2ntブログ

小説(転載) 美熟女義母 の体内で娘婿の性欲がうずく(裏口入学)

官能小説
09 /26 2018
掲載サイトは消滅。読みにくいがそのままとする。
    美熟女義母 の体内で娘婿の性欲がうずく(裏口入学)

 夏の蒸し暑い日、古風で由緒あるお屋敷に、45才になるの民子は、クーラーもかけずに半透明なシミーズをまといで吹き込むそよ風を冷房代わりに、大きなお尻を上にして、畳の上で小説を読んだ後は、学校の経理状況に目を通すのが、夏休みの日課になっていた。
 夕方になると、シミーズの上にワンピースを纏い、サンダルをつっかけて長い坂を下り、行きつけの八百屋でいくばくかの食材を仕入れ、手早く夕食を作って、養子の昭夫と娘の小百合の帰りを待つのが日課になっていた。
 料理を和室のテーブルに並べ、またいつもの姿に戻り空虚な時間が過ぎて行くのである。
 夕日がかげり、高台から眺める遠くの山の輪郭が墨絵のようにかすんで見える情景を民子は、自分の人生になぞって妄想していた。
 自動車のドアを閉める音。寂しく薄暗い屋敷に沈黙が消えたように思いた。民子は耳を澄まし足音を聞いた。男の足音だ。いつも帰りの遅い昭夫である。「ただいま」
 長距離トラックのドライバーで今日は、キャンセルがあったため帰ってきたとのこと。
 民子はなんとなく機嫌が悪い。昭夫は、どのような出方をしたらよいか迷いながら、民子の差し出す食事を思案にくれながら口に入れた。どうもおかしい。
 今日の民子はシミーズをまくっている。
 太ももが、長く出ている。胸元もいつもより大きく開いて白い柔肌が露出している。それもそのはず、亭主が死んで数年、女盛りを棒にした苦しさがにじんでいるようにいじらしく、昭夫は食事をとっていた。
 昭夫、お風呂に入りなさい。
 昭夫は思いきった。お義母さん、先に入って下さい。今日はお義母さんの背中を流してやるよ。湯船で温まる民子、15分ほどして昭夫が入ってきた。昭夫の目にすばらしい民子の体が映った。昭夫は一瞬女体の魅力にとまどった。
 親子でも妻の小百合より、45歳の民子の成熟した体が昭夫の目に数段豊満に映った。昭夫温まりなさい。民子は湯船から出た。
 お義母さんすみません。昭夫の体の一部はどうにもならなくなっていた。民子はそれを見て、うれしそうに微笑んでいる。それから、昭夫は民子の体全体を、やさしく石鹸で洗った。特に内股や、首や、乳房、腰は重点的に手ぬぐいで洗った後、素手に石鹸をつけ何度も洗った。避けたつもりが、バットが民子の乳房にぶつかってしまった。いっしょに湯船に入り、民子を膝の上乗せて30分が過ぎた。ふっくらとした女の柔肌が昭夫に伝わった。
 湯船から出て、うっとりとして昭夫に寄りかかる民子を、乾いたタオルでやさしく拭きながら、女の柔肌のぬくもりを感じていた。体の温かいうちに、全裸の民子を、お嬢さん抱っこでベットに運こんだ。お義母さんお休みなさい。昭夫は名残惜しく挨拶をした。もうすでに民子のエンジンは掛かっていた。1時間も義理の親孝行をしてしまった。民子の数年のブランクが許すわけがない。早く、こっちにいらっしゃい。民子の笑顔や豊な乳房、プチプチの太ももが呼んでいる。昭夫だってやり場のない苦しみは早く処分したかった。渡りに船である。
 初めて接触した小太りな民子の暖かく柔らかい感触は昭夫の脳裏の奥に一生忘れない程、深く刻み込まれた。元々昭夫は、スマートな体形の女性も悪くないが、どちらかと言えば太った女性に魅力を感じていた。民子は昭夫の望んだ小太りの健康的な体形から作られた、柔らかい肌の感触がたまらなかった。勿論年齢差による体型変化にも従う余地も大切ですね。
 小百合と比べると、どうしても民子の方が太っているので具合がいい。小百合は、ガリガリした理事長の体型を引いていたようである。無理なダェイットをしている女性の気持ちを昭夫は理解出来なかった。スマートな体型もやぶさかではないが、豊満な基礎体力から生ずるふっくらした柔肌の感触が昭夫を虜にした民子である。
 しばらくして、小百合が帰ってきた。
 お母さんいつもよりきげんがいいね。
 次の日からは、小百合が居ないと、畳に寝そべって小説を読む民子の大きなお尻をさわり、スケスケのシミーズをまくって太ももをひろげ、思いを通した。
 やはり、秘め事はいつかばれる。
 変だ、おかしい、と妻の小百合は感じ民子に問いつめた。民子はやむを得ず白状した。それもそのはず、小百合は昭夫の強引な欲望に嫌気が差し民子に相談していたのである。このまま行ったら、小百合の出産時などに、欲求不満が重なり、昭夫が浮気をしかねない。
 昭夫に欲求不満を持たせている小百合の責任は親にもあると民子は悟った。昭夫の乱暴な欲望に苦しんでいる娘を見かねて、親の民子が受けて立ったのである。民子は親として、昭夫の強い欲望を受けとめる身代わりをした。これで小百合は夫の浮気の心配が無く安心して出産できるのである。
 また、乱暴な欲望を全部民子が吸収のしたため昭夫はおとなしくなり、小百合は生気を取り戻し幸せな妻になった。民子は必要な時だけ昭夫を小百合に返した。親である。
 でもすぐに、昭夫は民子の所にきてしまう。やはり民子がいいのである。小百合の乳房はぺチャパイで薄く申し訳程度に付いているみたいである。それに比べると民子の乳房は、丸くふっくらと盛り上がり、程よい大きさである。民子だって昭夫の強い欲望を心待ちにしている。
 家庭内の欲望を民子は吸収して、温和な家庭になった。
 民子にしてみれば、昭夫は自家用無料独占ホスト的利用法である。
 小百合と民子は、生理が丁度約14日ずれる様に調整して、お互い生理前の10日は優先的に昭夫をまわすようにしたり、気乗りしない時はいつでも交代した。二人とも気乗りした場合はジャンケンで決めたりした。二人同時に気乗りしない時はめったにないので、昭夫は不自由なくできた。
 親子の絶妙な譲り合いと相談によって、強いな昭夫は操縦されているのである。二人でかかれば、いくら強い昭夫でもおとなしくなるようである。でも民子は罪悪感が少なかった。じつは、小百合は好きな人の子ではなく、泣き泣き生んで育てた實子である。それよりも、45歳にして、25歳の昭夫に心おきなく扱われる満足感は、娘にも譲りたくなかった。
 思えば27年前、大学入試の時である。
 父母の強い勧めで受験したが、不合格。その後ある人に入学依頼をした。
 しかし、簡単に入学できる問題ではない。ある人も頭を悩まして、学長に相談したが、学長がそんなことをしたら、学長の信用にも関与しないとも限らないと心配して学長は、話を理事長に相談した。理事長は出資者であり、不祥事には立場が強い。理事長は、民子に会って親御さんに話した。身体検査だけで合格させましょう。
 娘さんの身辺は私が責任を持ちます。よろしくお願いいたします。
 合格通知は、身体検査終了後直ちにお届けします。合格を祈ります。
 民子は身体検査のため裸になった。身長、体重胸囲、それにウエスト、ヒップ、股下の長さ、腿の太さ、等が計測された。
 胸部レントゲン検査、内蔵や子宮の超音波等をした。特に子宮はあらゆる角度から入念に検査された。
 次は個人面談として理事長室に入った。鍵が自動ロックされた。
ここにそわりなさい。理事長の膝の上にのせられた。動かなければ合格だよ。まず、口臭を理事長は鼻を鳴らしてかいだ。ブラジャを外し乳房の形や弾力やさわり心地を確かめた。次はお尻の抱き心地を確かめた。
 一時間後胸部レントゲン検査と超音波検査は異常なしの連絡があった。特に子宮の検査データは十数枚に及んだ。
 理事長は、つぶさに読み、医師に十分な説明を求めた。
 医師はいった。女性として、形や質も最高です。妊娠はしていません。膣の形も厚さや筋肉構成もいいです。もちろん汚れを知らない処女です。
 それから、体臭のガス分析をしました。特に細菌性排泄物臭もほとんどありません。検便、検尿も異常ありません。心電図や心臓の超音波エコーも問題ありません。視力は弱いです。弱視は遺伝する可能性も考えられます。お心にお留め下さい。異性に目移りしないので怪我の功名と諦められるのもいかがかと存知ます。私の立場からみれば、類を見ない最高点の合格点です。
 ありがとう。
 これからが、本番の試験だと理事長は言った。
 高級車は、高速道を走り大学の保養所に着いた。出迎えたのは、気の利きそうな、女性管理人。お風呂沸いているかい。すぐお入りになれます。風呂から上がり、寝室に入った。
 理事長の顔に似て、先が小さく根本の太い精悍なおしべは、おとなしい民子の花びらの奥深くに分け入り、民子に合格印が打ち込まれた。
 理事長は、体格のよい美女をものにしたことに満足した。
 民子はあまり勉強をしなかったのである。
 それもそのはず、子供のころから悠悠自適に育てられ、勉強もあまりしていなかった。もし厳しく勉強していたら、多くの体力を消耗したり、勉強のストレスのため、こんなに見事な体格になっていないはずである。またこんなところにこなくても入学できたはずである。親の願望の強さにも無理がある。理事長は思いを遂げた。両親の元に念願の合格通知が届いた。
 おめでとう、よかったね。民子は喜ばなかった。父母の手放しで喜ぶ顔が、うとましかった。どうしてこのくそ理事長め。
 やはり、現理事長は昔、前理事長の一人娘の所に無理やり婿入りさせられ泣き泣き祝杯をあげた苦しい思い出がある。好きな人とも引き裂かれその後悔は一生付きまとった。
 55歳の理事長に対して妻は15歳年上の70歳である。理事長には、子供がなかった。
 引き裂かれた好きな人は、5人も可愛い子供がいた。当校に全員合格で成績も優秀であり、みんな一流企業に理事長が推薦して正確な業務調査能力が買われ重任を課せられている。就職先の創業30周年式典に、好きだった人の子が会社代表で挨拶した。
 「私事で恐縮ですが、私の出身校は理事長を始め人格形成能力に優れていたため、業務を行うための大切な基礎になりました。」と挨拶した。
 成し遂げなかった人の子の、立派な挨拶を来賓席で目頭を暑くして聞いた。祝宴中その卒業生がお酌に来て、この人が私の母です。紛れもしない裕子であった。お互いに始めまして、と虚礼を言ったものの、やはり顔がなんとなくこわばっていた。
 裕子の子供はみんな立派になったというのに自分はどうなんだ。理事長の椅子があっても子孫の居ないやり場のない不満がつきまとった。
 そこに現れたのが18歳の民子だった。理事長と民子は、年齢が37歳も離れていた。
 2年程して、民子に小百合が生まれた。学生出産である。民子を学校の職員家族寮に住まわせ、休学の手続を理事長が取った。理事長はケチなので、マンションを借りないで、家賃の安い家族寮を使用した。一緒に住んでいる教職員家族も陰で噂話をしていたため、民子はいつもひきこもっていた。理事長にしてみれば、民子が外出しないので、使いたい時に使えるので好都合なのです。
  いくらお囲いでも、遊びたい盛りの娘を、いつも寮に閉じこめておくと、心理的抑圧で美貌が台無しになると楽しみが半減するので、時々エステに行かせたり、月1度程度は派手な洋服を着せ、美術館や、海等に連れて行った。半年に一度位はハワイで好きな物を買わせて、夢と希望を与え、現状に満足させ、目の輝きの肥やしにして美貌を護り、柔らかい体質に改質して、艶のある肌に仕上げてから、理事長の鋭く精悍な欲望は、豊満で柔らかく、従順で抵抗を知らない民子のを奥まで通し理事長の命令で周りから締め付けさせた。家畜でも、栄養価のある餌を与えて柔らかな肉質に育てるのと変わらない。

