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小説(転載) Eternal Delta 9/9

官能小説
08 /28 2018
第4章 嘘から出た本音〈2〉

 本当に来てしまった。
 遙紀の家がある高鳥地区の東隣が蒼羽地区。蒼羽駅から北へ直行バスで二十分。大きなドーム型の建物が一つあり、それを囲うように楕円形に屋外ブースが広がっている。この辺りは古い家柄の人が多く住んでいて、日本とは思えない大きさの家がいっぱい建っている。カリフォルニアとかビバリーヒルズ、といった感じだ。その高級住宅街のど真ん中に、南條エンターテイメント・ビックアイがある。
 ビッグアイというのは雪山に住む伝説の一つ目の雪男のことで、本来なら恐ろしい姿で描かれるところを、マスコットキャラクターらしく愛嬌のある姿に変わっている。白い毛皮に覆われた一つ目の雪男がパーク内のあちこちにいて、小さい子供を脅かしたり抱きかかえたりして遊んでいる。あんなアルバイトをする人って大変だろうなあと、雪男を見て遙紀は思った。
 朝のうちは、屋内のゲームで遊んだ。ほとんど梨玖に振り回される形だったが。
 昼食は、東側の屋外ブースにあるレストランに行った。遙紀はグラタンセットを食べ、梨玖はハンバーガーセットを食べた。
 梨玖が会計を済ませている間、遙紀は先にレストランの外に出て待っていた。
 ……なんか、普通にデートしてるわ。
 それが悪いわけじゃないのだが、こんなことしてていいんだろうかと思った。
 よく考えれば、あの時にあの場所であんなことをした梨玖がそもそも悪いのだし、あの程度の嘘で梨玖が怒ったりするはずもない。たぶん、なんだ嘘かよ、って言って終わりだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 だけど、嘘をついたことに変わりはなく、そのことで自分は罪悪感を感じている。生理なんて嘘だったの、とさっさと言うべきなのだ。なのにあの夢のことを思い出して言えずにいる自分がとても情けなかった。
「よーし、行くぞ遙紀」
「え? あ、うん」
 レストランを出てきた梨玖は、すぐさまどこかへ向かっていった。遙紀は慌てて後を追った。



「……これ、乗るの?」
 遙紀は唖然として、それを見上げた。
「乗るんだよ」
 梨玖は即答した。
 二人は今、巨大観覧車の前にいる。一回り三十分はかかるというゆーっくりのーんびりした乗り物。
 これまでにもほかの遊園地などへ行ったことは何度かある。梨玖はジェットコースターみたいな「血が騒ぐ」ものだったらなんでも乗りたがる。普通の奴からループの奴、垂直落下とかぐるぐるに振り回される奴まで。しかしこの観覧車やメリーゴーランドみたいな平和かつ安全なものはつまらんとかいって絶対乗ろうとしなかった。
 危険……なわけはないはずだが、恐いものに乗せられたあとはちょっと落ち着ける奴にしてくれ、と付き合わされている遙紀はいつも思う。
 それなのに。どういうわけか。まだ全然ジェットコースター系に乗っていないのにもかかわらず。梨玖は観覧車に乗ると言い出した。
「……なんで?」
「乗っちゃわりいのか」
 梨玖は憮然としていた。
「だって。あんたのガラじゃないじゃない」
「いーから乗るんだよ」
 と言って梨玖は遙紀の腕を引っ張って、五メートルぐらいの列の最後尾に並んだ。
 遙紀たちの前にいるのは、ほとんど全部がカップル。自分たちもそうだけど、なんというか、空気が違う。ピンク色のオーラが見えそうなぐらいに、ベタベタ。観覧車でいちゃつこうというのは別に構わないが、乗ってからにしてもらいたい。
 列が進むのは、観覧車の移動速度よりも遅いような気がした。二十分ぐらい経った頃にやっと自分たちの順になった。
 先に遙紀が中に乗って、進行方向に向いた方に座った。そして梨玖は向かい側じゃなくて隣に座ってきた。
 カップルだったらそれが当たり前のような気がするが、なんでだろうと遙紀は考えた。
 梨玖はスケベだけどあんまりベタベタしない。身体がくっついていないと不安だ、というタイプではない。遙紀も恥ずかしいから、というのではなくて、そこまでくっついてなくてもいいじゃない、と思うのだ。
 しかし。もしかしたら、あの恥ずかしくて死にそうなことを自分にし出してから、なんか変わったのかもしれない。ほかのカップルみたいにピンク色のオーラをまといたいというのか──。
 ──あ!
 ま、まさか、こっ、こんなとこで、あ、あんな……ことするんじゃ……。
 いや、いくらなんでもそれはないと思う。人前では絶対軽いキスもしない梨玖が、誰も見ていないとはいっても誰にでも見られそうなところであんなことするわけないと……思いたい。だいたい梨玖は自分が今生理中だと思っている。
 で、でも、じゃあなんで、隣に座るの?
「遙紀」
「え、な、なに?」
 観覧車のドアが閉められてからすぐ、梨玖が上着のポケットからなにかを取り出して遙紀に差し出した。小さくて白い紙袋。
「……なに?」
「なにって、あれ」
「は?」
「……お前、今日なんの日か判ってねぇの?」
「え?」
 今日?……なに?
「四月何日だ?」
「え? えっと……十二……あ」
「判ったか?」
 自分の誕生日であった。なんか色々あってすっかり忘れていた。今日で遙紀は十七歳になるのだ。
「俺、先月十六になったばっかだっつーのにな……ま、いーから開けろよ」
「う、うん」
 おバカな梨玖が憶えていたなんて信じられないが、とにかくこの袋の中身は誕生日プレゼントなわけだ。
 ちょっと、いやかなりどきどきしながら袋を開けた。愛想のない袋の入っていたのは、これまた愛想なくケースもなにもないイヤリングが二つ。
「……これ、梨玖が買ったの?」
「おう」
「……ほんとに?」
「なんだよ」
 ムーンストーン……本物ではないだろう、白く濁った半透明のガラス玉かなにかで出来た涙滴型のイヤリングだ。いつ買ったのかはともかく、こんなアクセサリーを梨玖が買ったなんて……想像すると笑える。
「なに笑ってんだよ」
「あ、ごめん。ありが……」
 礼を言いかけて、遙紀ははっとした。
 もらっちゃっていいんだろうか。嘘つき女のくせに。
「遙紀?」
「……あ、あの」
 今言わないと、一生、あれは嘘だったの、と言えなくなる。梨玖にずっと嘘をつき続けることになる。
「どした?」
「……あ、あのね、あたし、生理じゃ……ないの」
「はあ?」
「だ、だから、生理って言ったのは、嘘なの」
「……ああ。んで?」
「で、って……だから、あたし今、生理じゃないんだってば」
「生理じゃないのは判ってるって。なにが言いたいんだよ」
「……え?」
「はーるーき?」
 呆然とする遙紀の顔の前で、梨玖はひらひらと手を振った。
「ひょっとしてお前……俺が本気にしたと思ってたのか?」
「……え?」
 梨玖は変な顔をした。
「あのな、お前あん時寝てただろ? 俺、触っても反応ないって言っただろ?」
「……え?」
「だから、触ったんだよ。胸とかあそことか」
「……え?」
「すぐやめたけどな。つまんねぇから。だいたいお前な、生理の時っていつもジーパンはくじゃん」
 確かにそうだ。スカートだとなんだか落ち着かないので、遙紀は生理の間はずっと濃い色のジーパンをはく。学校ではスカートの下にブルマをはく。さらにジャージの裾を膝まで折ってはいたりもする。
「……え、じゃ、じゃあ、なんであの時やめたの!?」
 嘘だと判っていたのに?
「あー、いや、さすがにちょっとあそこでやるのはまずかったかな、って」
「……じゃあ……どうして生理終わったか?って聞いたりしたの?」
「そりゃー、あんなとこでやったからお前が怒ってんのかと思ってさ。生理終わったって言われるまでやめといた方がいいかなーと思ってたんだけどな」
「……なにそれ……」
 強ばっていた全身の力が、一気に抜けていくのを感じた。
 最初からばれていた……じゃなくて、最初からあの行為をやめてもらうための言い訳だと知られていた。ただ単に、調子を合わせて言っていただけ?
 嘘ついて梨玖を騙したと思って悩んでいたのは無意味だったのか?
 嫌われるかも、と不安になっていたのは……。
 遙紀は、観覧車の天井を見上げ、はあ、とため息をついた。
「おーい? どした?」
 梨玖がまたひらひらと手を振る。
「……なんでもない」
 わりと梨玖は勘の鋭いところがあって、かと思えば今みたいに自分がなんでため息をついたのか判っていなかったり。でも基本的には単純な奴なので、あそこであんな嘘をついたからといって気にするような奴ではなかったのだ。
 ……バカみたい。
 初めて梨玖に嘘をついてしまったという罪悪感だけで、自分がこんなに暗い思考をするとは思わなかった。結構自分は心配性らしい。
「はーるーき」
「……なに?」
「つけねぇのか?」
 と言って遙紀が持っているイヤリングの袋を指差した。
 こういうものは、もらったらやっぱりその場でつけてみるのが普通なんだろうか。
 そう思って遙紀は、カバンの中から小さい手鏡を取り出した。
「ちょっと持ってて」
 梨玖に渡して遙紀の目の高さに手を固定してもらう。
 袋から一つイヤリングを出して、まず右の耳につけてみた。
「……あ、ねえ、そう言えばなんでイヤリングなの?」
「ああ、お前あんまりこういうのしないなーと思ってさ」
 アクセサリーが嫌いなわけじゃないが、数多く持っているわけでもなかった。たまに、本当にたまにペンダントをするぐらい。イヤリングなんて、つけたことなかったような気がする。
「つけて欲しいとか思うの?」
「あー……まあ、たまにはな。つけなくても可愛いけどな」
 どき。
 ……こいつ最近、やたらと可愛いなんて言う。嬉しいことは確かに嬉しいんだけど、さらっと言われようが、こっちが照れるのでやめて欲しい。
 必死に心臓の早鐘を正常に戻そうと努めながら、遙紀は左耳にもイヤリングをつけた。
「……ん~……」
 遙紀は右向いたり左向いたりしながら、鏡で左右対称かどうか確認したが、鏡が小さいので判りにくい。
「ねえ、ちゃんとなって──」
 鏡の向こうにいる梨玖に目を向け、見てもらおうと言いかけたのだが、梨玖はぼけーっとした顔でこっちを見ていた。
「梨玖?」
「……メ」
「め?」
「……メッチャ可愛い」
 呟くように言って、梨玖は鏡を落としていきなり遙紀を抱き寄せた。
 ──どきんっ!
 初めてキスされた時みたいに心臓が跳ね上がった。せっかく落ち着いたと思ったのに。
「な……なに……?」
 男の力で抱き締められて、息が詰まりそうになった。梨玖の、どの辺りかよく判らないが服の上で遙紀は一生懸命呼吸しようとした。
「……わりい」
 言って梨玖は腕の力を緩め、真剣な目で遙紀を見つめた。
「え、え?」
「我慢できねえ」
「は? な──」
 なにが我慢できないんだと質問する間もなく、口を塞がれてしまった。しかも最初からディープだ。いつもは唇の感触を楽しむように軽いキスを何度か繰り返してから舌を入れてくるのに。だからなのかは知らないが、少し荒っぽいような感じがした。しかし普段が優しすぎるのであんまり乱暴だとは思わなかった。
 突然なのはいつも突然だが、イヤリングをつけただけなのになんでだ、と遙紀の頭はちょっとパニックになっていた。
「んっ……ふぁ……り、梨玖、あの、んむっ……」
 お互いの唇が離れた瞬間になんとか制しようと思うのだが、すぐに塞がれて何も言えない。キスされるのは素直に好きだと言えるのだが、だからといってこんなところじゃやっぱりなんというか。
 ……え、あ、うそ、や、やっぱり、こんなところであんなことまでしちゃうつもり!?
「や、梨玖、あ、あの……ぅん……ちょ、ちょっと待っ……」
「キスだけ」
「だ、だけって……んっ……け、けど……」
「お前が怒ってると思ってたからずっと我慢してたんだぞ」
「……って、その前は……んふぁっ……も、もっとしてなかっ……ひゃ!」
 口から離れたと思ったら、梨玖はイヤリングをつけた遙紀の左の耳たぶをくわえた。遙紀はぞわっと全身総毛立たせ、くすぐったくて身体を硬直させる。
「やんっ、り、梨玖、ちょ、ちょっと、それ、や、やめて……!」
「やーだね」
「ひやぁぁっ! そ、そこでしゃべんないで!」
 耳の中に梨玖の熱い息がかかってなんともいえない気分になった。もしかしてこれは、感じているということなんだろうか?
 ──うそぉ!
 しかし、今すぐやめて欲しいと思う反面、もっとやって欲しいと思うのも事実だった。
 ああ、うそ、あたし、梨玖みたいに、す、すごいスケベになったんじゃ……。
 耳たぶをくわえられたり息をかけられたり最後には耳の中に舌を入れられたり。だがそれだけでは終わらずに、梨玖は耳から下へ向かった。
「や、あぁぁっ……!」
 遙紀の肩につく髪に梳くように手を入れた梨玖は、首筋に舌を這わせた。
「やっ……ちょ、キ、キスだけって……んんっ……い、言ったじゃ……」
「キスしかしてないじゃん」
「で、でも、そ、それって……んぁぁ……!」
 舐められたり吸われたり。首筋にキスされるのがこんなにぞくぞくするとは思わなかった。やっぱりこれは、気持ちいいと感じていることになるのか?
「遙紀」
「……んっ……な、なに……あぁ……」
「もっと声聞かせろ」
「きっ」
 聞かせてるじゃないの、充分!
 と怒鳴りたかったのだが声にならなかった。これ以上変な声を出そうと考えたりしたら、ものすごい声で叫んでしまいそうだ。
 今いるのは、地上から遥か上空で、個室とはいっても上半分はガラス張りで外が丸見え。外の景色を眺めるためのものなので見えて当たり前なのだが、どうしてカーテンとか色つきガラスじゃないの!?と思わずにはいられなかった。
 たぶん、ほかの個室でも似たようなことがなされているんだろう。だから誰が見ているわけもないのだが、もしかして誰かが望遠鏡とかで覗いてたら、なんて思ってしまう。
 口と耳と首。三ヶ所も攻められてだんだんぼや~っと視界が揺れてきた。頭が真っ白になって梨玖の為すがまま、という状態になるのは時間の問題。いや、今でもかなり為すがままだが。
 ぼうっとしている遙紀は、あの部分が熱くなってきていることを自覚した。下着が濡れているような感じはないけど、このまま続けられたらたぶんそうなる。直接触られているわけでもないし、胸を触られているわけでもない。キスだけでこんなの、変じゃないんだろうか。熱いのに、寒気を感じているみたいに全身が震えて止まらない。
「……んんあぁぁ……り……く……あ、あの……んっ、あ……」
「やめるか?」
「……ん……」
 やめて欲しいけどやめて欲しくない。続けて欲しいけど、やっぱりダメ。
「じゃーさ」
「……え……?」
 梨玖は唐突にキスをやめ、遙紀の鼻先でにたりと笑った。
「帰ってから続きやるぞ」
「……え?……つ、続きって……」
「お前がイクまで」
「……う、そ、それって……ま、またあたし……だけ……?」
「は? ああ、そうそう」
 ……やだ、うそ、なんで……?
 なんであたしだけなの? なんで梨玖はなにも……。
「あ、あの……ね、梨玖」
「なんだ?」
「あ……あたし、じゃ……したく、ないの?」
「……………………は?」
 梨玖はしかめっ面をした。
「やってんじゃん」
「じゃなくて……あの……ふ、普通の……っていうか……」
「やっぱ俺も一緒にイって欲しいのか?」
「ち、違う! そうじゃ、なくて……えっと……普通、男の子って自分がしたいからするんでしょ? なのにどうして梨玖はしようとしないの? あたしどこか変なの?」
「……いや別に変じゃねぇけど。っていうかメッチャ可愛いけど」
「う、いや、で、でも、あの……梨玖言ったでしょ? その……女の子がそうなってるのを見て男は興奮するんだって。けど梨玖は、あたしがそうなってても興奮しないから、普通のはしないんじゃ……ないの?」
「……あ~~」
 梨玖は目をしかめ、額に手を当てて考える人のポーズをした。
「……あのな」
「う、うん」
「好きな女が悶えてて興奮しない男がどこにいる」
「で、でも」
「男がみんな興奮したらやりたがるってもんじゃねぇんだよ」
「……でも、あんた最初の時に……普通にしようとしなかった?」
「あ、あれはだな、え~、あ~、その~」
「……なに?」
「な、なんでもいい。あれは忘れろ。俺は忘れた」
「……なにそれ」
「と、とにかく!」
 梨玖はなにやらごまかすように怒鳴った。
「女は最初はすげぇ痛いっていうんだよ。けど俺はお前に痛い思いさせたくないし、自分の欲だけで抱くっていうのがなんか独りよがりっていうか、それにお前がイクとこは見たいんだけど俺がお前の中に入れちまったら見てる余裕がなくなる気がするからもったいないしだな、だいたい、花嫁っていったら処女が当然だろ!」
 怒ったようにそう言ったあと、肩で息をした梨玖はほんのわずかに頬を染めて顔を逸らした。ムッとしたような顔で、どこか遠くの空を見つめている。
「……はなよめ?」
 遙紀は唖然として言った。
 ……今どき、処女の花嫁?
 もちろん、いないこともないと思う。純潔を貫いて結婚するカップルもいることだろう。だけど、梨玖がそんなこと考えてるなんて。
「……幻想持っててわりいか」
「えっと……悪いとかじゃなくて……あんたって……乙女チックなのね」
 言うと梨玖はずっこけた。前のめりに額を足下の鉄板にぶつけた。ちょっと個室がぐらっと揺れた。
「お前な!」
「……ごめん」
 梨玖の照れた顔なんて、付き合ってくれと告白されたとき以来だ。照れながらすねた梨玖は、再び座り直して、ぼそっと言った。
「……しょーがねぇだろ。大事にしたいって思っちまったんだ」
「……え?」
 なにかとんでもない言葉を聞いたような気がして、遙紀はゆっくり顔をめぐらせて梨玖を見た。
 右足を左足の太股の上に乗せ、右足の膝の上に頬杖をついた恰好の梨玖は、さっきよりももっと顔を背け、二度と言わねえぞ、と言いたげにわざとらしく大きく鼻を鳴らした。
「……あ、ありがと……」
 こういう場合、礼は言うべきなのか言わなくていいのか、悩んだが、嬉しいので言ってしまった。
「……おう」
 こっちを見ないまま、梨玖は返事をした。
 割り箸を空中でぐるぐる回したら巨大な綿菓子が出来そうなほどに甘ったる~いムードが漂っているのにもかかわらず、どちらも観覧車を降りるまで一言も口を利かなかった。



 夕方近くになって、二人は家に帰った。以前のデートはもう少し遅くまで、夕食も一緒にとってから帰っていたのだが、帰る家が同じなのだから何時に帰ろうとも同じだ。
 そもそも今日は母が自分のために夕食を作ってくれているのだ。早く帰らないと悪い。夕食はなにがいいかと尋ねられたのは、たぶん自分の誕生日だったからだ。ゆっくりしてね、と言ったのも、そのためだろう。
 しかし、母はダイニングで料理本を真剣な表情で見つめていた。自分たちに気づくと、母は慌てて本を閉じた。
「あ、あら。早かったのね」
「なにやってんだよ、お袋」
「……お母さん、もしかしてラザニアは作ったことない……とか?」
「や、やぁね。もちろんあるわよ。復習してたの。復習」
 たぶん、嘘だ。こういう嘘は、嬉しいものだが。
 母子二人暮らしの家庭で、ラザニアなんて凝ったものは、そうそう作るわけにもいかないだろう。この母は、息子を一人で育てるために仕事と家事をしてきた。比重が仕事に偏るのは仕方ない。現に梨玖が、レトルトが多い、と以前言っていた。
 料理に手間をかけるかどうかで、母としてどうかということにはならないと思っている。母親というものがいなかったからそう思えるのだろうが。
「……お母さん、あたし手伝うわ」
「あ、あらダメよ。遙紀ちゃんは今日は休んでてもらわないと」
「え、えっと……あ。お母さんと一緒に料理作りたいの」
「……あら。まあ。そう。やだわ。嬉しいじゃないの。やっぱり持つべきものは娘ねぇ。息子じゃ役に立たないもの。愛想ないしねぇ」
「……なんだよ」
 梨玖は憮然としていた。
 着替えてくる、と母に言って、遙紀は二階へ向かった。
 部屋に入ろうとドアを開けたとき、あとから上ってきた梨玖に呼び止められた。
「なに?」
「部屋の鍵」
「は?」
「今日は閉めんなよ」
 う。
 遙紀は冷や汗をかいた。
 ……それはつまり、あとで部屋に行くという意味であって、それはまた、観覧車での続きをするという意味であって。
 嫌じゃない。嫌じゃないんだけど、素直に頷くのはまだ恥ずかしいし、鍵を自分が開けているというのは、梨玖に言われたからというよりも、来てくれと言っているような気がして……。
「開けとけよ。じゃないとドア叩きながらやらせろーって叫ぶぞ」
「は!?」
 こ、こいつならやりかねない……。
「……わ、判ったからそれだけはやめて……」
「よし」
 満足げに頷いて、梨玖は自分の部屋に入っていった。
 ……どこが……大事にしてやりたいって……?



 母は、料理があまり得意ではない人だったらしい。もちろんそれは仕事が忙しくてあまり料理を憶えられなかったということであって、才能がないという意味ではないのだが、ラザニアを作るのには二時間かかった。
 はーらへったーとダイニングテーブルで叫ぶ梨玖を無視して、遙紀はラザニア以外の料理を作っていった。
「……む? ずいぶん豪勢な料理じゃないか。今日はなんか特別な日か?」
 これが実の父の言葉であった。まあ、娘の誕生日なんて十年ぐらい前から忘れている人だ。自分の誕生日ですら忘れている人なので仕方ない。
 夕食は午後八時。そのあと一番に風呂に入らされて、上がってきたらリビングにデコレーションケーキが用意してあった。十年ぶりに歳の数だけのローソクを消し、誕生日ってこんなんだったんだ、と懐かしく思ってしまった。
 さらにそのあと、兄から電話がかかってきた。今まで一度も妹に祝いの言葉なんて言ったことがないのに、花送っといた、などと言ったのである。おそらく、母がそうさせたのであろうと思われる。母親というのは、みんなそうするものなんだろうか。それとも義理だからなのか、あるいはいつも自分が家事をしているからなのか。でも母の親切なのには変わりないので、素直に喜ぶことにした。



 午後九時。
 風呂に入って下着を替えたばかりなのにもかかわらず、遙紀はタンスの前であーでもないこーでもないと悩んでいた。
 なにせ予告されてしまったのだ。バージンが奪われるわけじゃないらしいが、でもやっぱり自分は裸にされるわけで、ということは下着も見られるわけで、となると一番最近買った奴で梨玖に見せても恥ずかしくないもの、というのをはいていた方がいいかなあと思ったのだ。恥ずかしくないもの、なんてあるわけないし、見せるために下着を選んでいるということ自体がとんでもなく恥ずかしいのだが。
 しかし、決まる前に梨玖がやってきてしまった。
「はーるきー。やるぞぉー」
 ドアを開けて入ってきた瞬間に、梨玖はそう言った。
 どきっとしながらも、遙紀は呆れて何も言えなかった。ムードというものを知らないのだろうか、こいつは。
 ……って。
 ムードなんて考えた時点で、自分は少し期待していたのだと判って赤面した。
 タンスを閉めた遙紀は、そこに立ったまま、音が聞こえそうなほどにどきどきしながら梨玖の動きを見ていた。
 部屋に入ってきた梨玖は、ドアの内鍵をまず閉めていた。両親対策だろう。
 それから部屋の中をきょろきょろ見回す。
「え~っと」
 なにやら探しているらしい。
 遙紀の机に向かい、梨玖は椅子を調べ始めた。ぐるっと回したり、背もたれを動かしてみたり。市販の学習机などにくっついてくるキャスター付きの普通の椅子である。
「……なにやってんの?」
「ん~、いや~、ちょっとな……」
 上の空みたいな返事をし、梨玖は「ダメだな」と言って椅子を元に戻した。
 なにがダメだというのか。
 次に梨玖は押し入れを開けて中を覗いた。
「なー、遙紀」
「……なに?」
「座布団ねぇか?」
「……座布団? 下の方に置いてるけど」
「……おう、あった……って一個だけか」
 と梨玖は呟いて、その座布団を出した。少し厚みのある奴で、遙紀が小学生の頃に作ったのだが、最近はずっとしまいっぱなしだった。
 それをベッドの方へ持っていき、枕と重ねてベッド脇の床の上に置いて座り、うーんと唸って首を捻った。
 続けてベッドに深く腰掛け、後ろを見てやっぱダメ、と首を振る。それから今度は遙紀の掛け布団を分厚くたたみ、壁にくっつけて置き、布団にもたれるようにベッドの上に座った。しかしまだなにか気に入らないらしく、押し入れから毛布を引っ張り出してきた。
 なんだか知らないが、梨玖なりに思うところがあって、なにかセッティングをしようとしているのだろう。……なんのセッティングなんだか。
 梨玖の不審すぎる行動を見て、遙紀の胸の高まりは収まってしまった。
 人が心の準備をしてないときにはいきなりやるくせに、なんで覚悟を決めたときにはこんなに前準備に時間をかけるのか。
 ムッとしているというか苛ついているというか、やはり多少は期待していたということに照れはしたのだが、でもやっぱり期待はずれだと思っている部分の方が大きいようだ。
 もう、追い出しちゃおうかな。と考えた遙紀は、カーテンがちゃんと閉められていないことに気づいた。
 されるにせよ、されないにせよ、夜にカーテンは閉めるものだ。だいたい、数メートルの距離があるとはいっても真向かいには修祐の部屋がある。以前と同じならば、だが。白いレースのカーテンだけでは影が見えるだろうから、ちゃんと厚い方のカーテンも閉めておこうと思った。
 ベッドや押し入れや机を行ったり来たりしている梨玖をほっといて、遙紀はベランダの方へ向かった。
 星や月の絵柄がプリントされた黒いカーテン。それを閉めようとして、ふと、向かいの家の玄関に人がいるのが見えた。
「……あれ?」
 男女一人ずつ。一人は修祐だ。修祐が修祐の家の前にいても何ら問題はない。
 だが、もう一人の小さい人影は、どこからどう見ても、久遠だった。
「……なんで?」
 久遠はテレビでは長い髪を二つに分けて耳の上当たりから垂らすという、ロリータな髪型をしているが、普段はバレッタで大人っぽくまとめ上げる。今も変装用の髪型をして頭にサングラスを置き、服装もロングタイトのスカートにノースリーブ・ハイネックの服。背が低くても着こなしが上手いので実に似合っている。
 その横にスマートで背の高い修祐が並ぶと、ずいぶんと大人のカップルに見えた。なんだか自分たちとは大違いだ。
 いや、そんなことより。なぜこんな時間に久遠が修祐の家から出てくるのか。
「ね、ねえ、梨玖。ちょっと。ねえ、ちょっと来て」
 玄関でなにやら話している二人から目を離さずに、遙紀は梨玖を手招きした。
「なんだよ。もーちょっと待てって。すぐしてやっから」
「そ、そうじゃないわよ! いいからちょっと!」
「……なんだよ」
 なにやらぶちぶち言いながら梨玖がやってきた。
「あ、あれ見て」
「はあ?」
 遙紀は二人に見つからないようにと思って少ーしだけカーテンを開けているのに、梨玖はそれを無理やりばっと開いた。
「……んだ、ありゃ」
「……変よね?」
「変……どころじゃねぇだろ」
「……付き合ってるのかな?」
 そんなこと久遠は一言も言わなかったし、修祐も言わなかった。素振りすら見せなかったのに。
「いや、けど……あいつ……」
 なにやら言いかけて、梨玖はちらっと遙紀を見た。
「なに?」
「……いや。まあ、別にあれだな」
「なんなの?」
「なんでもねぇよ……にしてもあいつ、わりと手ぇ早ぇんだな……」
「どっちが?」
「どっちって……あ~両方」
 梨玖は自分で言ってうんうんと頷いた。
 二人が揃ってどこかへ歩いていった。まあおそらく久遠の家まで送っていくというところだろう。
 現場を目撃しても、遙紀には信じられなかった。
 あの二人が付き合っているなんて。いや、付き合っているのかどうかは定かじゃないが、しかしこんな時間に男の家から出てくるなんて、どう考えても深い付き合いだとしか思えない。それともほかにこんな夜遅くに久遠が修祐の家にいる理由があるだろうか。
 ……ないわよね、やっぱり。
 だったらやっぱり付き合っているのか?
「……うそ~」
 修祐って久遠のファンだったんだろうか。以前に修祐の口から崎元久遠の名前なんて聞いたことなかったが。
 そう言えば修祐が失恋した相手ってどんな子だったんだろう。久遠に似てるのかな、と遙紀はなんとなく考えた。
「あ、おい!」
「え?」
「あいつらのことなんかどうでもいいんだよ!」
「は?──きゃ!」
 腰から抱きかかえられて、遙紀はベッドまで運ばれた。抱き上げられるのは前にも経験したが、足が浮いた不安定な状態というのはとんでもなく恐いのだ。落ちても大したことはないと思うが、でもやっぱり梨玖にしがみつこうとしてしまう。
 投げられるようにベッドの上に降ろされた。ベッドの端は、深く座っても太股の半分までがやっと置ける程度の幅になっていた。ベッドは横幅一メートルちょっとあるはずなのに、なんでだろうと思ったら、すぐ後ろにかけ布団と毛布の山が出来ていた。
「……なにこれ」
「下のソファーみたいなのがあったらよかったんだけどな」
「え?」
 梨玖は真横に座ってきた。この前、生理と嘘をついたときのように、遙紀の横にぴったりくっついている。
「下に足降ろしてる方がやり安いし、寝転んだらさ、ちっちゃくなるだろ?」
 と言って遙紀の胸を指した。
「……悪かったわね。大きくなくて」
「んなこと言ってねぇだろ。なんかこう、下から持ち上げてたぷたぷしたいなーってさ」
「た」
 たぷたぷ。
 ……こ、このスケベ……!
 遙紀は真っ赤になって梨玖を睨んだ。が、梨玖は知らん顔していた。
「んじゃ、やるぞ」
 と色気もなく言われた途端、遙紀の心臓はまたどきどきどきどき言い始めた。
 ……やっぱり期待してるんだ、あたし……。
 それが証拠に、キスされて胸を触られただけですぐに下着の奥が熱くなってきた。もしかして直接触られる前に濡れてしまうかもしれない。それを見たらきっと梨玖は驚いて、自分は死ぬほど恥ずかしくなるんだろう。でも、やめて欲しいとは全然思わなかった。



