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告白(転載) 母とのセックス付きの生活 投稿者:秀雄

近親相姦告白・体験
04 /16 2015
母とのセックス付きの生活 投稿者:秀雄
僕は母と母子相姦の関係を続けて7年になります。
今、僕は28歳。 会社員です。
母は僕の毎日の食事や身の回りの世話からセックスまで、とにかく仕事以外の僕の生活のすべての面倒をみてくれます。
僕が、まだ独身で誰とも結婚する気になれないのは、そんな母とのセックス付きの生活に満足しているからです。

しかし僕と母がセックスをするようになったのは、ある事件がきっかけでした。その事件がなければ、今、僕と母との関係は普通の親子でいたかもしれません。

それは、今から7年前の9月のことです。
当時、僕はまだ学生で、母は45歳。父は単身赴任中で、古い一軒家に僕と母と二人で住んでいました。

その日、夜7時頃でした。
パート勤めをしている母から「怖いから迎えに来て欲しい」と電話が入ったのです。

家の外では、夕方から警察の広報車やパトカーが頻繁に行き来して、「戸締りを厳重にして不要な外出は控えるように」とスピーカーで呼びかけていました。

テレビのニュースでも流されたので、知っている人も多いと思いますが、その日の午後、僕の家からさほど離れていない施設から受刑者が一人、脱走したのです。

警察の発表では、まだ付近に潜伏している可能性があるとの事だったので、人一倍怖がり屋の母が怖くて一人で帰れないと言ってきたのです。

車で母を迎えに行って、家に帰り着き、僕が自分の部屋へ入ったのはもう午後10時を過ぎていました。

寝ようかと思っているところへ、母が慌てて僕の部屋に飛び込んできました。

「お庭に誰か居るわ!音がしたの!」というのです。
見ると母は顔面蒼白でした。

急いで1階へ降りて懐中電灯で庭をくまなく照らしてみましたが、誰も侵入した形跡はありませんでした。

「大丈夫だよ」と母に安心するように言いましたが、母は怯えてしまっていて、「今夜は怖いから一緒に寝てちょうだい」って言い出したのです。

そのとき僕は、あまり深く考えずに「じゃあ、僕のベッドは狭いから、母さんの寝室のベッドで一緒に寝てあげるよ」と言い、1階と2階の戸締りを一通り確認して回って、母の寝室へ行きました。

母は照明を落として先にベッドに入っていました。
時々捜索のパトカーの赤い点滅が庭の向こうをゆっくりと通り過ぎるとき、暗い部屋の壁紙が赤く染まって、不気味な感じがしていました。

僕は寝るときは、いつもTシャツとトランクスで寝ているので、その格好でベッドの布団をめくって母の横に滑り込むと、布団の中で母の生温かい太腿に僕の膝が触れて一瞬、ドキッとしました。

母は怯えたように僕の方に顔を向け、「怖いわ…」と言って背中を丸めるように横になって僕の腕をつかんできました。

僕はそのまま目を閉じて寝ようとしましたが、母が息をする度に、僕の腕が母の柔らかくて温かい胸と下腹部に触れて、変な気持ちになり、勝手にペニスが充血し始めて、寝ようと思えば思うほど寝付けなくなっていました。

そのとき、突然、けたたましい音でベッドの横の電話が鳴り響きました。
母が電話に出ると、単身赴任中の父がニュースを見て心配をして電話をしてきたのでした。

母が電話を切って、ベッドに入ると、強い風が出てきて、窓のガラスをガタガタと震えさせました。

電線をうならせる、風の音に混じって、庭の植木鉢が飛ばされたような音がしました。
母が「いやっ!怖い!」といって、僕の首に手を回してしがみ付いて来ました。

僕はしばらく、そのまま布団の中で母と抱き合ったまま、静かに耳を凝らして庭の物音を聞こうとしましたが、僕の全身に母の全身がすがりついていて、母の頭が僕の胸に押しつけられいて、熱くほてった母のむき出しの太腿と僕の太股がからみあい、いつの間にかトランクスの中のペニスが、ギンギンに勃起してしまっていました。

