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告白(転載) 震えた手で母のショーツをハサミで切り、挿入、中出し!長年の夢を叶えた瞬間

近親相姦告白・体験
08 /07 2019
掲載サイト(Incest Taboo)は消滅。タイトルは違うがすでに同じ内容のものを紹介しているがこちらにはコメントがついたので併せて紹介する。
2012年6月7日木曜日
震えた手で母のショーツをハサミで切り、挿入、中出し!長年の夢を叶えた瞬間

あれは今から十年前の事です。
私が21歳で母が45歳の時でした。
母は私が小学校2年の時、父と離婚し、私を引き取り実家に帰り、町工場で働きながら私を 育てて来ました。
小さい頃は母に対して特別な感情など持つ事もありませんでしたが、異性にいや、性に興味を持ち始めた頃から母を女として見るようになりました。


母にと言うより女性の体に興味があると言うのが本当の所だったのです。
内気だったので女性と話をする事も出来ず、もちろん彼女も出来なかった私にとって、母は一番身近な女性だったのです。
まず最初にした事が風呂に入っている母を覗く事でした。
田舎の家だったので風呂場は木造作りで壁板に所々穴が開 いており、そこから覗いていました。
しかし母の胸は見えても、肝心な女性器は毛で覆われていて見えません。
どうしても女性器が見たい!私の想いは募るばか りでした。
風呂場では遠くて見えない、ならば近くで見るしかない、そう思った私は母が寝ている時に見る事にしました。
田舎の狭い家で二間しかなかったので すが、その間は渡り廊下みたいなものでつながっていました。
祖父母が奥の部屋で私と母が入口側の部屋で寝ていました。
貧乏でしたので寝る時は母と一つの布団で寝ていました。
母はネグリジェのような物を来ていましたが、夏場は暑いので裾ははだけている事が多かったです。
その日も下着が丸見えの状態でした。
私 は懐中電灯で母の股間を照らして見ました。
ショーツの脇から陰毛が3本ほど出ています。
それを見ただけで、心臓は早鐘を打ったようになり、私の股間は痛いくらいに勃起していました。
ゆっくり近づきショーツに手をかけました。
脱がすと起きてしまう恐れがあったので、あの部分を少し横にめくる事にしました。
震える手で恐る恐るずらしてみました。
私の目の前に夢にまで見た母の性器が現れました。
遂に私は母の性器を目の当たりにしたのです。
ショーツで引っ張られ少し口を開いた状態のそれは私にとって衝撃的な光景でした。
急激に快感が押し寄せ、それだけで射精してしまいました。
「うーん」不意に母がうめいたので慌て て手を離し寝たふりをしました。
これ以上は無理だと思いトイレに行き、パンツについた液を拭き取り、母のものを思い出しながら自慰をし再度放出しました。
今までした中で一番の快感を感じました。
それからも時々、気づかれそうになりながらも、覗いて自慰のおかずにしていました。
回を重ねるうちに当然の事ながら次は挿入したくなって来ました。
毎日挿入する事を考えて自慰をしていましたが、結局行動に移す事が出来ませんでしたが、一度だけそれに近い事はした事があります。
ある冬の寒い晩の事です。
夏は良いのですが、冬は寒くて布団の中で引っ付いて寝ていました。
母は私に背を向け寝ています。
私は寒いふりをしていつも以上にくっつきました。
母のお尻の部分に私のペニスが当たり、段々大きくなって来ました。
気持ちいいので押し付けてみました。
母は軽い寝息を立てています。
私は大胆になり自分のパンツを下ろし、直に母の性器と思われる部分に当てました、私のペニスと母の性器の間には薄いショーツの布一枚があるだけです。
軽くピストンの真似事をしただけで射精してしまいました。
母の下着にべっとり精液が着きましたが、バレたらバレてもいいやと思い、そのまま寝てしまいました、しかし、その後も母は何も言わず、二人の間には何事も無く、高校を卒業して、就職の為に田舎を後にしました。
就職してから彼女も出来て童貞ともおさらばする事が出来ました。
母の事もすっかり忘れていましたが、卒業して3年後の盆の帰省の時、その事は起こったのです。
久し振りに帰省した晩、風呂に入り母とビールを飲みながら話をしました。
「お前もお酒が飲める年になったんだね」と母は嬉しそうに言いながらビールを美味しそうに飲んでいました。私も嬉しくなり、母に何度も注ぎました。
12時を過ぎ、酔いも回ってきたので寝る事にしました。
母は「飲み過ぎたわ、明日起きれるかしら」と言いながらも嬉しそうに笑い寝床につきました。
夜中に喉が乾き水を飲みに起き、トイレに行って帰って来て母を見ると高校時代に見た時と同じ様に、ネグリジェの裾がはだけ、 ショーツが丸見え状態でした。
突然頭の中にあの時の事が蘇って来ました。
高校時代に2年余り挿入したいと思い続けた母のマ○コがショーツを着けているとはいえ、無防備にそこに横たわっています。
私は「ゴクリ」と生唾を飲み込みました。母は軽いいびきをかいて寝ています。
体を少し揺すってみましたが、まったく起きる気配がありません、あの時の快感が頭に浮かび、股間ははちきれそうになっていました、
「長年の夢を叶える時だ!」酒の酔いも手伝い何の見境も無くなった私は行動に移す事にしました。
挿入前に起きられたら、拒まれ抵抗されるに決まっています。
下着を脱がしたら起きてしまうと思ったのでハサミを取って 来てあの部分、デルタ地帯を覆っている布を切り離す事にしました。
震える手でハサミが母の体に当たらないように気を付けながら切り取りました。
切った布を めくると懐かしい母のマ○コが少し薄くなった陰毛の中に息づいていました。
早く挿入したい!挿入してしまえば後は何とかなる、そう思っていました。
酒の酔 いが無ければそんなむちゃくちゃな考えはしなかったでしょう、母のマ○コに口を付け舌で唾液を軽くつけ、先走りを垂らしながらいきり立っている自分のペニ スに唾液を塗り、母の足を開き、ゆっくりとペニスの先を母のマ○コの少し開き気味になっている膣口に押しつけました。
お互いの物を唾液で濡らしてあったの でそれだけで亀頭の部分がヌルッとした感じで入りました、母の中に入っている、そう思っただけでもう爆発しそうでした。
少し気持ちが落ち着いた所で腰をぐっと突き出すと母のマ○コの中を押し開くようにして入って行き、そして根元までスッポリ入りました、脳天まで突き抜けるような快感がおそいました、必死 で我慢してからゆっくりとピストンを開始しました。
しばらくすると母が「うーん」とうめき、薄目を開けました。
しかし、まだ何が起きているのか理解出来な いようで「えっ、なに…どうしたの?」とすっとんきょうな声を出していましたが、下腹部の異常に気付くと「何しているの!止めなさい!」と叫びながら母の 必死の抵抗が始まりました。
両手で私の胸を押し返そうとします。
私はそうはさせじと母の両肩をしっかり抱きしめ動かれないように押さえつけます。
すると今 度は下半身をひねって私のペニスを抜こうとします。
その間も「いやぁー、止めて!」と泣き叫んでいます。
耳元で「じいちゃん、ばあちゃんに聞こえるよ」と ささやくと急に大人しくなりました。
その前から隣は気になっていたらしく、泣き叫ぶと言っても大声を出すほどでは無かったのです。
その間もピストンは続け ていたので母のマ○コもグチュグチュに濡れています。
今考えればそんな禁断な状態に母も興奮していたのかも知れません。
母は涙を流しながら観念したのかじっとはしています。
また私はゆっくりと動き始めました。
動く度にヌチャヌチャと音がします。
母は何かを我慢するかのように眉間にシワをよせていましたが、やがてシーツを握りしめ、体をそらし始めました、段々ピストンのスピードを速めると遂に母の両腕が私の背中に回り、抱きついて来ました。
下から下腹部 を押し付けて来ます。
息が荒くなっています。
母が感じている!そう思うと嬉しくなり更にピストンを速めました。
そして今まで感じた事が無いほどの快感が押し寄せ、思い切り母の中へ放出していました。
それを感じとったのか母も思い切りのけぞり、両脚を膠着させ逝きました、私は母に覆い被さったまま肩で大きく 息をしていました。
母も息も絶え絶えの様子で横たわっています。
お互いに何も言いません。
と言うか言葉がないと言った方が正しいでしょうか。
下になっている母が可愛く見え、唇を合わせると母も舌を絡めて来ます。
しばらくそうしていると私のペニスがまた大きくなって来ました。
それに気付いた母は「アラッ! やっぱり若いわね」と言いながら二人の結合部分に手を持って行き、じかに私のものを触り、「硬くて大きい」と言いながらさすっていました、
「不思議なもの ね、お前が出て来た所にまた帰ってくるなんて…」
「高校の時からやんちゃなおちんちんだったわね」
「えっ、知っていたの?」と私が聞くと
「当たり前じゃな い、気付かないはずがないでしょう?あんな 事されて…」母はそれ以上の事をされたら叱りとばすつもりだった事、年頃だから性に興味があるのは仕方ないと思って知らないふりをしていた事を話した。 「でも今日はさすがに酔っていたせいもあって気付かなかったわ、しょうがない子ね!」と軽く笑った。
そして「これは夢よ!2人とも夢を見ているの、だから 目が覚めたらおしまい。分かった?約束よ!」母は私に言いながら自分にも言い聞かせているようでした。
私は「まだ目が覚めていないよ」と言いながらまたピストンを始めました、母も
「今日は起きれないかもと言ったでしょう?」と言いながら背中に手を回して来ました。
結局その後、朝まで3回ほど交わりました。
中出しでしたが幸いに妊娠もせずに済みました。
母とはその夜限りでしたが良い思い出として残っています。その後は以前の親子関係でいます。