 翌日、月曜日。
 久遠に事の真相を確かめようと思ったのだが、久遠は休みだった。芸能活動よりも学校を優先している久遠は滅多なことでは休まないのに。
 急な仕事でも入ったのかな、と思っていたら、同級生の女の子たちが遙紀を呼んだ。
「ねえ、高杉さんって久遠と仲いいでしょ? この人誰か知ってる?」
 まだクラス全員の名前は憶え切れていないが、そう聞いてきたのは古島仁美という名前の女子生徒で、出席番号が遙紀の前だ。テニス部でレギュラーをしていると自慢げに自己紹介していた。自慢げといっても別に嫌な感じではなかったし、席もすぐ前なので遙紀はよくに話をする。
 久遠の名を呼び捨てにしているが、特別仲がいいというわけではなくて、単にテレビで久遠は「久遠」と名前の方だけで呼ばれることが多いからだ。名字と名前の一部ずつをくっつけて呼ぶのがはやっているからといって、どこかのマスコミが「サキクオ」などと略したことがあったのだが、言いやすく縮めるはずがかえって言いにくくなったのでそれはまったく定着しなかった。
 ほかの、まだ遙紀が憶えていない女の子三人と、スポーツ新聞を机に広げて読んでいた。こんなものを読むなんて親父臭いわ、と思ったが、見出しに大きく「崎元久遠」と書かれていたので納得した。
 久遠がなんでスポーツ新聞に?と首を傾げつつ見ると、名前に続けて「恋人か!?」と書いてあった。
「……恋人?」
「聞いたことある?」
 興味深い顔で、仁美たちが遙紀に聞いた。
 久遠から聞いたことはないが、それらしいのがいるみたいではある。
 どこかの町中で昨日見たのと同じ服装をした久遠が、男と腕を組んで歩いている後ろ姿の写真が一面に載っていた。見憶えがある風景なのでおそらく高鳥地区周辺だろう。サングラスをかけているが、久遠だとすぐに判る。見慣れているから判るのかもしれない。
 久遠は腕を組んだ相手の男に顔を向けていた。つまり横顔が撮られているのだが、男の方はわずかに斜めを向いているだけなので、顔は全然判らない。かろうじて、眼鏡をしているのが見て取れる。
 知らなければその正体は絶対に判らないだろう。しかし、遙紀には久遠以上に見慣れた後ろ姿だった。彼氏である梨玖以上にも見慣れた男。生まれてから今まで、正確には十六年間、いつも一緒にいた奴だ。
 どこからどう見ても、それは修祐以外の何者でもなかった。
 ……撮られちゃったんだ。
 自分のことのように、遙紀は動揺した。
「高杉さん、知ってる?」
「……え、あ、いや……あの子に恋人なんていないと思うけど……」
「でも腕組んで歩いてるなんて、ねえ?」
「うん、絶対、彼氏よ」
「でもなんかかっこよさそうな人じゃない?」
「そーね、大人って感じ」
「いーなー。芸能人かな?」
「えー? そうかなあ。こんな感じの人っていたっけー?」
 仁美たちは勝手に決めつけ、あれこれ想像していった。
 下手に自分が言い訳するとかえって怪しまれる。たぶん今日、久遠が休んでいるのはこのせいだろう。
「……こ、これ、あとでもらえないかな? お金払うから」
「うん、いいわよ」
「あ、ありがと」
 その後、回し読みされていい加減くたびれた新聞を買い取り、遙紀は昼休みに弁当と新聞を持って二年七組にダッシュした。


第4章 嘘から出た本音 終わり

小説(転載) Eternal Delta 8/9

官能小説
08 /28 2018
第4章 嘘から出た本音〈1〉

「……結婚?」
 修祐は呆然とした顔で聞き返した。
 久遠の問題発言のあと、とりあえず座ろうぜ、という梨玖の言葉で遙紀は我に返った。ソファーの奥に自分と梨玖が座り、廊下側に久遠と修祐が座っていて、さっきからずっと久遠は修祐の横顔を眺めている。確かに修祐はハンサムな顔立ちをしていて背も高くて頭がいい。実際モテる奴だが、だからといって初対面でいきなり「抱いてくれ」はないと遙紀は思う。
 遙紀が割ったグラスを片付けてコーラを入れ直している間に、久遠が修祐の隣にさっと座ってしまったのだ。自分としては誰がどこに座ろうとも構わないのだが、修祐が左半身を異常なまでに緊張させているのがはっきり判る。修祐は元々人見知りするタイプだし、せっかくモテるのに実は女の子が苦手な奴だった。だからこそ、ちょっと付き合ってみる、ということが出来なかったのだろう。
 その修祐の様子を見て、梨玖が哀れだという顔をしていた。久遠なんかに好かれて、と言いたいのだろう。遙紀もちょっとそう思う。
 コーラの入ったグラスをみんなの前に置き、遙紀が梨玖の隣に座ってから、梨玖が修祐に質問した。義理の兄弟姉妹は結婚できるのか、と。
 もし出来ないとしたら、自分はどうするんだろう、と遙紀は考えてみた。結婚できない相手と付き合うのは変というか意味がないような気がする。別に結婚を前提に付き合っているというわけじゃないが。しかし、今現在好きなのは梨玖だ。結婚できないから付き合うのをやめる、なんて、ちょっと、かなり、嫌だった。
「出来るよ、確か」
 修祐はあっさり言った。
「……え、ほ、ほんとに?」
 なんというか見えない壁に突進していって突然その壁が消えて勢い余ってそのままずっこけた、みたいな感じだった。ようするに肩透かし。それが悪いわけじゃないが。
 見れば梨玖も、眉をひそめて唖然としていた。
「あくまでも義理なんだから、なんの問題もないと思うけど」
 修祐はさらにあっさり言った。
「……でも、戸籍上は姉弟でしょ?」
「ああ、いや、それはそうだけど……」
「んなことどこにも書いてなかったぜ。……と思うぞ」
 梨玖は疑わしい顔をしていた。なんでそんな簡単に判るんだ、と言いたいんだろう。
「書いて?……ああ、六法全書読んだのか?」
「うん、一応見たんだけど……連れ子同士での結婚、って言葉が全然なかったから」
「ない?……そんなことないと思うけど」
 見せてくれと修祐に言われたので、遙紀は父の書斎に六法全書を取りに向かった。
 今日もまた父は部屋で執筆中で、母は出版社へ出掛けた。母は昼過ぎに帰ると朝出掛ける前に言っていたが、帰ってきたら画集に載せる書き下ろしの絵を描くので、夕食の準備は今日も遙紀の仕事だ。基本的に家事は好きなので構わない。が、普通父親が再婚する理由といえば、子供には母親という存在が必要で、家事をしてくれる人が必要だから、じゃないかと思う。まあ、高校生にもなって甘えたことを言うつもりはないし、母親がいないのが当たり前の生活に慣れてしまっていたから、新しい母がパワフルに仕事に熱中するのは全然OKだ。
 書斎に入ると、本に埋もれた父の猫背が見えた。積み上げられた本の上にどんぶりが載っている。ちゃんと空になっていた。執筆中の父は持ってきたら食べるが、持ってこないと永遠に食べない。
「父さん、六法全書、また借りるからね」
 と言って遙紀は本の山の中から「明解六法」を取り、どんぶりと箸を持って書斎を出た。ドアを閉める前に、「む?」という父のずれた返事が聞こえた。
 先にどんぶりと箸をキッチンの流しに置きに行き、リビングに戻った。
「はい修祐。これでいいんだよね?」
「ああ……ずいぶん古そうだな」
 色褪せた「明解六法」を手にして、修祐はぺらぺらとページをめくった。
「めちゃ早かったな」
 梨玖は意外だという顔をした。まあ、昨日に比べればずいぶんと早い。
「うん。上の方に置いてたから。それよりあんた飲み過ぎ」
 梨玖はコーラのペットボトルを持ってきていた。もうほとんど空になっている。
「なに言ってんだよ。五センチほどしか入れてねぇぞ」
「……なにが五センチ?」
「梅酒」
「……はあ!?」
 遙紀は思わず、梨玖のグラスに顔を近づけて匂いを嗅いでしまった。
「うわっ……」
 強烈なアルコールの匂いに、頭がふら~っとした。ソファーの上に横向きに倒れる。
「お前、酒入ってるって言ってんのに匂うなよ」
 弱いくせに、と梨玖が呆れた声で言った。
 頭がずきずきしてきた。五センチの酒だと、梨玖にすれば飲んだうちに入らないのだろう。しかし遙紀にすれば酒樽に浸かったようなものだ。
「えーっと、遙紀? いいか?」
 修祐の呼ぶ声がした。
 ……なんの話してたんだっけ?
 意識がもうろうとする遙紀を、梨玖が無理やり引き起こした。
「ほら、飲め」
 グラスを口に当てられた。無意識に中身を飲む。甘ったるい炭酸飲料。アルコールは入ってない。みたいだったので自分のグラスだろう。じゃなかったらちょっと困る。
「大丈夫か?」
「……ん~……なんとか……」
 まだ頭はふらふらするが。
「……あー、ごめん、修祐」
「ああ、いや。えっと、ここに書いてるんだけど」
 と言って、修祐が本を遙紀と梨玖の前に置き、一部分を指差した。
 遙紀は目を凝らしてそれを見た。……ぼやけてなにも見えなかった。
「梨玖……読んで……」
「へいへい。えー……どこだって?」
「ここ。近親婚の禁止ってところの、但し、の後」
「……えー……但し、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない」
 棒読みするように梨玖が読み上げた。そして首を捻る。
「……なんのこっちゃ?」
 それは昨日、遙紀も読んでいた部分だが、いまいち意味が判らなかった。
「傍系って……おじさんおばさんとか、甥とか姪とか……ってことよね?」
「まあ、そう。自分の兄弟も入るんだ」
「……あれ? そうなの?」
「ああ、だから、これが遙紀たちのことになるんだよ」
「……え? でも、養方の傍系血族って……義理の親の傍系血族ってことじゃないの?」
「いや、えっと……養方っていうのは養親の方の、っていう意味なんだ。普通は養子って実の親と引き取った方の親がいるだろ? だから引き取られた親の方側の、養子から見た傍系血族ってこと」
「……え、じゃあ……あたしと梨玖がその関係ってこと?」
「そう」
「待て、判らん。だからなんだって?」
 梨玖がしかめっ面をした。遙紀も自分でなにを話しているのかよく判っていない。
「養子ってだいたいは全然赤の他人か、親戚の子を引き取ったりするだろ? だから実際には三親等以上の場合が多いから、遺伝子学的に問題なかったらいいってこと」
「……えー、よーするにだ、俺と遙紀が結婚するのはまったくなんにも心配しなくていいってことか?」
 さっぱり意味が判らないので、梨玖は結論だけを聞いたのだろう。そして修祐はまたあっさりと頷いた。
「そういうこと」
「……なんだよ! そうか! お前、いい奴だな!」
 梨玖はべしべしと修祐の腕を叩いた。
 初めて会ったときの、あのすねた顔はどこへ行ったのか。過去を引きずらないのは男の特権か、梨玖の性格によるものか。
 まだ少し頭がぼうっとしているが、遙紀は考えた。
 どうやら梨玖と結婚してもいいらしい。というのは判ったが、だからといって本当に結婚することになるのだろうか、こいつと。
 嫌なわけじゃない。一般的な家庭というのに憧れてもいる。しかし、ぴんとこない。仕事から戻ってくる梨玖を、家で洗濯とか掃除とか食事の用意とかして待って……。
 ……って、別に今やってることと変わらないじゃない。
 なんだ。そっか。
 だったらいいか、別に。
 遙紀は自分の将来の可能性の一つを、実に簡単に受け入れた。
「ねぇ、遙紀ちゃん」
「え?」
 今まで黙っていた久遠が突然口を開いた。遙紀はその存在を忘れていた。
「もうお話終わった?」
「……は?……うん、まあね」
「そっ。じゃあ、修ちゃん、帰ろっ」
 とか言って久遠はぴょこんと立ち上がった。
 遙紀は今変なものを聞いたような気がした。
「……しゅうちゃん?」
 遙紀は梨玖を見た。梨玖は眉をひそめて唖然としていた。続けて修祐を見た。修祐は引きつった顔をしていた。
 しゅうちゃん、というと、この場にいる中でそう呼べるのは修祐しかいないが。
 なぜいきなり修ちゃん。
「だってぇ。修祐ちゃん、だと長いんだもん」
「……だもん、じゃなくて……」
「ねえ、修ちゃん、帰ろー」
 遙紀を無視して、久遠は修祐の腕を引っ張った。
「え、いや、帰るってどこに……」
「やっだぁ。うちまで送って、って言ってるのぉ」
 久遠の家は、ここから少し南に行った高級マンションの最上階。両親はほとんど事務所に寝泊まりしているらしく、久遠は一人暮らしをしているようなものだ。
「……いや、それはちょっと……」
 腕を引っ張られているので修祐は半ば腰を浮かせているが、顔は困っていた。
「ちょっと、久遠。あんた芸能人なのよ? 判ってる?」
「なにがぁ?」
「……なにがじゃなくて。あたしだったらともかく……修祐じゃやばくない? 男よ?」
「あー、平気平気」
 なにを根拠に言うのか、久遠はぱたぱたと手を振った。
「だって私今、制服だし。あそこに住んでることってマスコミは知らないもん」
 いったいどうやってごまかしているのか、久遠は東京の事務所の近所に住んでいることになっているらしい。だが高鳥地区では崎元久遠という芸能人がどのマンションにいるかというのはものすごく有名だ。
「……まあいいけど。でも気をつけなきゃダメよ」
「判ってるってばぁ」
「え、いや、ちょ……」
「修祐、嫌なら嫌って言えよ。そいつつけ上がるぜ」
「梨玖ちゃん! 人の恋路を邪魔しないで!」
「……こ、恋路……?」
 修祐はなにをどうしていいのやら、困っていた。気持ちは判る。
「えーっと、修祐。送ってってやって。昼間とはいってもやっぱり久遠だから。一人じゃ危ないと思うの」
「いやぁん! 遙紀ちゃん大好き!」
「……わ、判った」
 狼狽しつつも修祐は頷いた。
 きゃー!と奇声を、いや、喜声を発しながら久遠は飛び跳ね、リビングを出ていった。
 修祐は、はあ、とため息をついた。
「ごめんね、修祐」
「いや……テレビと全然違うんだな」
「テレビは全部演技よ」
「……今判った」
 もう一度ため息をついて修祐が立ち上がる。
 遙紀も二人を見送りに行こうと思って立ち上がり、一歩足を踏み出した。と思ったら、突然頭にアルコールが回ってくらりと視界が揺れ、足の力が消えて前のめりに倒れた。
「──ひゃ!?」
「え」
 どさっと倒れ込んだのはソファーだと思った。のだが、白い合成皮革の手触りではなくて、綿の手触り……Tシャツだ。それと薄手の上着。
 くらくらする頭を上に向けた。十センチぐらい先に修祐の顔があった。
「あ、ごめん。まだ酔ってたみたい」
「……いや」
 中途半端に遙紀の身体を受け止めている修祐の腕が、なんだか固かった。腕だけじゃなく、身体全体が。
 なんでだろう、と考える前に、スカートの腰を後ろから引っ張られた。
「酔っぱらいはじっとしてろ」
 梨玖に腰を抱えられた遙紀は、そのまま元の座っていた場所に戻された。代わりに梨玖が二人を見送りに行った。
「修祐、またね」
「……ああ」
 修祐は振り返らずに返事をした。



 後頭部をかきながら、梨玖がリビングに戻ってきた。なにやら頭を捻っている。
「……あのなあ、遙紀。やっぱあいつさあ……」
「え~……? なに~……?」
 遙紀はぼや~っとした返事をした。なぜかさっきよりもアルコールが回っているみたいな気がする。
「……なんでもねぇ」
 ぼやけた視界の向こうで、梨玖がしかめっ面でため息をついたように見えた。
「お前ほどアルコールに弱い奴って珍しいよな。母親似か?」
「……う~ん……弱いなんて聞いたことないけど……そうじゃないかなぁ……父さんもお兄ちゃんも飲めるし……」
「じーさんとかばーさんとかは?」
「……いなーい」
「はあ? いないこたぁねぇだろ。死んだから知らねぇとか?」
「じゃなくてぇ、どこにいるのか知らないの」
「……はあ?」
「父さんと母さんって駆け落ちだからぁ。音信不通なの」
「……そーだったのか?」
「うん。学生結婚しようと思ってたんだけど、親が両方とも反対したから、二十歳の時に駆け落ちしたの。大人だったら親の承諾いらないでしょぉ? だからそれまで我慢してたんだって。母さんってね、どっかのお嬢様だったらしくてぇ。でも父さんって怪しい小説家でしょ? だから反対されてたみたい」
「……怪しいって言うなよ、お前が」
「なんでぇ?」
「なんでって……あ、お前、俺のコーラ飲んだのか?」
「え~? 飲んでないよ」
「なくなってるぞ」
「え~?」
 と言った直後、遙紀はひっく、としゃっくりをした。
「……あれぇ?」
 目の前に置かれた二つのグラス。確か、右側を取ったはずだった。梨玖が二人を見送りに行っている間に、遙紀は酔いを醒まそうと思ってコーラを飲んだのだが。左側の方が空になっていた。
「……どーも話し方が変だと思った」
「一緒だってばぁ」
「いや、幼児化してる。っつーか久遠化してる」
 とんでもないことを言って、梨玖はリビングを出ていった。
「どこ行くのぉ?」
 聞いたが返事がなかった。が、すぐに戻ってきた。
「ほら、これ全部飲め」
「ん~。なに~?」
「水だよ。いーから飲めって」
「ん~」
 渡されたマグカップを両手で掴む。口元に持ってくるだけでずいぶん時間がかかった。特別なんの味もしない水を飲み干した。のだが、半分ほど左右からこぼれていった。あごと首と胸元とTシャツが濡れた。
「ん~~~気持ち悪~~~い~~~~熱~~~い~~~~」
 身体の奥が火照ってきた。風邪で高熱が出た時みたいだ。熱くて服なんて着ていられない。と思って遙紀はがばっとTシャツを脱いだ。
 さらに胸も苦しくなってブラジャーも取ってしまう。
「……色っぽいんだか色気ないんだか」
 梨玖の呆れたような声が遙紀の耳を素通りする。
 遙紀はこてん、とソファーに倒れた。心地よい睡魔が襲ってくる。
「あ~あ。しょうがねぇな」
 なにやらぶつくさ言う梨玖の声を聞きながら、遙紀は眠った。



