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告白(転載) *今でも・・・* 投稿者:*ケンジ*

近親相姦告白・体験
06 /06 2018
*今でも・・・* 投稿者:*ケンジ* 投稿日:2006/10/04(Wed) 15:08 No.112

24歳のケンジです。お袋(49)と関係して7年経ちます。
初めてしたのは、18歳になるちょっと前、親父が会社の
慰安旅行に行ってる時の事、SEXも何度か経験していた俺
だったが、特定の彼女がいる訳ではなかったので、あのおま
んこの感触をもっと味わいたいと悶々としていて、それをき
っかけに、お袋を相手に勃起を尻に押し付けながら、一日中
追い掛け回して頼み込んだ(たしか、土日連休だった)
最初、お袋もなだめたり、すかしたりしながらかわしていたが
、最後は根負けして一度切の約束で、やらせてくれた。
やっぱり、終わった後は、二人してすごい罪悪感に襲われた。
その時は、本当にこれっきりと思ったが、やっぱり性欲には
勝てず、週末に親父が居ないとお袋を追い掛け回して、やって
しまうような事が続いた。お互い今でもいけないという認識は
持ち合わせている、ただ、体を重ねる事を知ってしまった俺達
は、二人っきりになると会話をしていてもなんとなく、ぎく
しゃくして、親子としての間が持たなくなっていて、SEX
で間を持たすような感じになってしまった。だからといって
お袋を一人の女として愛してるとか、お袋の身も心も俺のもの
にしたいとか、そういう気持ちはそれほど無い、実際若い女の
子とも普通にSEXする機会があればしてきたし、お袋も親父
とは、月に1度か2度はしているという。ただ、おれにとっては、お袋の抱
き心地は今までのどの女よりも心地良いし、喘ぎ
声も、若い子の甲高い声と違って、男を十分に味わいながら、
喉の奥から搾り出すように発する声が、とてもいやらしく感じ
一番興奮するし、逝った姿を見ると征服感と満足感で一杯に
なる、お袋も自分の体で若い男の子を満足させる事ができる
事で、女である自信がもて、女でいられる事に喜びを感じる
そうだ、結局そんなで7年もなし崩しで続いている、しばらく
は、お袋のいやらしい声と、乱れる姿を堪能していたいと思う

告白(転載) *今年の夏休み* 投稿者:*政治*

近親相姦告白・体験
06 /06 2018
*今年の夏休み* 投稿者:*政治* 投稿日:2006/09/21(Thu) 19:26 No.102

8月4日に母と僕と妹と3人で川尻海水浴場へ2泊三日で行った時の事です。
前の日までは父も行く予定だったのに父が急な接待とかで、北海道のゴルフ
場に行く事になってしまい仕方なく3人で行く事になってしまいました。
その日は到着早々、母だけ残して僕と妹で水着に着替えて海水浴に行って夕
方まで遊んで帰って来ましたが、部屋に入ると母はスカートが少し捲れてパ
ンティーが少し見える格好で昼寝をしてました。
民宿ですが、僕らの隣の部屋には若い夫婦と赤ちゃんがいて、また向かいの
部屋には小学生の姉弟とお母さんが宿泊してました。
僕は8時半頃に持って来た花火をやろうと母と妹と、小学生の2人を誘い海
岸へ行って連発の打ち上げ花火や、ドラゴン、ねずみ花火、そして最後に線
香花火をやりはじめたのですが、その時、僕の向かいにしゃがみ込んだ母の
浴衣が少しめくれてパンティーがモロ見えで、しかもモッコリ割れ目や薄っ
すら黒い陰毛まで透けてました。
こんなのを見せられて僕のチンコは勃起しっぱなしでした。
この時の母は相手が僕とかチッチャイ子供しか居なかったから油断していた
のかもしれません。
花火が終わって部屋に戻って来ると布団が敷いてあり、妹はかなり疲れたの
か布団の上に倒れこんでいるうちに寝てしまいました。
僕もパンツ一丁になりたかったのですが勃起してたので布団の上にうつ伏せ
に寝て休んでいたら、いつの間にかすっかり寝込んじゃってしまい、目が覚
めたら0時でした。