1年休学後、復学。通学中は小百合を職員家族寮内に設置した当校保育学部実習保育園に保育を任せた。理事長の一人娘ということで、園長も小百合に気を使って保育した。
 数年後理事長の奥さんが癌で亡くなり、死亡届と同時に民子との結婚届を出した。民子の両親は大喜び。結婚届を出した直後のことである。
 週間目玉に、全裸の民子を理事長が保養所で、お嬢さん抱っこしている写真が盗撮掲載された。全裸の民子の肉体は名画から浮き出てきたように、豊満に映っていた。「学園理事長が裏口入学と引き換えに、若い娘を強姦して愛人にした。」と書いてあった。週間目玉は飛ぶように売れた。
 誰かが、週間目玉に情報を売ったらしい。いくら週刊誌でもそこまでは分からないはずである。
 また、民子が妻として昨日入籍済みであることも週間目玉は知らなかった。
 学園内に週刊誌から破きとった民子の裸体写真をを貼るやつがいた。学生は、理事長と民子の掲示写真に群がって見ていた。教授は、群がる学生を掻き分け、民子の写真を大変な勢いで引き剥がした。
 学校では、学生や理事長の手前、週間目玉の写真を粗末に引き剥がしたものの、学校の帰り週間目玉を駅の売店買い、写真のページを切り取り、カードケースに入れて、机上に敷き毎日民子の豊満な映像を鑑賞していたのである。
 学園内の動揺をさけるため、理事長が校内放送をした。
 「実は、あの報道は事実です。もうひとつ、民子は私の正妻として入籍しています。
 私は、学校経営者の一人として、不正入学防止や経理の適正化等、学校の質を高めることに全力を尽くしています。今回は、裏口入学の強い要求に譲歩してしまったのは、私の考えが甘かったと反省しております。
 私自身、この学校に入学入学するとき、毎晩午前2時ごろまで受験のため勉強しました。家庭教師を雇う金など到底ありません。夜近所でお祭りがあっても、勉強のため、入学のためと思い、見に行く事も出来ませんでした。休日も返上で勉強しました。
 友達は、休日を利用して山や海に行ったり、デートしたりした人もおりました。その苦難があって合格通知をいただきました。
 ところが、入学直後重い病気を患い2年間の休学をして療養しました。勉強の無理がたたったのです。学校にはまだ休学理由の記録があるはずです。
 ここにおられる皆さんは、晴れて合格された方々です。大多数の諸君は多かれ、少なかれ私のような経験をお持ちの事と思います。現代では栄養もよくなり、勉強部屋にも暖房も備わっていることと思われるので、私のように2年も休学して闘病したり、父母に心配をかけた方はいないとおもいます。
 この様に、地道な努力をして入学された方の中に、単なる裏口入学者がいたら、不公平でしょう。私達は皆さんに示しがつきません。遊びたい気持をこらえ勉強して、合格している反面、楽をして合格した人がいるとすれば、我慢して勉強するのが馬鹿らしく思われても仕方ないでしょう。また、このような楽をして得するような不公平は、学内だけでなく、社会的にも通用してはならないのです。
 私は、学校管理者として不正入学を決して許さない強い決意があります。今回の、報道についても、不正入学防止のため、彼女を頂いたのです。
 これでお分かりでしょう。入学はしたものの、それ以上のハンデを背負っているのです。私の妻は、当校に入学したのの、37歳も離れた私のような、お爺に青春を捧げているのです。無理な入学欲がなければ、もっと自由な青春と遭遇していたでしょう。
 皆さんは、こんなことまでして無理な入学をしたいとは思はないでしょう。
 私は、出来る限り基本的には公平にしたいのです。自分の条件相応の目的を持つことが一番いいのです。これで私の学生諸君に対する弁解と致します。」
 学長は、断われ切れずに処置を理事長にお願いしたため、頭を下げているだけであった。
 週間目玉に対しては、法学部の法学博士10人が選抜され各専門分野を再勉強して対応した。法学部長の席が空席のため、効果を上げた教授を法学部長に選抜する機会でもあった。
 経済学部では、週間目玉の経営状況や融資銀行を調査した。卒業生が就職している銀行から経営情報も入ってきた。銀行でも、週間目玉の報道の行き過ぎが話題になった。融資担当重役から支店長に、週間目玉に追加融資をとめ、早期返済を求める様、通達があった。資金難に迫られた週間目玉の記事は、拡販のため裁判沙汰になるようなものが多くなり、被害者会が連絡を取り学校も協力して一斉に告訴したため、裁判費用が無くなり廃刊になった。
 
 学校では、週間目玉に、卒業生が流れて就職していないか、念のため調査した結果一人いた。理事長が再就職の労を惜しまずに尽くした。放送局も経営する報道現代社の情報開発部の総理大臣担当部に再就職した。
 数年して再就職した元卒業生は勤務先で成果を上げた。
 国益、民益に率直な総理大臣の政治思想を正確に報道して、文部省で創設した報道文化賞を頂いたのである。「総理の思想を正確に報道したため、別派閥からの反対者がいなくなり、国議の素早い決議、省庁の組織変更もきたんなく行われ、公務不正を防止する人材選抜方法の確立、公民一体となった生産性向上支援組織の確立、駐車違反のゼロ化や交通信号の一体連系制御法の確立で、交通事故や不要停止の激減などが実現した。国民の生産性があがり、犯罪が激減し、健康や福祉の増進に報道分野における多くの功績を賞するものである。」長すぎる報道文化賞の表彰分である。表彰状では、表彰本文は裏に記す。となっていた。
 また創設された、総理大臣の最高の格式のある飲遊会にも招待された。
 総理ともなれば国民や世界のために1秒の無駄もなく全力を尽くすのが総理の役目。緊急報道を受ければ、休日ゴルフのカップイン一打でも打たずに、概要を携帯電話で聴き、便所も我慢して官邸に戻る総理車は、パトカーの先導で時速150kmで高速道を飛ばし、緊急情報本部からの情報を聴き、緊急対策本部員の集合など車内から指示を出し、官邸到着時まで爾は、緊急対策要因は、全員緊急事態情報を取得、対策原案を緊急作成して席に付いているのである。
 緊急報道には、報道現代に再就職した人からの現地報道情報や静止衛星からの映像も民放デレビで放送され見ていた。5分後公営テレビでも報道現代からの情報を借用全国放映した。
 公営テレビでも同じ画面がつかわれ、報道現代の組織力が総理に高く評価され重要な検討資料にもなった。このように職務に全力を尽くしたため、飲遊会に招待されたのである。飲遊会は、総理の政治目標のため、全力を尽くし人だけを招待する、総理の個人所得を使い寄付を集めない総理の私見的な会である。また、選挙目当ての安飲み会とも趣が異なる。
 いくら私見であっても、国民のために尽力した一人一人の業績を、詳細に検討したものである。私見機関だからこそきたんなく公務に徹する組織を自由に構築出来たのである。そのような私見機関だからこそ、総理の再選は有望であった。
 総理は、アメリカとの友好関係を親密にして、アメリカからの信頼を深くした。アメリカでは、総理の再選を応援するため、再選前に日本の株価を操作して、株価を上げてくれた。総理や政治姿勢を考慮して景気浮上策にも理解を頂いた。総理の景気浮上策が効を奏したものと国民に思わせることを意図したのである。
各報道機関では、一斉に株価報道に余念がなかった。一時的にでも株価が上がれば、手放したい事情の人には好都合である。アメリカでも、総理が再選されれば、国益化に寄与する事が期待さかもしれない。
 情報現代社では、株価動向報道に対して、慎重に扱い。経済人の意見や予見を掲載する事は控えた
 理事長は、報道現代に深く再就職を懇願した結果、再就職先での活躍を確認したうれしさが昨日のように思われた。
 その後、この学校には、不正入学を希望する人も、口利きも来なくなり、公正な経営が社会的に高く評価された。もう不正入学対策本部を内部組織することも、文部省に不正入学対策を相談することも本校では不要になった。その裏には、理事長の苦肉な方策が効を奏したともいえる。しかし個人的には民子の美しさに、生殖本能が負けたともいえる。

 その20年後、夫とされる理事長も服上死で死んだ。
 脚を開いている民子の上に理事長の70kgの重い遺体がのしかかってきた。
 民子は何とか、重い理事長の体を下ろしかった。
 大きな物がしっかり入っている。脚は開いている、両手で抱きつかれている。
 民子は何とか、重い理事長の遺体を下ろしかった。
 非力の民子は、いくら力をいれてもびくともしない。
 
 朝まで遺体に抱かれていたので便所にも行かれなかった。
 いくら好きでも、死後まで抱いていられる人はめったにいない。
 すでに、理事長の顔はこの世の人の顔ではない。体温もすでに、低下している。
 民子は重い仏を5時間も抱いてしまった。
 全開にされた脚はどうにもならなくなっていた。
 ついに民子はキャーと大声を上げてしまった。
 小百合が入ってきた。理事長の遺体の下でつぶれている母親の姿を見るなり、悲鳴を上げて出て行った。
 30分位して、救急車が来た。救急車だって、こんなの例が稀少で処置に戸惑った。
 恥ずかしがる民子に気使って何とか、処置した。救急車も、活動報告作成に困った。
 民子の脚は痛くて歩けなくなった。救急車で入院した。
 薬用浴やマッサージ等のリハビリを受けた。

 理事長は20年間若く美しい民子を、生き人形代わりに抱いた
 ご丁寧に死後まで、抱いてしまった。

 民子は、学校の出資金を、法定相続人として相続して現在になった。若い理事長である。
 
 小百合が、昭夫を連れてきた時、民子は快く賛成した。それには理由がある。昭夫は長距離トラックの運転手をしているのが気に入った。
 民子は理事長である、学内や関係先に声を掛ければ理性の高い相手に見合う機会に恵まれていたはずである。しかし民子は、小百合の連れて来た昭夫を一目で気に入った。それは男らしい体格と、穏やかで力強い性格を悟ったからである。それよりも大切なことは学内の優秀な若者から良縁があった場合、理事長の椅子を娘婿に譲る可能性が大きいからである。民子は出来ることなら、小百合に継がせかったのである。そこに現れたのが、長距離トラック運転手をしていた昭夫であった。学校の事情に詳しくない昭夫なら、理事長の椅子を昭夫に奪われる懸念も少ないのである。
 おまけに男らしい体格とくれば、民子だって気が弾んだのである。
 昭夫も独身の民子を初めて見たとき、民子の赤くなったかわいい顔、女らしい体形は、丁度NHKの加賀見幸子アナウンサーに良く似た美しさであったので、一目で昭夫は魅初(みそめ)てしまったのである。
 民子も昭夫からの返事を心待ちにしていた。
 民子に近付きたい下心で昭夫は小百合との婚姻を受けたのです。まさに縁はいなもの味なもの。母親の魅力でお婿さんを獲得した小百合であったが、小百合にしてみれば、自分を的にしていない昭夫であった。 
 ある日、民子は、昭夫と結婚式の真似事を計画していた。
 一度でいい純白なドレスを着て好きな男に寄り添って見たい。相手は娘婿だってかまわない。「昭夫さん私と、結婚式しない。」好きな民子の誘いに昭夫は戸惑いながらうなずいた。
 民子は式場予約や、新婚旅行用に使う高級車FM-Vの整備の発注に急がしかった。
 小百合に言った。一週間旦那を借りるよ。小百合は変な目で見ていた。
 式当日、式場に民子の老いた父母が来ていた。民子は純白なウイデングドレスを着て楽しそうに昭夫の出てくるのを待っていた。
 前理事長の餌食になった、だけあって、すべすべした可愛い顔、盛り上がった乳房、円やかで大きなお尻、吸い込まれそうな太股、長い脚が待ち合わせ椅子に座る民子のドレス姿を引き立てていた。
 どう見ても45歳とは見られない。30歳半ばの容姿である。
 式場の職員がおめでとうございますと丁寧に頭を下げて通る。
 昭夫が出てきた。民子の両親と4人で神前に行き礼拝を受け御神酒を頂いた。民子は昭夫に寄り添って、少女のような、あどけない笑顔で写真に収まった。
 変則的な行動とは申せ、民子のうれしそうな顔を見て、民子の老いた両親は、25歳の昭夫に民子をよろしくお願い致しますと丁寧に頭を下げ、泣きくずれた。どこの親も娘が45歳になっても娘可愛さは変わらない。
 昭夫の両親は来ていない。昭夫には、小百合とゆう正妻が居るため、こんな馬鹿げたことは、キッパリと拒絶したのである。
 しかし、民子の両親は、娘の結婚衣裳を見なければ死んでも死にきれない気持ちであった。本懐を遂げたような妄想に走った。
 今夜は式場のホテルに4人水入らずで泊まることにした。
 アルバムを広げ民子の昔話に花が咲いた。
 一夜があけ、カラットした良い天気である。
 昭夫は、高級車FM-Vで民子の両親を身を寄せている民子の実弟である民市の自宅に送った。その間、民子は荷物をまとめ、積み込む準備をしていた。
 さあ待ちに待った新婚旅行の出発である。行く先は27年前の保養所である。
 民子の運転する高級車FM-Vは高速道で風を切った。
 8チャンネルのカーステレオサウドのハーモニーが、快く二人を包ん
だ。最新式のカーサウンドである。演奏前3秒間だけ試験音を出し、残響時間や、干渉性を測定して、位相調整や残響時間条件を記録する特許方式である。気温や車中の条件に合わせるため演奏毎に行うのである。業者用語では、音場条件自動校正システムと勿体ぶって言われている、最新のマルチチャンネル・ハーモニック・サウンドシスムである。
 高速道から眺める景色は、好天の日差しを鮮やかに受けて、流れている。
 民子の目にうっすらと涙が浮かんでいる。27年前のことが走馬灯のようにに思いだされては流れるのである。
 今日は学生服ではない。頭や顔だって最高のエステで美容してもらった。膝上20cmのミニスカもスーツだって学校出入りの業者に高級品を探させたものである。化粧品も、香水も最高級品である。でも民子は、化粧をしなくてもきれい。香水をつけなくてもすばらしい体臭が漂うのである。やはり、理事長が鼻をならして臭いを嗅ぎ合格させただけのことがある。
  隣に座って居るのは、理事長ではなく、25歳の昭夫である。
 昭夫の視線が、いつも民子の太股や、ブラジャを見つめている。
 昭夫は一滴残らず私のもの、満足感が民子の心を慰めた。
 保養所に着いた。周りには、まばらに住宅が出来、コンビニもできていた。
 例の気の利きそうな管理人も年を取り、背中が少し曲がっていた。
 理事長さん、お風呂にお入りになれますよ。民子が言った。離れは空けておいて下さいね。
 もう民子の肌は張り切っていた。昭夫、一週間私のものだよ。夜も昼もないんだからね。小百合にはちゃんと言っとくから。
 今度は、民子は泣かなかった。
 やはり、2人で風呂に入り、民子の体をよく洗い、全裸の民子をお嬢さん抱っこで寝室まで運んだ。週刊目玉は倒産したので盗撮されなかった。
 民子、可愛いよ。昭夫の本音が民子の耳元でささやいた。
 暖かい柔肌をそっと抱き、民子のエンジンを掛けた。
 昭夫の微妙なフィンガータッチを民子は解読して昭夫の望む体形になり、あどけなく満足した小さな顔、白く豊満な体は生きた女体人形のように動いた。勿論民子にしてみれば、昭夫の調教に従って、最高の満足を得た経験から、昭夫の調教を期待していた。
 学校では、不祥事を早く見出し、ピリッと指摘する危機管理能力は、独身の学長でさえ近付き難い怖い存在である。ある教授が学校に内緒で、学習塾の理事を闇兼務していた。その学習塾生の合格者が異常に多いことから無届勤務を確認したのも民子である。
 そのような、こせばい行いをした人には、裁量を要する業務や対外業務は民子から下命されることはなくなった。
 学校が行うサービスも対象外とした。席も重要事項の聞こえない離れ場所を当てがった。
 理事長席に就くと、こんな厳しい一面を具える民子。