僕の心臓は早鐘を打つように高鳴り、喉の渇きを覚えました。

そして……母は泣きそうな声で「ごめんね。母さん怖いから…」と小さな声で言いました。

僕は「だいじょうぶだよ…」と言って母を抱きしめました。

そのうちに、母は自分の下腹部に僕の興奮したペニスが当たっていることに気がついたのか、僕に抱きついている母の息がだんだんと荒くなっていくのが分かりました。

僕は思わず母の肩を引き寄せて「ねえ… キスしたい…」と呟きながら母の首筋から顎へ唇を這わせ、母の唇を探り求めました。

僕の唇が母の唇にかすかに触れた瞬間、僕は母にかぶさるようにして、母の唇に自分の唇を押しつけました。

あっという間に母の唇を押し開き、僕の舌を母の舌にからませました。

僕の胸の下で母の乳房がつぶれ、僕の恥骨が母の陰部に当たり、勃起したペニスが母の太腿の間で押しつぶされていました。

「だめよ……しないで……だめ……怖いわ…」
母は僕に唇を吸われながら、必死で、とぎれとぎれに言っていました。

僕は、母を抱きしめながら、母の「怖いわ…」と言う、怯えは、脱走犯のことじゃなく、僕のペニスが母の膣穴を貫くことだと知ると、異常に興奮してきて、無理やりにでも挿入したくて、どうにもがまんできなくなってきました。

母が、危険を感じて思わず腰を逃がそうとすれば、僕は母の内腿の熱くなめらかな肌に脚を執拗にからませて、勃起したペニスを擦り付けました。

風が、ガラス窓をガタガタと震わせるたびに、母の体が、僕から逃れようと必死にくねらせていました。

僕は、母との身体の間にほんの少しでも隙間ができるのを恐れるように……。
がむしゃらに母に覆いかぶさり、がむしゃらに唇を求めました。 

暗い部屋の中で、猛り狂った風のうなりに押しつぶされそうになりながら、母の身体に僕の体をすり寄せ、押しつけ、全身に、足の爪先にまで母を感じたかったのです。

僕は、片腕を母の首に巻きつけ、母の唇に唇に押しつけたまま、もう片方の手でほてった母の身体からネグリジェをはぎとり、そして最後の小さなパンティも、一気に両脚から抜きとりました。

僕は、母の乳首を吸いながら、右手の指で初めて母の秘部を触りました。

母も興奮し始めていたのか、無抵抗で声も出しませんでしたが、その秘部がヌルヌルに濡れていて、僕と母の気持ちが、一つになり始めていると思いました。

僕は自分が生まれてきた母の陰部に顔をつけて、その匂いを嗅いぎ、恐る恐るクリトリスや膣口をなめました。

母はクリトリスや膣口を僕になめられて、すごく感じているらしく徐々に脚を広げて腰を上下に動かし始めました。

母のその仕草を見た僕はもうたまらなく母に挿入したくなって、母の膣口を指で開くと、一気に母の膣穴の奥深くまでペニスを挿入しました。

母が「アッ」と言ったあと、唇をかみしめて快感に耐えている表情がとてもいじらしく見えました。

僕は、正常位で一気に母を激しく攻め立てるようにピストンして、射精感が込み上げてきた瞬間、思いっきり母の膣穴にペニスをこれ以上入らないほど奥まで差し込んで溜まっていたすべてを吐き出すように射精しました。

僕は思わす声が出そうになるほどの大きな快感と同時に、母を征服した喜びを全身で感じました。

その後、しばらくして自分を取り戻したとき、裸でベッドの上で横たわっている母の股間が僕の精子で汚されているのを見て、今、本当に母とセックスをしてしまったのだとうい実感に、急に罪悪感を感じました。