 遙紀はガン!ガン!というものすごい音で目を覚ました。
「……なんなの……?」
 頭に響くその音は、まるで除夜の鐘の中に頭を突っ込んだみたいに、遙紀の頭を揺さぶり続ける。
 それが、自分の頭痛だということに気がついて、遙紀は体を起こした。
「……いったーい……」
 頭を両手で押さえつけても、頭痛は治らない。
「そりゃ急性アル中って言うんだよ」
「……え?」
 ふと見ると、梨玖がすぐそばで宿題をやっていた。遙紀のノートを写している。
「……何であんたがあたしの部屋にいるの?」
「リビングだっての、ここは」
「……あれ?」
 言われてみれば、自分の部屋より大きなテレビが右手にある。正面には父のロッキングチェア。
 なぜ自分がここで寝ていたのか、遙紀は首を傾げた。
「服持って来てやったから着ろよ」
「……服?」
 左手にずり落ちたタオルケットがあった。おそらく梨玖がかけてくれていたのだろう。その横に、見慣れた水色のブラウスと薄いピンクのブラジャーが置いてあった。梨玖だけあって色が適当だ。水色のブラジャーもあるのに。
 でもなんで着替えなんて、と疑問に思った遙紀は、身体を見下ろしてはっとした。
「──きゃあぁ!」
 上半身裸。慌てて胸を隠す。
「な、なん……ど、どうして……え、え!?」
 確かTシャツを着ていたはずだった。ブラジャーも今日は確か白……。
「あ、あんたなんかしたの!?」
「お前が自分で脱いだんだろーがよ」
「う、うううそぉ!」
「あのな。俺のコーラ割り梅酒飲んで、へろへろになって服脱いでぶっ倒れたんだよ」
「な、なにその気持ち悪い飲み物」
「なにが気持ち悪いだよ。全部飲みやがって。コーラも梅酒も残ってなかったのに」
「……い、いつ?」
「四時間前」
「え?」
 遙紀はテレビの上にある壁時計を見た。午後四時少し前。そんなに寝ていたとは。
 前後不覚になる前になにがあったのか、遙紀はじっくり考えようとした。久遠と学校から帰って、そのあと梨玖が帰ってきて、昼食に親子どんぶり食べて、修祐が来て、少し話を……話……話? なんの?
「……修祐と久遠は?」
「とっくに帰ったって」
「……あ、そう言えば一緒に帰ってたような……なんの話してたの?」
「あのな。俺とお前が結婚できるかってことだろーが」
「……ああ、そっか……あ~~そんなことより頭いたぁい……」
 驚きで一瞬退いていた頭痛がまた戻ってきた。とにかく早く服を着なければ。
「こ、こっち見ないでよ」
「いーじゃん、別に」
 梨玖はにたにた笑った。
 裸を見られること自体が恥ずかしいが、服を着るところを見られるのもまた恥ずかしい。脱ぐところよりはマシだが。
 遙紀はソファーに後ろ向きに正座して、梨玖に背を向けた。さっさとブラジャーを着け、ブラウスを着る。最後の胸元のボタンをとめながら前に向き直った。
 ふうと安心して息をついたと思ったら、梨玖が真横にいるのに気づいた。
「わ、な、なに!?」
 ソファーに斜めに座って遙紀の背中近くの背もたれに片腕を置き、遙紀の左側にぴったりくっついていた。
「寝てるときにやってもつまんねぇしな」
「な、なにが」
「触ったってなんの反応もないし。けど四時間もあんな恰好見せられたんじゃあなあ」
「だ、だ、だから、なにが!?」
「だから見せろ」
「は!?」
「イクとこ」
「はあ!?……って、ちょっ──」
 反論する暇もなく口を塞がれる。
 しばらくして梨玖の舌が進入してきた。言葉遣いが悪くておおざっぱで無茶なことばっかり言う梨玖だが、キスはいつも優しくて甘くて遙紀はすぐにぼうっとする。最初は他人の唾液を飲むなんてかなり抵抗あったのだが、二回目からは平気になった。思考が停止するので抵抗を感じている余裕なんてなくなるのだ。
 頭が白くなってきた頃、遙紀の頬を支えるように持っていた梨玖の左手が、ゆっくり下に降りていった。ブラウスのボタンが二つ外されて、ブラジャーがめくり上げられて、右の胸を鷲掴みにされたときにやっと遙紀は気づいた。
「……んぅ!?……やっ、ちょ……ちょっと……!」
 キスの間に忘れてしまったが、イクとこ、ということは、またあんなことをしようというのだろう。
「ちょっ……や、やだ、梨玖、んむっ……や、やめ……」
 キスをされながら胸を揉まれる。なんとかしてキスを逃れてきっぱりやめろと言わないと。こんなところじゃいつ両親に見られるか。
「梨玖、やめてってば……! お、お母さん帰って来るじゃない!」
「もう帰ってる」
「え!?」
「部屋で仕事中。あ、晩飯よろしくだってさ」
「へ、部屋って、隣じゃないの! や、やめてよ!」
「んじゃ上行くか?」
「そ、そーじゃなくて!──やぁっ……」
 胸の先端をつままれた。身体の中心を、なにかが駆け回った。痛くない程度につままれたまま、くりくり動かされる。背中がぞくぞくし、体が熱くなってきた。これはアルコールがまだ残っているからなのか、愛撫されることに身体が慣れてきて反応が早くなっているのか。声を出さないようにすることだけに、遙紀は一生懸命集中しようとしていた。
 梨玖の口が左胸に移った。片方だけ上げていたブラジャーを左側も上げ、梨玖が胸に吸い付いた。
「いやぁんっ……!」
 出さないように頑張っているのに、勝手に声が出てしまう。これでは絶対両親に聞こえる。もしこんなところを見られたら、どう言い訳すればいいのか。言い訳するのは梨玖だろうが、自分も何か言われるに決まっている。だいたい、親にこんな自分の姿を見られるなんて、この世で二番目に嫌だ。一番嫌なのは梨玖に見られることだが。赤の他人に見られるのも嫌だけど、好きな相手に悶える姿を見られるほど恥ずかしいことはない。
 といってもそれが見たいと言ってこんなことをしているのはその相手だが。
 吸ったり転がしたり揉んだり。口で左胸をもてあそびつつ、梨玖が左手を降ろしていく。膝の上に梨玖の手が置かれ、スカートと一緒に徐々に上がっていく。
「やっ! だ、だめ! ダメってば!」
 そんなところまで触られたら、絶対ものすごい声を上げてしまう。
 遙紀は忘れていた自分の両手で、必死に梨玖の手を止めようとスカートを押さえる。
「だーいじょーぶだって。口塞いでてやっから」
 と言って遙紀の口を右手でぱたっと押さえる。
「ンーーーっ!……そっ、そんな問題じゃないってば!」
 頭を振って梨玖の手から逃れた。
「どんな問題だよ」
 親に聞こえるのが問題だ!……と言おうとした遙紀だが、もっと違うことじゃないと梨玖は止められないように思った。
「あ、あ、あ、あ、あの、あ、あたし……せ、生理中なの!」
 梨玖の全部の動きがぴたっと止まった。
「……マジ?」
 遙紀はこくこくと頷いた。
「昨日はなんともなかったのに?」
「け、今朝からなの」
 声がちょっとひっくり返ってしまった。なぜなら大嘘だからだ。生理は十日ほど前に終わったばかりだ。
 生理中だ、なんて言うのはいくら彼氏であろうが非常に恥ずかしい。彼氏だからこそ恥ずかしい。女の身体として当たり前の機能なのだが、どうしても恥ずかしい。初潮は小学六年生の夏休み。夜に宿題をやっていて下着が冷たくなっていることに気づいた遙紀はトイレで初潮を知った。しかし父に相談するわけにもいかず、慌てて血だらけの下着をはいたままで修祐の家に駆け込み、修祐の母に助けを求めたのだった。その翌日、修祐の母は赤飯を炊いて持ってきた。父は遙紀が女になったと嬉しいのか悲しいのか泣き叫び、兄はさんざん遙紀をからかって遊んだ。そしてさらに翌日、買い物に行こうと家を出たところで修祐とばったり会ったのだが、修祐は顔面真っ赤っかにして走り去ってしまった。おそらくどうして赤飯を炊くのかと母親に聞いたのだろう。どこ行くの?と聞きかけた遙紀だったが、そのあと恥ずかしくて家に駆け戻った。
 そういうことがあったお陰で、遙紀は女友達とも生理の話をするのが恥ずかしい。しかも、生理だという嘘をつくなんて。
 梨玖はため息と共に遙紀から手を離した。
「あ~~、さすがにそれはちょっとなぁ……血は恐いな」
 どうやら諦めてくれたようだ。
 男にとって生理なんて未知のものだから、普通の血とは違うと判っているだろうが、止めどなく流れる血、なんて確かに恐いだろう。
 ほっとすると同時に、遙紀は罪悪感を感じた。いくら場所が場所だからといっても、梨玖にそういう嘘をつくなんて。
「……けどお前さ」
「え、な、なに!?」
 梨玖は不思議そうな顔をした。
「春休みに入ってすぐに生理になってなかったか?」
「……え?」
 なんで知ってるの?
 両親が結婚したのは春休みの中頃。三月の終わり。その頃には遙紀は生理が終わっていたので、一緒に暮らしていてなんとなく判った、というわけじゃない。第一、遙紀は父や兄にいつ生理なのかを知られるのが嫌なので、交換したナプキンなどは裏庭のゴミ箱に捨てる。だから同居していても判るわけないのだが。
「お前ってさ、生理の時ってすげえ辛そうな顔してるからな。だから今あれなんだろうなって判るんだけど」
「……は?」
 辛そうな顔?
 生理痛の薬を飲まなければいけないほどに辛い時なんて、年に一、二度あるぐらいだ。それ以外はわりと平気だ。前回の生理も大したことはなかったのだが。
 大したことはないといっても多少は体調に変化がある。その微妙な違いを、この梨玖が判っているというのか?
 ……うそだ。
 絶対ただの勘だ。しかし勘が当たるのもすごいが。
「今は平気そうだな?」
「う、うん。平気なときもあるの。あ、あれ、あたしちょっと生理不順なの」
「ああ、周期が一定じゃないって奴か?」
「う、うん」
「そういや、若い時って普通そうだって言うよな」
 ……どうして男のくせにそういう知識があるのだ。
 やっぱりこいつスケベで変態だ。
「んじゃ、生理終わったらやらせろ」
「……は!?」
「ダメっつってもダメだぞ。俺まだお前がイク時の顔見てないんだからな」
「し、知らないわよ、そんなこと!」
 そんな顔見たからってどうだっていうのか。見せるなんて約束した憶えはない。
 生理なんて長くて一週間。遙紀の平均は四~五日。短ければ三日で終わるときもある。
 終わったと言えばその場であんなことをされる。しかしいつまでも嘘はつけない。
 ……いつまで嘘をつけばいいんだろう。



『嘘ついたぁ?』
『あ、あの』
『お前、付き合ってる相手に嘘つくような奴なのか?』
『だ、だから……』
『ああそーか、そんなに俺にされるのが嫌なんだな? 触って欲しくないんだな? ってことは付き合いたくもないってわけだろ?』
『え、ち、ちが……』
『いーよ、判った。俺だってお前なんかよりもっとやらしてくれる女の方がいいからな』
『え……』
『じゃーな』
『梨──』



「──って!」
 なにかを叫びながら、遙紀は体を起こした。
 真っ暗闇の中から出てきた遙紀は、自分のいるところがどこなのかを知るのに、しばらく時間がかかった。
 自分の部屋だ。自分のベッド。寝ていたのだ。
 ベランダのカーテンの隙間から陽が差し、どこかでスズメか何かの鳴き声がする。
 真後ろの目覚まし時計がぴりぴり鳴っているが、ずいぶん遠くで聞こえているような気がした。
 ……夢だ。
 夢を見ながら夢だと判っていた。
 だけどすごく現実っぽくて自分で作った出来事だとは思えなかった。
 あんな夢を見た理由は判っている。嘘をついたことへの罪悪感。
 今日は……日曜日。嘘の生理の五日目。
 二日目。冗談めかしてまだか?と聞く梨玖に、たった二日で終わるわけないでしょ!と言った。
 三日目。そろそろ終わったか?と聞く梨玖に、バカじゃないの?という顔を向けた。
 四日目。つまり昨日。いい加減終われよ、と言う梨玖に、自分の意思で止められるわけじゃないのよ、と言った。
 今日もまだ終わっていないとは言いづらい。普段は五日も経てば終わったも同然なほどしか血は出ない。遙紀にすれば五日は長い方だ。
 早ければ来週の頭、遅くとも来週の末にはまた本物の生理が始まる。余程体調が変になっていない限り、二回も連続して半月周期で来るわけがない。そんなことは今まで一度もなかった。
 嘘だったと、すぐにばれる。なんであんなバカなことを言ったんだろう。
 場所が場所だし、すぐ近くに両親がいたし。アルコールが抜けきっていなくて頭痛がひどくて。またあんなことされて身体が前より早く反応していたような気がするし、それに慣れてしまうのが恐かったし。
 おまけにまた、梨玖は自分だけを「イカせ」ようとしていた。
 ……だからといって、嘘をつかれていたと知ったら、梨玖だって怒るはずだ。あんな風に、拒絶されて見捨てられて置いていかれて……。
 ……嫌だとは、思わなくなってきた。恥ずかしくてやめて欲しいとは思うけど、でも本気で拒否しようとは思っていない。みたいだ。感じているのかどうかはまだ自分でも判らないけど、触られるのが嫌だとは思わない。
 そのくせ生理だなんて嘘ついて。
 いや、嘘をついた内容とか理由とか、そんなことはもうどうでもいい。
 梨玖に嘘を言ったというそのことが、自分で許せなかった。
 嘘なんかつかなくても、もっと違うことで止められたはずなのに。



 遙紀は毎日午前六時に起きる。起きたら服を着替えて一階に下り、洗濯物を洗濯機に放り込んで回し、その間に朝食を用意し、父を叩き起こして朝食を食べさせ、自分も食べて食器を洗い、洗濯物を干して、それから学校へ行く。これが日常。両親が再婚したあとでも、起こす人数が増えただけ。日曜日もほとんど同じだ。朝七時に起き、洗濯物を干したあとに家中を掃除して、そのあと買い物に行く。
 しかし今日は、遙紀の朝の仕事はなかった。
「あら。おはよう、遙紀ちゃん」
 母がダイニングで朝食を作っていた。わかめと大根のみそ汁に出汁巻き卵、焼いた鮭の切り身、そしてご飯。ごくシンプルな日本の朝食。
「おはよう……ご飯だったらあたし作ったのに」
「ああ、いいのよ。日曜日ぐらいはちゃんとお母さんしないとね。毎日遙紀ちゃんに任せて悪いから。今日はゆっくりしててちょうだい」
「うん……でも仕事は? 大丈夫?」
「一日ぐらい大丈夫よ。締め切りまでまだあるし。書き下ろしの絵を二、三枚って言われてるだけだから」
 先に顔洗って歯磨きしてきたら、と言われた。
 洗面所に向かいながら、遙紀は苦笑した。今まで、誰かに洗顔と歯磨きをしてこいなんて言われたことはなかった。父と兄に顔ぐらい洗いなさいよ、と説教していた方だ。母親というものを知らないのに、一般的な母親の役割を身につけていたらしい。
 父も梨玖も、起こしてもどうせ起きないということで、朝食は母と二人で食べた。どちらもが、互いの役割については詳しくない。遙紀は「母親」を知らず、母は「娘」を知らない。しかし義理の母娘だというのに、どこにもぎこちなさはなく、普通に会話をしていた。以前から堅苦しい話し方はやめましょ、と言われていたからでもあるだろう。
「遙紀ちゃん、夕食なにがいい?」
「え? 別になんでもいいけど」
「やだわ。遠慮しないで言ってちょうだい。好きなものなに?」
「えっと……ラザニア」
「……あら。ずいぶんマニアックね」
「そうかな? パスタはなんでも好きなんだけど」
「じゃあ今日はイタリアンね。ラザニアの材料だったら、東部とうぶ百貨店まで行った方がいいかしらね?」
「ん~……高鳥デパートで間に合うんじゃないかな?」
「そう? じゃあ高鳥デパートに行って来るわ」
 そして遙紀は、家の用事はしちゃダメよ、と言われた。そう言われるとしたくなる。日課になっていることをまったくしないのは落ち着かない。食べ終わったあと、食器を流しに運んだ遙紀は、癖でそのまま洗いそうになった。
「遙紀ちゃーん。置いてていいのよ」
「え、あ、そっか。えっと、お願い……します」
「やぁね。お母さんにします、なんて言わなくていいのよ」
「あ……そうだよね」
 母が出来てからまだ二週間にもならない。しかも彼氏の母親。親しみはあっても、母としてすぐに慣れろと言われてもやっぱりなかなか難しい。
 それから遙紀は、部屋に戻ろうかどうしようかと悩んだ。
 部屋に戻ってもすることはない。宿題は出ていないし、かといって予習復習するほど遙紀は優等生じゃない。これといって遙紀には趣味がなかった。家事に追われていて、趣味なんて持つ余裕はなかったのだ。
 これではゆっくりしててと言われても、なにをすればいいのかと悩むだけで一日が終わりそうだ。家事をしている方が余程気が楽だ。
 リビングでテレビでも見て時間をつぶそうかと思ったが、ここにいたらそのうち梨玖が下りてきて顔を合わすことになる。それはなんだかとても、嫌というか、気まずい。気まずいと思っているのは自分だけだが。
 梨玖が起きてくる前に部屋にこもってしまえ、と考えて遙紀は階段の前まで歩い──たのだが、なぜか非常にタイミング良く、梨玖が降りてこようとしていた。
「よ」
 梨玖の挨拶はいつもこれだけだ。まともにおはようという挨拶は出来ないのかと思いながら、遙紀はおはよ、と言った。
「……早いわね」
「おう、まあな」
 早いといってもとっくに八時を過ぎていて、遙紀にすればずいぶんと遅い。だが梨玖にすれば早すぎる。春休みの間に朝の十時より前に起きてきたことはない。
 階段は別に狭くなかったが、遙紀はなんとなく梨玖が降りてきてから階段を登った。さっさと上がってしまいたい気もしたのだが、階段ですれ違えば腕が触れ合ってしまいそうで、たったそれだけのことが恐かった。
「あ、おい、遙紀」
 ──どき。
「……え?」
 遙紀はゆっくり振り返った。
 いったい何の用だ。声なんかかけないで。もうすぐあんたに嫌われるかもしれない奴なのに。
「お前、今日暇だろ?」
「は?……う、うん、まあ……」
 全然忙しい。と言いたかったが、これ以上嘘はつきたくなかった。
「んじゃ、どっか行こうぜ」
「……え? ど、どっか、って、どこ?」
「どこでもいいけどな。あー、そうだ。蒼羽あおばのゲーセン行こうぜ」
「……げ、げーせん?……あの、アミューズメントパークって奴?」
「ああ、それ」
 確かに蒼羽地区にある遊園地は、つい最近、南條なんじょうエンターテイメントというテレビゲーム機やゲームセンターのゲーム機を作っている会社が建てたものなので、そこは半分以上のブースが体感ゲーム系のものばかりでほとんど巨大ゲームセンターだ。もちろんちゃんと普通の遊園地と同じジェットコースターとか観覧車とかもある。
 梨玖は確か、月初めにもらったばかりの小遣いを全部使い切ったとか言っていて、今現在金欠なはずだが。
「……あたしにおごらせる気?」
「バカ。んなことしねぇよ」
「……じゃあ、おごってくれるの?」
 つい、いつもの調子で言ってしまった。
 うわ。なんて厚かましいの、あたし。おごってもらえるわけないでしょ。人に嘘をつくような奴が、誰かに甘えていいと思ってんの?
 しかし梨玖は、あっさり頷いた。
「金はちゃんとあるんだぜ。心配すんな」
 俺が飯食ってる間に用意してろ、と言って梨玖はダイニングへ行ってしまった。
 ……用意しろって……ホントに行くの?


第4章 〈2〉へ

小説(転載) Eternal Delta 7/9

官能小説
08 /28 2018
第3章 いろんな進歩といろんな疑問〈2〉

「遙紀」
「ん……」
「寝転んで」
「……え……?」
 ぼーっとしつつも遙紀は不審な目を向けてきた。
「な……なに……?」
「いーから、ほら」
「え、ちょ……」
 ベッドに座らせたままで、遙紀の上半身を後ろへ倒れさせる。
「り、梨玖? な、なにす……」
 遙紀は不安な顔をした。性的なことをしようとしてるのに、不安な顔なんてされたら男としてちょっと傷つくもんなんだなと梨玖は学習した。まあ、仕方ないが。
 梨玖は自分の枕を遙紀に持たせた。昨日みたいに頭を抱えられたら遙紀の達した顔が見られない。
 梨玖の枕を抱えた遙紀は、目をしかめた。
「……あ、汗くさーい……カバー洗濯出しなさいよぉ……」
「うるせえ」
 こんなときになに主婦みたいなことを言っているのか。
「ね、ねえ、な、なにするの?」
 判っていないわけじゃないだろうに、遙紀が聞く。
「心配しなくっても最後までしないって」
「さ、さいご、って、な、なに?」
「ちゃんとしたエッチはしないってこと」
「え!? って、じゃ、じゃあ、な、なに……」
「イカせてやるって言ってんだよ」
「……え!?」
 体を起こそうとした遙紀を、梨玖は額を押し返してまた寝転ばせた。
「ちょ、やだ、ま、また、あ、あんな……」
「あんなことするんだよ」
 梨玖はにたーっと笑った。遙紀は引きつった。
「やだ! じょ、冗談でしょ!?」
「いや、マジ」
「だ、だって、下に父さんたちいるのよ!?」
「聞こえねぇって」
「聞こえるわよ! あたしとお兄ちゃんがケンカしてる声っていつも聞こえてたし!」
「……ケンカすんのか?」
「うん。だってあたしのとこから勝手にCD持ってったりするから」
「あそ。あ~……枕で口塞いでりゃ聞こえないだろ」
「だ、だから! そういう問題じゃ……!」
「どんな問題だ?」
「……だ、だから……あ、あた、あたしだけ……」
「はあ?」
「……あたしだけって……あ、後ですごく恥ずかしいの!」
 遙紀は真っ赤っかになって怒鳴った。
 そう言えば。遙紀は昨日、感じて悶えて嬌声上げたのが恥ずかしい、みたいなことを言っていたような。あれは自分一人だけだったから嫌だったわけか?
「……つまりなにか? 俺も一緒にイって欲しいって?」
「ち、ちちち違う!」
「いや、よーするにそーいうこったろ?」
「違うってば!」
「あのな。普通は女が感じてるのを見て男ってのは興奮するんだからさ。男が感じて悶えてたら気持ちわりーだろうが」
 まあ、世の中には男が感じてるのを見て興奮する男っていうのもいるらしいが。梨玖にはさっぱり理解できない。
「だ、だ、だって!」
「いーから。俺はやってるだけで楽しんだよ」
「変態!」
「知ってっかー? スケベって意味のエッチってな、変態の頭文字なんだぞ」
「知らないわよ、そんなこと!」
「あんまし大声出してたらお袋たちが上がってくるぞ」
「だったらやめてよ!」
「やだね」
 きっぱり言って、梨玖は遙紀のスカートをめくった。
「きゃ……!」
 今日のスカートはあまりタイトじゃないので実にめくりやすい。脱がせようかと思ったのだが、本当に両親が上がってきた時に言い訳できないのでめくり上げるだけにした。
 今日の下着は白と水色のストライプ。色気もないし純潔ともいえないが、可愛いのでよしとしよう。
 一生懸命閉じようとする遙紀の膝を無理やり開かせ、その両足の間に入った梨玖は床の上に膝立ちになった。
 まだなにか往生際の悪いことを言っている遙紀を無視して、梨玖はヘソのすぐ下の辺りに指を這わせた。
「やっ……んっ……」
 遙紀が枕をぎゅっと抱きしめた。ぞくぞくと体を震わせているのが指に伝わってくる。
 枕を抱かせていると、キスも出来ないし胸も触れない。まあしょうがない、と丘の部分で指を動かしていて、ふと気づいた。
 風呂に入って下着は替えたばかりのはずだ。昨日の遙紀の濡れ方を考えると、また下着を替えないわけにはいかないだろう。昨日は考えてなかったが、おそらく自分が下に行っている間に替えたはずだ。でないと濡れてて気持ち悪いだろうし。
 わざわざ替えさせるのは悪いかな、と梨玖は思った。はかせたままだと、また下着を洗うなんていう用事が出来てしまう。今日遙紀は一日中主婦で、やっと家事が全部終わったばっかりなのだ。
 梨玖は下着に手をかけ、一気に膝までずらせた。
「え、やぁっ……!」
 いきなり脱がされるとは思ってなかったんだろう。昨日は結構時間経ってから脱がせたし、ほかのことに気を取られていて脱がされたという意識がなかったはずだ。
 じたばたする足を、膝の裏から持ち上げ、完全に下着を取り去った。
「やだっ……」
 とか言って遙紀が枕で顔を隠す。ので、梨玖は枕を下から引っ張って顔を出させた。
 続けて、スカートの上、というか前はヘソの上までめくっているが、下、というか後ろはお尻の下敷きになっている。
 スカートも汚れる可能性があるな、と思って、膝をぐっと持ち上げてお尻を浮かせ、スカートを上に上げる。
 ……うーん。結構恥ずかしい恰好かもな。
 上はちゃんと服を着ているのに下半身は完全に裸。女としては恥ずかしいだろう。
 男としては楽しい。
 準備万端。膝を開かせて間に入り、手を伸ばそうとして、梨玖ははっとした。
 前戯なしでいきなり触っちゃっても大丈夫なんだろうか。
 まだヘソの下を触っただけだ。濡れている様子はない。
 手のひら全体で包み込むようにして触れ、そっと中指を沈めてみた。
「いっ……」
 遙紀が眉をひそめた。
「痛いか?」
 確かに、昨日みたいにスムーズには入らなかった。指先には液体の感触はあっても、ぬるっとした粘液の感じはない。
「ちょ……ちょっと……」
 わずかに頷いて、遙紀はそう言った。
 これぐらいで痛いってことは、レイプ犯なんかがいきなり挿入するのは女の方はめちゃくちゃ痛いんだろうなと梨玖は思った。アダルトビデオとかエロマンガなんかでレイプの話はよくあるが、「犯されて感じてやがるぜ、この淫乱め!」とかいうセリフは、実はあり得ないことなんだろう。たまには本当にそういう女もいるかもしれないが。
 困った。
 いきなり指を入れたら痛がらせてしまう。かといって周りを触るのも痛いんじゃないだろうかと思ってしまった。未経験の知識のなさが悲しい。
「……あ、そーだ」
「え、な、なに?」
 遙紀がうろたえた声を出す。しかし梨玖は何も言わなかった。
 さっき風呂に入ったばかりなのだ、遙紀は。もしそうじゃなかったとしても、まあ、遙紀だからいいやとか思ってしまう。
 梨玖は遙紀のその部分に顔を近づけ、全体を舌で舐め上げた。べろっと。
「ひゃあっ……!」
 遙紀がびくんと体を震わせた。
「な……なに!? い、今なにしたの!?」
「舐めた」
「……え!?」
「指で触るより気持ちいいらしいぞ」
 といってもう一回同じように全体を舐め、続けてつついたり吸い付いたり、唇へのキスの時みたいに、下の口にもキスをする。
「やぁんっ……ちょ、やっ……や、やめ……あんっ……」
「気持ちいいだろ?」
「や、だ、だから……んっ……あ、あの、やっ……そ、そこって、あの、と、トイレとかして、き、きた……」
「汚かねぇって。さっき風呂入っただろ?」
「そ、そうだけど……そういう問題じゃ、んぁっ……」
 確かに排泄器官が同じ部分にあるってことは、される側としても結構抵抗があるんだろう。しかし、気持ちよさがその抵抗を上回ればいいわけだ。
 だんだん、飴を舐めているような気がしてきた。飴みたいに固いというわけじゃない。ものすごく柔らかくて舐めてて気持ちいい。飴のようなというのは、ねちゃっとした感触を感じてきたからだった。
 だいぶ濡れてきたみたいなので、もう指を入れても大丈夫かなあと思ったが、いっそのこと舌を入れてみようかと考えた。
 割れ目を指で開き、庭の部分を舌で触れる。
「ひぁっ……! あっ、やあぁっ……」
 直接口をつけているということは、鼻も遙紀のその部分のすぐそばにあるわけだ。甘ったるい匂いだけどただ甘いだけじゃなくて、もっと独特の言い方があるような気がする。いわゆる女の匂いであって、味も、これが女の味って奴だなと梨玖は感慨深く思った。
 庭から、今度は中じゃなくて上に向かった。遙紀からすれば前。わずかに充血した突起を舌でつついた。
「いやぁぁっ……!」
 遙紀はまたぎゅーっと枕を抱きしめた。必死に身体の震えをなんとかしようとしているみたいだ。
「んっ、あんっ、あぁっ……やっ……」
 声を聞いていて、なんだか昨日よりおとなしいような気がした。女の中で一番敏感な部分を触っているのに。ひょっとして自分のやり方がまずいのか、とも思ったが、感じているのは感じているみたいだ。
 そしてふと気づいた。枕が悪いのかもしれない。
 枕を抱きしめることで不安が軽減して声に響いていないのかも。
 試しに取り上げてみようと、手を伸ばしたその時。