 昭夫との時間は、めろめろな女に戻るのである。
 まるで、インスタントラーメンにお湯を差すような変わり方である。
 息使いが多くなり、民子は昭夫をしっかりと抱きしめた。
 ころあいを見て、昭夫は、好きな民子におしべを押し込んだ。
 昭夫のおしべは、理事長のものとは正反対で、先が大きく根本が細い鈍器である。昭夫の性格通りの形である。太い先のおしべを押しこまれる醍醐味は格別に感じた。根本が細いので、思い切り締め付けることができた。快感度では理事長のものと比べ物にならない。いやな経緯が、昭夫との遭遇ルートになり、今の幸せで民子は人生の悔いを捨てた。
 経産婦のしなやかなめしべは、昭夫のおしべに密着した。
「民子の雌しべは最高だよ。」昭夫はしなやかな感触の雌しべをほめた。民子の可愛い声、美しくなった顔を見て、昭夫は言った。民子、天使より可愛いよ。民子はまた可愛くなり、にっこり笑った。
 民子の心は、見渡す限り鮮やかな色彩で咲き乱れる花園の中をどこまでも空中散歩していた。
 民子の柔らかい体が薄赤くなり行火(あんか)のように熱くなった。熱くなった民子を生きた行火代わりに抱いた。
 息使いが荒くなり、しっとりと汗がにじんできた。二人の肌は、しっくりと密着した。30分が過ぎた。張り詰めていた昭夫のおしべから花粉が民子の奥深くに撃ち込まれた。

 おしべの先端はめしべの底に密着していたので、花粉は行き先を失い民子の子房の中に流れ込んだ。
 民子のめしべは、すかさず、好きな昭夫の花粉を一滴も逃すまえと締め付けた。
 昭夫は、そのまま幾度も強く抱いた。民子の顔が天使よりも美しくなった。二人は下手な夫婦より慈しみのある関係になり心も体も緊結された。

 民子の夢にまで見た慈しみのある結婚は、大変遅くなったが形を変えて夢に見た以上の、慈しみのある愛に満ちた生活に辿りついたのである。

 生きていて良かった、こんな私を生んでくれた、お父さん、お母さん有難う。無理な入学をさせられたり、好きでない理事長の欲望の対象にさせられたり、一時は親を恨んだこともあった民子であった。
 でも、そんな辛さは、昭夫との満ち足りた愛によって遠い過去として薄らいでゆくのである。

 民子は昭夫の精力を余るほど吸収し、生きる悦びと二人の愛を満喫して、毎日が天国のようになり、柔肌はますます白く、きめ細かくすべすべになり顔も可愛くなった。昭夫も、民子を美しく調教したことに男として満足を感じた。民子も喜んで、昭夫の命令どうり裸になって生き人形のように動いた。
 昭夫も一緒に居る時は、義母に向かって民子と呼び捨てにした。

ある日、民子は気持ちが悪くなって、健康診断を受けたが原因が分からない。医者も適当に胃薬を処方して様子を見たり、精神的な症状なら時期がくれば治るかも知れないとゆう放任的、半分無責任のような診断や処方であった。民子にしてみれば、何をしてくれるわけでもなし物足りない処方であった。3ヶ月してとうとう民子は医者に詰め寄った。まだ症状は改善されないんですが。医者も分からないものは分からないと言いたかった。

 民子に詰め寄られて、医者は困って考えた。診察範囲を広く総合的にしないと分からないかも。原因が分からないのに症状を訴えるのは困るのである。民子は各専門医をたらい回しにされた。どこでも分からない。

 子宮でも診察してみたらということで、最後に産婦人科に回された。おめでたです。4ヶ月です。生理ば無くなったのは年齢が原因と勘違いしていた民子。これじゃ、悪いところが分かるわけが無い。民子は戸籍上独身だし、年齢も46歳とくれば、常識的には考えにくいことである。

 つめ寄られた医師も苦笑いである。

 原因は判明した。生むか、生まないか、民子は1日間一人で悩んだ。ついに昭夫に相談した。お義母さん、産んで下さい。昭夫にしてみれば好きな女の子供である。

 民子は昭夫に促されて、初産ではないが、高齢出産の危険性を心配しながら決心した。それから民子は体力をつけるため、テニス、自転車、登山、と学校農園で鍬を振るった。好きな昭夫の子供を産める悦びと希望が、重労働の苦を心の張り合いに感じたのである。おかげで野菜がよく出来たので、その野菜は、学校創立100周年の祝賀宴会にも使われた。少し虫が付いていたようであるが、理事長の、じきじきの栽培ということで、文句も言わずに良く洗って学生や教職員が食べた。勿論民子も、出産前の栄養源として食べた。

 いよいよ出産が近くなった。観念して、どっしり構える民子。心の頼りは昭夫であった。昭夫がそばに居ないと時々無差別に文句を言う民子。昭夫が来ると人が変わったようにおとなしくなる民子。周りの人は文句がうっとうしいので、昭夫が来るのを心待ちにしていた。

 民子の豊満な体から、元気な男の子が自然分娩で生まれた。心配したより比較的お産は軽かった。案ずるより産むがやすい、めでたさである。

 その裏には、好きな昭夫の存在が欠かせなかった。二人が慈しみ密着する幸せに加えて、嗜好的なタバコを吸わず、酒も控え、安いめざしや、海藻、野菜、大豆、乳製品など、質素で体に良いものを好んで食べ、贅沢を控える昭夫の性格も安産と子供の将来の役に立ったようである。

 この子は大きくなったら、しっかりした人になりますよ。多くの出産の介助を経験し、取り上げた子供の行く末を知っている老医師は、心からねぎらいの言葉で祝った。

 少し送れて、民子の両親も見舞に駆けつけ、元気な孫の姿を見て喜んだ。 出生届出用紙が病院名の入った祝賀袋に入れられ昭夫に渡されたた。母親秋口民子、父親山田川昭夫認知、子供秋口信一とサインしてから、民子の両親に見せた。
 信一は、長男でも次男でもない、婚外子である。将来民法的に不利になってもと民子は心配した。「そんなことより大切なことは、体が健康で、社会に役立つことにより自分を護れる基本を把握すれば、民法上の不利なんて取るに足りないものです。」と昭夫は、民子を諭した。
 民子も昭夫の言葉で気が楽になった。
 信一とは、二人が結婚式や新婚旅行の真似事で行った信州の軽井沢の楽しい思い出に由来している。(無理でない約束はしっかり守れる信じられる人になりなさいと、親の欲望と期待感も入っていた。)

 それから5年、民子は生理がいつの間にかなくなった。小百合も30歳近くの女盛りになったので、小百合の欲望が強くなり、民子に廻ってこない。娘でも正妻には勝てない。悔しい民子。何とか奪回しなくちゃ。小百合には子供がいたので、避妊する必要があった。そこで今度は親子の欲望の分け合いと取り合いの掛け引きが始まった。
 民子は言った。「あなた避妊中でしょ。昭夫の花粉だけ私に頂戴。私は生理がなくなったので子供は出来ないんだから。」
 それからは、小百合が使ったあと民子の元に行き、小百合の体液の付いたおしべを待ちかまえる民子の奥深くに花粉を入れた。大好きな昭夫の花粉を逃すまえと、全力で締め付けた。

 自分で生んだ小百合の体液が民子に入ってきても、もともと親子であり、小百合も昭夫も浮気をしていない近親相姦なので、清潔で病原菌のガードは完璧なので、娘の体液の付いたおしべを民子は喜んで迎えた。またそれが具合が良かった。

 昭夫は、こんなことでも親子を繋ぐコネクタになった。そんなことで家族内の喧嘩は無く、いつも和やかな家庭を保持している。
 いいところは譲っても肝心なものは離さない民子である。こうなっては娘のお古を着る様なもの。民子は生きたコンドームにされた。昭夫にしてみれば、ゴム製のコンドームより可愛い生き人形の民子のほうがよい。コンドームがなくても避妊が成立する合理的な家庭、親子の「あ・うんの呼吸」である。親子の条件の相違により昭夫の迸る生命力を無駄なく分け合い吸収した。
 民子は観念した。子供をたてるのも親の役目、子供が新しいものを着るのは世の常であると。
 それから、15年後民子は65歳になった。若いころの豊満な肉体は、わずかしか衰えを見せていない。乳房も太股もほとんど20年前のままだ。小百合の欲望も一時程ではなくなった。

 昭夫のおしべは民子のめしべに入った。
 感触は、理事長にとられた18歳の時のままであった。

 昭夫の義母は少女のように微笑んで鶯(うぐいす)のようにいつまでも鳴いた・・・・・。昭夫は義母の微笑む顔の皺(しわ)がいとおしく改めて可愛く感じた。女は若いうちだけがいいのではない。民子は60歳を過ぎてからますます、美しくなり、可愛くなった。昭夫の良質な花粉は、民子の体の中で作用して、民子を若く保つ大切な貯金になった。エステに行ったり、昭夫に言われたとうり、安いめざしや乳製品、野菜を多く食べ、砂糖や塩気を控え、タバコは吸わない食生活によって、病気からも逃れ、賞味期限の来ない、民子の体を昭夫はいつまでも抱いていた。

 

 そのころ信一は、理学博士の学位を頂き大学の教授になっていた。つまんないことがあっても昭夫に止められタバコを吸うのをためらった民子であった。もし昭夫の言うことを聞かないでタバコを吸っていたら、信一は、集中力や思考力が少なく、飽きっぽい性格になり、大学の教授にはなれなかったかも知れない。しっかりした子供を産めた民子は、幸せであった。

 それに引き換え、小百合は昭夫の言うことを聞かず毎日沢山タバコを吸っていた。同じ父親でもが小百合の子、秀昭は、飽きっぽい性格になり、勉強も出来なく就職の道を選択した。

 その異母兄弟の比較がよいとは思わないが、世間の目はつい無責任に区別してしまうのである。
 普通に就職受験しても、合格するような学業成績ではない。 

 秀昭の就職先は、かつて昭夫の勤めていた運送会社に縁故入社である。

 全輪運送株式会社、縁故者採用入社式典で、2代目社長が挨拶した。

 「皆さんは本日から入社され、おめでとうございます。ご存知のとうり当社では、縁故採用を重視しております。理由を申し上げますと、当社創業時、給料は同業他社に比べて低く、福祉施設も無く、労働条件も良くありませんでした。まさに典型的な零細企業でした。
 また相次ぐ事故で裁判に負けて多額の賠償金のため、父親は夜も熟睡出来ないで「借金の形にやっと買ったトラックを取られる」と寝言を言っているのが聞こえました。
 その時は零細企業の時代で、適当に運転員を採用せざるを得なかった弱みもあったのです。
 父親は若かったので事故を起こした運転手に文句を言ったのです。その運転手は、「あんなボロ車を運転させるからだ、おまえみたいなバカ面は2度と見たくない、2度と文句言うなバカヤロー」と言って重大事故の責任も全く感じないで出て行った。後で残りの給料だけは取りに来た。父親が投げて渡したのを見ています。
 その事故のために多額の借金が出来てしまいました。
 そのような苦しみをみていたので私も本当は運送はいやでした。
 そのころ皆さん方のお父さんや、お母さんは、不平も言わずに馬力を掛けて働いて下さいました。幾度かの経営危機に遭遇して、安い給料も遅配せざるを得なくなり、食べ盛りの皆さんの家計に大きな迷惑をお掛けしました。その時も、お父さんや、お母さん方は英知を出して下さったおかげで難局を切り抜けることが出来ました。おかげさまで当社の今日があるのです。

 ここに入社された方々は、皆さん文句も言わずに馬力を掛けて働いた方のご子息です。その血筋を受け継ぎ、業務を盛り上げて頂けるものと信じています。縁故採用で一般採用試験前に全員合格ですが、広く申せば、何十年試験をしたのと同じです。いまさら試験をしたらばちが当たります。

 実は、文句が多かったり、仕事に馬力の入らなかった方のご子息で入社希望者が多数おりましたが、その方々は一般採用試験に臨んで頂きます。会社経営を、圧迫するような主張をした人の、ご子息は断ると言っていました。これは父親の代弁です。」女若社長は、まだ、年長者の前では、自分の言葉として言えなかった。

 入社式典に招待され後ろで聞いていた父母は、子息の入社の悦びに頭を下げていた。

 一般入社式典では、入社祝賀宴会は絶対にしない。

 縁故入社式典後入社祝賀会に移った。父親として昭夫も出ていた。親同士、会社の昔話に花が咲き、後から会長もお酌にきた。昭夫は言った、「娘さん立派になりましたね。仕事の暇の時小学校から帰ってくると私と2人でまり投げして遊んだのを覚えています。

それから、学校に遅れそうになった時大型トラックでお送りしました。」

 あの時のことは、まだ頭が上がりませんと、会長は昭夫に言った。

 若社長が、高校1年生の時である。「将来は、言語の異なる国際交流の通訳になって国際間の意思の疎通を計り国際平和に貢献したいと」入学の動機を作文にして、外国語教育で有名な高心女子学園大学高等部に入学、寮生活をしていた。

 出来れば、将来は大学の国際学部英語学科に進学したかったのである。

 運送屋なんてどこ吹く風。

 ある日、寮から帰り、実家に一泊したが朝寝してしまい遅刻で泣いていた。早くトラックに乗ってください。送ります。昭夫は言った。

 客先の荷物を満載したままの大型トラックは、高速道を飛ばした。
 トラックを降りるやいなや、校内にいちもくさんで、駆けて入った。

 送り届けて会社に戻ったら、社長に怒られた。

「あのトラックは客先の大切な荷物を積んでいる、運送業務以外で事故があった場合客先に弁解がつかない、運送保険も下りないかも分からない、運送保険は多額を投じているので保険屋に無理を言いないこともないけど、客先の荷物を積んでいる時は、業務以外に使うことは止めてください。」

 昭夫は脂汗を流しながら、苦しい気持で聞いた。

 「分かりました、もう絶対にしません。」

昭夫は、心が重くなり、希望を失った。体の動きも鈍くなった。食欲も無くなった。あのことが毎日気になっていた。
 お叱りを受けたことで、ストレスが生じて、食欲が無くなって胃が小さくなり、肝臓機能が下がり、血液にも影響したり、呼吸筋もストレスのためぎごちなくなり、ストレスの心理的抑圧と、医学的な機能低下の両方が、昭夫の労働意欲の前に立ち塞がった。
  昭夫君は、仕事やる気があるのか、ないのか、皆の噂の種になった。体の不調に加えて、悪評を耳にしては、泣きっ面に蜂である。無断欠勤も増えた。悪いことは重なるものである。

