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告白(転載) 【928】思い出したくない過去

告白・体験
07 /14 2019
掲載サイト(友人の母親を犯す)は消滅。
2005年4月6日 4時16分45秒 - 気弱な息子
もう10年近く前になりますが、中学生の時の話です。
当時僕は、中学校の野球部に入っていました。
決して強豪ではありませんでしたが、
遠征試合もしょちゅう行っていました。

僕の母親は当時30台半ば、目を見張るほどではありませんが
整った顔立ちの美人といって差支えないと思います。
身長が150センチちょいと小柄ですが、ミーハーな元気のいい母親で
野球部の遠征の時などはよく応援に来ていました。

その野球部の同級生にヤンキーっぽい部員が何人かいて
中心にSという部員がいました。

Sはジャニ系の顔立ちで運動もそこそこできるので
女生徒からは人気がありましたが、
頭は悪く性格も粗野で、気の弱い僕とはあわないというか、
僕はすこし苛められ気味でした。

そのSが、応援にきた僕の母親を見て気に入ったらしく
実にストレートに「お前の母ちゃんきれいやなあ。一発やらせろ!」なんて
平気で僕に言っていました。

僕はてっきり冗談だと思っていました。
とても母親に伝えられることじゃありませんしね。

母親もSの性格までは良く知らなかったせいか、
「S君ってかっこいいわね」なんて能天気に話す始末でした。

とある日曜日に、野球部の遠征がありました。
適当に保護者の車に分乗していくのですが、
なぜかSと仲の良いヤンキー3人が母の車に乗ることになりました。

遠征試合ではSが2ホームランを打つなどして
うちの学校が4点差ぐらいで勝ったと記憶しています。

帰りの道中も同じメンバーで帰ったのですが、
渋滞に巻き込まれたこともありバラバラになりました。
最後になった母親の車は僕たちよりも1時間少し遅れて到着しました。
そのときは別に不自然には思いませんでした。
他の車も、通ったコースによっては30分以上遅れていたからです。

次の日、練習が終わって部室で着替えていると
Sたちが大声でHな話をし始めました。
僕は童貞だったのでよく分かりませんでしたが
Sが僕に向かって言った一言で僕は凍りつきました。
「お前の母ちゃんが相手だぜ?」
Sたちが何を言ってるのか、訳がわかりませんでした。

それからSたちは自慢げに僕に聞かせました。
そのの話をあわせると、練習試合に向かう車の中でSたちは
母親にSEXさせろと迫ったのだそうです。

母親はあんまりしつこく迫るSたちに対して
「試合でホームランを打ったらさせてあげる」と答えたそうです。
その言葉どおりSはなんと2本もホームランを打ちました。

結局帰り道、母親はSたちのしつこいまでの要求を断りきれず
身体を許したというのです。
それも人気のない場所に車を止めてカーセックスしたとSは言いました。

「最初は恥ずかしがってたけどよぉ、けっこう大胆だったよなあ」
「あいつSに惚れてるんじゃね?Sが言ったらなんでも聞いたぜ」

Sは、母親に愛してるとかきれいだねとか散々吹き込んだといいました。
「あんなオバハンに本気で言うわけねーだろ」
Sはゲラゲラ笑っていました。明らかに身体目当ての嘘だったようです。
しかし母親はその言葉にころっと騙されてしまったようでした。

「大股開きでここがクリトリスとか色々教えてくれたし」
「あれキジョウイって言ってたっけ、女が上になってくれたりもしたな」
「おっぱいは小さいけど、オマンコは締りよかったなあ」
「4人とも生で出しちゃったから、子どもできちゃうかもな~」