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告白(転載) 母さんにフェラと挿入後におっぱいをチュウチュウ

近親相姦告白・体験
08 /07 2019
掲載サイト(Incest Taboo)は消滅。
2012年6月7日木曜日
母さんにフェラと挿入後におっぱいをチュウチュウ

お母さんは40代、元実業団バレーの選手で全日本のメンバーでした。
今はリポーターなどをしているN・Mさんの先輩に当たるそうで、現役時代の写真の中に
何枚かチームメンバーとのショットがあり、N・Mさんとの2ショットもあります。
しかし、試合にはなかなかでられず、どんどんと後輩に先を越され、実業団チームから
解雇されたそうで、それが今でも悔しいみたいです。
その後、転職した会社の同僚と結婚し僕が生まれました。
中学校の母親参観では、身長の高いお母さんは人目につきやすく、またそこそこに美人
だったので、同級生からはよく羨ましがられました。
そんなお母さんを僕が女として意識してしまったのは、高校1年の夏休みの事でした。
長期出張が多かった父親が赴任先のOLと不倫関係になり、お母さんとすったもんだの挙
句に離婚した事がきっかけでした。
専業主婦だったお母さんはパートに出るようになり、そこで仲良くなったおばさんの紹
介で、土日のママさんバレーチームに参加するようになりました。