翌日、朝の光が射し込む母の寝室のベッドで目を覚ますと、母はもう台所で朝食の用意をしていました。

ベッドのシーツには昨日の夜のセックスの名残のシミがあちこちに残っていました。

僕が学校へ行く用意をしているとき、母はいつもと変わらぬ様子で僕のパンを焼いてくれ、僕が家を出るときは、母は見送りのキスをしてくれました。

僕は世界中の幸せを独り占めしたような気分になって、学校の授業中はずっと母とのセックスを思い出して、今夜も母をイカせてやろうと考えてペニスは勃起しっぱなしでした。
 
夕方、学校から急いで帰ると、僕と母はお互いの心を感じ取って僕たちにはもう言葉は要りませんでした。「……いいの……わかっているの……いいの……」

僕と母はお互いの体を隅々まで何度も何度も求め合いました。
僕は、母はもう自分の女になったと思いました…。

結局、脱走した受刑者はその3日後の夜、S県K市内の健康ランドにいるところを見つかり、K署に逮捕されたのですが…。
僕にとっては、その事件のお陰で、母とこんな秘密の関係を結ぶことができたのです。

その後、父が単身赴任先から帰省してきた時、僕と母は、何事もないように振る舞い、父がまた、単身赴任先に出かけると、僕は嫉妬に狂ったようにして母の体を求め、夫婦のベッドで幾度となく愛を注ぎ込みました。

その父も、今から5年前に病に倒れて他界し、今は母と僕と二人で夫婦のような生活をしています。
 
これは僕と母の二人だけの秘密です。
これから先も母と共に生きていくつもりです。それは、僕の生活のすべての面倒をみてくれる母…。
僕はそんな母とのセックス付きの生活に満足しているからです。

告白(転載) 父と離婚した母と 投稿者:MASARU

近親相姦告白・体験
04 /16 2015
父と離婚した母と 投稿者:MASARU
僕は離婚したお母さんと経験しました。

今大学生の僕はお母さんにずいぶん前からあこがれていました。50代で胸が豊かな中背のぽっちゃり系で名前は佳子といいます。お母さんとエッチがしたいと思うようになったのは僕が中学生のときでした。夏休み中のある日、僕はお母さんに海水浴へ連れて行ってもらったことがありました。そのときに見た乳房に僕はその後ずっと悩まされ続けてきたのです。というのもビーチでのお母さんはビキニ姿だったからです。大きい乳首をそそり立たせた胸のふくらみに僕は気が狂いそうになりました。

その日以来、お母さんとエッチすることしか考えられなくなってしまいました。おまけに、そのころの両親はエッチするとき大きな声を出すから困ってしまいました。しかも毎晩のようにそれが続くと、いよいよ僕の頭はおかしくなっていきました。

ある日、ポルノ雑誌を見ていると、「母子相姦」の記事がありました。『すごい…』と思いながらお母さんの乳房が目の前にちらつきました。その日以来、僕はお母さんのことを想いながら毎晩オナニーにふけるようになりました。

間もなく大学生になるという年に、両親は離婚して、お母さんは隣町にアパートを借りりて一人で生活するようになりました。

いつか遊びに来なさいと誘われましたが、学校の都合でなかなかいけなかった僕は半年後にお母さんのアパートを訪ねました。

アパートに着き、玄関のチャイムを鳴らすと、薄地のガウン姿のお母さんがドアを開けてくれました。

天気がいいので散歩をしてシャワーを浴びていたとのことでした。それを聞いた瞬間、いろいろな思いが湧き起こりました。ガウンの下のお母さんの裸が見たい!たちまち僕は勃起していました。

お母さんは朝食をすすめてくれて、ふたりでおしゃべりを始めました。僕の子供の頃の思い出話をしながら、昔から比べたらずいぶんと大きくなったものだわね、と言っていました。僕のほうから、聞かせてあげられるような話はあまりありませんでしたが、50代のお母さんおの色気に、あっという間に時間が経ってしまって、その日は泊まっていきなさいと言われてお母さんのアパートに泊まることにしました。