Sたちは口々に笑いながら言いました。
僕は悔しいと同時に、こんなSたちに騙された母親が可哀想に思いました。

「またそのうちに使わせてもらうから、宜しく言っとけよ」
Sの捨て台詞でしたが、
それは後日現実のものとなったのです。

それは・・・・。

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告白(転載) 【892】母と友人のセックス・1

告白・体験
07 /14 2019
掲載サイト(友人の母親を犯す)は消滅。
2005年3月20日 3時10分52秒 - taku
もう10年以上前の話になる。
当 時、中学2年生だった僕は、友人の家に遊びに行った時、洗濯機から彼の母親のパンティを盗んでしまった。ほんの好奇心からの出来事だったが、友人に見つ かってしまった。彼は「俺の母親と学校にチクる」とさんざん僕の事を脅し、チクらない条件として、「お前の母ちゃんとやらせろ」と言ってきた。
「俺、お前の母ちゃん結構タイプなんだよな」と言うと彼は不敵に笑った。
も ちろん、そんな事を母に頼めるはずがない。すると数日後、友人はなにやら怪しげな粉末を持ってきて、「これを水かジュースに溶かして母ちゃんに飲ませろ よ。強力な睡眠薬だ」と言われた。さんざん迷ったが2日後、仕方なく僕はその薬を母親にオレンジジュースに混ぜて飲ませた。30分くらいで母は「なんか眠 たくなったから少し休むね」と言って寝室に行った。僕はすぐ友人に電話した。友人はもの凄いスピードで自転車で走ってきた。息を切らしながら、「ヘヘッ。 俺、お前の母ちゃんで童貞捨てるからよ」と言うと友人は2階の母の寝室に向かった。そこでひとこと、「お前も母ちゃんの裸見たくねぇか?見てもいいぜ」と 言ってニヤニヤ笑った。僕は迷ったが事の顛末を見届けなければならない様な気がして、彼に付いて母の寝室に向かった。

(つづく)

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告白(転載)  【878】性癖

告白・体験
07 /14 2019
掲載サイト(友人の母親を犯す)は消滅。
2005年3月3日 3時7分8秒 - まさる@転載
熟女、最高!

おばを襲ったのが始まりで、
私は中学生、おばは三十代だったと思う。
夏休みに遊びに行った昼さなか、おばに襲いかかり、
必死で抵抗するおばを全裸にし、パンツを毟り取ると、
おばが観念したような、抵抗が無くなった事、
何がなんだか分からない興奮の中で、射精してた。
それから毎日の様に押しかけて、おばに教えられるセックス、
最高で、今も感謝!。

女の性と言うか、女の性欲をも知った俺には、
隣の出戻り娘、おばと同じ年頃、
庭続きに窓から忍び込んで、
後から羽交い締め、
腕を噛み着かれながらも下着の中に手を射し込み、
女を捕まえて挿し込んでしまえば、
どうにもならない観念の砕けで、
俺の思うが間々。

これからの病み付きは、友人の母親、恋人の母親、数限り無く、
止まる事を知らず、幸いにも一度も事が荒立った事無く、
熟女の性欲を満たしてきた様だ。

妻の母と、いまだに飽きずに続く淫行は最高で、
妻と知り合い、すぐに母親に遅いかかり、
私が25、妻の母が42、の時、
それから続く限りない行為は、妻よりも母との回数が数段も上で、
快感を始めて知った、絶頂を教えられた、と、喜び狂う日々で、
妻の母には、旦那さんよりも大切にされてる。

最高の日々です。

告白(転載)  【872】スレ違いかも知れませんが

告白・体験
07 /14 2019
掲載サイト(友人の母親を犯す)は消滅。
2005年2月25日 20時47分49秒 - 名無しさん
私が小さかった頃は銭湯に行くと番台で男、女は仕切られていました。番台のすぐ前に扉があり男湯と女湯を行き来出来たのですがそのころの話です。
家族みんな一緒に銭湯に行くときがあるのですが、母と父で石鹸やシャンプ-を共用していたので、私が小さいこともあり石鹸やシャンプ-を女湯の母に届けていました。
ある日いつものように番台の前の扉を開けて石鹸など届た後で男湯に戻ると、どこかのおじさんが近づいてきてこう言いました。
「坊 や偉いな~。けど扉はゆっくり開け閉めしなきゃね」と言われました。子供だったのでそうなんだと思っていました。母に呼ばれたので女湯に行く時におじさん に言われた通り扉をゆっくり開け閉めしていると後ろからおじさんが扉の向こうの女湯を覗いていました。使い終わった石鹸を渡すために母が扉の前に居たので おそらくおじさんは母の裸を見たのでしょう。母も見られているのに気づき早く閉めなさいと頭を引っぱたかれて怒られました。
親父と一緒に脱衣所に出るとさっきのおじさんが近づいてきて、
「坊 や、さっきはありがとう。さっきのが坊やのお母さんかい?大きいオッパイしていたね。坊やや坊やのお父さんが羨ましいよ!好いものを見せてくれたお礼にお じさんかジュ-ス買ってあげるね」と言い、コ-ヒ-牛乳を貰いました。父は申し訳なさそうにお礼を言っていましたが、まさか自分の妻の裸を見たお礼とは気 づかなかったでしょう。そんなことがありました。
ちなみに銭湯を出た後に母にまた頭を叩かれたことを報告します。

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eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。