初試合の3週間ほど前にユニフォームができ、それを試着したお母さんを見ました。
Tシャツに黒い短パン姿のお母さんを見た瞬間、僕は勃起してしまい、それ以来オナニー
する時はお母さんが20歳代で現役だった頃の黒いブルマーをはいたユニフォーム姿の
写真を見て、抜いていました。
秋ごろの事です。 その日もお母さんの写真を見ながらオナニーをしていたのですが、
うっかり寝入ってしまい、下半身は裸のまま、机にはお母さんの写真が数枚放置状態で
した。 そこにお母さんが入ってきたので、もう状況は一目瞭然、言い逃れできない気
まずい空気でした。 「洋輔!何してんの!」「お母さんの写真見て、変な事してたの
!?」 怒涛の勢いでしかられましたが、終始お母さんはチラチラと僕のペニスを盗み
見るように視線を走らせていたのでした。
「気まずいなあ」と思う反面、お母さんが好きなことを感じてもらえるチャンスだと思
い、僕は意を決して「お母さんが好きだからこんな事していたんです。」と打ち明けま
した。びっくりしたような表情になったお母さんでしたが、「お母さんもようチャンが
好きだけどこんなことされるとショックよ。」とやさしく諭すように語りかけてきまし
た。 怒られてしぼんでいたペニスもお母さんの表情や服装を見ているうちに元気にな
り、おなかにくっつくまでに立ってしまいました。 目をそらそうとしつつもチラチラ
とみているお母さんがどうしても欲しくなり、「お母さんに気持ちよくさせて欲しい」
と小声でお願いしてみました。 しばらく、沈黙の時間がありましたがお母さんが、
「久々にお風呂に入りましょう」といってきました。 言われるがままにお母さんと入
浴しました。 終始無言でお母さんは僕の身体に石鹸をつけて、汚れを落としてくれま
した。 「お母さんの現役の写真、どうだったの?」沈黙を破りお母さんが語りかけて
きました。「美人だなって思いながら・・・」「それだけ?」「お母さんとHな事して
みたいって思いながら見た・・・」「毎日していたの?」「うん、していた」僕がそう
いうとお母さんは僕のペニスを石鹸で泡だらけにし、シコシコとやさしく、時に激しく
しごいてくれました。「お母さん!いい!気持ちいい!!」そう叫ぶと僕は勢いよく射
精してしまい、それがお母さんのオッパイに飛んで行きました。
「最初だからしかたないのよ」、お母さんはそういうとシャワーで身体を流し、先に出
て行ってしまいました。 「身体を拭いたら、お母さんのお部屋にいらっしゃい」、脱
衣場でそういうと放心状態の僕を残し、お母さんはそそくさと立ち去りました。
数分後にお母さんの寝室に向かい、ドアを開けるとそこには現役時代のユニフォームに
身を包んだお母さんが薄化粧までしてくれてまっていてくれました。
「あんまり見ないで、恥ずかしいから・・・」「お母さん、キレイ・・・」「もう!」
「実業団時代のユニフォームがまだ着れるなんて、お母さんはスタイルがいいんだね。」
「恥ずかしいからやめて、ようチャン・・・」「お母さん、好きっっ!!」
僕は実業団のユニフォームに身を包んだお母さんに飛びつき、ベッドに押し倒しました。
社名入りのTシャツに黒いブルマーとハイソックス、写真と違わぬお母さんに欲情し、僕
のペニスはまたはちきれそうになりました。 ユニフォームからは防虫剤のにおいがして
きましたが、僕はオナニー時に妄想していた「ブルマー責め」を強行しました。
お母さんのはいているブルマーを舐めたり、すそ部分を引っ張ってみたり、食い込ませて
みたりしました。 「変態な事しないのよ」と言いながらもお母さんのアソコは音を立て
ていました。 「アア!アア!お母さん!!」「ようチャン!好きよ!」めくり上げた
ブルマーから飛び出たお母さんのアソコ。僕の生まれたところ。懐かしさとともに初めて
まじまじ見た気色悪い形状。 それでもペニスからは粘つく液がたれて、僕の太腿を濡ら
しています。 「しっかり舐めてからよ!ここを舐めてからよ!」、僕はお母さんに言わ
れた部分をいいといわれるまで舐め続けました。 首筋、耳たぶ、オッパイ、アソコや太
腿、手足の指先にいたるまで、お母さんに命じられるままに。 その間、我慢できずに1
度射精してしまいましたが、お母さんが手でしごいてくれ、すぐに元気になりました。
「早くお母さんとしたいよぉ!!」僕は甘えたようにお母さんにねだりました。
「待ってなさい!」、お母さんはそういうと髪を掻き揚げ、僕のペニスを口の中に入れて
くれました。 「包茎だからやさしく舐めてあげるね」お母さんはペニスの先端の皮をま
ず舌先でチョンチョンと刺激してくれました。 「あふう!気持ちいいよぉ!!」
僕はもう赤ん坊のようにお母さんに身をゆだねて、気持ちよさに泣くばかりでした。
「ママァ!!ママァ!!」 なぜかはわからなかったのですが、お母さんをママと呼んで
僕はお母さんに甘えていました。 「ママとしたかった!ブルマ姿のママとしたかったの!」
「いいのよ、好きにして!ようチャン!!」「アアッッ!!ママーッッ!!」
ブルマーの脇からお母さんに導かれるように挿入し、2,3度腰を打ち付けたとたんに
激しく射精してしまいました。 「初めてなんだからしかたないのよ、ようチャン。」
「ごめんなさい、お母さん、僕だけ気持ちよくなって・・・」「またお母さんとしてくれる?」
「うん」、その後全裸の僕は、Tシャツをたくし上げたお母さんのオッパイをチュウチュウと
吸いながら抱かれるように眠りました。
それから2年、お母さんとのセックスは回数こそ減ってきましたが、1時間は射精せずに
プレイできるようになりました。

