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告白(転載) 妻より母がいい   投稿者:haruhiko

近親相姦告白・体験
04 /15 2015
妻より母がいい   投稿者:haruhiko
私も19歳の時に、母と初めて関係を持って以来、結婚して33歳になった現在でもその関係は続いています。

私が母を性の対象として意識するようになったのは、高校1年の時からでした。
夏休みに田舎の祖母の家に遊びに行ったとき、たまたま内風呂が壊れて使えないというので、昔、使っていた庭の五右衛門風呂を使うことになって、そのとき、風呂に入っている母の裸を雨戸の節穴から覗き見して、母の陰部や乳房に興奮した思い出があります。

そのときに見た母の裸は女盛りのポチャッとした感じで、胸が大きく色白で大き目の乳輪は薄茶色をしていました。

それ以来、母への思いを募らせていった私は、母がトイレに入ったときに、庭に回ってトイレの掃きだし窓から覗いたり、洗濯かごの中から、母が脱ぎ捨てたパンティを盗み出してはオナニーにふけったりするようになりました。

しかし、それ以上にエスカレートすることもなく、私は大学へ進学し、両親とは離れて生活をするようになりました。

しかし、ある日、久しぶりに実家に帰っていた時に、偶然にも父と母とのセッ○スを見てしまってからというもの、また母に対する性的欲望にメラメラと火がついてしまいました。

その日は、地元の友達とカラオケに行って夜遅くまで遊んで、実家に戻ったときは、深夜の12時を過ぎていました。

玄関は鍵が掛かっていて、両親はすでに寝てしまった様子でした。
私はあいにく実家の鍵を持っていなくて、両親を起こすのも悪いと思い、塀をよじ登って2階の窓から部屋に入ることにしました。

高校時代からよく夜遊びして帰ってきた時に、塀をよじ登って部屋に戻っていましたが、塀の間には、その時のまま、踏み台が隠してありました。

踏み台には、引き上げる為のロープが結んであって、その端を手に巻きつけると、踏み台に乗って、塀の上によじ登りました。

その時、塀に近い両親の寝室のランマの隙間から薄明かりの中で激しく動いている素っ裸の両親の姿が見えたのです。

もの凄いものを見てしまって、私は塀の上でしばらく、手足が震えて動けませんでした。

遠くで車の音が聞こえて、ハッとした私は、慌てて踏み台を引き上げると2階の部屋に入り込みました。

自分の部屋に戻ってベッドに入っても、今見た母の白い肌やイヤらしい動きが瞼に焼き付いて頭から離れませんでした。そして私はいつの間にかそのシーンを思い出しながらオナニーをしていました。

翌日、私は大学の用件があって、朝早く実家を出発しましたが、その電車の中で、うとうと眠りながら、次第に「もう一度、母のセッ○スを見てみたい」という欲求がわき上がってきて、さらに「母とセッ○スしてみたい…」と強烈に思うようになり、気がついてみたら、母とセッ○スをしている夢を見て夢精してしまい、チノパンの前チャックの横に大きな濡れシミを作ってしまって、電車の中でとても恥かしい思いをしました。

その半月後、私の一人暮らしの様子を見に出てきた母を、私はとうとう犯してしまいました。

初めは「ちゃんと食事とってる?」「うん食べてるよ」「元気にやってるかなって思って…」
「うん元気にやってたよ…」などの会話をかわしていました。

貞淑で、聡明な感じの明るい母なので、かなり抵抗されるという不安はありましたが、私は考えたあげく、真っ向から「こないだ、母さんと父さんがセッ○スしているところを見てしまって、僕もしてみたいよ…」と母に打ち明けました。

慎重に母の様子を伺いながら、少しずつ父と母のセッ○スの一部始終を見たとおりに話して、あの時と同じことをしたいと頼み込んだのです。

母は、かなりショックを受けた様子で、長く沈黙したあと、困惑しきった表情で、意外にも「秘密を守れる?…、一度だけよ…」と言って、体を許してくれたのです。

私が19歳で、母が45歳でした。

はじめて自分の勃起したペ○スを母の温かい膣穴に挿入したときの興奮と快感は、とても忘れがたいものでした。

母も最大限に勃起した私のペ○スを気持ちよく締め付けてくれました。

その時の、母親と近親相姦をしているという興奮と快感は体験した人でないとわからないと思いますが、私は無我夢中で腰を動かして、今までの母への思いをぶつけるようにドクッドクドクッと大量の精液を母の膣穴に放出してしまいました。