目が覚めて気づいたのですが、隣の部屋から、Hの時の声がモロ聞こえて来
る始末でしたが、僕は寝たふりをしながら、母の方へわざと転がり、母の
オッパイを触ったり、太腿を擦ったりしました。
母は、僕が寝てると思い、浴衣をはだけパンティーの中に手を入れゴソゴソ
とやりだしたので、あっ、オナニーを始めたんだなって思いました。
僕は母に背を向けてソッとチンコを擦りながら聞き耳を立てていると、母が
ハァーハァー言った後にウッーウッーウゥーと言って静になりました。

翌日は、3人で部屋で着替え朝から海水浴場に行きました、でも母の水着を
期待した僕はガッカリしました、なぜなら、母の水着はビキニとは程遠く、
おばさん用のスクール水着の様でした。
僕は海岸に着いて数分して、頭が痛いから部屋に帰ると言って一人帰って来
て、布団を敷いて寝ていると、数分して母も帰って来ちゃい、コンビニで氷
を買って来てくれて看病してくれました。
僕は、母と二人になる様にわざと先に帰って来たのに、母はそんな事とも知
らずに看病してくれてましたが、
僕が、母さん、
昨日の夜は隣がうるさかったね・・・ふふっ!
そう言うと、
母も、ほんと、あれじゃ眠れないわよね!
そう言って、顔を真っ赤にして、
ええーっ、あの時あなた起きてたの?
そう言ったので、うん!起きてたよ
だって眠れなかったんだ!
そう言って
その後・・・・・・・・・・・・・・2人とも、しばらく無言でした。
僕が、母さん、と言って
母の手を掴み、勃起したチンコを握らせました
母は、僕を見つめながら何?
どしたの・・・・・・・・・・・・また無言でした。
僕は両手で母の右手を押さえ、テコキする様に上下に擦りました、母も昨日
のオナニーを知られたと思い無言で擦ってくれました。
そして、もう少しで射精しそうになった時に、妹が階段を昇って来る足音が
聞こえたので、母はスッと手を引き抜き立ち上がってドアの方へ行ってしま
いました。

そして、夜になり、また昨日と同じ様に花火をし、母と疲れたから寝ようっ
て事になって10時頃に布団に入りました。
入るとすぐに妹が寝てしまいました、僕は、それを確かめてから、全裸で母
の布団に入りました、母も浴衣の下にパンティーを穿かずにいてくれました。
僕が母のオッパイに手を持って行くと、母はオッパイをこうやって揉むの
よって言う感じで、僕の手を包み込むような感じでもませてくれました。

少し揉んだ後、母が右手でオッパイを掴み左手で僕の頭をオッパイに押し付
けて吸っていいよって感じで抱いてくれました。
そして、数十分吸ったり揉んだりした後、母が僕の下半身の方へずり下が
り、チンコをフェラしてくれました。
僕はアッと言う間に母の口の中に1度目の射精をしてしまいました。
僕は一度起きて、風呂に入って戻ってきて、母の寝ている布団の足元から入
り込むと、母は足を広げオマンコを舐め易いように僕の顔をオマンコに導い
てくれました。
僕は、この辺がオマンコかなと思いながら舐めたり吸ったりしましたが、濡
れてるはずのオマンコが全然濡れてなく乾いてる感じでした。
後で母に聞いたら、濡れすぎたから一度拭いちゃったそうです。
僕は母のオマンコを1時間くらい舐めていたと思います、そして母が、ここ
じゃ妹が何時起きるか分からないと言うので、民宿の前の公園に行き、そこ
のベンチがある小屋で母を抱きました。

一度終わってから、民宿のお風呂に入り、そこでも母とSEXをしました。
母はSEXを父と6年もしてなくて欲求不満だったそうです。
父は32歳か頃から糖尿病と若年性高血圧症でインポになっていたそうです。

今年の夏休みは、そんな事があってからは、母と2人車で買い物に出かけた
帰りは必ず、雑木林でSEXをして来るようになりました。
また、父が休みで家に居る時は、母に僕の部屋の掃除を手伝ってもらうと言
う名目で二階に呼んで半日SEXをしたりしてます。

