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告白(転載)【5】殺したい 2003年5月2日 19時26分0秒 - 匿名 -

近親相姦告白・体験
07 /22 2020
掲載サイトは消滅。心の傷を告白されている。

【5】殺したい

2003年5月2日 19時26分0秒 - 匿名 -
24才の主婦です。2才の娘がいます、結婚は21才の時です。
私が初めて父に挿入されたのは9才の時です。
それから7年間、高校入学するまで拒みきれずに月に1度か2度のペースで、抱
かれました。
私にとっては屈辱でした。
一番最初にされた、あの9才の日を、私は今も悔しい気持ちになるくらい鮮明
に覚えてます。私はその父と、母、弟の4人家族ですが、9才のあの日は弟はも
う寝ていて、母が入浴中だったのです。9才の私は、そのころは父にべっとり
で、「お父さんっ子」と周りからも言われました。
そして、いつものように膝の上に乗せてもらって遊んでいましたが、きゅうに、
父が、私のパンツを脱がせ、いじってきました。
そして、イケナイ事だと思って逃げる私をしっかりと押さえつけ、上からまた
ぐように命令し、拒んだ私の頬をはたきました。大声で泣きたかったけれど、
母に知られるのが怖いと思ってしまったのです。
しゃくり上げるように泣きながら、悪夢は始まったのです。
それでも、普段の父は優しく、時にキビシイ人でしたが、子供の私たちにとっ
ては威厳のある人でした。
でも、抱かれるのはすごくいやでした。
寝てるフリをしても、かまわずに、自分の欲求のタメだけにするようなSEX。
何度自殺しようとしたか知れません。でも、自分には勇気がなくて、結局、今
も生きてます。
一番強く自らの死を意識したのは、好きな人が出来た、中学生の夏です。
周りの友人が、初体験の話題ではしゃぐ中、私は誰にも言えないこの秘密にい
つも心が痛みました。今思い出しても涙が出ます。悔しくて仕方ないんです。
今の夫と出会って、私は夫に恋をしたときに、初めて父を殺してやりたいと憎
みました。恋をする女性は美しくなる、とよく世間で言われますが、父の目に
もそう映ったようです。
ある日、私に言ったのです。
「最近キレイになったな」
と。
その言葉に含まれた意味を瞬間に察してしまった私は、背筋が凍るほどの恐怖
と、吐き気がするほどの憎しみを覚えたのです。
父が、母を苦しめない人だったら、少しはこの気持ちも違ったのではと思うの
です。好きな人が出来るまでは、結局、父の言うなりに過ごしていたのですか
ら。でも、父はいつも母を苦しめてばかりで、私は、これ以上の苦しみを母に
与えたくなくて、あの日々のことは今も黙っています。父を嫌う私を、母は少
し行き過ぎではないか、とたまに言いますが、納得する理由など言えるわけな
いですから、仕方ないです。
夫と結婚して、今は少し幸せに過ごしていますが、夫との性生活でも問題は山
積みなのです。夫には、ちょっとした喧嘩をきっかけに去年の11月に7年間の、
自分では望んでいない、今では心の傷でしかない、過去のことを告白しました。
でも、相手は言えません。
言ってしまったら、私はきっと生きていくことが出来なくなると思うのです。
私は、ネットを知って、顔を知られずに告白することが出来るこのような場に、
過去のことを、「父にされた」と言うことを言葉として載せるまで情緒不安定
でいつ、突然泣き出すか、分からないといった毎日でした。告白した後の数日
は心穏やかでしたが、何かの拍子にものすごい孤独感にさいなまれ、胸が締め
付けられて、たまに呼吸にも支障がでました。
夫に、7年間の事実を告白してから、呼吸困難までは行かなくなりましたが、
それでも、何故そうなったのか、親に相談は出来なかったのか、と夫に聞かれ
ると泣くしかないのです。
長くなりましたが、この辺で切り上げます。
私にとっては7年間という年月が「犬にかまれたと思って」とも思えないほど
重く、皆さんのように、「愛してるから、イイの」と、思えなかったことが苦
しいです。
今回何故ここに書き込みしたかというと、私なんかの書く場ではないのかも知
れないけれど、父の立場の人には、娘には選択の余地がないのだと言うことを
知っていただきたいのです。
中学生や高校生なら、もう立派に考えることもできます。でも、8才や9才、そ
れ以下の子供に「拒んだら父に嫌われるかも知れない」「叩かれるかも知れな
い」と思わせること以上に、「イケナイ事はダメ」「嫌なことはダメ」を、実
行する力はないんです。そして、オトナになって、「何故あのとき抱いたのか」
と聞かれたら「愛していたから」と絶対言って欲しいです。私はソレさえも言
ってもらえずに逃げる場所さえないのですから。