告白(転載) 罪深い女

近親相姦告白・体験
08 /06 2019
掲載サイト(Incest Taboo)は消滅。
2012年6月7日木曜日
罪深い女

私の悩みを皆さんに聞いていただきたいと思います。
私たちの家庭は単身赴任の主人(50歳)と私(45歳)と一人息子(20歳)の親子3人の
家庭です。一見どこにである普通の家庭ですが、実は1年以上前から、息子と私は男女の
関係になっています。


最初のきっかけは、息子の大学受験に付き添って上京し、泊まったホテルでのことでした。
その日は試験も終わり、試験の出来も上々だったということで、ホテル近くのレストラン
での夕食に息子はビールを、私はワインを飲みました。
ホテルに帰りシャワーを浴び、ベッドでテレビを見ながら話していましたが、お互い平生
はあまり飲まないお酒を飲んだせいか、気が緩み、ちょうど見ていたテレビのラブシーン
にも影響され、なんとなく怪しい雰囲気になりました。そうこうしているうちに息子がい
きなり私に抱きついてきました。


私も精一杯抵抗しましが、浴衣一枚しか纏っていませんし、男の力には敵いません。パン
ティを脱がされてからは、息子の意のままにされました。
(しかし、今思えば、もっと抵抗出来たのでは、と思います)
夫とは違い若い息子は一度の放出では、まったく衰えず、夜中まで私の中に4回も放出し
ました、避妊具など持ち合わせていないので、全部中出しでした。


翌日は、お互い殆ど無言で帰途につきました。途中、新幹線の中で「もうこれっきりにし
ましょう」と息子に話し、息子も頷いてくれました。
息子が中学性の頃から、私の下着でオナニーしていることは知っていました。
洗濯機の中のパンティにいつもザーメンを放出しており、丁寧に拭き取ってはいましたが、
跡がくっきり残っていました。


子供が母親や女兄弟の下着でオナニーする。そんな話しは、よく女性週刊誌なんかでも読
んだことがあるし、年頃だから仕方ないことかも思い、あまり真剣に悩んではいませんで
した。しかし母親である私の肉体まで興味を抱いているなんて、思いもかけませんでした。
その後は息子から体を求められることはなく、安心していました。


息子は結局第一志望の地元の公立大学に受かり、東京の私大には行きませでした。
そして、自宅から大学に通うこととなりました。しかし、これが問題の再燃に繋がりまし
た。
さらに悪いことは重なるもので、息子が大学に入ると同時に夫が転勤になり、福岡に単身
赴任しました。
再び、関係が始まったのは、ゴールデンウィークが終わって、夫が福岡に帰った直後でし
た。


夜中に息子がいきなり寝室に入ってきて、東京のホテルの時みたいに、再び揉み合いにな
りましたが、結局は男の力には勝てず、息子の固くて反り返ったものを差し込まれてしま
いました。その夜は結局、一晩中回数を忘れるくらい、体を貫かれ朝方開放されました。
夫がいないのをいいことに、その夜から息子は、毎夜私に迫ってくるようになりました。
若い時とは違い、この何年かは夫から、あまり頻繁に求められることはなく(二ヶ月に一
度くらい)、SEXに関する興味も失いかけていたのですが、若い息子に毎夜迫られるうち
に次第に体も反応するようになり、態度にこそ現しませんが、いつしか息子が寝室に来る
のを心待ちにするようになっていきました。


ベッドに入る前、少しルージュをひく程度ですが、薄化粧もするようになり、自分の体の
変化と「このままではいけない」という心の葛藤が続いていました。
しかし、家には息子と私しかおらず、夜は男女関係を続けながらも、昼間は次第に昔みた
いに、普通に親子の会話をしたりするようにもなっていきました。
しかし、その頃から子供が慣れ慣れしくなり、昼間でもキスを迫ってきたり、私の体を触
ってくるようになり、次第にエスカレートし、やがて昼間の明るい家の中でも交わるよう
になりました。


もうここまでくると、夫婦も同然です。女って悲しい動物です。若い息子のはち切れそう
な気張ったもので貫かれると、いけないと思いながらも体は勝手に反応し、まるで若い娘
のように股間を濡らしてしまい。リビングの絨毯が変色するくらい、愛液を漏らしてしま
います。
授業の始まりが遅い日や、休日などは朝から迫ってきます。
朝、私が台所で片付けなどをしていると、遅く起きた息子がパジャマ姿のまま私の背後か
ら手を回し、エプロンの上から垂れてはいるものの、Dカップのオッパイを揉み始めます。
最初頃は手を振り払ったりもしてましたが、最近はそういう抵抗もしなくなり、息子に蹂
躙されるままになりました。