生で実の母親の膣の中に射精する快感と母を征服した満足感に浸りました。

終わったあと、母は私の顔をあまり見ようとしませんでしたが、母親らしく、私のペ○スの後始末から着替えまで、優しく世話をしてくれました。

そんな母の仕草を落ち着いて見ていたら、私はこれで、一生、取り返しがつかない、とてもいけないことをしてしまったんだ思いました。

しかし、母子相姦の興奮と快楽は強烈なもので、一度経験すると2度、3度と続けてしまって、ガマンできなくなくなるもので、母が私のアパートに居る間は、今日は、授業が無いからと言って昼間から母とセッ○スをしました。

母が実家へ帰る前日は、もうしばらくできなくなると思って、朝まで何度も母とセッ○スをしました。

もう、母も私の名前を呼び続けながら何度も逝くようになっていました。

帰り際に妊娠のことが心配になって母に聞くと、「もう生理は上がっているから、心配いらないの…」と恥かしそうに言っていました。
その時、母が私に体を開いてもいいと思ったのは、絶対に妊娠しないという安心感があったからかも知れないと思いました。

その後、私は、大学を卒業しても、就職の関係で、実家へは戻らす、私はずっと一人暮らしをしていましたが、その間、月に数回、母と会って性欲の処理をしてもらいました。

久しぶりに母と会うと、どちらからともなく、体を寄せて唇を重ね、暫くキスしたあと、裸になって、お互いの体をむさぼり合いました。母も久しぶりのセッ○スを堪能し、私が何度も母を突き上げて膣内に射精するころには、私にしがみついて、愛らしい喘ぎ声を出して絶頂を向かえていました。

その後、私が28歳の時、世間体があるからと言う、母のたっての勧めで、見合い結婚をして、二人の子供をもうけました。

今年、私は33歳になり母は59歳になりますが、母の体はあまり変わりがなくて、いつも奇麗に見えます。母は、私とのセッ○スで若返っているのだと言いますが、母とのセッ○スは妻とは違って、年齢を感じさせない、とても深い絶頂感を私に与えてくれます。

結婚後も月に一度は、実家の郊外のラブホテルで母と会ってセッ○スを楽しんでいます。

母は私が望むことのすべて受け入れてくれます。
ホテルのビデオで見たことでも、母の方から私に試してみたい?って聞いてきたり、いろんなことをしてもいいのよと言ってくれます。

最近では、仕事で疲れた時や、ストレスが溜まった時、或いはムシャクシャした時など、私は母をホテルに呼び出して母のアナルに勃起したペ○スを挿入して思いっきり中で射精してスッキリさせてもらっています。

母は妻より、はるかに私の欲望にあわせてくれて精神的な安らぎを与えてくれるのです。
それは母親だからこそ…でしょうが、この素晴らしい母子相姦の世界を続けられる限り私は堪能していきたいと思っています。

告白(転載) 還暦の母と 投稿者:翔

近親相姦告白・体験
04 /15 2015
還暦の母と 投稿者:翔
還暦を迎えた母と初めて関係を持った時の告白です。

僕は父を幼いときに亡くし、母が再婚もしないで、洋裁店を切り盛りして、僕を育ててくれました。

そんな母が、もう60歳になりました。

母に「還暦のお祝いは何がいい?」と聞くと
「別にいいのよ 翔ちゃんのその気持ちだけで…」と遠慮して何も欲しがりませんでした。

「人生で大切な還暦のお祝いなんだから…。 それじゃあ温泉にでも行って、のんびり、美味しいものでも食べようか?」と言うと、

「まあ嬉しいわー、温泉旅行なんて、久し振りだわー」と、とても喜んでくれました。

現地ではのんびりできるように、混雑を避けて、平日、職場に代休をもらって、母と二人で2泊3日の温泉旅行に出かけました。

予約は入れていましたが、最近注目を浴びている温泉地のために、平日にもかかわらず、団体の観光客でいっぱいでした。

宿では最上級の料理を並べてもらって「今日は60年に一回の還暦のお祝いだから、二人で飲めるだけ飲もうよ」と、その夜は、かなりのお酒を楽しみました。

朝早く母が露天風呂に起きた物音で一旦、目が覚めましたが、僕はまだ酔いつぶれていて、そのまま布団のなかで夢心地でうとうとしていました。

しばらくして、母が露天風呂から戻ってきて、僕の布団の上をまたいで通ったとき、薄目をあけると、浴衣の中はノーパンで母のオマ○コの陰毛がチラッと見えましました。

まだ酔っているせいか、僕の理性が麻痺していて性的な興奮で眠れなくなってきました。

僕は意を決して今、隣の布団にくるまったばかりの母の隣に滑り込むようにして入りました。

母は驚いた様子で「どうしたの?」と優しく聞いてきました。
僕は「なんだか寒いね」と言って母を見ると、
母は「少し寒いの? じゃあ暖めてあげようか」と言って僕に体をくっつけてきました。