昨日は糖尿病にも拘らず。接待で酒を飲んだらしく、グデングデンに酔って
2時ころ帰ってきたので、母を二人で寝室に運んで寝かせてから、僕と母は
お風呂に一緒に入り舐めあった後、僕の部屋でエアコンを利かせて朝5時ま
で抱き合っていました。
妹にはバレてないけど、今まで、全部中だしなので母が妊娠しちゃわない
か、それが心配です。

だらだらと長くなり表現力や誤字脱字がひどくて済みませんm(__)m

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*Re: 今年の夏休み* *わかば* - 2006/09/21(Thu) 21:27 No.103




こんばんは。はじめまして。今、まさはるさんの体験談を読ませていただい
たところです。読みながら、正直言って、呼吸が苦しくなるほどの興奮を覚
えました。私はいままでこのようなところで自分の意見など、述べたことは
ありませんが、今夜は年甲斐も無く若い方の新鮮な性衝動に心が奪われてし
まいました。おかしいと思われるかも知れませんが、容姿や風貌は年をとっ
ていても、女というのはいくつになっても男に愛されることに喜びを感じる
ものだと思います。ましてや、自分のお腹を痛めて生んだ息子に身体を愛さ
れるってどんな感じなのって想像するだけで胸が熱くなってしまいました。
私もよくこのサイトは楽しみに拝見しています。その後のまさはるさんとお
母さんの心に残るような精密な描写の体験談を期待しています。。。
ありがとうございました。m(__)m

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*Re: さっき帰ってきて* *政治* - 2006/09/22(Fri) 02:22 No.104




はじめまして さとみさん 政治です。
少し前にダチの家から帰って来たんですが、今夜はすごく寒かったです、な
にしろ僕の愛車はスーパーカブだからw
来年の1月にならないと車の免許が取れないんです( p_q) シクシク
話は変わりますが、先ほど、夕方投稿したのを読み返したら随分間違いだら
けでしたm(__)m
父を母と僕で運んだのに、母を運んだ事になってたしw

今夜も、先ほど帰って来て、僕の愛車を納屋に入れていたら、まだ母屋の二
階の妹の部屋の電気が点いているのに、母は僕を心配する振りをしてネグリ
ジェのままで納屋の中まで来てくました。
父は寝てしまったそうですが、妹は来年高校受験なので毎日夢中で3時ころ
まで勉強してます。
母が小走りに入って来たので急いで納屋の電気を消して、まだ風呂上がりの
匂いがする母とキスしながらパンティー下げオマンコに指を入れ様とした
ら、手を洗ってからじゃなきゃ黴菌が入っちゃうから嫌だって拒否されました。
だから、手は止めにして口で舐めて濡らしてから、母の後ろに回り腰を押さ
えながら前かがみにして急いでハメちゃいました。
真っ暗な納屋だったせいか、なんか凄く興奮しちゃって2~3分で射精し
ちゃいましたw

母に聞いたのですが、父がインポになってからはSEXは一度もなかったそ
うです、誰とも。
だから、夏休みに母と公園でSEXした時は最初入れる時は凄く痛がりました。
子供を2人も産んでいる母でも、何年もSEXをしてないと最初は痛いん
だってその時初めて知りました。
父のチンコが小さいって事もあるかもしれないけど、母の膣は凄く狭い感じ
がします。
それと、よくH本を読んだりしてると母くらいの熟女が大人のオモチャを入
れたりするシーンが出て来ますが、僕の母はそう言った物は使った事が無い
そうです。
なんか怖くて使えないって言ってました、だから父も買って来ないんだって
思います。

さっき母に中だししちゃったけど、母は8月末に病院でリングを入れて来た
そうです。
わかばさん また何か書く様な事がありましたら書きます
なんか文才無く読みずらくて済みません。

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*Re: 今年の夏休み* *政治* - 2006/09/25(Mon) 17:26 No.109




先日、近親相姦を検索していたら興味深いブログを見つけました、それは、
お母さんが息子とHをしちゃった事を赤裸々に告ってる奴でした。なんでも
お母さんと一緒にお母さんのパンティーを買いに行くって事でした、それも
派手なパンティー。
それを読んでいて、僕も母に派手なパンティーを穿いてもらおうと思って、
昨日一緒にヨーカドー行って一緒に選んできました。
でも、母はあまり派手な物は好きじゃなく結局普段穿いてる物より少し可愛
い感じのやつでした。