その夜、一旦、隣の部屋に入って寝ていた僕は、飲み物を探しに台所へ行きました。すると驚いたことに、素っ裸のお母さんが風呂場からいきなり出てきました。お母さんは僕にはかまわずタンスから新しいパンティを出してはいていました。バツが悪くて僕はあわてて部屋に戻ってオナニーしました。

それからしばらく経った先日、僕は再びお母さんのアパートを訪ねました。僕がすすめてあげたパソコンの使い方を教えて欲しいと、電話をかけてきたのです。

僕は白いスカートにシャツブラウスという服の下のお母さんの裸のからだを想像しながらパソコンの説明を始めました。

今日こそチャンスだと思った僕は片手をお母さんの太ももの上に乗せました。何するの、とお母さんが言いました。普段は内気な僕が、どうしたことか突然すべてを打ち明けました。お母さんは、そんなことばかりを考える年頃なのよと言って微笑んでいました。僕は我を忘れて抱きつきました。するとお母さんは立ち上がって、「そんなにしたいの!」と、隣の部屋へ僕を誘いました。

僕はシャツブラウスをむしり取りました。レースのブラジャーのフックを外すと、僕をあれほど悩ませ続けた大きい乳首のおっぱいがあらわになりました。

お母さんは僕のジーンズのもっこりした部分をさすり始めました。しばらくするとジッパーを押し下げて口をかぶせてきました。お母さんのテクニックはすばらしいものでした。

10分も経たないうちに、射精感が上がってきて、いきなりお母さんの喉の奥へドクンドクンと射精してしまいましたが、お母さんはそれを上手に飲み込んでくれました。

今度は僕が、お母さんを四つんばいにさせてスカートをめくり上げ、パンティを押し下げ、丸々とした尻肉をむき出しにして、仰向けになって股間に顔を入れると、腰を下ろさせてクンニをし始めました。

時々位置をずらせてアヌスにも舌を這わせました。舌先がアヌスに触れる度にお母さんはからだを反らせていました。僕はお母さんのアナルにも入れたいと思いました。

潤滑液が充分に濡れ渡ったころを見計らって四つんばいの姿勢の背後から一気におま○こへはめ込んで腰を送り込みました。

フィナーレは正常位でした。お母さんは声を出しながら身悶えていました。やがて鳴くようなよがり声を放って全身を痙攣させて昇り詰めました。僕にも二回目の射精感がせり上がってきて、お母さんのおま○この一番奥へ解き放ちました。

ところがお母さんはまだ満足していなかったようで、しばらく休んだあと、僕を仰向けにさせるとぺ○スを舌で舐めまわしてくれて、もう一度咥え込んだので、また僕は元気を取り戻しました。

そこで今度はアナルをさせてとお願いすると、あなたのお父さんにも一度もそこにはさせたことがないと言ったので、僕も女の尻で抜いたことはなかったけれど、想像できるその素晴らしさを懸命にお母さんに訴えました。

どうにかお母さんに承知させることに成功した僕は、肛門を舐めまわして滑りをよくしておいて、一度おま○こへ入れ直してたっぷりの蜜をつけたぺ○スをアヌスにあてがい、ゆっくりと腰を送り込んでいきました。お母さんは初めは声を出しませんでしたが、次第にうれしそうな声がこぼれ始めました。僕は一定のリズムで出し入れを繰り返し、挿入するたびに奥へ奥へと入れて行って根元まで入ってしまうとやがてお母さんのお尻の奥へ三回目の射精をしました。
最高の経験でした。