母の柔らかい体と密着していると、僕のペ○スはすぐに大きくなってしまいました。

母はそれに気がついて、小さくかすれた声で、
「母さんとしたいの?」
僕は素直に母の言葉にうなずいて、母に口づけをしました。

僕の手が母の浴衣の間から胸に進入しはじめても母は僕の口づけを受けたままでした。
抵抗しない母。 僕を受け入れてくれる母の甘い香りが、僕を興奮させ陶酔させました。

母は、熱を帯びて勃起してる僕のペ○スに手をかけて
「翔ちゃんが… したいようにして…」といって、僕のペ○スを優しくゆっくりと撫でてきました。

僕は母の乳房を揉み乳首を吸いました。
そして、少し恥じらいを見せる母の浴衣の帯びをほどき、母を全裸にしました。

母は恥ずかしさで僕の顔を正視できず顔を両手で覆って「恥ずかしい…」と小さな声で言いました。
母のオマ○コはもうすでに少しだけ濡れていて、陰毛がキラリと光っていました。

母のオマ○コをしげしげと見ながら、僕は確かにここから生まれ出てきたのかと感慨深い思いで、顔を近づけその匂いをかぎました。

それからゆっくりと大陰唇や小さなピンクのクリ○リスをなめました。
母は息子にオマ○コをなめられたことにひどく狼狽しているようでした。
僕がなおもクリ○リスを執拗になめ回していると、母は徐々なまめかしく腰を動かしてきました。

母は感じているようでした。

僕は母の濡れたオマ○コに勃起したペ○スを当てて割れ目に沿って亀頭を数回上下させて、愛液をタップリと着けると、ゆっくりと、母の膣穴に挿入していきました。

母が目をしっかり閉じて快感をかみしめているのがいじらしく思えました。

母は父とのセックス以来、今日までずっと女の喜びを味わうことがなかったのです。

僕が腰を前後にゆっくりと出し入れしていると、母のまつげにはうっすらと涙がにじんでいました。

僕は暖かくやさしく包み込む母の膣穴の感触を楽しみながら、次第にピストンを早く、激しくしていきました。

徐々に母は快感が込み上げてきたのか、うわごとのような声をあげ始めました。
「いい…、いい、ああっ…、いい…、もっと、もっとよ、 いくわ、あっ、あっあぁぁぁ…」
母は、僕に激しいキスをして僕の口の中に、母の暖かな舌を挿入してきました。

僕も射精しそうになってきて、さらに激しく腰を前後に動かしてフィニッシュをかけました。
母は「いいわ…、いい…、あっいい~  あぁぁ~ いい… い、いく、いくわ…」
そして、ついに僕はヒクヒクと痙攣している母の膣穴に、大量の精液を放出しました。

母は僕にしっかりと抱きついて、膣穴を痙攣させながら、また僕に激しいキスをしてきました。

一度射精した後も、カーテンの隙間から、まぶしい朝日が差し込むころまで、僕と母は何度も交わりました。

母の体は僕のピストンに、どんどん性感が目覚めてきたのか、時には隣の部屋にも聞こえるほどの声をあげていました。

二人にとって忘れられない母の還暦祝いとなりました。

告白(転載) 我、母を奪回す 投稿者:母の間をとこ

近親相姦告白・体験
04 /15 2015
我、母を奪回す 投稿者:母の間をとこ
再婚して義父の赴任に同行していた41歳の母が、義父(以後「奴」と書く)と大喧嘩して我が家に帰ってきた。
死んだ親父と18でできちゃった婚をした母は、三十路といってもおかしくないほど若々しく、それでいて熟れたイイ女だ。
そんな母と再び暮らせるのだ。俺にためらう気持ちはなかった。
ある晩、母と酒を酌み交わしながら、隙をみて押し倒した。
母はさすがに抵抗したが、豊熟したオッパイを吸われると力が抜けていった。
肉棒を挿入すると、母は腕を俺の背中にまわしてしがみついてきた。
母のそこはきつくはなかったが緩くもなく、熱く溶けたような膣粘膜が包み込むように絡み付いた。