息子は、私の大きなお尻やパンティが好きみたいで、ひとしきり、オッパイを触った後は
必ず背後からスカートをめくり、パンティの上から私の大きなお尻に顔をグイグイ押し付
けてきます。
私は恥ずかしさに両腿をギュッと寄せますが、そうすると恥部からジューと愛液が溢れて
しまいます。
息子はパンティのクロッチ脇から指を入れ、愛液で濡れた恥部を触りながら、
「ママって感じやすいんだね、スケベなんだね」
と囁きます。


私は、そういう言葉のいたぶりに弱く、ますます濡れてきます。
最近、息子も私のそういう癖を見抜いたみたいで、しきりと恥ずかしい言葉で責めてきま
す。
そうこうしているうちに、昨年の秋頃から親子という立場から、SEXに関しては色々と息
子から命令されるこが多くなり、立場が逆転していきました。
そんな時のことです、ある日宅急便で荷物が届けられました。送り主は下着通販のセシー
ルになっていました。注文した覚えはないのにと思いつつ、開いてみると、なんと色とり
どりのパンティが5枚も入っていました。
黒のスケスケのレースのもの、前布は申しわけ程度の大きさしかない紐パンティ、他にも
買ったこともないような、真っ赤なTバックだとか、とても私の年齢とは不釣り合いなH
なものばかりです。とても近所のスーパーなどでは、恥ずかしくて買えないような代物ば
かりでした。


帰宅した息子に聞くと、やっぱり息子がインターネット通販で注文したものらしく、それ
を私に穿けって言うんです。
それも、夜、ベッドの中ではなく昼間の日中に穿けっていうのです。息子の要求には逆ら
えず、仕方なく年甲斐もない下着を穿くようになりました。その後も時々、似たような下
着が通販で届けられ、今では私の箪笥の中は、これらH系のパンティで埋まっております。


これらの下着は近所の手前ベランダに干すわけにもいかず、いつも室内干しにして、近所
の主婦仲間に気づかれないように注意してます。
主人が二月に一度くらい帰ってきますが、やはり注意する必要があるので、その時はダン
ボールに収め、物置に置いております。
最近、息子の要求がエスカレートしてきており、春先頃はそういうH系パンティを穿かせ
ての外出や買い物(もちろん息子も同伴です)でしたが、最近は外が凄く暑くなったのも
あり、薄着になりましたが、先週の日曜日とうとうノーパンで外出させられました。


ストッキングはパンティストッキングではなく、昔スタイルの左右別々のもので、ガータ
ベルトで止めます。従って私に股間を覆っているものはなにもありません。
近所の大型スーパーに寄った際、息子が映画が見たいというのでスーパー内のシネコンの
一つに入りましたが、息子は私がノーパンなのをいいことに、映画の間中スカートの中に
手を入れて、私の恥部をまさぐっていました、私も映画館の中という環境に最初こそ緊張
していましたが、次第に慣れると同時に感じまくり、息子の手だけで、何度も登りつめ喘
いでしまいました。


息子も凄く感じたらしく、家に帰り玄関を閉めると同時にいきなり求めてきました。玄関
で服を着たままスカートを捲られ、息子のこれ以上ない固いものを差し込まれました。
玄関ドアの鍵は閉めてはいたものの、玄関で母と息子が交わるという異常な状況に、私も
息子も、これまで経験したことがないくらい興奮しました。
以前はさすがに、主人が帰ってきているときは息子も遠慮してくれていましたが、最近は
主人がいても、主人から見えない場所でキスしてきたり、スカートの中に手を入れてきた
り、時はファスナーを下ろし、気張ったものを出し、フェラチオをさせます。仕方なく簡
単に相手をするのですが、主人に気づかれるのではとドキドキしていまいます。


主人にばれると、本当に家庭が崩壊してしまいます。つい先週の7月初めに主人が帰って
いた時も、こんなことがありました。
私は流しの前に立ち夕食の支度をしていました。主人は食卓テーブルの向こう側にあるリ
ビングのソファに座りテレビを見ていました。
我が家は対面式キッチンになっており、主人からは私の下半身が見えない仕組みになって
おります。


二階から降りてきた息子は冷蔵庫を開けて、ウーロン茶を飲む振りをしながら、いきなり
私のワンピースのスカートを捲ってきたのです。そしてパンティを少し下げ、お尻を撫で
まわすのです。私が主人に気づかれるのでは思い、主人の方へ目をやると、主人は私達親
子に背を向け、ゴルフ中継を見ています。
息子は調子に乗り、ズボンのファスナーを下ろし、すでに十分硬くなったものを取出し、
私の手をとり、握らせようとするのです。私は少し拒否したのですが、息子が力を弱めな
いものだから、仕方なく息子の怒張を握り、いつものように少しだけ握た手を上下させま
した。


そして、小声で「もう、これで許して」と言うと、やっと私から離れていきました。
息子がいった後、スカートの中で下がったままのパンティを持ち上げながら、思わず涙で
目が曇ってしまいました。
もう完全に息子の奴隷になってしまった私です。主人への背徳心が心を締め付けますが、
あの息子の固い怒張で貫かれる瞬間の、なんとも言えない甘美な快感のエクスタシーから
は離れられそうもありません。本当に罪深い女です。