  途方にくれ、大道易者の薄暗い電灯の下で手相を見てもらった。これが生命線、丸いのが山手線、真っ直ぐなのが中央線、中央線が真っ直ぐ伸びています。
  「あなたの不運は一時的です。必ず好転します。」易者は言った。
  (筆者も少し易学を勉強したら。筆者もない袖は振りたくても振れないみじめさである。)

  易者は、現役時代は電車の乗務員をして、山手線や中央線で山梨から千葉まで運転していた。昭夫も運転士、乗り物は違っても何か合い通じるものがある。
  昭夫は気が楽になった。占い師は、売ら無い師、何も物は売らない。でも落ち込んだ時は、気を維持してくれる。気を取り直せば、占い料は安い。


  「怠け昭夫」というあだ名は社長の耳まで届いた。社長も昭夫君をどうしようか、とまで考えるようになった。

 ある日、娘から電話があった。お母さん私、運送やる。

 どういう風の吹き回しなのか、話を聞いた社長も意外だった。

 喜んだ社長は娘に聞いた。

 あの、遅刻寸前の日である。

 昭夫は大型トラックで、重い荷物を積載したまま、高速道や山道をいともなく走った。その運転は、まるでレールの上を走っているようである。山岳登坂道でシフトダウンした、20000ccのエンジンの鼓動が快く運転席に伝わった。意のままに大型トラックを操る昭夫。感性の高い16歳の娘の心は、昭夫の運転に度肝を抜かれた。危険を感じた昭夫の車はすでにブレーキがかかっていた、直後乗用車が一時不停止で飛び出てきた。実は、朝日の長い影が道路に映っていたのが幸運であった。危険予知は神業である。もたもた運転をクラクションで追い払うような、アクセク運転とは雲泥の差である。
 昭夫はチョコレートを、少し娘に渡した。途中サービスエリアに停車して、備え付けのコーヒーメーカで、最高級のコーヒを入れてくれた。快い香りと、チョコレートの甘味がほろ苦い味を引き立てた。おいし~い。と娘は言った。昭夫にしてみれば、チョコレートの歯に付いた糖分をコーヒーで流して、虫歯を予防したかったのである。

 一級自動車整備士である昭夫は、車体もエンジンも入念に整備していたため、登坂路も快いエンジンの響きで力強く登坂したのである。

 運送業のすばらしさを感じたのである。

 意を決した娘に喜んだ。適当なお婿さんを迎えて、将来をさせるかと投げやりになっていた矢先だった。

 今度は社長が昭夫に謝った。昭夫を料亭に連れて行き高級酒を飲ませた。客先の荷を積載したまま私用に使うのは問題がないわけではないが、それより跡継ぎが出来たのはうれしいよ。
 系図は争えませんね。昭夫は言った。その系図を昭夫君が呼び起こしてくれなかったら、今までの自分の苦労の行きどころに困っていたところでした。
 社長はつい、従業員がした昔の事故で苦境に立たされた傷みを昭夫にさらけ出した事を宴席で内心後悔していた。
 もう社長は昭夫に文句を言えなくなった。
  昭夫の体も少しずつ回復した。

 「あなたの不運は一時的です。必ず好転します。」易者の占いは当たっていた。

 易者は内心、昭夫の性格に好感を感じたから、気持ちよく占うことが出来た。

 

 自分の苦境をなじった面々が思い出された。軽率で自分本位で嫉妬深い心の持ち主が分かった。でも一人、早く医者にいって診て貰った方がいいですと言ってくれた人がいた。その人は普段目立たず、あまり利口そうには見えない人であった。
 いつかその人に運が向く事を昭夫は祈った。

 

 夏休み、娘はアルバイトとして、昭夫の運転助手をした。昭夫は娘の勤務管理を任された。昭夫は、1日30分程度勤務時間を水増した。

 昭夫おじさん有難う。水増し分でアイスクリームを買ってきて2人で食べた。甘い関係である。社長は会社経費で落さずに、自分の小使いで払った。

 長距離運送にも付いて来た。2人での車中泊もあった。母親は心配した。

 昭夫だって理性は十分にあった。単なる心配に終わった。

 高心女子学園大学英文学科を卒業して、運転免許を取り、ハンドルを手にした。ある日、外国の運送会社と業務提携をすることになった。契約書が英文で届いた。開封しても横文字の羅列で分からない。社名とサインする場所くらいは分かる。契約なので、不利があってはまずい。

 運送から娘が帰ってきた。英文契約書が机の上に放りだしてある。

 なあにこれ。あっそうだ。おまえ読んで見てくれ。社長は娘に渡した。

 ずいぶん勝手なことが書いてある。こんな契約をしたら損するよ。

 娘は業務部長と相談して、英文を書き換えて交渉した。
 英文学科卒ということで、英語はペラペラと言えたえが、支え支え国際電話をしていた。

 国際学科で教わった、外国事情も役立って、公平な契約文になった。

 少しは国際平和に貢献したのかな?。

 入学の作文と比べりゃ疑問もあるけど。まあしょうがない。

 また、従業員の慰安旅行でアメリカに行った時も、娘が案内や通訳をした。

 先ほど挨拶した女若社長には、こんな経緯があった。

 次女も経理士になるとか言って、経理学校を卒業したが、体が弱かったので、家でぷらぷらしているうちに、経理をするようになった。家業なのでマイペース勤務をしているうちに丈夫になった。専務経理部長ということである。

 専務経理部長ともなれば、未集金の減少、金銭支出管理、帳簿管理も仕事である。経理学校で習った複式簿記(二重帳簿じゃないよ、)の採用、未集金を少なくするための運送契約、取引先の資産経理の把握、や、支出管理も気を使った。支出においては、原則的には、納品書、及び、支出に関わる証の無い支出を認めないようにした。会計管理事務処理標準を、経理学校の先生の協力を頂き作成した。会計処理は、次女の作った会計管理事務処理標準によって行われた。経理事務の2大原則は、金銭の不正な流出防止と、税務的処理、や株主に対する報告の記帳管理である。
 最初は、会計作業の確立期であったので、経理会計事務所の協力を得て、しっかりした、経理を確立する基礎にした。 次女も、経理組織の基本確立に頑張った。

 こんな話を民子も宴席で聞いていた。

 昭夫の奥の深さを改めて認識した。

 小百合さん、こんないいお婿さん貰ってよかったですね。

 会長は遠まわしに言った。 内心、民子に言ったのである。

 会長だって昭夫と民子の仲は知っているのである。

 老いた会長は言った。「あの時にもどれるものならもどりたいですね。秀昭君、当社によく来てくれた、よかった。まるで昭夫さんが入社したような感じでうれしく、心強く思います。 じつは内心秀昭君が来てくれたらいいなと心待ちにしていたんです。信一君は学者さんなので運送会社には合わないと諦めていました、また、学校の経営を継承するお方だからなおさら望めませんでした。」
  昭夫は、2人の子供の性格差もさることながら、会長のご好意が申し訳ないような、チョコレートを舐めるような気持ちで会長の言葉を聞いていた。

  小百合の子、秀昭は、10年後運転主任として、適正配車、交通法規の改正社内講師、道路状況の情報収集、走行運転手への道路状況の無線で伝達、安全注意事項の伝達、運転日誌の検収、警察交通課との連絡、運転員の体調管理など安全運行を担当した。特に体調管理では、運転専門医師の診断を月一で依頼した。
 他各運転員の体調管理等に管理重点を置いた。
 秀昭は、月一度運転シミュレータで、3時間の連続走行試験を運転員全員実施した。自動的に、運転状況が記録され、適正の一部を管理出来るのである。勿論入社試験でも。4時間の連続走行を実施した。運転中の居眠り等の危険性の把握である。
 そのほか、ゴールド免許所有者には、28万円ボーナスを増額した。免許違反点数に応じて
1点につき2万円増額が少なくなった。免許取消になるとゴールドボーナス増額がない。
 違反点数のある人も、次の書き換えを目標にゴールド免許になって28万円のゴールドボーナス目標のため頑張った。
 運転員以外の職務の人はゴールドボーナスが約3分の1である。ペーパードライバも、レジャードライバも家族福祉ドライバも、運送会社の従業員である限り、交通違反や、事故は厳重に防止する社会的責任や、会社イメージ維持が家族ぐるみで大切である。また省エネ運転にも力を入れた。ISO4001の取得をして省エネ運転の励みとした。
 それに、従業員の自由申請により、家族手当とにもゴールド奨励金受給を選択させた。これは、違反点数に関係なく、ゴールド免許者だけである。ゴールド免許が無い場合は普通の家族手当になる。でもゴールド奨励金のほうが少し良いのである。
 こんなに、給料を出せる裏には、決して他社より運送費が高いわけでもなく、運送時間が多くかかるわけでもない。全輪運送のモットーである「安い、速い、荷傷み無し」事故は運送業の恥であるという思想は創業時から貫かれている。無事故管理や無事故啓蒙の徹底、自動車の完全整備で故障時間の短縮、燃費の節約、適正配車、渋滞情報の収集及び無線伝達伝達等無理や無駄をあらゆる方法で少なくするような地道の努力の成果である。高い土地等を運送用地に購入しなかったのも幸運であった。
 創業当時からの上得意も見逃せない。町工場で有りながら優秀が技術で堅実経営している精密加工会社等は、創業当時から会長は、町工場の社長と、釣りに行ったり、碁や将棋を打ったり、お互い堅実経営を誉めあったり、頼まれれば深夜飛び起きて運送したり、受注で忙しい時は、仕掛かり品の社内運搬の助っ人を派遣したり、運ぶ事は全部引き受けて製造にも協力していたのである。だからこそ、他社に負けない給料が出せるのである。
 零細他社では、単に速く届けろと言って運転手にあくせくさせていただけであった。
 そのころ、現会長は、安全運転や、自動車の完全整備に力を入れていた。零細他社との経営思想の違いが、零細運送から抜け出すきっかけになったとも言える。社長は若いころ運送大手の東西通運に勤務経歴があり、大手の経営思想や作業手順の多くを学んでいたのである。大手で修行したのも良かったのである。
 だからこそ、役員構成も、運転員の多くが重役になっている。経営に向かない重役は、「専務取締役運転士」等の肩書きでハンドルを握っているが、ほとんどが事故の許されない高額品の輸送である。客先も重役の運転ならという事で安心して運送させてもらった。
 組織になると、給料、業務運用能力、裁量能力査定が大変になってきた。やむを得ず運転員に階級的呼称が取り入れられた。
 乗務補助員、乗務員、運転補助員、運転助手、運転員、運転手、運転士、運転主任、乗務取締役運転手、乗務取締役運転士、取締役運転手、取締役運転士、常務運転手、常務運転士、専務運転士、運転士副社長、常務運転師、専務運転師、運転師副社長、の他沢山の階級呼称が作られ、業務範囲が定められそれに応じて給料も決められた。
 されど選抜、たかが選抜、定年後は現役時代の役職はチャラになるが、退職者飲み会では、元役職者の宴席がかたまる傾向もある。また、現役時代の給与、ボーナス、退職金に差が出るので、やはりされど選抜でしょうか。選抜された人の他人の芝生は綺麗に見える。
 選抜されなかった人は定年後頑張って、見返してやればよい。見返せない場合は会社の評価が正しかったと諦めましょう。
 役付き者の仮任命を受けた者は労組から足を洗い、任命を待つのである。仮任命といっても労組を辞めれば必ず本任命は間違いない。例え仮任命中怪我をして体が不自由になっても、労組を辞めれば必ず任命昇給した。語らない約束である。
 労組には、業務消化の不得手の者と若手が残った。社長は、月に一度若手を集め、雑談飲み会をした。一時間のフリートークや、テーマトーク後、いくらかのつまみを並べ呑んだ。素面の時、羽目を外した時の素行を社長は、酔っているようでも神経を尖らせ、ここでも会社の将来を託せる多くの人を社長は探していたのである。
 
 宴席で社長は言った。役職者は、只偉く見せて業務命令を下したり不正や無駄を管理すだけではない。それだけの生産性があるから、業務を委任して、給料を支払うのです。その人の生産性の対価の給料は皆平等なのです。
 皆さんは、会社を舞台にして客席からお金をもらってください。一応会社にお金は入りますが、それは皆さんの働きで分配します。だからこそ、自分のために働いて下さい。この会社はやる気も個性も会社の実績のためなら買い取り皆さんの実績として分配します、それが給料です。と言ってやる気を束ねた。いつも社長は従業員のやる気を束ね、仕事から生き甲斐を得させ、生き甲斐を仕事の原動力に生かすのに苦労しているようである。
 生産性対給料対価評価システムの構築は、他社より大きく進んでいるとはいえ、まだ完全とは言えないのは社長は後ろめたかった。
 元従業員に訴えられた特許権に関わる判決金額からも、特許褒賞金査定の難しさがある。勿論全輪運送の場合は、大きな会社業績があった場合は、数万円の報奨金や雇用規定で頭を抑えるような偏りはない。それほど、能力査定は難しいのですが、世間並みや会社業績から自動的に査定されるので、あまり気に病むことはない。

 勿論常務運転士とすれば、重要物の運送であり、自分で運送した収益の中から給料が査定される、リアルマネージメントシステムである。だから。常務運転士といえども、仕事の無いときは、どんな物でも運送しないと、まずい。

 昭夫も、道路交通法改正時には、警察から呼ばれ、改正審議委員になり、改正の要点を指摘したり、道路標識の書き方や取り付け方法、車線の設定など、安全に関わる事項を具申指摘した。
 見落しやすい、一方通行や一時停止の標識も改善され、一時不停止事故や、一方通行の逆侵入も激減した。飛び出し事故防止策(道路に少し山を作ったり、歩行自転車路の場合は障害柵を設置等)も各所に構じられ、成果を見せた。運転者の注意力だけに依存する、道路形状等の危険個所も改善された。以前、交差点の狭い道路を優先にして、広い方を一時停止にした交通規制があった。そこは、事故多発交差点で有名になった。誰も警察に改善を求めなかった。
 このような交通規制の改善も行い事故減少に協力した。
 地域的で申し訳ない話のですが、東京都板橋区成増や千葉県市川市の国道254号線や14号線には駐車違反が多く、実質一車線が死んでいる。昭夫は言った。相続税で現物納付した国有地が売れずに残っている。ここに商店街が合同で駐車場を作り、駐車違反をなくす提案をした。
 財務局、警察、市や区、商店街、商工会、銀行、信用金庫等が協力して、合同駐車場が出来た。
 財務局は土地を出した。市や区は駐車場までの道路を整備した。商店街は警察の委託を受け駐車違反にならないよう交代で誘導した。銀行や信用金庫では、駐車場の建設費の株を購入して資金を出した。お客は駐車違反でビクビクして購入することもなく、商店街の売上は伸び、銀行や信用金庫の融資も増加した。それらのアクションの引き金になったのは、交通安全にに意見を求められた昭夫の提案であった。