「ああ、私たち、ダメなのに…」
とだけ言った母はすぐ腰をイヤラシク蠢かせ始めた。
唇を合わせ舌を絡めると母も絡め返してきた。

「あ~ん、突いて。もっと突いてえーっ」

母は淫らな催促を強いてきた。膣肉がグネグネと蠢動して俺の肉棒に刺激を与えてくる。
かつて俺が出てきた産道は俺が知る限りでは最高の性交器官に変貌を遂げていた。
俺は歯を食いしばって母を攻め立てた。奴から母を奪回するには、何としても母をイカせなければならない。そしてその努力が報われる時がやってきた。

「くううッ…イク。イっちゃいそう」
「母さんイッて。俺もイクから」
「あああッ、ダメダメッ。イク、イクゥーッ…」
母は一際大きく身体を打ち震わせながら昇り詰めた。
その夜、俺はさらに5回、母の熟れた肉体に挑んだ。以来、母は俺の元にいる。

告白(転載) 奥飛騨の思い出の一日 投稿者:会社員

近親相姦告白・体験
04 /15 2015
自然の中で母と交わることができたら幸せだ。


奥飛騨の思い出の一日 投稿者:会社員
いつもこのサイトを楽しみに見ています。
ここを訪問するようになって、僕の心にも母親とのセッ○ス願望が芽生えてきて、抑えられなくなって、ついに僕も母と秘密の関係を持つようになりました。
そのときの忘れがたい奥飛騨でのできごとを投稿します。

母48歳、僕は23歳、父は現在、中国の合弁企業へ出向中で、家は母と僕の二人暮しです。

まだ十分に色気が残る母は父が海外出向になってから、服装も若々しくなって、ノースリーブや胸が開いたTシャツを好んで着るようになり、親とは思えないくらい魅力的な熟女に見えます。

僕はいつしか、母のパンティーをこっそり盗んで、匂いを嗅いだり、舐めたりして、オナニーするようになりました。

オナニーをするときは、僕が母のオマ○コを、舐めているところや、僕に貫かれ、眉間にしわを寄せながらよがり狂い、後ろめたさを感じながらも絶頂を迎える母…。そんな場面を想いながらオナニーしていました。

しかし、本物の母子相姦への気持ちはますます高まるばかりで、毎日、そのことを考えるようになりましたが、なかなかチャンスがありませんでした。

そこで、ボーナスで車を買い換えたこともあって、母を日帰りで奥飛騨に誘って、そこで犯してみようと思いつきました。

母は以前から一度奥飛騨へ行って見たいと言っていたので僕のたくらみも知らずに大喜びでした。

日曜日の朝8時過ぎに家を出て、中央・長野道で松本を抜けるあたりまでは曇り空でしたが、昼ごろR158・安房トンネルを出るころには、もう小雨になっていました。

予約していた温泉旅館に着いて、とりあえず食事をしました。
出てきたコース料理は肉がメインだったので、ワインを1本、注文して母に飲ませました。僕は、帰りの運転があるので飲みませんでした。

ボトルワインなので、母は「一人で全部飲まなきゃ」と、うまそうに飲んでいました。

ワインがそうとう効いてきたのか、母は部屋にあったカラオケでいい気分になって奥飛騨慕情を歌い始めました。

♪ 抱いたのぞみの はかなさを 知るや谷間の 白百合よ 泣いてまた呼ぶ 雷鳥の 声もかなしく 消えてゆく ああ 奥飛騨に 雨がふる

僕はしばらく母のカラオケに付き合っていましたが、部屋専用の露天風呂があるので、「一緒に入ろうよ」と母に声をかけて、先に露天風呂に入りました。

小雨が降っていましたが、小さな屋根がついていたので、雨の露天風呂の風情を楽しみながら母が裸で入ってくるのをまだか、まだか、と待っていました。

しばらくすると、白いバスタオルをからだに巻いた母が「恥ずかしいわ…」
と顔を赤らめながら入ってきました。

一緒に露天風呂につかっている母のからだをしげしげとなめるように視姦したあと、「母さん…背中、流してあげるよ」と母の手を取って洗い場へつれていきました。

「いいわよ…自分で洗うから…」と恥ずかしがる母を「いいから、いいから」と、イスに座らせて、ボディーシャンプーをスポンジにつけて母の背中を愛撫するように洗ってやりました。

首筋から、腕を洗って母の胸へ手を回したとき、母は目をつむって乳房とオマ○コを隠し、からだをよじって、感じているのを必死で耐えているようでした。

裸の母を洗っているだけで、十分すぎるほどペ○スが勃起して母の背中にゴツ、ゴツと当たって、たまらなく射精感がこみ上げてきました。

「か…母さんっ…! 射精しそうになったよ! こ… ここ握って!」
というと僕は母を振り向かせて、勃起したペ○スを急いで握らせ、母の肩に手を置いて腰を前後にピストンしました。