告白(転載) 15歳の息子と

近親相姦告白・体験
08 /06 2019
掲載サイト(Incest Taboo)は消滅。
2012年6月7日木曜日
15歳の息子と

今年高校受験の息子を持つ母親です。最近、息子の子供を中絶しました。夫は3年前から単身赴任で、月1回帰ってくるかどうか、正直言って欲求不満でした。
誘惑したのは私です。まず、女子高生が穿くようなカラフルな下着を買い、室内の目に付くところに干しました。そして、洗濯機に入れるときには一番上で目につきやすいようにしておきました。これには反応があり、夜入れて翌朝確かめたらザーメンらしきものが付着していることが頻繁にありました。
ある夜、私は、夜中息子が下着を自分の部屋に持ち込んだことを確認して、いきなり部屋に入りました。案の定、息子はベッドの上で下半身あらわな姿で、片手には私の下着がありました。
「なあんだ、そういうことだったの」「...」「でも、別に気にすることないよ。若い男ならそのくらい元気がないと」「ごめんなさい」「気にしないで。お母さんも、若い男に興味を持ってもらえて嬉しいから」「...」「どうせならパンツじゃなくて、生身の体の方がいいでしょ」「えーっ、それまずいよ」
私は、パンツ1枚になって息子に添い寝しました。「ほら、おっぱい、触って」息子は、おそるおそる胸を手で撫ではじめました。
私は、息子の手をつかんで、パンツの中に引き込み、敏感な部分に息子の指先を導きました。「そこ、そこをやさしく触って。そーっとね」私の呼吸が乱れてくることに少し戸惑いながら、ぎこちなく指を動かしています。ねとねとした液体が息子の指先にまとわりつくのが私にもわかりました。
息子の下半身は、硬く立派になっていました。私は下着を脱ぎ、仰向けになった息子にまたがり、硬くなった先っぽを入り口にあてがいました。まだ、剥けていません。
腰を落とすと、するりと息子が入ってきました。ゆっくり腰を動かすと、今度は息子の顔がゆがみました。
「まずい、出る」「いいのよ。心配しないで。お母さんも気持ちいい」「我慢できない。ううっ」「そのまま出していいのよ」私は、息子の欲望を体の奥で受け止めました。
それからは、毎晩のように息子と交わりました。あえて避妊はしませんでした。息子には、ピルを飲んでるから大丈夫だと説明しました。なぜそうしたのかは今でもはっきり説明できません。若い男の子種を受け止め、まだ現役の女であることを試してみたかった、そういう本能の赴くまま、そうしたのだとしか言えません。
1ヵ月後、当然の結果ですが生理が止まりました。息子以外とはセックスしていませんので、父親は息子です。
息子に妊娠したことを告げると、大変驚きました。
「お父さんと離婚して、産んでもいいかと思ってるの」「だめだよ、そんなの。俺が変態になっちゃうよ」「やっぱりそうだよね。堕ろすから心配しないで」「そうして」「でも、子供堕ろしたらしばらくセックスできないから、その前に思い切り楽しもうね」「うん」
夏休みに入っていたので、息子と2人で旅行に行きました。淡路島のリゾートホテルに2泊3日です。中1日は、部屋に籠って1日中セックス三昧でした。窓を開けて海を見ながら、明るい日差しを浴びて欲望を満たす母子、まるで映画のシーンのようです。記念にビデオや写真もいっぱい撮影しました。
ビデオを見てると、母子には見えません。若いホストとアラサー女といったところでしょうか。まだまだ私の裸も捨てたもんじゃないと自惚れてます。
中絶も無事終わりました。今度からはピルを飲もうと思っています。まだ本番は無理なので、息子の欲望は手と口で慰めてあげてます。

告白(転載) 私と息子がセックスするようになってもうすぐ1年・…

近親相姦告白・体験
08 /06 2019
掲載サイト(Incest Taboo)は消滅。2012年6月7日木曜日
私と息子がセックスするようになってもうすぐ1年・…
私と息子がセックスするようになってもうすぐ1年・・。今ではもう、息子に身体を求められて抵抗することもなくなった私。でも、やっぱり、行為が終わった後に襲ってくる罪悪感はなくなりません。去年の夏、息子が高校生になったのをきっかけに、別れた夫の要求を受け入れ、10年振りに3人で再会しました。夫のただ一度の浮気が原因での離婚でしたが、当時、私はまだ28歳。大勢の男性に求婚され、私自身、女としての容姿に天狗になっていた頃でした。だから、お世辞にも美人とはいえない女性と浮気をした夫に、私が馬鹿にされたような気がして、どうしても許せなかったんです。そんな別れた夫と再会したのですが、夫はその浮気相手の女性と再婚し、平穏な家庭を築いている様子・・。それを聞かされたとき、私はそんな夫に嫉妬していたんだと思います。食事をしながらのお酒を私は無意識のうちに飲み進めていたようで、息子に支えられて帰宅する頃には、荒れた酔っ払いになっていたようでした・・。帰宅するなり私は息子に「久しぶりにママと一緒にお風呂に入ろう」と言い出し、挙句に私は息子に「ママ、酔っ払っちゃって自分で脱げないから、ママの着てるもの全部脱がして」とねだったのだそうです。息子は普段とは違う私の様子に驚きながら、私の言う通りに従って。浴室に入ると今度は「たまにはママの背中流してよ」と息子に身体を洗わせ、終わると私は自分だけさっさと先に上がり、息子が出てきたときには、私は缶ビールを片手にバスローブ姿のままソファーで眠ってしまっていたそうです。息子はそんな私を抱えて、私の寝室に運び、ベッドに寝かせてくれたらしい・・。そして、そのまま息子は一度は自分の部屋に入って寝たのだと・・。でも・・結局眠れず・・、私の寝室に戻ってきたのだと・・。最初、息子は死んだようにグッタリと眠ってる私が心配で、起してみるつもりだったのだと言いました。でも、いくら揺すっても、軽く顔を叩いても、嫌がるように寝返りをするだけで、私は全然起きなかった・・・。そして・・寝返りをしたときに肌蹴た私の胸元を見ているうちに・・。私のバスローブを脱がしてしまったのだと・・。それから・・おそるおそる胸を触り、乳首を吸い、時折、私が微かな声を出す度、私が起きたと思っては止め、そしてまた・・・。私が微かな声をあげても起きる気配がないことが分かった息子は・・。私の・・女の身体の内で最も見たいところを見ずにはいられなくなり・・。私の脚を少しづつ拡げていって、そして、とうとう覗いたのだと・・。そのとき・・私のあそこは・・ヌルヌルになっていたんだそうです・・。すでに濡れた私のあそこを見て・・もう我慢なんてできなかった。ここまできたらもう私が起きたって構わない・・そう思ったんだそうです。私が眼を覚まして異変に気付いたとき・・。そのときはもう・・息子のものが私の体内に挿入された後でした。必死に逃げようとすればするほど・・息子は強引に私を押さえつけきました。それでも逃げようと抵抗しました・・でも。私の中で熱く広がるものを感じ・・。息子が私の中に放ってしまってことを思い知りました。一度過ちを犯してしまうと、もうブレーキは利かないものなのですね・・。あるいは、母親を犯したという罪悪感が、そうさせるのでしょうか・・。その夜が明けるまで、息子は強引に私を犯し続けました。まるで狂ったように。そして、その日から、息子に犯される日々が始まりました。女の性の悲しさ・・。息子に犯されて濡れる身体・・。いつからか・・息子に抱かれて達することを覚えてしまった私の身体・・。息子に抱かれて感じ、しがみついて腰を振ってしまう私の身体・・・。そしてまた、行為が終わった後、恐ろしい罪悪感に胸を締め付けられる私。私は愚かな母親・・。惨めな女・・。息子に抱かれて感じる身体・・。達してしまった後の深い罪悪感・・。