告白(転載) 白日夢 投稿者:まこと

近親相姦告白・体験
04 /16 2015
何事もなかったかのように振舞えるのが大人の女だ。


白日夢 投稿者:まこと
土曜日、父は休日出勤でした。

父が「いってくる」と母に声をかけ、ドアが閉まり、ロックを掛ける音がしていました。

僕はしばらくの間、ウトウトしながらパンツの中に手を入れて、固く勃起した肉棒をゆっくりとしごいていました。

「まだ起きないの~」と下から母のカン高い声がしました。

母が階段を上ってくる気配がしたので、パンツから手を抜き、眠っているふりをしました。

母が部屋に入ってきて、僕の布団をめくり、
「お昼になるわよ。もう起きなさいよ」と言いました。

目を開けると、スカートから伸びる母のむっちりとした白い脚が目の前にありました。

僕は途中でオナニーを中断してムラムラしていたので、無意識に母の太ももに手を伸ばして内側の柔らかいところを撫でていました。

それと同時に、母が僕のパンツが勃起で大きく膨らんでいるのを見つけて、

「これ、な~に?」

と笑って、ツン ツン と指先で触ってきました。

僕が「も~ 何、笑ってるんだよう」と、甘えて母の太ももに抱きつくと、母が顔を近づけてきて、おでこにチュッとキスをしてくれました。

「ねえ、暖かいから… 母さんもここに入って来て…」と言って母の手を取って布団の中に引き込みました。

布団の中で母の体に抱きついていると、母は大胆にも僕のパンツの中に手を入れて、僕の物を掴みました。

僕がたまらなくなって、母のパンティを脱がそうとすると、
「ちょっと…」
と、母が逃げ出しそうになりました。

僕は「母さんの中には入れないから…」と言いながら、母の体を押さえ込んで、無理矢理にパンティを剥ぎ取りました。

母はすでに割れ目を濡らしながらも困惑した表情をしていました。

僕は構わず母の足を開かせて、欲望でビンビンに勃起した肉棒を母の濡れた割れ目に押し当ててズブリと挿入してしまいました。

母は「だめよ!だめよ!」と、僕の腕を握り締めました。

僕は、母と体が合体していることに異常に興奮して、ガンガンと、ピストンを繰り返しました。

僕が激しくピストンすると、母の割れ目からパコ パコ パコと音がしました。

母は、僕に激しく体を貫かれて、眉の間にシワを寄せて「あっ あっ あっ あ~ん」と声を出していました。

僕は自分の快感の高まりだけを考えて腰を動かしていました。

すぐに射精感が高まってきて、身震いするような快感とともに、ついに母の膣内に射精してしまいました。

僕が射精する瞬間、母が「だ… だめよ! 待って…」と叫びました。

でも、膣内に出してしまった後は
「あ~あ… 」とあきらめたようでした。

僕が肉棒を抜くと、今まで僕の肉棒が入っていた母の膣穴は、赤く充血して僕の精液でヌルヌルと濡れて、とても淫らでした。

母が
「だめよ!もう中に出しちゃだめ!」と言いました。

「う、うん・・・」

と謝って、僕は母の体から離れました。

母は僕の精液でヌラヌラする割れ目を僕に見られるのが恥ずかしそうでした。

母は下着をはくとさっさと階段を降りていきました。

僕はなんだか気まずい思いがして、しばらく部屋にこもりました。

昼過ぎにリビングに下りていくと、母は何事も無かったようにしていました。

僕は白日夢を見ていたような気になりました。

告白(転載) 自粛してました 投稿者:麻美の息子

近親相姦告白・体験
04 /16 2015
自粛してました 投稿者:麻美の息子
 8日の晩、作戦大セイコウで、遂にお母さんに、正気のままでおねだりさせることが出来ました。僕自身も我慢していたので、本当はすぐ始めたかったのですが、お母さんの可愛い泣き顔が見たくなって、またこのパソコンで意地悪をしてしまいました。