母は「エー か…母さん恥ずかしいわ…」と言いながら、母は顔を真っ赤にしてスピードを合わせてしごいてくれました。

もの凄い快感で、僕はすぐにゾクゾクッとなって、母の顔面に向かって勢いよくドビュッ、ドビュッ、ドビュッ、ドビュッ、射精してしまいました。

母は興奮した様子で顔に飛び散った精液を洗って無言で、露天風呂に入り、部屋に戻りました。

僕も母のあとを追うように部屋にもどり、「母さん、おどろいた?」と聞きました。

母は僕を見て、直ぐに目を反らし
「そうね… あなた… お母さんに対して勃起したのよ… それに射精までしたのよ… 母親に勃起するなんて… 驚いたわ…」

「母さん… 僕はずっと前から、母さんとしたくて…。ずっともやもやしていたんだ…」

「そんな… そんな事を母親に言う人っていないわよ…。」

「そんな事ないさ。けっして表には出ないけど、世の中には母親と息子が近親相姦している実例がいっぱいあるよ。」

「………」

「今日は、僕、母さんとしたいんだ…。」

「い…いやよ… そんなこと… そんなこと言わないで、お願いだから。あなたは今、女性のからだに興味を持つ年頃だからそんなことを思うだけなのよ。それよりも、これからいい人見つけて結婚しなければ…ん…ング…」

僕はいきなり母を抱き寄せて、濃厚なキスをしてやりました。

そして耳元でささやくように言ってやりました。
「今日は母さんとセッ○スすると決めていたんだ… 母さんさえ黙っていれば…一生、誰にも分からないことだから… 母さんだって楽しんじゃえばいいんだよ… そのうち母さんの事、俺がいないとダメな女にしてやるよ… 絶対に…」

母は「そんなこと言わないで…ハア…ハア…」と言って身体をよじって逃げようとしました。

だったら、絶対母を悶えさせてやろうと思い、執拗なまでに母の身体の隅々まで丹念に舐めあげて愛撫しました。

僕のペ○スはもう反り返って天を仰いでいましたが、母がヨガリ声を出すまでやってやろうと思って、我慢しました。

しばらくすると、声を押し殺していた母もだんだんと耐えられなくなってきて、「ハァ~ん」「ハン~」と少しずつ声を出し始めました。

母が反応して少しずつヨガリ声をだしていく様子に、僕は嬉しくなって、さらに執拗に愛撫を続けました。

母の下半身へ移動して膝立ちになった僕は、母の両腿を大きく左右に割り開くと、もう陰毛まで濡らしている母のオマ○コに口をつけて愛液をズズッとすすり、舌をオマ○コの奥のヒダヒダの中まで挿入してズリッ、ズリッと天井のザラザラをなめ上げました。
そのあと、母のクリトリスを唇でつまんで刺激して、チュルッと吸い出しては甘噛みを繰り返してやりました。
そうすると母はもう自分を失って、絶頂が押し寄せてきたのか
「ア~ン… も…もう…」 
「も…もう… ダメ~… 」
「ア~ン… い… いっちゃう… 」
「母さん… い… いっちゃう… ダメ~… い… いっちゃう…」
「ア~ン…母さん… いっちゃうわ~… 」
「ねッ お…犯して… か…母さんを犯して… 」
「ア~ン… 母さんを犯って… もう犯って~… おねがい~…」

と母は髪を振り乱しながら、僕にしがみついてきました。

母に自分からセッ○スを願う言葉を言わせて大いに満足した僕は、おもむろにペ○スを母のオマ○コに挿入して、激しくピストンをしてあっという間に母のオマ○コの奥のヒダヒダにからみつくように射精しました。

母は両足をそろえるようにピンとなって僕のペ○スをはさんままひきつったようになりて、「アァァ~…」と言って爪をたてました。
僕も母の横に倒れ込んで、ハアハアと肩で息をしていました。

暫くして、まだ放心状態の母に向かって「母さん… 母さんとの情事でオマ○コの奥ヒダに射精したから、これが本当の奥ヒダ母情だね。」と言うと母は「ダ…ダメじゃない外に出さなきゃ… これからはコンドームしてよ…」と言いました。

