*昔の話* 投稿者:*T.M* 投稿日:2006/12/18(Mon) 20:12 No.173
小生、48歳のとある田舎に住むものです。
長い間、胸の中に留めていた亡き母との思い出を話したいと思います。
私の家は元々、田舎の農家で祖父母、両親、曾祖母、私の6人で暮らしてい
ました。
私は、父が45、母が32のときの子供で結婚してから10年目で出来た待
望の跡取りでした。
それはもう家族全員が目に入れても痛くない程のあいされようでした。
しかし、母にとっての結婚生活は大変な物だったようです。
やっと見つかった本家のお嫁さん、最初は祖父母も、父の兄弟も歓迎してく
れたようです。
しかし、なかなか子供を授かることのなかった母に対して、
周りの人たちは、冷ややかになって行ったようです。
まるで居候の様に言われ、奉公人のようにこき使われ非常に肩身の狭い思い
をしていたようです。
それは、私が生まれてからも同様でした。
祖父母のいびり、父の無関心、跡取りとしてチヤホヤされる私
に相対して、母は家の中で孤独だった様です。
そんな少年期を過ごした私も、高校まで行かせてもらい、やがて地元の組合
の職員として働くようになりました。
その頃には、曾祖母も祖父も亡くなり、祖母は半ば寝たきりの状態で、田畑
に出れるのも父母と時々私だけになり
幾つかの土地を手放し、父も農閑期には都心へ出稼ぎに行くようになりました。
しかし、ある年の明けてからすぐでした。父は出稼ぎ先で亡くなりました。
仕事仲間と酒を飲んだ帰りに、バイクと接触して頭を強打した
との事でした。
寝たきりの祖母を抱え、私と母は途方にくれました。
そして、ある日母とビニルハウスでこれからの事をあれこれと相談していた時、
「ホント、とうしたらいいんだべ・・」
母は、目に一杯涙を溜めるや否や、私に背を向けて割烹着の
裾で目を覆って肩を震わせました。
私は、自然と背中から母を抱きしめていました。
母の首筋に鼻をつけて暫くジッとしていました。
「タカシ、母ちゃん如何したらいいかわかんねぇよ」
私は、無言で首筋や耳たぶに下を這わせズボンに手をつっこんでおまんこを
こね回すと
母は、抵抗するどころか吐息を漏らして、私のなすがままで
体を強ばらせていた。
その時は、きっと私も母も正気を失っていたのだと思う
親戚連中のしがらみや、ままならない運命に翻弄されて現実から逃避したく
て、快楽に身を委ねたのだと思う。
私も勢いを止める事無く、母も抗う事無く、お互い下半身剥き出しで突き上
げ、受け止めていた。
たった10~15分程の出来事だった。
私には、終わった後も後悔や罪悪感はなかった。
ただ、母が後悔していないかだけが心配だった。
しかし、母は行為が終わるとしゃがんで私の方に向き直り、私の息子を舐め
清め立ち上がり
「・・・タカシ・・ありがとな・・」
と言って、私を力いっぱい抱きしめた。
その後も母とは、私が結婚してからも暫く、関係はつづいた。
私が35、母が68になる手前までだったと思う
母も体力が衰え、私の子供達も小学生になり、妻も帰省などで
家を空けることが無くなったので、
自然消滅的に終わった。
そんな母も75を過ぎてから病を患い、4年余りの入退院の末亡くなった。
私たち母子の関係は世間から見ればやはり特異な物である
ただ、やはりこの関係ほど世間のしがらみを忘れ、ただ欲望の
赴くままに快楽を得られる関係はないと思う。