 これを前例にして、各地において駐車違反が無くなり、商店街の売上も伸びた。
 運送業者の立場で、交通事故防止と、安全運転や、交通流等専門知識で行政に惜しみなく協力した。これで、交通安全協会に、手土産を持ち込む商店街もいなくなった。
 また、昭夫は母校の課外授業で、生徒に交通安全教育の講師を、教育委員会から依頼された。現在では学校を卒業すると大多数の人が、自動車運転免許を手にする時勢である。安全運転の心構えは若いうちに教育するに越したことはない。
 公安委員会長、警察署長、交通安全協会長、教育委員長の挨拶、に続いて、昭夫の簡潔で分かりやすい、安全運転の講義が進められた。その間、燃料店から燃料名のロゴマークの入った紙コップでコーヒが配られた。全輪運送が行きつけの燃料店のサービスであるが、未来のお客様予約的な意味合いもある。大きくなって、デートの時あのガソリンスタンドで給油したらかっこいいな、なんて。交通標識会社も、交通標識を警察の肝入りでサービスしてくれ、講義資料にした。講義後は校庭に設置してくれた。そこらそん所で見かける標識であるが、校庭に設置すると、教育的価値がある。
  別に、講師に全輪運送の昭夫を頼まなくても、公安委員会なら、警察指導員もいるし、自動車教習所にも講師依頼できる立場である。あえて昭夫に頼んだのは、交通法改正審議委員としての事故減少効果が確認されたらである。
  教育が終わると、教育関係者は、ご苦労様会と称して、全輪運送のおごりで、空き教室で飲んだ。それから、全輪運送の子会社、全輪ハイヤーの車で送った。呑んだら乗らない、ここまでが安全教育の生きた見本である。全輪ハイヤーのサービス売り込みか?
 民子も昭夫が講義したということで、どのように昭夫が話したか、講義を聴きたかった。学校で録音していたので、昭夫に内緒で学校に依頼してダビングしてもらった。昭夫に内緒で聞いてみた。わり方いけてる。民子の理事長をしている学校の講義は、学校の主要商品なので、民子は聞き飽きている。学校でも私立校のため、分かりやすい講義のにも重点が置かれ、講義内容に対して専門外の教授が、学生に混じって講義を受け、評価してもらい、講義改善に努めめた。工学部の教授が法学部の講義を受け卒業証書を頂き、弁護士の資格に合格した教授も多い。法学部の教授が医学博士になった教授もいる。会社によっては、現物供与がある、鉄道会社では、家族は電車は只で乗れる。食堂では、従業員は只で食べられる。その分給料が安くても我慢できるし、間接客なのである。民子は提案した。教授でも、職員でも、勤務中、自分の未就学部に入学して勉強して下さい、卒業証書を出します。一生勉強です。授業料は現物供与です。その代わり、学生に解かりやすい講義に協力してください。学生に解かりやすい講義は当校の人格形成や、就職斡旋と並ぶ最大の商品です。
 民子も私学の最大のサービスである卒業生の就職斡旋に頭を下げて飛び回っていた。学生には教授の就職活動日誌を読ませ、いかに精力的に就職を斡旋活動をしているか分かってもらうためである。これを読んだ就職希望学生はわがままを言えなかった。
 そこまで就職活動に力を入れる民子なので、孫の秀昭の就職斡旋だって民子は出来たはずである。何でしなかったの。紺屋の白袴ジャン。家に帰ってまでしたくない。それより学業成績の悪い秀昭は、全輪運送に望まれて就職したので、変に手を出さなかったのである。
 昭夫の講義は、実践の要点を得ていた。昭夫のいつも言っている、「死角に事故あり」の名言はすばらしかった(例え前方でも、居眠りをしたり、わき見をすればば死角である)。
 昭夫は、運転事故防止に「SDS」が大切だと言っていた。Sは制限速度(スピード)、Dは前記の死角に注意(デットポイント)、Sは一時停止確認(ストップ)。
 たかが運転手と半分昭夫を見くびっていた民子は、改めて見直した。昭夫を入学させてやったらなんて、昔自分がやられたことの仇を長崎で討つか。と民子は思っても、すでに民子は長崎で入学の仇を討ちまくっているので、改めて代償欲は要らない。
昭夫も専務取締役運転士で定年を迎えた。
 退社式が行われた。挨拶する昭夫「大変永い間お勤めさせて頂き、有り難うございました。おかげさまで大過なく(大事故がなく)お勤めを終えることが出来ましたことは何より幸せです。」
 続いて若女社長の挨拶「昭夫さんのご退社名残惜しく存じます、これから運転する昭夫さんの後輩の方は、昭夫さんの安全運転を見習って下さるようお願い致します。」と昭夫の過去を賞賛した。
 民子は昭夫が事故を起こさないように出来る限りの注意を払っていたのである。無理な時間運転をさせないよう1時間早く起こしたのです。気分がいらいらしないよう過剰体力を吸収した。飲酒は、民子を抱いた後のごお祝いだけ。早く熟睡させて明日の運転に備えたのです。
 でも、昭夫の安全運転を守ったのは、好きな民子との繋がりを大切に守るために、怪我等しないように、酒は付き合い以外は民子のお酌以外では飲まない。民子のお酌で飲むのが一番美味いのです。民子は酒は嫌いなのでお酌するだけ。適当なつまみを並べ、キンキラキンでミニスカのホステス服を着て昭夫の膝に乗ってのお酌である。お抱えのホステスで超安上がりある。これだけ密着してもお互い飽きず、新鮮な気持ちでうきうきして接触を待つ間柄は珍しい。
 二人の満ち足りた関係が、余裕のある運転の確保と、いらいら運転をなくし、安全運転を支えたのである。だから、運転中追い抜かれても、腹が立たない。一時停止はしっかり止まり確認注意してゆっくり出る。車間距離は十分取り前者の異常に備えた。

 若い頃は「大学を出たのに運転手しているのかい」なんて冷やかす心なしもいた。
 運転手を輪ッパ回し等と言うやつもいた。筆者の幼少の頃、運転手さんが輪を回しているのを見て、あの輪を回す力が機械で大きくなって車輪を回すのかなと思って機械はどうなっているのと親に聞いたら、あれは釜と言われた。まさかご飯を炊く釜が入っているわけでもなさそうに思えたが、火は燃えていさそうに思いたのを覚えています。
 今にしてみれば、前輪の角度を変えるためであり、車輪を回すのは、燃料の混合空気を圧縮して燃焼しやすいように密度を上げ高速燃焼の高温膨張最高圧力がクランク角上死点後12度から回転力を得ていることが分かってきましたが、その時は分かりませんでした。昭夫も勉強したカルノー線図から動力発生量を算出出来る。似たようなことで、小さな電気信号を大きくする増幅器も本当はそんなことハンドルと同じで出来ないのです。別に電源を用意して、小さな信号で電源の電流を制限すると、小さな信号に相似した電流が出来るので増幅されたことになるのです。つまり自力で大きくなるわけではなく、電源と言う他力によって大きくなったようにしているのです。電流を制限する素子は真空管や半導体で、エレクトロニクスの基礎部品ですよね。
 文意は横道に逸れましたが、また元の鞘に戻ります。 
 運転員は、運送時間の短縮と安全運転の狭間で苦労した。サービス残業も増えた。誰かが労働局に密告した。秀昭と出入りの社会保険労務士は、労働局に呼ばれ注意を受けた。が、運転員全員で、労働局に行って「私たちは安全運転のためサービス残業をしています、ゴールドボーナスを含めて他社より給料も多いのです。基本給料の安い会社で残業給料をカウントして頂くより、給料が良いのです。また厚生費も頂いています」と陳情した。
 秀昭は、密告した人を不利に扱うような事はなかったので、労組からも偉人扱いされた。
 密告されたのを契機に、いっそう労務管理が行き届くようになった。
 父親昭夫が現役中に作った運転心得マニアルが古くなったので、秀昭に見直しの命令が会長から下りた。それまで昭夫の作った運転マニアルは、全輪運送の安全運転を支える運転バイブルとして永年会長を始め全運転員に崇拝されてきたものである。それに手を着ける事は、タブーとして安置されていた、しかし、運送経済や道路事情等の変化にしっくりいかなくなり見直しが考えられた。そこに適任とされたのが、昭夫の子供秀昭であった。
 秀昭はもう一度父親の書いたマニアルを読み直した。全体を落ち度無く細部に渡って要点を網羅しているのを再認識した。父親はどんな気持ち執筆したんだろうか。ここまで良く書いている裏には、どんな立場の人が関わっていたのだろうか。秀昭は想像した。見直しといっても、道路交通法関係や、カーナビやVICS等電子航行システムや携帯電話、自動車の整備方法など時代の変化に応じた見直しが主で、昭夫の書いた基本マニアルは見直しの余地が少なかった。見直しについて、父親に相談したのですが、あまり口出ししなかった。一言、言われたのは制作関係者の立場であった。あらゆる角度から検討して制作したことが良く分かった。昭夫は細かい事をくどくど言わずに、要点を3点位指示して終わり。3点なら普通の人なら覚えていられるし、さっぱりしている。3点を基本に自分で考えれば良いのである。
 流行歌でも大体は3番までが多い。5番まではは覚え切れないので少ない。2番までではあっけない。流行歌は売らなくてはならない、耳触りが良い、覚え易い、楽しく歌いる、私情に入り込む、等の商業条件がある。昭夫のポイント主義指示にも共通点がある。
 特に、自動車の整備、各運転手の走行位置の把握、道路状況の伝達、運転手からの道路状況や車両状況の収集、入庫時の燃料は、元売り3社を選び直接補給してもらった。出先の燃料補給は原則的に元売り3社の系列店とした。支払いは元売り3社ににまとめてした。ガソリンスタンドでも、全輪運送の運転員の燃料補給には、お茶やコーヒーを出してもてなした、食事時にはコンビニ弁当を出す店もあった。全輪運送に燃料を納品希望する元売りも多かった。やむお得ず、5社にした。その代わり、燃料輸送も引き受けた。燃料輸送時はコンビニ弁当は貰えない。

 全輪運送は燃料代を元売りに毎月支払った。元売りは最初は各給油所に全輪運送給油分を振り込んでいた。しかしいつの間にか振り込みをしなくなりその分燃料で支払った、現物支給である。5年間位続いた。ついに横槍が入った。税務署である。
 税務署の選抜コースを外れた窓際税務官が、何とか選抜コース(キャリヤ族)に戻りたくて目を付けたのである。やはり選抜コースを外れるだけあって、税務調査の目的がどこか的外れである。一応、異常申告の調査出動基準出動はあるはずですが。今度から、良く税法を勉強してから調査すればよいのだ。税務調査は、国の行政の代表なので、いくら窓際族でも変な行動は慎まないと、窓際族から、窓外族になるよ。
 
 最終販売代金には、消費税や燃料税が正確に納税されていたので、税務署も徒労に終わった。元売りは仕方なく各給油所に振り込みを再会した。
 昭夫は憂いた。ガソリンスタンドの相次ぐ倒産である。その原因に、燃料税が高額であることは、元売も知らなかった。元売や燃料協会は、燃料拡販意欲が無いので、燃料税が、ガソリンスタンドの倒産や店終いの原因になっても、平気であるのを憂いた。
 また、税務官の中にも変な窓際族がいるのには驚いた。近郊農家は、農業の収益とアパート等の不動産収入がある。農家では、農業用宅地の場合、宅地固定資産税を課税されている関係もあり、農業決算書は赤字の場合もある。この赤字を計上して、貸家所得から差し引けば、納税額が下がるのですが、考えが浅どく、単純な徴税実績で選抜コースに移りたい、万年窓際税務官は、農業の赤字分と、不動産収入をプール計算しないように通達を回そうかと考えた。
 こんな最低クラスの思想をもつ税務官を公務員試験に合格させた、いい加減な試験官の能力にはあきれてものが言えない。この話を聞いた社長の娘も、世の中にはバカな税務官もいるものだとあきれた。こんな通達が本当に実施されたらとんでもないことになる。
 また、社長の娘は言った。国家経済は、企業の配当所得に頼っていた一面もあった。例えば国民年金のお金は、企業に投資した運用益によって、年金を支払った。今はそれが思うように行かなくなったので、掛け金の値上げに頼らないと、支払い金が足りなくなる。農家や企業の資金がないと年金の例に見るように、国家経済も掛け金増額に頼ると言う淵前なことになる。さっきの農家の課税のようなことをしたら、農家だけではなく国全体が困るのであるが、そんなこと、窓際税務官は狭い知識で徴税額だけを考えているのである。いずれ、バカな采配を振る窓際税務官にも、間接的にも波及するでしょう。と社長の娘は言った。
 昭夫も税務関係は知らないのですが、日本の企業は、課税のため自己資金がなくなり、借り入れ金に頼る企業体質になっているので、利益が出ないので、思うように企業支出が出来ないため、経済が不沈化して、年金に例を見るように、経済の悪循環に陥るといった。いくら自由経済といっても、土地買占め等、土地が購入出来ないサラリーマンの苦悩も考えないで、資金力の強い者勝ちを野放ししておいたのもまずかったのでが、今になっては、土地買占めをした欲張りが損をしたのは、様を見ろと、資産の無い昭夫は思った。そのような行き過ぎこそ、政治が規制して、地価値下がりの損失を少なくすれば良かったのである。今になって蜂の巣を突付いたような経済になっても遅いのだ。筆者だって、「地価投資に融資すると、マイホーム建設希望者が土地を買えなくなるので、地価融資規制の提言を東京新聞の読者欄に、バブル前掲載してもらった。」筆者だって、昭夫だって、こんな単純な経済論は分かっている。それだけじゃない
国民の大部分の人が分かっていたのに、行政は本気で動かなかった。今になって金が足りなくなったといわれても、国民はこまるんです。このまま行くと、実質的なインフレが心配なのです。消費ぜい10%も、購入品に対して金高が10%増加するので、10%のインフレに相当になるかな。大体、東京都と大阪府の地価に相当する国債額を、返済するには、紙幣を印刷すれば返済出来るので、それを当てに国債増発希望者もいる。国債増額も良いが、それに相当する生産性で賄わないと、インフレも考えられ、国内はもとより、国際経済に与える影響も、日本の国力も考えてしなければならないんジャン。専門経済学者なら、簡単に予測出来そう。
 だから、税収は生産性が向上すれば、極自然に上がるものである。それを知らない窓際族税務官は、国民の資産を評価してみたり、変な通達を回して見たり、土地等価交換条件を規制して見たり、経済活性化にブレーキを掛けての金銭欲である。木を見て森を見る税制も大切なんだ。税収の基本は国民の生産性なのである。税金を知らない昭夫もそんな経済の基本くらい、窓際税務官より格段上である。昭夫だって、細部に渡る税務規定等は全く知る由も無い。