「それじゃあ露天風呂の中でペ○スを差し込んで洗い出してあげるよ」と僕が母に言うと「バ…バカなこといわないで!」と真顔になって母は言いました。

その後、僕と母は、また露天風呂に入って、お互いの身体を合体させてゆっくりピストンしながら、母の膣穴の精液を洗い出しました。

露天風呂の表面に白い精液がたくさん浮き出てきました。

おそらく、一生忘れることのない奥飛騨の想い出の一日になりました。

告白(転載) とうとう念願かなった 投稿者:母としたい

近親相姦告白・体験
04 /15 2015
母の下着がきっかけで関係が深まる。


とうとう念願かなった 投稿者:母としたい
昨日、正月のあいさつに実家を訪れたとき、59歳の母と念願のセックスができました。今までに体験した事のない快楽をえました。私は、31歳です。
 妻も一緒だったし父もいたので、母との交わりなんて、とうてい無理だとあきらめていました。でも、なんとかして母と交わりたいという気持ちはたかぶっていました。
 夕食のとき、妻は普段酒は全然飲めないのですが、父に勧められ、だいぶ酒を飲んでいました。
父も、気を良くして、いつも以上に飲んでいました。 
 だいぶ時間も経つと、父が酔いつぶれて、母と一緒に寝室に行きました。妻も、相当眠気をさしていたので、私と一緒に自分の部屋に、いきました。そして、何分もしないうちにつまが眠りにつきました。
 私は、母のことを思うと、眠れずに下に降りて行きリビングでテレビをみていました。(両親の寝室と私の部屋は2階です)
 母の、お尻や、おっぱいを思い浮かべてるとどんどん、いやらしい気持ちでいっぱいになってきました。
 そして、風呂場のとこの、洗濯機の中に、母のパンティーがないかなと、期待に胸をふくらませいきました。
そして、あけて中を見たときピンク色の大きな母のパンティーが奥の方に入っていました。「やった」とおもいました。
学生の時いらいになりますが、母のパンティーの匂いをじっくり嗅ぎました。たまらなく、いやらしい気分になっていました。
 とても、興奮してき、さらに母のそのパンティーのあそこの部分の匂いを嗅ぎました、そして、その部分をしたで舐めたり口に含んだりしながら、ズボンを下ろしギンギンになった、あそこを夢中でしごいていました。
 ふと、後ろに気配を感じ振り返ると、母が立っていました。
もう、あせったとかいう次元の状態ではありませんでした。
「ああ、おわった。どうしようという気持ちと少しの恐怖感を感じました。父に言われたらどうしようなど」一瞬に頭によぎりました。そして、母が「なにしてるの?」と声をかけてきました。もう、どうにも、言い逃れなんてできる状況ではないのは十分に理解できていたので、正直に「母さんのパンティーでオナニーしていた」といいました。しばらく沈黙でした。やばいなあと、なんでこんなことしたんだろうと、後悔の念にかられていました。
 すると、母さんが「そんなものつかって」っと、ちょっとやさしい、感じで言いました。ちょっと、ほっとしました。
 学生の時にも、何度かしたことがあることを正直にいいました。すると、母はこまった顔をして、「そんなこともうやめなさい」といいました。
私は、もうわけがわからなくなり、最近母のこと思って、オナニーしていることなど全部いいました。すると、母は「ばかねえ」といってきたので、真剣に「頭の中がそのことで、いっぱいなんだ」といいました。
 すると、母は「とりあえずこっちきなさい」といいリビングにいきました。そして、「父さんと○○さん(妻)に、内緒にできる?」っと、いってきたので「言えるわけないだろ」とかえしました。
 すると、母は私をソファーに座らせたと思ったら、私のものに触れてきました。
 そして、ゆっくりと上下にさすりはじめました。私は、すごくうれしくなり、すぐにあそこがギンギンになりました。
今度は、握ってゆっくりとしごきはじめました。
 私は、「母さんありがとう、うれしいよ」といい「母さんの口でしてほしい」と言いました。
 すると、母は少し笑みを浮かべて何も言わずに、私のペニスをほおばりはじめました。
 すごく母の舌のやわらかさと、ペニスへのまとわりつき方など、今までに感じたことのない気持ち良さを感じました。
しばらく、フェラチオをしてもらい(ホントは、そんな長くなかったかもしれませんが、妻と父が起きてこないかきがかりだったから、長く感じたのかもしれません)ました。すごく、いきそうになりましたが、何度か口から抜き、「出そうになった」とか言い、いかないようにしました。
 「今度は、俺が母さんを舐めたい」と言ってみました。