「おぉーーい。はーるきー」
 遠くで父の声がした。
 ぎっくぅ!と梨玖は身体を硬直させた。
 ま、まずいやばいぴんち。
 いくら親公認の仲とはいっても、この状態を見られて無事で済むわけがない。
 あの母ならともかくだ。娘があ~んな、いや、こ~んなことをされていて何も言わない父親がどこにいるだろう。
「な……なに? い、今、父さん……呼んでなかった……?」
 まだ半分トリップした状態で、遙紀が聞いた。
 梨玖は口元に人差し指を当てて遙紀を黙らせた。スカートを降ろし、体を起こして座らせる。下着ははかせている暇なんてないような気がするのでそのまま。
 父が階段を上がってくる足音がした。別に遙紀がこっちの部屋にいても何の問題もないとは思うのだが、今はものすごい問題だと思われた。
 父が来る前に遙紀が部屋を出て何の用かと言えばいいんだ、と思って、遙紀にそう言ったのだが。
 ベッドから立とうとした遙紀は、がくんと膝を折ってへたり込んだ。
「ど、どした?」
「……あ、足……ち、力入んない……」
「……あ~」
 そりゃそーだ。力抜けるようなことしてたんだから。
 ドアが開く音がし、「おや?」という父の声がした。
 まずい。このままだとこっちに来る。
 と思って梨玖は慌ててドアに駆け寄り、顔だけを外に出した。
「ど、どしたの?」
 遙紀の部屋の前で腕組みをして首を捻っている父に尋ねた。
「ああ、梨玖くん。遙紀そっちいるかい?」
「え、あー……いや。べ、便所じゃねぇかな」
 ほかの言い訳なんて思いつかないのだった。
 しかし母と同じく父もそれをあっさり信用した。
「む、ああそう。じゃあ梨玖くん、六法全書どこやったか知らないかい?」
「は?」
 執筆に使うんだろうか。……ポルノで? 童話か?
 いやそれより、どこにやったと聞かれても。どこにやった?
 思わず遙紀を振り返った。遙紀は首を傾げ、すぐに「あ」と小さく叫んだ。
 身振り手振りで場所を示そうとしている。まず指を下向けて上下に振り、それから両手で大きな四角を描く。
 梨玖はしかめっ面で考えたが、さっぱり判らん。
 遙紀は四つん這いで梨玖の机に近づき、ノートになにやら書き込んだ。
 〝リビングのテーブルの上〟
 と書き殴ったのを梨玖に見せた。
 そう言えば、仕事中にまた邪魔したら怒られるかもしれないから後で返すと言っていたような気がする。
「梨玖くん?」
「へ? ああえっと、リビングのテーブルの上……だと思うけど」
「ああ、なんだそうか。ありがとうね」
 父はひょいひょいといった感じで階段を下りていった。なんか妙にお茶目な人だ。
 梨玖はドアを閉め、ほっと一息ついた。
「あ~、びびった」
 それから、今日はもう無理だろうなと、遙紀の身悶える姿を見るのは諦めた。のだが。
 遙紀は部屋の真ん中で、ノートとシャーペンを握ったまま、微動だにしていなかった。
「……遙紀?」
 あからさまにびくっと身体を揺らし、遙紀がこっちを見た。
「どした?」
「……あ、あの」
 何か訴えたいことがあるけど言えない、という感じで、遙紀は怯えた顔をしていた。
 とりあえず、梨玖はノートとシャーペンを取って机に戻した。そして遙紀のそばにしゃがみ込む。
「どーしたんだ?」
「……う……」
 泣きそうな顔で、遙紀は赤面した。
「……な……治んないの」
「は?」
「さ、さっきからずっと……さ、触られてるみたいな……感じで……」
「あー。ひょっとして、あそこがずきずきうずく、みたいな?」
 遙紀はかすかに頷いた。
「んじゃ、続きやるか?」
「や、だ、だめ! い、今あんなことされたら、あたしホントに変になっちゃう!」
「ちゃんとイケなかったから、いつまでもうずいてんだよ。イったらすっきりするって」
 自分で言っててなんだが、ずいぶん怪しいセリフだ。でもまあ、この場合は当たっていると思う。一度絶頂する感覚を身体が憶えたからだろう。
「や、で、でも」
「いーからほら、寝ろ」
「え、こ、ここで!?」
「ベッドの方がいいか?」
「え、いや、あの」
 否定の言葉ではないと受け取り、遙紀を抱きかかえるように立たせ、ベッドに連れて行った。さっきと同じように座らせてから上半身を寝かせる。
「ね、ねえ、梨玖、や、やっぱりいいから、や、やめよ」
「いやダメ。ちゃんとイカせてやんないと男として失格だからな」
 と言ってスカートをめくりあげる。
「だ、だから……いやぁぁはあぁぁっ……!」
 充分濡れていたその中に、いきなり舌を入れると、遙紀は身体をのけ反らしてさっき以上の、悲鳴みたいな声を上げた。
 梨玖はちょっとびびった。枕は持たせていない。ので、今みたいな声が続くとさすがに一階の両親たちに聞こえるかもしれない。
 途中でやめたから、遙紀が頭でどう思っていようとも身体が不満を感じてうずいていた、というのは判るが、だからといって今の反応は予想していなかった。
 これが俗にいう、焦らしのテクニック。
 ……なんかちょっと違うような気がしないでもないが。
 激しい反応は、梨玖にしたら大歓迎だ。それだけ自分のやり方で感じてくれているということだから。
 身体が焦らされていると感じているのなら、徹底的に焦らしてやろうか。
 中心を攻めるのをやめ、遙紀の右の太股に舌を這わせた。
「ああ……んぅ……」
 声はおとなしくなった。が、中心に近づくと声が大きくなる。しかし直接は触れない。
 右足をしばらく舐めまくった。梨玖の唾液でべたべた。続けて左。
 遙紀の両手が、何かを求めて動き回った。しかし枕は遥か彼方。遙紀はシーツをぎゅっと握った。
「り……梨玖……」
「なんだ?」
「あ、あの……」
 焦らさないで触って。と言いたいんだろうと思ったが、遙紀が言うわけないのだった。
「なんかして欲しいか?」
 ちょっと意地悪なことを言ってみた。あとが恐いが。
「う……あ、あの……」
「なんだ?」
「……な……なんとかして……」
 遙紀は上気した顔でそう言った。梨玖は肩すかしを食らってしまった。遙紀の口から直接的な求める言葉を聞きたかったのだが。
 まあ、そう言っただけでもすごいことだし、しょうがないんでなんとかしてやろう。とは思ったが、梨玖は中ではなくて突起に舌で触れた。
「あひゃぁあんっ!」
 たぶん、直接中に来ると思っていたんだろう、遙紀はびくんと身体を揺らした。
「あ、やぁあっ、や、ちょっ、ああ、ち、ちが……ああっ……」
 お? なんか、違うって言いかけたような。
 進歩だ。
 ちょっと感動した梨玖は、焦らすのをやめて指でそこを広げ、中に舌を差し込んだ。
「はぁんっ……!」
 完全に、声の質がさっきと違う。感じているだけじゃなくて、気持ちよさも混じっているような気がした。
 二回目だからその点に余裕が出たのかも。
 勝手にそう判断して、舌で遙紀の中をかき回す。
「んふぁっ……やぁんっ、や、ああっ、んぁっ、あ、あ、あぁっ……」
 遙紀が握っているシーツに、さらにしわが寄った。
 もうすぐ達するんだろうかと思った梨玖は、深刻な問題に気づいた。
 ……まずい!
 この角度だとイった顔が見れない!
 なんのために枕を持たせたりやめたりしたんだか。
 今から指でやっちゃっても大丈夫だろうか。しかし今、舌を引き抜いたら押し寄せてた波が退いてしまうかもしれない。せっかく絶頂を迎えようとしているんだからこのままやった方がいいように思った。
 くそ! 今度は絶対顔見るぞ!
 梨玖は重大な決意を胸に秘めた。といっても、今度とはいつになるのか。
 単純な梨玖は、一旦諦めたことはすっぱり忘れ、舌先に意識を集中させた。
「ん、あ、や、あ、あ、んぁはあぁぁぁっっ……!」
 昨日とはちょっと違う声だった。びくびくと痙攣したように体を震わせ、一瞬の間を置いて、遙紀ははあぁ、と息をついた。
「遙紀?」
 達したんだろうとは思ったが、一応確認してみようと呼びかけた。が、遙紀は胸を大きく上下させて、はあはあ言うだけだった。
 梨玖はティッシュペーパーを持ってきて、遙紀の濡れた部分を拭いていく。
 それから、ベッドに上がって遙紀の横に座り込んだ。
「すっきりしたか?」
 聞くと、遙紀は寝転んだままに梨玖の顔を見て、かーっと赤くなっていった。
 ……なんなんだ、この昨日と全然違う反応は。
「……あ、あの……」
「なんだ?」
「あ、あたし……ホントに変じゃないの……?」
「は? なにが?」
「だ、だって……し、して欲しい、みたいなこと言って……」
「ああ。俺はもっと言って欲しいけどな」
「え!?」
「もっとはっきりさ、ここをあーして、とか、そこをそーして、とか」
「や、やだ、そ、そんなこと、い、言えな……!」
「言えないってことは、だ」
「え?」
「もっとあーしてほしいとかこーしてほしいって思ったのは思ったんだろ?」
「ち、ちがっ……!」
 言いかけて、遙紀はさらに赤くなった。
 あ~も~! 可愛いな、こいつ!
 どうにも我慢できなくなって、遙紀の上半身を起こして抱き寄せた。
「え、や、ちょっと……!」
 全体的に身体が柔らかい上に、さらに柔らかい二つの胸が梨玖の胸のちょっと下辺りにふにゃっとくっついてやたら気持ちよかった。
 しばらくじーっとそうしていると、梨玖の肩口で遙紀が何か言った。
「なんだ?」
 名残惜しいが抱き締めるのはやめた。遙紀の両腕を掴んで、顔を覗き込んだ。
「……あのね」
 遙紀は不安そうな顔をした。
 ……なんで不安そうな顔だ。こっちが不安になるだろーがよ。
「どした?」
「……なんでもない」
「はあ? なんだよ。なんか言いかけたんだろ?」
「……下着どこ?」
「は? ああ、あそこ」
 梨玖は床の一点を指差した。
 ベッドを降り、遙紀はこっちをちらっと一回見てから下着をはいた。
 ……下着の場所を聞きたかったわけじゃないだろう。
 だったらなんだ?
 梨玖は考えてみた。さっぱり判らないのですぐやめた。言いたくなったらそのうち言うだろうと思った。



 翌日。学校へは結局二人揃って行った。わざと別々に出ていくのもどうかと思ったのだが、どうせすぐに別々に行くことになるだろう。梨玖は遅刻魔だ。寝坊魔ともいう。
 高鳥高校は家から歩いて二十分ぐらい。家を出てから北へ行き、線路沿いに西へ歩く。元同級生なんかと会ったりしたが、別にはやし立てられるようなこともない。たぶんまだ同居の事実を知らないからだろうが。
 東にある正門を入って、まず北校舎の靴置き場で上履きに履き替える。自分の下駄箱の場所は三年間同じ場所だ。
 二年生の教室は南校舎。梨玖は遙紀と共に南へ向かった。
 校舎の入口横の壁に、白い大きな紙がべらっと貼られていて、生徒がいっぱい集まっていた。クラス分けの紙だろう。
「はーるきちゃぁーん!」
 甲高いロリータ声がした。クラス分けの表の前に集まった生徒たちの中から、小さい女の子が出てきた。
 大量の視線を浴びて、久遠が手を振りながらやってくる。遙紀と同じブレザーの制服を着ているのだが、久遠だとコスプレに見えるのはなぜか。
「おはよ、久遠」
「あのね、遙紀ちゃん。またクラス一緒なの!」
「あ、ホント?」
 こいつと一緒でも嬉しくないな。と梨玖は心底思った。
「俺は?」
「知らな~い」
「……見ろよ」
「自分で見ればぁ?」
 ああ、お前に言った俺がバカだった、とか思いながら、梨玖は生徒の山に突っ込んだ。
 梨玖はあまり背が高い方じゃないので、前の方に行かないと見えなかった。
 一組にいきなり遙紀の名前を見つけた。その前に久遠の名前も見つけてしまったが。
 そしていくら探しても、一組に自分の名前はなかった。
 別の方がいいかもとは思ったが、やっぱり彼女と別のクラスっていうのは悲しい。
 二組にもなく三組にもなく四組にもなかった。五組も六組もない。
 全部で八クラス。八組から見た方が早かったなと思いながら、七組に自分の名前を見つけた。
 ……七組……と一組って離れすぎ。
 あーあ、と嘆きながら知っている名前はないかと探してみた。
 ……あり?
 梨玖よりちょっと上に、工藤修祐という名前があった。
 ……しゅうすけ、って読むんだよな、これ。くどう?……って名前だったっけ?
 そう言えば名字は聞いていなかったが、間違いなくこれは遙紀の幼なじみだろう。
 なんであいつと同じクラスなんだか。
「あ」
「へ?」
 真横から聞こえた呟くような声に振り返ると、そこに東大予備軍がいた。
「……よお」
「あ、ああ……おはよう」
 なんかちょっと気まずいものを感じなくもなかったが、梨玖はとりあえず挨拶をしてみたら、相手も戸惑いながらも挨拶を返してくれた。
「これ、お前だよな?」
「え?……ああ、そう」
「修祐って呼んでいいか?」
 遙紀が名前で呼んでいるので、今さら工藤と名字で呼ぶのも変な気がした。
 驚いたような顔をしていたが、修祐は頷いた。
「ああ、いいけど……そっちは?」
「津月梨玖、っていうんだ。俺も梨玖でいいぜ」
「あ、そうか。名字別だったんだ。えっと、大陸の陸?」
「は? ああ違う。えー……あ、これ」
 と言って梨玖はクラス分けの紙に書かれた自分の名前を指差した。
「ああ……珍しい名前だな」
「そうか?……あ、そーだ。お前さ、今日暇か?」
「……今日?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「……え?」
 修祐は眉をひそめた。今の言い方はまずかったかもしれない、と梨玖は思った。なんかいろいろ誤解されたかも。
「あーいや、え~、お前頭いいんだよな?」
「は?」
「法律に詳しいんだろ?」
「……いや、詳しいってわけじゃないけど」
「まあいーから。それでちょっと聞きたいんだ」
「……法律の勉強でもしてるのか?」
「勉強じゃねぇけどな」
 じゃああとでな、と言って、不思議そうな顔をしている修祐の元を離れた。
 遙紀は人だかりの一番端にいた。自分の名前を確認しているようだ。久遠もまだいる。
「梨玖、何組だったの?」
「七。あいつも一緒だった」
「え?」
「修祐」
「……そーなの?」
「ああ。今ちょっと話してきたんだ。帰ってから聞きたいことあるって言っといた」
「……へぇ」
 遙紀は珍獣でも見るような顔で梨玖を見た。
 一回恋敵だと思い込んだ相手と話したらそんなに変か?
「ねぇねぇ。しゅーすけって誰?」
 久遠は目を輝かせて聞いた。
「……なにが楽しいんだよ」
「えー、だってぇ。梨玖ちゃんピンチ!なのかなぁと思ってぇ」
「うるせぇ!」
 当たらずとも遠からずなので余計ムカついた。
「……あのね、久遠。修祐っていうのは、うちの裏に住んでる奴のことなの」
「遙紀ちゃんの友達なの?」
「え、うん、まあ……ね」
「ふうぅぅん。その人が遙紀ちゃん家に行くのねぇ?」
「な、なに?」
「お前、まさか……」
「はいはぁーい。私も行きますぅ」
「来るな!」
「いやぁん。梨玖ちゃんの不幸を楽しみたいのぉ」
「てめぇ!」
「く、久遠、仕事は?」
「お休み~。今週ずっとオフなのー。だから暇なのぉ」
 長年芸能界で培った有無を言わせぬ笑顔を振りまく久遠に、梨玖と遙紀は顔を見合わせてため息をついた。



 学校が終わったのが午前十一時。待ち合わせはしていなかった、というか久遠のせいでしている暇がなかったので、遙紀は先に帰ってしまっていた。待っててくれてもいいのにな、と思って家に帰ると、リビングに制服のままの久遠も一緒にいた。おそらく久遠が引っ張って帰ったんだろう。
 部屋に行って服を着替え、再びリビングに降りた。遙紀が昼食を作っていたので、また梨玖は久遠と嫌味の応酬をしていた。一方的に言われているような気もする。
 今日の昼食は親子どんぶり。梨玖は大盛り。特別にしてくれた、というよりはおかわりとか言われるのが嫌だからじゃないかと思う。
 父の分を遙紀が書斎に運び、それからなぜか久遠の分まで作っていた。
 ちょうど全員食べ終えた頃、玄関のチャイムが鳴った。おそらく修祐だろう。遙紀は片づけをしているので梨玖が出た。
「──はい?」
「……あ、こんちは」
「ああ、わりいな」
 まだ修祐の態度はぎこちない。顔見知りする奴なのかも。
 顔見知りなんて無縁の梨玖は、修祐を中に通した。
「……あ、え? さ、崎元久遠?」
 さすがに芸能人は有名だ。リビングに入った瞬間に、修祐は久遠を見て驚いていた。
 久遠はくるっと振り返り、修祐をじーっと見た。品定めでもしているんだろうか。
「な、なんで……崎元久遠が?」
「遙紀の親友なんだよ。不幸なことに」
 余計な一言に久遠がなにか嫌味を返すかと思ったが、なにも言われなかった。
「へぇー……高鳥にいたのか……」
 修祐は妙に感心したように呟いた。
「突っ立ってないで座れば?」
 コーラが入ったグラスを四人分、遙紀がお盆に載せて運んできた。
 梨玖が修祐を促して、ソファーに一歩近づいたとき。久遠がさっと立ち上がり、すたすたすたとこっちに近づいてきた。
 思わず身構えた梨玖だったが、自分じゃなくて修祐に用があったらしい。
 修祐の目の前に久遠が立ちふさがった。かなりの身長差がある。
「あ、あのぉ!」
「え?」
 修祐は戸惑っていた。久遠は思い詰めたような顔で言った。
「だ、抱いてください!」
 ──がたっ! ごちっ!
 ──ごとっ! ばりんっ!
 梨玖がずっこけてソファーの角で頭を打った音と、遙紀が手を滑らせてグラスを倒して割った音だ。
「……は?」
 ずいぶん経ってから、修祐のぽかんとした声がした。
 梨玖が振り返ると、冷や汗をかいている修祐と、必死の表情をしている久遠がにらめっこをしていた。
 ……あ、あいつ……あーいうのが趣味だったのか?
 と思ってから、梨玖は自分で論点がずれているような気がした。


第3章 いろんな進歩といろんな疑問 終わり

小説(転載) Eternal Delta 6/9

官能小説
08 /28 2018
第3章 いろんな進歩といろんな疑問〈1〉

 常日頃から、二十歳で遙紀と結婚して子供三人ぐらい作って毎日手作りのお弁当なんて持たされて同僚からうらやましがられて、歳取ったら田舎に引っ越してたまに孫が遊びに来るのを楽しみにしながら遙紀と二人で幸せな老後を送る、という具体的なプランを立てている梨玖としては、遙紀と結婚できないのはかなりの大打撃だ。
 結婚できないという可能性があるなんて想像したことなかった。
 きっちりと調べる必要がある。
 そう思った梨玖は、父さん仕事中だからあとにしようという遙紀を振りきって、父の書斎に向かった。
 父親とは息子に冷たいものである。しかも自分は義理の息子でさらに愛娘を奪おうと企んでいる男である。ということで、書斎の前まで来たものの、仕事の邪魔をしたら怒られると今さらびびった梨玖は、遙紀に取って来てくれと頼んだ。
「……だからあとにしようって言ったのに……」
 ぶつくさ言いながら、遙紀はドアをノックした。
「父さ~ん、入っていい?」
 そうっとドアを開けて、遙紀が中を覗いて言った。
「……む? 晩飯か?」
 とぼけた父の声がした。
「じゃなくて、六法全書借りたいの」
「む? 六法全書? どうするんだ、そんなもの?」
「あ、えっと……宿題、やるの」
「宿題? 法律の宿題か。ずいぶん難しい宿題だな」
 商業校や進学校ならともかく、普通校の高鳥高校ではあまり法律は勉強しない。簡単な憲法を習うぐらいだ。
 書斎の中は、本だらけ。広いはずの部屋がいくつもある本棚で埋まっていて、父の机はわずか一畳のスペースに追いやられている感じだ。さらに机の上にはいろんな辞書や専門書が積み上げられ、父の身体が半分以上隠れている。
「どの辺にあるの?」
 遙紀は中に入ってうんざりしたような顔で本棚を見回した。
「む。あ~……どこにやったかな」
「……探すわ」
 ため息をついた遙紀は、梨玖に手招きした。手伝えということだろう。
 俺が入っても大丈夫かなあと思いながら梨玖は部屋に入った。が、父は全然気づいた様子がない。黙々と万年筆を動かしている。父は手書きの人だった。
 床から天井までずずんとそびえる本棚は全部で四つ。図書館のように横並びに並んでいる。本棚の前に立ち、六法全書を探す。のだが、途中で梨玖は頭が痛くなってきた。
 ……何の本だかさっぱり判らん。
 何について書かれた本なのかも判らないし、専門書なのか小説なのかすら判らない。
 とりあえず六法全書なら六法全書と書いているだろうと思い、その四文字だけを探すことにした。
 しかし一つの棚を数分かけて探したのだが、どこにも六法全書は見つからなかった。
「ねぇぞ」
「ん~、じゃあ、あそこね」
 と言って遙紀は父の机に向かった。
 積み上げられた分厚い本を横から覗き込んで、遙紀は山の一つを床の上に降ろしていった。膝の高さぐらいになったところで、遙紀はふうとため息をついた。
「まったくもー。父さん、ちょっとぐらい片付けてよ」
「む?」
「む?じゃないってば」
 辞書のようなものを一冊よけて、遙紀は降ろした本を再び積み上げていった。
「あったのか?」
「うん、これ」
 一冊ぽんと手渡された。思ったほど大きくなかった。ポケット辞典みたいな大きさで、表紙には「明解六法」と書かれている。なんだかかなり古そうだ。おくづけを見ると、昭和39年と書いていた。
「ふっるー」
 こんな古いので執筆の役に立つのだろうか。
「梨玖」
「へ?」
 顔を上げると、深皿を持った遙紀が早く出ろという仕草をした。
 書斎を出てリビングに戻ると、久遠が退屈そうにテレビを見ていた。
「見つかったのぉ?」
「うん、あった……って、ちょっとぉ!」
 父の食べ終えた冷やし中華の皿をダイニングに持っていこうとしていた遙紀は、廊下からリビングの様子を見て、眉を吊り上げた。
「あんた、なに食べてんの!?」
 遙紀が一口二口食べただけの冷やし中華が、きれいさっぱりなくなっていた。
「え~。だってお腹空いてたんだもぉん」
「あたしのお昼なのよ! 勝手に食べないでよ!」
「いいじゃなぁい。遙紀ちゃん、お料理上手だもん。も一回作れば?」
「そういうことじゃないってば!」
 ああもう!と嘆きながら、遙紀は皿を全部片付けてダイニングで冷蔵庫を開けてぶつくさぶつくさ呪いの言葉を吐いていた。
 梨玖は心底同情した。
「……お前、いい性格してるよな」
「やだなぁ。褒めないでよぉ」
「……誰が褒めてんだ」
 梨玖は久遠から離れてソファーに座った。純真無垢な殻に包まれた邪悪なものに触れたくない。
 足をテーブルに投げ出して、梨玖はぺらぺらと六法全書をめくった。
「…………」
「梨玖ちゃん、読める?」
「……判らん」
 何語だ、これは。
 日本語なのは判る。しかしなぜ、漢字とカタカナなのだ。
 いや、ひらがなの部分もある。あるが、その場合はさらに漢字が難しくて読めない。これのどこが「明解」なのだ。
「……俺、弁護士じゃなくて良かった」
「やだぁ。梨玖ちゃんみたいなおバカさんが弁護士なんかになれるわけないじゃなーい」
「黙れ!」
 人に言われると腹が立つのだ。特にこの久遠に言われると。
「……結婚って、なんだ?」
「男女が一緒に暮らすことでしょぉ?」
「ちゃうっつーの。どのページ見りゃいいんだって聞いてんだよ」
「えっとぉ……民法じゃない?」
「みんぽー?……ああ、これか」
 民法と書かれたページをめくり、そこで結婚という言葉を探したのだが、結婚ではなく婚姻と書いてあった。
 これだなと思い、まず一番始めの項目を読んだ。
「第七百三十一条、婚姻適齢……ああ、こりゃ判る」
 男は十八歳以上、女は十六歳以上でないと結婚できない、と書いてあるだけだった。
「え~……重婚禁止……再婚禁止期間……近親婚の……これか?」
 近親というのが、身近な、血の繋がった家族のことを指すということぐらいは知っている。自分と遙紀はこれに当たるのだろうと思ったが、血は繋がっていないのだから関係ないのだろうか。
「直系血族又は三親等内の……ぼ、傍系血族の間では、婚姻をすることが……」
 読み上げる途中で梨玖は言葉を切った。
 漢字が読めなくなったのではなく、次の文章の意味が判らないのだった。
「……養子と養方の傍系血族……ってなんだ?」
「養子って梨玖ちゃんのことでしょ?」
「……俺、養子になるのか?」
「そうじゃないの?」
「……で、養方って?」
「おじさんのことじゃない?」
「んじゃ、傍系血族ってなんだ?」
「えっとぉ……直系じゃないってことでしょ?」
「直系って……具体的になんだ?」
「う~ん、知らな~い」
 久遠は朗らかにそう言った。
 少ない知恵で考えてもダメだ。梨玖は続きを読んだ。
「直系姻族間の婚姻禁止……直系姻族って……なんだよ……」
 なぜ法律用語とはこんなにもややこしい言葉を使うのか。どうしてもっとかみ砕いた言葉で書いてくれないのか。
 この六法全書が古いからかもしれない、と梨玖は思った。最新版だったら自分にも判るように書いているかも。
 しかしわざわざ買いに行くのも面倒だし、そもそも梨玖は現在金欠だ。
 仕方ないので難しい本で我慢することにした。
 う~~ん、と唸りながら梨玖が六法全書とにらめっこしていると、いい匂いが漂ってきた。冷やし中華の匂いではなく、ラーメンの匂いだ。
 梨玖は六法全書を置いて、ダイニングへ向かった。
「遙紀、俺の分も」
「はあ?」
 麺を湯がきながらスープを作っている遙紀は、お玉を持ったまま振り返った。
「さっき食べたじゃない」
「もう全部消化した」
「……よく太んないわね」
「伸び盛り」
「はいはい。作ってあげるから向こう行ってて。邪魔だから」
「……邪魔って」
 気のせいかもしれないが、一緒に暮らすようになってから遙紀に邪険にされているように思う。同棲している恋人同士ってこういうものだろうか。
 いや、ひょっとして昨日からかも。
 ……あ~、いつも可愛いけど昨日の遙紀は特別可愛かった。
 梨玖はてきぱきとラーメンを作る遙紀の後ろ姿を見て、無性に抱きつきたくなってきたのだが、たぶん……絶対殴られるので我慢した。
「……なあ、遙紀」
「なに?」
 振り返らずに遙紀は返事をした。
「エプロンってしないのか?」
「うん、あんまりしない。たまにするけど」
「白くて丈の短いフリルのついたエプロンって持ってないか?」
「……なんなの、その具体的な質問は?」
 遙紀はしかめっ面で振り返った。
「そーいうのつけてさ」
「……なに?」
「服は着ないでさ」
「……なんでよ」
「だから、はだかえぷろ……」
 ──ばごっ!
 梨玖の額に見事にお玉が命中した。
「向こう行ってて!」
「……へーい」
 まあ、無理だよな、と梨玖は諦めた。
 せっかく料理がうまくてエプロン似合いそうなのに。
 あ! そうだ。メイド服なんて似合うかも。
 しかしそれこそ無理だ。メイド服なんてどこに売っているのか。買ったら絶対変態扱いされる。遙紀にはすでに変態と言われたが。