画像掲示板 娘をプロデュース タイトル:水着のもも

妄想
07 /22 2020
「娘をプロデュース」はお嬢様の画像を投稿し親子でコミュニケーションを楽しむ画像掲示板サイトです!

ニックネーム:椎名圭一(45歳)  投稿日 2020/04/03
ももが新しい水着がほしいとねだってきたので撮影を条件に買ってあげたら喜んでモデルになってくれました。
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夢と現実の狭間 父の苦悩1

妄想
07 /22 2020
ゆう子は小学4年生。私の愛する娘だ。元気に育ってくれている。すこし肉付きも良くなっている。今でも1週間に1回は一緒にお風呂に入っているが、その成長ぶりを楽しみにしている。まだ陰毛は生えていないが、ちょこっとだけクリトリスの皮の部分が出てきている。前はゆう子の性器なんか意識していなかった。単に縦筋のある場所、それだけだった。だがある日を境に私はゆう子のおまんこに顔を埋めてみたい、そんな欲求が芽生えてきた。そしてその欲求はいつしか、ゆう子のおまんこに私のペニスを挿入したい、そしてゆう子の中に私の精を放出したい、と大きくなっていった。どうやってゆう子とセックスをするか。そもそも小学4年生の女の子とセックスはできるのか。どこでゆう子を抱くのか。子ども連れではラブホテルには入れないであろう。妻に知られたらどうなるか。離婚は間違いない。ゆう子を連れて出ていくに違いない。 こんな悩みを人には言えない。そもそも友人からもらったポルノ雑誌がいけなかった。海外旅行に出かけたついでに手に入れたということだった。表紙に「CHILD」と書かれたその本は大きさは週刊誌大で、オールカラーで100ページ近くある。中身はタイトル通りモデルは子どもだ。海岸で裸でポーズをとっている、次にホテルの一室と思われる場所では大きく足を広げている、そして広げたおまんこにペニスが刺さっている、こんな刺激的なものを見て興奮しないわけがない。私の妄想は自分で引き止められなくなるくらい大きくなっていったのだ。

画像掲示板 娘をプロデュース タイトル:りらの笑顔

妄想
07 /22 2020
「娘をプロデュース」はお嬢様の画像を投稿し親子でコミュニケーションを楽しむ画像掲示板サイトです!

ニックネーム:立石明(39歳)  投稿日 2020/03/01
レオタード姿を撮影しました。ビデオだと緊張すると笑ってました。
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ニックネーム:立石明(39歳)  投稿日 2020/03/02
制服を着せて廃校のグランドで撮影しました。パンチラが眩しいです。
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画像掲示板 娘をプロデュース タイトル:おとはの秘密

妄想
07 /22 2020
「娘をプロデュース」はお嬢様の画像を投稿し親子でコミュニケーションを楽しむ画像掲示板サイトです!