そしたら、母はソファーに座り私が横に座り、母の耳元から首筋などを、舐めました。ときおり、「っうっうぅ~」と母の甘い声が聞こえました。そして、母の口元に近ずき、キスをしました。このとき、すごく母としてるんだ、という気持ちにどきどきしました。そして、舌をいれると母も舌をからませてきました。舌と舌をからませながら、母のパジャマのボタンをはずし、母の大きなおっぱいを夢中に揉みました。すごく、厚みがありやわらかく、乳首もちょっと大きめでした。母は、ぽっちゃりしていて、下っぱらも少しでていますが、それがまたやわらかくて興奮しました。
 そして、おっぱいを舐めまわし乳首を何度も口に含み、ちょっと歯を立てたり、吸いながら引っ張ったりしました。「母さんのおっぱい、大きくてやわらかくて最高だね」と声をかけると母はにっこりしました。
 今度は、母のパジャマのズボンの中に手を入れ、パンティー越しに母のあそこを触りました。
 やわらかく、すごくいやらしいきもちになりました。そして、ズボンがじゃまなので脱がそうとすると、母は腰を浮かせて、脱がしやすくしてくれたので、一気に脱がしました。
母の、股を広げ片足を私の膝にのせて母のあそこを撫でました。
 パンティーの上からも少し濡れてるのがわかりました。
母は、声を出さないように必死でいましたが、時々甘い喘ぎ声がもれていました。
 そして、おっぱいを舐めながらパンティーの脇から指をいれ、直接あそこをいじりました。すごく濡れていて、ぬっちょりしていました。
 もう、パンティーも脱がしたくなり今度は母の前に膝をたてる感じに座りパンティーを脱がしました。また、腰をうかせてくれました。
 そして、いよいよ母のあそこをまじかで見ました、母をソファーの前の方に座らせ、半分後ろに寝そべる格好にし、股を大きく開きました。母さんのまんこだ、あこがれてた母さんのまんこだと胸が高鳴りました。そして、我慢できずにすぐに、母さんのまんこに、吸いつきました。すると、母さんはすごく感じた顔をして、息が荒くなっていました。クリを舐めたりすったり、まんこに舌をいれたり周りを舐めまわしたり、私の口元が母のまんこ汁でぬっちょりしているのがわかり、なおさら興奮しました。そして、何度も「母さんのおまんこ汁おいしいよ」と言いました。そして、母の手を取りまんこに指を入れさせ、その指をまんこ汁でびしょびしょにして、その指を私が母の顔のすぐ前で、口に含みきれいに舐め、吸いとりました。
 すごく喜んでるようにみえました。
今度は、四つん這いにさせ、後ろから母のまんこを、舐めまわしました。母の大きなおしりが目の前にあり、窒息しそうなくらいに、母のお尻に顔を埋め、大きなお尻をしっかりつかみ夢中でおまんこをなめました。
 すると、母は小さな声で「入れて」といいました。
なんとも言えない感情がわいてきました、実の母に入れてと言われると、興奮もピークでした。
 そこで、母を仰向きにさせ上におおいかぶさるようにして、母の耳元で、「何を入れてほしいの?」とわざと聞きました。母は、「おちんちん」と言ったので、「どこに?」と聞き返しました。すると、母は「もぉ~いじわるぅ~」といいました。
 私は、母の耳元で「母さんの口からいやらしい言葉がききたい、誰の何を、誰のどこにどうしてほしいの?」といいました、すると母は、ちょっとの間があってから「母さんのおまんこに、○○のおちんぽぶち込んで」と、私が期待していた以上の言葉が返ってきました。普段の母からは、想像もつかないいやらしい言葉でした。
 もう、私も我慢の限界です。体を起して、ゆっくりと母のおまんこに、ペニスを挿入しました。それと同時に、母が自分の女なんだというような、優越感のような感覚がこみあげてきました。そして、何度も何度もピストンを繰り返しました。母のあそこは、きつくはないけれど、すごく気持ちがよかったです。出し入れしながら、おっぱいを舐めたり、母と濃厚なキスをしたりで、完全に父と妻のことが頭から抜けていました。今思うと、いきなり降りてきたらおそろしいですけど。
 そして、今度はバックからしたくて母を四つん這いにして後ろから、ガンガンつきました。
 母も、少し声が漏れていました。ときおり、声よりもお尻にぶつかる音をわざと立てながらしました。
 そして、いよいよ我慢できなくなってきました、母に「中にだしてもいい?」と聞くと、「生理終わったから、いっぱいだしていいのよ」と、いってくれました。「母さんきもちいい?」ときくと「すごくいいわ、母さんもう我慢できない」といってきました。
 私も、「もう限界だよ」というと、母は「一緒にいこう、○○のいっぱいだして」といってきたので、かなりのピストンで母を突きました。そして、母の「もうだめ、いく」と小さな声とともに、私もいってしまいました。
 かなりの量の私の精子が母のおまんこにはいりました。
そして、しばらくして抜くと、母のあそこから、私の精子が流れでてきたので、あわててティッシュをとり母のあそこにあてました。
 そして、不思議といってしまうと、母とのこの行為に少し罪悪感をかんじました。たぶん、母も一緒だったと思います。
 そして、母が「絶対に2人秘密だからね」といいました。
私も、「わかってるよ」言い、母とキスをしました。