 経理や人事や客先との営業は、社長の娘2人が中心になってがんばった。
 運転員のてきぱきとした動きや、挨拶も客先から好感と信頼を頂いた。
 馬力を掛けて働いたので20年して、新規営業所長を任された。
 長距離運転士をしてきた昭夫は、自分の子供が新規営業所長になったことを小百合とともに喜んだ。民子にも自慢した、孫の行く末は楽しいものである。学生時代学業成績が思うように運ばず進学も出来なかったが、親の背を見て仕事をしたり、生きた学問を学んだともいえる。

 一般入社と、縁故入社の差は、勤続10年でなくすようにした。

 女若社長の配慮である。

 二人の異母兄弟はやっと給料が同じになった。父親の昭夫も2人の異母兄弟の収入の肩が並んだので、一安心した。
 また、小百合は前理事長の子を民子が産み、信一は昭夫の子を民子が産んだ異父兄弟である。一般では類が少ない血縁が交錯している家庭である。

 義弟の信一は小百合の跡を取り理事長になった。

 信一は、学校の運送品を義兄には依頼しなかった。

 仲がしっくりいかなかったのである。

 

 民子は85歳から体が思うようにならなくなった。昭夫は定年後毎日好きな民子の世話で明け暮れた。便所に連れて行ったり、お尻を拭いて洗ったり、小便を取ったり、風呂に入れたり、頭を洗ったり、顔を剃ったり、最後はおしべを入れるのが、二人の楽しみであった。昭夫は民子の世話が全く苦にならないばかりか、いつも一緒に居られ、触れる楽しみが幸せであった。

 小百合も実母の面倒をよく見てくれるので、いくらくっついていても何も言わなかった。
 飽きると民子は、時々軽井沢に行きたいと昭夫にねだった。昭夫の軽自動車に介護用品を積んで、高速道をゆっくりと昭夫は飛ばした。民子は、見慣れた景色の変化を楽しそうに見ていた。若葉の時も、紅葉の時も。
 民子は時々詩を作って、同人会に出して、どうかすると入選していた。昭夫の運転する軽自動車の中で何か作っているようである。きっと昭夫に愛される詩が紙面を飾るかも知れない。
 長距離ドライブでも、民子は、老人特有のお漏らしが全く無いので、高齢にしてはアンモニア臭が無い。不思議なデリケートゾーンである。それもそのはず、いつも昭夫が締め付けさせているので、脚は弱ってもその部分の筋肉の衰えが少ないのである。民子は昭夫に自慢した。

泌尿器科の先生の話では、あたしのデリケートゾーンの体力年齢は年齢40代なんだって。それも昭夫ちゃんのおしべに訓練されているおかげなんだって。昭夫ちゃんのおかげで、デリケートゾーンだけは若いのよ。
 先生に若い娘のようだと誉められちゃった。ちゃんと締め付け力の測定データも見せてくれたのよ。だから嘘じゃないの。昭夫に首っ丈である。半分医者のお世辞と聞いても、うれしいのです。
 車中では、昭夫を飽きさせないようにたわいの無い話題で話し掛けた。昔あたしのお友達、収入の良いとされているお医者さんの奥さんになりたかったの。顔は誰が見ても10人並とはいかない、だから顔じゃ勝負にならないのよ。どうしたと思う?。わからないでしょう?。でもお医者さんの奥さんになれたのよ。それはネエ、若い男のインターン生の居る産婦人科や泌尿器科のある病院を回って診察してもらったのよ。
 あまり深刻な症状を訴えると、インターン生に診てもらえないので、このごろデリケートゾーンがかゆいんですなんて、たわいの無い症状を訴えて診察してもらったんだって。インターン生は適当に薬をつけて様子を見るように言って返した。そのお友達は顔はいまいちでもデリケートゾーンは立派だったんだって。いくら商売でも、男と女、専門家の卵が立派なデリケートゾーンを見せ付けられたら、顔なんて問題ではない。そこに目が眩んでしまう。
 自分の将来を託す確証を見てしまった。お医者さんとのお見合いパーテーがあるので来ないかと、パーテー団体からダイレクトメールが来たんだって。診察したインターン生もちゃんと来ていた。診療記録の住所を使ったらしい。まずいんじゃ私用は、罪ジャン。首ジャン。デリケートゾーンにも、交際を申し込まれたんだって。結婚して、うまくいっているんだって。夫婦仲がいいので、奥さんも数年して美人になったんだって。
 顔で勝負できる人は、顔で売り込めばよい。じゃよくない人はどうするのですか。世の中不公平と思うでしょう。そうとは限らない。あの手、この手で勝負したもの勝ちだって。悲観は無意味だって。昭夫ちゃん、その人顔から火が出るような思いで、病院の受診を申し込んだんだって。それでうまくいくとは限らない場合は、顔から火を出しただけ損ジャン。
 昭夫の思考力は、運転90%、民子の話に10%位の割合で聞いた。民子も昭夫に運転中考えさせるようなことは言わず、どうでもいいことを飽き防止に話した。疑問の問えには直ぐ答えを出した。だから、昭夫がトンチンカンな返事をしても、「私の話聞いているの?」なんていうことは言わない。

 そうこうしているうちに軽井沢に付いた。寮は経費節減で、建て替えずに全面ニュアールしてあり、前塗装を良く剥がし、下地を良く磨いてから再塗装したので新鮮感がよみがえって見えた。良い塗装業者に恵まれている。 民子のデリケートゾーンは昭夫が入念にニュアールしているので、古くても新しいのである。寮のニュアール直後に似ている。勿論顔形や体形も同じである。
 民子もご多分に漏れず加齢とともに体重が落ちてきた。最盛期は60kgあったのが、40kgになってしまった。
 少し気の毒のようであった。
 昭夫にしてみれば、抱いて便所に運ぶのも、裸にして風呂に入れるのも、軽くなったので扱いやすくなったのである。もともと昭夫は運送業に勤務していたので、40kg程度はそれ程重く感じないのである。つまんない時、昭夫は民子を無理に裸にした、民子の力は弱くなったので、簡単に全裸にされて、不本意にも昭夫の好む体形に無理やりさせられ、ドッキングされた。さすがの民子も不本位で無理やりな行動に抵抗できず以外にもお漏らしをした。老女全裸抱きオモチャである。理事長にされたのと同じようになってしまった。
 昭夫の、傲慢な欲望に絶えたが、普段は不自由な身の世話をしてもらうので、涙を飲んで我慢した。いっそ、昭夫に頼まなくても、介護保険でヘルパを雇ったり、完全介護の病院に入院すれば、こんなにいやなことを我慢して、生きたオモチャにされなくても良かったのかも知れない。それの方が屈辱から逃れ気が楽かも知れない。
 入院したところで、昭夫が来てしまう。遠いいところなら、不便になって皆来なくなる。
 昭夫が来ると、裸にされるので個室やロイヤルルームを借りないと公衆良俗上支障が出るので個室を借りた。裸にされ、もう少しとゆうとき、検診の先生や看護師に見られてしまった。
 鍵を掛けることが出来ないので、冷や汗が出た。
 それも、民子が好きだからこそしてしまったのである。
 罪を憎んで、人を憎まず。その時は昭夫を憎んだ。
 とはいっても、やはり、何となく寂しい。退院してしまった。 

 二人の生活費は理事長の小百合の給料と、学校の出資金の少ない配当で充当された。

 民子は90歳まで生きた。
 昭夫に裸にされ、おしべを入れたまま息を引き取った。
 締め付けが無くなった。暫く密着した後、最後の花粉が撃ち込まれた。パンテイを履かせ、ブラジャを付け、寝巻きを着せた。1時間して、昭夫も諦めた。

  医者を呼んで検死してもらった。  その後処理をしてもらった。 
  花びらは昭夫のおしべが入っていたため開いたままだった。
  それは、バラの花のようにあでやかで、奥深そうに見えた。
  いつでも昭夫を待っているようであった。
  中に入った花粉もまだ生きているのかな?。
  雑菌に殺されたら可愛そう。護ってください。と昭夫は思った。

 重層な葬儀が、信一のいる学校関係者も交えて行われた。
 学校では礼拝堂を出した。
 全輪運送も負けずに最高の霊柩車をサービスした。いつもは、全輪運送霊柩車部は葬儀会社の下請けで走っていますが、今日だけは、香資サービスで、特別に若社長が運転して弔意を尽くした。小百合が目頭を暑くして、写真を抱いて乗った。若社長の運転する霊柩車は、弔笛を鳴らし、ゆっくりと式場を離れた。その後から黒塗りの全輪ハイヤーが親族を乗せ5台が続いた。ハンドルを手にするのは、若社長の肝いりで全員喪服を着て本社から来た専務取締役運転士である。その後に大型観光バス5台が続いた。大型観光バスの運転は、常務取締役運転士が担当した。会社ぐるみで重厚大儀に盛り上げて下さった前輪運送に対して、秀昭は業務精励の決意を新たにした。その他予備員に取締役運転士2人が、同乗している。
 ましてや自分より目上の方方が、深意な顔つきで、弔意を持って運転する姿は、厳粛そのものであった。
 信一のところが式場を出し秀昭の方が、運びをした。
何となく、二人の分が揃った。
 この他、誰か他に仕出屋や酒屋に縁者がいれば、大体用が足りるのですが、いくら小説でもそこまではうまく書けない。仕出屋縁者や酒屋縁者がいても、経営が悪い場合は、費用を請求しないとも限らないので、面白くない。。
  
  葬儀で兄弟が競合しても、どうかと思うでしょう。でも内心しちゃうもんだよ。
  自動車製作会社の社長の葬儀では、葬列が交通渋滞になって、同社の車を求めて頂いた方にご迷惑をお掛けしては申し訳ないということで、葬列を簡素にすることがある。
 その社長は、販売の難しさと、幾度かの出直しを体験した、創業の苦労が忘れられないように思います。また後任者に謙虚で会社を護れとの遺言かも知れない。
  それに比べりゃ、全輪運送は、お預かりした人命や荷物を、安全に運搬するのが業務なので、この時とばかりに、弔意を張ったのが違う。

 信一は、民子の学校出資金を相続した。
 小百合の後を継いで理学博士理事長になった。

 小百合は自宅を相続した。ゆくゆくは秀昭にやる予定である。
 こうなっては、争続になりかねなえが、争続をしたら共倒れの条件が備わっている。
 身内で争続をするような馬鹿でも困る。

 昭夫は相続出来ない。

 相続税逃れで、生前、出資金の持株会社設立の検討もした。

 出資金を持ち株会社に持たせ、自分は、持ち株会社の株を持つという寸法である。相続の時は、持ち株会社の出資金を相続すればいいのかな。

 相続税は10年間の延納である。

 昭夫はそれより2年後72歳で亡くなった。

 民子が昭夫を迎えにきたと言う人もいた。仲が良かったので、昭夫が気を落とし体力が低下したのかも知れない。これが天命であつた。

 昭夫は普通ならもう少し生きられたかも知れない。しかしこれほど民子に精力を注入した場合は、早く亡くなってもおかしくない。やはり昭夫は、民子の体に自分の余命まで注入してしったのである。
 昭夫の残した遺産は少なかったのですが、全輪運送の女社長が、出入りの税理士に計算させた。経理部長の娘も、税理士の資格を取得したので、あたしも見るとか言って確認した。計算代金は、20万円を表向き税理士は自分の所得税法上請求したが、それは贈与と言うことで、相続人名義で相続税計算手数料を贈与申告した。実質的には、全輪運送のサービスである。小百合、信一、が相続すると、相続税は課税されなかった。
 昭夫は単身、何も持たずに秋口家に入り、蓄財するわけでもなく、ただ一筋運転士として勤めてきた。資産を持つ苦労も醍醐味も、この世では味わうことがなかった。
 ただ一つ財産と言えば民子であった。昭夫にしてみれば、必要以上のお金や資産より大切な最高の宝ものであった。二人になるといつも昭夫は、民子は僕の生きた宝物だよ。こんないい宝どこにもないよ。離さないからね、と時々言っていた。だから昭夫は、民子さえいれば、お金や資産にはあまり目移りしなかったのである。それが良かったかも知れない。
 昔の和歌にあずかれば
「白金も黄金も玉もなにせむに. 勝れる宝民子にしかめやも。」
 お金や資産を持ちたいこ気持ちは分かる。でも昭夫の心は好きな民子が宝であった
 山上おくらさんが聞いたら、どんな気持ちになるでしょうね。

 昭夫の翼は軽々と、遠いい民子のいる大空に、幾ばくかの路銀の擬似銭をしっかり持って飛び立って行った。身内は昭夫の翼が見えなくなるまで、見送った。
 昭夫ちゃん、早くいらっしゃい。百万億度の彼方で民子が待っている。民子は18歳に若返っていた。昭夫は-2歳である。この世では-2歳でも結婚できる。あの世では-2歳は無い。
 あの世では赤ん坊にもなっていない。2年後お婿さんにお乳を飲ませたり、負ぶって歩くようなことになりかねない。民子が使える様になるには、少なくても15年はかかる、
 民子は35歳になってしまう。
 昭夫ちゃん、私は初婚なのよ。今度は昭夫ちゃんの本当のお嫁さんになるんだからね。
 いよいよ、お釈迦様や、地蔵様や他の仏様に来てもらい、結婚式を挙げた。
 地蔵様が祝辞を言った。前世で苦しかったことを忘れて、二人蓮の台(うてな)で暮らしなさい。あなた方は、この世をはばかる事のない、立派な夫婦なのです。
 民子は泣き崩れた。立派な夫婦になれた喜びである。昭夫の胸に飛び込んだ。