 お母さんのねだる様子があんまり可愛くて、とうとう本当に泣き出すところまで焦らしてしまったので、そのままお姫様抱っこしてベッドに行きました。

 普段は、繋がっているところを壁の鏡に写して見せるのをすごく恥ずかしがるのに、「ほら、ひろ君と繋がってる。ひろ君のおちんちんを呑みこんじゃってるよー。」と、むしろはしゃいでいる様子で、ちょっと心配になったくらいでした。

 でも、何時になく積極的なお母さんに、僕も冷静ではいられなくなって、ベッドだけではなく駅弁スタイルで廊下を走ったり、お風呂場で無茶な体位をして危うく溺れかかったり、自分でも訳が分からなくなるまでやり続け、意識を無くすみたいに眠りにつきました。

 そして翌朝、眩しさに目覚めたときには既に学校が始まる時間を過ぎていた、というわけです。

 遅刻した学校から帰ってくると、お母さんが酷く落ち込んだ様子で待っていて、「こんな風に、貴方の学業の邪魔になるのなら、お母さんは我慢するために別々に生活するほうが良いと思う。」と、とんでもない話を持ち出したのです。

 僕としても、将来お母さんと一緒に暮らせるだけの収入を稼げるようになるつもりなので、勉強に差し障りが出ないように自粛する、セックスしなくても、お母さんと一緒に生活するこ自体が幸せなんだ、という気持ちを伝えて、計画的にセックスするという話に落ち着きました。

 毎日2時間位なら大丈夫だと思ったのですが、しばらくやりたい放題の期間が長かったので、期末試験までは休み前以外はしないという自粛状態をお互いに我慢できるか試して見なければ、というお母さんの意見で、今日までおあずけでした。

 学校から速攻で帰ると、お母さんがもうシャワーを済ませて待っていてくれました。もうパンティーが透けるくらいに出来上がっていたので、「自分で準備してくれたの?」と聞くと、「待ちきれなかったの。」と真っ赤な顔で小声で答えてくれました。

 そのまま玄関で、そのパンティーだけをずり下ろしてお母さんのグチュグチュになったおまんこにおちんちんをつっこみました。

 外の車の音が聞こえてくる場所で声を出してはいけないと自分の口を押さえて身悶えしているお母さんの姿に興奮してしまい、思ったほど長持ちしなかったので、続けてもう一回と思ったのですが、お母さんが、「お風呂と食事を先に済ませないと、途中切れになってしまうわ。」と言うので、お風呂に行きました。

 ご飯の後、おあずけがやっと解禁になったので、今度はゆっくり意識してねちっこくお母さんを可愛がりました。途中でお母さんが泣き出して、「いつまでも離さないで。ずっと可愛がって。お願い。」と言ってくれたので、「もちろんだよ。お母さんはずっと僕の女だよ。」と答えました。

 お母さんは、もう起きているのが難しい様子なので、今夜はもう寝て、明日の朝、明るい光の中で抱かせてもらおうと思います。

特命5

妄想
04 /16 2015
「K室の予約状況はどうですか?」
「最近は落ち着いたみたいで月に1回程度、N君のご家族が利用していますね。」
「そうですか。N君もだいぶ良くなっているみたいですからね。」
「みなさん上手に活用してもらえれば何よりですわ。」
ゲストルームのうちK室だけは構造上、寮の玄関からではなく別のところから出入
りするようにしてある。ご家族への配慮からだ。ただし寮母の部屋からは直接玄関
にいけるようにしてあるが、利用者には伝えていない。
「どうぞ。」
玄関の鍵を開けると寮母は私を招きいれた。
「エロ夫さん・・・。」そういうと寮母は私にキスをせがんできた。
「Y子さん。」そう言うと私はY子の口に舌を伸ばした。
「うぐ、エロ夫さん、もっと強く抱いて。」
「いいですよ、Y子さん。」
やや華奢なY子を強く抱くと壊れてしまうかもしれない。私は力を加減して抱きしめた。
つづく

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。