告白(転載) 禁断の体験・目の前で母親が全裸姿に・母親で初体験・2話

近親相姦告白・体験
08 /06 2019
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2012年6月7日木曜日
禁断の体験・目の前で母親が全裸姿に・母親で初体験・2話

禁断の体験・目の前で母親が全裸姿に・母親で初体験・2話


母さんとのディープキスはこれ以上ないくらいの興奮だった。
そして母親の手は僕の股間へと伸びてきた。


「誠ちゃん、大きくなったわね、母さんうれしいわ」
「ありがとう」
「でもだめよ、母さんのお風呂を覗いちゃ・・・・」
「知ってたの?」
「ちゃんとわかってたの、でも受験勉強がんばってたからね」
「ごめん・・・・」
「いいのよ、もう年頃なんだから、女性に興味が出てきて当然だしね」


そして母さんは僕のパジャマを脱がし、横になるように言うと
僕はすごく恥ずかしかったが、ギンギンに勃起したペニスを手に取り、
やさしくしごき始め、顔を股間に持っていくと、亀頭部分を
生温かい舌でやさしく舐め始めた。


「う、うう、母さん気持ちいいよ」
「誠ちゃん、もっと気持ちよくしてあげるからね」


母さんは勃起したペニスをゆっくりと口の中へ入れていきながら、
口の中で舌を亀頭から順番に舐めながら、根元までくわえた。


グチュグチュという音が聞こえ、母さんのフェラチオのストロークが
だんだんと早くなったかと思うと、またゆっくりとねっとりと
ペニス全体をきれいに舐めあげるようにフェラチオは進んでいきました。


だんだんと射精しそうになってきても必死でこらえていたが、
「母さん、もうだめだ、出るっ、あああああっ」


母さんの口の中に大量の精子を放出した。
母さんはすべてを吸い上げると顔をあげ、ニコっとして、
精子をすべて飲み干した。


「誠ちゃん元気だったわね、母さんうれしいわ」
「母さんがうまいから・・・・」


母さんはウーロン茶を飲むと、
「誠ちゃんちゃんと見てるのよ」


僕の前に立ちパジャマのボタンを外し始め、上半身から下半身と、
全裸の状態になった。


母さんの裸は風呂を覗いた以来見ていないが、太ってはないので、
僕から見るとちょうどいいくらいのスタイルで、僕も立ち上がり、
母さんにキスをすると、おっぱいを揉み、乳首を舐めると、
「あん、あ~ん、噛んで~、乳首をもっと噛んで~」
「こうやるの?」
「あ~ん、あ~ん、そうよ、感じるわ、すごく感じるわ~」


僕は必死でおっぱいを揉み、乳首を吸い、Dカップ以上あるであろう
おっぱいに顔をうずめたりして、母さんも僕の頭をつかんで
ギュッと抱きしめてくれたかと思うと、おっぱいに押し付けるように
してくれた。


そしてさらに下へ下がるように肩をさげられると、
母さんの意外に濃い陰毛が目の前にきて、それをかきわけるように
少し股を開いてもらい、グチョグチョに濡れているアソコを
舐めると、
「あああ~っ、ああああっ、そ、そこよ、もっと吸ってちょうだい」
「母さんすごいよ、すごく濡れてるよ」
「クリ、クリトリスを舐めて、あああ~ん、いいわ、いいわ~」