「──判らぁぁん!」
 梨玖は「明解六法」を放り投げた。
 ラーメンを食べている間は久遠が読んでいた。やたらとページをめくっていたので判っているのかと思ったら、商法なんていうところを読んでいた。久遠の家は芸能事務所なのだ。なんだか知らないが最近いろいろ問題があるらしい。
 ラーメンを食べ終え、遙紀が片づけを終えてから、三人で頭を突き合わせて「明解六法」を一生懸命読んだのだが、何一つ理解できたことはない。
 どこを読んでも、肝心の連れ子同士の結婚、なんて言葉は全くないのだった。
「なんで書いてねぇんだ!」
「んー……養子と養親又はその直系尊属との間では、えっと……親族関係が終了した後も婚姻できない……尊属って親とか自分より上の人ってことだから、養親の子供とがダメってわけじゃないみたいだけど……そういうとこ書いてないわね」
 遙紀が読み上げながら何か言っているのだが、すでに梨玖には理解不能だ。
「おじさんに聞いてみた方が早いんじゃない?」
 久遠の意見に、梨玖はおおそれだ、と思ったが、遙紀が否定した。
「たぶん父さん知らないと思うわ」
「はあ? なんで」
「だって父さんって商業高校出てるんだもん。商法なら詳しいと思うけど。民法はあんまり知らないんじゃないかな」
「小説書くのに使ってんじゃねぇのか、それ?」
「置いてるだけよ、きっと。父さんが書くのって童話とポルノよ? 法律なんてあんまり関係ないと思わない?」
 言われてみればそうだ。童話なんて法律とは無縁だし、ポルノもたまには必要かもしれないが、あまり小難しいことは書かないだろう。書いてもそんな部分は読まれないと思う。何せポルノだ。
 調べる必要がないから、こんな古い版しか持っていなかったのだろうか。
「お袋も……知らねぇよな……」
 母は美術大学を出た。法律なんて勉強してないと思われる。
 誰か知ってる奴はいないのか。
「……あ」
 突然、なにかに気づいたように、遙紀が声を上げた。
「どした?」
「え、あ、な……なんでもない」
 本当になんでもないような顔で、遙紀は首を振った。がしかし、今の「あ」が何かを思いついたことだというのは間違いないはずだ。
「誰か知ってそうな奴いるのか?」
「……ううん」
 遙紀は再び首を振った。
 梨玖はいや~な予感がした。たいがいこういう予感は当たる。
 だが、遙紀がなんでもないと言うので聞くのはやめた。聞きたくないような気がする。



 自力で調べても判らないことはすぐやめるのが梨玖のモットーであった。
 こればっかりはきっちり調べたいとは思うが、無理なものは無理だ。
 梨玖は夕食まで宿題をやった。遙紀の答えを写すだけだが。
 夕食のあと風呂に入り、それから自分の部屋に戻って宿題の続きをやった。一人だ。遙紀は一階で主婦な仕事をしている。母は夕食前に戻ってきたが、今は部屋で仕事中。父も書斎でまだ仕事中。
 午後九時を回った。写しているだけとはいっても、ちょっと宿題から離れたくなった梨玖は、なんとなーくテレビをつけた。
 前に見たことのあるアクション映画とか、つまらないバラエティとか、くだらないドラマとか、野球中継とか、ニュースなどしかやっていない。
 梨玖はあまりテレビを見ない。テレビはゲームをするためだけに存在している。
 なんかゲームしようかな、と思って、テレビ台の下からゲーム機を引っ張り出したとき、部屋のドアがノックされた。
「……梨玖、入っていい?」
 ちょっと遠慮がちな遙紀の声。ダメなわけがない。
「ああ、開いてる」
 エロ本でも見てたら別だけど、と思いながら梨玖が言うと、遙紀がゆっくりドアを開けて顔だけを覗かせた。
「……宿題やってなかったの?」
「あ~いや、ちょっと休憩」
 梨玖はゲーム機をテレビ台の下に押し戻した。
「なんか用か?」
「う、うん、ちょっと……」
 遙紀はそうっと部屋に入ってきた。きょろきょろと辺りを見回す。どこに座ろうかと思っているんだろう。
 梨玖は普通に机で宿題をやっていた。部屋にあるのは机のほか、テレビとタンスとベッドだけ。ベッド脇にMDラジカセが置いてある。遙紀の部屋よりもクール……というより殺風景だ。散らかっていないだけマシ、と自分で思っている。散らかせるほどに物がないだけなのだが。
 遙紀は結局ベッドに腰掛けた。梨玖はその近くに椅子を引っ張っていって、後ろ向きに座った。
「で?」
「あ、あのね」
 遙紀は照れたような顔をしていた。が、昨日みたいなことして、なんて言うわけじゃないだろうとは判っている。そこまで自分はシアワセな奴じゃない。
「……どーしても調べたい?」
「はあ?……ああ、結婚できるかって?」
「うん」
「そりゃまあ。知っとかないとな」
「……それって、やっぱりあたしと結婚したいとか思ってるの?」
 遙紀は不思議そうに聞いた。照れた顔なのに眉根を寄せている辺りがものすごく気になる。梨玖はちょっとだけショックを受けた。思ってて当たり前だろうに。
 だが、女がわりとこういう点にシビアなのは判っていた。母親の例がある。
「……あのね、知ってそうな人いるんだけど」
 やっぱし。
「誰だ?」
「……あのー……修祐」
 やっぱし。
「あいつやっぱ頭いいのか?」
「うん。教師か弁護士目指すって中学の時に言ってたから」
「……弁護士……」
 東大予備軍という第一印象は間違ってなかったようだ。つくづく自分とは正反対だ。
「梨玖?」
「は?」
「……聞いてみる?」
「そーだな。ほかにいないし」
 素直にそう言うと、遙紀は驚いたような顔をした。
「……怒るかと思った」
「はあ? なんで」
「え、だって……昨日怒ってたじゃない。名前聞くのも嫌って感じだったし」
「それとこれとは別だろ? 俺そんなに心狭くねぇぞ」
 遙紀は思いっきり変な顔をした。
「うそ」
「なんだよ」
「心広い人があんなに愚痴るわけないじゃない」
「……それとこれとは別だ」
「なにがよ……えっと、じゃあ明日学校終わってから来てもらう?」
「ああ、いーよ」
「判った。じゃあ、おやす──」
 言いながら立ち上がろうとした遙紀の腕を掴んで、梨玖は再びベッドに座らせた。
「な……なに?」
 ちょっとびびったような顔をしている。
 昨日の今日なので仕方ないが。
「今日はまだ全然してないだろ?」
 梨玖は椅子から立ち上がり、遙紀の前に立って身を屈めた。
「え、な、な、なにを!?」
「キス」
 と言うと、遙紀はほっとしたような気が抜けたような、複雑な顔をした。
「……べ、別に毎日しなきゃいけないってわけじゃ……」
「俺はしたいんだ」
 今まで、チャンスがあればいつもやっていたのに、実際同居を始めてから昨日まで全然やっていなかった。ので、昨日ちょっとやったぐらいじゃ健全な青少年の欲望は収まらないのである。
「……あ、あたしは別に……」
「あー、じゃー、あれだ。幼なじみの名前出した罰」
「……はあ!? あんた、今、心狭くないって……!」
「まー、いーからいーから」
「あ、あのね……!」
 文句を言いかけた遙紀の口を、梨玖は無理やり塞いだ。
 遙紀はベッドに腰掛けているが、梨玖は立って腰を曲げているのでちょっと辛い体勢だ。右手を遙紀の頬骨の辺りに当てて上を向かせ、左手で遙紀の後頭部から首の上辺りを支えた。
 やってしまえば遙紀は抵抗しない。しばらく唇同士をつつき合わせるようなキスを繰り返した。
 そのうち遙紀が梨玖の服を掴んでくる。物足りないからもっとやってくれということなのか、ただ手の置き場に困るだけなのかは判らないが。そうなると梨玖は舌を遙紀の口に差し込む。まったく抵抗されずにすんなり入り、最初は歯茎とか壁の辺りをつついたり撫でるように動かしたりする。
 梨玖の服を掴む遙紀の手に力が入る。服ごと引っ張られる恰好になって、さらに遙紀の奥深くに入る。が、梨玖は一旦、口を離す。
「ん……あ……」
 その息継ぎみたいな吐息を聞くと、梨玖の中でいろいろとスケベな感情が育っていく。
 そしてまたキスをする。差し込まなくても遙紀は口を開けている。
 舌が絡んで唾液が混じり合い、唇が腫れそうなぐらいに何度も吸い付く。
 だんだん気持ちよさだけを感じてなにも考えられなくなった頃に、遙紀の手はすとんと落ちる。
 唾液の糸を引いてゆっくり離れる。遙紀はぽーっとしていた。その紅潮した色っぽい顔が梨玖は大好きだった。
 キスだけで終わるつもりでいた。これ以上やったらいろんな意味でまずいかと思ったのだが。
 しかしもうちょっと楽しみたいなーと思ってしまった。
 どういうわけだか、自分が気持ちよくなりたい、なんて思わない。遙紀が気持ちよくなっているときの顔が見たくて声が聞きたいだけだった。
 男として変なんだろうかと思わなくもないが。
 もちろん、いずれはちゃんと普通に遙紀とセックスする、という欲求はあるが、別に今すぐじゃなくてもいいや、と思ってしまったのだ。ただ単に、実は性的欲求が少ないだけなのかもしれないが。
 勝てないかもしれない男が現れたとちょっと焦ったりしたが、遙紀が相手を友達以上に見ていないことは判ったし、口にしなくても自分を好きでいてくれてることも判った。
 なので、普通にちゃんとする前に、遙紀にセックスに対する免疫をつけておこうと思ったのだった。


第3章 〈2〉へ

小説(転載) Eternal Delta 5/9

官能小説
08 /28 2018
第2章 確認なんてしなくても〈2〉

 先に裸になった……ならされた遙紀は、先に風呂場に入っていた。
 かけ湯をし、湯船に浸かる。
 膝を立てて両腕で抱え、いろんなことを考え始める。
 今から裸の梨玖が入ってくる。それを見るだけでも恐ろしいのに。
 何もしないなんて言っていたが、絶対信用は出来ない。きっと昼間みたいな恥ずかしいことをするつもりなんだ。いやそれどころか、今度こそ本気でバージンを奪うつもりなのかも……。
 ──やだぁっ!
 昼間は修祐とのこともあったので、同意するしかなかったというか、あそこで拒否したら嫌われるかもしれないと思った。
 だけど、今度は違う。修祐のことは関係ない。ただ単に梨玖がやりたいだけ。
 遙紀にはまだなんの覚悟も出来ていない。
 第一、どうして風呂場なの!?
 初体験がこんなところなんて!
 ……そりゃ、車のバックシートとか、公園の草むらとか、学校の屋上なんてところよりはマシかもしれないけど……別にラブホテルに行きたいとかいうわけでもないし……。
 ──じゃなくて!
 ばしゃんっ!と遙紀は顔面を水面に叩きつけた。
 場所が問題なわけじゃなくて……いや問題だけど……あたしやっぱりまだダメよ~!
 なんとかして逃げられないだろうかと考えた。
 だがこんな狭っ苦しい風呂場では逃げ場なんてないし、風呂場から逃げ出せたとしても足の速い梨玖にはあっさりとっ捕まってしまう。
 ……どうしよう。
 本気で拒否したら梨玖だってやめてくれる……かな。
 だけど昼間みたいに「俺とするのが嫌なのか?」なんて聞かれたら困るし……。
 風呂の湯の熱と恥ずかしさのせいで、遙紀の顔は真っ赤っかになっていた。時々、梨玖に嫌われる可能性を考えて青ざめる。
 悩んでいた時間は一分にも満たない。答えが出ないうちに、梨玖が入ってきた。
 風呂場のドアが開く音に、遙紀は身をすくませた。そっちを見ないようにうつむく。
「遙紀、先に髪の毛洗うか?」
「……え?」
 聞かれて遙紀は思わず振り返ってしまった。
 梨玖は湯船のすぐそばに立っていた。遙紀の目線はちょうど梨玖の腰。なのだが、梨玖は腰にタオルを巻いていた。
 ……少しほっとした。いきなりあんなものは見たくない。どんなものか知らないが。
 湯船はなんとか二人並んで座れるぐらいの広さはある。洗い場の方も同じぐらい。二人並べるとはいっても並びたくない。
 さっさと洗ってさっさと上がってしまおう。そう考えて、遙紀は先に髪を洗うことにした。梨玖と場所を交代する。
 一度見られたとはいっても、やっぱり裸は恥ずかしい。梨玖の視線を過剰に意識しつつ、遙紀はシャワーの栓を捻った。
 梨玖は湯船の縁に両肘を置き、その上にあごを載せてじーっと遙紀を見ている。少し手を伸ばせば届く距離。
 ……やっぱり絶対触らないなんて信用できないよね。
 全身を緊張させ、遙紀はシャワーで髪を濡らした。シャンプーを手に取り髪につけ、汚れを落とすだけですぐにシャワーで流す。もう一度シャンプーを手にして髪を泡立てる。またシャワーで流して次はリンス。
 一週間に一度、遙紀はトリートメントをする。今日はそうしようと思っていた日なのだが、それどころじゃない。そんな時間はない。
 リンスを髪になじませているときに、遙紀はちらっと梨玖を見た。
 梨玖はずっと同じ恰好で遙紀を見ていた。なにやら笑っているらしい。
「……ねえ」
「なんだ?」
「……なんか楽しいの?」
「めっちゃ楽しい」
「……なにが?」
「いろいろ」
 ……やっぱり変態よ、こいつ。遙紀は確信した。
 ため息をついて、リンスを洗い流す。顔を上げて頭のてっぺんからシャワーをかけていると、べちょっ、とした感触をヘソの上辺りに感じた。
 何事かと思って視線を下げる。みぞおちの部分に泡立ったスポンジがくっついていた。もちろん勝手にくっついているわけじゃない。スポンジから梨玖の手が伸びていた。
「……なにやってんの?」
「洗ってやろーと思ってさ」
「自分でするわよ!」
「遠慮すんな」
「遠慮じゃない! だいたい、あたしに触らないって言ったじゃない!」
 信用してなかったけど。
「俺が触ってるんじゃなくて、スポンジが触ってんだよ」
「ヘ、ヘリクツ言──ひゃぁんっ!」
 いきなりスポンジで胸を撫でられた。背中に悪寒のようなものが走った。
 直接手や舌で触られるのとはなんだか全然違う感じで、ぞくっとはしたけど、それだけだった。昼間のが快感だったとは認めたくない。しかしあれに比べれば今のはあんまり感じなかった。が、遙紀は真っ赤っかになって硬直した。
 自分の声が、思いっきり反響したからだ。それも嬌声が。
 まさかとは思うが家の外に聞こえてないだろうか。
「り、梨玖! あんたねぇ──やぁんっ」
 文句を言いかけた遙紀だったが、何度も乳首をこねくり回されて、身体がだんだん言うことを聞かなくなってきたのを自覚した。
「や……梨玖、やめ……んっ……」
「お前って感じやすいのかなー」
「し、知らなっ……あ……」
 感じやすいとダメなんだろうか。なんてことを頭の片隅で心配しながら、遙紀は必死で声を出さないように我慢していた。シャワーが出しっぱなしなのはすっかり忘れている。
 なんで逃げられないんだろう。
 身体が言うことを聞かないのも原因だが、それだけじゃないような気がする。
 胸への攻撃は止まない。それどころか、梨玖は空いた左手に石鹸をこすりつけて泡立て、遙紀の背中や尻を撫で始めた。
「やっ……だ、だめ……」
 本格的に触ってきた。このままどんどん攻撃がエスカレートして、本当に最後の最後までやってしまうのかもしれない。
 ……こんなところで?
「やだっ……梨玖、や……やめ……て……」
 遙紀はかすれるような声で訴えた。どうせ聞いてくれない、とも思ったのだが。
 梨玖の手がぴたりと止まった。慌てたように遙紀から手を離す。
「あ、わ、判った、やめる、やめるから泣くなって!」
「……え?」
 泣くって、誰が……?
 疑問に思った遙紀は、視界が曇っていることに気づいた。瞬きすると、涙がこぼれた。
「泣かなくたっていーだろー……」
 梨玖が仕方ないな、といった感じでうなだれた。
 遙紀はムカついた。シャワーを掴んで梨玖に向ける。
「──バカぁっ!」
「のぁっ!」
 ばしゃーっ!と梨玖の顔面に容赦なく湯が降りかかる。
「おい! やめろって! い、息でき……ね……!」
 湯の向こうで梨玖がもがいている。しかし遙紀は全然気が済まない。シャワーを梨玖に投げつけた。かこーんっ!と見事に額にヒットした。梨玖は湯船に沈んだ。
 身体についた泡をシャワーで流し、遙紀はさっさと風呂場を出ようと立ち上がった。そして磨りガラスのドアに手をかけた瞬間。
「──ただいまー」
 遙紀はぎくっとした。ドアに手をかけたままで動きが止まる。
「梨玖ー、遙紀ちゃーん。イチゴ買ってきたのー。食べなーい?」
 母の声だった。
 ……どうしよー……。
 出るに出られなくなって、遙紀は焦った。
「……お袋か?」
 ざぶっと湯から顔を上げて、梨玖が聞いた。振り返って遙紀はこくこくと頷いた。
「……まずいな」
「ま、まずいなって、あんた……!」
 親公認だから平気だとか言ってたのは誰だ。
「梨玖ー? 遙紀ちゃーん。いないのー?」
 声がだんだん近くなってきた。ここを覗きに来るのは時間の問題だ。
「俺が出る」
 いつの間にか湯船から上がっていた梨玖が、遙紀の肩を引いてドアを開けた。
「ちょ、ちょっと! どうすんの!?」
「いーから入ってろ」
 と、頭を押し返された。
 ドアを少ーしだけ開けて、脱衣所にいる梨玖の様子を除く。
「なんか呼んだかぁー?」
 いつも通りの呑気な声で、梨玖がバスルームの外に向かって言った。
「ああ、なんだ。お風呂入ってたの? 遙紀ちゃんは?」
「あー……便所じゃねぇの?」
 その説明に遙紀はずっこけた。
 ……も、もうちょっと違うごまかし方できないの!?
 しかし母はそれで納得していた。
「あっそう。イチゴ買ってきたのよ。食べるでしょ?」
「ああ。あとで食う。それより親父は?」
「まだよ。担当さんとハシゴしてるの。さっき三件目に行ったわ。帰るの夜中ね。あ、梨玖。お風呂もう上がる? 母さん早く入りたいんだけど」
「今入ったばっかだって」
「あらそう。早くしてね」
 母の足音が遠ざかっていった。そのすぐ後、ドアの開く音がしたので、おそらく寝室に入ったのだろう。
「遙紀、今のうちに部屋に行け」
「う、うん」
 頷き、遙紀は脱衣所に出たが。
「あ!」
「なんだ?」
「き、着替えもバスタオルも持ってきてない……」
 梨玖に無理やり連れてこられたのだから当たり前だが。
「さっきの服着てりゃいいだろ? あ、いや着替えてる暇ないぞ。そのまま行け」
「え!?」
「しょうがないだろ」
「誰のせいよ!」
「俺のバスタオル使えばいいから。あとで返せよ」
 何を偉そうに言っているのかと遙紀は何か言いたくて仕方ない。
 バスルームから二階の部屋に行くには、玄関前を通らなければいけない。こんな夜にいきなり誰かが訪ねてくるなんてことはないと思うが、やっぱりちょっとセミヌードは勇気がいる。
「早く行けって」
 バスタオルを押しつけられ、遙紀は仕方なく身体に巻いた。それから梨玖に脱がされて辺りに散乱していた服を抱え、バスルームを出た。
 足音を立てないようにゆっくりそーっと歩く。
 バスルームの向かいが父の書斎。書斎とは名ばかりで、本が山積みになっているだけの部屋。その隣が両親の寝室。さらに隣の部屋がリビング。その向こうが玄関だ。
 廊下をまっすぐ慎重に歩き、玄関まで着た遙紀は、猛ダッシュで階段を駆け上がった。ここまで来れば足音はどうでもいい。それより早く服を着たい。



 部屋に飛び込んだ遙紀は、入ってすぐ左手にあるタンスに飛びつき、最初に掴んだ下着を大急ぎではいた。続けてブラジャーを着け、さっき着ていた服を再び着る。
「……はあ」
 遙紀は大きく息をついた。
 やっとこれで落ち着ける。
 自分のバスタオルで髪の滴を拭き取る。生乾きのままで、梨玖のバスタオルを持って部屋を出た。
 階段を下り、バスルームへ向かって廊下を歩いていると、突然視界が遮られた。
「ああ、遙紀ちゃん」
 両親の寝室のドアが開いて、母が顔を出したのだった。
「あ、えっと、お、お帰りなさい」
「ただいま。晩ご飯は? 作ってくれたの?」
「あ、うん、適当に作った」
「そう、ごめんね。もうちょっと早く帰るつもりだったんだけど。イチゴ買ってきたの。食べる?」
「う、うん。あ、あたし洗うから。お母さん疲れてるでしょ?」
「あらそーお? じゃあお願いね」
 そう言って母は部屋に引っ込みかけた。が、遙紀の手元を見て変な顔をした。
「あら。それ、梨玖のバスタオルじゃなかった?」
「え!? あ、あの……さ、さっきね、忘れたから持ってきてくれって言われたの」
「あらまあ。おマヌケさんな子だわ」
 自分の息子に向かってムチャクチャ言ってる、と遙紀は思ったが、ドスケベという言葉も付け足したいとも思った。



 ヘタを切り取って水洗いしたイチゴを、ガラスの器に四等分する。つもりだったが、数が合わなくて一皿だけ他より少なくなってしまった。
 ……これは梨玖の分にしてやろう。
 一番少ない皿にラップをし、油性ペンで「りく」と名前を書く。もう一皿ラップをして、それには「父」と書いた。
 他の二つに練乳と砂糖をかけ、フォークを二つ持って母の部屋に行く。
「ああ、ありがとー」
「練乳いらなかったかな?」
「あら。イチゴには練乳でしょ?」
 皿とフォークを受け取り、母は笑って言った。
 この義理の母とは結構食べ物の趣味が合う。そのお陰か、子供と後妻の仲がうまくいかないという電話相談の定番の悩みがない。以前からよく知っていたという理由もあると思うが。
「父さんと一緒に仕事するの?」
 部屋の入口で遙紀は立ち話を始めた。
「そうなのよ。今度イラスト集出すんだけどね。それにお父さんがちょっと話を書くことになったの」
「童話みたいな?」
「そうねえ。詩って言った方がいいかしら」
「……あたしにも読めるかな?」
「あら。読んだことないの?」
「だって父さんの書くのって……」
「あ、そうねえ。童話とポルノだもんねえ」
「童話だったら読めるけど……」
 ポルノ小説なんて読みたくない。しかし父親の仕事をよく知りたいとも思うので、できれば普通の小説を書いて欲しい。梨玖や修祐を除いて、父がポルノ作家だということを知っているのは親友の女の子が一人だけ。それ以外には童話作家だとしか言っていない。
 息子ならともかく、娘としては父親がポルノ作家だとは言いたくないというか……。
 ……ひょっとして梨玖って父さんの小説読んでるのかな?
 その手の雑誌やビデオは未成年者に販売してはいけないという表向きの決まりはあるが、小説の場合はどうなんだろうか? 
「今度出すイラスト集はね、風景画が多いから。遙紀ちゃんでも大丈夫よ」
「あ、そうなの? じゃあ、出たら読ませてね」
「あら、もちろん。あ、それでね、しばらく編集部に通うことになると思うのよ。だから夕食の用意とかお願いね」
「うん、いいけど……父さんも?」
 また両親揃って家を空けたりしたら、今日みたいに梨玖が変態になって襲いかかってくるかもしれない。
「ああ、お父さんはあんまり出ないと思うわ。他の仕事もあるし」
「あ、そうなんだ」
 かなりほっとした。
 どちらか一人いてくれれば安心だ。
 ……そうでもないかも。
「あがったぞー」
 ガラス戸が開いて、梨玖が廊下に出てきた。全身から湯気を立ち上らせている。
 早く上がれと言っていた母は、「あらやだ、もう上がったの」と言ってイチゴの入った器をダイニングの方へ持っていった。
「あー、それくれ」
 梨玖が母の後を追いかけた。
「ちゃんと分けてくれてるわよ」
 自分の分を冷蔵庫にしまい、母は着替えを持ってバスルームへ向かった。
 梨玖が冷蔵庫を開けて中を覗き込んだ。二階へ行きかけた遙紀に声をかけてくる。
「……なあ、これお前が分けたのか?」
「そーよ」
「なんか差別感じるんだけどさ」
 大粒のイチゴなので、一つ少ないだけでものすごい差があるように見える。
「気のせいよ」
 言い捨てて、遙紀は階段を上がった。



「──なあ、遙紀」
 遙紀が部屋に入ってすぐに、梨玖がやってきた。遙紀は部屋の真ん中のテーブルでイチゴを食べながらテレビを見ている。梨玖は視界を遮るようにテレビの前を通って遙紀の隣に座った。
「……まだ怒ってっか?」
「当たり前でしょ!」
 遙紀は眉を吊り上げて梨玖に怒鳴った。
「親しき仲にも礼儀ありって言葉知らないの!?」
「……いや、あれは礼儀がどうこうってことじゃないと思うけどな」
「いいのよ、なんでも!」
 遙紀は梨玖を無視して猛然とイチゴを食べる。
「……なあ」
「なによ!」
「宿題……」
「自分でやるって言ったでしょ」
「直接触ってないだろ?」
「触ったじゃない、背中!」
 梨玖ははっとしたような顔で青ざめた。
「せ、石鹸越し」
「男らしくないわよ、あんた!」
「た~の~む~! 俺一人で出来るわけねぇんだからさー!」
「いや」
「遙紀~!」
「訴えてる暇あったらさっさと部屋戻ってやってくれば?」
「……んじゃ、最後の手段だ」
「は?──ちょっ……!」
 どさっと後ろに押し倒された。梨玖が覆い被さっている。
 ……さ、最後の手段って……。
 生真面目な顔をした梨玖が真上にいる。遙紀の心臓の音が大きくなってきた。
 う、うわ、ちょ、ちょっと、待って……。
 そんな見たこともないような顔で見つめられたりしたら、どきどきしちゃって動けないじゃないのよ!
 今度こそ本当にされちゃうんだろうか。こんな成り行きみたいな?……それもなんか嫌だってば……もっとちゃんと自然な感じで……って、そうじゃなくて……。
「……遙紀」
「ななななに!?」
「覚悟しろ」
 でででできない!
 この場合、拒否していいんだろうか。梨玖にすれば、拒否されても宿題を写させてもらえるという特典があるし、拒否されなかったらそれはそれで満足するんだろう。
 遙紀にすれば、宿題なんか見せてやるもんかと頑固に思う一方、最後までやるのはまだ恐い。
 ……どっちがマシなんだろう。
 もちろん、宿題を見せてやる方がマシだというのは判っている。だけどそれは自分が折れるということになるわけだし……。
 梨玖がにやりと笑った。遙紀は赤面しながら青ざめた。
「いくぞ」
 梨玖の手が、遙紀の、脇の辺りに触れた。
「……え」
 いきなり服を脱がされるのか、胸を掴まれるのかするんだと思っていたのだが。
 ピアノを弾くときやキーボードを叩くときのように、梨玖の指が細か~く動いた。
「──ひゃははははははっ!」
 遙紀は背中を反らせて大笑いした。
「弱点知ってんだぞー。ここだろ」
 梨玖の手が腰に移動した。
「いやぁ~~っ! や、や、や、やめ……!」
 あまりにも古典的でバカバカしい攻撃に遙紀は腹が立ったのだが、笑いが止まらなくて文句が言えない。なんとか身体をねじらせて梨玖の魔の手から逃れようとするのだが、太股の上に乗られているのでまるっきり動けない。
 そのうち引きつったような声になり、身体が痙攣してきた。
「た、た、たす……け……!」
「やめて欲しかったら宿題見せろー」
「い、い、い……や……!」
「んじゃ、やめねぇー」
「きゃーーっ! わ、わかっ……!」
「なんだ?」
「わかっ、わかった、から、や、やめ……」
「よっしゃ」
 勝ち誇った顔で、梨玖は攻撃をやめた。
 ……負けた。
 やっと自由になった遙紀は、寝転んだまま、ぜいぜいと息をついた。
 ……なんであたしはこんな奴の彼女なんだろ……しかも姉弟……。
 遙紀は世の理不尽を嘆いた。