母と毎日何度でもやりたいたけど、母は昼はパートに出ているし帰って来頃
には妹も帰ってきちゃうわで中々出来ない、夜は父も居るし妹が遅くまで勉
強をしてるからなお更難しいです。それでも、頭の中はSEXの事ばかりな
ので、チョッとの隙をみつけては母のマンコを触ったり、オッパイを揉んだ
りしちゃいます。
唯一、思い切り出来る所は、僕の愛車が置いてある納屋か、買い物に出かけ
たついでのカーSEXです。
カーSEXですが、まだ3回しかしてませんが、車の中って狭くて首や足腰
が引き攣りそう、特に助手席で母にクンニする時は最悪!
母が車を買い替えないのなら、僕が働き出したら(来年)ワゴン車を買って
それでやろうと思ってます。 普通車は辛い!

母も最近は痛がらなくなりました、たまにバックで突き過ぎると痛がるけど
正上位でしてると痛がりません。でも僕が母の尻を力一杯抱いて射精しよう
とすると膣に刺さる様な感じで少し顔をしかめます。奥が浅いのかもって思
います。
指も3本も入れると窮屈だし、4本入れ様としたら怒られました。アナルは
恥ずかしがって見せてくれないし、触ると汚いから駄目って手を抓られます。

大人のオモチャも買って来て使ってみようと思ってますが、きっと駄目だと
思います。
そうそう、先日、産婦人科へ行ってリング挿入について説明を受けて来たそ
うで、今度の水曜に行って着けて来るって言ってました。

告白(転載) *元の生活に* 投稿者:*taru*

近親相姦告白・体験
06 /06 2018
*元の生活に* 投稿者:*taru* 投稿日:2006/09/17(Sun) 09:22 No.100

去年の年末に離婚して賃貸のマンション引き払って、一人で生活している母
の元に戻った。
結婚前まで母と二人で生活していた思い出の場所で3年間のブランクがあっ
たのに、結婚前のような感じで新しい生活をスタートさせた。
母は一緒に生活できることに心の奥では喜んでいた。
それは親子だけが感じることのできる神がかり的な思いの領域であった。
離婚するときに母と話したときは、母は離婚しないように説得するのではな
くて、後に残らないような離婚をして早く帰ってきて欲しいといった思いが
伝わってきた。
母の思いが痛いほど分かった私には残されている結論は、綺麗に離婚するこ
とであった。

そもそも離婚の原因は母との関係を気付かれてしまったことが最も大きく、
俗に言うマザコンであった。
母との関係は中学生の時から始まって、高校生の時には母と同じベッドで毎
日寝ていた。
親子夫婦生活を高校生のときから続けていたこともあって、結婚してもそれ
ほど熱上げて妻の体を欲しがったこともなく、このような生活に妻が不信感
を抱き始めてきたのです。
まさか近親相姦の世界の中で生活していたこととは知らずに結婚した妻は現
場を見ずに出て行ってしまった。
離婚を決定的にしたことは、妻と母のどちらを選ぶのかって聞かれたとき
に、私には母以外の女性は考えられなかったのである。

離婚する前に妻の母から何度も電話があって、内緒であって色々なことを話
すことができた。
義母は私の母に対する思いは充分分かってくれたのですが、何とかして離婚
することを諦めて欲しいと懇願された。
でも相姦の世界のことについて随分話した後に、義母からお願いされた。
娘と別れる前に抱いて欲しいと。
本当にびっくりしたのですが、義母を連れてホテルにいって思いっきり抱き
しめて、これまでの中で最高のセックスを考えていた。
思っていた以上に義母は全てを忘れるかのように私に抱かれていった。
これで思い残すこともなくなってすっきりするはずだったのに、今でも義母
との関係は続いている。

母との再婚生活は新婚生活のような甘い香りが漂って妻との生活より毎晩が
満足できる素晴らしいものです。
もっと早かったら子供生めたのにと言われたときには本当に残念だと思っ
た。母も今年で50歳になって務めは続けているに、未だに40前後にしか見ら
れないことを自慢している。
今では母の名前を呼び捨てにして「るみ子」って読んでいます。

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。