母さんはすでに母親でなく女になっていた。つまり僕を男として
見てくれていると勝手に僕は思っていた。


そして母さんを寝かせ、両足を大きく開き、クリトリスを舐め、
指をおまんこに入れると、
「ああああ~っ、だめっ、いくっ、いくっ、あああああ~っ」


母さんは1度目の絶頂を迎えた。
体を反り返らせ、まるでAV女優のように喘ぎ、
僕にとっては刺激が強すぎた。


僕はまた母さんの唇をむさぼると、母さんは僕のペニスを握り、
正上位のままおまんこへペニスを導いてくれた。


「あ~ん、入ってくる~、誠ちゃんすごいわ~」
「僕も気持ちいいよ、このままずっと母さんといたいよ」
「私もよ、愛してるわ誠ちゃん」


僕はそのまま腰を動かし続け、母さんも僕の動きに腰の動きを
合わせるように腰を動かし続け、
「母さん、またイキそうだよ」
「いいのよ、中で出してちょうだい」
「ああ~、だめだ、出るっ、出るっ、ああああああ~っ」


僕は母さんのおまんこの中へ射精した。
人生の中でこんなに気持ちいいことはなかった。


その夜はそれから母さんを四つん這いにして後ろから、
母さんを僕の上に乗せて騎乗位と気が済むまで挿入を繰り返した。


そして母さんも何度も絶頂を迎えた。
たぶん父親が出張続きで、なかなか会えなくて、おそらくセックスも
していなかったのでしょう。母さんの喘ぎ方は尋常ではないと思った。


それから月に1~2回は上京してきては、僕は母さんとセックスを重ねた。
しかし最近、彼女ができたので、なんとなくですが、母さんが嫉妬してる
ような気がします。彼女と母さんとどっちが気持ちいいの、なんて
聞いてきます。でも僕は必ず母さんが1番だよって答えています。


終わり

告白(転載) 禁断の体験・母親の太ももをちら見したら・母親で初体験・1話

近親相姦告白・体験
08 /06 2019
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2012年6月7日木曜日
禁断の体験・母親の太ももをちら見したら・母親で初体験・1話

禁断の体験・母親の太ももをちら見したら・母親で初体験・1話


僕は現在大学に通っています。4月に実家を離れて1人暮らしを
しているのですが、今は月に2度ほどですが、母親に来てもらって
掃除とかをしてもらい、抜いてもらっています。


始まりは大学に合格してアパートを借りてもらい、
引越しは父親は出張とかで忙しいので母親に来てもらい
荷物の整理や必要なものを買出しにいきましたが、
僕ははっきり言ってマザコンなので、母親にすごくかわいがられて
成長してきました。


だから母親への想いは姉がいるのですが、人一倍強く、
高校生のころだったか、たまたまマスターベーションをしてて、
母親に見られていたみたいで、それでも受験勉強をしていた時期なので
母親は僕に何も言わずに、引越しが終わった夜に母親から話を聞きました。


引越しの日は母親も気合を入れてきてたみたいで、Tシャツ1枚で
タイトスカートをはいていて、母親の太ももとかをチラチラ見てると
どうしても股間が熱くなってきて、それでも荷物の整理をしないと
いけないから、どうにか気をまぎらわせていました。


しかしどうしても母親のたぶんDカップくらいの胸にも目が行き、
Tシャツの隙間からブラは見えるし、荷物を運ぶ際には胸が揺れるのも
はっきりとわかるし、もうどうしようもない状況でした。


そしてようやく荷物の整理も終わり、夜は寿司を食べることにしました。
母親はコンビニにビールとつまみを買ってきていて、
とりあえず2人で祝杯をあげました。


僕はビールを飲むのは久しぶりで、これからはコンパなんかで
いっぱい酒を飲むことがあるので、少し練習しておこうと、
缶ビール3本くらい飲みました。


すると顔は真っ赤になり、気持ちもハイになって、
スケベな気持ちがどうしても抑え切れなくて、おまけに寝れなくて、
すぐ横で母親はワインを飲んですでに寝ていて、時折寝返りで
母親の太ももは見え、それにノーブラなので、パジャマから
おっぱいの形もはっきりとわかった。


僕は正直、母親のことが好きである。だから余計に母親を見ると
興奮するし、これまで何回も母親の入浴を覗いたこともあります。


もう今日しかない。酒の勢いでみたいないいわけもできる。
僕は思いきって布団をはぐり、太ももを少し舐めてみた。
すると母親がはっとして気がついた。


「どうしたの?寝れないの誠ちゃん?」
「う、うん・・・・・」


僕の心臓はバクバクと破裂しそうだったが、
「か、かあさん、好きなんだ」
「何を言ってるの、かあさんも誠ちゃんのこと好きよ」
「いや、どういう好きじゃなくて・・・・・」
「じゃあ、どういう好きなの?」
「女性として・・・・・」
「え、言ってる意味がわからないわ」
「だからとにかく好きなんだ」


僕は思い切って母親の上にかぶさった。
「わかったからちょっと離れて」


僕が離れると母親は僕の両肩に手を置き、
「誠ちゃん、目を閉じてごらん」


目を閉じ、少しして僕の唇にやわらかい唇が重なった。
その瞬間心臓はさらにバクバクして、股間は一気に勃起した。


「誠ちゃんキスは初めてなの?」
「う、うん」
「じゃあ、母さんが初めてね、正直に言うけどすごくうれしいわ」
「どうして?」
「だって1番大好きな誠ちゃんなのよ、母さんのものよ」


そしてまた唇を重ね、すごく濃厚と言うか、ディープなキスをした。

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。