 翌日。朝の九時から梨玖に付き合わされていた。こいつがこんな朝早く起きるというのは奇跡だが、おそらく今日一日かかっても宿題を写し終えるのは不可能だろうと遙紀は思った。もっとも、明日の始業式にすぐ提出するわけでもないが。
「明日学校どーする?」
「え?」
 二人は一階にいた。梨玖はリビングで宿題を写していて、遙紀は向かいのダイニングで昼食の冷やし中華を作っていた。母は出版社へ出掛け、父は奥の書斎で執筆中だ。ちなみに父が昨日帰ってきたのは夜中の二時だ。寝ていたのだが、べろべろに酔っぱらった父の大声で目が覚めてしまった。
「どーするって、なにが?」
 皿をテーブルに三つ並べ、麺を三等分する。その上にハムや薄焼き卵やキュウリの千切りを置いていく。
「だからな、一緒に行ったらなんか言われねぇかな」
「……あんた妙なとこ気を遣うのね」
「お前、気にしねぇのか?」
「いや……そりゃ、変にからかわれるのはアレだけど……元々付き合ってたわけだし、いいんじゃないの? どうせすぐバレるわよ」
「……やっぱお前、神経図太いな」
「なによ、それ」
 バカにされたような気がして、遙紀はむっとした。
 ……また少なくしてやろうかな。
 出来上がった冷やし中華を見て、遙紀は本気で考えた。
 父の分を書斎に持っていき、自分と梨玖の分をリビングへ持っていこうとしたとき、玄関のチャイムが鳴った。
 リビングのテーブルに皿を置いて、遙紀は玄関に向かった。
「──はい?」
 ドアを開けると、難しい顔をして立っている女の子がいた。
 遙紀よりかなり背が低く、ロリータな顔をしていて、長い髪をバレッタでまとめ上げ、黒いレザーのズボンをはき、頭のてっぺんには変装用の伊達眼鏡がある。
「久遠くおん? あんたいつ帰ってきたの?」
 崎元さきもと久遠。遙紀の同級生で、一年の時に知り合って以来の親友だ。生まれたときからモデルをやっていて、現在は親が経営する事務所で女優とか歌手とか色々やっている。久遠という名前は芸能人にするために両親がつけたらしい。
 普段はかなりクールな恰好をしているが、テレビの中では頭の線が切れた天然アイドルを演じている。時々辛口トークをして、他の芸能人やマスコミたちを混乱させている。
 学校を優先している久遠は、平日は夕方以降、土日にフルタイムで芸能活動をしている。春休みの間は映画の撮影で沖縄に行っていた。
 右手の甲をあごに当て、肘を左手で支えるという考え込むような恰好で、久遠は高杉家の玄関の一点を見つめていた。
「久遠?」
「……ねえ、遙紀ちゃん」
「え?」
 アニメなどで声を演じるときには必ずロリータ系ヒロイン役をする久遠は、その甲高い声のままで、器用にも冷たい声を出した。
「どうして梨玖ちゃんの名字がかかってるの?」
「……え?」
 遙紀ははっとした。玄関から身を乗り出し、自分の家の表札を見る。別に見なくても判っているのだが。
 当然ながら、そこには二つ並んだ表札がある。
「遙紀ちゃん?」
「な、なに?」
「私に内緒で梨玖ちゃんと結婚したの?」
 こけ。
 遙紀は地面に顔面をぶつけそうになった。
「なんでよ!」
「だってそうなんでしょー?」
「違うってば!」
「じゃあこの表札なに?」
「……えっと」
 遙紀は言い淀んだ。やっぱりバレるのは嫌かも。
「どういうことなの~?」
 久遠の声と顔は詰問調になっていた。
 別に自分が後ろめたく感じることはない。結婚したのは父だ。梨玖と同居しているのはその副次的な結果というか……。
「入るよ」
「あ、ちょっと、久遠!」
 久遠は勝手にずかずかと家に上がっていった。



「ああーっ! ホントにいるーっ!」
 リビングの入口で、久遠が梨玖を指差し叫んだ。
「……なんで来るんだよ、てめぇ……」
 梨玖は心底嫌な顔をしていた。
「いつの間に結婚したの!?」
 久遠が梨玖に詰め寄った。
「いつって、一週間ぐらい前」
「ひっどぉーいっ! 私に内緒でそんなことするなんて!」
「はあ? なんでお前に言わなきゃいけないんだよ」
「親友なんだから当たり前でしょー!」
「……いつお前が親友になったんだ」
「あああ! そんな人非人だなんて思わなかったぁ! 今までの友情はどこ行ったの!?」
「最初っから友情なんかないだろーがよ」
「いやーんっ! ひどぉーいっ!」
 久遠は大げさに泣きマネをした。
 遙紀は額に手を当てていた。なにやら頭痛がする。
 ……噛み合ってないわ、全然。
「なあ、遙紀。こいつなに言ってんだ?」
 梨玖が変な顔で久遠を指差す。
「……あのね、久遠」
 久遠の肩にぽんと手を置いた。
「結婚したのは、うちの父さんと梨玖のお母さんなの」
「……ふぇ? おじさん?……と、おばさん?」
「そう」
 久遠はしかめっ面をした。
「うそぉ」
「ホント。だいたいね、あたしはともかく、梨玖はまだ結婚できないでしょ?」
 梨玖はまだ十六歳だ。あと二年は法律的に結婚できない。
「……あ、そっかぁ」
 久遠はあっさり納得した。
「そういえばそうだっけ──え!?」
「な、なによ」
「じゃ、じゃあ、もしかして、同棲!?」
「同居!」
 怒鳴りながら遙紀は訂正した。
 ……やっぱりバレるのは嫌だ。
 ため息をついた遙紀に、久遠がにやぁっと笑いかけた。
「ひょっとしてもうやっちゃった?」
「……え!? な、なにが!?」
 何が聞きたいのか判ってはいたが、はっきり答えるわけにはいかない。
「やっだぁ。アレよ、アレ」
「あ、あれって……」
「だってもう一週間なんでしょ? やってないことないわよねー、梨玖ちゃん?」
 聞かれた梨玖は無視していた。冷やし中華を食べることに集中しているらしい。
「梨玖ちゃ~ん? まさかまだなのぉ?」
「んなこと聞くな! 他人にベラベラしゃべるこっちゃねぇだろ!」
 さすがに梨玖も羞恥心を持っていたらしい。遙紀はほっとした。昨日のことをベラベラしゃべられたらどうしようかと思っていた。
「えー。いいじゃない、親友なんだしー」
「てめぇは親友じゃなくて悪友だ!」
「またまた照れちゃって」
「うるせぇ! 帰れ!」
「やっだもーん」
 いつもの光景が始まった。久遠は梨玖をからかうことに情熱を注いでいる。
 遙紀は二人を放っておいて、冷やし中華を食べ始めた。
「あ、そういえば遙紀ちゃん」
「……なに?」
「要するに遙紀ちゃんと梨玖ちゃんは姉弟なわけでしょ?」
「そーよ」
「姉弟ってぇ、結婚できるの?」
 久遠は可愛らしく首を傾げて、さらっと疑問を投げかけた。
「……え?」
 遙紀は梨玖と顔を見合わせた。梨玖は唖然としていた。
「……いや、待てよ。血の繋がりはないんだから大丈夫だろ?」
「でもぉ、戸籍上は姉弟でしょ? じゃあやっぱり出来ないんじゃないの?」
「……そ、そうなのか?」
「知らないわよ、あたしに聞かれたって……」
 ……出来ないのかな?
 別に常日頃から梨玖と結婚したい!と思っていたわけじゃない。だが、いずれそうなるかもしれないなあと思ったりはする。そもそも家族になってしまった以上、別れるなんてことはあり得ないような気がしていた。そんなことになったら気まずくて仕方ない。
 法律なんて全然判らない。血の繋がった兄弟姉妹が結婚できないのは当然としても、連れ子同士でも駄目なのか?
 連れ子同士が恋仲になるのは物語としてはよくある。自分たちの場合は順序が逆だが。しかし現実にそんな例はあるんだろうか。その場合のフォローは、法律ではしていないのだろうか。
 ……六法全書って、あったっけ。
 遙紀は父の書斎をあさってみようと考えた。


第2章 確認なんてしなくても 終わり

小説(転載) Eternal Delta 4/9

官能小説
08 /28 2018
新規登場人物
崎元久遠(さきもと・くおん)
 遙紀の親友。モデルで女優で歌手。


第2章 確認なんてしなくても〈1〉

「再婚!? おじさんが!?」
 修祐が驚いた声を上げた。
「うん。やっぱりびっくりするよね?」
 遙紀は修祐をリビングに通し、近況を説明した。
 くの字のソファーに遙紀と修助が座り、梨玖は父愛用のロッキングチェアーに座っている。この椅子を買うときは、父とかなりケンカした。高かったので。
 梨玖は不機嫌な顔をしていた。あからさまではないが、なんとなく判る。理由も判っている。しかし、信用されていないような気がしてなんだか腹が立つ。ので、梨玖を無視して修祐と話を弾ませることにした。
「で、修祐? また引っ越してきたの?」
 見知らぬ梨玖が気になるのか、修祐は横目で梨玖を見ていた。
「……ああ。父さんがこっちの方の大学に呼ばれたんだ。前とは違うところだけど」
 修祐の父親は大学教授。修祐が学校を何度も変わるのは可哀想だろうといって、中学卒業するまで大学を変わらなかった。一年前に京都の大学に呼ばれ、家族揃って引っ越したのだが。一年で戻るとは思わなかった。
「学校は? どこ行くの?」
「高鳥。近いしさ、私立行くとまた金かかるし」
「あ、そうなんだ。じゃあ、また一緒ね」
 遙紀は単純に、一番親しい友人と同じ学校へ通うのを懐かしく思っただけだった。遠くへ行ってしまった友人と、こうしてまた話が出来ることが嬉しいだけだった。
 梨玖はそれを快く思わなかったらしい。黙って立ち上がり、リビングを出ようとした。
「……梨玖?」
「宿題やってくる」
 それだけ言ってさっさと出ていった。階段を上がる足音が大きいような気がした。
 ……今のは不注意な言葉だったかもしれない。
 遙紀はちょっと反省したが、別に深い意味があって言ったわけじゃないし、それぐらい判ってくれたっていいじゃない、とも思った。
 修祐はただの幼なじみで、友達以上に思っていないことはさっき説明したはずなのに。
 どうしてこんなことぐらいですねるのか。すねるということは、自分のことを信用していないということじゃないのか……。
「……遙紀?」
「──え? あ、なに?」
 どうやら自分もすねていたみたいだ。修祐に覗き込まれた。
「もしかして……付き合ってる?」
「え、あ、えっと……判る?」
「……なんとなく。連れ子だって言ってたよな? それから?」
「あ、ううん。もっと前から。半年ぐらいかな」
「へー……遙紀に彼氏が出来るとは思わなかったな」
「……なにそれ? どういう意味?」
 遙紀がしかめっ面をすると、修祐はごまかすように笑った。
「いや、別に」
「そーいうあんたは? 彼女ぐらい出来たの?」
「いたら戻ってくるわけないだろ。向こうで一人暮らししてるよ」
「あ、そうね。でもあんたってさあ、モテるくせに彼女作らないんじゃない。なんで?」
「……なんでって……好きでもないのに付き合えるわけないだろ」
「もったいないわねー。ちょっと付き合ってみて、嫌ならやっぱりダメだって言えばいいじゃない」
「そういうぬか喜びさせるようなのは嫌なんだ」
「モテる人の余裕よね、それ。好きな子でもいるの?」
「……いた」
「いた? 過去形?」
「失恋したからな」
「あんたが? へぇー。あんた振る子がいるんだ。誰?」
 遙紀は興味本位で聞いた。自分の知っている子だろうか、と。
 修祐は、じっと遙紀を見た。
「遙紀」
「……は?」
 遙紀は首を傾げた。
 今のは聞き間違えか? 名前を呼ばれただけか?
 それとも今のは自分の問いに対する答えなのか?
 唖然として修祐を見返していた。一瞬後、修祐は吹き出した。
「冗談に決まってるだろ。惚れてるんならもっと前に言ってるよ」
「……あんた、性格変わったわね」
「別に変わったつもりないけど」
「いーえ。前よりもっとひねくれてる」
「悪かったな。けど遙紀もちょっと変わったな。影響されたんじゃないか?」
「え?……ああ、梨玖に? そうかな?」
 確かに、まったく影響を受けていないとは言えないだろうと思う。
 おおざっぱな性格のくせに人に気を遣うところがあって。男の同級生と話してたらすぐ割り込んできて……。
「……あ、そうだ」
 梨玖のことを考えていたら、さっきの恥ずかしい体験を思い出し、ついで梨玖に言われたことも思い出した。
「あのね修祐。えーっと……前の正月にあったあれ、あるじゃない?」
「……正月?」
「あの、ほら、えっと、なかったことにしようって言ってたあれ」
「あ、ああ、あれ、か」
「あの、あれってやっぱりなんにもなかったみたい」
「……なんで?」
「なにが?」
「いや、なんで判るんだ?……あ、今の……りく、だっけ。やったのか?」
 遙紀は瞬間的に赤面した。
「え、あ、あの……」
 あれは「やった」うちに入るのか?
 ……言わなきゃよかった、と後悔した。
「ちょっと安心したな」
「え?」
「そうだろ? 恋人同士でもないのに関係を持ったなんてさ。それも酒飲んで酔っぱらって憶えてないなんて最低だろ?」
「あー……うん、そうかも……」
 はっきり言って初体験を憶えていないなんてものすごく嫌だったのだが、そう言うと修祐に対して失礼なような気がしていた。
「彼氏とやったのが最初なら俺も安心だ」
「あー……」
 まだ処女なんだけど。
 言いかけた遙紀だが、わざわざ言うのは変な気がした。かといってとっくの昔にそういう関係になっていると思われるのも嫌なのだが。
 ……そう言えば。
 どうしてさっき、梨玖は指だけでやったんだろうか? 男は自分がやりたいからやるんじゃないのか?
 少なくとも、途中まではその気だったみたいなのに。
 自分だけが裸にされて、自分だけが変な気分になった。そのことがすごく嫌で恥ずかしかったのだ。
 ……といっても、ちゃんとやって欲しい、と思っているわけじゃない。そんなことは口が裂けても言えない。いや、絶対思っていない。
 でも近いうちにそうなっちゃうんだろうなあ……と考えて、遙紀は一人赤面した。
「じゃ、帰るな」
 修祐が立ち上がった。
「え? もう帰るの?」
「先にちょっと挨拶しに来ただけだからさ。おじさん、何時ぐらいに帰る?」
「んーと。夕方かな?」
「じゃあそれぐらいにまた来る。たぶん、母さんも一緒に来ると思うから」
「うん、判った」
 遙紀は玄関まで修祐を見送った。それから二階へ上がる。
 自分の部屋へ入ったが、梨玖はいなかった。
「あれ?」
 中央のテーブルにあったはずのものがなくなっている。首を傾げつつ、梨玖の部屋へ行った。
「……梨玖?」
 ドアをノックして、そうっと中を覗いた。
 服やゲームソフトが散らかっている部屋の真ん中で、こたつ兼テーブルに問題集やノートを広げて梨玖が頬杖をついていた。右手が機械的に動いている。
「なんでわざわざこっちに持ってきたの?」
 言いながら、遙紀は部屋に入り、梨玖の隣に座った。
 無表情な顔をして、梨玖は遙紀のノートを写している。
「梨玖?」
「……帰ったのか?」
「え? あ、うん。まだ引っ越しの途中だからって」
「……あっそ」
 とだけ言って、梨玖は黙々と作業を続けた。
 遙紀は両方の手で頬杖をつき、梨玖の顔をじろーっと見た。
 ……これって、やきもちって奴よね。
 なんで? 友達と話してただけじゃない。別に抱き合ってたとか、キスしてたとか、そんなことじゃないのに。また戻ってきたから挨拶しに来ただけなのに。
 そりゃ、何かあったかもしれないって言ったけど。それは勘違いだったって梨玖が言ったんじゃない。結局何もなかったんだから、やきもち焼く理由なんてないじゃない。
 ただの友達の修祐と関係したかもしれない、なんて抵抗あったけど。さっきの梨玖にされたあれは、一応同意の上って奴だった。その違いが判ってもらえてないのだろうか。
「ねえ、梨──」
「別にさ」
「え?」
「お前のことを疑ってるわけじゃねぇよ」
「……疑ってるじゃない」
「お前さっき言っただろ? 俺に昔の女がいたら嫌だって」
「え、あ、えっと」
「俺だってそうなんだよ。あいつはさ、お前の一番仲のいい男だろ?」
「だ、だから、修祐は幼なじみってだけで──」
「俺がお前のことについて知ってるのはこの一年……いや半年だけか。けどあいつは十年以上、お前のことを見てきてるんだ。俺が知らないお前を、あいつは知ってるんだぞ?」
 怒ったような顔で、梨玖がそう言った。遙紀は唖然として、梨玖を見た。
「……それぐらいのことで妬いてるの?」
「ぐらいってなんだよ。俺にとっちゃ重要なんだよ」
「だ、だって。生まれてから死ぬまでずっと一緒にいるカップルなんてほとんどいないわよ。知らないことがあって当たり前でしょ?」
「俺は嫌なんだよ。俺、お前の彼氏なんだぞ? それなのに俺以上にお前のこと知ってる奴がいていいと思うか?」
「……しょうがないじゃない」
「じゃあ聞くけどな。俺にもし女の幼なじみがいて、俺がそいつとお前の前で仲良く話してたらどんな気分だ?」
「え、どんなって……」
 梨玖に幼なじみなんていないので、どんな気分かは想像しがたい。でもちょっと考えてみた。梨玖のことをよく知っている女の子が、梨玖と仲良く話して……。
 ……嫌かも。
 遙紀は自分の想像に腹を立てた。
「ほれみろ」
「いや、あの……」
「しょうがないのは判ってるよ。けどムカつくんだよ」
「……どうしろっていうのよ……」
「別に。俺がムカつくだけ」
「……修祐と話さなかったらいいの?」
「お前、幼なじみを無視できるのか?」
「……えっと」
「話すななんて言ってるわけじゃねぇよ。ただな」
「……なに?」
「俺、お前の口から好きだって聞いてないんだ」
「……え?」
「え?じゃなくて」
「……言ってない?」
「聞いてねぇな」
「……言わなくても判ってるでしょ?」
「いやー。判んねぇなー。そういうことはちゃんと言葉にしないと伝わらないよなー」
 梨玖はにやにやしながらそう言った。
 こ、こいつ……!
 遙紀はムカついた。しかしここで言わないと、梨玖が本気で疑い始めるかもしれない、とも思った。ただからかっているだけだろうという気もするが。
 なんでこんな意地悪な奴、好きになっちゃったんだろう。
 遙紀は泣きたくなった。
「態度で示してもらってもいいぞ」
「え、た、態度って?」
 梨玖は自分の口を指差した。
「──え!? あ、あたし、が!?」
 こっちからキスしろと言うのか。言われてみれば、遙紀からしたことはない。さすがに町中とか人がいる前ではやらないが、二人きりになると梨玖はしょっちゅうキスしてくる。それは全然、嫌じゃないのだが。
 今さらキスぐらいで照れる必要はないとは思う。だけどやっぱり自分からというのはちょっと……。
「ほーら、早く」
 梨玖がテーブルをずらし、遙紀に向き直った。
「……わ、判った……目、閉じて」
 言葉にするよりキスを迫る方がマシというのも変な話だが。
 梨玖はさっさと目を閉じた。わずかに笑ったような顔をしている。
 何が楽しいのよ、こんなこと。
 嘆きつつ、遙紀はゆっくり目を閉じながら梨玖に近づいていった。
 ……ディープじゃなくてもいいわよね。
 軽く触れるだけにしておこうと考えた。そしてほんのわずかに唇が触れたかどうかというところで、遙紀はがしっ!と頭を挟まれた。
「ん──!?」
 思わず目を見開く。目の前に当然ながら梨玖の顔がある。意外にまつげが長い。いや、そうじゃなく。梨玖が両手で遙紀の頭を掴んでいたのだった。
「んーーっ!」
 梨玖の腕を掴んで引きはがそうとするのだが、やはり男の力には敵わない。頭を振ろうにも全然動かない。
 じたばたしているうち──といっても遙紀の体はまったく動いていないが、遙紀の口を割って、梨玖の舌が入ってきた。
「んんっ!」
 いつもなら抵抗しないのだが、今はなんだか騙されたみたいで嫌だった。
 梨玖の舌が、遙紀の口の中で動き回る。遙紀は絡ませてたまるか、と逃げ回っていた。
 しかしその抵抗もむなしく、梨玖の動きに翻弄されて、だんだん思考が鈍ってきた。
「……んぁっ……はんっ……」
 気がつくと、自分から積極的に舌を絡ませていた。頭の拘束もなくなっていたが、遙紀は逃げなかった。
 やがて頭が真っ白になって全身の力が抜けた。梨玖がゆっくりと離れる。お互いの唾液で口の周りはべたべただ。
 しばらくぼうっと梨玖の顔を見ていた。思考が戻るのにはそれほど時間はかからなかったが、抜けた力はすぐには戻らなかった。
「ひきょーものぉ……」
「気持ちよかっただろ?」
「へんたーい……」
「なんとでも言え」
「あんたなんか嫌いよー……」
「嘘だね、そりゃ」
「なによ、それ……」
 好きだって言えって言ったくせに。
 一人だけ満足したらしく、梨玖はテーブルを元の位置に戻して再び宿題を進めた。
 遙紀は大きくため息をついた。
 ホントになんでこんな奴、好きなんだろう。



 夕方六時を回っても、両親は帰ってこなかった。遙紀は家にあるもので夕食を作り、先に梨玖と二人で食べた。
 七時頃、修祐とその母親が手みやげを持って挨拶に来た。両親の代わりに遙紀が受け取り、明日はいると思うから、と言っておいた。手みやげは洗剤だった。家事の半分をやっている遙紀は、お金が浮いた、と喜んでしまった。
 両親からはなんの連絡も入らない。父は昔からそういう人だが、新しい母もそういう人らしい。似たもの夫婦だ、と思った。
「なあ、遙紀」
 夕食の片づけをやっているとき、梨玖が言った。
「風呂入ろうぜ」
「あ、沸いてるから先に入って」
「だから、一緒に入ろって言ってんだよ」
 ──がしゃんっ!
 手に持っていた皿が滑って流しに落ちた。幸い割れていないようだ。
「……え?」
 思わずスポンジをぎゅっと握りしめ、遙紀はゆっくり振り返った。
 梨玖は丸めたバスタオルを脇に抱えていた。
「……なんか言った?」
「風呂、一緒に、入ろ」
 言って梨玖はにやりと笑った。
「な! なに考えてんの!?」
「あー……いろんなこと」
「い、いろんなって! 変態!」
「いーだろ? もう裸見たんだし」
「そ、そういう問題じゃない!」
「他になんの問題があるんだ?」
「だ、だから……あ、と、父さんたち帰ってきたらどーすんの!?」
「んなもん、問題じゃないだろ? 親公認の仲だし」
「そ、そうだけど! そうじゃなくて!」
「なんだよ」
「な、なにする気よ!?」
「風呂ったら身体洗うんだろ?」
「……嘘ばっかり!」
「なんかして欲しいのか?」
「そんなこと言ってないわ!」
「いいから。ほら、早く片づけろ」
「よくないってば!」
 遙紀は最後の最後まで拒否し続けた。
 言いくるめることは不可能だと悟ったのか、梨玖は大きくため息をつき、流しのすぐ後ろにあるテーブルについた。
 背中に視線を感じながら、遙紀は洗い物を続けた。
 ……最後のお皿を食器乾燥機に入れたら水道を閉めて、速攻で階段に向かう。
 頭の中でシミュレーションした。
 そして、最後の皿の洗剤を洗い落として食器乾燥機に置いた。
 遙紀は深呼吸した。水道の栓をきゅっと閉め──
 ──階段に向かって猛ダッシュ!
「あっまぁーーいっ!」
「──きゃぁぁぁっ!」
 ダイニングから出ることも出来ず、後ろから腰の辺りを抱きかかえられた。
「ちょっ、ちょっと、梨玖!」
 手足をじたばたさせるのだが、後ろ向きにずるずると引きずられていった。
「梨玖! ね、ねえ! やめてってば! ホントに父さんたち帰ってくるわよ!」
「別に怒られたりしないって」
「そーじゃなくて!」
「こんなチャンス滅多にないんだぜ? 有効活用しないでどーする」
「わけ判んないこと言わなくていいから!」
 努力もむなしく、遙紀はバスルームへ連れ込まれた。
 ガラス戸に鍵をかけ、梨玖がにたっと笑う。
「へ、変態! 痴漢! セクハラ!」
「……彼氏に向かって言うことか、それ」
「な、なに言ってんのよ、夫婦でもレイプとかいって裁判になったりするんだから!」
「じゃー、訴えるか?」
「え?」
「そういう事件ってな、何をされたか具体的に説明しなきゃいけないんだぜ?」
「……う」
「言えるか、お前?」
 こ、こいつ……おバカのくせに知能犯……!
 遙紀が歯ぎしりしていると、梨玖が服を脱ぎ始めた。
「いやぁぁぁっ!」
「……まだTシャツ脱いだだけだろ……」
 上半身裸の梨玖が呆れたように言う。
 父や兄の裸でさえ、十年近く見ていない。あの二人はいい加減に見えて結構気を遣ってくれる。なのにいきなり同い年の男の胸板なんて見せられて平常心でいろというのが間違っているのだ。せめて海かプールにでも一緒に行っていれば少しは免疫もあるだろうが、付き合い始めたのは秋。見るのはこれが初めてだ。
「……なあ、遙紀」
「ななななによ!?」
「なんにもしないからさ」
「ううううそよ!」
「ホントだって。一緒に入るだけ」
「うそよ! 絶対うそ! 昼間みたいなことする気でしょ!?」
「いや、しない、ホント」
「信用できるわけないでしょ!」
「……じゃあ、あれだ。もしなんかしたら宿題は自力でやる」
「……あんたがぁ?」
「ほら、かなり自分の首絞めてるだろ」
「威張んないでよ……ほんっとになんにもしない?」
「しない」
「あたしに絶対触らない?」
「……ああ」
「なによ、今の間は!」
「あ、いや、あの、覚悟決めてたんだ」
「なんの!」
「なんのって……あのな、目の前に裸の女がいて我慢するのって根性いるんだぞ。しかも自分の彼女だぞ」
「じゃあ一緒に入んなきゃいいじゃない!」
「それも根性いるんだ」
「なんでよ!」
「いーから。ほら脱げ」
「っきゃあぁぁっ!」
 遙紀はあっという間に裸にさせられた。
 ……なんであたし、こんな奴の彼女なの~~!?
 それとも恋人同士はこういうことをするのが当たり前なのだろうか。
 いや、絶対違うと思う。違ってて欲しい。