ニックネーム:花沢和哉(37歳)  投稿日 2020/06/02
小学6年生のおとはがモデルになってくれました。
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ニックネーム:花沢和哉(37歳)  投稿日 2020/06/03
ちょっと緊張しているおとはです。
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ニックネーム:花沢和哉(37歳)  投稿日 2020/06/04
おとはにポーズを取らせましたがぎこちないですね。
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告白(転載)【4】父 2003年5月2日 19時25分2秒 - けいこ -

近親相姦告白・体験
07 /22 2020
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【4】父

2003年5月2日 19時25分2秒 - けいこ -

 
はじめまして。
私は中学2年のけいこです。実は小学生の頃から私は父のセックスを受け入れてきました。初めての時は私が小学4年生でした。母はパートに行っていて家には私と父だけでした。私は父が大好きで父が横になっている隣に寝そべっていました。

うとうと仕掛けた頃、父が私の耳に息を吹きかけてきたんです。それがとっても気持ち良くてじっとしていると父の手は私の少し膨らみかけた胸をそっとさすってきました。私は寝たふりをしていました。優しく撫でるように胸をもみしだかれ、乳首をコリコリとされてなんだか体が熱くなってきたのです。

10才の私でも声がでそうでした。父は私の乳首を口に含み舌先でころころ転がして噛んだり吸ったり熱心にするのです。手はおへその当たりをもそもそ撫でていました。次第に手はあそこへと延びてきてパンティーの中へ入ってきました。

その頃は子供なので愛液などでない私のあそこをさすっていました。でも、私は身体の中が熱くなり自然に足を開いていました。父が指に唾液をつけて私のあそこをいじり回してきたのです。体がしびれるような快感でした。

そのうち、いきなりあそこに顔をうずめてきたのです。父は私が起きている事を知っていました。私に

「気持ちいいだろう、お前のここを最初に使うのは父さんだよ」

と言ってさらに激しくあそこをなめ回してきました。それから父の唾液でびしゃびしゃになったあそこに父の指が入ってきました。

「痛い!」

私が叫び足を閉じてしまうと
「痛いのは最初だけだらら我慢しなさい」
といいいながら父は自分の大きくなったモノを私のあそこに押しつけてきました。体が引き裂かれるような激痛が襲ってきました。痛くて我慢できなくて泣く私の顔に父は枕をかぶせいきなりぎゅぅっと入れてきました。

最初は入らなかったのですが繰り返す内に全部入ってしまったんです。そのころには私の痛みも和らいで、なんだか気持ちが良くなっていました。父のピストンに震えながら父にしがみついていました。あまり長い時間をかけずに父はいってしまいました。

それから母の目を盗んで父としています。母が居るときなどは、コタツの中で父が触ってくるんです。脚の指で私のあそこを・・・器用にパンティーをずらして脚の親指をあそこに入れたり出したりしました。側には母がいるしでも快感でした。

今でも父とSEXをしています。父以外の男とのセックスなんて考えられません。

告白(転載)【3】複雑です  2003年5月2日 19時24分12秒 - まこ -

近親相姦告白・体験
07 /22 2020
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【3】複雑です 

2003年5月2日 19時24分12秒 - まこ -


女子大2年のまこです。
私は、小学生の時から義父に悪戯されていました。実の父ではありません。私に初潮がきた頃、夜寝ているときに下のほうがもぞもぞしているので起きたら、義父が私のあそこを舐めていました。

怖かったので、ずっと寝たふりをしていました。そういう日が、何日も続きました。薄目をあけて、義父のことを見ていたら、義父がおちんちんをさわって、あそこから白い液体をよく私の体にかけて、とてもいやな気持ちでした。その頃は、おしっこをかけられているもんだと思っていました。

中学生になった頃、母が留守の時に義父に夜中起こされて、むりやり入れられました。凄くいたかったけど、お母さんに、このことを言ったらお母さんと一緒に暮らせなくなると言われ、黙って言いなりになってしまいました。
義父に、毎晩あそこを触られているのが凄く嫌なはずなのに、気持ちよくなる自分が凄く恥ずかしかったです。そんな義父も、私が大学に入学してすぐに、交通事故で亡くなってしまいました。その時は、なんだか複雑な心境でした。やっと解放されたと言う気持ちとSEXが出来なくなるという気持ちです。

でも、やっぱりなんだか寂しい・・・。

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。