 前世でも、曲がりなりに幸せだったのに、「幸福欲には限りがないものだ」と仏は苦笑した。

 

 地蔵様は言った。

「前世で命を大切にして、辛い思いを我慢して長生きした人が、この世で幸せになるんですよ。」

 

 今日は閻魔(えんま)様もニコニコしている。閻魔様の奥様ってどんな人ですか、と昭夫が聞いた。民子さんそっくりだ。やぶへびである。この世にも蛇はいたのかな。

 

先にあの世を旅立った民子の両親も若帰り来ていた。
「民子、あの世でゆっくりしてきて良かった。早く来たら残された昭夫さんに申し訳ないと思っていたんだ。」父親は言った。
 母親も言った。「昭夫ちゃん、娘を長い間、大事にしてくれて有難う。もうこれ以上のことは無いです。」

 父親50歳、母親45歳である。-2歳の昭夫に頭を下げた。やっと2人は本当の夫婦になった悦びを両親は味わった。前世のように結婚式の真似事ではなく、本当の結婚式なので、民子の両親は心おきなかった。

 「民子、この世では無理な入学をしなくてもいいんだよ,学校はないからね。」と両親は言った。好きな昭夫さんと何時までも一緒にいて下さい。

この世では、年齢は無いからね。

赤ちゃんも出来ないからね。

あの世で信一君を生んで置いてきて、よかったと両親は思った。

 両親の目から涙がこぼれていた。


 本当は民子の名は、戒名になっていたんです。前世の民子も、この世では民子ではない。
 「豊心院妙民大姉」「昭雄院安運居士」

 二人の戒名は一つの位牌に並べられた。小百合が亡くななったら、どこに書くつもり。
 真中にでも書くつもりかな、少し空けておかないと、無理に割り込んで書いちゃ、窮屈だし、字も小さくなって小百合がかわいそうになる。生き様のとうりといえばそれまでなのよね。
 でも、戒名って呼びずらくない?「昭雄院安運居士」ちゃん、なんて呼んでも、ギクシャクして
変じゃない。まあ、日常は呼称しないので差し支えないけど。お坊様の世界かなあ。
 
 あの世に残された小百合は、仏壇に線香を点し、昭夫や民子の行く末を案じ、あの世で再び幸せに暮らすよう、鐘を鳴らし思いを告げた。
 線香の煙が絶え間無く部屋中に漂った。1年が過ぎた。線香の煙も何時しか少なくなり、小百合は民子の残した高級車FM-Vで遠距離ドライブを楽しんでいた。好きな所に行き、旅館で美味しい料理を注文した。助手席は広く空席であった。いくら美味しいものを食べても、いくら綺麗な衣装を着て運転しても、勿体ない空虚感が心を重くした。母親が男としてそっけなく扱った独身の元学長に電話でもしてみようかしら。もう定年で、学校には関係ないから、自由な身分だから、助手席に来てくれるかな。

 準近親相姦は社会的には後ろ指を指されるような行いにも考えられますが、世間体に気を散られ我慢する事は、据え膳を腐らしてしまうような取り返しの利かない大きな損失を招く。世間は他人を中傷する事もありますが、責任がないおじゃま虫が多い。そのように、他人の並外れを中傷する人の多くが、不遇な晩年を迎えているのは、その人の過去を知っている人は思いあたる。昭夫と民子の関係を、ほほえましく、仕方ないと思ってくれた人の多くが、安定した晩年を迎えているのは一理ある。
 他人の並外れを単純に中傷する人は、しきたりや世間体を崇拝して、個々に与えられた条件に先入観が先立ちして、上手に順応出来なかったりして、よい機会を失ったり、損失が多い。
 勿論、しきたりは長い間の集積なので、並外れるときは、深い思慮をしないと、思いがけない場合もありそうです。
 昭夫と民子の関係は、深い思慮ではなく、衝動的に関係が始まったと言えますが、その後で2人は深い思慮のもと、関係を護ってきた。他言を言う人の幸福度も2人で調べた。
 ここで気になる幸福度と言う言葉、「幸福は自分の心の中にある。」とかいろいろ定義はありますが、つかみどころがない。2人が調べた幸福度は、「自分に満足しているか。」、「他人に迷惑を掛けていないか?。」 の2点であった。
 やはり、他人を吹聴する人は、二人で調べた幸福度には問題が有り、改善しようとしないで旧態依然と固持していた。事業もうまく行かず、規制緩和に負けたり、給料の少ない不安定な仕事をしていたのです。人前では隠していたが家庭関係にも問題があった。旧態依然の固持が二人の気持ちを楽にした。二人はその不幸度を自分達の物差しで測定した。
  気休めに結婚式の真似事をしたり、準相姦関係と社会的には変とされますが、自分達の恵まれた関係に満足ししっかりした結合は永続した。
 やはり、この世は、真っ直ぐに歩けないようになっている。二人は手に手を取って、少し外れた道を曲がったり、危険な場所は二人の信頼関係が護った。この世で最高の密着した人間関係の道は、並外れたところに敷かれていたのである。二人の道は獣道から一般道を見つけ、広く快適な高速道に出たように例えられる。でも獣道を二人で歩んだ時が、若かったり気概もあったりした事もあり、悪条件の中、幸せ願望期でもあったため、懐かしく楽しく回顧した。獣道時代、やっと信一を生んで育てたのも、二人の信頼関係が危険から護りよい子孫を残す事が出来た。
 民子はどうしても、好きでなかった理事長の子小百合より、好きな昭夫の子信一を内心好意が多かったが、いつも、区別しないように、心を押しつぶし、自分と戦い平等心を保つ私情に苦労した。

法で保護された夫婦関係は、嫌いになっても滅多に壊れない。かなりいい加減でも中途半端な気持ちでも習慣や人情や法に縛られ成立している。
 夫婦でない相愛の関係は、チョットしたことで、ガラスの城の様に壊れてしまうことがある。
 昭夫と民子は、結婚出来ない運命の間柄。二度と遭遇しない待ち望んだ幸せを二人は離すまえと、法で保護されない分、いつも体を緊結して老いるまで関係を守っていた。意地らしい結び付きでした。
 気の進まない結婚の不幸を、「離婚はだめだと言って」我慢させ、不幸の継続をさせ、内心喜んでいる人もいます。離婚を反対する人は自分の世間体を上げたいのです。そんなやつ思い切り顔に泥を塗りましょう。左官技術も勉強して、落ちない泥を塗りましょう。
 他人の心は(兄弟でも)自分の欲のため、汚い一面があります。要注意。そんな人だけじゃないとおもいますが。でもいるんです。
 理事長は、結婚の不幸を民子で癒した。その分民子は昭夫で癒した。
 昭夫も、こぬか3合持ったら婿に行くな。(婿入りは馬鹿らしいものの例え)
をあまり気にしないで、婿入りしたのがよかった。 
 理事長も、民子も、昭夫にも、どんな形にしても幸せが訪れたではありませんか。
 あまり、くよくよしないで、健康管理を充実させて長生きしましょうや。
 以外なことがあっても、永い間には幸せが訪れるかもわかりません。
 いつか幸せが来た時、健康なら受けられるではありませんか。
 今は希望が持てなくても、いつ来るか分からない幸せのために、体を鍛錬したり、健康診断したり、養生したりして、大切にして待ちましょう。もし、あなたの望む幸せが来ないまま終わっても、体を大切にした分だけでも大きな幸せだと思いす。
 未知数の幸せのに向かってアクションしましょう。
 どんないやなことがあっても、失望しても、絶対自分を傷つけないで下さい。  いやな事を押しつける様な人は果敢とした排除も選択のメニューに加えて下さい。そんな人、人間同士の支え合い(人の字型は支え合いの基本)を壊して倒す不幸の商人なので、関係しないほうがよいとおもいます。
  (終わり)
 内容や文節が右往左往したり、前後したり、切れ目やまとまりのない文章最後迄お読み頂き有り難うございました。気晴らし目的で、散文になってしまいました。

告白(転載) 【24】兄嫁は名器

告白・体験
09 /24 2018
【24】兄嫁は名器

2001年6月18日 7時49分23秒 - 兄嫁のSF<>
フロイトさんからお誘いを受けて、兄嫁とのことを報告したいと思います。

俺の兄が結婚したのは今から4年前だった。兄嫁のK子は兄の大学時代の1年後輩で、大学を出て小学校の先生をしていた。
結婚する前から家には何度も来ていたから、俺もK子のことをよく知っていたし、気さくな性格だったので俺とも気があっていた。
といっても、俺は兄貴の彼女として、K子も彼氏の弟としてお互い家族の一員のように仲良かった。
兄貴が結婚して、増築した実家に兄貴たちが住むようになっても、そんな関係は変わらなかった。
K子は小学校の先生をしているせいか、俺が付き合っているOLの子たちとは違って、大人びたところがなくいつまでも学生のようなところがあって、○○君、今度、彼女紹介しなよ、とか、○○君、暇だったら買い物手伝いなよと、俺の方も、Kちゃん、その格好ださいよ、とか、少しは主婦らしくしたらと言い合うような、気さくな間柄だった。
そんなK子から相談を持ちかけられたのは、兄貴たちが結婚してK子が実家に来て2年ほどたった頃だった。
兄貴はコンピュータソフトの会社に勤めていて、この不況下でも業績をのばしていて、その頃兄貴は毎日遅くまで仕事に明け暮れていた。そのため、帰りはほとんど深夜になったので、K子はうちの両親たちと母屋で夕食をとることが多かった。
そんなある日、夕食が終わり、両親は部屋に戻ってしまい母屋のリビングで俺とK子が残ってテレビを見ていた。
俺がK子に、兄貴最近遅いね、仕事忙しいの? と聞くと、いつも気さくで明るいK子が顔を寂しげにくもらせて、最近ほとんど顔をあわせてないの、と珍しくため息をついた。
俺が冗談で、それじゃHもしてないの? って言うと、真顔になって、私たち家庭内別居と同じよと言った。
K子は学生時代から知っていたし、Hの話なども気さくにできる仲だったけど、そのときの彼女は、かなり思い詰めた感じだった。
俺はやばいこと言っちゃったなと内心思ったが、彼女はそんな俺の気配を察して夫婦のことを話しはじめた。
兄貴は結婚した当時は帰りも普通で一般の家庭と変わりはなかったが、ここ1年は兄貴はK子が寝てから深夜に帰宅、K子は学校があるから兄貴が寝ている間に朝家を出るという生活が続いているという。兄貴は休日出勤も多く、たまの休みもK子の学校行事にぶつかったりしてすれ違い状態。二人とも休みの日も兄貴は疲れたといって1日中寝ている。
最初は、仕事が忙しいのだからと思っていたが、最近、兄貴は家庭よりも仕事の方が楽しいのではないかと思うようになったとK子は言う。
私のことなんかより仕事の方がいいのよ、とも言った。
俺は、兄貴の性格をよく知っていたし、仕事に魅力を感じてそっちに気持ちがいっていることはありがちだと思ったので、K子が気の毒に思った。
それに、家でば両親に気を使っているのを見ていたので、ことさらK子が不憫に思えてきて、そのとき初めて、K子のことを愛おしいと思った。こんな思いをさせている兄貴が憎らしくもあった。
俺はK子を慰めてやろうと、今度気晴らしに飯でも食いに行こうかと誘った。
K子は、目を輝かせて、いいねえ、○○くん慰めてくれるわけ? って、おどけて言った。それをきっかけにK子に明るさが戻った。
K子にしても、毎日夕食は両親と一緒だったので、気晴らしをしたかったのだと思う。
2日後、K子と食事をする約束をした。
その日の朝、K子は学校の同僚と食事をして遅くなると両親に言い訳をしていた。俺はそれをリビングで聞いていて、K子に対して秘密を持ったような気がして、妙に意識してしまった。これまでK子とは二人きりで外で食事をするなんてことはなかったから、それもことさら俺にK子を意識させていた。
会社を早めに切り上げて約束の場所へいくと、すでにK子は来ていた。
いつもどおりのタメ口をききながら、K子が初めて俺のうちに来たときのことや、新婚当時、まだ兄貴の離れに風呂がなかった頃、俺が入っている風呂の扉をK子がうっかり開けてしまい、俺の裸を見られたことなど、話しに花が咲き、俺とK子は居酒屋で楽しく酒を飲んだ。
あのとき俺の見た? と聞くと、見た見た、しっかり見たよ、とK子はおどけながら答えていた。
兄貴のよりでかかったろう、と言うと、大きいとは思ったけどね、あればかりは使ってみなきゃねえ、と冗談を言っていた。
K子は日頃のうっぷんを晴らすかのように結構飲んだ。
レストランを出たのはまだ8時頃だったけど、酔いを醒まそうと、近くの公園をぶらぶら歩いた。
隣町だったこともあって、K子は大胆にも俺の腕に腕をからませてきた。互いにまだ家には帰りたくないという気持ちだった、と思う。
俺も酔いもあって、K子の身体を抱くように歩いていた。俺の腕の中にしなだれかかっているのは、兄貴の嫁さんなんだと思うと、妙に興奮してきて、俺の股間ははちきれるほどになっていた。
しかし、それを悟られるのが恥ずかしくて、俺は腰を引き気味に歩いていた。
K子が突然、浮気しちゃおうかなあ、なんて言い出した。
冗談だと思ったから、しちゃえしちゃえと、俺はK子をたきつけた。
K子はマジな顔をして、○○くんなら安心だし、なんて言い出した。
おい、マジかよ、って感じで俺はK子をみたが、K子は目をそらした。
そうなったら俺ははじけるのは早かった。俺は速攻でK子の手をひいてホテルの門をくぐっていた。
部屋に入り、K子にキスするとK子は、唇を離して、やっぱりやめよう、なんて言い出した。
俺はもう止めることはできず、そのままベッドにK子を押し倒して唇を吸った、舌をK子の唇にこじ入れようとすると、K子は、だめよ、やめようって言いながら拒んでいたが、俺の舌がK子の唇に入ると、K子はそれにこたえるように舌をからませてきた。
ねえ、だめよ、こんなことしちゃ、なんて言いながらも、K子は徐々に俺の愛撫に反応しながら腕を背中にまわしてきた。そして、あん、だめえ、そこ、しちゃだめえ、と、K子は甘えるような声で俺の愛撫を受け入れていた。
俺も限界だったので、K子の中に突き入れた。その瞬間、K子は背中を反らして、いやあ、だめえと大きな声をあげながら俺にしがみついてきた。
最初すんなり入ったので、ゆるい感じがしたK子のその部分が段々締まってきた。そして、俺のものに繊毛のようなものがからみついてきた。
俺の脳裡には、イソギンチャクという言葉が浮かんだ。昔エロ本で読んだことがある、繊毛のようなものが男のペニスにからみつきながらキュッと締め付ける、まさしく女の名器だ。
気を許しているとすぐイッてしまいそうになるのをこらえながら、俺はK子を突きまくった。
ああっ、やっぱりいいっ、○○くんのいいっ、といいながらK子は俺の腰に足をからませてくる。
俺はK子の膣内に大量の精液をぶちまけてしまった。
K子から身体を離すと、彼女は俺のモノを握りながら、これは見かけ倒しじゃなかったね、と冗談をいい、口に含んだ。
俺の精液と彼女の愛液まみれになった俺のペニスは、彼女の舌できれいになり、またたくまに大きくなっていった。
結局、その後体位を変えながらもう一回やってホテルを出た。
時間をずらして家に帰ったのは12時近かった。部屋に戻ると携帯にK子から電話が入った。
まだ、兄貴は帰っていなかったこと、今日のことは秘密にしようということ、それに、すごくよかったよ、などとも言っていた。
俺と兄嫁との最初はこんなふうでした。一部誇張した部分はありますが、ありのままを書きました。こんなのでよかったらその後のことも書きます。