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小説(転載) Eternal Delta 3/9

官能小説
08 /27 2018
第1章 彼女の初体験の相手〈2〉

 服の上から胸に触れると、遙紀はびくりと体を震わせた。
「……んな緊張すんなよ」
「だ、だって……!」
 するなって方が無理か。自分もちょっと緊張してる。
 シャツの中に手を入れ、背中に回す。ブラジャーのホックを外そうとしているのだが、遙紀はいちいち身体をびくびくさせる。
 やっとホックを外せて、梨玖は考えた。
 ……やっぱ脱がせた方がいいのかな?
 着たままというのもそれはそれでいいのかもしれないが。最初ぐらい普通にやろう。
「遙紀」
「え……?」
「Tシャツ脱いで」
「……え、あ、あの、自分で……!?」
「脱がせて欲しいのか?」
「バ、バカ! そ、そうじゃなくて!」
 まあ、自分から脱ぐというのが恥ずかしいんだろうとは思う。
 Tシャツをすぽっと脱がせ、ブラジャーも取り去る。遙紀の顔はゆでダコみたいになっていた。
 決して大きくはないが、想像してたより胸は膨らんでいた。形は悪くない、と思う。真っ白できれいだ。左胸に触れると、遙紀はさっきよりももっと体を震わせた。心音の早さが手のひらに伝わってくる。
「遙紀」
「んっ、な、なに……?」
「カップサイズは?」
「え!? あ、あの……B……」
「へー……結構あるんだな……」
 実はAカップだと思っていた。着痩せするタイプなんだろうか。
 キスをしながら遙紀を押し倒す。どうやら遙紀はキスが好きらしい。いや自分も好きだが、突然やっても怒らないし、積極的に舌を絡めてくる。自分のやり方がうまいのかどうか知らないが。
 寝転ぶと、胸の膨らみは小さくなった。それぐらいはまあ判っていたが。
 二つの胸を両手でもてあそぶ。声を出すのが恥ずかしいのか、遙紀は必死な顔で我慢しているらしい。
 ……なんかつまらん。
 声が聞きたいんだ、声が。キスの時みたいな。
 やり方がまずいのかもしれないと思い、梨玖は胸に顔を近づけ、ピンク色の突起をぺろっと舐めた。
「ひゃぁんっ!」
 やたら可愛い声を上げて、遙紀が身体をのけ反らせた。
 ──いい!
 梨玖は調子に乗って、何度も乳首を舐めた。そのたびに遙紀が嬌声を上げる。
「……り……梨玖……や、やめ……はぁんっ!」
「なんで? 気持ちいいだろ?」
「だ……だから……いやぁんっ!」
 くわー! 可愛い!
 悶える姿がこんなにいいもんだとは想像以上だ。しかも遙紀がだ。
 今度は舌で転がしてみた。
「ひゃっ!……あっ、やっ、んっ……!」
 おー、反応の仕方が違うな。などと感心しながら舌での愛撫を続け、右手は徐々に下へ下げていった。
 膝丈の少しタイトなスカート。腰のホックを外し、ファスナーを開ける。左手で腰を浮かせ、スカートを取り去る。
 白くて少しレースの入った下着。純潔そのもの。いくら酒を飲んでいて正常な状態ではなかったとはいえ、遙紀が好きでもない男に体を許したなんて信じられない。
 身体の位置を後ろへずらし、梨玖は遙紀の両足の間に入った。
 そーっと人差し指で下着の上から触る。
「んっ……」
 またちょっと反応が違っていた。
 つついたり、なでてみたり。
 遙紀の声を楽しんでいるうちに、下着がだんだん湿ってきた。
 ……濡れてきた……のか?
 もしかしたら遙紀は感じやすいのかもしれない。初めても同然だから敏感なのかも。
 下着を脱がせた。遙紀は完全に裸になった。
 梨玖はその部分にじいっと見入った。その手の雑誌は読むし、同級生の家でその兄の持っていたアダルトビデオも見たことがある。だからセックスの仕方は知っている。どうすれば女の子が喜ぶか、なんてことも知識としてはなんとなく判っている。
 しかし、生で見たのは当たり前だが初めてだ。どういうものであるのか知っていても、やっぱりこの目で見るとものすごくショッキングだ。
「……梨玖……?」
 何もしなくなったから不審に思ったのか、遙紀が紅潮した顔で呼んだ。
 我に返った梨玖は、一本線のその割れ目に指を這わせた。
「あっ、やっ……!」
 直接触られると感じ方が違うのか。反応の仕方がまた違う。
 割れ目でなく、その周りをしばらくこすってみる。それからそっと人差し指の第一関節だけ中に入れる。
 ぬるっとしていた。が、まだ駄目だろうかとなんとなく思った。
 指を上下──遙紀からすれば前後だろうが、動かしていると、遙紀はひときわ大きな声を上げて身体をびくびくさせた。
 梨玖の指は小さな突起に触れていた。割れ目を押し開いて、それをむき出しにする。
 指で転がすと、遙紀の反応はいっそう激しくなった。
 女の子というより、何度も経験している大人の女に見えた。それに少し唖然としつつも、梨玖もだんだん興奮してくる。
 濡れ方が充分になってきたかと思い、梨玖は中指を入れた。
「ふぁっ……!」
「……あ、あれ?」
 梨玖は疑問を感じた。
「え……あんっ……な……なに?……やぁっ……」
 悶えながら遙紀が聞いてくる。指を動かすのをやめていないからだが。
 指が全然中に入らない。めちゃくちゃ狭い。
 変だと思って指を抜いた。両手の人差し指で割れ目をぐっと開き、中を見る。が、いまいちよく判らない。穴の中にまた小さな穴があるような気がするが。
 もう一度、中指を入れてみた。やっぱり狭い。ものすごい抵抗がある。
 たった一回だけで、受け入れやすくなっているとは思わないが、それにしても。
「……遙紀?」
 声をかけながらも、淫猥な音を立てて指を動かすのはやめない。
「んっ……な……なに……はあっ……」
「ホントにやったのか?」
「うぁ……ん……あ……」
 今のはどれが返事なんだろう。梨玖は指を抜いて、もう一度聞いた。
「ホントにその幼なじみとやったのか?」
「な……なに……が……?」
 遙紀ははぁはぁと息をついている。胸が大きく上下していた。
「だからさ。まだ膜あるみたいなんだけど」
「……まく……?」
「処女膜」
「……え?」
「その時、痛くなかったか?」
「え、だ、だから、全然なんにも憶えてないってば……」
 女の場合、最初の痛みは身を切られるようなほどだと、その手の本に書いてある。身体を切られて意識を戻さない奴がいるか? もちろん、その後でまた酔いが回って記憶を失ったということもあるだろうが。
「起きた時どこにいたんだ?」
「……だから修祐の部屋……」
「じゃなくて、ベッドとか床の上とか」
「……床」
「汚れてたか?」
「え?」
「だからさ、お前と幼なじみがいた辺り、白いもんで汚れてなかったか?」
「……判んない。でも、汚れてたら判ると思うけど。フローリングだったし」
「じゃあ、気がつかなかったんだな?」
「うん……でも、白いのって何?」
「精液」
「……え」
 遙紀は絶句した。
「なかったってことは、出してないんだろ。だとしたら、途中でやめたんじゃないか?」
 それに血も出るはずではないのか。そんなものが出ていて気づかないはずないと思う。
「え、や、やめた?」
「酔ってたんだろ? 運動したら酔いが回るの早いぜ」
「あ……そっか……じゃあ、あたし……きゃっ!」
 ほっとしたような声で言いかけた遙紀が、悲鳴を上げる。
 梨玖が、遙紀の太股の間に顔を突っ込んだのだ。
「り、梨玖?」
 顔を突っ込んだというより、ただうつむいたのだが。
 最初はただの欲だった。好きな女は抱かなきゃいけないとでも思っていたのかもしれない。しかし遙紀が他の男に抱かれたなんて聞いて、別の感情が出た。たぶん焦ったのだ。最初の奴のことなんて忘れさせてやる、記憶にないなら自分を最初の男と勘違いさせてやろう、と。
 だが、遙紀がまだバージンだと判った今は、なんだか馬鹿らしくなった。別に焦らなくても、遙紀が浮気をするわけない。同じ家に住んでいればいつだって出来る。たとえ他の男が現れたとしても、遙紀と一緒に暮らしている自分に誰が勝てる?
 焦らなくたって、遙紀はずっとここにいる。
 そう考えて、梨玖は笑いたくなった。
「……や、ちょ、ちょっと、梨玖、こ、こそばいってば……!」
 声を上げずに笑う梨玖の髪が、遙紀の太股にこすれている。
 むくっと顔を上げ、遙紀の身体を抱き上げた。
「え、な、なに?」
 遙紀をベッド横の壁にもたれさせる。膝を立てて座っている状態。
「……梨玖?」
 不思議そうに自分を見る。
 梨玖は何も答えずに、唇に吸い付いた。
「……んっ……」
 キスをしているときの遙紀は、幸せそうな顔をする。それも好きだけど、やっぱりもうちょっと、さっきの恥ずかしそうに悶える顔が見たい。
 口から首筋へ降り、赤ん坊のように乳首をくわえる。
「ひゃぅんっ!」
 どうやら胸はかなり弱いらしい。反応が一番大きいような気がする。しかし、これでは遙紀の顔が見られない。口を離して両手で遙紀の両胸を包み込む。そして先端をつまんだり転がしたりする。
 遙紀は両手を身体の横につき、何かに必死で耐えている。
「……り……梨玖……」
「なんだ?」
「ま、まだ……?」
「なにが?」
「ま、まだ……するの……?」
「まだなんにもしてないだろ?」
「し、してるじゃ──あぅんっ!」
 梨玖はいきなり指を突っ込んだ。中は充分濡れている。さっきより指は入りやすくなっていた。
「イキたいだろ?」
「んぁっ……ど、どこ……に……?」
「……んな親父ギャグみたいなこと言うな」
「だ、だって……なんのことか判んな……あんっ……」
「……もーいーから。黙ってされてろ。あ、いや黙るな」
 興味はあるとはいっても、その手の雑誌を進んで読むのは恥ずかしいのだろう。だから保健の授業程度のことしか知らず、俗語に関しての知識はないわけだ。あんまりあって欲しいと思わないが。
「あっ、いやぁっ、はうっ……」
 指を出し入れするたびに遙紀が声を上げる。たった指一本なのにかなりきつい。
 胸や中への愛撫を続けながら、遙紀の表情を楽しむ。
 そのうち、声の間隔が短くなってきた。達するのかな?と思ったとき。
「いやっ……り、梨玖ぅ!」
「へ?──って、おい!」
 がばっ!と遙紀に頭を抱え込まれた。目の前は胸。頬に柔らかいものが当たって気持ちいいのだが、それどころじゃない。
 こ、これじゃ、顔が見れん!
 振りほどこうにも、ものすごい力で締め付けられていて全然動けない。たぶん何かに捕まっていないと不安なんだろうとは思うが、遙紀にこんな力が出せるとは思わなかった。
「ああっ、あん、あ、や、うぁ、あああっ」
 頭の上に遙紀の息がかかる。おそらく自分の頭の上に顔を埋めているんだろう。
 向かい合って座り込み、頭を抱えられ、指は遙紀の中へ入れるという、変な恰好。
 ……しょーがねぇな。
 顔を眺めるのは諦めた。諦めるしかないが。
 声だけ楽しむことにして、梨玖は指を動かすスピードを上げた。
「あ、やっ、あ、あああっ──!!」
 梨玖の頭を締め付ける力が強くなり、遙紀が今までとまったく違う声を上げて身体を痙攣させた。
 一瞬の間を置いて、ふっと遙紀の腕の力が緩んだ。梨玖が指を抜いて顔を上げる。
 だらっと両腕を垂らし、遙紀は力無くうなだれていた。
「……遙紀?」
 フルマラソンを全力疾走したみたいに、遙紀は何度も胸を上下させていた。
「気持ちよかった……か?」
 達したみたいではあるが、気持ちよかったかどうかに関しては聞かないと判らない。何せ自分だって女にこういうことをするのは初めてだ。
 呼吸しかせず、まったく動かない遙紀の顔を覗き込んだ。
「……遙紀?」
「……う……」
「おーい?」
「──バカぁっ!」
「へ?」
 遙紀は泣いていた。顔と同じぐらい、目が赤くなっていた。
「な、なに泣いてんだ……!?」
 い、痛かったのか?
 そんな顔は全然してなかったような気がするが。
 遙紀はぼろぼろ泣き始めた。小さな子供みたいに両手で涙を拭っている。
「……も……やだぁ……」
「へ?……やっぱ痛かったのか?」
 もしかして気持ち悪かった……とか?
「そ……じゃな……い……」
「違うのか? じゃあなんで……」
「……だって……あ、あたし、あんな……」
「あんな?」
「……あんなことして……変な声出して……」
「いや、したのは俺だろ。変な声でもないし」
「……でも、あんなの、あたし……すごくいやらしい子みたい……」
 えーっと。
 感じて悶えて嬌声上げてたのが恥ずかしい、ってことか?
「あ、あのな? あんなもん、全然恥ずかしいことじゃ……いや、恥ずかしいかもしれないけど、あれぐらい誰でもやるんだからさ」
 指で達したぐらいでスケベだなんていう奴は、よっぽど純情な奴だ。
 ……ってことは、こいつ結構、純情なのか? 興味はあるくせに?
 免疫がないだけだろうとは思うが。
「……もうしない……」
「へ?」
「もうしたくない。絶対いや。梨玖にあんなの見られるなんて絶対やだ」
「……って……あ、あのな、俺以外の誰に見せる気だ」
「誰にも見せない! もう絶対いや!」
「……だからなぁ……」
 梨玖は困った。今は別にいいが、このままでは一生、なんにも出来ない。
「……なあ、遙紀」
 遙紀の腕を掴んで顔から離し、あごを手で持ち上げて視線を合わせた。
「気持ちよかっただろ?」
「しっ、知らない! 判んない!」
 遙紀は全身赤くなった。どうも言動が子供っぽくなっている。いつもはもっと落ち着いているのに。
「俺、悶えてるお前の顔好きだな」
「へ、変態!」
「さっきも言ったぞ、それ。だいたいあれが嫌いだっていう男の方が変だって。それにあのあえぎ声も好きだなー」
「やっ、やだバカ! 変なこと言わないで!」
「全然変じゃねぇよ。すっげぇ可愛かったぞ」
「~~~~!!」
 遙紀が睨みつけるのだが、赤面しているためにまったく迫力はない。逆に可愛い。
 普段あまり可愛いなんて梨玖は言わない。なので遙紀は聞き慣れていないからまた恥ずかしいんだろう。
「恥ずかしいのは判るけど、俺は全然やらしい奴だなんて思わないから。男と女が当たり前なことしてるだけなんだからさ。そんなに嫌がるなよ」
「……だって……」
「悪いことやってるわけじゃないんだからさ。そりゃ、考えなしにやりまくるのはどうかと思うけど、俺そんなことしないから」
「……でも……」
「キスは?」
「え?」
「お前、キスするの好きだろ? ディープな奴」
「……え、えっと……」
「あれだって性的に興奮するためだぜ? 前戯って奴」
「……ちょっと違うもん」
 すねたような顔でそう言った。やっぱりいつもより態度が子供だ。
「俺からすれば一緒だな。キスしてるときの顔とか声とかすっげぇ好きなんだ」
「え、あ、あの、い、いつもそんなの観察してるの?」
「当たり前だろ」
「な、なんで!?」
「可愛いから」
「あんた今日変よ!」
「お前も今ちょっと変だぜ」
「誰がしたのよぉ!」
「も一回して欲しい?」
「いいいいいらないってば!」
「じゃあ、また今度な」
「やだってばぁ!」
 ひとしきりからかって満足した梨玖は、ベッドを降りた。
「遙紀」
「なななによぉ!」
「もう春だっていってもさ、そのままじゃ風邪引くぞ」
「え?……あ」
 遙紀は自分の身体を見下ろした。すっぽんぽん。しかも足を広げてたりして。
「きゃあぁぁぁぁっ!」
 膝をぺたっと閉じて降ろし、胸を両腕で隠した。
「み、見るな、バカぁっ!」
「もう全部見たって」
「やだぁ、もう!」
 半泣きで遙紀はきょろきょろした。服を探しているんだろう。梨玖は脱がせた服をベッドの下に落としていたのだ。それを拾って遙紀に渡す。
「あ、あっち向いてて!」
「……だから全部見たってのに……」
「いいから!」
「へいへい」
 こういう恥じらいも可愛いなあとか思いながら、梨玖は遙紀に背を向け、宿題の続きをやろうかとテーブルに向かった。
 テーブルを元の位置に戻していると、ベランダの方からトラックの音がした。こっちは家の裏の方だ。なんだろうと思って、ベランダに出てみた。
 裏の空き家の前、つまりすぐ目の前の道路にトラックが二台止まっていた。
「売れたのか、あの家」
 単純にそう考えた。
「……梨玖? なんかあるの?」
 いつもの落ち着いた声で遙紀が聞く。
 引っ越しみたいだ、と言いながら部屋の中に戻った。
「引っ越し?」
 下着をつけただけの遙紀が聞き返したとき、玄関のチャイムが鳴った。
「あ、やだ、どうしよ」
「俺出るよ」
「うん。お願い」
 どうせセールスマンか何かだろうと思って、梨玖は部屋を出た。



 階段を下りていくと、正面から右手にかけて玄関がある。さほど広いわけでもないが、梨玖の元の家よりは広い。
 ドアを開ける前にまたチャイムが鳴った。しつこいセールスマンだな、と思い、セールスマンはしつこくて当たり前か、と思った。
「──はい?」
 自分でも愛想悪すぎと思う声でドアを開けた。
 そこにいたのは、背広を着たサラリーマンでもなく、郵便局員でもなく、借金の取り立て屋でもなかった。
 自分と同い年ぐらいの、若い男。
 眼鏡をかけていて、自分よりもう少し背が高く、かなりの二枚目。
 印象としては、モテる東大生。
 その東大予備軍は、梨玖を見て驚いていた。梨玖は嫌な予感がした。
「……どちら様?」
「あ……あの、高杉さんのお宅じゃ……?」
「そうだけど?」
 この家には、名字が二つある。高杉と津月。両親は夫婦別姓を選んだのだ。なので、表玄関には表札が二つ並んでいる。
「あの、遙紀……さん、います?」
 梨玖は内心で舌打ちした。
 こいつ、遙紀を呼び捨てにしようとした。ということは。
「……あれ?」
 遙紀の声がした。同時に階段を下りてくる音がする。
 ……降りてこなくていいのに……。
 名指しされたのだから、呼びに行かなければならなかったのだが。いないと言ってやろうかと考えてしまっていた。
 玄関まで来た遙紀が、サンダルをはきながら言った。
「修祐? なんでいるの?」
「……久しぶり」
 二人の間に、親しげな空気が流れた。梨玖は自分が除け者のような気がした。
 修祐というと、遙紀の幼なじみで、遙紀とセックスしようとした男。
 ……自分が勝てないかもしれない男が、現れてしまった。


第1章 彼女の初体験の相手 終わり

小説(転載) Eternal Delta 2/9

官能小説
08 /27 2018
新規登場人物
工藤修祐(くどう・しゅうすけ)
 遙紀の幼なじみ。親の転勤で引っ越していた。


第1章 彼女の初体験の相手〈1〉

 市立高鳥たかとり高校に通う梨玖は、この春から二年生になる。一年の時は遙紀と同じクラスだった。しかし今度は別のクラスの方がいいかもしれない。同棲か!と冷やかされずに済むからだ。
 三月の末に入籍した母と新しい父は、梨玖の期待を裏切って新婚旅行には行かなかった。二人とも仕事がいっぱいで旅行どころじゃないらしい。
 おいしいシチュエーションにありつけることなく、同居生活は一週間が過ぎた。



 いくら頭では判っていても、彼女はやっぱり彼女であって、姉ではない。
 最初から姉として会っていれば踏ん切りもつくかもしれない。しかし、初めて見たときから異性として意識してしまっているので、やっぱり家族とは思えない。
 家の中をラフな恰好でうろつき回る遙紀を見るたびに、梨玖はびくびくしてしまう。
 どきどきじゃなくてびくびく。
 何に怯えているのかは、自分ではよく判らない。
 嫌がっていたわりに、遙紀は平然と日々を過ごしている。そう見えるだけかもしれないが、母と同じ女だけに神経図太いのかもしれないと思う。



 あと二日で新学期が始まるというその日。梨玖は重大なことに気づいた。
 ……宿題やってねぇ。
 春休みといえど、高鳥高校では主要五教科の問題集が課題として出される。夏や冬に比べれば量的には少ないが、たった二日で出来るものではない。
 自力では。
 いい口実見つけたぞ、と梨玖はほくそ笑み、問題集とノートを抱えて部屋を出た。
 中流階級の一戸建て。狭いながらもちょっとした庭があり、ガレージ付き。一階にはダイニングキッチンとリビング、バスルームとトイレ、八畳の両親の部屋。二階は六畳の部屋が二つ。広いベランダとトイレ。
 ついこの間まで父娘二人だけの住まいだったにしては、ちょっと広すぎるような気がする。四人家族となった今でちょうどいい大きさだろう。最初から再婚する気があったんだろうか。しかし兄となった浩巳が大学を卒業して帰ってきたら、自分は追い出されてしまうのではないかとちょっと心配だ。
 南側の部屋を出た梨玖は、北側の部屋の前で立ち止まる。
 時間は昼を過ぎたところ。両親は二人揃って出版社へ出掛けた。夕方まで帰らない。
 ──おいしいシチュエーション、ゲット!
 ガッツポーズをしてから、梨玖は大きく深呼吸した。
 付き合い出して半年。数回この家に入ったことはある。遙紀の部屋にも入ったことがある。一番最初はさすがに緊張したが、そのあとは平常心でいられた。
 しかし今は、初めて入ったときのようにどきどき、いや、びくびくしていた。
 一時間ほど前に起きたばかりの梨玖は、母が用意していた朝食を食べ、そのあと部屋に戻った。ダイニングから二階に上がるには玄関前を通る。その時、遙紀の運動靴はあったような気がする。誘って出掛けようかと思っていたのだが、実に都合よく課題のことを思い出したのだ。遙紀が出ていった様子はない。ドアの開く音はしなかった。
 意を決してドアをノックしようと右手を挙げ──
 ──がちゃっ! ごちぃんっ!
 思いっきり顔面にドアがぶつかってきた。
「~~~~!!」
 問題集とノートをばらまき、梨玖は鼻を押さえてうずくまった。
「……あれ? なにやってんの?」
 変態を見るかのような遙紀の表情。梨玖は怒鳴った。
「なにじゃねぇだろ! 急に開けんな!」
「だ、だって、そんなところにいるなんて思わなかったんだもん。なにやってたの?」
「……いや、えーっと」
 襲いに来たとは言えず、梨玖は困った。
「あ! 宿題! 写させてもらおうと思ってさ!」
「……なに、そのとってつけたような説明は?」
「……気のせいだ」
 梨玖は冷や汗をかいた。
「あたし、お昼食べるんだけど。梨玖は?」
「は?……ああ、さっき起きて朝飯食ったばっかなんだ」
「じゃあ、いらないのね」
 遙紀はさっさと階段を下りていった。
「あ、おい! いる! 食うよ!」
 梨玖は慌てて後を追いかけた。