告白(転載) ついに 投稿者:ひろし

近親相姦告白・体験
04 /15 2015
いくつになっても母を思う気持ちは大切だ。


ついに 投稿者:ひろし
38才にもなって未だに母を抱きたいと思っていた。
母は59才。タイトスカートが似合う気丈美容師である。

学生時代から僕は実家に帰るたび、母の下着でオナニーを
していた。洗濯前の下着は昔から洗面所の一番下の
引き出しに入っており、ここを開けるのが、僕の当時の最大の
楽しみだった。

そんな僕も結婚をして二人の子供を設け、しばらく母のことはわすれていた。そんなおり、今年の正月に家族で実家に
帰ることとなった。帰省は毎年してたが、その年は妻が同窓会ということで、子供二人と僕だけで帰省となった。実家へ着くと二人の子供は私の父(つまり二人のおじいさん)と遊びたくてわとわり付いていた。3人で近くの神社や公園へ遊びに行くこととなった。

そのとき、僕は昔のことを思い出し、そっと洗面所へ向かった。母は離れの美容院に行っていた。僕はあの洗濯前の母の下着を捜すため、ぬき足さし足で洗面所へ。
震える手で洗面台の一番下の引き出しを開けると……。
ありました。。。あの母の下着が…。しかもあの時と同じ
洗濯前の下着が。

僕はその下着を手に取り、匂いをかぎつつも、たって僕の
あそこになすりつけながら
息を荒げていた。

そこへ「ひろし、なにやっての!」と母が…。
弁解の余地も無かった。

すぐに下着を元あった場所に返し、
逃げるように自分の部屋へ帰った。

その夜は気まずい状態で夕食を共にした。
父と二人の子供は一緒に今夜は寝るようだ。

三人が寝て、さらに気まずくなったとき母が
「母さん風呂に入ってくるから、先に寝てなさい」
ようやく気まずさから開放され、
自分の部屋で寝ることとした。

しばらくうとうととしていると、静かに母が入ってきた。
「ひろし、寝てるの?」と話しかけた。
「いいや、寝てないよ」
「今日のことは…」
「いいのよ、…」
沈黙が続いた。
「お母さんもちょっと横になっていい」
「え、いいよ」と僕。
いろんな話をした。そろそろ寝ようかと、母のほうを
向いくと、ノーブラでパジャマから乳首が透けて見える。

寝るふりをして、母の胸に顔をうずめる。そんなに
大きくないが柔らかい胸だ。
さらに寝たふりをして、母に足を絡みつける。自分のあそこは
既に勃起しており、母もわかっているはずだ。

すると、母の手が寝たふりをしながら僕のあそこを
まさぐってきた。思わず僕は身震いをしてしまった。
その後徐々に乳首をなめる。わずかに母の甘い吐息画が
聞こえてきた。母は寝たふりをしながら、股をひらく。
なんとノーパンではないか。僕はさらに寝たふりをしながら、
右手で母のバギナをなでる。徐々に中指・人差し指・薬指と母の中に入れていく。「はぁ~」と母から声が漏れる。既にあそこはビチョビチョである。母はそれでも寝たふりをしている。「お母さん、いい?」と聞くと、わずかにコックッとうなずいた。僕はすでにはちきれそうなペニスを母のあそこに押し当て、奥深く入れた。「あ~ひろし、気持ちいい」と階下に寝ている3人を起こさないように、耳元で喘いだ。それから、充分母とやって果てた。最後まで母は寝ているふりを続けた。これが最大の母の誘惑なんだと思いながら、59歳の母を抱いた。

翌日母は、いつもどおり朝食を作り美容院へ行った。実家の脇で経営している美容院だ。いつものように子供たちは父と遊んでいる。

僕は髪の毛を切りにその美容院に行った。髪の毛を切ったあと洗面台に上向けになり髪の毛を洗った。
外の様子を気にしながら、母はそっと僕のズボンを脱がし
ペニスをなめ始めた。
「お母さん~」と母の頭を抑えながら、僕は母の口の中で
果てた。

帰りがけ、「また、いつでも髪を切りにいらっしゃい」と笑顔で送り出してもらった。

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。