告白(転載) 【21】女教師っていってもねえ

告白・体験
09 /24 2018
【21】女教師っていってもねえ

2001年6月11日 0時36分39秒 - 三度笠<>
女教師っていったってとんでもないのもいると思うよ。大学時代同じ学部にいた瑤子って子はおれも含めて何人もの同級生、先輩、後輩とやりまくってた。おれたちの間では公衆○○ていって有名だった。少なくともおれの周りの友だちはほとんどやってた。
下宿に誘えば即やれちゃうんだから簡単なのよ。それにあそこの具合が凄く良かった。入れてるだけでぐいぐい締め付けてくるんだ。
けっこう美人でスタイルもよかったんだけど誰も彼女にはしたくはなかった。だけどお友達ではいたかったわけ。
その瑤子が教職をとって大学を卒業して中学校の先生をしているっていうから驚きだよ。最近会っていないけどどうしてるんだろう。結婚したっていう噂も聞かないし。
もしかして瑤子の学校の男の先生みんな兄弟になっちゃってたりして。

告白(転載) 【20】W不倫中の校長先生

告白・体験
09 /24 2018
【20】W不倫中の校長先生

2001年6月9日 16時11分14秒 - 昔は好青年<>
今W不倫中の相手は小学校の校長先生です。
実は彼女、私が学生の頃つきあっていた子で、半同棲のような仲でした。
いろいろあって、大学を卒業するころ別れたんですが、その後は全く会っていま
せんでした。
風の噂に、学校の先生になったということは聞いていましたが、それ以上のこと
は知りませんでした。
それから25年ほどたち、私も結婚して3人の子持ちになって、彼女のことはほと
んど忘れかけていました。
ところが去年、ふだんあまり娘の学校にいかない私が運動会を見に行ったとき、
偶然彼女に再会したのです。彼女は娘が通う小学校の校長としてその年に赴任し
てきたのでした。
とはいっても最初は気がつきませんでした。声をかけてきたのは彼女の方からで
した。
私が一人校庭の片隅にいたとき、「○○さんでしょう」、と声をかけてきた女性
がいました。振り返ってみると中年の端正な顔立ちの女性がたっていました。誰
だろうと彼女の顔をみているうちに、25年あまり前の彼女の姿が甦ってきたので
す。
「えっ、Tか。Tさんなのか?」
長いサラッとした髪型こそ変わっていたものの、魅力的な切れ長の目や瓜実顔の
面影はそっくりそのままのTがいました。
「久しぶりね。やっぱりあなただったのね」
私が思いだしたのを受けて、彼女は笑顔で話しかけてきました。
ほっそりとした体は少しふっくらとしたようでしたが、体にアンバランスなほど
大きな胸は健在で、かえって堂々とした貫禄を感じさせる女性になっていました。
「なんで?、なんでここに?」
という私に、彼女は、「何言っているの、私は○○ちゃんの学校の校長先生よ」
と、私の次女の名をあげて少しおどけたしぐさで言いました。
彼女は、偶然父兄の名簿で私の名前を見て知っていたというのです。
「同姓同名だから、もしかしたらあなたかなと思っていたんだけど、やっぱりそ
うだったんだ」
お互い懐かしさから、たくさん話したかったのですが、運動会の真っ最中という
こともあって、こんどゆっくり会って話そうということになったのです。
家内は私が結婚前に付き合っていた女性がいたことは知っていましたが、家族の
もとへ戻った私は、Tとの再会について話しませんでした。別に恋愛感情をひき
ずっているわけではなく、Tとのことは私にとってはすでに過去の想い出として
しか残ってはいませんでしたが、なぜか言い出せなかったのです。Tが40代後半
とは思えない魅力的な女性になっていたことがそうさせたのかもしれません。
Tから携帯に連絡が入り、数日後喫茶店で会いました。
淡いイエローのニットのスーツに身を包んだ彼女は、学校の中の先日とは違った
雰囲気で、あらためて25年あまりの歳月がTを女として開花させた歳月でもあっ
たのだと知らされました。
レストランに席を移し、卒業後教職についたこと、結婚をして2人の子供がいる
こと、校長としては私の娘の学校が初めての赴任だったことなどがTの口から語
られました。
そのうち昔話に花が咲き、お互いの家庭の話、それにお互いの結婚生活のことま
で、それまでの年月を埋めるかのように語り合いました。
互いに体の隅々まで知り尽くした間柄なので、空白の時間を取り戻すのには時間
はかかりませんでした。ワインの酔いも手伝って、Tの口からは学校の人間関係
に悩んでいることや、さらには、現在夫婦関係がうまくいっていないこと、ここ
数年夫婦関係もないことまで語られました。
レストランを出て帰途につくでもなくぶらぶらと繁華街を歩いていると、Tは私
の腕に体を寄せながら、「もう少し一緒にいさせて」と言ったのです。
そこにいたのは、校長として振る舞う女性管理者としてのTではなく、以前心と
体を許しあった女としてのTの姿でした。
私たちは自然とホテルの門をくぐり部屋に入ると、抱き合っていました。
ベッドの中の彼女は、もちろん下腹部や太ももなどに脂肪がつき体の線こそ違っ
ていましたが、感じ方はかつて求めあったときのTそのものでした。私の両手に
余るほどの大きなバストはさらに成長した感じで、たわわに実っていました。し
いて言えば、感じる場所が広がっていたということでしょうか。
ここ数年間夫婦関係がなかったというTは、私たちの空白の時間を埋めるばかり
ではなく、自分の女としての時間を取り戻そうとするかのごとく私の体の下で喘
ぎ続けていました。
正常位から彼女が好きだったバックの体位になると、枕に顔を埋めて泣きじゃく
っていました。
激しく乱れてぐったりしたTが時計に目をやりました。
Tには子供と亭主の待つ家と、明日は小学校の校長としての仕事が待っていまし
た。それは私にも同じことがいえます。
時間など気にせずに愛し合ったころが懐かしく、別れてからの長い年月が現実と
なって私たちの間に割り込んでくる瞬間でした。
それからというもの月に2、3度会って体を重ねています。Tは、私の前では校
長という立場を忘れ、一人の女、一匹の牝となって激しく乱れるのです。

告白(転載) 【18】新任小学校教師

告白・体験
09 /24 2018
【18】新任小学校教師

2001年5月29日 18時23分7秒 - 名無しさん<>
新任の小学校教師の彼女が最初に私の部屋きたのは、もう
7年も前の事です。

当時独身だった私は、彼女が卒業した大学の非常勤講師を
していましたので、広い意味での教え子という事になるで
しょうか。

地方都市の大学を卒業した彼女は、そこから高速で1時間
ほどの中山間地域の小学校に赴任しました。ただでさえ若
い女性が目立ってしまう田舎町で、大学を出たての女性教
師ですから相当注目されたようです。今で言うストーカー
のような事もたびたびあったそうで、彼女にとっては相当
なストレスになっていました。加えて、彼女が当時つき
あっていた彼氏は嫉妬深い性格で、その事がさらに彼女を
追い詰めることとなりました。

街中で突然「先生」と声をかけられた時、彼女と同じ人で
あると最初はわかりませんでした。これから彼氏とデート
という事だったのですが、体調が悪く、結局デートをキャ
ンセルして私の部屋で休んで帰ることになりました。

部屋で休んでいる間、彼女から色々な愚痴を聞かされまし
た。愚痴を全て吐き出しているうちに、彼女の表情は私の
知っているかつての彼女に少し戻ったような気がしました。
大学の講師としの立場では教え子の女性の容姿については
意図的に考えないようにするのですが、彼女はかなりの美
人に入ると思います。不眠症で表情に翳りが目だっていま
したが、その知的な美しさは隠しようがありません。

その夜、帰る術がなくなってしまい、車で彼女を送ろうと
しましたが、下宿先に遅く帰るといろいろと言われると言
う事で、私の部屋に泊まって学校へは直接出勤する事にな
りました。

送って帰そうとする頃まではそれほど意識しなかったので
すが、いざ彼女が私の部屋に泊まる事になってしまうと、
急に彼女の女を意識してしまいました。

ベッドに入って悶々とした気持ちでいたのですが、しばら
くして、「先生、仙人になれる・・・寂しい・・・」と彼
女から私のベッドにもぐり込んで来ました。

10秒ぐらいは仙人でいられたと思います。でも1分後には
完全につながっていました。裸にした彼女の体は若く、し
なやかで見ていて美しささえ感じる素晴らしいものでした。

すぐにつながってしまったのですが、本当に私達のからだ
がなじむまでの間、最初のうちは、彼女の心の傷を私の体
にこすりつけて来るような感じがありました。その傷を受
け止めるのはしんどい事でした。

やがて、体がなじんでくるにつれ、どこをどう責めれば良
いのかを彼女の体が教えてくれるようになりました。彼女
に言わせると「先生の体とは相性が良い」ようなのですが、
いろいろな体位をためして、責め方を変えるたびにおもし
ろいように何回もいってくれました。最後は私に入れられ
たまま、XXXをひくひくさせながらそのまま寝入ってしま
いました。

翌朝、「ひさしぶりにぐっすり眠れた」と彼女は昨日とは
別人になっていました。十分に満足させられて、いろいろ
な事から開放され爽快だったそうです。

また来たいと言われて、もと教え子の浮気の相手という多
少の罪悪感もあったのですが、彼女の体の魅力に負けて部
屋の鍵を渡してしまいました。

彼女の学校へ向かう早朝の高速道路は寒気で凍る事もなく
空いていました。学校の近くで長いディープキスで分かれ
ました。

続きを読む

告白(転載) 【15】無題

告白・体験
09 /24 2018
【15】無題

2001年5月20日 8時28分32秒 - 女教師大好き<>
俺自身女教師とつきあったことないけど、付き合ってみたいよね。
女教師って学校ではいつも真面目にしてなくちゃだから、そんな女をものにした
いっていう気持ちはあるよね。簡単に股を開きそうなキャンギャルと違って、な
んかふだんとのギャップがそそられるんだな。
俺仕方ないから、今付き合っている女に先生をやらせてやってるよ。「先生こん
なことしていいのかい、親にばれたら大変だよ」「いいの、先生だって女よ、や
りたいのよ」なんて遊んでるんですけど、トホホ。

告白(転載) 【14】バイトの体験

告白・体験
09 /24 2018
【14】バイトの体験

2001年5月20日 3時55分9秒 - 苦学生<>
学生時代小学校で夜警のアルバイトをしていたときのことを書きます。
夕方5時から翌朝の7時までのバイトで、夜中に2回見回りをするだけのいたって簡単なものでした。この見回りは苦手でしたけどね。後は用務員室のようなところでテレビをみたり本を読んだりといった感じで、慣れてくるにつれて、暇にまかせていけない遊びをおぼえちゃったんですね。
何をやったかというと、見回りの時職員室の女の先生のロッカーとか机の引き出しを見て回るんです。ばれたらやばいのでかなり後はもとどおりにして
おいて慎重にやりましたけどね。
ロッカーにはたいていカギがかかっていたんですけど、机の引き出しはほとんどカギはかかっていないんです。ロッカーのカギはその先生の机の引き出しに無造作に入っているんですね。それで簡単にロッカーを開けられちゃうわけなんです。案外アバウトなんですよ先生って。
女教師のロッカーではけっこうお宝を発見したんですけど、中でも一番のお宝はなんといってもバイブでしょうね。それもぶっといやつで見るからにグロテスクなものなんです。ロッカーの奥に3重ぐらいに紙袋に包まれて隠すようにしてあったので、なんだろうって思って開けたらでてきたんです。動かしてみたらほとんど電池切れの状態で、確かに使った形跡があるんですよね。ロッカーには名札が貼ってあるんで、持ち主はすぐわかったんです。その先生、30代で旦那さんも子供もいる人で、飛び抜けた美人というわけじゃないけど、優しそうな感じで、かえって地味な感じの先生なんです。私がバイトに行くと、よく女の先生たちにパンとか缶コーヒーとかもらったんですけどその先生にもときどきお菓子をもらったりしました。けっこう私人気者だったんですよ。
バイブを発見してからっていうもの、いろいろ想像しちゃってその先生を見る目が変わったんですけど、ばれたらバイトを首になるだろうし、やめるまではおとなしくその先生のこと観察してました。
その他にもいろいろ発見しちゃいましたよ。独身の女教師の引き出しからは、マイルーラがでてきたし、ロッカーにいつも新品の下着を入れている先生もいましたね。それもけっこう凄い下着なんですよ。あんなのどこで履くんだろう。
バイブの先生Y子先生っていうんですけど、彼女とはバイトをやめてからちょっとした展開があったんですけど、そのことはまた書きます。

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。