の主役たちだった。 このバッテリ-に接続された電線が、内装内側を伝ってボディ金属部に伸びていた。 電線はリアドアのロックノブ下端で切断されており、ロックノブの上下で電流を通し、また切断する仕組になっていた。 あとは臨時に取付けたリモコン式ドアロックを操作してノブを下げ、ボディの金属部に触れているものに瞬間的に高圧電流を流してやれば、全ては終わる。 電気専攻ではないが、工学部の学生である拓也にとっては決して難しい仕掛けではなかった。 もっとも、電子部品とは無縁の旧型車なればこそ使えた方法で、電子部品だらけの今時の乗用車では間違っても使えない荒技だった。その代償としてサニ-のル-フに高電圧による焼け焦げが残ってしまったが、こればかりはやむを得なかった。「正直、私も生きた心地がしなかったわ」「僕だってヒヤヒヤものだったよ。いくら内部の金属部に触ってなければ大丈夫とはいえ、やっぱりスイッチを押した時は生きた心地がしなかったよ」「でも・・・私たち、ひとひとりを・・・」「やめろよ、姉さん!あんな奴は生きているだけでも、社会に害毒を垂れ流す毒虫みたいな生き物だったんだ。 僕たちだけじゃない。奴にひどい目に遭わされた人間は、きっと大勢いたはずだよ。だから、これは殺人なんかじゃない・・・天誅だよ、正義の裁きを下しただけなんだ・・・」「私だって同じ気持よ・・・でも、だからといってあの人の生命が喪われた事実は動かせないわ。私たち、それを一生忘れてはいけないと思うの・・・」「でもね、姉さん・・・もしもまた、姉さんを苦しめるような奴が現れたら・・・僕は、何度だってやるよ!姉さんを守るためなら・・・」「タク・・・あなた・・・」 街道の表示に従って道を曲がると、ひなびた駅のロ-タリ-に行き当たった。「出来るだけ早いうちに、婚約解消するね・・・」 車を降りて駅の階段を昇りながら小声で呟いた姉の言葉に、拓也は思わず自分の耳を疑い、足を止めていた。「姉さん・・・それって、マジ?」「マジよ。大マジ・・・いやぁね、伝染ったじゃない、ヘンな言い方が」「でも、本当に・・・本気なのかい?」 その問いに対し、小さく顎を引きながら姉が力を込めて頷くのを見て、拓也は確信した。 それは姉が本気で何かを決意した時だけに見せる表情であることを、二十年以上の姉弟の歴史の中で拓也はいやというほど見てきた。(姉さん、本当に大マジだ・・・)「こりゃあ・・・親父、怒るだろうなァ・・・」「分かってるわ、でもいいの。私には、タクが居るから・・・」 そう言って拓也のことを見つめる姉の潤んだ眼差しは、紛れもなく恋する男を見つめるひとりの女のそれだった。世界で一番愛しい恋人である、美しい姉にそこまで言われて、拓也はもう天にも昇る心もちだった。 歓喜のあまり雲の上を歩いているようなフワフワと覚束ない足取りになった拓也の歩みは、さらに遅いものになった。 出勤を急ぐサラリ-マンやOLの群が姉弟を追い越していくが、ふたりのペ-スは変わらなかった。 改札を抜けた姉が名残惜しそうに振り返り、拓也にだけ聞こえる小さな声で囁きかけた。「じゃあ、気を付けて帰ってね・・・」「うん、もちろん。姉さんこそ、今日一日大変だろうけど・・・」 そう言葉を交わして別れる姿は、別方向に出勤する共稼ぎ夫婦の朝の風景と言っても、なんら違和感がなかった。 階段を降りてゆく姉の後ろ姿を、拓也はいつまでも見送っていた。 * * * 自宅の車庫にサニ-が滑り込んだのは、午後2時を廻っていた。 絶対に事故を起こすわけにいかない拓也は、途中で目についたコンビニやス-パ-の駐車場で2度ばかり仮眠を取りながら帰ってきた。 若い拓也でもさすがに疲労の色は隠せず、全身を覆う懈怠感に今にも押し潰されそうになっていた。 玄関の鍵を開けながら、拓也は大きな欠伸を漏らした。ともかくトランク内のバッテリ-だけは外しておかなくてはならない。 それが済んだらようやくシャワ-を浴びて、一眠りできる。 これからの行動手順を考えつつ、拓也が玄関ドアを引き開けたその時だった。「よォ、やっとお帰りかい・・・随分と遅いお帰りだねェ、えぇ? 愛しい姉さんと、タップリ楽しんできたのかい?」 背後から唐突に声を掛けられ、反射的に振り向いた拓也の全身が一瞬で凍りついた。 門柱にもたれ掛かり、声を掛けてきたのは・・・結城だった。 ゆっくりとした動作でサングラスを外した結城の唇の端が小さく吊り上るのを、拓也は凝然と見つめていた。 (後編に続く)[2002/03/02]
灰司 成人向け漫画 05 /20 2018 灰司:はいじと読むらしい。HPでは「『<アルプスの~>が猛烈に好きだから』と言う理由ではありません。本名に近いPNにしたかったのでこういう感じになりました。」ということだ。家族団乱:息子がちんぽだして寝ていたらそれは母への気持ちだ。
しらたき春 成人向け漫画 05 /20 2018 しらたき春:くわしい情報が得られない。春は「しゅん」と読むらしい。家庭円満:渡鬼をモチーフにしていることは間違いない。母親にオナニーを見られるなんて、恥ずかしがっている場合ではない。