 父娘二人暮らしだっただけに、遙紀は料理がうまい。今日の昼食はサンドイッチ。
 ……サンドイッチ?
 作る手間がかかるのは判る。しかしだ。なんでサンドイッチなんだ? もーちょっと手作りっぽいもん食いてぇなぁ。
「宿題やるんでしょ?」
 包丁を持って、遙紀が言った。鍋でゆで卵を作っている間に食パンの耳を切り落としている。ほかにも、ハムとかレタスとかトマトとか、野菜をいっぱい並べていた。
 とってつけた説明を信用してくれてるわけか。実際、宿題はやらないといけないが。
 優しさに感動していると、遙紀はゆで卵の殻むいて、と頼んできた。
 喜んでお手伝いいたしますとも!などと言いながら、梨玖は鍋の湯を捨ててゆで卵を鷲掴みにした。
「──あっちぃ!」
 梨玖はゆでたばかりの卵を床に落とした。
「もー。熱いに決まってるじゃない。お湯捨てたら水で冷やすのよ」
 遙紀はまるっきり熱さを感じていないかのように素手で卵を広い、鍋に戻した。水を入れた鍋をテーブルの上に置く。
「すぐには冷めないからね。卵をね、ごろっと転がすの。そしたらむきやすいから」
「……へーい」
 言われたとおりにごろっと転がし、殻をむく。
 地道な作業を繰り返し、三つの卵を全部むき終えると、今度はみじん切りにしてと頼まれた。それが済むと、梨玖には手伝えることがなくなった。遙紀はてきぱきとサンドイッチを作り上げていく。
 ……うーん。実に家庭的な奴だ。
 自分も母が仕事で忙しいときには、家事を手伝わされていた。だが料理はしなかった。
 遙紀の動作に見惚れてから五分後。サンドイッチが出来た。コーヒーを入れて、二階に上がる。
 廊下に散らかしっぱなしだった問題集とノートを回収し、遙紀の部屋に入った。
 女の子らしい部屋というと、すぐにピンクのカーテンとかぬいぐるみを想像するが、遙紀の部屋にそんな物はない。モノトーンで統一されていて、テレビ、ベッド、机、タンス、ステレオ、本棚などがあるだけ。梨玖の部屋とあまり変わりない。一見すると男の部屋だ。だが遙紀がクールな性格をしているというわけでもない。部屋がクールなだけだ。
 壁に立てかけられていたテーブルを部屋の中央に置き、昼食を載せて問題集とノートを広げる。
 梨玖は遙紀の向かいではなく角を挟んだ隣に座った。これは別に意図してのことではなくて、教えてもらいやすいからだ。
 といってもやっぱり、より近くにいると色々と考えてしまう。
 長袖のTシャツに膝丈スカート。肩につくぐらいの髪は、バレッタで一つにまとめてある。白いうなじが目に飛び込む。
 遙紀は美人だ。可愛いというより美人顔。目立たないが、整った顔立ちだ。それをいち早く見抜いてモーションかけた自分は偉いと思っていた。
 一年の一学期は何とも思っていなかった。二学期になって一番面倒くさい体育委員に選ばれてしまった梨玖は、同じく選ばれてしまった遙紀と体育祭の準備で苦労した。何度か帰り道を一緒に歩いた。気さくな遙紀とは話しやすく、よく気のつく優しい奴だということを知って、次第に惹かれていった。
 体育祭が終わると、体育委員の仕事なんてなくなる。口実がなくなって焦った梨玖は、思い切ってデートに誘った。お茶しないかと言っただけだが。遙紀はあっさりOKした。
 初デート中に付き合ってくれと告白し、遙紀はやっぱりさらっとOKしてくれた。
 それから半年。特に何の問題もなく、いい関係を続けている。とりあえずキスは済ませていた。が、それから先に進めない。
 それっぽいムードになったかなーと思ったら、遙紀は突然なにかを思い出し、二人の間に漂った色気のある空気は霧散する。
 遙紀はその手のことには奥手で、キスぐらいで照れる、なんてことはない。それなりに興味はあるらしいのだが、どうしてだかガードが堅い。
 ひょっとして自分はムード作りがヘタなのかもしれない、と最近不安になる。
 せっかく「一つ屋根の下」なんだから、ここらでそういう関係にならないと、男としてどうかと思う。
 などと、遙紀のノートを写しながら、梨玖は勝手なことを考えていた。
「あのさぁ、梨玖?」
「──は!? なんだ!?」
 サンドイッチをかじりながら顔を覗き込んできた遙紀にびびった。
「……なに、声ひっくり返してんの?」
「いや、別に。なんだ?」
「あのねぇ、おばさ……じゃなくて、お母さんってさ、父さんのどこが気に入ったんだと思う?」
「……それを俺に聞くか?」
「だって、自分の親のことなんだから判るでしょ?」
「判んねぇよ。特にお袋のことは」
 単純明快な猪突猛進型母親だと思っていたのだが、再婚を決意するほど好きな男が出来たなんて、未だに信じられない。
「こっちこそ聞きたいんだけどな。おじ……親父って、お袋のどこがいいんだ?」
「そりゃ……あのパワフルさじゃないの?」
「……お前のお袋ってあんなんだったのか?」
「ううん。お花とお茶が趣味っていう大和撫子だったらしいけど」
 遙紀も母親の記憶はほとんどないらしい。小学校に入ってすぐに亡くなったと聞いた。
「……親父って変な趣味に変わったんだな」
「お母さんも変よ」
「…………」
 自分の親をけなし合うことに不毛を感じた。今はどちらもが両方の親なのだ。
「……でさぁ」
「なんだ?」
「……弟か妹が……出来るのかな?」
「……は?」
 何が聞きたいのかと思えば。
 兄貴がいるくせにまだ兄弟が欲しいのか? それとも女の兄弟が欲しいとか?
 そう考えた梨玖だったが、遙紀の態度を見て、なんか違うらしいと気づいた。
 遙紀の表情は、一言で言うとはにかんだ顔だった。
「……お前、なに考えてんだ?」
「え、だ、だって、ほら、まだお母さん若いし……産むでしょ、やっぱり……」
「そりゃまあ……やることやってりゃ出来るだろうけどな……」
 ……やること。
 やるよな、やっぱ。あの親たちも。
 母は三十七歳。新しい父は四十歳。まだ性欲はあるはずだよな、と思うが。
 遙紀のその照れたような表情は、両親の性生活について考えてしまったからか、弟か妹が出来るかもしれないという期待からか。
 やっぱりその手のことに疎いわけでも興味がないわけでも恥ずかしいわけでもないらしい。しかしだ。親の性生活なんてどうでもいい、というか考えたくもない。そんなことより、自分たちの進展について考えるべきだ。
 どこか呆けたような顔で、遙紀はサンドイッチにかぶりついている。何を考えているのやら。親のことから自分たちのことへと思考が飛躍してくれてたらいいのだが。
「……遙紀」
「え?」
 きれいな円形の歯形がついたサンドイッチを手にして、遙紀が振り向く。
 梨玖は自分の口元を指差した。
「ついてる」
「え? ほんと?」
 小さい子供みたいで恥ずかしいのか、遙紀はさっきとは違う照れ方で口元を拭おうとした。常套手段というのはうまくいく回数が多いから常套手段となるのだ。
 口元を拭ってやる振りをして、梨玖は遙紀の頬に手を当て、自分の口で何もついていない遙紀の口をついばむ。
 軽く触れただけで梨玖は離れた。当然これだけで終わるわけがない。真っ昼間だろうがなんだろうが、まったくなんの邪魔も入らないチャンスなんてそうそうない。一週間、同居してみて判った。一階に親がいると思うと、キスするのさえ、ためらわれてしまう。それどころかこの部屋に入るのも躊躇する。まだ他人だった時には、遙紀の父が家にいてもキスぐらい平気でしてたのに。
「……なに?」
 突然何をするのかと聞きたいのだろうか。しかし梨玖にすれば突然じゃない。だいたいくすぼっていたスケベ心にさらに火をつけたのは遙紀の方だ。
 ベッドは部屋の右手奥。梨玖の正面。やっぱり床の上はまずいだろうか。ベッドに上がった方がいいかな。などと考えながら梨玖はテーブルを押しのけ、再びキスを迫る。
「宿題やりに来たんじゃなかった?」
「……いいよ、あとで」
 なんでこうなんだろうか、こいつは。
 もちろん全然ムードなんて作らなかったし、梨玖がそれ目当てで来たとはいっても今のはなんの脈絡もないキスだった。
 しかしだ。昨日今日付き合い出したばかりの中学生カップルじゃない。いや、今時の中学生ならキスぐらいばんばんやってるかもしれない。それ以上かも。
 自分たちは高校生だ。付き合って半年。興味があるなら、もうちょっと協力的になってくれてもいいんじゃないのか。
 キスだけなら遙紀は抵抗しない。なのでとりあえず、キスでその気にさせてみようと思った。それでその気になるならとっくの昔にそれなりの関係になっているはずだが。
 肩に手を置き、再び口づけ、今度は気持ちよくなるキスをする。
 遙紀は素直に口を開き、梨玖の舌を受け入れた。
 まず最初にマヨネーズの味がした。
 お互いの唾液が混じり、音を立てて糸を引いてどちらも口がべたべたになって、主導権を握っているはずの梨玖は、頭がぼうっとなり始めた。
 いや、自分が気持ちよくなってどうする。まずは遙紀の思考を停止させないと。
「……ふ……んぁ……」
 いつも梨玖を興奮させるその声は、時々息苦しそうに聞こえたりもする。ひょっとして、ただの息継ぎなのかもしれない。しかしキスを終えた後の遙紀の表情は妙に色っぽい。
 いつもより長く遙紀の口の中を味わう。途中で梨玖のシャツを握ってきた遙紀の手が、すとんと下に落ちた。
 そろそろいいかな?
 梨玖はゆっくり口を離した。
「……あ……」
 もうほとんど頭真っ白、という感じの顔で、遙紀が呟いた。
 よし、残念がってるな。と梨玖は確信した。
「……遙紀」
 言いながら、触れるだけのキスをした。
「ん……なに……?」
 どうしてもっとしてくれないのかという響きが混じっていた。ような気がした。
「ヤらして」
 ずばりストレート。
 こうはっきり言えば、拒否は難しいだろう。と梨玖は考えた。
 仮にも自分たちは恋人同士た。恋人というと、普通はそれなりのことをするわけだ。それなのに拒否するなんて、余程の事情があるか、あるいは相手のことをそれほど好きじゃないかだ。
 余程の事情があるとは思えない。遙紀はいたって健康なはずだ。母親と同じ病気は持っていないと言っていたし、変な病気も持っていないはず。いや持っているわけない。行為に支障がある身体だとも考えにくい。
 だったら。自分のことを好きじゃないのか?
 確かに自分から告白した。遙紀の口から「好き」という言葉は聞いていない。自分が遙紀を好きなぐらいに、自分のことを好きでいてくれているという自信はない。だけど、そんなことは考えたくなかった。遊びで男とキスをするような女の子じゃないと思いたい。
 プラトニックな関係のままなんて嫌だ。まったく手を出さないで、大事にしてやりたいんだ、なんてことをいう男なんて信じられない。
 興味はある。身体的理由はない。自分を嫌いというわけでもない。なら別に……。
 遙紀はうつろな目で梨玖を見た。
「……………………………………………………………………え?」
 うわ。長っ。
 恐竜並の伝達スピードだ。と梨玖は思った。それからやばい、と思った。
 ぼうっとしてたはずの遙紀の目に、はっきりとした色が戻っていた。驚きに変わるのはあっという間だった。
「え、あ、な、な、なに、い……って……」
 梨玖の手に、遙紀の緊張が伝わってきた。
「なにじゃないだろ。アレやろって言ってんだよ」
「ああああああれ、あれって……」
「お前それ、とぼけてんのか? 照れてんのか?」
「え、だ、だって、あの……」
 遙紀はうろたえていた。見て判るほどに狼狽している。
「ま、まだそういうのってちょっと……」
「全然早くねぇよ。半年だぞ? みんな一ヶ月もすりゃやってるって」
「そ、そんなことないと思うけど……」
「んなことあるよ」
「で、でも、あたしはまだ──きゃ!」
 遙紀が小さく悲鳴を上げた。梨玖が有無を言わせず担ぎ上げたのだ。
「ちょ、ちょっと、梨玖!?」
 軽いとは言えない。身長一六〇ほどの遙紀の体重は、五〇キロあるかないかってぐらいだろうと思う。全然太っていないし、痩せてもいない。平均的体重なのだろうが、しかしプロレスラーでもない梨玖が抱き上げるにはやっぱり重い。
 だが、たったの一メートルの距離だ。これくらい抱えられなくてどうする。
 落とすように、ベッドの上に遙紀を投げ出した。また小さく悲鳴を上げた遙紀が起き上がらないうちに、その上にのしかかった。
「梨──」
 何か文句を言いかけたんだろう遙紀が、梨玖の顔を見て黙った。
「……無理やりなんてしたくないんだよ。だから……」
「あ……あの……」
 遙紀は困っていた。まだ拒否したいのか。
 しかし、遙紀は一向に恥じらう様子を見せず、むしろ青ざめていた。梨玖を怖がっているという感じではない。
「……俺とするのが嫌なのか?」
「え……?」
「俺のこと好きじゃないのか?」
「そ、そんなこと言ってない……」
「じゃあなんで! そんなに嫌がるんだよ!」
 遙紀は目を逸らした。後ろめたいような顔をして。
「お前……まさか、母親と同じ病気だとか……?」
 どんな病気だったのか聞いてもどうせ判らないが、性行為で移るような病気なのか?
 だが遙紀は首を振った。
「じゃあなんだよ!」
「……梨玖は……」
 遙紀は目を逸らしたまま言った。
「……なんだよ」
「……前に誰かと付き合ってた?」
「は?……女と付き合うのは初めてだって前に言っただろ?」
「だったら……誰ともやったことないんでしょ?」
「当たり前……って、お前もしかして、俺が経験ないから不安だって言うのか?」
「……そうじゃなくて……」
 何かを堪えるような顔で、遙紀は呟いた。
「あたし……初めてじゃないの」
「……は?」
 初めてじゃない? なにが?
 ……アレが?
「あ、え? けど、お前も男いなかったって……」
 そう言ってから気づいた。
 堪えるような顔。それって、もしかして。
「……レイプされたとか?」
「──え!?」
 大きく目を見開き、遙紀は梨玖の顔を見た。
「ち、違う! そういうことじゃなくて!」
「じゃ……エンコー?」
「そ、そんなことしないわよ!」
「じゃあなんだよ……男もいないのにどうやって……あ、自分で?」
 遙紀の顔は赤くなった。
「違うってば!」
「なんなんだよ……」
「だ、だから……」
 赤い顔が一気に青くなった。
「……付き合ってたわけじゃないんだけど……」
「好きでもない奴とやった……ってことか?」
「う、うん……あの、友達としては好きだったけど……」
 梨玖は、遙紀の太股の上に座り込んだ。大きく息をつく。
 ……なんてこった。
 俺が遙紀の最初の男になるんだとばっかり思ってたのに……。
 全身の力が抜けた。勝手に幻想を持っていただけかもしれないけど、遙紀が好きでもない奴と簡単にするような……。
 ……あれ?
 梨玖は疑問に思った。ただの友達とやるような女の子が、なんで自分とはしたがらないんだ?
「……梨玖?」
「へ?」
「……怒った?」
「は? いや……怒りはしないけど……」
 遙紀は自分の所有物じゃない。怒る権利なんてない。が、かなりショックだ。
「……ごめんね」
「なんで謝るんだ?」
「だって……そんな軽い奴だなんて思われたくなかったの。あたしだって最初ぐらい好きな人としたかったの。でもお酒飲んでなにやったかなんて憶えてなくて……」
 ああ、なるほど。俺とやったら処女じゃないってバレ……。
「──え、おい、ちょっと待て。酒!?」
 半泣きしている遙紀は頷いた。
「お前、酒なんか全然飲めないだろ!?」
 自慢じゃないが……いや、かなり自慢だが、梨玖は一升瓶を一気飲みできる。昔から母の晩酌に付き合わされ、今は新しい父の晩酌にも付き合う。
 遙紀はみりんの匂いで酔っぱらう。うどん出汁を作るときはふらふらになっている。この前のバレンタインの時は、酒好きの梨玖のためにウィスキーボンボンを作ってくれたが、作った翌日に二日酔いになっていた。
「水だと思って飲んじゃったの」
「なんで……いや、そもそもその相手って誰だ? 俺の知ってる奴か?」
 だとしたら、今度会ったとき殴りそうだが。
「たぶん知らないと思う……梨玖、長谷はせ中学でしょ?」
 梨玖が一週間前まで住んでいた家はもっと西の方だ。遙紀とは別の中学。
「ああ……って、中学の同級生か?」
「まあそれはそうだけど……あの、幼なじみだったの」
「へ?……お前そんなのいたのか?」
「うん。うちの裏に住んでたんだけど、中学卒業してすぐ引っ越したの」
 そう言えば、この家の裏には空き家がある。まだ比較的新しい家で、なんで買い手がつかないんだろうと思っていたが。
「で……そいつに酒飲まされて……?」
「え? そんなことする奴じゃないわよ……それより梨玖……」
「は?」
「……重いんだけど」
「へ、あ、ああ、わりい」
 梨玖は素直に遙紀の上から退いた。二人でベッドの上に座り込む。
 言ってしまって気が楽になったのか、今さら我慢する必要なくなったと思ったのか、遙紀の表情は平静とは言えないが、さっきよりは落ち着いてきたようだ。
「三年の時の正月にね、修祐しゅうすけ……って名前なんだけど、家に遊びに行ったの」
 梨玖は再びショックを受けた。
 自分以外の男の名前を、遙紀が呼び捨てにしてる。細かいことだと言われようが、ショックはショックだ。
「で、あの……おもち食べたのよ」
「……もち?」
「うん……喉に詰まらせちゃって……慌ててそこに置いてあったペットボトル飲んだの」
「……それが酒だったって?」
「だって……ミネラルウォーターの入れ物だったのよ? 水だって思うでしょ?」
「日本酒か?」
「たぶん……最初は判らなかったの。おもち流し込んでから、なんか頭くらくらしてきちゃって……修祐もおかしいなって言いながら飲んでたわ」
「匂いで判るだろ、普通!」
「あたしは匂いどころじゃなかったし、修祐って花粉症なの」
「……それ、春だろ? 正月って言わなかったか?」
「花粉っていうのは年中飛んでるわよ」
「そりゃまあ……んで?」
「えっと……あたしそのまま倒れちゃって……修祐もあんまり強い方じゃなくて……気がついたら、二人とも修祐の部屋にいたの」
「……部屋……」
 信じられない。彼女の口から他の男の部屋にいたと告白されるなんて。幼なじみなら部屋に入ったことぐらい何度でもあるだろうけど。
「……頭痛くなって気がついたんだけど……その時……下着はいてなかったの。服は着てたんだけどブラジャーずれてたし……修祐が隣で寝てて……あの、その、ズボンも下着もはいてなかったから……」
「……あれが目に入った?」
「う、うん。あたし悲鳴上げちゃって……それで修祐も起きたんだけど、あいつも全然憶えてなくて……でも二人ともそんな恰好って、何かあったと思うでしょ?」
「……ない方が変だな」
 不本意ながらもそう答えた。
 何が悲しくて彼女の初体験を聞かなきゃいけないんだ? 相手は自分じゃないのに。
「で、でもね、二人とも憶えてないんだから何もなかったことにしようって……」
「男はいいけどさ、女の場合はそういうわけにはいかないんじゃねぇのか?」
「うん……あたし最初は忘れてたの。憶えてないんだから忘れるのなんて簡単だって思ってたの。でも、初めて梨玖にキスされたときに思い出したの。あたし、処女じゃないんだって……知られたらきっと嫌われると思って……」
「き、嫌うって……あ、あのなぁ……そりゃ気にしないっていったら嘘だけど、俺と知り合う前の話だろ? 昔の男のことなんて気にしてたらきりがないだろ?」
「……でも……あたし、梨玖が誰かと付き合ってたなんて聞いたら嫌だと思うな……」
 なんていうセリフを聞いて、梨玖は思わず赤面した。
 こ、こいつ、かなりトランスしてやがるな……。
 これほど素直に遙紀が自分の気持ちを話したことなんてない。
「……あのな、遙紀」
 肩を掴み、遙紀の顔を覗き込んだ。
「その時のことは全然憶えてないんだろ?」
「……うん」
「だったら、気持ち的にはホントにやったって感じはないんだろ?」
「……そうだけど……」
「じゃあ問題ないな。憶えてないのなんて数に入らない」
「……詭弁だと思う、それ」
「いーんだよ、なんでも」
 そう言って、長いキスをした。
「……遙紀」
「ん……」
 思考が飛んだらしい遙紀は、ぼうっと返事をした。
「俺のこと好きだよな?」
「……ん……」
 なにか間があったように思うが。気にしないでおこう。
「じゃあ、いいよな?」
「ん……え?」
 遙紀ははっとしたように梨玖を見た。
「今さら嫌だなんて言うなよ。好きな奴とやりたいって言っただろ? 俺だってそうなんだよ」
「……あ、で、でも……」
 遙紀は照れた。完全に赤面した。それが可愛くて、意地悪なことを言いたくなった。
「そいつはよくて、俺は嫌なのか?」
「そ、そういう聞き方って……卑怯だと思う……」
「いーよ。卑怯でも鬼畜でもなんとでも呼べよ。遙紀に言われても平気だね」
「……なんかそれ、変態っぽいよ」
「かもな」
 男なんてみんな変態の気があるんじゃないかと思う。


第1章 〈2〉へ

小説(転載) Eternal Delta 1/9

官能小説
08 /27 2018
登場人物
津月梨玖(つづき・りく)
 主人公。母親が再婚し、恋人の遙紀と姉弟になった。
高杉遙紀(たかすぎ・はるき)
 梨玖の義理の姉で恋人。
高杉浩紀(たかすぎ・ひろき)
 遙紀の実の父。ポルノ作家で童話作家。
津月真利(つづき・まり)
 梨玖の実の母。画家。小説の挿し絵も描く。


第0章 不本意ながら姉弟です

「結婚だぁー!?」
 津月梨玖つづきりくは驚愕のあまり、そこがファミリーレストランであることを忘れて思いっきり大声で叫んだ。
 梨玖の目の前には自分の母親がいる。その横には何度か会ったことのある中年男。そして梨玖の隣にいるのは、一応付き合っていることになっている高杉遙紀たかすぎはるき。遙紀の手は、ハンバーグステーキを切り分けようとしたまま止まっていた。
 中年男というのは遙紀の父親の高杉浩紀ひろき。ポルノ小説なんて書いているらしい。でもって童話作家でもあるらしい。わけ判らん、と梨玖は思っていた。
 自分の母親、津月真利まりは画家。最近は小説のイラストの仕事をやっている。
 この二人の中年が、雑誌社で知り合って意気投合して何度かお茶してるうちに、それなりの関係になって再婚を決意した、のだそうだ。
「──ちょ、ちょっと待て!」
 梨玖は思わず立ち上がった。周りの目なんて気にしてる場合じゃない。ウェイトレスが近づいてきて何やら言っているが、当然無視。
「二度と結婚しないって言ってたのはどこのどいつだ!」
「さ~。どこの誰だったかしら~?」
 母はすっとぼけた。
 梨玖の父親は、梨玖が小学校に上がる前、薄幸の風俗嬢に同情して金を貢ぎマンションを貢ぎ車を貢ぎダイヤを貢ぎ、最後には自分を貢いだ。が、手に手を取って愛の逃避行をした一週間後、母の執念により発見された父は、金を搾り取られて捨てられていた。
 その後のさらなる母の執念により、詐欺の容疑で薄幸の風俗嬢は逮捕された。しかし、いくら母が説明しても、父は薄幸の風俗嬢は薄幸の風俗嬢なんだとかたくなに信じていた。信じたかったという父の気持ちは今の梨玖には多少なりとも判るが、当時の母には判らなかった。母は離婚届を突きつけた。父はあっさり受諾した。
 それから父には会っていない。別に会いたいとは思わない。騙されていたとはいえ、それほどにまで人に同情できる父はいい人なんだろうと思う。だが、結果的には母と自分を裏切ったわけだから、無条件で許してやる気にはなれない。そもそも、まだ五歳にもなっていなかったので、あんまりよく憶えていないのだ。
 男なんて!というのが口癖となった母は、女手一つで梨玖を育てた。偉いとは思うし尊敬もしてるけど、あまりにもパワフルすぎて、誰かこいつを止める男は出てこないかと思っていた。
 しかし。それも相手による。
 よりにもよってなんで、自分の彼女の父親だ!?
 結婚したら姉弟になっちまうじゃねえか!
 ……そう、姉弟。姉と弟。それも大問題だ。
 梨玖は三月生まれ。遙紀は四月生まれ。同級生なのにほとんど一歳違うのだ。それだけでも男としてなんか嫌だったのに、この上姉になるだと!?
「絶対反対だぞ!」
「やだわ~。母の幸せを素直に祝えないなんて」
 ──俺が不幸になるんだ!
 椅子に座り直した梨玖は、テーブルを拳で叩いた。
「まあまあ、梨玖くん」
 遙紀の父親が、手を伸ばして梨玖の肩をぽんぽんと叩いた。
「知らない仲でもないんだから。まったく見ず知らずよりマシだと思ってくれ」
 思えるかぁー!
 遙紀の父は呑気な人だった。どこまでも人の良さそうな顔をしている。詳しい病名は聞いていないが、ものすごい大病で妻を亡くしたらしい。あまりにも悲しすぎて逆に悲しい顔を見せないのか、それとも元々引きずらない人なのか。とにかくそんな悲しい経験をしたとはとても思えないほど、ほがらかな人だ。
「……と、父さん?」
 フォークとナイフを握ったまま、一言も発しなかった遙紀が口を開いた。
「お兄ちゃんには言ったの?」
 窺うような顔で遙紀が聞いた。
 ……そうだ。まだ希望があった。
 遙紀には四つ上の浩巳ひろみという兄がいる。大学近くのアパートに下宿しているのだが、梨玖とも面識があって、結構気が合っている。
 浩巳にも反対されたら考え直すかもしれない。
 わずかな希望を持った梨玖だったが。
「昨日、電話で話しといた。好きにすりゃあいいじゃん、って言ってたな」
 遙紀の父と兄は、梨玖のわずかな希望をうち砕いてくれた。
「……でもさぁ……結婚するってことは……うちに住むの?」
 遙紀は不安な顔をした。
「結婚したら一緒に住まなきゃ」
 至極当然、という風に母が答えた。
 ……住む?
 梨玖は当たり前なことに今頃気づいた。
 遙紀はますます不安な顔をした。
「……梨玖も一緒に住むわけ?」
「そうねえ。この子一人じゃ心配だしねえ」
 ……は?
 一緒にって……えーっと。
 梨玖はぎぎぎっとさび付いたロボットみたいに隣の遙紀を見た。
 遙紀は嫌~な顔をしていた。
「……おい。なんだよ、その顔」
「だぁってさぁ」
「俺たち付き合ってんだぞ?」
「でもさぁ」
「なにが〝でも〟だよ」
「……けどさぁ……」
 遙紀はすねたような顔でうつむいた。
 ……こいつ……。
 俺がなんかやらしいことすると思ってんな……?
 付き合ってたら別に一緒に住まなくたってそういうことにはそのうちなるわけで……。
 ……そういうことってどういうことだ?
 判っていながら梨玖は自問した。
 たとえば。風呂場で遭遇したり。着替え中に部屋に入ってしまったり。
 あるいは。親が二人とも旅行に行って二人っきりの夜を過ごすだとか。
 そういうこととはこういうことで、つまり、かなりおいしいシチュエーションが……。
 ……い、いいなあ……。
「梨玖~。よだれよだれ」
 はっ。
 母の言葉に梨玖は我に返った。見ると、遙紀がじとーっとこっちを睨んでいる。
 梨玖は咳払いをした。
「……と、ともかく。考え直す気はないのか?」
「ないね」
 母は即答した。その横で遙紀の父も頷いている。遙紀が大きなため息をついた。
「……こうなったら反対しても無駄なのよね……」
「無駄って……」
 まだそういう関係になっていない梨玖としては、おいしいシチュエーションを逃したくはないが、やっぱり姉弟にはなりたくない。
 しかし。反対しても無駄なのは事実だった。夫に裏切られてもめげることなく、息子を一人で育て上げた原動力は、その行動力と決断力だ。
 会話を弾ませる親たちとは対照的に、子供たちはただ黙々と食事を続けた。


第0章 不本意ながら姉弟です 終わり

eroerojiji

小さい頃からエロいことが好き。そのまま大人になってしまったエロジジイです。